王宮へ向かう途中にも、招集の鐘は鳴り続けていた。
昨日まで人と荷車で混み合っていた大通りには、槍を携えた兵士が目立つようになっている。城壁方面へ駆けていく者、詰所から装備を抱えて出てくる者、通行を妨げないよう商人へ荷車を寄せるよう命じる者がおり、まだ混乱と呼ぶほどではないものの、王都という巨大な都市が平時の姿からゆっくりと別の形へ変わり始めていた。
恵斗を迎えに来た騎士は足を緩めなかった。
「昨夜、北部方面の守備隊から早馬が到着しました。陛下は夜明け前から重臣を集めておられます」
「俺たちの報告以外にも情報が入ったんですね」
「はい。ローデン宿場町からも使者が来ました。北方の村では住民の避難が始まっています」
「魔族との戦闘は?」
「確認されている限りでは、まだ大規模なものはありません。ただ、小競り合いは起きています」
それなら、まだ間に合うかもしれない。
何に間に合うのかは、王宮で聞かなければ分からなかった。
*
城門を抜けた先では、さらに慌ただしい光景が広がっていた。
中庭には馬が集められ、従卒たちが鞍と荷物を載せている。武器庫の前では兵士が列を作り、槍や盾、矢束が次々と運び出されていた。恵斗の目には、その一つ一つがこの世界における軍事力として映る。
決して弱い軍隊ではないのだろう。
兵士たちは命令に従って動き、装備にも一定の規格がある。騎士と歩兵の役割も分けられ、補給の準備まで始まっている。
しかし、恵斗が知る現代の軍隊とは情報の流れる速度が違った。
北で何かが起きれば、人間が馬を走らせる。報告が届いてから地図へ書き込み、次の命令を再び人間が運ぶ。その間にも敵は動く。
火力以前に、見えている戦場の広さが違う。
昨日使った小型無人機一機だけでも、その差の一端は埋められる。
だが、敵側にはそれを発見した魔法使いがいた。
優位は存在する。
絶対ではない。
*
案内されたのは玉座の間ではなかった。
城の奥にある軍議室だった。
扉が開くと、大きな長卓を十数人の男女が囲んでいる。壁にはアルディア王国北部の地図が掛けられ、卓上にも別の地図と木製の駒が並べられていた。
恵斗はその中に見覚えのある顔を見つけた。
この世界へ来た直後、玉座の間で対面した国王だった。
「来たか、新田恵斗」
「お呼びと聞きました」
「座ってくれ。形式に構っている時間が惜しい」
国王が空席を示した。
周囲の何人かは恵斗を知っているようだったが、初めて見る者もいる。特に軍人らしい男たちは、見慣れない服装の若い男が当然のように軍議へ呼ばれたことへ、隠しきれない疑念を向けていた。
恵斗は気にせず席へ着いた。
*
「まず状況を共有する」
国王の右隣に座っていた壮年の男が立ち上がった。
「私は王国軍総司令官、ベルナール・オルディスだ。昨夜から今朝までに入った報告をまとめる」
細い棒が地図上を動いた。
「現在、魔族の集団が確認されているのはローデン北方から東西およそ四十キロメートル――新田殿の故郷の単位に合わせれば、その程度の範囲になる」
恵斗は地図を見る。
思っていたより広い。
「確認されている数は?」
「正確には分からん。昨夜までは千に満たないと考えていた。しかし今朝届いた複数の報告を合わせると、少なくとも三千。非戦闘員を含めれば、それ以上になる可能性が高い」
昨日見た野営地は全体の一部に過ぎなかった。
「移動方向は南ですか」
「概ね南だ。ただし一つの集団として進んでいるわけではない。西へ向かう者もいれば、森に留まる者もいる」
「王国側への攻撃は?」
「街道沿いで三件。いずれも小規模だ。こちらから接近した巡回兵と魔族側の武装集団が衝突している」
「どちらが先に攻撃したか分かりますか」
ベルナールは少し間を置いた。
「分からん」
その答えを誤魔化さなかったことに、恵斗は僅かな信頼を覚えた。
*
「問題はここからだ」
ベルナールの棒がさらに北へ動いた。
「魔族領との境界付近にある三つの集落と連絡が取れなくなった。最後の報告は五日前。その直前まで、住民が南へ避難していたという記録はない」
「魔族側の集落ですか」
「ああ」
「つまり、南下している連中の出身地で何かが起きた可能性がある」
「我々もそう見ている」
別の男が口を挟んだ。
「だが、だからといって三千を超える魔族を国内へ入れるわけにはいかん」
恵斗が見る。
五十代ほどの騎士だった。
「北部方面軍を預かるグレゴールだ」
男は名乗ると、地図上のローデンを指した。
「今日中に二千を北へ出す。ローデン南方で街道を封鎖し、魔族をこれ以上進ませない」
「戦闘になった場合は?」
「排除する」
迷いのない答えだった。
*
恵斗はすぐに反論しなかった。
王国側の立場から考えれば理解できる。
三千以上の武装した異種族が国境を越え、さらに増え続けている。しかも人間と魔族は二百年にわたり断続的な紛争を続けてきた。
警戒しない方がおかしい。
だが、二千の王国軍と三千以上の魔族を狭い地域へ集めれば、それだけで戦闘の可能性は上がる。
「魔族側と話はできていますか」
恵斗が尋ねた。
「使者を二度送った」
ベルナールが答えた。
「一人は戻らず、もう一組は接近を拒否された」
「言葉は通じるんですよね」
「共通語を話す者は多い」
「なら、相手側にも統制する人間がいるか確認した方がいい」
グレゴールの眉が寄った。
「敵地へもう一度使者を送れと?」
「相手が敵だと確定しているなら必要ないでしょう。でも、今の話を聞く限り、まだそこまで分かっていない」
「我が国の兵をすでに傷つけている」
「こちらも向こうを殺しているでしょう」
室内が静かになった。
*
グレゴールの目が細くなる。
「魔族を庇うのか」
「違います」
恵斗は即答した。
「敵かどうかを決める前に、敵として扱う理由が足りないと言っているだけです」
「武装して国境を越えている。それで十分だ」
「軍事的には脅威です。そこは否定しません。だから軍を出すことにも反対していない」
恵斗は地図上のローデンを指した。
「ただし、ここへ二千人を並べて、向こうも数千人を集めた状態で誰か一人が矢を放てば、その瞬間から全員が敵になります」
誰が最初に放った矢だったのかなど、戦闘が始まった後には意味を失う。
恐怖した兵士。
命令を誤解した兵士。
仲間を殺されたと思った魔族。
それだけで十分だった。
「戦うなら、相手が何者なのか確認してからでも遅くないと思います」
*
「では新田殿は、どうすべきだと考える」
国王が尋ねた。
恵斗は地図を見た。
「軍は予定どおり北へ動かす。ただし、最初から戦闘隊形で魔族へ接触させない。ローデンより南に防衛線を置いて、街道と周辺の村を守る」
「その間、魔族はどうする」
「監視します。それと同時に、相手の代表者を探す」
「見つからなければ?」
「その時に次を考えるしかありません」
「ずいぶん慎重だな」
グレゴールが言う。
「情報が少ないので」
恵斗は淡々と答えた。
「敵が見えていない時に大胆になる理由はないでしょう」
ベルナールが僅かに頷いた。
*
「もう一つ確認したい」
恵斗は地図の北端を指した。
「ここから先について、王国側はどの程度把握していますか」
ベルナールが答える。
「ほとんど何も分からん。魔族領だ。人間の斥候を簡単に入れられる場所ではない」
「空から見る手段は?」
「飛行魔法を使える者はいる。ただし長距離の偵察に使える者は少ない」
「大型の飛行生物は?」
「騎獣として使える種類もいるが、目立ちすぎる。魔族側に見つからず北へ入るのは難しい」
恵斗は考える。
こちらには別の手段がある。
昨日使った小型機では航続距離が足りない。
ならば、用途に合ったものを選べばいい。
「俺なら、もう少し北を見られます」
その言葉に何人かが恵斗へ視線を向けた。
*
「昨日使った飛ぶ道具か」
国王が尋ねる。
「似ていますが、もっと長く飛べるものを使います」
「どの程度だ」
「条件次第です。ただ、昨日のように森の縁を見るだけではなく、魔族がどこから流れてきているのかを探すことはできると思います」
グレゴールが腕を組んだ。
「その道具を信用しろというのか」
「信用しなくて構いません。見たものを記録して持ち帰れるので、皆さん自身で確認できます」
ベルナールが国王を見る。
「陛下。試す価値はあります」
「私もそう思う」
国王は恵斗へ向き直った。
「頼めるか」
「やります。ただし、王都からでは遠すぎる。北へ移動する必要があります」
「場所は?」
「ローデンより南側で十分です。敵に近づく必要はありません」
そこまで言ったところで、軍議室の扉が強く叩かれた。
*
「入れ」
国王の許可と同時に、若い騎士が入ってきた。
泥だらけだった。
外套には乾ききっていない血が付着し、左腕には応急処置らしい布が巻かれている。
「陛下、緊急報告です」
呼吸を整える暇さえ惜しむように騎士は続けた。
「北部第四監視所が襲撃を受けました。生存者は現在確認できておりません」
グレゴールが立ち上がる。
「敵の数は」
「不明です。我々が到着した時には戦闘は終わっていました」
「魔族か」
騎士が答えるまでに、僅かな間があった。
「分かりません」
「どういう意味だ」
「死体の状態が……」
言葉を選んでいる。
「魔族の武器によるものとは思えません」
*
恵斗の意識が切り替わった。
「どんな傷ですか」
騎士が初めて恵斗を見る。
見知らぬ男に突然尋ねられ、一瞬戸惑ったものの、国王が止めないのを見て答えた。
「兵士の多くは身体を切断されていました」
「刃物で?」
「違うと思います。鎧ごとです」
室内の空気が変わった。
「爪痕のようなものは?」
「分かりません。ただ、監視所の外壁にも大きな傷が残っていました」
「魔物か」
誰かが呟いた。
騎士は首を振った。
「それだけではありません」
彼は懐から布に包んだものを取り出した。
卓上へ置く。
布を開いた。
中から現れたのは、黒ずんだ破片だった。
*
金属に見えた。
恵斗は手を伸ばさず、まず観察する。
不規則な形をした黒い破片で、片側だけが滑らかだった。焼けたような変色があり、縁には何かから引き千切られたような痕跡がある。
「監視所の壁に刺さっていました」
騎士が言う。
「鍛冶師には見せましたか」
ベルナールが尋ねる。
「はい。鉄ではないそうです。何の金属か分からないと」
恵斗にも見覚えはなかった。
少なくとも、外見だけで材質を判断できるようなものではない。
「触っても?」
「構わない」
恵斗は破片を持ち上げた。
見た目より軽い。
表面を指で確かめる。
加工物なのか、天然物なのかさえ断定できない。
*
「新田殿にも分からんか」
国王が尋ねる。
「分かりません」
恵斗は破片を戻した。
「ただ、監視所を見たいです」
「北へ行くつもりか」
「写真も記録もないなら、現場を見るのが一番早い」
ベルナールが地図を確認する。
「第四監視所はローデンより南東だ。魔族の主集団からは離れている」
「なら、昨日見た魔族が襲ったと決めつけるのはなおさら早いですね」
グレゴールは何も言わなかった。
先ほどまでなら反論したかもしれない。
しかし、正体不明の破片が卓上にある。
状況が変わった。
*
「陛下」
ベルナールが口を開いた。
「北部軍の先遣隊を予定どおり出します。ただしローデン南方で停止させ、魔族への積極的な接触は禁止します。同時に第四監視所へ調査隊を送るべきかと」
「認める」
「新田殿にも同行を?」
国王は恵斗を見る。
「頼めるか」
「そのつもりです」
「必要なものがあれば用意させる」
恵斗は一瞬考えた。
「馬を一頭。それと、この国の魔物に詳しい人間が欲しいです」
「武器は?」
「自分で用意できます」
初めて恵斗を見る軍人の何人かが、その言葉に怪訝そうな顔をした。
ベルナールだけは昨日の報告を聞いているらしく、特に反応しなかった。
*
「出発は二時間後だ」
ベルナールが告げた。
「早いですね」
「北で何が起きているのか分からん以上、時間を与える理由もない」
「同感です」
軍議はそこで終わらなかった。
兵力の配置、街道の封鎖、周辺村落への避難命令、食糧集積、伝令経路の確保について次々と話が進んでいく。
恵斗は必要な部分だけ聞き、地図を頭へ入れた。
この世界の軍隊には無線も衛星もない。
だからこそ、彼らは彼らなりの方法で情報の遅れを補おうとしている。伝令を複数経路で走らせ、街道ごとに中継地点を設け、狼煙と鐘まで使う。
技術が古いことと、戦争を知らないことは同じではない。
そこを見誤れば、恵斗の方が足元を掬われる。
*
一時間後。
王宮の一角に用意された部屋で、恵斗は装備を整えていた。
今回の目的は正体不明の襲撃現場の調査と、その後に予定している広域偵察だった。
20式小銃。
P320。
プレートキャリア。
FAST系ヘルメット。
COMTAC VII。
そして暗視装置にはWANGLEを選ぶ。
装備を増やすこと自体に価値はない。
必要な能力を持ち、それを身体へ載せても行動を阻害しないところで止める。
最後に小型のサーマル単眼鏡を確認し、ポーチへ収めた。
扉が叩かれる。
「入ってください」
開いた。
*
入ってきた若い騎士が固まった。
先ほどまで軍議室にいた恵斗とは、外見が完全に変わっている。
陸自迷彩を基調とした衣服の上には、彼らの胸甲とは似ても似つかないプレートキャリアが密着し、その前面には弾倉と各種装具が整然と収められている。腰には見慣れない黒い拳銃が固定され、頭部を覆うヘルメットには、用途を想像することさえ難しい光学機器が折り畳まれていた。
そして何より、胸の前に保持された小銃だった。
剣ほど長くない。
弓のような弦もない。
杖にも見えない。
しかし、明らかに武器として作られた形をしている。
「……新田殿」
「はい」
「その格好で行かれるのですか」
「現場へ行くので」
騎士の視線が20式へ落ちる。
「それが、報告にあった武器ですか」
「そうです」
騎士はしばらく銃を見ていたが、触れようとはしなかった。
*
「剣は持たないのですか」
「使えないわけではありませんが、俺はこっちの方が得意です」
「それは、どうやって敵を倒すのでしょう」
恵斗は一瞬考えた。
「遠くから、小さな金属を高速で飛ばします」
説明としては間違っていない。
騎士はさらに分からなくなったようだった。
「弓……ではないのですね」
「全然違います」
「魔法でもない」
「ええ」
騎士は20式をもう一度見た。
理解できないものへの警戒と、軍人としての好奇心が同時に顔へ出ている。
「現場で使うことがあれば分かります」
「使わずに済むことを願います」
「俺もそう思います」
その返答には、騎士も僅かに表情を緩めた。
*
王宮の中庭へ出ると、調査隊が待っていた。
王国軍の騎士六名。
魔物の生態に詳しい王宮付きの魔術師一名。
そして恵斗。
合計八名。
魔術師は三十代ほどの女性で、灰色の外套を羽織り、短い杖を腰に差していた。
彼女は完全装備の恵斗を見るなり足を止めた。
「……あなたが新田恵斗?」
「そうです」
「聞いていた姿と随分違うのだけれど」
「仕事用です」
魔術師の視線がヘルメットからプレートキャリア、小銃へと移っていく。
「魔力を感じない」
「使ってませんから」
「それなのに、その全部が道具なの?」
「だいたいは」
彼女は眉間に皺を寄せた。
*
「私はリディア。王宮魔術院で魔物と魔力生物を研究しているわ」
「よろしくお願いします」
「先に言っておくけれど、私は戦闘向きじゃない」
「それで構いません。今回は戦うために行くわけじゃないので」
「その格好で言われても説得力がないわね」
恵斗は自分の装備を見下ろした。
「戦わないためにも、戦える準備は必要ですよ」
リディアは何か言い返そうとして、結局やめた。
「兵士というのは面倒ね」
「魔術師も似たようなものじゃないですか」
「一緒にしないで」
どうやら気の強い人物らしい。
少なくとも、道中が退屈することはなさそうだった。
*
八人が王宮を出たのは正午前だった。
先頭を王国騎士二名が進み、その後ろにリディア、恵斗、残りの騎士が続く。
北門を抜ける。
王都の喧騒が遠ざかる。
街道にはすでに軍の部隊が動き始めていた。
槍兵。
弓兵。
騎兵。
荷車。
徒歩で北へ向かう王国軍の横を、調査隊が馬で追い越していく。
恵斗はその光景を見ながら進んだ。
数時間前まで、問題は魔族だった。
今は違う。
魔族さえ逃げている可能性がある何かが北にあり、そこから離れた王国の監視所まで正体不明の襲撃を受けた。
敵が誰なのか分からない。
数も分からない。
能力も分からない。
だからこそ、最初にやるべきことは変わらない。
見る。
知る。
それから、必要なら殺す。
恵斗は街道の先へ視線を向けた。
北の空には、黒い雲が広がり始めていた。
第十五話 了