俺の異能が中華ゲーだった ~34歳無職、ガチャで引いたキャラに変身して働きます~   作:パラレル・ゲーマー

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第32話 俺、何人いることになってるんですか?

 金曜日、午前。

 

 昨日の夜、「いや、さすがに今日は仕事もらうのやめとこう」と固く心に誓った直哉は、その宣言通り、珍しく目覚ましをかけずにゆっくりと目を覚ました。

 

 遅めの起床。

 キッチンで適当に朝食を作り、コーヒーを淹れて自室へ戻る。

 

 今日は、八咫烏からの呼び出しも、護衛の仕事も、オペレーターの業務も入っていない。完全な休日だ。

 

 直哉は、コーヒーマグを机に置きながら、心の中で確認した。

 

(よし。今日は働かないぞ)

 

 一拍置いて。

 

(……たぶん)

 

 すでに、自分自身に対する信用が全くなくなっていた。

 

 直哉は、いつも通りPCのゲームでもやろうかとマウスに手を伸ばしかけた。

 だが、その前に。

 視界の右下に展開されたままの、《因果集結クロニクル》のシステム画面が目に入った。

 

 昨日からずっと気になっていた数字がある。

 

『鳴海伊織:《因果共鳴》素材 × 4』

 

「…………」

 

 昨夜は、狙撃の仕事から帰ってきたばかりで疲労困憊しており、さらに五十連爆死の直後だったので保留にしてしまったのだ。

 

 だが、今は時間もある。仕事は休みだ。

 

「よし。これはやっておくか」

 

 これは仕事ではない。自分の生存率を上げるための、純粋な『キャラ強化』というゲームシステムの一環だ。

 直哉の中では、労働とは完全に別枠の作業だった。

 

 直哉はメニューから《キャラクター》のタブを開き、伊織のステータス画面を表示した。

 

『★★★★ 鳴海伊織《遠景の照準手》』

『Lv.20』

『現地登録Tier:3』

 

 その横の、共鳴の項目。

 

『因果共鳴:未解放』

『専用素材:4』

 

 セナの時と同じだ。専用の共鳴素材を一つ消費することで、一段階の強化が解放される。最大段階が何段なのかは依然として不明だが、現在解放可能なのは、手持ちの素材の数である四段階だ。

 

 直哉は、今回は全く迷わなかった。

 

「四つ全部、一気に使うぞ」

 

 セナの時の経験で、この《因果共鳴》というシステムが、単純で素直な能力の底上げになることは分かっている。使わない手はない。

 

 直哉は、光る確認ボタンをタップした。

 

『《因果共鳴》第1段階を解放しますか?』

『消費:鳴海伊織専用素材 × 1』

 

 実行。

 

 画面に青白い光が弾け、新しい効果がシステムに書き込まれた。

 

『1凸:《遠景補正》』

『遠距離射撃時における、環境補正能力が強化される。《零点規正》で取得した距離、横風、高低差、気温、湿度などの射撃条件を、より高精度に補正し弾道へ反映する。』

 

 直哉は、そのテキストを読んで呟いた。

 

(地味だな……)

 

 だが、一秒後。

 

(いや、伊織にとってはこれ、めちゃくちゃ強いやつだわ)

 

 セナの雷のような派手な爆発や、火力の直接的な上昇ではない。

 だが、スナイパーにとって『環境要因の補正精度が上がる』ということは、すなわち『命中率と有効射程の絶対的な底上げ』を意味する。

 実に、伊織というプロの射手らしい堅実な強化だった。

 

 素材残り3。

 続けて、実行。

 

『2凸:《偏差収束・改》』

『移動対象に対する《偏差収束》の補正性能が上昇する。対象が急な速度変化や不規則な方向転換を行った場合でも、射撃条件の再計算プロセスが高速化される。』

 

 これは、決して未来視ではない。

 あくまで、現在観測できている運動情報への追従速度と、計算処理の速度が上がるだけだ。

 

 直哉は、昨日の仕事を思い出した。

 

「あー……昨日、甲殻獣が首を振り回して暴れてた時に、これ欲しかったな」

 

 動き回る標的に対して、より早く、より正確に次の射撃タイミングを計算できる。これも完全に実戦向きの強化だ。

 

 素材残り2。

 実行。

 

『3凸:《追傷規正(ついしょうきせい)》』

『一度、自身の射撃によって物理的な損傷を与えた部位を再度狙う場合。その対象部位への貫通性能と命中補正が大幅に上昇する。』

 

 直哉の思考が、完全に停止した。

 

「…………」

 

 直哉の脳裏に、昨日の工場での戦闘の光景がフラッシュバックした。

 第一射。怪異の顎下。

 そして第二射。まったく同じ傷口へと吸い込まれていった弾丸。

 

「……昨日のあの二発目のアレ、この3凸効果が乗ってたら、もっとエグいことになってたのか……」

 

 伊織というキャラクターの戦闘の方向性が、ここではっきりと見えた気がした。

『一発当てたら、二発目からは同じ急所をさらに深く、確実に抉り抜く』。

 

 彼女は、ただの遠距離アタッカーではない。一度射線を通した相手を徹底的に仕留める、極めて殺意の高いスナイパーだった。

 

 そして、いよいよ最後の素材だ。

 素材残り1。

 

 直哉は、少しだけ期待した。

 

(セナの時は、4段階目で『致死ダメージ回避+瞬雷リセット』っていう《黎明不倒》だったな。伊織の四段階目はどうなるんだ?)

 

 実行。

 

『4凸:《終端再演算》』

『EXスキル《遠景・終端射撃》を使用後、対象が戦闘可能状態で残存している場合。一度だけ、《零点規正》による観測情報を維持したまま、次の《射線確定》への再移行プロセス時間を大幅に短縮する。』

 

 つまり。

 渾身の必殺技の一発を撃っても、相手がタフで倒しきれなかった場合。

 通常なら一からやり直さなければならない観測と計算をスキップし、素早く『次の一発』の準備を整えることができる、ということだ。

 

 もちろん、EXスキルそのものを二連発できるわけではない。

 確実に必中する魔法でもない。射線そのものが物理的に遮断されれば撃てない。

 だから、伊織の「精密な計算と射撃」というプレイスタイルを壊すものではない。

 

 ただ。

 

 直哉は、思わずツッコミを入れた。

 

「……殺意、高すぎない?」

 

 一度ロックオンした相手は、死ぬまで逃さない。そういう執念すら感じるスキル構成だった。

 

 現在の伊織のステータス表示が更新された。

 

『鳴海伊織:《因果共鳴》第4段階』

『専用素材:0』

 

 セナの時と同じく、ここで『最大共鳴完了』とは表示されない。

 

 なので直哉も。

 

(第四段階の先があるのか、それともここで一区切りなのかは、まだ分からないんだよな)

 

 という程度に留めておいた。

 

 直哉は、二人分の共鳴効果を頭の中で並べて比較してみた。

 

 セナ。

 HP増加、スキルの回転率上昇、雷ダメージ増加、致死回避。

 

 伊織。

 遠距離補正、移動目標への偏差強化、同一部位への追撃強化、必殺技後の再射撃態勢構築。

 

 直哉は感心した。

 

(ちゃんと、キャラクターごとに役割と強化の方向性が全然違うんだな)

 

 セナは、前線でギリギリまで生き残りながら、敵の攻撃を避けて高速で動き回るための強化。

 伊織は、一度安全圏から射撃条件を作った対象を、逃さずに徹底的に仕留め切るための強化。

 

(よくできた中華ゲーの凸システムみたいだな……)

 

 直哉は、少しだけ満足してシステム画面を閉じた。

 

 その時だった。

 

 机の上に置いていたスマートフォンが、短く振動した。

 

『ブルッ』

 

 直哉は、メッセージアプリの通知画面を見た。

 

「ん?」

 

 表示されていた差出人の名前は、『ノア』。

 

 メッセージの内容は、たったの一言だった。

 

『暇?』

 

 直哉は、何も考えずに即レスした。

 

『暇』

 

 数秒後。

 

『着信:ノア』

 

 直哉は、ため息をつきながら通話ボタンを押した。

 

「……もしもし」

 

『よぅ』

 

 電話の向こうから、いつもの軽い少年の声が響いた。

 

「どうしたの?」

 

『別に。暇だったから』

 

 直哉の内心が、盛大にズッコケた。

 

(完全に、ただの友達からの暇電じゃねえか!!)

(十四歳の暗殺者の友達から、平日の昼間に暇電がかかってくる三十四歳の俺の人生って、改めて客観的に見るとどうなんだ!?)

 

 そこから、ノアとのとりとめのない雑談が始まった。

 

 月曜日の浅草観光の話。

 あの日見つけた秘密の呪物屋のこと。

 二人で買った《違和の銀牌》のこと。

 その後に行った天ぷら屋で、ノアが海老の天ぷらを追加で三人前も頼んだこと。

 ノアが最近日本で食べて美味しかったお菓子のこと。

 

 そして、直哉の最近の仕事のこと。

 

 ノアが、呆れたように言った。

 

『お前さぁ、なんか最近めちゃくちゃ働きすぎじゃね?』

 

 直哉は、少しだけムッとして言い返した。

 

「うるさいな。暗殺で億単位稼いでる十四歳に言われたくないわ。こっちは真面目にコツコツ働いてんだよ」

 

『あはは。まあ、いいけどさ』

 

 少し雑談が途切れた後。

 ノアが、ふと思い出したようなトーンで言った。

 

『そういやさ』

 

「うん?」

 

『最近、裏社会の能力者の間で……八咫烏経由の現場に、すげえヤバい新人が出てきたらしいぞって、結構な噂になってるぜ?』

 

 直哉は首を傾げた。

 

「新人?」

 

『ああ。ここ数日で急に名前が出てきた奴』

 

 ノアが、その名前を口にした。

 

『白峰レイジって名前なんだけど』

 

 直哉は、完全に動きを止めた。

 

「…………」

 

 一瞬の間を置いて。

 

「あー」

 

 ノアが、電話の向こうでニヤッと笑う気配がした。

 

『やっぱ、お前?』

 

 直哉は、ため息をついて即答した。

 

「うん。俺」

 

 ノアは直哉が他人の姿へ変身する能力であることを、地下駐車場ですでに知っている。今さら彼相手に隠す理由も意味もなかった。

 

「なんで分かったの?」

 

 ノアは、キャンディを舐める音をさせながら答えた。

 

『タイミングだよ』

 

 新しいTier2の強力な能力者が、八咫烏経由の現場に突然姿を現した。

 今まで、裏社会のどこにもそんな名前は知られていなかったのに。

 そして、水曜日に起きた、あの『蛇神の降臨体』をたった一人で単独撃破したという大事件。

 

『そんなバケモノみたいな奴が急にポッと生えてくる時期と、お前が新しいキャラ増やした時期が、モロに被ってんじゃん』

 

 暗殺者としての情報収集能力と、極めて合理的な推測だ。

 

 直哉は、少し不安になって尋ねた。

 

「ちなみに、その白峰レイジって、裏社会でどんな噂になってるの?」

 

 ノアは、少し楽しそうに笑いながら答えた。

 

『かなり、尾ひれがついて盛られてるぜ』

 

 ノアが聞いた噂は、こうだ。

 

 ・最近、八咫烏経由の現場に出てきた、正体不明のTier2の男。

 ・青白い剣を使う剣士。

 ・『一度受けた攻撃が、二度と効かなくなる』というとんでもない能力を持っているらしい。

 ・無許可で降臨した神格の化け物を、一人で叩き斬った。

 ・現場の能力者の間では、「あいつ、実はTier2じゃなくて、実質Tier1のバケモノなんじゃないか」という話まで出ている。

 

 直哉は、頭を抱えた。

 

「実質Tier1は盛りすぎでしょ……」

 

 ノアも、同意するように笑った。

 

『俺もそう思う』

 

 直哉は、自分の評価を正しく訂正した。

 

「レイジは、八咫烏の正式な測定でも、普通にTier2判定だったよ」

 

『だろうな』

 

 ノアも、能力者社会のトップ層を知る人間だ。

 

『相性のいい相手を一方的に完封して倒したからって、それで単純にTierの数字が上がるなら、評価制度として意味ねえじゃん』

 

 彼も、魂の定数と、戦闘の相性が別物であることを理解している。

 

 だが。

 

 ここで、直哉は会話の中にあった、ある強烈な『違和感』に気がついた。

 

「……待って」

 

『ん?』

 

 直哉は、眉をひそめて確認した。

 

「その噂ってさ。《ナオ》が、変身して蛇神を倒したって話になってないの?」

 

 ノアは、あっさりと否定した。

 

『違うぞ』

 

「…………」

 

 ノアは続けた。

 

『あくまで、「白峰レイジ」っていう、最近八咫烏経由の現場に出てきたTier2の男が倒したって話になってる』

 

 直哉は、完全に思考が停止した。

 

「え?」

 

 ここで、直哉は過去の出来事を一つずつ順番に思い返していった。

 

 昨日。

 伊織の姿で、工場の怪異を狙撃した時。

 現場の担当者は、「鳴海さん」と呼んでいた。

 

 その前。

 千里の姿で、オペレーター室で全国を観測した時。

 責任者は、「御影さん」と呼んでいた。

 

 蛇神の現場。

 担当の男性職員は、「白峰さん」と呼んでいた。

 

 みんな、ごく普通に。

 その場にいる『キャラクターの名前』で、直哉のことを呼んでいたのだ。

 

 直哉の背筋に、嫌な汗が流れた。

 

(……あれ?)

 

 直哉は、恐る恐るノアに尋ねた。

 

「もしかして……俺の変身先のキャラクターたちって。外部の社会から見ると、全部『別々の独立した能力者』として認識されてる?」

 

 ノアは、少し考えてから答えた。

 

『少なくとも、俺が拾った裏社会の噂だと、そう見えてる奴が何人もいるな』

 

 ノアが、現状の認識のズレを説明してくれた。

 

『《ナオ》っていう名前は、紅城院の令嬢の護衛とか、オークションの警備に出てた能力者の業務名みたいな感じで、多少は話が出回ってる』

 

 玲蘭の件。オークション。怪盗ノクターンへの関与。

 

 セナの姿で仕事へ出た時も、外部には基本的に《ナオ》という名義を使ってきた。

 

 だから少なくとも、裏社会に『東雲セナという新しいTier3能力者』が独立して広く知られているわけではない。

 

 一方で。

 

『白峰レイジは、最近八咫烏経由の現場に出てきたTier2の剣士』

『鳴海伊織も、八咫烏の射撃支援に出てきたTier3の女狙撃手として話が回ってる』

 

 御影千里については、一般の裏社会へ広く噂が流れるような現場へ出ていないため、ノアの耳にもほとんど情報は入っていないらしい。

 

 エレノアについても、玲蘭やノアのように事情を知る一部の人間はともかく、一般の能力者社会でどう認識されているのかまでは、ノアにも分からない。

 

 ただ。

 

 少なくとも。

 

『白峰レイジと鳴海伊織が、《ナオ》と同一人物です、なんて話には全然なってねえぞ』

 

 直哉は、完全に沈黙した。

 

「…………」

 

 数秒後。

 

「俺……世間から見ると、何人いることになってるんだ?」

 

 直哉の口から漏れたあまりにもシュールな疑問に、ノアは電話の向こうで腹を抱えて爆笑した。

 

 だが、直哉はここで重要な事実を整理した。

 

「でもさ。霧島さんとか、八咫烏の地下で俺の能力の測定をしてる人たちは、俺が《因果集結クロニクル》の能力で全部の姿に変身してるって、ちゃんと知ってるよな?」

 

『そりゃ、担当してる連中は知ってんだろ』

 

 当然だ。

 彼らは直哉の正体を知った上で、能力を測定し、契約を結び、仕事を回している。

 

『でもさ』

 

 ノアが、裏社会を生きる人間としての、至極真っ当な一般論を口にした。

 

『八咫烏が、現場の末端の警察官とか、一時的な共同作戦の要員全員に、「今日派遣されたこの何人か、実は全部同じ三十四歳のおっさんが変身してる姿です!」なんて、わざわざ馬鹿正直に教える必要、なくね?』

 

 直哉は反論した。

 

「言い方!」

 

『だって事実だろ』

 

 直哉も、自分の現場での運用を思い返してみた。

 

 現場へ派遣される時。

 

 現地の警察や職員に示されている情報は、もしかすると。

 

『本日の支援能力者:白峰レイジ』

『登録Tier:2』

 

 その程度なのかもしれない。

 

 その人物の本当の正体が、森川直哉という一人の能力者による変身体であり。

 以前《ナオ》という業務名義で出ていた能力者とも同一であり。

 鳴海伊織とも同一人物である。

 

 そんな内部事情まで、現場の全員へ共有する必要はない。

 

(あー……)

 

(たぶん、そういうことなのか?)

 

 八咫烏が国家機密として全員を騙しているというより。

 

 担当部署や契約管理側では紐付いているが、現場には業務上必要な情報だけが降りている。

 

 もしそうなら。

 

 結果として、外部から見た時には別々の能力者に見える。

 

 そういうことなのかもしれない。

 

 もちろん、これは今のところ直哉の推測に過ぎない。

 

(……今度、霧島さんにちゃんと聞いてみよう)

 

 そういえば、直哉自身だって、現場で一緒に仕事をした警察側の能力者の「本名」や「能力の詳細な仕組み」「家族構成」なんて、何一つ知らない。

 必要がないからだ。

 

 ノアが、決定打となる一言を放った。

 

『つーかさ』

 

『普通、そう思わねえだろ』

 

 直哉が首を傾げる。

 

「何が?」

 

 ノアは、指を折って数えるように言った。

 

『Tier2の時間停止を使うメイドと。Tier2の事象適応する大男の剣士と。Tier3の精密射撃のスナイパーと。Tier3の雷を使う女剣士。それに広域観測をやってるTier2までいて』

 

 一拍置いて。

 

『それ、全部同じ三十四歳のおっさんが変身してます、って。誰がどう考えても最初からそこに辿り着かねえだろ』

 

 直哉は、完全に沈黙した。

 

「…………」

 

(そりゃそうだわ)

 

 外から見れば。

 

 使う能力の系統。

 性別。

 年齢。

 身長。

 戦い方。

 口調。

 声のトーン。

 

 その全てが、完全に別々の人間にしか見えないのだ。

 

 彼らが『同一人物である』と、最初から疑う根拠がほとんどない。

 

 直哉は、一つだけ疑問を口にした。

 

「じゃあ、なんでノアは、新しい奴が俺だってすぐ分かったんだ?」

 

 ノアは、呆れたように答えた。

 

『俺は、地下駐車場で、お前の変身の切り替わりを目の前で直接見ただろ』

 

 セナから、伊織へ。

 伊織から、男の直哉へ。

 そして、エレノアへ。

 

『俺は「こいつが複数の姿に変わる」っていう前提知識を持ってるから、新しい奴が出てきても、「あ、こいつまた新しいキャラ増やしたんじゃね?」って発想になるだけだよ』

 

 直哉は頷いた。

 

「あー、そういうことか」

 

『それ知らなかったら、俺だって完全に別人だと思って、噂を信じてたと思うぜ』

 

 これが重要だった。

 

 ノアが、特別な洞察力だけで直哉の秘密を見抜いたわけではない。

 最初に『変身する瞬間』を直接目撃し、複数の姿が一人の人間から切り替わっているという決定的な前提を知っていたからこそ、情報を簡単に結びつけられたのだ。

 

 直哉は、少しだけ安堵した。

 

 怪盗ノクターン。

 情報屋。

 裏社会の組織。

 

 直哉は最近、自分の秘密が誰かに狙われているのではないかと、ずっと警戒していた。

 

 だから。

 

 自分の変身先であるキャラクターたちが、自動的に全て《ナオ》という一つの名前へ紐付けられているわけではないというのは、彼にとって結構ありがたい誤算だったのだ。

 

(……これ、情報による防壁としては、意外と悪くないな)

 

 直哉は少し安心した。

 

 だが、ノアがすぐに冷や水をぶっかけた。

 

『まあ、そうは言っても。本気で調べる奴がいたら、現場への派遣の時期とか、活動場所とか、そういうデータから何か共通点に気づく可能性はあるけどな』

 

 直哉は泣きそうな声で言った。

 

「やめて。そういう怖いこと言わないで」

 

『いや、事実だろ』

 

 あくまで、完全に正体を隠蔽できる匿名化能力ではない。

 

 普通に見ていれば別人にしか見えない。

 

 それだけだ。

 

 変身の瞬間を直接目撃されれば、ノアのように一発で関係を理解される。

 そこまで見られなくても、情報を積み重ねて推測する人間が絶対にいないとは言えない。

 

 直哉は、一番気になっていることを尋ねた。

 

「……で、その、怪盗ノクターンの方は? あいつから俺について、何か探ってるみたいな噂はある?」

 

 ノアは、つまらなそうに答えた。

 

『いや、今のところ新しい話は聞いてねえな』

 

「そっか」

 

『ただ、あいつくらい情報集めが得意な奴なら、この辺の能力者の出現パターンに違和感持っててもおかしくねえけどな』

 

 ノアは断定はしなかった。

 ノクターンの情報収集能力の底は、ノアにも全く見えないのだ。

 

『少なくとも、俺の耳に入ってくる裏の噂の範囲じゃ、「白峰レイジ=ナオ」みたいな致命的な話はまだ流れてねえよ』

 

 それだけで、直哉は少し救われた。

 

「色々と情報、サンキューな」

 

『どういたしまして』

 

 電話を切る直前。

 

 ノアが、不意に思い出したように言った。

 

『あ、逆にさ』

 

「うん?」

 

『ノクターン関係で、なんか新しい情報が分かったら、俺にもすぐ連絡しろよな』

 

 直哉は不思議そうに聞いた。

 

「なんで?」

 

 ノアは、心底悔しそうな、やんちゃな少年の声で言った。

 

『俺も、あいつに騙された側だからな』

 

 直哉は、思わず笑いそうになった。

 

『一回やられっぱなしで終わるって、すげえ腹立つじゃん』

 

 非常に、負けず嫌いなノアらしい理由だった。

 

 直哉は笑って答えた。

 

「OK、OK。なんか分かったら、お前にも連絡するよ」

 

『よろしく』

 

 ノアは、完全に友達との休日の電話を終わらせるようなノリで言った。

 

『じゃ、俺これから飯食いに行くから』

 

「何食べるの?」

 

『ラーメン』

 

「お前、ほんと日本満喫してんなぁ」

 

『うまいから仕方ねえだろ』

 

 電話が切れた。

 

 ツーツーという電子音だけが残る。

 

 直哉は、スマホをベッドに投げ出し、静かに天井を見上げた。

 

 視界の右隅。

 

 《因果集結クロニクル》の、キャラクター一覧の画面。

 

 東雲セナ。

 鳴海伊織。

 エレノア・ヴァイス。

 白峰レイジ。

 御影千里。

 

 直哉は、無言でその名前の羅列を見つめた。

 

「…………」

 

 直哉の頭の中で、自分が世間からどう見られているのかを整理してみる。

 

 森川直哉。

 三十四歳。

 表の社会では、ほぼ無名の一般人。

 

 能力者社会の一部には、《ナオ》という業務名義で動く能力者がいることが知られている。

 玲蘭の護衛や、オークション警備などで使ってきた名前だ。

 

 その一方で。

 

 最近、八咫烏経由の現場には。

 

『白峰レイジ』というTier2の剣士。

 

『鳴海伊織』というTier3の狙撃手。

 

『御影千里』というTier2の広域観測能力者。

 

 そんな名前が、それぞれ別々の能力者として出てきているように見える。

 

 エレノアについては、一部の事情を知る人間以外からどう扱われているのかは、直哉自身にもまだ分からない。

 

 そして。

 

 その全ての中身は。

 

 森川直哉、一人。

 

 直哉は頭を抱えた。

 

(八咫烏の内部の登録データって、実際どういう扱いになってんだろ……)

 

 担当者たちが自分の正体を知っていることだけは間違いない。

 

 だが。

 

 現場へどこまでの情報が共有されているのか。

 キャラクター名がどういう扱いで登録されているのか。

 《ナオ》という業務名義と、各キャラクター名が行政上どう紐付けられているのか。

 

 そこまでは、直哉自身も知らない。

 

(次に霧島さんに会ったら、一回ちゃんと聞いてみるか)

 

 直哉は、自室の鏡を見た。

 

 そこに映っているのは、ただのジャージを着た、三十四歳の森川直哉という一人の男だけだ。

 

「……俺、一人だよな?」

 

 当然、誰も返事をしてくれるはずがない。

 

 視界に浮かぶ、五人の全く異なるキャラクターたち。

 

 直哉は、大きなため息をついて、ポツリと呟いた。

 

「…………いつの間にか、俺の人数、増えすぎじゃない?」

 

 直哉の平和な休日は、奇妙な自己同一性のゲシュタルト崩壊と共に更けていった。




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