自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route― 作:パラレル・ゲーマー
深夜のフリーウェイを降りると、西海岸特有の乾いた夜風が、少し開けた窓の隙間から車内に滑り込んできた。
オレンジ色のナトリウムランプが等間隔に流れていく。カーステレオから流れる深夜のジャズステーションの音量を少しだけ下げ、工藤創一は中型SUVのハンドルを緩やかに切った。
都市部の喧騒から少し離れた、緑豊かな郊外の住宅街。綺麗に区画整理された通りを抜け、見慣れたタウンハウスの前に車を寄せる。リモコンのボタンを押すと、電動シャッターが低いモーター音を立てて上がり、一台分のガレージが口を開けた。
車を滑り込ませ、エンジンを切る。
ブルン、という低い振動が止むと、ガレージ内は静寂に包まれた。
「……はあ、疲れた」
革巻きのステアリングに額を預け、創一は大きく息を吐き出した。
だが、その声に悲壮感はない。心身をすり減らした絶望の吐息ではなく、今日のタスクを無事に終えたという、適度な充実感を伴う疲労だった。
工藤創一、三十代半ば。職業、システムエンジニア。
日本の大学在学中、留学でこの国へ渡ってきたのが十数年前。卒業後は縁あって現地企業に就職し、当初は「数年だけこっちで働いて日本に帰ろう」くらいに思っていた。
しかし、一年が過ぎ、三年が経ち、気づけば五年、十年。
現地企業で泥臭くコードを書き、レガシーシステムの移行やインフラの運用保守、夜間の障害対応などをこなすうちに、すっかりこの国のビジネスサイクルに順応してしまった。現在のポジションはシニアエンジニアで、給与水準も悪くない。
このSUVもローンを完済しているし、年に数回は日本へ帰省できるだけの貯金もある。数年前にはグリーンカード(米国永住権)も取得済みだ。英語でのミーティングも、ネイティブ特有のジョークを交えた雑談も、今では息をするようにこなせる。休日は海沿いをドライブし、同僚たちとバーベキューをすることもある。
だから、「アメリカに来なきゃよかった」などとは微塵も思っていない。
むしろ、自分の選択は正解だったと胸を張れる。結構楽しい人生じゃないか、と。
ただ。
仕事は仕事で、相応にシビアだ。成果を出せば報われるが、パフォーマンスが落ちれば容赦なくレイオフの対象になる。
最近は組織再編のあおりを受け、担当するシステムの範囲がまた広がった。
『来期から、旧式のビリング(請求)システムも君のチームで見てくれ。君なら全体を把握できるだろ?』
ディレクターからのそんな言葉を、頼りにされていると喜べたのは二十代までだ。
三十代半ばになり、ふと思うのだ。
――これ、あと十年、二十年と続けるのか?
数日前、日本にいる母親と通話した時の言葉が脳裏をよぎる。
『創一は、もう向こうに骨を埋めるつもりなの?』
その時は適当に濁したが、自分でも答えは出ていない。
「……そろそろ、日本に帰ってもいい頃合いなのかもな」
独り言を呟き、車のドアを開けた。
アメリカでの生活に大きな不満があるわけではない。ただ、強烈な「次へのモチベーション」がないのだ。決定打に欠けるまま、惰性で快適な日常を転がり続けている。そんな焦燥感が、最近の彼を薄い膜のように覆っていた。
ガレージから直接家の中へ入ろうと、玄関ポーチへ向かった時のことだ。
ドアの前に、ぽつんと置かれた見慣れない段ボール箱に気づいた。
「……ん?」
足元に転がっていたのは、一辺が三十センチほどの無地の箱だった。
通販はよく利用するが、直近で何かを注文した記憶はない。ポケットからスマートフォンを取り出し、Amazon(アマゾン)の購入履歴やFedEx(フェデックス)のトラッキング(配送追跡)を確認するが、何もヒットしない。
「誤配か?」
箱を持ち上げてみる。見た目以上に、ずしりと重い。
だが、ラベルに印字された宛名は間違いなく『Mr. Soichi Kudo(工藤創一様)』であり、この家の住所だった。
視線を送り主の欄へ移す。
そこに印字されていた文字を見て、創一は動きを止めた。
『From(差出人): 賢者・猫とKAMIと銀河帝国「日本国」の工場長』
「…………」
瞬きを二度。もう一度、ラベルを凝視する。
「賢者……猫……KAMI……」
意味が分からない。さらにその後ろの単語。
「銀河帝国『日本国』……? なんだそれ」
創一はスマホのブラウザを開き、日本のニュースポータルサイトにアクセスした。
トップニュースは政治家のスキャンダルと、プロ野球の結果。
ごく普通の平和な日本だ。
「俺が帰ってない十年の間に、日本が密かに宇宙進出して銀河帝国になったとか……ないよな、当然」
それに『工場長』とは誰のことだ。
アメリカ暮らしが長い創一は、正体不明の郵便物に対する警戒心が日本にいた頃より強くなっている。爆発物や有害物質の可能性もゼロではない。
箱を耳に近づけ、軽く振ってみる。
カチャカチャといった音はしない。それどころか、これだけ重い何かが入っているはずなのに、中で動く気配そのものがない。時限爆弾のようなチクタク音も、異臭もなかった。
「……まあ、開けてみるか。これで爆発したら、化けて出てこの送り主を呪ってやる」
玄関ホールに入り、キッチンからカッターナイフを持ってきた。
慎重にテープを切り裂き、フラップを開ける。
中には、緩衝材すら入っていなかった。
それなのに、鈍い銀色の光を放つ金属製の立方体(キューブ)は、箱の中央で空間そのものに縫い止められたように微動だにせず鎮座していた。
「……なんだこれ」
手のひらに乗る程度のサイズだが、見た目からは想像できないほどの密度を感じる。箱を振っても動かなかった理由は分からない。そして何より目を引くのは、その表面だ。
継ぎ目が一切ない滑らかな面に、見たこともない微細な幾何学模様――まるで高度な集積回路の配線図のような溝が、びっしりと刻まれている。
エンジニアとしての好奇心が、理性を凌駕した。
「すごいな……これ、どうやって削り出したんだ? 3Dプリンタ? いや、この精度は……」
気がつけば、創一は無意識に手を伸ばしていた。
指先が、冷たい金属の表面に触れる。
その瞬間だった。
『——生体電位検出』
耳からではなく、脳髄に直接響く無機質な声。
「Whoa!?(うわっ!?)」
思わず英語で叫び、手を引っ込めようとした。だが遅かった。
キューブがまるで意志を持った水銀のようにドロリと融解し、創一の右手へと這い上がってきたのだ。
「No, no, no, no!(待て待て待て待て!)――なんだこれ!?」
パニックになりながら左手で引き剥がそうとするが、銀色の液体は皮膚の毛穴からするりと侵入し、神経系へと潜り込んでいく。痛みはない。ただ、熱いデータの奔流が血管を逆流し、脳へと直接流れ込んでくるような強烈な感覚があった。
【ユーザー認証:工藤 創一(Engineer/エンジニア)】
【権限レベル:管理者(Administrator/アドミニストレーター)】
【システム同期率……100%。セットアップを開始します】
視界が明滅する。網膜の上に、鮮やかなオレンジ色のグリッドと、半透明のウィンドウが次々とオーバーレイされていく。
それは、彼が仕事で見慣れたコンソール画面のようでありながら、比較にならないほど洗練されたUI(ユーザーインターフェース)だった。
[SYSTEM READY/システム準備完了]
[拡張現実(Augmented Reality/AR)インターフェース:オンライン]
[インベントリ空間:接続完了]
空中に浮かぶウィンドウを呆然と見つめる創一の耳に――いや、脳内に、今度は秘書のように落ち着いた女性の声が響いた。
『はじめまして、マスター。私はシステム・ナビゲーターのイヴ(Eve/イヴ)です。貴方の惑星開発をサポートするために起動しました』
「イヴ……? というか、お前、日本語なんだな。……あと、この箱の送り主は誰なんだ?」
とっさに出たのは、そんな間抜けな感想だった。
『はい。マスターの第一言語(ネイティブ・ランゲージ)の脳波パターンに最適化されています。不都合がございましたら英語への切り替えも可能です。なお、発送者に関する情報は保護領域に指定されており、現時点では私から開示できません』
「いや、日本語で頼む。めちゃくちゃ助かる。……送り主の方は答えられないのか。まあ、今はいいか」
十年以上アメリカにいても、いざという時の緊急事態や、複雑な思考を要する場面では、母国語の方が圧倒的に処理が早い。脳内まで英語で仕事をするのは勘弁してほしかった。送り主の正体は気になったが、答えが出ないなら後回しだ。
状況が飲み込めない創一の視界に、一際大きなウィンドウがポップアップした。
[MAIN QUEST/メインクエスト: Hello, New World/こんにちは、新世界]
指令: ゲート・キューブを展開し、ポータルを開放せよ。
目標: 未知の領域への到達。
報酬: 携帯型惑星スキャナー、基礎採掘機セット
「クエスト……? ゲートを開けって、どこにだよ。家の中にか?」
言いながらも、創一の右手が勝手に動こうとする。頭で理解するより先に、神経に「操作方法」が直接インストールされている感覚だ。
彼は周囲を見回した。リビングのテレビ前では狭すぎる。
視線をガレージへ向ける。愛車のSUVが停まっているが、スペースにはまだ余裕がある。
「……ここなら、何が出ても多少は大丈夫だろ」
彼はガレージの電動シャッターを完全に下ろし、SUVに乗り直して壁ギリギリまでバックさせた。
広くなったコンクリートの床の中央に立ち、何もない空間に向かって、スマートフォンのロックを解除するように指を滑らせる。
ブゥンッ……。
空気が軋むような重低音。
ガレージの空間が縦に裂け、漆黒の渦が口を開けた。
次元の裂け目。そこから吹き込んできたのは、カリフォルニアの乾いた夜風とは全く違う、鼻を突くような鉄錆の匂いと、濃厚な土の匂いだった。
「……Seriously?(マジか?)」
創一は息を呑んだ。
VRでもホログラムでもない。頬を撫でる風の冷たさが、圧倒的な現実感を伴っている。
恐る恐る、黒い渦の中に右手を突っ込んでみる。
気温が違う。少しひんやりとしていて、空気の密度も違う気がする。
本物だ。
裂け目の向こうには、夕暮れとも夜明けともつかない、紫がかった空が見えた。
「行くしか、ないよな」
彼はスニーカーの紐を締め直し、意を決してその渦へと足を踏み入れた。
一瞬の浮遊感の後、足裏に伝わる感触がコンクリートから柔らかい土へと変わる。
目を開けると、そこは見渡す限りの荒野だった。
空は淡い紫色。地平線には、地球の植生とは明らかに異なる、不気味に捻じれた木々が群生している。
そして、空には巨大なガス惑星が青白く輝いていた。
『エリア移動を確認:惑星 [Terra Nova/テラ・ノヴァ]』
『クエスト達成。報酬を受け取ります』
システム音声と共に、足元に武骨な端末といくつかの工具が転がり落ちた。
「これが報酬……惑星スキャナーか」
端末を拾い上げ、トリガーを引く。扇状のレーザーが前方の荒野を薙ぎ払うと、視界に無数のグリッド線と数値がオーバーレイされた。
[資源反応を検出]
鉄鉱石 (Iron Ore/鉄鉱石): 埋蔵量 4.8B t(48億トン) - 純度 100%
石炭 (Coal/石炭): 埋蔵量 2.1B t(21億トン)
銅鉱石 (Copper Ore/銅鉱石): 埋蔵量 1.5B t(15億トン)
「4.8ギガ……48億トン。しかも純度100パーセント?」
創一は絶句した。
目の前に広がるただの岩場が、すべて高純度の鉄の塊。しかもイヴによれば、これは携帯型スキャナーで現在地周辺の浅い地層から確認できた、採掘容易な鉱床だけだという。地球なら国家の資源戦略がひっくり返るような量が、足の踏み場もないほど転がっている。
だが、創一のエンジニアとしての魂を真に震わせたのは、資源の莫大な資産価値ではなかった。
次にポップアップしたクエストだ。
[QUEST/クエスト: Burner Age/燃料時代]
指令: 資源を採取し、最初の自動化設備を稼働させよ。
目標: 燃料式掘削機の設置。
「……採掘機」
目が輝いた。
彼は足元の石や石炭を、ツールを使って次々と掘り出した。岩を砕くたびに素材がインベントリに吸い込まれていく。物理的な疲労はほとんど感じない。
UIを開き、『石の炉』と『燃料式掘削機』をクラフトする。
脳内で念じるだけで、手元で光が収束し、ずっしりと重い産業機械が完成した。
「設置……ここだ」
鉄鉱脈の上に、巨大な鋼鉄のドリルを置く。
燃料スロットに掘りたての石炭を放り込んだ。
ボッ!
排気筒から黒煙が噴き出し、内部の燃焼機関が唸りを上げる。
ガガガガガガガッ!!
静寂だった荒野に、暴力的な掘削音が轟いた。巨大なドリルが大地を削り、排出口からボロボロと鉄鉱石が吐き出され、地面に積み上がっていく。
十秒。二十秒。三十秒。
創一は、ただ黙ってそれを見つめていた。
自分は今、何もしていない。指一本動かしていない。
それなのに、目の前の機械が休むことなく働き、確実に成果(鉄鉱石)を生み出し続けている。
「…………」
会社での日々が脳裏をよぎった。
システムが正常に稼働していて当たり前。一度でも停止すれば、深夜だろうが休日だろうが電話が鳴り、顧客と上司から容赦なく詰められる。
必死にコードをリファクタリングしてパフォーマンスを改善しても、返ってくるのは「じゃあ、次はもっとサーバーコストを削減できるよな?」という理不尽な要求だけ。
他人が作ったブラックボックスの尻拭いをし、終わりのないマイナスをゼロに戻すだけの作業。
だが、ここは違う。
俺がこの機械を置いた。俺の意思で。
仕様変更を押し付けてくる顧客もいない。コスト削減を叫ぶディレクターもいない。面倒な決裁プロセスも、理不尽な評価面談もない。
一台置けば、一台分の働きをする。極めて純粋で、透明な世界。
「……はは」
笑いが込み上げてきた。
「ははははは!」
誰もいない荒野で、創一は腹を抱えて笑った。
面白すぎる。こんなに純粋な「構築」の喜びを感じたのは、いつ以来だろう。
「なあ、イヴ。これ、もう一台作ったら、採掘量は倍になるのか?」
『概ね、その認識で正しいです。設置場所の鉱脈密度にもよりますが』
「二台追加したら?」
『約三倍です』
「この掘り出した鉱石、手で運ぶの面倒だな。ベルトコンベアみたいなのは?」
『テクノロジーツリーの研究を進めることで、アンロック可能です』
「炉への自動投入は?」
『インサータ(自動アーム)技術が存在します』
完璧だ。
創一の脳内で、凄まじい量のドーパミンが分泌された。
運用保守(メンテナンス)はもう終わりだ。これからは、純度100パーセントの開発(デベロップメント)の時間だ。
「あと一個だけ……炉をもう二つ増やそう」
「石炭側にも掘削機を置かないと燃料が回らないな」
「いや、配置が悪い。ここならベルトをまっすぐ通せるじゃん」
彼は夢中になって荒野を駆け回り、機械を配置し、ラインを微調整した。
子供が時間を忘れてブロック遊びに没頭するように。
――ピロリン。
突然、ポケットの中のスマートフォンが鳴った。
我に返り、画面を見る。
時刻は午前八時。地球ではすでに朝を迎えていた。
Slack(スラック)の通知。Teams(チームズ)のメンション。監視システムからのアラートメール。
『Morning, Soichi. Need you to look at the legacy billing issue before stand-up.(おはよう創一。朝会の前に、レガシービリングの問題を見てくれないか)』
直属のディレクターからのメッセージだった。
創一は、スマホの画面を見た。
そして、顔を上げて、目の前に広がる自分の工場を見た。
ガガガガガ、と小気味よい音を立てて動く掘削機。
赤々と燃える石の炉。
自分だけの、完璧な小さな王国。
「…………」
再びスマホを見る。
工場を見る。
「……よし」
創一は、スッと真顔になった。
「イヴ」
『はい、マスター』
「仕事辞めよう」
『…………』
即答するはずのAIが、初めて微妙な間を置いた。
『マスター。ゲート開通から、地球時間でまだ約六時間しか経過していません』
「うん」
『現在の社会的地位を放棄するという、重大な職業上の意思決定としては、判断が早すぎる可能性があります』
「でも、こっちの方が圧倒的に楽しいぞ?」
『それは否定しません』
「俺の口座の貯金と、投資信託の残高、わかるか?」
イヴが視界の隅に、現在の資産状況と、毎月の固定費の試算を弾き出した。家賃、車両費、税金、そして退職後に個人で負担することになる医療保険料まで含まれている。
「今の生活水準を維持しても、しばらくは全く働かなくても生きていける。外食を控えて節約すれば、さらに数年は延びる。グリーンカードもあるから、仕事を辞めたからってすぐ国外退去になるわけでもない」
『給与収入が完全に途絶えます。また、雇用主提供の医療保険も失効します』
「それも込みで計算してる。必要ならCOBRA(退職後医療保険継続制度)でも個人契約でも払える。その代わり、一日二十四時間をフルで使える。時間が圧倒的に増える」
『……テラ・ノヴァの生産能力と拡張速度は、飛躍的に向上します』
「だろ?」
『……マスターの決断の合理性を、完全には否定できません』
「よし、決まりだ」
人生の絶望から逃げるわけではない。
ただ純粋に、「こっちの方が面白いから」という理由で、十年積み上げたキャリアを投げ捨てる。
独身で、住宅ローンもなく、扶養家族もいない身軽さゆえの暴挙だった。
一旦地球の自宅へ戻り、シャワーを浴びて濃いコーヒーを淹れる。
会社支給のラップトップを開き、上司にダイレクトメッセージを送った。
『少し話せますか』
すぐにビデオ通話のリンクが送られてきた。
画面越しに、見慣れた上司の顔が映る。
「Hey, Soichi.(やあ、創一)何かあった? ビリングの件なら――」
「I'm quitting.(辞めます)」
単刀直入に告げた。
上司は目を丸くし、コーヒーカップを持ったまま固まった。
「……Wow.(驚いたな)日本に帰るのか?」
ごく自然な反応だった。最近、雑談の中で「そろそろ親も年だし」という話をしたことがあったからだ。
創一は少し考え、曖昧に微笑んだ。
「Maybe. Eventually.(たぶん。そのうち)」
「待遇に不満があるなら言ってくれ。スタッフエンジニアへのプロモーションも考えてるし、有給を取ってリフレッシュしてもいい」
「いや、会社が嫌になったわけじゃないんです。本当に」
これは本心だった。右も左も分からなかった若い自分を拾い、ここまで育ててくれたこの会社には感謝している。
「ちょっと、どうしてもやりたいことができたんです。フルタイムで没頭したいプロジェクトが」
上司は少しの間沈黙し、やがて苦笑しながら頷いた。
「You're a good engineer, Soichi. We'll miss you.(君は優秀なエンジニアだ、創一。寂しくなるよ)」
「十年以上、本当にありがとうございました」
アメリカの企業文化らしく、退職の意思決定はドライで迅速だ。その日のうちにHR(人事部)とのやり取りが始まり、引き継ぎのスケジュールが組まれた。
こうして工藤創一は、良好なアメリカ生活を自らの意思で突然断ち切り、無職(フリーランスの異星開拓者)となった。
【DAY 2/2日目】
数日後。
引き継ぎを終え、完全に自由の身となった創一は、愛車のSUVを走らせて巨大なホームセンター『Home Depot(ホーム・デポ)』へ向かった。
後部座席をフラットに倒し、カートいっぱいに資材を積み込んでいく。
電動工具、大型のLED作業灯、数百メートルの延長コード、ガソリンの携行缶、大量のミネラルウォーター、高カロリーなプロテインバーや保存食、折り畳みのキャンプチェアに、防塵マスク。
レジで山積みの商品をスキャンしながら、タトゥーの入った大柄な店員がニヤリと笑った。
「Big project?(でかい計画かい?)」
「Very big.(ああ、かなりね)」
創一は笑顔でクレジットカードを切った。嘘はついていない。惑星を一つ丸ごと改造するのだから。
自宅のガレージに戻ると、彼はイヴに指示を出した。
「イヴ、このゲート、車ごと通れるくらい広げられるか?」
『ゲート開口幅の拡張を実行します。莫大なエネルギーを消費しますが、現在のキューブの残量で対応可能です』
ブゥゥゥン……!!
空間の裂け目が横に広がり、SUVが余裕で通れるサイズの巨大なポータルが形成された。
「マジか……最高だな」
創一は運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
そのままアクセルを踏み込み、ガレージから直接、紫色の空が広がる異世界へと車を滑り込ませる。
タイヤがコンクリートから、赤茶色の荒野の土を掴む感触。
未舗装の悪路に車体が大きく揺れるが、サスペンションがしっかりと衝撃を吸収してくれる。
「すげえええええ!!」
創一は窓を全開にし、歓声を上げながら荒野を爆走した。
徒歩で往復していた銅鉱脈までの距離が、車ならほんの数分だ。エアコンも効くし、音楽も聴ける。何より、大量の資材を一度に運べる。
アメリカ社会で十数年暮らし、自動車の利便性を骨の髄まで知っている彼にとって、異星でのモビリティ確保は革命だった。
「車って、本当に偉大だな……」
【DAY 3~4/3~4日目】
その後数日は、怒涛の開発ラッシュだった。
時間を気にせず没頭できる環境は、創一のエンジニアとしてのポテンシャルを限界まで引き出した。
燃料式掘削機の増設。石の炉の並列化。
そしてついに、テクノロジーツリーから『ベルトコンベア』と『インサータ(自動アーム)』をアンロックした。
鉄鉱脈から伸びる黒いベルトコンベア。その上を、砕かれた鉄鉱石が絶え間なく流れていく。
炉の前に設置されたインサータが、規則正しい機械音と共に鉱石を掴み、炉の中へ放り込む。
精錬された鉄板は、反対側のインサータによって取り出され、保管用の木箱へと整然と積み上げられていく。
カタカタカタ……。ガコン。シューッ。
「うわぁ……」
創一は、SUVのボンネットに腰掛け、ミネラルウォーターを飲みながらその光景を眺めていた。
採掘から搬送、精錬、そして備蓄まで。
人間の手を一切介さない、完全なる自動化ラインの完成。
「できた……!」
彼は拳を強く握りしめた。
「俺、ここで座って水飲んでるだけなのに、何もしなくても鉄板がどんどん増えてる!」
満面の笑み。
仕事のストレスから解放され、純粋な知的好奇心と構築の喜びに満たされた男の顔だった。
『現在の基礎生産ライン自動化率、72%』
脳内でイヴが淡々と報告する。
「七十二パーセント!? これでもまだそんなもんか」
『はい。残りの28%は、掘削機と炉への燃料(石炭)の手動補給、完成した製品の回収、および遠隔地からの資源輸送プロセスです』
「よし、じゃあ次は石炭ラインをコンベアで引っ張ってきて、燃料補給も完全自動化しよう」
『マスター。連続稼働時間が地球時間で十八時間を超えています。生体バイタルの低下を検知。休息を強く推奨します』
「あと一個だけ! あのベルトを繋ぐまで!」
完全に工場ゲームの廃人と化していた。
だが、そんな平和な開拓生活に、最初の試練が訪れた。
『――警告。敵性生物の接近を検知』
イヴの声が、いつになく鋭く響いた。
「……ゲームなら、そろそろ来る頃だと思ってたよ」
創一はSUVのトランクから、事前に研究・クラフトしておいた『サブマシンガン』を取り出し、弾倉を装着した。地球側で銃を調達する案も一瞬考えたが、購入履歴を残し、別規格の弾薬を買い続けるより、銃も弾薬もテラ・ノヴァ側で自給できる体制を作った方が運用上は楽だと判断したのだ。
工場の稼働音と、炉から排出される黒煙。それらが引き起こす環境汚染が、この星の先住生物を刺激したのだ。
荒野の茂みを掻き分け、姿を現したのは、硬質な甲殻と凶悪な顎を持つ多脚生物――『バイター』だった。
キシャァァァッ!と威嚇音を上げ、恐ろしいスピードで突進してくる。
初戦。
恐怖はあった。だが、研究によって脳にインストールされた「火器の取り扱い技能」が、彼の手足を冷静に動かした。
ダダダダダダッ!!
的確なリコイルコントロールで放たれた弾丸が、バイターの急所を貫く。
緑色の体液を撒き散らし、怪物は地面に倒れ伏した。
「はぁ……はぁ……勝った」
銃口から立ち昇る硝煙の匂い。
恐る恐る死骸に近づくと、その一部が光の粒子となって分解され、インベントリに吸い込まれた。
【Biomatter/バイオマター ×1】
『マスター。その素材を使用することで、新たなアイテム【医療用キット】を作成可能です』
「医療用キット? HP回復アイテムみたいなもんか」
『より正確には、生体組織を劇的に修復・最適化する、ナノマシンシステムのインジェクターです』
イヴが視界にレシピを表示する。
応急処置キット、バイオマター、木材、そして……。
「……Fish(生魚)?」
『はい。Fish(生魚)です』
「なんでだよ! 異星のオーバーテクノロジーになんで魚が必要なんだよ!」
『生体タンパク質のベースとして、未加工の魚類が最も安定した触媒となるためです』
相変わらずの謎仕様だった。
異星の荒野で魚釣りなどしている暇はない。創一はSUVに乗り込み、地球へと戻った。
向かったのは、自宅から車で二十分ほどの距離にある、大型のアジア系スーパーマーケット。
白人やヒスパニックの客が行き交う中、創一は鮮魚コーナーで氷の上に並べられた丸ごとのティラピア(白身魚)をパックに詰めた。
「まさか、異星文明の万能薬を作るために、アメリカのスーパーで魚買うことになるとはな……」
ついでに、今夜の夕食用の分厚いリブアイステーキと、地元のクラフトビール、ナチョス用のスナックを買い込む。
完全に無職の休日を満喫しているオッサンだった。
自宅に戻り、キッチンでクラフトを実行する。
光の粒子が収束し、完成したのは、エメラルドグリーンの液体が満たされた、スタイリッシュなインジェクターだった。
「さて、どうするかな」
創一は自分の肩を回した。ゴキゴキと鈍い音がする。
日本にいた頃ほど死んではいないが、十年以上アメリカでレガシーシステムと格闘してきたのだ。慢性的な腰痛、肩こり、ドライアイ、そして抜けきれない軽い疲労感は、三十代の肉体に確実に蓄積されている。
創一は投与前にイヴへ安全性を再確認した。有害物質は検出されず、ナノマシンによる修復プロセスにも問題はない。その回答を聞いて、短く息を吐く。「……よし。なら試すか」
彼は迷うことなく、インジェクターの先端を自分の腕に押し当てた。
プシュッ。
冷たい液体が血管に流れ込む。
次の瞬間、全身の細胞が沸騰するような熱感に包まれた。
「うおっ……!?」
骨格が正しい位置に矯正され、凝り固まった筋肉がほぐれていく。
数分後。熱が引いた時、創一は自分の手を見つめて呆然とした。
視界が恐ろしくクリアだ。
腰痛は完全に消滅し、体が羽根のように軽い。
「……うわ」
その場で軽くジャンプし、体を捻ってみる。
関節の可動域が広がっている。
「すげえ。二十歳の頃より動くぞ、これ」
『生体機能の修復および最適化、完了しました』
イヴの報告を聞きながら、創一はブルリと身震いした。
工場ゲームの延長だと思っていた。だが、このアイテムは現実の地球社会の根幹をひっくり返せるほどの「劇薬」だ。
「……これ、誰かに調べてもらったらどうなるんだろ」
世界を牛耳ろうなどという野心はない。ただ、純粋な好奇心だった。
自分が手にしたこのオモチャ(オーバーテクノロジー)を、地球の最先端のプロフェッショナルたちが見たら、どんな顔をするのか。ちょっと驚かせてみたい。
『適切な判断です。マスター一人で解析するには限界があります』
「アメリカの医療研究のトップっていったら……NIH(National Institutes of Health/アメリカ国立衛生研究所)か?」
スマホで検索する。メリーランド州にある、世界最大級の生物医学研究拠点。
創一は、余った素材でもう一本医療用キットを作り、適当な段ボール箱に緩衝材と共に放り込んだ。
「宛先は……まあ、NIHの本部住所でいいだろ。国立だし、誰か偉い人が見るだろ」
極めて雑な判断だった。巨大な組織の、どの研究所の、どの部門宛てか。一切指定せずに、代表住所へ送りつける。
そして、パソコンで添え状を作成する。もちろん英文で。
『奇妙な装置を山中で拾った。
負傷した動物に使ってみたところ、異常な速度で治癒した。
自分では扱いきれないため、専門機関で分析してほしい。
人類の役に立つ可能性がある。
――A concerned citizen.(一人の憂慮する市民より)』
プリントアウトした紙を箱に同梱し、ガムテープで封をする。
「よし。これで完璧だ」
『マスター。その文面は、かなり不審です』
「そうか? 匿名の善良な市民っぽくていいじゃん」
『“善良”であることを自己申告する必要は通常ありません』
「細かいな、お前は」
創一は車のキーを手に取り、玄関へ向かおうとした。
「FedEx(フェデックス)かUPS(ユーピーエス)で送れば、明後日くらいにはメリーランドに届くな。そこから分析が始まるとして……一週間くらいで、ニュースに出たりしてな」
期待に胸を膨らませる創一に対し、イヴはまず『なお、その発送方法では配送記録からマスターの身元を追跡される可能性が極めて高いです』と釘を刺し、そのうえでさらに冷酷に告げた。
『いいえ、マスター』
「ん?」
『本サンプルが、実際に科学的分析のプロセスへ到達するまで、最低でも一か月程度を想定してください』
創一は足を止めた。
「…………え?」
『一か月です』
「いやいやいや」
創一は笑った。
「NIHだぞ? アメリカだぞ? 世界トップクラスの研究機関だろ? もっとスピーディーに動くって」
『だからこそです』
「?」
『第一に、受取人が指定されていません。第二に、彼らが依頼した研究試料ではありません。第三に、差出人不明の液体入りインジェクターです』
「……まあ、そうだな」
『第四に、添付文書には「怪我が瞬時に治る」という、非科学的な主張が記載されています』
「本当のことじゃん」
『受取側には分かりません』
イヴはさらに続けた。
『NIHのような巨大連邦機関において、宛先不明の不審物は以下のプロセスを経ます。
セキュリティ確認、不審物・爆発物判定、郵便物仕分けセンターでの滞留、担当部署の選定会議、たらい回しの転送、再判定、一時保管……そして最後に、担当者による開封判断』
「…………」
『その後、誰かが“ゴミ箱に捨てずに、念のため調べてみよう”と判断して、初めて分析が始まります』
「待って」
『はい』
「捨てられる可能性、あるの?」
『大いにあります。狂人のイタズラと判定される確率が85%です』
「これ、世界を変える万能薬だぞ!?」
『先方は知りません』
完璧な正論だった。
アメリカ社会の合理性と、官僚機構の硬直化。十数年働いてきた創一自身が、誰よりもよく知っているはずだった。
「いやー……でもさ、さすがに一か月はないだろ」
『マスター』
「アメリカの底力を舐めちゃいけない。こういうヤバい技術には敏感だって」
『発見されれば、極めて迅速に動くでしょう。国防総省も絡んでくるはずです』
「ほら」
『問題は、発見されるまでです』
「…………」
『最低一か月です』
「まさかー。二週間」
『困難です』
「……三週間」
『楽観的です』
「…………一か月?」
『はい』
創一は、手元の段ボール箱を見つめた。
人類の運命を変えるかもしれないパンドラの箱が、ただの「面倒な郵便物」として扱われる未来。
「……まあ、いいや」
彼の切り替えは速かった。
「送るだけ送ろう。その間に、俺は工場を育てればいいしな」
『非常にマスターらしい、建設的な結論です』
創一は箱を小脇に抱え、ガレージへ向かった。
「帰ろう、イヴ」
『どちらへ?』
イヴの問いかけに、創一は一瞬だけ足を止めた。
今いるのは地球だ。普通なら、用事を済ませて「家に帰る」と言う場面だ。
だが、今の彼にとっての帰るべき場所は、もう一つしかなかった。
「工場だよ」
SUVのエンジンをかけ、シャッターを下ろしたままのガレージ内で、ゲートを展開する。
空間が裂け、紫色の空が見える。
創一はアクセルを踏み込み、愛車と共に異世界へと吸い込まれていった。
惑星テラ・ノヴァ。
自動化された小さな工場。
黒いベルトコンベアの上を、砕かれた鉄鉱石が川のように流れている。赤々と燃える炉が煙を吹き上げ、鋼鉄のドリルが絶え間なく大地を削る。
SUVの運転席からその光景を眺め、創一は満面の笑みを浮かべた。
「よーし! NIHのお役人たちがのんびり仕分け作業してる間に、次は蒸気機関を作って、電力網(パワーグリッド)を構築するぞ!」
『マスター。先ほど会社を退職したばかりですが、休まなくてよろしいのですか?』
「だから、時間が無限にあるんだろ!」
創一はギアをドライブに入れ、アクセルを踏み込んだ。
白いSUVが、赤茶色の大地に盛大な土煙を上げて走り出す。
そして地球では、人類史を根底から覆すオーパーツ――医療用キットが、ごく普通の宅配業者のトラックに乗せられ、広大なアメリカ大陸を東海岸のメリーランド州へと向かってゆっくりと運ばれようとしていた。
工藤創一は、まだ知らない。
イヴの弾き出した「最低一か月」という見積もりが、決して悲観的な数字などではなく、極めて正確な予測であったことを。
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