「福永っ」
チームメイトを求め、放ったトス。
それは誰にも触れられないまま、虚しく体育館の床を叩いた。
...まただ。
さっきまでの福永の微かに引き攣った表情から、嫌な予感はしていた。
今のは俺のトスミスじゃない。
俺が名を呼んだチームメイトは今明らかに「跳べていなかった」。
たちまちクロが、夜久くんが、トラが、海くんが放つ「ドンマイ!」という明るい声が一斉に福永に向けられる。
このチームでは当たり前の光景だ。
その中に混じる笑い声と共に、福永は一瞬肩を強張らせた後、目線を僅かに下げた。
何かに怯えるようなその目の小さな動きを、俺は見逃せなかった。
「...ごめ、ん...。」
俺の顔から目を逸らし、絞り出すように謝罪をしに来た福永に「気にしないで」とだけ言い、その背中を見送る。
その動きが練習試合中とは思えないほどに不自然で固いのが、どうしても目についてしまう。
普段はレシーブもスパイクも割となんでも器用にこなし、セッターの俺が厚い信頼を置いている福永。
そんな彼は、時々こんなふうに動きが固まって止まってしまう。
特に今、「東京の強豪・梟谷からセットポイントを奪っていた」というような、音駒にとってすごい「熱い展開」でチームが笑顔と士気で溢れている時ほど、福永はまるで電池切れかけのロボットみたいに役割を果たせなくなる。
流石にこれ以上福永にトスを上げたら余計にプレッシャーで動けなくなるだろう。
そう思った俺は、再びデュースに戻ったこのセットをどう乗り切るかを再度組み立て始めた。
ー
「なぁ研磨〜。お前、福永が何考えてるか分かるか?」
数日前の帰り道、クロにそんなことを聞かれた。
聞かれた理由はなんとなくわかっていた。
「...分かるわけないでしょ。なんで俺に聞くの?」
「いや、なんかお前らって空気感似てるじゃん?通じるもんあるんじゃねって思ってな。...IH予選負けて、俺ら3年はもう3ヶ月後の春高予選にかけるしかないわけよ。負けたらそこで終わりなわけ。そんな中で福永っていうスタメンが平日丸々部活から姿消すのは俺らとしてもちょっと...受け入れ難いというか、本音を言うとなんとか引っ張り出したいわけよ。」
ここ1ヶ月半くらい、福永は平日の部活に一切顔を出してない。
理由は知らない。
別に聞こうと思えば聞けるけど...チームメイトとはいえ他人の事情に踏み込むのは俺のガラじゃない。
それに何となく、「聞き出したら福永が壊れる」ような気がしてならないからだ。
クロは俺と福永のことを空気感が似ていると言ったけど...俺は全然違うと思う。
確かに俺も福永も表情が乏しくて口数が少ないし、どこか「他人の目を過剰に気にする」ところは似ている。
俺のそれは単なる人見知り故のもの。
でも...それ故に俺は気づいてしまった。
福永は一見いつも無表情だが、よく見てみると目線が何かを探すように小刻みに動いていたり、唇が微かに震えていたり、動きがやけに不自然で固かったりすることがある。
そして俺以上に、頑なに最低限しか喋ろうとしない。
「何かから必死に逃げようとしている」ような、そんな気がしてならなかった。
「...クロは、福永が練習しない間に下手になっちゃうんじゃないかっていう心配をしてるの?」
「まぁ、それも心配してないと言えば嘘になるな。でも...それ以上に怖いのが『チームの崩壊』だ。スタメンの福永が休む理由も言わずあんな感じだと、スタメン漏れた奴らはどう思うよ?『なんで真面目に練習してる俺らじゃなくて、土日しか部活来ない福永がスタメンのままなんだ。』って、不満抱くに決まってんだろ?...俺はな、このチームで戦いたいんだ。誰1人として、不満残したまま終わりたくねぇだけ。...もうちょっと、福永が気軽に話せる主将に、なれたらいいんだけどな。」
クロの言うことは正しいんだと思う。
主将だから、こういうのは見過ごせないんだろうな。
俺だって、土日に福永にトスを上げる度に、得体の知れないズレがどんどん広がっていくのを感じていた。
チームメイトも少しずつ、福永との接し方に困り始めているみたいだ。
それでも...
「...クロの言うことも分かるけどさ、別にいいんじゃない?ベンチの奴らが福永を実力で抜いてスタメンになればいい話だし、その状況でどうレベル上げをしていくかを考えるのがゲームの面白いとこでしょ。」
「...はっ、研磨は相変わらず、冷めてるというかゲーム至上主義というか...だな笑」
クロの言う通り、俺は今の状況をそこまで悲観してない。
正直試合の勝ち負けそのものにはあまり興味がないのもあるけど...それ以上に。
福永はそれでも『ここにいること』を、結局は選んでるじゃん。
ー
結局、梟谷とのあのゲームは負け、そこで練習試合も終わった。
チームメイトはみんな悔しそうに下を向いて唇を噛み締めている。
そんな中福永だけはいつものポーカーフェイスで、だけど僅かに目尻と口角を悲しげに下げたまま、そっとその場を去ろうとした。
「おい福永ぁ〜お前もっと部活来てくれヨォ!それにもっと喋ってくれぇ!寂しいだろぉ?!」
背を向けて歩き出した福永の腕をトラが仕留めた。
トラの大きい声とその仕草に、福永が反射的に逃げ出そうと足を踏み出す。
福永の背後にいた俺にもそれがわかった。
それに気づかないトラは一点の曇りもなく前に回り込み、福永へのまっすぐな感情をぶつける。
そんなトラにも、福永はどこか遠くを見るような目で「...ごめん。」とやっとひと言残すだけ。
そんな福永に、俺はガラにもなく声をかけた。
「福永。」
人の目を見つめるのは俺の最大の苦手分野。
だけど、何となく、本当に何となく今、福永の目を見て直接伝えようって思った。
「...部活にどう向き合うかは、福永の自由だと思う。でも...やっぱり俺には福永が必要だってことは、覚えといてね。」
妙な沈黙が俺とトラと福永の間に広がる。
うわ...苦手なことを無理してやるからだ。
気まずい、あんな熱いセリフ、福永にとっては余計なお世話だったかもしれない。
ほんの数秒前の俺が恥ずかしくなって目を逸らそうとしたその時。
福永の目が見開かれ、はっきりと俺を射止めた。
「...あ、あーりがと...。」
福永の口角が本当に微かに上がったのを俺は見逃さなかった。
そしてそれだけ言って俺から再び目を逸らし、背を向けて去って行った。
福永の本音はやっぱり分からない。
けど、この違和感に気づいているのは、ここでは俺だけかもしれない。
チームメイトは福永のことを「何考えてるか分からない無口なやつ」って思っているだろうけど。
...あんなことを言ったのは、福永のためじゃない。
クロにはどーでもよさそうに言ったけど、やっぱり福永が居てくれた方が俺のゲームメイクがやりやすい。
それに、静かなやつが1人いてくれた方が、俺も居心地がいい。
本当に無理なら、もうさっさと部活なんて辞めてると思う。
だから福永があの引き攣った表情やどこか悲しげな表情を見せながらも、ここに残っている限りは大丈夫だと思うから。
今は、これでいい。
「研磨ァ!お前がこんなに仲間想いだったなんて感動だぁぁ!」とさっきまでのしんみりした空気をいつものうるさい声でかき消し、俺の痛いところを突いてきたトラに、俺は心底ウザそうな目を向けてあしらった。
その後ろではいつも通り、夜久くんがリエーフを蹴飛ばし、それを海くんが宥め、クロがそれを面白そうに見つめている。
いつの間にか夕方の西日が差し込むうるさい体育館。
福永もまだ、ここにいるんだ。