念能力者が行く多重クロス世界 作:匿名のななし
「そういえば一花、最近また新しいドラマの撮影が入ったんでしょ? 深夜の枠だっけ」
私は、目の前で空になった特大パフェのグラスを満足そうに眺めている五月から視線を移し、カフェラテのカップを優雅に傾けている長女に話を振った。
一花はショートヘアを軽く揺らしながら、ふふっと大人っぽい笑みを浮かべた。
「うん、そうなの。今度はサスペンスものの刑事役でね。現場の雰囲気がすごく良くて楽しいよ。来週からは映画のクランクインも控えてるし、マネージャーさんが休みを全然入れてくれなくて、ちょっと寝不足気味かな〜」
さらっと言っているけど、一花の最近の活躍ぶりは本当にすごい。テレビをつければCMで見かけるし、街を歩けば彼女のポスターが貼ってある。完全に売れっ子女優の仲間入りを果たしている。私たち姉妹の誇りだ。
でも、だからこそ、私は彼女のことが心配でたまらなかった。
「……あんた、無理して一人で抱え込みがちでしょ。本当に大丈夫なの?」
私が少しだけ声を潜めて真剣なトーンで言うと、一花はきょとんとした顔をした。隣でサンドイッチを頬張っていた四葉も、不思議そうに首を傾げている。
「どうしたの二乃、急に怖い顔して。一花お姉ちゃん、何か危ないお仕事でもしてるの?」
「一花は女優なんだから、仕事自体が危ないわけじゃないわよ。でもね、四葉。この日本の現状を考えてみなさい」
私はテーブルの上に身を乗り出した。
「どこかのビルは週一で爆発するし、深夜のファミレスでヤクザがドンパチ始めるなんてザラ。一歩裏道に入ったら、刀持った女子高生がバケモノと戦ってたりするのよ? 本当に何が起こるか分からないんだから」
私の言葉に、三玖が静かに頷いた。
「確かに。この前も、私が通ってる料理学校の近くでそんな噂を聞いたし……物騒だよね」
「でしょう? 芸能界なんて、ただでさえ光と影が交差する世界じゃない。一歩裏に回れば、そういうヤバい連中がシノギのために絡んできたり、悪質なストーカーがつきまとったりするかもしれないわ」
つい先日事務所にやってきた『鳥栖』というおじさんのことを思い出す。
娘を守るために半グレを殺した父親。そして、その組織を根こそぎ解体しに行った八雲。あの時八雲が潰した連中だって、元々は芸能関係の怪しいスカウトや違法キャバクラで資金を集めていたのだ。一花みたいに目立つ存在になれば、得体の知れない闇の連中に目をつけられるリスクは跳ね上がる。
「一花、よく聞きなさい」
一花の目を真っ直ぐに見据える。
「もし変なプロデューサーに無理な要求をされたり、裏社会の怪しい連中につきまとわれたりしたら、絶対に一人で解決しようとしちゃダメよ」
「二乃……」
「我慢しないで、私に……ううん、八雲に言いなさい。あいつならどんなヤバい相手でも、絶対に裏で綺麗に片付けてくれるから。お金の心配はいらないわ、姉妹割引でタダでこき使ってやるからね」
私は胸を張って宣言した。
八雲の力なら、半グレの組織ひとつを壊滅させることだって造作もない。銃弾を素肌で弾き返し、コンクリートの壁を素手で粉砕する。あいつが本気を出せば、一花に近づく悪い虫なんて一瞬で消し炭にしてくれるはずだ。ヘタレで怠け者だけど、そういう時の仕事の完璧さだけは、私が誰よりも知っている。
熱く語り終えると、一花は目を丸くした後、クスクスと笑い始めた。
「ふふっ……あはははっ! ありがとう、二乃。すっごく心強いよ」
「ちょっと、私は真面目に心配して言ってるのよ! 笑い事じゃないわ!」
「ごめんごめん。でもさ、二乃」
一花は頬杖をつき、小悪魔のような笑みを浮かべて私を見つめた。
「八雲さんって、本当に頼りになるんだね〜。二乃の口からそんなにベタ褒めされるなんて。すっかり、頼れる旦那様自慢になっちゃって。ごちそうさまって感じかな」
「だ、だ、だ、旦那様!?」
顔から火が出るかと思うくらい、一気に体温が跳ね上がるのを感じた。
「ば、バカなこと言わないでよ! あんなヨレヨレのスウェット着て、一日中ゲームしてるようなゴリラ男が旦那なわけないでしょ! 私はただ、あいつの揉め事処理屋としてのスキルを評価しただけで……!」
「はいはい、わかってるよ。でも本当に何かあったら頼りにさせてもらうね。二乃がそこまで言うなら、警察より心強いもん」
一花は優しく微笑んで、私の頭をポンポンと撫でた。長女の余裕を見せつけられ、私は赤くなった顔を隠すようにティーカップを両手で包み込んだ。
「でも……一番危険な場所にいるのは、二乃の方じゃありませんか?」
不意に、パフェの最後の一口を飲み込んだ五月が、カチャリとスプーンをソーサーに置き、真剣な目を向けてきた。
その言葉に、四葉も三玖も、一花も一斉に頷く。
「そうだよ、二乃。揉め事処理屋なんて、一花お姉ちゃんの芸能界なんかよりずっと危ない世界なんじゃないの?」
四葉が心配そうに眉を下げる。
「私も気になってた。時々、二乃からかすかに火薬の匂いがしたり、服の袖が破れてたりするし。……ヤクザとか、マフィアとかと関わってるんでしょ?」
三玖が鋭い観察眼で指摘してくる。うっ、バレてた。先日、米花町の爆破事件に巻き込まれた時、お気に入りのコートに少しだけ傷がついてしまったのだ。
「二乃こそ、そんな危ない仕事のお手伝いをしていて大丈夫なんですか? いつか大怪我をするんじゃないかって、私たち、みんなすごく心配しているんですよ」
五月の言葉には、偽りのない純粋な家族としての愛情がこもっていた。
姉妹たちからの、温かくて真っ直ぐな心配の視線。胸の奥にじんわりと染み込んで、少しだけ泣きそうになった。
本当は、「私だって念能力の修行をしてるんだから、ちょっとやそっとのチンピラなら一人でボコボコにできるわよ!」って胸を張って言いたかった。でも、裏の世界の異能の力を、表の世界で普通に生きている姉妹たちに教えるわけにはいかない。
だから私は小さく息を吸い込んで、最高の笑顔を作ってみせた。
「大丈夫よ。みんな、心配してくれてありがとう」
カップを置き、背筋を伸ばす。
「確かに、危ない仕事も多いわ。拳銃を持った連中に囲まれたこともあるし、時限爆弾が爆発する寸前のビルに閉じ込められたこともある」
「ええっ!? じ、時限爆弾!?」
四葉がひっくり返りそうになって驚く。
「でもね。私には、最強のパートナーがついているの」
私の脳裏に、八雲の背中が浮かんだ。
『痛いのは嫌だ』『帰ってゲームしたい』『なんで俺が』って、息をするように泣き言と愚痴をこぼしている情けない男。
「あいつ……普段は本当に怠惰で、休みの日なんて昼まで寝てるし。ご飯の時は『デミグラスソースがどうの』って文句ばっかり言うし。ヤバい依頼が来ると、真っ先に逃げ出そうとするどうしようもないヘタレなんだけどね」
自分でも無意識のうちに、声が優しくなっているのに気がついた。
「いざって時は……私がどんなピンチになっても、絶対に守ってくれるのよ」
銃弾の雨を体で受け止めて弾き返した背中。崩れ落ちる連絡橋。燃え盛る炎。あいつは文句を言いながらも、絶対に私を見捨てなかった。
「相手が武装したマフィアでも、あいつは傷ひとつ負わずに全部なぎ倒してくれる。私が足をすくませて動けなくなっても、安全な場所まで連れて行ってくれる。だから……私は絶対に安全なの。あいつが隣にいる限り、私にはかすり傷一つ、つけさせやしないから」
心からの信頼を言葉に乗せて言い切った。
静寂がテーブルを包む。姉妹たちは誰も口を開かず、ただ私の顔を優しくて温かい眼差しで見つめていた。
「……そっか」
一花が、フッと柔らかく笑った。
「本当に、八雲さんのことが好きなんだね、二乃」
「っ……!」
言葉を詰まらせた。否定しようとしたけれど、不思議と口から言葉が出てこない。顔が熱い。耳の先まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。
三玖がクスクスと笑い、四葉が「えへへ、二乃もすっかり恋する乙女だね〜!」と冷やかしてくる。五月までが「八雲さんの胃袋を掴んだ二乃の勝利ですね」なんて真面目な顔で頷いている。
「もう! だからそういうんじゃないって言ってるでしょ! あんたたち、からかいすぎよ!」
両手で顔をパタパタと扇ぎながら必死に誤魔化した。でも、心の中は不思議と晴れやかだった。大好きな姉妹たちに、私の今の居場所を、私が信じている人間のことをちゃんと認めてもらえたような気がしたからだ。
「じゃあ、私たちは二乃の言葉を信じて安心することにするね」
一花が残りを飲み干して言った。
「でも絶対に無理はしないこと。何かあったら、今度は私たちが二乃を助けに行くからね」
「うん。ありがとう、一花」
それから私たちは、日が傾き始める時間まで他愛のない話で盛り上がった。ずっと笑いっぱなしで、お腹が痛くなるくらいだった。
裏社会の硝煙の匂いも、血なまぐさい陰謀もない、優雅なティータイム。この時間が永遠に続けばいいのにと思うくらい、心が満たされていくのを感じた。
「それじゃあ、また来月も集まろうね!」
お店を出て、表参道の交差点でそれぞれ違う方向の電車に乗るために手を振り合う。夕暮れの冷たい風が吹いていたけれど、心の中はポカポカと暖かかった。
一人になって駅へ向かう帰り道。
『私には、最強のパートナーがついているの』
『あいつが隣にいる限り、かすり傷一つつけさせやしない』
自分で言っておいてなんだけど、相当恥ずかしいセリフだ。でも事実だから仕方がない。あいつは強い。私が安心してこの裏社会スレスレの日常を楽しめているのは、あいつの圧倒的な暴力への絶対的な信頼があるからだ。
「……今日の夕飯、あいつの好きなハンバーグにしてあげようかな。デミグラスソース、ちょっと手間かけて赤ワインから煮詰めてあげよっと」
私はご機嫌な鼻歌を歌いながらスーパーで合い挽き肉と玉ねぎを買い込み、アパートへと帰ってきた。西の空はすっかりオレンジ色に染まっている。
ギシギシと鳴る鉄の外階段を上る前に、一階の隅にあるサビの浮いた郵便受けの前に立つ。ダイヤルを回して扉を開ける。
「どうせまた、ピザ屋のチラシと怪しい水道工事のマグネットしか入ってないんでしょ……」
ブツブツと言いながら手を入れると、案の定、色鮮やかなチラシが何枚か出てきた。それらを適当にまとめようとして──ふと、指先に違和感を覚えた。
ツルツルとしたチラシの中に、一枚だけ明らかに異質な手触りのものが混ざっていた。
「なに、これ……?」
引っ張り出して夕暮れの光に透かして見る。分厚い特注の和紙で作られた、古風な封書。時代劇に出てくるような、ゴツゴツとした手漉きの和紙だ。
そして、その表に書かれている文字を見て、私は思わず息を呑んだ。
『 八雲 殿 』
宛名はそれだけだった。住所も部屋番号もない。ただその三文字が、凄まじい筆圧で叩きつけるように書かれていた。
ゾクッ……。
背筋に冷たい汗が流れた。念能力の基礎である『オーラ』の修行をしているからこそ、感じ取れてしまった。
この封書から放たれている、目に見えないプレッシャーを。
ただの紙と墨だというのに、鋭い真剣を喉元に突きつけられているようなビリビリとした殺気が漂っている。裏を返してみたが、差出人の名前も住所もなく、赤い朱肉で押された独特の落款が一つだけポツンと押されているだけだった。
「裏社会からの果たし状……?」
不気味な封書を握りしめ、足早に階段を駆け上がった。
ガチャリ。重い鉄のドアを開けて中に入る。
「ただいまー。ちょっと八雲、いるんでしょ?」
「おお、おかえり二乃ちゃん〜。どうだった? 姉妹のみんな、元気にしてた?」
リビングの奥から気の抜けた声が返ってきた。靴を脱いで足を踏み入れると、そこにはいつもと変わらないだらしない日常の風景が広がっていた。
八雲はヨレヨレのスウェットを着て、すり減った革のソファにゴロンと寝転がっている。テレビの画面にはオープンワールドのRPGゲームが映し出され、右手にはコントローラー、左手はコンソメ味のポテトチップスの袋に突っ込まれてバリバリと咀嚼音が響いている。
「みんな元気だったわよ。あんた、私がいないからってまたポテチを夕飯代わりにしようとしてたわね。今日は特製のハンバーグにしてあげようと思ったのに」
「マジで!? ハンバーグ!? やったぜ、俺の胃袋は今からハンバーグの受け入れ態勢に移行する! ポテチはただの前菜だよ」
本当に、どうしようもない男だ。さっきカフェであんなに熱く語ってきたのがバカバカしく思えてくる。
「あのね、それより八雲」
私は不気味な封書を、ソファで寝転がっている八雲の顔の前にスッと差し出した。
「ポストに、あんた宛てに変な手紙が届いてたわよ。差出人も書いてないし、なんか和紙だし、すっごく達筆なんだけど……心当たりある?」
「手紙? ああ、どうせ借金の督促状か変な宗教の勧誘だろ。そこに置いといて……」
八雲は画面を見たまま、左手でヒョイと手紙を受け取った。
そして。手紙の表に書かれた『八雲 殿』という毛筆の文字を見た、その瞬間だった。
ガチャンッ!!!
八雲の右手からコントローラーが滑り落ち、フローリングの床に嫌な音を立てて叩きつけられた。
テレビの画面の中では、操作を失った主人公がドラゴンの炎のブレスをモロに食らって、「YOU DIED」の赤い文字が虚しく表示されている。だが、八雲はそんなことには一切目もくれなかった。
パキ、パキキキッ……!
「えっ……?」
部屋の窓ガラスが、不気味な音を立てて微細に震え始めた。
急激に室内の温度が氷点下まで下がったかのように、空気が重く、鋭く張り詰める。八雲の体から、無意識のうちに制御を失った凄まじいオーラが暴発して漏れ出しているのだ。
「うっそ……だろ……?」
八雲の顔から一瞬にしてすべての血の気がサーッと引き、目玉がこぼれ落ちそうなくらいに見開かれていた。呼吸が浅く、ヒューヒューと喉の奥で鳴っている。手紙を持つ左手は、痙攣しているかのようにガクガクと激しく震えていた。
「ちょ、ちょっと八雲!? どうしたの!?」
私は慌ててあいつの肩を揺さぶった。テロリストが銃を連射してきた時だって、半グレのアジトに一人で突入した時だって、あいつは飄々として余裕の笑みを浮かべていた。こんなに絶望の底に突き落とされたような顔を見るのは、出会ってから三年、初めてのことだった。
八雲は私の声など聞こえていないかのように、震える両手で封をビリビリと破り捨てた。中から出てきたのは、くるくると巻かれた巻物のような手紙。
私も横から覗き込む。そこには、表の宛名と同じ達筆で、たった数行だけが書かれていた。
『 八雲へ。
ふらふらしているようだが、そろそろ息災か顔を見せよ。
さもなくば、ワシら全員で直々に迎えに赴く。 』
ただの呼び出しの手紙。それだけだ。
そう思った私とは裏腹に、手紙を読み終えた八雲は巻物を床に取り落とし、両手で頭を抱え込んでソファから転げ落ちた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
魂が削られるような、この世の終わりを告げるような絶叫だった。
「死ぬ!!!!! 絶対に死ぬ!!!! 行ったら今度こそ肉片すら残らない!!!!」
八雲は床に這いつくばり、髪の毛をグシャグシャに掻きむしりながらパニックを起こして叫び始めた。
「行くもんか……絶対に行くもんかぁぁ! あそこは人間のいる場所じゃないんだ! 悪魔の巣窟だ!!」
「ちょっと八雲! 落ち着きなさいよ! なんなのよこれ!」
「嫌だぁぁぁ! 笑顔で俺の関節を全部外してくるヒゲの男も、手加減という言葉を知らないムエタイの悪魔も、気配なく背後に立って服だけみじん切りにしてくる女も嫌だぁぁ!! 体重の何十倍の重り背負わされて、永遠に階段登らされるんだぞ!?」
「はぁ!?」
「『ほっほっほ、少し稽古をつけてやろう』って、ミサイル素手で叩き落とす筋肉ダルマのジジイが笑いながら近づいてくるんだぞ!! 死ぬ! 絶対死ぬ!! 平和な日常を返してくれぇぇぇ!!」
八雲はフローリングの床に額をこすりつけ、子供のように泣き叫んでいる。
私は、完全にドン引きしていた。
数時間前に私が顔を真っ赤にして自慢した『最強のパートナー』が、ただの手紙一枚で失禁しそうなほど震え上がり、床で丸まって泣いているのだ。
「ちょっと八雲ぉぉぉっ!!!」
私は、手に持っていたスーパーの袋で、八雲の頭を思い切り引っぱたいた。
「私のあの純情を返せ、このドヘタレぇぇぇっ!!!」
私の悲痛なツッコミと、八雲の情けない絶叫が、夕暮れの平和なアパートの部屋に虚しく響き渡った。