本人が「同意していなかった」と認定した行為に対し、実行者へペナルティを返すという厄介極まりない能力を持ち、公安は手も足も出せずにいた。
触れば反撃。
拘束しても反撃。
撃っても反撃。
事前に同意を取っても「本当は嫌だった」で反撃。
そんな悪魔を前に、デンジが出した答えは――
**「コイツ、権利が強えんだろ? ならもっとポリコレ強え奴ぶつけりゃ勝てんじゃん!」**
その結果、なぜか集められるゲイ、レズビアン、車椅子ユーザー、ヴィーガン。
勝手に始まる「ポリコレ四天王」構想。
そして敵からすら、
**「その人も同意してないじゃない!」**
と怒られる始末。
果たしてデンジは、このクソ面倒くさい悪魔をどうやって倒すのか。
**そんな手があってたまるか、で押し切る一話完結ブラックコメディ。**
「西藤さん、一般人の退避、完了しました!」
「ハァイ!」
よく通る返事だった。声だけ聞けば新人研修の点呼にでも参加しているような気軽さだったが、西藤の視線は道路の向こうにある雑居ビルから動いていない。
都内の大通りから一本外れた場所に建つ、六階建ての古い雑居ビル。その一階に入った衣料品店を中心として周辺一帯には規制線が張られ、店のガラス扉は半分ほど砕けていた。路上には買い物客が落としていった紙袋や片方だけの靴が残され、その少し先では、先行して店内へ入った公安のデビルハンター二人が救急隊員の処置を受けている。
「東側道路、封鎖完了。裏口側にも三班が配置につきました。先行した二名ですが、一人は右肩脱臼、もう一人は両腕に圧迫損傷。どちらも意識はあります」
報告を受けた西藤は、そこで初めてビルから視線を外した。
四十歳前後。少し伸びた髪に緩めたネクタイ、黒いスーツの肩にはいつ付いたのか分からない白い埃が残っている。姿勢もどことなく猫背で、見るからに精鋭という雰囲気ではない。
「それはハァイじゃないですねェ。最初に入ったのは肩をやられた方?」
「はい。対象を確認して、拘束のため腕を掴もうとした瞬間に外れたそうです」
「実際には触った?」
「触れる直前だったと」
「もう一人は?」
「先行した一人が負傷したため、接触を避けて射出式の特殊拘束具を使用しました。ワイヤーが対象へ届く前に両腕を負傷しています」
西藤は救護を受けている二人を順番に眺めた。直接接触を試みた一人目と、離れた位置から拘束を試みた二人目。負傷の仕方こそ違うが、どちらも何らかの行動を起こした直後にやられている。
「じゃ、接触そのものが発動条件って線は薄そうですねェ」
隣にいた若いデビルハンターの三宅が意外そうな顔をした。
「もう切るんですか?」
「切ってませんよ。優先順位を下げるだけ。別々の能力だった可能性もありますし、拘束具そのものに反応した可能性だってある。だから、分かるまで余計なことをしない」
西藤はそう言ってから無線を取り、周囲に配置された各班へ発砲禁止を改めて通達した。対象が外へ出てきても、こちらから攻撃を仕掛けない。突破された場合も自己判断で撃たず、まず報告する。それを聞いた三宅が少し不安そうに眉を寄せる。
「逃げられませんか?」
「逃げられる可能性と、能力も分からない相手を撃って何人か死ぬ可能性なら、今は前者を取ります。分かんない悪魔に最初から全力で突っ込む人、だいたい長生きしないんで」
「西藤さんは長いんですか?」
「十五年」
「もっと若いかと」
「ハァイ、ありがとうございまーす」
「褒めたつもりじゃないです」
「じゃあ減給で」
「なんでですか」
そんなやり取りをしながらも、西藤はすでに割れたガラス扉へ向かっていた。三宅も反射的について行こうとしたが、西藤は振り返りもせず片手を上げる。
「君は外。俺が呼ぶまで入らないで」
「一人で行くんですか?」
「二人で分かんないことやって二人とも死んだら、誰が報告書書くんです?」
「そこですか?」
「公安では大事ですよー」
西藤はガラス片を跨ぎ、薄暗い店内へ足を踏み入れた。
照明は半分ほど落ちており、床には倒れたマネキンや散乱した衣服が転がっている。その奥、試着室へ続く通路の前に一人の女が座っていた。
見た目だけなら、悪魔だと断定できる特徴はほとんどない。年齢は二十代半ばほどに見え、肩まで伸びた黒髪に白いブラウス、膝丈の黒いスカート。角も牙もなく、異常なほど長い手足や裂けた口があるわけでもない。
女は入ってきた西藤を見ると、少し困ったように尋ねた。
「あの、帰ってもいいですか?」
「ハァイ。駄目でーす」
「どうしてですか?」
「外に怪我人が二人いるんで」
「私が怪我させたわけじゃありません。勝手に触ろうとしてきたんです」
西藤は女との間に十分な距離を残したまま足を止めた。挑発している様子はない。本当に、自分には非がないと考えているように見える。
「一応確認しますけど、悪魔ですよね?」
「はい」
「何の悪魔です?」
「不同意性交の悪魔」
数秒の沈黙があった。
西藤は女を見てから、割れたガラス越しに外で治療を受けている二人を見る。
「……名前に対して能力範囲広くないですかァ?」
「まだ能力を説明していませんけど」
「外の人、あなたを拘束しようとして二人とも怪我してるんですよ。一人は触ろうとして、もう一人は離れたところから拘束具を撃った。それで二人とも負傷した」
「当然です。私は触られることにも、拘束されることにも同意していませんでしたから」
そこで西藤は、女の言葉を頭の中で一度整理した。
攻撃されたから反撃した、ではない。
触れられそうになったからでもない。
女が繰り返しているのは、行為の種類ではなく「同意していない」という一点だった。
「じゃあ確認してみましょうか」
西藤は無線で三宅を呼び、予備の射出式拘束具を店の入口まで運ばせた。三宅には中へ入らせず、自分も拘束具を拾わない。床に置かれたそれを指差して、女へ尋ねる。
「これをあなたに使ってもいいです?」
「嫌です」
「ですよねェ」
「使うんですか?」
「使いませーん。今のは確認だけ」
女が怪訝そうな顔をした。
西藤はその反応も見ていた。少なくとも拒絶そのものに特殊な条件があるようには見えない。そして拒絶を無視した場合に何が起こるかは、すでに二人の負傷者が証明している。
「じゃあ、もう一個。しばらくこの店にいてもらえます?」
「嫌です。帰ります」
女が立ち上がった。
西藤は道を塞がない。女は警戒しながら横を通り抜け、そのまま出口へ向かう。外にいる三宅たちが身構えたが、西藤は触らないよう手で制した。
女が入口へ到達する直前、西藤は無線へ短く指示する。
「防火シャッター、半分まで」
外の操作担当者がスイッチを押し、天井から金属製のシャッターが降り始めた。女はその音に気付き、足を止める。
「閉じ込められることにも同意していません」
直後、店の外から鈍い音と悲鳴が響いた。
操作盤を押していた職員が膝をついていた。右手が赤く腫れ、指が何本か不自然な方向へ曲がっている。
「救護班、その人お願いします。対象には近づかないで」
西藤の声から、先ほどまでの軽さが消えた。
女は何もしていない。操作盤を見てもいなければ、手を動かしてすらいない。それでも、女の移動を制限する目的でシャッターを操作した人間だけが負傷した。
西藤は降下途中で止まったシャッターと負傷者を交互に見てから、女へ視線を戻す。
「なるほど。あなたに対して行われた行為そのものに反応するんですね。直接触れる必要はない。拘束しようとする、移動を制限する。それをあなたが望んでいなければ、実行した側に何かが返る」
「そういうことです」
「攻撃した場合も?」
「試してみます?」
「嫌ですよォ」
西藤が答えた、その直後だった。
乾いた銃声が一発、店内に響いた。
外に配置されていた別班の隊員が、女が出口へ近づいたのを見て独断で発砲したのだ。弾丸は女の肩へ向かって飛び、触れる寸前で見えない壁にでも当たったように軌道を変えて床へ落ちる。
女は窓の外へ目を向けた。
「撃たれることにも同意していません」
ほぼ同時に、外から悲鳴が上がった。
『五班、負傷者一名! 右肩に銃創!』
西藤は無線を掴んだ。
「ハァァイ! 撃たないって言いましたよねェ!」
『すみません! 対象が外へ出ようとしたので!』
「だからって能力不明の悪魔に勝手に撃たない! 救護優先、五班は全員下がってください!」
指示を終えると、西藤は小さく息を吐いた。
銃撃した人間には銃撃による負傷。拘束しようとした人間には、拘束に使おうとした部位への損傷。完全な反射なのか、同種のペナルティなのかまでは判断できないが、少なくとも仕組みの輪郭は見えてきた。
「あなたを殺そうとしたら?」
西藤が尋ねる。
女は穏やかな声で答えた。
「私は殺されることにも同意していません」
「そりゃそうでしょうねェ」
「それでも殺しますか?」
「必要なら」
「酷い人」
「公安なんで」
それ以上の刺激は避け、西藤は一度店の外へ戻った。
幸い、悪魔の方から積極的に人間を襲う様子はない。問題はむしろ逆だった。こちらから何かをしようとした瞬間、それが本人の望まない行為であれば実行者へペナルティが返る。
店の前では救護作業が続いていた。西藤は自販機から缶コーヒーを一本買い、プルタブを開ける。
「どうします?」
残っていた若手に聞かれ、西藤は一口飲んでから答えた。
「普通の悪魔なら、能力には距離や回数、対象、発動条件みたいな制約があります。今回も何かはあるでしょうけど、今分かってる範囲じゃ『本人が同意していない行為をする』だけで成立してる。これだと攻撃も拘束も難しいですねェ」
「本人の同意を取るしかない?」
「さっき拘束については聞きました。即答で嫌だって」
「じゃあ無理じゃないですか」
「嫌だと言ってる相手に『じゃあ同意してください』って頼んでも仕方ないでしょう。YESを言わせるだけなら方法はいくらでもありますけど、それで能力上の同意として扱われるかは別問題です」
西藤はそこで言葉を切った。
その違いこそが、この悪魔の能力の中心にあるような気がしていた。
形式的な許可ではなく、本人が実際に望んでいるかどうか。
だとすれば、かなり面倒な相手だった。
そんなところへ、規制線の向こうから一人の少年が歩いてきた。
制服姿に金髪。周囲の公安職員が道を開けても急ぐ様子はなく、コンビニへ買い物に来たような足取りで西藤の前まで来る。
デンジだった。
「どれ?」
挨拶もなく聞いてくる。
西藤は店内を指した。
「中の女性です」
「人間じゃねえの?」
「悪魔でーす」
「何の?」
「不同意性交の悪魔」
デンジの目が少し開いた。
「不同意性交ってセックス?」
「そこだけ拾わないでもらえます?」
「じゃあエロい悪魔?」
「全然エロくないです」
「なんだ」
「なんだじゃないですよ」
西藤はこれまでの検証結果を説明した。本人が望まない状態で接触、拘束、移動制限、攻撃などを行おうとすると、実行者にその行為と関連したペナルティが発生するらしい。実際に三人が負傷しており、悪魔本人にはほとんど傷がない。
一通り聞き終えたデンジは、難しい顔をするでもなく言った。
「じゃあ、いいって言わせりゃいいんじゃね?」
西藤は缶コーヒーを口元まで運びかけて止めた。
「言わせる?」
「おう。お前、嫌ですって言われたんだろ? だったら、いいですって言った時なら触れんじゃね?」
そこで西藤は、デンジが自分とは違う部分を見ていることに気付いた。
「なるほど。拒否されたからやめるんじゃなくて、YESを言った場合に能力が発動するか試したいと」
「そうそれ」
「俺はやりたくないですねェ」
「なんで?」
「なんとなく嫌な予感がするから」
「ビビってんの?」
「ハァイ。十五年生き残ってますから」
デンジは鼻で笑うと、そのまま店へ向かった。
「じゃあ俺がやる」
「止めても行くでしょうから、どうぞ。ただし死なない程度でお願いしますねー」
「死なねえよ」
「そういう人ほど死ぬんですよォ」
デンジは聞いているのかいないのか、そのまま店内へ入っていった。
不同意性交の悪魔は、再び現れた公安の人間を見て少しうんざりした顔をした。
「また来たんですか?」
「俺は初めて」
デンジは女の前まで歩き、右腕へ目を向ける。
「なあ、腕掴んでいい?」
女は少し意外そうに目を瞬かせた。
「いいですよ」
デンジはすぐに西藤を振り返った。
「ほら!」
「まだ触らない方がいいですよー」
「なんでだよ。いいって言ったじゃん」
「だから嫌な予感がするんですって」
デンジは面倒そうに女へ向き直った。
「マジでいい?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「嫌じゃねえ?」
「嫌ではありません」
「怖くて断れねえとかでもなく?」
「違います」
そこまで確認して、デンジは満足そうに頷いた。
「じゃあ完璧じゃん」
西藤は店の外からその様子を眺めながら、誰に言うでもなく呟いた。
「嫌だなァ……」
デンジが女の腕を掴んだ。
何も起きなかった。
そのまま一秒、二秒と過ぎる。
「ほら、平気じゃ――」
「でも、本当は怖くて断れなかったんです」
女がそう言った瞬間、デンジの右腕が肘の辺りから弾け飛んだ。
血飛沫が床と商品棚へ散り、切断された腕が数メートル先まで転がっていく。
「ぎゃあああああああ!!」
「ハァァイ! やっぱりそうなるんですねェ!」
「いいっつったじゃねえか!!」
デンジは左手で傷口を押さえながら叫んだ。
女は悪びれる様子もなく答える。
「言いました」
「じゃあなんでだよ!」
「口ではそう言いました。でも本当は嫌でした」
「そんなもん分かるか!!」
「私には分かります」
「ズルだろそれ!!」
西藤は店内へ入らず、転がってきたデンジの腕を足元で止めた。
「デンジ君、生きてます?」
「見りゃ分かんだろ!」
「ハァイ、元気ですねー」
「こいつ無敵じゃねえか!」
「だから君を呼んだんですよ」
デンジは悪魔を睨みながら、自分の切断された腕を拾った。
それでも諦める気はないらしい。
「待て。じゃあ紙に書かせればいいだろ」
「何を?」
「同意したって!」
西藤は少し考えた。
今度はすぐに否定しなかった。
口頭のYESと本人の内心が食い違った場合、内心が優先された。なら、書面や記録によって意思を明確にした場合はどうなるのか。デンジの発想そのものは雑だが、能力条件を調べる検証としては意味がある。
「やります?」
「やる!」
「じゃあ今度はちゃんと検証しましょうか」
そこから、公安史上でもかなり珍しい部類に入る実験が始まった。
書面への署名、録音、第三者立会い、複数回の意思確認。悪魔本人にも文面を読ませ、「私は自分の意思により、デンジ氏が私の右肩へ触れることに同意します」と明言させる。
ところがデンジが肩へ触れた途端、悪魔は「公安に囲まれている状況では署名しなければ帰してもらえないと思いました」と言い、デンジは商品棚まで吹き飛んだ。
ならば帰宅を条件にしてはどうかとデンジが提案すれば、「帰るために同意を要求されたので自由な意思ではありません」と返される。悪魔の方から先にデンジへ触れさせ、同じ場所へ触り返そうとすれば、「私はあなたへ触れましたが、あなたが私へ触れることには同意していません」とペナルティを受けた。
三度目に吹き飛ばされた頃には、西藤は二本目の缶コーヒーを開けていた。
ボロボロになったデンジが店の外まで這い出してくる。
「無敵じゃねえかアイツ!」
「ハァイ」
「なんでそんな落ち着いてんだよ!」
「俺、最初から嫌な予感するって言いましたよねェ」
「なんとかしろ!」
「してるじゃないですか。君で検証して」
「俺で実験すんな!」
「回復する人は便利ですねェ」
デンジが殺気立った目を向けた。
「ぶっ殺すぞ」
「それ俺、同意してないでーす」
デンジが舌打ちしたところで、店内から女の声が聞こえた。
「あなたたちは、私がどう思っているかなんて本当はどうでもいいんでしょう?」
二人が振り返る。
不同意性交の悪魔は店の入口に立ち、こちらを見ていた。
「あなたたちが欲しいのは、私の意思ではありません。自分たちが私に何かをするための許可が欲しいだけ。何度確認しても、書面にしても、記録を残しても同じです。私が本当に望んでいるかではなく、自分たちが罰を受けずに済む答えを探しているだけでしょう?」
西藤は何も言わなかった。
そこには、少なくとも能力攻略という観点では筋が通っている部分があった。
形式的なYESをいくら積み重ねても、本人の意思そのものが変わるわけではない。だから能力を欺けない。
隣のデンジも珍しく黙っている。
悪魔の言葉を理解しようとしているのかもしれない。
しばらくして、デンジが口を開いた。
「……よく分かんねえ」
西藤は目を閉じた。
「ハァイ」
やはり理解していなかった。
ところがデンジはそこで終わらず、悪魔を指差した。
「でも要するに、お前って権利が強えんだろ?」
「……権利?」
「だって何しても『嫌です』って言えば俺らがぶっ飛ぶじゃん。それって女の権利みてえなもんだろ?」
西藤は嫌な予感を覚えた。
先ほど悪魔の能力を前にした時とは別種の、もっと説明しにくい嫌な予感だった。
「デンジ君、その理解はだいぶ雑ですよ」
「でも権利なんだろ?」
「そこから説明すると長くなるんですけど――」
「じゃあポリコレって強えの?」
西藤は言葉を止めた。
「……何の話です?」
「テレビで見た。差別すんなとか、マイノリティがどうとか、そういうやつ」
「まあ、政治的・社会的に差別や偏見を助長しないよう――」
「強え?」
「強い弱いじゃないです」
「権利あんだろ?」
「ありますけど、戦闘力の話ではありません」
「じゃあアイツより権利強え奴ぶつけたらどうなんの?」
「だから戦闘力じゃないんですって」
デンジは腕を組み、しばらく本気で考え込んだ。
西藤は止めるべきだったのかもしれない。
だが、その時点ではまだ、デンジがどこまで酷い結論へ到達するのか分からなかった。
やがてデンジの顔が明るくなる。
「分かった」
西藤は反射的に言った。
「分からなくていいです」
「属性相性だ!」
「違います」
「不同意性交よりポリコレ強え奴ぶつけりゃ勝てる!」
「だから違います」
「ポリコレ兵器作るぞ!」
「作りませーん」
「なんでだよ!」
「俺が嫌だからです」
デンジは一瞬黙った。
そして、何かを発見したように西藤を指差した。
「それ不同意じゃん!」
「そうですねェ」
「じゃあ俺、お前の意思尊重してんじゃん!」
西藤は空を見上げた。
東京の空は、腹が立つほど青かった。
「ハァーイ……」
悪魔の攻略より先に、別の何かをどうにかする必要が出てきた気がした。
デンジが「ポリコレ兵器を作る」と言い出してから、西藤はしばらくの間、それを聞かなかったことにしようと努力していた。
現場では負傷者の搬送が続き、不同意性交の悪魔が立てこもる衣料品店の周囲には、新たな規制線が張られている。能力について判明した情報も本部へ送られ、応援の人員も到着し始めていた。本来なら、ここから先は公安が集めた情報を基に慎重な攻略方法を検討する段階である。
そのはずだった。
「なあ西藤。ゲイってどこにいる?」
三本目の缶コーヒーを開けたところで、西藤は聞こえないふりを諦めた。
「……何に使うんです?」
「ポリコレ兵器」
「やっぱり聞かなきゃよかったですねェ」
デンジは大真面目だった。どうやら先ほど聞きかじった知識を自分なりに整理した結果、不同意性交の悪魔が強いのは「権利」というものを武器にしているからであり、それを上回る「ポリコレの権利」をぶつければ能力を突破できる、という結論に達したらしい。
もちろん、何一つ合っていない。
「ゲイとかレズとかいるだろ。あと障害ある奴とか」
「いますけど」
「そういう奴らって、なんか守られてんだろ?」
「法律や社会的な配慮の話ならありますけど、君が考えてるような戦闘補正じゃありませんよ」
「あと何いんの?」
西藤は答えなかった。
しかしデンジは自力で考え始める。テレビや街頭広告、ネットで見たものを片っ端から頭の中で掘り返しているらしく、しばらくして何かを思い出したように顔を上げた。
「肉食わねえ奴!」
「ヴィーガン?」
「それ!」
「それは性的指向や障害とはまた分類が違いますけどねェ」
「でもポリコレだろ?」
「君の中のポリコレ、範囲広すぎません?」
デンジは指を四本立てた。
「ゲイ、レズ、障害者、ヴィーガン。これだけいりゃ勝てんだろ」
「何を足し算したんですか」
「ポリコレ力」
「そんな数値ありません」
「じゃあ確かめようぜ」
「嫌です」
「また不同意じゃん」
「その言葉覚えたからって何にでも使わないでくださァい」
西藤は深く息を吐いた。
当然ながら、公安が「ゲイとレズと障害者とヴィーガンを一人ずつ連れてこい」という要請を出すことはなかった。
そんな募集を本気で本部へ送った日には、不同意性交の悪魔を倒すより先に西藤の社会人生命が討伐される。
ただ、現場には既に多数の公安関係者や民間協力者が集まっていた。その中には、過去の悪魔事件で公安へ協力した経験を持つ者もいる。能力の概要と危険性を説明したうえで協力可能な成人を募ったところ、結果として四人が残った。
その四人を見た瞬間、デンジの顔が明るくなった。
最初の一人は、三十代半ばほどの男だった。短く整えた髪に眼鏡をかけ、シャツの袖を肘まで捲っている。過去の悪魔事件で避難誘導を手伝った経験があり、公安との連絡経路を持っていた。
二人目は二十代後半の女で、こちらも以前の事件で公安に協力した経験がある。腕を組んだままデンジを眺めており、呼び出された理由をまだ完全には理解していないらしい。
三人目は車椅子に乗った三十代の男だった。以前、悪魔による建物倒壊に巻き込まれた際に公安と関わり、その後も事件検証に何度か協力している。
最後の一人は二十代後半の女で、長い髪を後ろで束ねていた。過去に民間の悪魔被害者支援団体で活動した経験があり、現在はヴィーガンだという。
西藤が四人の経歴を簡単に説明している間、デンジはほとんど聞いていなかった。
四人を順番に眺めている。
「この人はゲイ。この人はレズビアン。こちらは車椅子を利用されていて、最後の方は――」
「ヴィーガン!」
デンジが答えた。
最後の女が眉を上げる。
「そうだけど、なんでそんな嬉しそうなの?」
「揃った!」
「何が?」
デンジは四人を見渡した。
「ポリコレ四天王!」
沈黙が落ちた。
ゲイの男が最初に西藤を見た。
「帰っていいですか?」
「ハァイ。俺も帰りたいです」
「おい待てよ!」
デンジが慌てて二人の間へ割り込む。
「お前らならアイツ倒せるかもしんねえんだぞ!」
レズビアンの女が店内へ目を向けた。
「私たちに何をさせるつもり?」
「アイツをぶん殴る」
「それなら公安の人がやればいいでしょ」
「やったら反撃されんだよ」
「私たちなら反撃されない根拠は?」
「ポリコレ強えから」
女はしばらくデンジを見たあと、西藤へ視線を移した。
「この子、本気で言ってる?」
「ハァイ。残念ながら」
「止めないの?」
「止めてるんですけどねェ」
車椅子の男だけは少し面白そうに笑っていた。
「俺たちがどうやって強さを測られてるのか気になるな」
「属性だよ」
デンジは即答した。
「属性が多いほど強えんだろ?」
「俺は車椅子使ってるだけだけど」
「でも見た目で分かりやすいじゃん」
「分かりやすさで戦闘力が決まるのか」
「たぶん」
西藤が割って入った。
「決まりませーん。本人たちの前で勝手なゲームシステム作らないでくださァい」
ヴィーガンの女がデンジへ尋ねる。
「ちなみに、私はどうして強いと思ったの?」
「肉食わねえから」
「それだけ?」
「肉食わねえって、なんかすげえ主張強そうじゃん」
「ヴィーガンを何だと思ってるの?」
「野菜食うポリコレ」
女が目を閉じた。
西藤も目を閉じた。
「ハァイ。今の発言は俺の管轄外ということで」
「逃げないで」
「俺も巻き込まれたくないんですよォ」
それでもデンジは止まらなかった。
四人を眺めながら、不同意性交の悪魔へどうぶつけるかを本気で考え始めている。
最初に目を付けられたのはゲイの男だった。
「お前、剣な」
「嫌だよ」
あまりにも早い返答に、デンジが驚いた。
「まだ何も説明してねえだろ!」
「人からいきなり『お前、剣な』って言われて、いいよって答える奴いる?」
車椅子の男が小さく手を上げた。
「説明次第では」
「いるじゃん!」
「余計なこと言うな!」
ゲイの男が睨む。
デンジは構わず、その肩と腰へ手を伸ばした。
西藤は何をしようとしているのか察し、慌てて缶コーヒーを地面へ置いた。
「ハァァイ! ストーップ!」
一歩遅かった。
デンジは男を抱え上げると、その身体を水平にして両腕で構えた。頭側を前へ向け、完全に一本の巨大な剣として扱っている。
「ちょっと待て! 降ろせ!」
「やっぱちょうどいい!」
「何が!?」
デンジが悪魔のいる店へ身体を向ける。
「必殺、ポリコレソード!」
「誰がソードだ!!」
男の拳がデンジの頬へ直撃した。
二人まとめて地面へ転がる。
西藤は慌てて駆け寄った。
「ハァイ! 何してるんですかァ!」
「見りゃ分かんだろ! 剣!」
「分かるから止めたんですよ!」
「俺の属性と剣に何の関係があるんだよ!」
男がデンジの胸ぐらを掴む。
「だってゲイなんだろ?」
「そうだよ!」
「じゃあポリコレ強えじゃん!」
「ゲイに戦闘補正はねえよ!」
「やってみなきゃ分かんねえだろ!」
「分かるわ!」
その騒ぎは店内まで聞こえていた。
不同意性交の悪魔が入口近くまで歩いてくる。
彼女はデンジと、その下から抜け出そうとしている男を見比べた。
「その人、同意してないじゃない」
デンジの動きが止まった。
男も一瞬だけ黙る。
西藤は額を押さえた。
ほんの数秒、誰も何も言わなかった。
やがてデンジが男を見た。
「…………あ」
「『あ』じゃねえ!」
再び拳が飛んだ。
西藤は止めなかった。
「ハァイ。敵に倫理指導されてまーす」
「うるせえ!」
「俺じゃなくてデンジ君に言ってくださァい」
デンジは殴られた頬を押さえながら起き上がった。さすがに今度は男を持ち上げようとしない。
「じゃあ、持っていい?」
「嫌だ」
「なんで!?」
「今の流れでなんで分からないんだよ!」
「アイツ倒せるかもしれねえんだぞ!」
「それと俺が剣になるかは別だろ!」
デンジは明らかに納得していなかった。
だが、先ほどまでのように勝手に掴むこともしなかった。
「じゃあ何ならやる?」
その言葉に、西藤がわずかに顔を上げた。
ゲイの男も少し意外そうにする。
「まず作戦を説明しろよ」
「俺がお前持って、アイツぶん殴る」
「ほとんど説明になってない」
「痛えかもしれねえ」
「それは分かる」
「死ぬかも」
「それ先に言え!」
ここからは西藤が引き取った。
不同意性交の悪魔について現在判明している能力、これまで発生した負傷、攻撃した場合には相応のペナルティが返る可能性が高いこと、そして現時点では能力そのものを無効化する方法が発見されていないことを四人へ説明する。
参加は任意であり、途中で撤回しても構わない。公安側が危険と判断した場合には作戦そのものを中止する。
説明が終わる頃には、先ほどまでの馬鹿騒ぎも少し収まっていた。
「つまり、あの悪魔に攻撃したら、俺たちも怪我する可能性があるわけだ」
ゲイの男の確認に、西藤は頷いた。
「あります。最悪の場合についても否定できません」
「それでも私たちを使うの?」
レズビアンの女が尋ねる。
「公安としては、嫌なら使いません」
西藤は即答した。
「デンジ君は知りませんけど」
全員の視線がデンジへ集まる。
「俺は使いてえ」
「正直すぎるだろ」
「だって試してみてえじゃん」
「人間で試すな」
「俺でも試したぞ」
「お前が自分でやるのと他人にやらせるのは違うだろ」
デンジが黙った。
少しだけ考える。
「じゃあ報酬出す」
「君が決めないでください」
西藤がすぐに訂正した。
公安側で負傷時の治療費や協力報酬について確認し、条件が提示された。それでも全員が即座に参加を決めたわけではない。
ゲイの男は危険性について何度も質問し、レズビアンの女は撤退条件を細かく確認した。ヴィーガンの女は自分たちの属性が能力攻略に本当に関係しているのかを西藤へ尋ね、西藤は「俺は関係ないと思います」と正直に答えた。
車椅子の男だけは別の部分を気にしていた。
「俺、どうやって攻撃する想定なの?」
デンジが待ってましたとばかりに車椅子を指差す。
「戦車」
男は自分の車椅子を見る。
「……戦車」
「タイヤあるし」
「確かに」
「納得しないでくださァい!」
西藤の声が響いた。
男は笑う。
「いや、ちょっと格好いいなと思って」
「火力ねえぞ」
「そこはお前が押せば?」
「いいじゃん!」
二人の間で何かが成立しかけ、西藤が頭を抱える。
レズビアンの女が呆れたように二人を眺めていた。
「私は?」
デンジが彼女を見る。
少し考える。
「盾」
「嫌」
「なんでだよ!」
「どういう理屈でレズビアンが盾になるの?」
「女守る女だから」
「偏見が雑すぎる」
「じゃあ何がいい?」
「そもそも武器にする前提をやめろ」
「めんどくせえな!」
ヴィーガンの女にも視線が向いた。
デンジは長めに考えた。
彼女には剣も盾も車輪もない。
「お前は……」
「何?」
「非常食」
西藤の顔から表情が消えた。
ヴィーガンの女も数秒間、完全に無言になった。
「なんでヴィーガンを非常食にするの?」
「肉食わねえから、逆に肉として余ってんじゃん」
「最低だなお前!」
「ハァァイ! 今のは撤回しましょうねェ!」
西藤がデンジの肩を掴んで後ろへ引っ張った。
「なんでだよ!」
「なんでもです!」
「じゃあ武器ねえじゃん!」
「武器にしなくていいんですよ!」
結局、デンジによる役割分担はほぼ全面的に却下された。
それでも四人は、それぞれの判断で一度だけ作戦に協力することを決めた。
理由はデンジのポリコレ理論を信じたからではない。放置すれば被害が拡大する可能性のある悪魔が目の前におり、自分たちにもできることがあるなら試す。その程度のものだった。
ただし、ゲイの男だけは条件を一つ追加した。
「俺を勝手に持ち上げるな。やるなら毎回聞け」
「分かった」
「あとポリコレソードって呼ぶな」
デンジが黙った。
「そこも返事しろ」
「……分かった」
「間が長い」
最初に試すのは、その男になった。
デンジは彼の前に立ち、今度は手を出す前に尋ねた。
「持っていい?」
「一回だけな」
「振っていい?」
「怪我しない程度に」
「アイツにぶつけていい?」
「待て。それはどのくらいの勢いで?」
デンジが西藤を見る。
「めんどくせえ」
「ハァイ。大事なところなので我慢しましょう」
細かな条件を決め、ようやく作戦が成立した。
デンジは男を抱え上げる。
先ほどと同じように水平に構えたところで、男が顔をしかめた。
「やっぱこの持ち方なの?」
「一番振りやすい」
「俺は振られにくいんだけど」
「一回だけって言ったじゃん」
「言ったけどさ……」
デンジは不同意性交の悪魔へ向き直る。
数メートル先で、悪魔がこちらを見ていた。
「いくぞ!」
デンジが走り出した。
男も腹を括り、身体を固くする。
悪魔との距離が縮まる。
そしてデンジが男を振りかぶった瞬間、不同意性交の悪魔が静かに告げた。
「その人に殴られることには同意していません」
次の瞬間、男の身体が強烈な力で弾かれた。
デンジの腕から抜け、床を滑って商品棚へ激突する。
「ぐっ……!」
デンジも反動で転倒した。
悪魔は無傷だった。
男は肩を押さえながら身体を起こす。
「……普通に効くじゃねえか」
デンジが飛び起きた。
「効くじゃねえか!!」
西藤はすぐに救護班を呼びながら、妙に晴れやかな声を出した。
「ハァイ! ゲイに戦闘補正はありませんでしたァ!」
「なんでだよ!」
「だから最初から言ってるでしょう!」
「ポリコレ弱え!」
「ポリコレが弱いんじゃなくて、お前の理屈が弱いんだよ!」
倒れた男から正論が飛んできた。
それでもデンジは諦めなかった。
次はレズビアンの女が試した。本人が盾役を断固拒否したため、普通に接近して蹴りを入れる作戦へ変更したが、悪魔から「蹴られることには同意していません」と告げられた瞬間、彼女自身の脚へ強烈な衝撃が返ってきた。
結果は失敗。
続いて車椅子の男。
本人の希望もあって、デンジが後方から車椅子を押し、勢いをつけて接近する作戦になった。
「本当にやるんです?」
西藤が最後に確認する。
「一回だけ。ちょっと戦車やってみたい」
「ハァイ。本人が楽しそうなのが一番困りますねェ」
デンジが車椅子のハンドルを握った。
「戦車発進!」
「おう!」
「そこ二人、仲良くならないでくださーい!」
車椅子が店内を走る。
悪魔は真正面からそれを見ていた。
「ぶつかられることには同意していません」
直後、車椅子が見えない壁へ激突したように急停止した。
男の身体が前へ投げ出されそうになり、事前に装着した固定具がそれを止める。デンジだけが勢い余って車椅子を飛び越え、そのまま床へ顔から突っ込んだ。
「痛ってえ!」
「ハァイ! 戦車も駄目でーす!」
「火力不足だ!」
「そういう問題じゃありません」
最後に残ったヴィーガンの女は、三人の結果を見て首を横に振った。
「私、やる意味ある?」
西藤は正直に答えた。
「科学的にはほぼないですねェ」
「じゃあやめる」
「ハァイ。撤回確認しました」
デンジが振り返る。
「なんでだよ! 四天王揃わねえじゃん!」
「最初から四天王じゃない」
「ヴィーガン枠空いちまうだろ!」
「募集し直すなよ」
ゲイの男が救護を受けながら釘を刺した。
結局、デンジのポリコレ理論は何一つ証明されなかった。
ゲイだから能力を突破できるわけでも、レズビアンだから防御力が上がるわけでも、車椅子だから戦車になるわけでもない。ヴィーガンに至っては戦闘に参加すらしなかった。
デンジは道路脇にしゃがみ込み、頭を抱えていた。
「おかしい」
西藤は新しい缶コーヒーを開ける。
「何がおかしいんです?」
「ポリコレ四人も集めたのに」
「三人しか戦ってませんけど」
「じゃあやっぱヴィーガン足りなかった?」
「違います」
「属性の組み合わせか?」
「違います」
「レベル?」
「違います」
「じゃあ何なんだよ!」
西藤は答えようとして、やめた。
答えは最初から同じだ。
彼らが何者であるかは、悪魔の能力とは関係ない。
ところがデンジは、負傷した三人を見ながら別のことに気付いたらしい。
ゲイの男は肩を冷やしながら救護員と話している。レズビアンの女も脚を痛めたものの、自力で立っていた。車椅子の男に至っては、自分の車椅子に異常がないか確認しながら「もう少し速度出せたな」と呟き、西藤から「出さなくていいです」と止められている。
誰も逃げてはいない。
デンジはゲイの男へ尋ねた。
「なあ。もう一回やれって言ったら?」
「同じ作戦なら嫌だ」
「じゃあ作戦変えたら?」
「内容による」
レズビアンの女にも聞く。
「死なねえくらいならやる?」
「だから内容によるって」
「嫌なら嫌って言う?」
女は呆れたようにデンジを見る。
「言ってるでしょ、さっきから」
「そっか」
デンジは少し考えた。
車椅子の男にも尋ねる。
「お前は?」
「戦車改良するなら」
「やるの!?」
西藤の方が驚いた。
男は笑っていた。
デンジは三人を順番に見て、それから戦闘へ参加しなかったヴィーガンの女を見る。
「お前は?」
「今のままならやらない」
「絶対?」
「絶対」
「じゃあ、どうしたらやる?」
「私がやる意味のある作戦なら考える」
デンジは黙った。
西藤はその様子を横目で見る。
これまでデンジが考えていたのは、どうすればYESを取れるかだった。書面を書かせる、何度も確認する、条件を変える。それでも不同意性交の悪魔には通用しなかった。
今は少し違う。
相手がNOと言った時、どうすればYESと言わせられるかではなく、何なら本人がやるのかを聞いている。
本人の意思が変わらないなら、そのまま参加させない。
それだけのことだった。
デンジが立ち上がる。
「分かった」
西藤は警戒した。
この少年が「分かった」と言った直後には、ろくなことが起きない。
「一応聞きますけど、何が?」
「属性じゃねえんだ」
西藤の表情が少しだけ明るくなった。
「ハァイ。ようやくそこまで――」
「一人ずつだから弱えんだ!」
西藤の表情が戻った。
「違います」
デンジは地面へしゃがみ込み、指で四つの丸を描いた。それらを一つの大きな丸で囲み、店の方向へ太い矢印を引く。
「全員まとめれば重くなるだろ」
レズビアンの女が嫌そうな顔をする。
「何をする気?」
「一人だと吹っ飛ばされる。だったら全員くっついて突っ込む」
「それだけ?」
「俺も後ろから押す」
ゲイの男が地面の図を見る。
「雑すぎるだろ」
「でも重いぞ」
「そこだけは間違ってないのが腹立つな」
車椅子の男が身を乗り出す。
「車椅子を土台にしたら?」
西藤が振り返った。
「なんでそっち側にいるんですかァ!」
「四人乗れるようにすれば重量出るでしょ」
「乗らない」
レズビアンの女が即答する。
ヴィーガンの女も首を振った。
「私も今の説明では嫌」
デンジは二人を見る。
以前なら、ここで「いいからやれ」と言っていたかもしれない。
だが今回は少し考えたあと、地面の図へ戻った。
「じゃあどうすりゃやる?」
その問いに、四人が顔を見合わせた。
西藤も黙った。
デンジが自分以外の人間へ作戦の修正を求めている。
進歩と言っていいのかは、まだ分からない。
ただ少なくとも、勝手に人を持ち上げて剣にしていた時よりはましだった。
四人が地面の図を囲む。
「まず一人が全部食らう形をやめた方がいい」
「接触する役と支える役を分ける?」
「車椅子を使うなら正面衝突じゃなくて移動用にしよう」
「私は直接攻撃はしたくない。固定や補助なら考える」
デンジもしゃがみ込む。
「じゃあ全員でくっつくのは?」
「それは一回忘れろ」
「でも人団子強そうじゃん」
「名前がもう嫌」
西藤は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
さっきまで「ポリコレ四天王」と呼ばれていた四人が、自分たちで参加条件と役割を決め始めている。その中央でデンジが「もっと重くしようぜ」「それじゃ動けない」と好き勝手言い、そのたびに修正されていた。
やがて西藤は缶コーヒーを一口飲み、小さく呟いた。
「……ハァイ」
少なくとも、今度の作戦はデンジ一人が勝手に決めたものにはならなそうだった。
作戦会議と呼ぶには、あまりにも酷い光景だった。
場所は規制線の内側、不同意性交の悪魔がいる衣料品店から二十メートルほど離れた路上。ホワイトボードも作戦図もなく、デンジがアスファルトに指で描いた四つの丸を囲んで、五人の人間がしゃがみ込んでいる。
西藤は少し離れたところからその様子を眺めていた。
本来なら止めるべきなのだろう。
公安の作戦として採用するなら、能力条件をさらに検証し、対策班の分析を待ち、可能なら悪魔との交渉も続けるべきだ。少なくとも「ゲイ、レズビアン、車椅子ユーザー、ヴィーガンを集めて一斉に突撃する」などという案が正式な会議で承認されることはない。
ただし、デンジが最初に言い出した馬鹿げた案と、現在五人が話している作戦には、一つだけ大きな違いがあった。
「だから、俺を剣にするのは無しな」
ゲイの男が念を押す。
「分かったって」
「さっきもそう言って、三十秒後にはポリコレソードって叫んだだろ」
「今度は叫ばねえ」
「持ち上げるのも無し」
「じゃあどうやって殴んだよ」
「俺は自分で殴れる!」
「お前が殴ったら吹っ飛ぶじゃん」
「お前が俺で殴っても吹っ飛んだだろ!」
デンジが黙った。
どうやら、そこは反論できないらしい。
レズビアンの女は二人を無視し、地面に描かれた図を指で修正していた。
「そもそも、一人ずつ攻撃するから全部その人に返るんじゃないの? 同時に何人かで別の行動をした場合は?」
少し離れて聞いていた西藤が答えた。
「そこは未検証ですねェ。複数人が同時に同じ行為をした場合、全員に返るのか、主導した人だけなのか、それとも別の形になるのかは分かりません」
「じゃあ危険じゃない」
「危険ですよ。だから俺としては、ここでやめてもらっても全然構いません」
「それは分かってる」
女はそう答えてから、もう一度地面を見る。
車椅子の男も自分の椅子を指差した。
「俺のこれは移動に使える。誰かを乗せるのは無理でも、固定具とか運ぶくらいならできるよ」
「戦車は?」
デンジが聞く。
「戦車は一回やったから満足した」
「諦めんなよ!」
「お前は何を応援してるんだ」
ゲイの男が呆れる。
最後にヴィーガンの女が口を開いた。
「私は直接殴ったり蹴ったりはしない。それなら参加する」
デンジが顔を上げた。
「なんで?」
「やりたくないから」
「でもアイツ倒すんだぞ?」
「だからって、自分で殴りたいとは思わない。拘束具の固定とか、補助ならやる」
デンジは少し考えた。
以前なら「めんどくせえ」の一言で終わらせていただろう。
今回は違った。
「じゃあそれやれ」
「命令?」
「あー……」
デンジは一度言葉を止める。
「やってくれ」
女が少しだけ眉を上げた。
「それなら考える」
西藤は缶コーヒーを飲みながら、そのやり取りを見ていた。
大した変化ではない。
言葉遣いは雑なままだし、相手への配慮が身についたわけでもない。それでも、相手が嫌だと言ったことを一旦やめ、何ならできるかを聞く程度にはなった。
公安の教育係が聞けば頭を抱えるような低水準の成長だったが、デンジ相手なら贅沢は言えない。
「で、結局どうすんだ?」
デンジが四人を見る。
そこからさらに十五分ほど話し合いが続いた。
最終的にまとまった作戦は、当初の「人団子」と比べれば多少まともなものになった。
車椅子の男が拘束具を運び、悪魔との距離を詰める。ヴィーガンの女は後方でワイヤーの補助を担当し、レズビアンの女とゲイの男が左右から接近する。
目的は悪魔を直接倒すことではない。
同時に複数方向から干渉した場合、能力がどう発動するかを確かめ、その瞬間にデンジが距離を詰める。
もちろん、全員がペナルティを受ける可能性もある。
最悪の場合、重傷者が出る。
西藤はその点を何度も説明した。
「ここから先は本当に危ないですよ。さっきまではある程度、行動を限定して試してましたけど、今度は複数人が同時に能力対象になる可能性があります。俺から参加を勧めることはできません」
四人はそれぞれ確認した。
途中でやめてもいい。
直前でも撤回できる。
誰か一人が抜けた場合、作戦は一度停止する。
そして西藤が危険すぎると判断した場合も強制中止。
最後に、西藤は一人ずつ意思を確認した。
全員が参加すると答えた。
デンジが腕を組む。
「じゃあ決まりだな」
「デンジ君」
「何?」
「君も確認してください」
「今したじゃん」
「俺がしました。君も」
「なんで?」
西藤は不同意性交の悪魔がいる店へ目を向けた。
「今回の作戦、君が一番前に出るからです」
デンジは面倒そうな顔をした。
だが拒否はしなかった。
最初にゲイの男を見る。
「やる?」
「やる」
「吹っ飛ぶかも」
「分かってる」
「途中で嫌になったら?」
「やめる」
「そしたら俺も止まる」
次にレズビアンの女。
「やる?」
「やる。ただし私は殴らない」
「分かった」
車椅子の男にも確認する。
「お前は?」
「やる。今度は戦車じゃなくて運搬役な」
「戦車の方が強そうなのに」
「そこは諦めろ」
最後にヴィーガンの女を見る。
「お前も?」
「補助だけなら」
「肉食わねえのは関係ねえんだな?」
「最初から関係ない」
「そっか」
それだけだった。
感動的な言葉もなければ、デンジが何かを悟ったような顔をすることもない。
西藤はその方がいいと思った。
「ハァイ。全員確認できましたァ」
無線を取る。
「救護班、すぐ動けるようにお願いします。狙撃班は引き続き発砲禁止。対象が能力を使用しても勝手に援護射撃しないでください」
『了解』
「あと拘束具の予備を二本」
『了解です』
準備が進む。
その間、デンジは地面に座って待っていた。
やがて何かを思いついたように立ち上がる。
「なあ」
西藤は嫌な予感がした。
「なんです?」
「作戦名いるだろ」
「いりません」
「いるって」
「いりません」
「全員同意済みポリコレ――」
「いりません」
「まだ最後まで言ってねえじゃん!」
「最後まで聞いたら後悔するので」
車椅子の男が笑う。
「聞くだけ聞こうよ」
「あなた、なんでそっち側なんです?」
デンジは嬉しそうに続けた。
「全員同意済みポリコレ人団子作戦!」
四人が黙った。
西藤も黙った。
「人団子じゃないだろ」
ゲイの男が最初に指摘した。
「配置バラバラじゃん」
デンジは地面の図を見る。
確かにそうだった。
「じゃあ全員同意済みポリコレ作戦」
レズビアンの女が首を横に振る。
「ポリコレもいらない」
「なんでだよ!」
「何一つ関係なかったでしょ」
「じゃあ全員同意済み作戦!」
ヴィーガンの女が呆れる。
「普通になった」
西藤はそれで押し切ることにした。
「ハァイ。『全員同意済み作戦』でいきまーす」
「ダセえ!」
「君の案よりマシです」
配置についた。
不同意性交の悪魔は、店の中央に立っていた。
先ほどまでと違い、明らかに警戒している。
デンジが正面。
左右にゲイの男とレズビアンの女。
車椅子の男は拘束具を載せ、少し後ろ。
ヴィーガンの女はワイヤーの補助位置にいる。
西藤は店の外。
「最終確認しまーす」
誰も動かない。
「嫌になった人?」
誰も手を上げない。
「撤回する人?」
反応なし。
「ハァイ」
西藤は無線を握る。
「開始」
最初に動いたのはデンジだった。
店内へ走る。
悪魔がこちらを見る。
「近づかれることには同意していません」
デンジの身体に衝撃が走った。
胸部が大きく裂け、血が噴き出す。
それでも走る。
左右から二人も動いた。
「囲まれることにも同意していません」
ゲイの男が横へ弾かれ、レズビアンの女も足元を崩した。
二人とも倒れる。
だが事前に決めていた。
立てるなら続行。
無理なら手を上げる。
二人とも立ち上がった。
「まだやりますかァ!」
西藤が叫ぶ。
「やる!」
返事が重なる。
デンジが笑った。
「ほら!」
悪魔が初めて表情を歪める。
「何が?」
「こいつら、まだやるってよ!」
「だから何ですか」
「知らねえ!」
西藤が思わず額を押さえた。
「そこは何か考えてくださァい!」
車椅子が前へ出る。
拘束具が射出された。
「拘束されることには同意していません!」
車椅子の男の両腕へ衝撃が走った。
身体が大きく揺れる。
それでも固定具が姿勢を支えた。
「続けます!?」
「続ける!」
ヴィーガンの女がワイヤーを取る。
その瞬間、彼女の手にも圧迫するような力が返った。
顔をしかめる。
「離してもいいですよ!」
西藤が叫ぶ。
女はワイヤーを握ったまま答えた。
「まだやる!」
悪魔の表情が変わった。
「どうして」
誰も答えない。
「どうしてやめないんですか!」
デンジが走りながら叫んだ。
「こいつらがやるっつったからだろ!」
「私は嫌だと言っています!」
「知ってる!」
「だったらやめて!」
「それも知ってる!」
デンジの身体へ再びペナルティが走る。
今度は左肩が裂けた。
それでも止まらない。
「お前が嫌なのと、こいつらがやるのは別だろ!」
西藤はその言葉を聞いた。
正確ではない。
何か大事な部分が抜けている気もする。
だが今この場で、デンジが理解できた範囲としては、それで十分だった。
悪魔の能力は消えていない。
攻撃も拘束も、本人が嫌だと思えばペナルティは発生する。
その力は最後まで変わらない。
しかし、それは相手の意思そのものを奪う能力ではなかった。
嫌だと言われたからといって、相手が必ず逃げなければならないわけでもない。
危険を理解し、それでも自分の意思で参加することはできる。
「西藤!」
デンジが叫んだ。
「まだ全員やるって!?」
西藤は四人を見る。
ゲイの男。
「やる!」
レズビアンの女。
「続ける!」
車椅子の男。
「まだいける!」
ヴィーガンの女もワイヤーを離していない。
「やる!」
西藤は無線を握り直した。
ここまで来れば、自分だけまともなふりをしても仕方がない。
「ハァァァイ!」
声が現場に響いた。
「全員参加意思、再確認済みィ! 作戦続行しまァァす!」
デンジが笑った。
「人団子いけええええ!!」
「人団子じゃありませーん!!」
四方向から同時に力が加わった。
悪魔の能力が発動する。
全員へペナルティ。
血が飛ぶ。
拘束具のワイヤーが軋み、車椅子が横滑りし、左右の二人が再び床へ倒れる。
それでも、一瞬だけ悪魔の体勢が崩れた。
ほんの一瞬。
デンジには十分だった。
胸元のスターターを引く。
エンジン音が店内を満たした。
額と両腕からチェンソーが伸びる。
不同意性交の悪魔が目を見開いた。
「斬られることには同意していません!」
「知ってる!!」
チェンソーが振り下ろされた。
同時に、デンジの身体にも巨大な裂傷が走る。
肉が裂ける。
血が噴き出す。
それでもチェンソーは止まらなかった。
「俺だって痛えの嫌だよ!!」
もう一度。
「でもやるっつってんだろ!!」
刃が悪魔を切り裂いた。
悲鳴とエンジン音が重なる。
最後のペナルティがデンジへ返り、腹部が大きく裂ける。
それでもデンジはチェンソーを押し込んだ。
悪魔の身体が崩れる。
やがて店内に響いていた声が途切れた。
静かになった。
デンジのチェンソーも止まる。
そのまま仰向けに倒れた。
数秒後、西藤が店へ駆け込んだ。
「ハァイ! 救護班! 全員お願いします!」
外で待機していた救護班が一斉に動く。
四人とも負傷していた。
ゲイの男は肩と腕。
レズビアンの女は右脚。
車椅子の男は両腕。
ヴィーガンの女も手を痛めている。
だが、全員意識はある。
デンジだけは腹を裂かれたまま床に転がっていた。
「血」
「はいはい」
「血くれ」
「救護班に言ってください」
「西藤」
「なんです?」
「勝った?」
西藤は不同意性交の悪魔が消滅した場所を見る。
「ハァイ」
デンジは満足そうに笑った。
「やっぱポリコレ強えじゃん」
西藤は一瞬、本気でデンジをそのまま放置しようかと思った。
数時間後。
現場の封鎖は縮小され、重傷者は病院へ搬送された。
幸い、協力した四人に命の危険はなかった。
デンジも血液を補給して回復している。
救急車の後部に腰掛けたデンジの前へ、西藤が立った。
その手には今日何本目か分からない缶コーヒーがある。
「デンジ君」
「何?」
「今回、何か学びました?」
デンジは少し考えた。
西藤は期待していなかった。
それでも聞いた。
「ポリコレだけじゃ勝てねえ」
「ハァイ、そこじゃありません」
「四人集めてもダメだった」
「そこでもありません」
「人間はまとめた方が強え」
「物理の授業じゃないです」
デンジは面倒そうに頭を掻いた。
「じゃあ何だよ」
西藤は答えを教えなかった。
「自分で考えてください」
「めんどくせえ」
その時、治療を終えたゲイの男が近くを通った。
デンジが手を上げる。
「おい!」
男が嫌そうな顔をする。
「何?」
「また悪魔出たら剣やってくれ!」
「嫌だ!」
即答だった。
デンジは頷く。
「おお」
西藤が嫌な予感を覚えた。
「何です?」
「ちゃんと不同意だ」
西藤は黙った。
レズビアンの女も通りかかる。
「お前は盾な!」
「嫌」
「ハァイ」
車椅子の男には、
「また戦車やろうぜ!」
「それはちょっと考える」
「やんの!?」
西藤の方が驚いた。
最後にヴィーガンの女が来る。
デンジは少し考えた。
「非常食――」
「嫌」
最後まで言わせてもらえなかった。
デンジは満足そうに頷いた。
「分かってきたわ」
西藤は缶コーヒーを飲んだ。
「何がです?」
「嫌な時は嫌って言う」
「まあ……」
西藤は少し考える。
「そこだけなら、間違ってませんねェ」
デンジは得意げに笑った。
「あと聞けばいいんだろ?」
「何を?」
「人間を武器にしていいか」
西藤は空を見上げた。
夕方になっていた。
長い一日だった。
不同意性交の悪魔は討伐された。
民間人の被害拡大も防げた。
デンジも、一応何かを学んだ。
結果だけ見れば悪くない。
結果だけなら。
西藤は深く息を吸った。
そして現場中に聞こえる声で叫んだ。
「ハァァイ! 教育失敗でーす!」
デンジの笑い声が響いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
不同意性交の悪魔という単語を思いついたところまでは、まだ普通だった気がします。
「攻撃されたことに同意していないと言われたら、どうやって倒すんだ?」
ここまでも、たぶん普通。
「じゃあデンジならどうする?」
ここから全部おかしくなりました。
最終的に、
「もっと強そうな権利ぶつければよくね?」
↓
「ポリコレ強そう」
↓
「人間を武器にすればいい」
という、どうしてそうなったのか作者にもよく分からない場所へ着地しました。
なお、本作で一番まともなのは、
「その人も同意してないじゃない!」
とデンジを叱った不同意性交の悪魔かもしれません。
一応補足しておくと、本作はゲイ、レズビアン、障害者、ヴィーガンといった人たちそのものを笑う意図ではなく、それらを全部まとめて「ポリコレ属性」と認識し、ゲームの属性相性みたいに扱おうとするデンジの滅茶苦茶な発想をネタにした作品です。
……などと説明すると急に真面目になってしまうので、この辺で。
本人の同意はちゃんと取りましょう。
人間を武器にするときも。
たぶん。