念能力者が行く多重クロス世界 作:匿名のななし
冷たいビル風が頬を刺す。
私は表参道の大通りを歩きながら、コートの襟をギュッと合わせ、マフラーに顔を深くうずめて大きなため息をついた。
「あー、もうっ! ほんっと最悪の旅行だった……!」
思い出すだけで腹が立ってくる。
高いお金を払って予約した、北陸の高級温泉宿『蟹月館』。窓の外の銀世界、ふかふかのこたつ、そして極上のカニのフルコース。
私の胃袋は完璧に準備を整えていたっていうのに、待っていたのは首を巨大なハサミでえぐられたような気味の悪い死体だった。
もちろん、ドタバタの事件が解決した日、お詫びも兼ねて立派なカニ料理はちゃんと出してもらえたわよ。味も文句なしに最高だった。
でもね、そういうことじゃないの!
こっちは八雲とのんびり温泉に浸かって、ちょっとはいいムードになれるかもって期待してたのに!
現場を仕切ろうとした目つきの鋭い高校生探偵に、空気を一切読まずに乱入してきたタートルネックの自称天才物理学者。その足元で、どさくさに紛れてテーブルの上のカニを自分の袖に隠していたボサボサ頭の怪しい女。
シリアスな殺人事件の現場が、一瞬にして質の悪いコメディ劇に早変わり。おかげでロマンチックな空気なんて微塵も残らなかった。
「私の完璧な旅行プランが……」
ブツブツと恨み言をこぼしながら、私は足早に歩みを進めた。
帰りの新幹線の中で、八雲が気を遣って高い駅弁を買ってくれたけど、あいつはあいつで「いやぁ、今回は俺が弾避けにならなくて済んで平和だったな」なんて、のんきに唐揚げを頬張っていた。
人が死んでおいて平和も何もないでしょうが。
でも、そんなドタバタな旅行から帰ってきて、いつもの古ぼけた事務所のドアを開けた時。
少しだけ、ホッとしてしまった自分がいたのも事実だ。
殺風景なリビング。すり減った革のソファ。
ここには雪山の殺人鬼も、変な探偵も物理学者もいない。私が文句を言いながら毎日掃除をして、美味しいご飯を作って待っているだけの、私の『日常』の場所。
三年前、怪しいバイトから逃げ出して勢いで八雲のところに転がり込んだ時は、まさかここが自分の居場所になるなんて思いもしなかったけれど。
目的のお店の看板を見つけ、私は顔を上げた。
表参道の裏通りにある、レンガ造りのオシャレなカフェ『ル・シュクレ』。
今日は久しぶりに、姉妹全員で集まる約束を取り付けていた。いくら八雲との事務所暮らしが日常になっても、四人の姉妹たちと過ごす時間は、私にとって何よりも特別だ。
カラン、とドアベルを鳴らして店内に入ると、甘いバターとコーヒーの香りがふわりと全身を包み込んだ。
アンティーク調の家具が並ぶ店内を見渡す。奥の少し広いソファー席で、ひときわ目立つ四人の集団がこちらに向かって手を振っていた。
「二乃ー! こっちこっち!」
元気いっぱいに手を振る、グリーンのリボンをつけた四葉。
「遅いわよ、二乃。私たち、もうメニュー決めちゃったんだから」
腕を組んでからかうように笑う、少し大人っぽいショートヘアの一花。
その隣で、首からお気に入りのヘッドホンを下げた三玖が、小さく手を挙げてくれている。
一番奥では、真面目な顔で分厚い参考書を開きながら、お冷やを飲み干している五月の姿があった。
「ごめんごめん、ちょっと道が混んでて」
コートを脱ぎながら、四葉と五月の間に空いていた席に腰を下ろす。
それぞれ進む道は違っても、こうして集まれば、あっという間に昔の空気に戻ってしまうから不思議だ。
「それにしても二乃、相変わらず気合入ってるね〜」
一花が、私の今日の服装をジロジロと舐め回すように見てニヤニヤと笑い始めた。
私は今日のために、少し大人っぽいベージュのニットワンピースに、お気に入りの黒いショートブーツを合わせてきた。髪も綺麗に巻いて、メイクだってバッチリ決めている。
「当たり前でしょ。久しぶりにみんなで集まるんだから、ダサい格好なんてできないわ」
「ふーん? 本当にそれだけかなぁ。もしかして、家を出る時に八雲さんに『可愛いね』って言われたくて、何回も鏡の前でポーズとってたんじゃないの?」
「なっ……! ば、バカなこと言わないでよ! あんなヘタレ男のためにオシャレなんてするわけないでしょ!」
図星を突かれて、私は思わず顔を真っ赤にして反論した。
家を出る前に「どこ行くの?」って聞いてきた八雲に、「あんたには関係ないでしょ」って冷たく突き放してきたばかりだ。あいつはソファでゲームしながら適当に手を振っていただけ。あんな鈍感男に私の気合が伝わるわけがない。
「でも二乃、最近お肌のツヤがすごくいいよね。やっぱり、八雲さんと……そういうこと、あるの?」
四葉が無邪気な顔で、とんでもない爆弾を投げ込んでくる。
「ぶっ……! げほっ、ごほっ!」
ちょうど店員さんが運んできてくれたお水を飲もうとしていた私は、見事にむせてしまった。
「よ、四葉! あんたなんてこと聞くのよ! ないわよ! 全然、一切、これっぽっちもそういうのはないから!!」
必死に手を振って否定すると、隣で三玖がふうっと静かなため息をついた。
「二乃ってば、相変わらず素直じゃない。顔に『八雲さんのこと大好きです』って書いてあるのに」
「書・い・て・な・い!!」
テーブルの下で、三玖の足を軽く蹴っ飛ばす。
「いっ……暴力反対」
「あはは。でもパパが興信所の人たちを乗り込ませた時は、本当にどうなるかと思ったよね」
一花が懐かしそうに目を細める。
「パパったら、二乃がヤクザに誘拐されたんじゃないかって、毎晩リビングをウロウロ歩き回ってたんですよ」
五月も参考書をパタンと閉じて、呆れたようにため息をついた。
「誘拐じゃないってば。私が勝手に転がり込んだのよ」
「でも、あの時の八雲さん、ちょっとかっこよかったかも」
三玖がストローで水をかき混ぜながら呟く。
「興信所の怖そう人たちを前にしても全然動じなくて、『俺の毎日の美味しいご飯がなくなるから、彼女には指一本触れさせない』って追い返しちゃったんだもんね」
「まぁ、本当にこの三年間、私に指一本触れてこないんだけどね。あいつ、悟りでも開いてるのかしら……」
私がボソッとこぼすと、姉妹たちが一斉にニヤニヤと私を見た。しまった、つい本音が。
「ご注文をお伺いします」
タイミングよく、店員さんがオーダーを取りにやってきた。
「あ、はい! 私、季節限定のあまおうストロベリーパフェと、チョコバナナパンケーキ! それからアールグレイの紅茶をホットで。あ、ポテトもお願いします!」
五月がメニュー表を見ずにまくしたてる。
店員さんがギョッとした顔で伝票に書き込む手を止めた。
「えっと……そちら、お一人様でよろしいですか?」
「はい! 全て私のです。ポテトはケチャップ多めでお願いします」
「ちょっと五月! 教員採用試験の勉強中なんでしょ? そんなに食べたら眠くなっちゃうわよ」
「何を言っているんですか、二乃。脳をフル回転させるためには、莫大な糖分が必要不可欠なんですよ! 教育実習の準備と試験勉強で、私の脳細胞は常にカロリーを消費しているんです。これは言わば、私の未来への投資です!」
真面目な顔で反論する五月を見て、私たちは思わず吹き出してしまった。目標に向かって猛勉強している姿は立派だけど、その食い意地だけは相変わらずだ。
「私は抹茶ソーダと、和風の抹茶ティラミス」
「私もー! ブレンドコーヒーと、ミックスサンド!」
「じゃあ私は、カフェラテとチーズケーキで。二乃は?」
「うーん……私はダージリンティーと、ベリーのタルトにするわ」
店員さんがホッとした顔で下がっていくのを見送り、一花が頬杖をつきながら四葉に話を振った。
「そういえば四葉、大学の方はどう? 相変わらず色んなところから助っ人頼まれてるの?」
「うん! この前も女子バスケ部の試合でギリギリで逆転シュート決めてきちゃった! あとは、週末に地域のボランティア活動で公園のゴミ拾いとかしてるんだ」
本当に楽しそうな、屈託のない笑顔。昔からお人好しで、他人のために全力で走り回る四葉らしい。
「あんた、またそんなに予定詰め込んで。……で、上杉とはどうなのよ。ちゃんとデートとかしてるの?」
私が少し意地悪く核心に触れると、四葉の顔がみるみるうちに赤く染まった。
「う、うん……上杉さんとは、ちゃんと会ってるよ。この前もデートに行ってきたんだ」
「へえ〜! どこに行ったの? オシャレなレストラン? それとも映画?」
「えっとね……駅前のファミレス」
「……は?」
私は持っていたおしぼりをテーブルに落としそうになった。
「ファミレス!? 大学生の休日のデートでファミレス!?」
「だ、だって! あそこならテーブルが広いから、上杉さんはバイトの採点の仕事ができるし、私も隣で勉強を教えてもらえるからすごく落ち着くんだよ。それに……」
「それに?」
「お会計の時、私が自分の分を出そうとしたら、上杉さんが『ここは俺が出す』って無理して払ってくれたの! ドリンクバーのクーポン使ってたけど、それでも自分の予算ギリギリだったみたいで……すっごくドヤ顔してたけど、私のために背伸びしてくれたのが嬉しくて……」
四葉が申し訳なさそうに、でも心の底から嬉しそうにえへへと笑う。
「あんたたち……まあ、四葉が幸せならいいんだけどさ。今度あいつに会ったら、たまにはちゃんとしたご飯をご馳走しなさいってガツンと言ってやるわ」
「ふふっ、二乃、あんまり上杉さんをいじめないであげてね」
やがてワゴンに乗せられて、注文の品が次々と運ばれてきた。
五月の前には、山盛りのホイップクリームと真っ赤なイチゴがそびえ立つ特大パフェと、パンケーキ、そして山盛りのポテトが鎮座する。
「いただきます!」
五月は目を輝かせ、パフェの頂上から一気に崩しにかかった。クリームとアイスとイチゴを絶妙なバランスですくい上げ、次々と口の中へ運んでいく。見ているこっちがお腹いっぱいになりそうなくらい、幸せそうな食べっぷりだ。
隣では、三玖が自分の和風抹茶ティラミスを一口食べ、じっと断面を見つめていた。
「どう? 三玖。美味しい?」
「……美味しいけど。抹茶の渋みがもう少し強くてもいいかな。あと、スポンジに染み込ませてるシロップ、もう少しお酒を効かせた方が大人っぽくなると思う」
出た。三玖の料理人モード。
昔はコロッケを作れば黒焦げの爆弾にしかならず、料理の腕前は壊滅的だった彼女が、今では私と肩を並べるか、それ以上に料理にこだわりを持つプロの卵になっているのだ。
「でも、このお店のターゲットは若い女の子だから、あえてお酒を弱くして食べやすさを重視してるんじゃない?」
「そうかな。でも、私ならもっと抹茶の香りを引き立たせるために、黒蜜の層を薄く挟むわ。その方が和と洋のコントラストがはっきりするから」
「黒蜜? それだと甘さがくどくならない? 私なら、柚子の皮を少しだけ削って散らして、香りにアクセントをつけるわね」
私と三玖の間で、バチバチと見えない火花が散る。
和食の奥深さを追求する三玖と、洋食やガッツリ系の味付けを得意とする私。料理に関しては絶対に譲れないライバル関係だ。
「二乃は毎日、八雲さんのためにご飯を作ってるから腕が落ちないんですね」
五月がポテトを口に運びながら言う。
「まあね。あいつ、口では『なんでもいい』って言うくせに、デミグラスソースのコクが足りないとか文句ばっかり一丁前なんだから。最近は、ソースに赤ワインと少量のビターチョコレートを混ぜるのがマイブームね」
私が得意げに言うと、三玖がピクッと反応した。
「チョコレート……洋食の基本ね。でも、コクを出すなら私は八丁味噌をおすすめするわ。……今度、私の特製ハンバーグ、八雲さんに食べさせてみようかな。二乃のより美味しいって言わせる自信あるから」
三玖が挑発的な笑みを浮かべる。
「なっ……! いい度胸ね。受けて立つわよ。八雲の胃袋を一番理解してるのは私なんだから!」
あのヘタレ男の胃袋の主導権だけは、姉妹だろうと誰にも渡すつもりはない。
「はいはい、二人ともそこまで。カフェの中で大声出さないの」
一花がパンッと手を叩いて、私たちをなだめた。
「みんな、それぞれ自分のやりたいことを見つけて頑張ってるのね。なんだか、私だけ取り残されてるみたいで少し焦っちゃうな」
私が少しだけ本音をこぼすと、四葉が首を強く横に振った。
「そんなことないよ! 二乃だって、八雲さんの事務所で立派にお仕事してるじゃない! 裏社会の人たちと交渉したり、大変なスケジュールの管理をしたり……私には絶対にできないすごいことだよ!」
「そうですよ。二乃のその強さと度胸は、私たちの誇りです」
五月も、真剣な顔で言ってくれた。
姉妹たちの温かい言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
揉め事処理屋なんて、表の世界では胸を張って言えるような仕事じゃない。でも、こうして私の選んだ道を認めて、応援してくれる家族がいる。それだけで十分だった。
「……ありがとう。みんな」
照れくささを隠すように、冷めかけた紅茶を一口飲んだ。ダージリンの香りが、少しだけ鼻の奥をツンとさせた。
「さあ、甘いものも食べたし、そろそろお姉さんの近況も聞かせてあげようかな?」
一花が、小悪魔的な笑みを浮かべて私たちを見回した。