俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~ 作:パラレル・ゲーマー
水曜日、夜。
蛇神という神格降臨体の討伐と、崩壊したアジトの事後処理の報告を終え、ようやく直哉は実家へと帰り着いた。
自室のドアを閉め、白峰レイジの変身を解除する。
青白い光が散り、三十四歳の本来の自分の身体へと戻る。
直哉は、すぐに自分の身体のあちこちを触って確認した。
(……よし。俺の身体は無傷だな)
今日、レイジの姿で受けた数々の猛攻。
猛毒による肺と皮膚の焼けるような痛み、落雷による筋肉の硬直と火傷、灼熱の炎、そして巨大な質量による全身の骨が軋むような圧迫。
戦闘中、レイジのHPゲージは確実に大きく削られていた。
だが、変身を解除した直哉の生身の肉体には、それらの外傷は一切残っていない。
(やっぱり、あれはあくまで『キャラクターのHP側』で受けたダメージであって、俺の本体に直接ダメージが及ぶわけじゃないんだな)
もちろん、戦闘中に感じたあの激痛や苦しみの『記憶』だけは、直哉の脳に鮮明に刻まれている。
だからといって、「もう一回あれを食らいたい」とは絶対に思わないが。
直哉は、ジャージに着替えて机の前に座った。
そして、今日一日の最も重要な儀式のために、大きく深呼吸をした。
視界に、《因果集結クロニクル》のシステム画面を呼び出す。
現在所持しているリソース。
『因果晶:1,600』
神格を倒した直後に得られた、あの十連分のガチャ石だ。
そして、直哉の視線は、画面の中央で艶やかに微笑む彼女の姿へと釘付けになる。
『★★★★★ 九条紫苑《宵刃の巫女》』
そのバナーの下にある、絶対的なシステム保証のテキスト。
『★5キャラクター確定まで:30回以内』
直哉は、無言でその画面を見つめた。
「…………」
蛇神との戦闘が終わってから、ずっと我慢していたのだ。
現場でガチャを回すわけにはいかず、事務手続きの間も、帰りの電車の中でも、ずっとこの瞬間のために耐えてきた。
ついに、回せる。
直哉は、少しだけ震える声で呟いた。
「よし」
「今度こそ、今度こそ頼むぞ、紫苑……!」
光り輝く『10回集結』のボタンを、タップする。
『因果晶を1,600消費して10回集結を実行しますか?』
『現在:1,600』
『実行後:0』
直哉に、迷いは一切なかった。
『集結する』
ガチャの演出が開始された。
画面の奥から、十個の光の糸が飛んでくる。
直哉は、祈るように両手を握りしめながら、その結果を見守った。
一枚目。青。★3武装。
二枚目。青。★3武装。
三枚目。青。★3武装。
直哉の内心が焦る。
(まだだ、まだここから……!)
四。五。六。
全て青い光のまま、通り過ぎていく。
(まだ……! まだワンチャンある……!)
七。八。九。
★5確定の、あの黄金色の演出は来ない。
直哉の顔から、スッと表情が抜け落ちた。
「…………」
そして。
最後の一枚。10枚目。
弾けたのは、無慈悲な紫色の光だった。
画面に表示されたのは、見慣れた冷静な女性の立ち絵だった。
『★★★★』
『鳴海伊織《遠景の照準手》』
直哉は、完全に沈黙した。
「…………」
伊織の、どこか冷めたような視線が、画面の向こうから直哉を見つめ返しているように見えた。
システムが、淡々とテキストを表示する。
『重複キャラクターを獲得しました』
『《因果共鳴》システムにより、キャラクターの限界突破素材へ変換されます』
現在の所持数。
『鳴海伊織:《因果共鳴》素材 × 4』
もともと、以前のガチャで三回被っていた。
今回で、ちょうど四つ目の素材となった。
そして。
無情にも表示される、現在のステータス。
『因果晶:0』
『★5キャラクター確定まで:20回以内』
直哉は、スマホを持ったまま、天井を仰ぎ見た。
しばらくの間、自室には痛いほどの無言の静寂が流れた。
そして。
「……はい」
直哉の口から、完全に乾ききった、諦めの笑いが漏れた。
昨日は、命懸けで神様と殺し合ったのだ。
全身を毒で焼かれ、雷に打たれ、尻尾で締め上げられ、やっとの思いで倒した神格。
その命の対価としての報酬が、十連。
その十連の結果が。
目当ての★5はなし。
既存の★4の被り。
直哉は、完全に虚無の境地に至っていた。
だが。
三十四歳の直哉の『切り替え』は、異様なほど早かった。
直哉は、バナーの紫苑のイラストをもう一度見た。
残り天井、20連。
必要な因果晶は、3,200石。
直哉は、パンッと両手で自分の頬を叩いた。
「よし」
即座にスマートフォンを手に取り、画面を操作する。
「次の仕事だ」
もはや、そこに一切の迷いはなかった。
石がないなら、稼ぐしかない。
ただそれだけのシンプルな真理だ。
直哉は、スマホの電話帳から八咫烏の霧島の連絡先を呼び出し、通話ボタンを押した。
いつもは仕事を持ってくる側の霧島から電話がかかってくるのが普通だが、直哉の方から自発的に電話をかけるのは少し珍しいことだ。
数コールの後、電話が繋がった。
『はい、霧島です』
「森川です。今、少しお電話大丈夫ですか?」
『はい。どうされました? 何か体調に異変でも?』
直哉は、単刀直入に切り出した。
「いえ、体調は全く問題ありません。あの、今、俺が受けられそうな仕事って、何か残ってたりしますか?」
電話の向こうから。
非常に重たい、深い沈黙が返ってきた。
『…………』
直哉は首を傾げた。
「霧島さん?」
霧島の声は、どこか呆れたような、そして本気で心配しているようなトーンだった。
『森川さん』
「はい」
『あなたは本日、神格存在の降臨体と、単騎で交戦されたばかりですよね?』
「はい。そうですね」
『わずか、数時間前ですよね?』
「はい。まあ、さっき帰ってきたばかりなので」
霧島は、深くため息をついた。
『……本日は、もうゆっくりとお休みになられてはいかがでしょうか』
直哉は笑った。
「いや、本当に身体はピンピンしてるんですよ。全然大丈夫です」
『そういう身体的な意味だけで申し上げたわけではないのですが……精神的なケアも含めてです』
霧島は、八咫烏の管理官として、直哉のメンタルが戦闘のストレスでおかしくなってしまっているのではないかと、本気で心配していた。
直哉は少し迷った。
自分が『ガチャの石が欲しくて仕事を探している』などと、真面目な公務員のような彼女に言うべきか。
直哉は、正直に白状することにした。
「……あの、石が欲しくて」
『…………』
「さっき、帰ってから十連ガチャを回したんですけど。見事に星5が出なくて爆死したんですよ」
霧島は、電話の向こうで『ああ……』と、妙に深く納得したような声を漏らした。
直哉の内心が、
(いや、そこで納得すんなよ!)
と突っ込んだ。
だが、霧島はすぐに実務のモードへと切り替えてくれた。
『そういう事情でしたら……ちょうど一件、森川さんの能力に適性がありそうな案件は残っています』
直哉の目が輝いた。
「本当ですか!?」
『ただし、深夜になりますし、本日の案件ではありません。明日の午前中になりますが、よろしいですか?』
明日は木曜日だ。
予定は完全に空いている。
直哉は即答した。
「全然大丈夫です。やります」
霧島から、明日の案件の簡単な説明を受けた。
場所は、首都圏郊外にある、現在は操業停止中の大型資材工場。
そこへ、中型の怪異が入り込んだという。
現場周辺の道路はすでに警察と八咫烏によって封鎖され、近隣の一般人の避難も完了している。
『対象の怪異の特徴ですが』
大型の四足歩行型。
全長は約五メートル。
巨大な獣に似ているが、その背中から頭部にかけては、極めて強固な『黒灰色の硬質甲殻』で覆われている。
現時点での暫定呼称は《甲殻獣》とされている。
「どんな危険性があるんですか?」
『近接戦闘を挑むと、その巨体と甲殻を活かした強烈な突進、そして前脚による叩きつけと噛みつきを行ってきます。さらに、一定距離まで近づいた対象へ向けて、高周波に近い特殊な咆哮を放ち、人間の三半規管や平衡感覚を激しく撹乱します』
そのため、現場の討伐班だけでも時間をかければ倒せなくはないが、接近戦で被害や怪我人が出る可能性が非常に高いのだという。
だが、弱点はすでに判明している。
『すでに現場のドローンによる観測で確認されています。全身が硬い甲殻で覆われていますが、首の付け根から顎下にかけての一部だけ、甲殻が非常に薄く急所となっている部分があります』
通常時は、獣特有の低い姿勢によってその弱点は完全に隠れている。
攻撃するために、頭を大きく持ち上げた『ほんの一瞬』だけ、その急所が露出するのだ。
『つまり。遠距離から、その一瞬の隙を突いて正確に撃ち抜ける人間がいれば、現場の被害をゼロに抑えて圧倒的に安全に処理できるのです』
霧島は、直哉の持つ手札を正確に把握していた。
『ですので、今回の案件は……鳴海伊織さんが適任ではないかと考えています』
直哉は頷いた。
「伊織、ですか」
昨日がレイジ。
一昨日が千里。
そして今度は、伊織の出番だ。
直哉は、一つだけ確認した。
「ちなみに、報酬はおいくらくらいですか?」
一瞬、昔の会社員時代なら「お金の話を自分から聞くなんて」と躊躇していただろう。
だが、今は能力者としての明確な『契約仕事』だ。
条件を確認するのはプロとして当然のことだった。
霧島も、全く気を悪くすることなく事務的に答えた。
『今回の基本報酬が三十万円。それに、対象の危険度に応じた危険手当が十万円上乗せされ、合計四十万円を予定しています』
直哉は内心で、
(神様と正面から殴り合うよりは、だいぶ平和そうで割の良い仕事だな)
と判断した。
もちろん、その仕事で確実に『因果晶』がシステムから支給されるという保証はどこにもないが。
「分かりました。やります」
『ありがとうございます。……ですが、今日は本当に、これ以上何も考えずにゆっくりと休んでくださいね』
「はい、分かりました。おやすみなさい」
直哉は通話を切り、スマホをベッドに放り投げた。
直哉の視界には、先ほどのガチャの結果画面がまだ残っていた。
『鳴海伊織:《因果共鳴》素材 × 4』
直哉は、少しだけ考えた。
(伊織の被りも、これでちょうど四つになったんだよな)
セナの時は、四つの素材を使って、《因果共鳴》を第四段階まで解放した。
だが。
直哉は、今日は共鳴の画面を開くのをやめた。
(……これは、また時間のある時に、まとめてゆっくり確認するか)
今日の仕事の疲れもピークだったし、明日は伊織の姿で精密な狙撃の仕事が待っている。
今はとにかく、休むことが最優先だ。
直哉はシステム画面を閉じ、泥のように眠りについた。
◆
木曜日、午前。
指定された郊外の大型資材工場へ到着した直哉は、現場の空気の違いに少しだけ安堵していた。
警察車両が数台。
八咫烏の現場班のバン。
工場の関係者らしき人物が数名。
周辺の道路は規制線で封鎖されている。
もちろん、緊張感はある。
だが、昨日の『神格降臨』の時のような、空が割れて世界が終わるかのような、あの絶望的で国家災害級の重い空気は全くない。
直哉は内心でホッとした。
(ああ……これくらいが、能力者としての『普通』の仕事なんだよな)
昨日の神様との死闘のせいで、完全に自分の危険のハードルと感覚がおかしくなっていることを自覚した。
現場の八咫烏の責任者から、今日の作戦のブリーフィングを受ける。
怪異のいる工場から、約1.5キロから2キロほど離れた、安全な高層建築物の屋上が、今日の直哉の『狙撃地点』としてすでに確保されていた。
そこには、風速や環境データを読み取る八咫烏側のスポッター――観測手が一名。
そして通信担当が待機しており、工場の内部にいる現場の討伐班とは無線で状況が共有される手はずになっている。
直哉は、人目のない区画へ移動し、変身のプロセスに入った。
『★★★★ 鳴海伊織 Lv.20』
『【CHARACTER CHANGE】』
青白い光が収まる。
171センチの長身の女性。
無駄のない、機能的な軍用のコート。
手には、身の丈ほどもある巨大な長銃。
そして、どんな事態にも動じない、冷たく落ち着いた瞳。
直哉の内心が、少しだけ引き締まる。
(伊織の姿でちゃんと仕事するの、かなり久しぶりだな)
現場の担当者が、伊織の姿を見て一礼した。
「鳴海さん。本日はよろしくお願いします」
伊織の口から、低く落ち着いた女性の声が出力される。
「了解しました。これより、現場の状況を確認します」
外見も、言動のフィルターも、完全に冷徹なプロのスナイパーそのものだ。
だが、中身の直哉は、
(昨日は剣で神様を斬りまくって、今日はスナイパーか……ほんと、俺の転職の幅広すぎるだろ)
と、少しだけシュールな気分になっていた。
伊織は、用意された高層建築物の屋上へと上がり、指定された狙撃位置に伏射の姿勢をとった。
屋上には、冷たい風が吹き抜けている。
遥か遠く、1.5キロ以上先に、目標の資材工場が見える。
肉眼では、ただ「なんかあそこに建物があるな」程度にしか認識できない距離だ。
だが、伊織は長銃のバイポッドを固定し、スコープを覗き込んだ。
彼女は、すぐには発砲しない。
まずは、環境のデータを一つずつ読み取っていく。
ターゲットまでの正確な距離。
風向。風速。
自身と目標との高低差。
気温。湿度。
工場の鉄骨の構造。
弾道を遮る可能性のある障害物の有無。
重要なのは、伊織の能力は決して『未来予知』ではないということだ。
相手が数秒後にどこへ動くかを、超能力で未来そのものを見て撃っているわけではない。
現在の相手の動き、速度、歩幅の癖、そして風や距離といった全ての物理的なパラメータを瞬時に計算し、最適な『予測地点』へと弾丸を置く技術なのだ。
スコープ越しに、工場内部の様子がクリアに見えた。
大型の怪異。
報告の通り、黒灰色の分厚い甲殻に覆われた四足歩行の獣《甲殻獣》。
現在、八咫烏の現場討伐班が、怪異から十分な距離を取って包囲網を敷いている。
怪異は、近づいてこない人間たちに対して、苛立ったように低く唸り声を上げていた。
現場班のリーダーから、無線が入る。
『鳴海さん。対象、確認できますか?』
伊織は、スコープから目を離さずに淡々と答えた。
「確認しました」
『顎下の弱点も?』
伊織は、数秒間、怪異の動きをじっと観察した。
怪異が威嚇のために頭を大きく振った瞬間。
首の付け根から顎下にかけて、甲殻の薄い柔らかな肉の部分が、ほんの一瞬だけ露出した。
「確認しました」
伊織は、静かに能力を発動させた。
「《零点規正》」
直哉の視界に、伊織の射撃補助UIが展開され、怪異の身体にロックオンのマーカーが付与される。
『《射線確定》』
ただし、これは「絶対に当たる未来が確定した」という意味ではない。
現時点での観測条件から、物理的に成立する射撃ルートの中で、命中へ収束させるための条件が整ったということだ。
ここから先は、現場との連携が全てになる。
伊織は、いきなり引き金を引くような素人じみた真似はしなかった。
「現場班。対象の現在の姿勢が低すぎます。このままでは、顎下の急所へ射線が通りません」
無線から、頼もしい声が返ってくる。
『了解しました。対象の頭を上げさせ、射線を構築します。誘導を開始』
ここが、今日の仕事の最も重要なポイントだ。
伊織一人が、神業のような狙撃で全てを解決するわけではない。
現場で身体を張るプロフェッショナルたちとの、共同作業なのだ。
現場班が動き出した。
盾を持った重装備の隊員が前へ出て、後方の能力者が遠距離攻撃で牽制する。
怪異が咆哮を上げ、盾役に向かって猛然と突進していく。
盾役は、無理に攻撃を受け止めず、予定通りのルートへと素早く退避する。
彼らは、怪異を工場内の『上空に障害物のない開けた場所』へと、見事に誘導していく。
伊織のスコープが、その突進する怪異の動きにピタリと追従する。
直哉の内心は、
(うわ、デカいのに思ったよりめちゃくちゃ速いな!)
と驚いていた。
だが、伊織の照準は、寸分の狂いもなく怪異の急所を追い続けている。
動く標的。
その速度。
進行方向。
弾速。
そして、屋上から工場までの間に吹く横風。
その全てを、伊織の脳が弾き出す。
「《偏差収束》」
伊織のゲーム的なスキル。
それを、ここで初めて本格的に実戦で使用する。
直哉の内心が、
(今だ、撃て!)
と叫ぶ。
しかし。
伊織の身体と、彼女の極限の射撃技能は、まだトリガーを引かなかった。
弱点が露出する時間が、あまりにも短すぎる。
ここで撃って外せば、怪異は警戒して完全に姿勢を低くしてしまい、二度と急所を見せなくなる可能性がある。
確実な『一発』が通る瞬間まで、待つ。
現場班から、焦りの声が飛ぶ。
『鳴海さん?』
伊織は、極めて冷静な声で返した。
「まだです」
現場班の牽制に苛立った怪異が、誘導班へ向かって大きく向き直った。
そして、その巨大な頭を、天へ向かって大きく持ち上げる。
胸を張り、高周波の咆哮を放とうと、大きく息を吸い込んだ。
首。
そして、甲殻に守られていない、柔らかい顎下の急所。
それが、完全に上空への射線に対して『露出』した。
伊織の視界の中で。
クロスヘアの中心。
風の計算。
対象の動きの停止。
その全てが、完璧なタイミングで一つに重なり合った。
「射線、確定」
伊織は、静かに引き金を引いた。
「《精密射撃》」
『ターンッ!!』
屋上に、重く鋭い発砲音が響き渡り、長銃の強烈な反動が伊織の肩を打った。
空になった薬莢が、チャリンと音を立ててコンクリートの床に転がる。
放たれた弾丸は、1.5キロ以上の空間を音速を超えて切り裂き。
一瞬遅れて。
怪異の、完全に無防備に露出した顎下へと。
寸分の狂いもなく、命中した。
『ギャァァァァァッ!!』
怪異が、激痛に悲鳴を上げて大きく仰け反った。
顎下から、ドバッと大量の血が噴き出す。
だが。
怪異は、倒れなかった。
直哉の内心が、
(硬っ!)
と驚愕した。
さすがは中型の怪異だ。
いくら弱点とはいえ、ライフルの弾丸一発で簡単に死んでくれるほどヤワではない。
昨日の神格の直後だからといって、決して油断していい相手ではないのだ。
だが、現場班は即座に動いた。
『命中確認!』
『対象、大きく怯みました!』
伊織の第一射によって、怪異の厄介な『高周波の咆哮』の出鼻は完全に挫かれた。
怪異が伊織の正確な位置を把握することも、この距離では簡単ではない。
怯んで動きが止まった怪異に対し、現場班が一気に距離を詰める。
『拘束班、今だ!』
現場の拘束系能力者が、特殊なワイヤーを一気に展開し、怪異の四肢を一瞬だけ縛り付ける。
もちろん、巨大な怪異の動きを完全に封じることはできない。
もって数秒だ。
だが、それで十分だった。
直哉の内心が、
(よし、もう一回だ!)
と叫ぶ。
しかし、怪異は激しく首を振って暴れ回っている。
傷ついた顎下の急所への射線は、先ほどよりも遥かに細く、狙うのが困難になっていた。
だが、伊織は動じない。
《偏差収束》。
暴れる怪異の現在の運動を捉え、弾速と距離を含めた物理的な弾道を合わせていく。
無線から、現場班の切羽詰まった声が飛ぶ。
『鳴海さん! 三秒だけ止めます!』
伊織は、スコープを覗いたまま、冷たく答えた。
「十分です」
現場班の拘束が、限界まで引き絞られる。
怪異の動きが、一秒。二秒。
ほんの一瞬だけ、強引に固定された。
伊織の指が、再び引き金を引く。
「《精密射撃》」
『ターンッ!!』
放たれた第二射。
その弾丸は。
先ほどの第一射で撃ち抜かれ、すでに甲殻が破れて開いていた『同じ傷口』へと。
ミリ単位の狂いもなく、吸い込まれるように命中した。
弾丸が、顎下の柔らかい肉を完全に貫通し、怪異の頭部の内部へと深く突き刺さる。
『ガ……ッ』
怪異の巨大な身体が、ビクンと不自然に硬直した。
そして。
そのまま、崩れ落ちるように。
『ドォォォォンッ!』
工場の中に土埃を立てて、重々しく横倒しに倒れた。
現場班は、すぐには近づかない。
盾役を前に出し、慎重に警戒しながら怪異の生死を確認する。
数秒の沈黙の後。
無線から、安堵の声が響いた。
『対象の、完全な活動停止を確認』
『……討伐、確認しました』
伊織は、その報告を聞いて、静かにスコープから目を離した。
「任務完了です」
極めて淡々とした、プロの仕事の終了宣言だった。
直哉の内心は。
(……終わった)
と、少しだけ拍子抜けしたような、それでいて深い満足感に包まれていた。
昨日の神格戦。
毒、雷、炎、水、神威。
そしてEXスキルの十二連斬。
あれだけド派手で、命懸けの死闘を繰り広げた。
それに比べて、今日やったことといえば。
安全な屋上から、ライフルを二発撃っただけだ。
だが。
仕事としては、これ以上ないほど『完璧』だった。
現場班に怪我人はゼロ。
危険な接近戦のリスクを負うこともなく。
怪異による工場への追加の被害も出さなかった。
たった二発の射撃で、全てを安全に終わらせたのだ。
直哉は、内心で大きく頷いた。
(仕事ってのは、こういうのでいいんだよ!! こういう安全なのが一番なんだよ!!)
と、心の中でガッツポーズをしていた。
無線から、現場班のリーダーの声が届く。
『鳴海さん。見事な狙撃でした。こちらの被害をゼロに抑えていただき、本当に支援ありがとうございました』
伊織は、決してその手柄を一人で独占しようとはしなかった。
「こちらこそ。皆様の誘導と、拘束のタイミングが正確でした。おかげで、確実に射線を通すことができました」
隣で観測機材を操作していた八咫烏のスポッターの職員が、呆然とした顔で伊織を見ていた。
「……1.5キロ以上離れた場所から。あんな激しく動く標的の、数秒しか露出しない弱点に。よく、あれを二発とも完璧に通せますね……」
伊織は、長銃を片付けながら、伊織らしい乾いた声で返答した。
「仕事ですから。当然のことです」
直哉の内心は、
(いや、俺自身の腕前だったら、あんなの絶対100%無理だからな!)
と、笑いを堪えるのに必死だった。
キャラクターの身体能力と、伊織の持つ極限の技術のおかげだ。
でも、その引き金を引くタイミングを判断しているのは直哉なのだから、少しだけ誇らしくもあった。
本日の報酬。
危険手当込みで、事前の契約通り、四十万円が支払われることになった。
直哉は、屋上から降りながら思った。
(昨日、神様と血みどろで殴り合って石十連分だったのに比べると……今日は平和すぎて、本当に四十万も貰っていいのかって気になってくるな)
そして、直哉は視界の端をチラッと確認した。
『因果晶:0』
「…………」
直哉の内心は、
(まあ、そうだよな)
と、静かに納得していた。
今回の怪異は、伊織の支援がなくても、現場班だけで時間をかければ最終的には処理できていた可能性が高い。
伊織の射撃によって変わったのは、処理に必要な時間と、現場班が負う危険の大きさ。
直哉は少し考える。
(今回は、危険を減らして早く終わらせただけで、『結果そのものを変えた』判定にはならなかった……とか?)
(まあ、相変わらず正確な条件は分かんないけど)
直哉は、少しだけ沈黙した。
(四十万円稼いだ)
(現場の人間は、誰も怪我しなかった)
(俺の仕事としては、100点満点だ)
(……石は、0だけど)
直哉は、小さく息を吐いた。
(……いや、普通はそれで十分なんだよな。仕事としては大成功なんだから)
石が出なくても、仕事として成功している。
その結果を、以前よりも素直に受け止められるようになっている自分がいた。
◆
仕事を終え、実家へと帰宅した直哉は、自室のベッドに寝転がった。
《因クロ》の画面を開く。
石は0。
次の天井まではあと20連。
そして。
直哉の視界には、ある表示が光っていた。
『鳴海伊織:《因果共鳴》素材 × 4』
直哉は、その文字をじっと見つめた。
(セナは四つの素材を使って、共鳴を第四段階まで解放した)
(伊織の素材も、今四つあるんだよな)
直哉は、少しだけ共鳴の画面を開いてみた。
だが、今日はボタンを押さなかった。
(……こっちの強化も、そろそろ時間がある時に、まとめて効果を確認してみるか)
今日は、もう十分に働いた。
昨日が神様。
今日が怪異。
いくら安全だったとはいえ、二日連続で現場に出たのだ。
直哉は、スマホの連絡帳の『霧島』の名前を見て、一瞬だけ考えた。
「…………」
「いや、さすがに今日は仕事もらうのやめとこう」
三十四歳の男は、ようやく『休む』という選択をした。
直哉は、九条紫苑のバナーをチラリと見て。
「星5が出なかったから、ヤケになって働きに行って」
「めちゃくちゃ完璧に働いたけど、結局石は出なかった」
直哉は、自室の天井に向かって、しみじみと呟いた。
「…………世知辛いな、このゲーム」
直哉の平和な(?)休息は、ようやく訪れようとしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!