自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route― 作:パラレル・ゲーマー
インターネットという虚構の海が「スターゲイト」や「地球外生命体(オフワールダー)」というセンセーショナルな言葉で爆発し、世界中が熱狂の渦に巻き込まれた翌日。
現実世界における政治の心臓部、ワシントンD.C.のホワイトハウスは、朝からけたたましい電話のベルと、各国からの外交電報の処理に追われていた。
国務省、国防総省、そしてホワイトハウスの通信回線は、パンク寸前だった。
英国、フランス、ドイツ。EU、NATO。
日本、韓国、カナダ、オーストラリア。
さらには中国、インド、そして国連。
世界中のありとあらゆる国と機関からの緊急の問い合わせが、津波のようにアメリカ合衆国政府へと押し寄せていた。
質問の内容は、どれも大同小異だ。
「アメリカ政府は、いつから地球外世界へのアクセスを保有していたのか」
「同盟国との共有予定はあるのか」
「取得した科学データを公開する意思はあるか」
「『テラ・ノヴァ』の法的地位はどうなっているのか」
「国際的な科学調査団の受け入れは可能か」
そして、最も核心を突く、究極の質問。
「テラ・ノヴァは、アメリカ合衆国の『所有物』なのか?」
大統領執務室(オーバル・オフィス)。
各国からの照会文書の束が積み上げられたデスクを前に、ダグラス首席補佐官が重いため息をついた。
「大統領。『予想通り』という言葉で片付けるには、少し数が多すぎます。国連加盟国の半分近くから、正式な問い合わせが来ています」
対するロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領は、エスプレッソのカップを片手に、大して動じた様子もなく窓の外を眺めていた。
「残り半分も、昼までには来るだろう」
「……どう対応しますか?」
「国務省案は?」
「国際社会との協調を重視する声明を出し、情報の透明性をアピールすべきだ、と」
ウォーレンは小さく鼻を鳴らした。
「声明を出すのは構わん。科学的知見については、可能な範囲で共有する。地球への未知の病原菌の持ち込みを防ぐための検疫プロトコルや、安全保障上の懸念についても、同盟国とは協議する」
大統領はダグラスに向き直り、極めて冷徹な声で言った。
「だが。我々が持っていないものを、国際社会へ差し出す約束だけはするな」
ダグラスは無言で頷いた。
この部屋にいる者は皆、理解している。
ゲートも、テラ・ノヴァという広大な惑星も、決してアメリカ合衆国の所有物ではない。
あれは『彼』のものだ。
正確に言えば、システム管理者としてあの空間へのアクセス権とインフラを完全に握っている、工藤創一という一人の男の所有物なのだ。
◆
数時間後。ホワイトハウスの記者会見室。
レベッカ・ヘイル報道官が演壇に立った。
普段は冷静沈着な彼女だが、今日ばかりは、記者席から放たれる熱気と殺気のようなプレッシャーに、微かな緊張を強いられていた。
記者(最前列):
「ヘイル報道官! 欧州各国、および国連の事務総長から、『テラ・ノヴァは全人類共有の科学的資産であるべきだ』との強い意見が出ています。アメリカは、あの世界を独占するおつもりですか?」
報道官:
「そのような意見が国際社会に存在することは承知しています。しかし、合衆国政府が何かを“独占”しているという表現は、適切ではありません」
記者:
「では、各国の要請通り、国際調査団の受け入れを行うのですか?」
報道官:
「現時点では、そのような予定はありません」
記者:
「なぜです? 独占する意図がないのであれば、国際社会のアクセスを許可すべきです」
報道官:
「安全保障上の観点もありますが、最大の理由は……合衆国政府には、そのアクセス許可を単独で出す権限が存在しないためです」
記者室が、一瞬だけ水を打ったように静まり返った。
記者たちの頭の中に、巨大なクエスチョンマークが浮かぶ。
記者(戸惑いながら):
「……どういう意味ですか? テラ・ノヴァは、アメリカの領土(テリトリー)ではないということですか?」
報道官:
「合衆国政府は現在、当該環境へのアクセスルートを確保し、調査を行っています。しかし、当該環境そのものに対する領有権や、所有権を主張しているわけではありません」
当然だ。別世界の惑星丸ごとの所有権など、主張できるわけがない。
記者(怒声を交えて):
「では、誰が所有しているんですか!? アクセスを許可する権限は、誰が持っているんですか!」
報道官は、秘密会議でノア・マクドウェルと擦り合わせた『回答マニュアル』の通りに、表情を変えずに答えた。
報道官:
「所有権に関するご質問については、所有者本人へお問い合わせください」
記者:
「だから、その所有者が誰なんです!?」
報道官:
「協力主体の身元および詳細については、安全保障上の機密事項です」
記者室が、ざわざわと波立ち始める。
機密の協力主体。別世界へのアクセス権を握る存在。
記者たち全員の頭に、昨夜ネットを席巻した、あの六文字のアルファベットが浮かんだ。
記者:
「つまり……『OFFWORLDER(オフワールダー)』が、TERRA NOVAを所有しているという意味ですか!?」
報道官:
「私は、そのような発言はしていません」
記者:
「否定もしないのですね!?」
報道官:
「申し上げた通りです」
会見は終了した。
数分後、ネット上には新たなメガトン級の爆弾が投下された。
『テラ・ノヴァは、宇宙人(OFFWORLDER)の私有惑星だった!!!!』
『アメリカ政府、宇宙人の許可が出ないから国際調査団を入れられないと公式発表!』
政府は、そんなことは一言も言っていない。
だが、完璧に計算された「言わないこと」によって、世界は自分たちの見たい真実(オカルト)へと、勝手に猛ダッシュで駆け抜けていった。
◆
アメリカ政府の基本姿勢は、極めて強気だった。
世界中から「人類全体で共有しろ!」「国連の管理下に置け!」と凄まれても、ウォーレン政権は全く慌てなかった。
圧倒的な覇権国家。軍事力、経済力、外交力。
そして何より、現在地球上で「テラ・ノヴァへ安定アクセスできるルート」を独占している唯一の国家なのだ。
焦る必要などどこにもない。
「中国政府は、国際的な共同管理体制の即時構築を強く要求してきています」
国務長官が報告する。
「却下だ」
大統領は即答した。
「EUは、独立した国際科学委員会の設置を——」
「検討はする」
「いつですか?」
「あちらの安全が完全に確認されてからだ」
「国連事務総長が、今夜にも遺憾の意を表明する声明を出すそうです」
「声明には敬意を払うと伝えておけ」
「実質的には?」
ダグラスが確認する。
「何もしない」
ウォーレンはコーヒーを飲んだ。
もちろん、あからさまに横暴な振る舞いはしない。
共同研究の可能性、環境データの共有、将来的な国際参加の余地。そうした「夢」は否定せず、各国の期待を繋ぎ止めておく。
だが、プロジェクトの主導権(アクセスゲートの物理的・政治的な支配権)だけは、絶対に誰にも渡さない。
「なら、その『所有者(オフワールダー)』と直接交渉させろ!」
各国の大使が国務省に詰め寄る。
「本人の同意がありません」
「連絡先を教えろ!」
「安全上の機密です」
「ではアメリカが仲介の労を取るべきだ!」
「必要性を慎重に検討いたします」
事実上、世界中がアメリカを通すしかない状況が完成していた。
これが、現在のアメリカ合衆国が取れる、覇権国家としての振る舞いだった。
英国など、NATOの主要な同盟国は比較的冷静だった。
「すべてを教えろとは言わない。だが、少なくとも同盟国として、安全保障上の説明は欲しい。あちら側に、地球を脅かすような軍事的脅威(侵略宇宙人)はいないのか?」
これに対し、米国は一定の範囲で情報開示を行った。
「敵性生物(バイター)は存在するが、彼らにゲートを越えて地球へ侵攻する能力や兆候はない。検疫は徹底している。米軍の拠点は防衛を目的としたものである」と。
だが、核心部分は絶対に非公開だ。
巨大工場。それを操る工藤創一という男。《THE SENDERS(送り主たち)》の存在。
そして何より——あの奇跡の『医療用キット』の存在は、分厚い鉄の扉の向こうに隠し通した。
◆
そして、日本。
日本政府からも、アメリカ国務省に対し正式な問い合わせが入っていた。
内容は、地球外環境の問題だけではない。
「現地の基地に、『日本人と思われる男性』が存在するとの報道およびネット上の情報について、確認したい」
日本の外務省担当者が、米国側に詰め寄る。
これに対するアメリカ側の回答は、極めて軽く、人を食ったようなものだった。
「テラ・ノヴァの現地施設には、軍人以外にも、多数の民間技術者や専門家が出入りしています。国籍別の個人情報については、プライバシーの観点から回答いたしかねます」
「しかし、日本国籍者がいる可能性があるのですか?」
「いても不思議ではないでしょう?」
アメリカ側の担当者は、肩をすくめた。
確かにその通りだ。アメリカは多民族国家であり、NASA、大学、民間企業、軍の契約業者には、世界中から優秀な頭脳が集まっている。その中に日本人が一人や二人いたところで、何ら不自然ではない。
「ネット上では、その日本人男性こそが、例の『OFFWORLDER』ではないかという推測すら飛び交っていますが——」
「日本政府ともあろうものが、ネットの出所不明な憶測をベースに公式な質問をされるのですか? 我々は、ネットの噂にコメントすることはありません」
終了。
完璧なまでに、すげなくあしらわれた。
日本、首相官邸。
外務省、防衛省、内閣情報調査室、公安警察のトップが集まり、緊急の協議が行われていた。
彼らは全員、納得していなかった。
「……要するに、アメリカは我々に何も教える気がないということだな」
官房長官が、苛立たしげにテーブルを叩いた。
「はい。のらりくらりと躱されました」
「現地の日本人……。それが本当に、あの『宇宙人(オフワールダー)』の正体なのか?
それとも、アメリカが作り出した目眩まし(カバーストーリー)の一部なのか?」
内調のトップが唸る。決定的な材料がない。
そこへ、外務省の担当者が新たな連絡を持ってきた。
「長官。在日アメリカ大使館から、別件扱いで極秘の会談要請が入りました」
◆
その日の午後。
霞が関の一角に設けられた極秘の会議室。
日本側の官僚たち(外務、内調、厚労のトップ)は、全員が「今度こそ、テラ・ノヴァの真相について何らかの説明があるはずだ」と身構えていた。
だが、現れたアメリカ側代表の口から出た言葉は、予想の斜め上を行くものだった。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます。
……さて。テラ・ノヴァの件ではなく、本日は『別件』でお話ししたいことがあります」
「別件?」
日本の官僚たちが怪訝な顔をする。
アメリカ側の代表は、手元のブリーフケースから一枚の資料を取り出し、テーブルの中央に置いた。
そこには、一人の日本人のプロフィール写真があった。
車椅子に乗り、酸素マスクをつけた、まだ八歳の少女。
「海道サクラさん」
米側代表が、静かにその名を口にした。
「海道グループ総帥、海道龍之介氏のお孫さんですね。
本日は、彼女の件についてお話ししたい」
日本側の全員に、一瞬で警戒の色が走った。
海道グループ。
重工、造船、航空宇宙、精密機械、物流、エネルギー、そして防衛産業。日本有数の——いや、世界有数の巨大企業グループであり、その総帥である海道龍之介は、政財界のフィクサーとして絶大な影響力を持っている。
その最愛の孫娘、海道サクラ。まだ八歳。重篤な先天性心疾患を抱え、幼い頃から治療を重ねてきたが、心臓組織は弱り切り、免疫系も崩れている。現在かなり危険な状態にあることは、政府のトップ層なら誰もが知っている公然の秘密だ。
「なぜ、アメリカ政府が海道会長の孫娘について?」
外務省の官僚が、慎重に問う。
米側代表は、あっさりと答えた。
「治療したいんです」
沈黙。
日本側の官僚たちは、相手が何を言っているのか、瞬時には理解できなかった。
「……何と?」
「サクラさんの病気を、我々アメリカ政府の持つ技術で治療させていただきたい」
「アメリカ政府が?」
「はい」
「なぜ、一企業の会長の孫を、国家間でわざわざ?」
米側代表は、ニコニコと極めてビジネスライクな笑顔を浮かべた。
「海道グループには、今後、ぜひ我々アメリカの良き『協力者』になっていただきたいと考えておりましてね」
これ。
全て本当のことだ。
ただし、『工藤創一(と彼に指示を出す謎の送り主)から名指しで救えと言われたから』という最大の核心部分だけは、綺麗に省かれている。
だが、日本政府の官僚たちは、その言葉を聞いてすぐに「理解(ピンときた)」した。
——ああ。そういうことか。
アメリカは今、テラ・ノヴァという超巨大プロジェクトを抱え込んでいる。
未知の惑星の開発、資源の採掘、基地の建設。それらには、国家の予算だけでなく、民間の巨大な生産力とサプライチェーンが不可欠だ。
重工業。造船のノウハウ。精密な工作機械。物流網。
海道グループの持つアセットは、その条件にこれ以上ないほどピッタリと合致する。
だから。
総帥の最愛の孫娘を救うことで、海道龍之介に巨大な「恩」を売り、彼らのグループ全体をテラ・ノヴァ・プロジェクトの協力企業(事実上の下請け)として取り込もうとしているのだ。
(……えげつない)
日本の官僚たちは、内心でアメリカの露骨な手腕に舌を巻いた。
だが、政治力学としては非常に分かりやすい。
「協力者が欲しいのであれば、海道氏本人と普通にビジネスの交渉をすればよいでしょう。なぜわざわざ、お孫さんを?」
外務省が問う。
「もちろん、そのつもりです。
ですが……お孫さんがお元気になった後の方が、ビジネスの話もスムーズに進むと思いませんか?」
「…………」
日本側は黙り込んだ。納得である。
サクラの命そのものが、「外交カード」として使われている。日本側にはそう見えた。
「そもそも」
厚労省の官僚が口を挟む。
「サクラさんを、本当に治せるのですか? 彼女の疾患は現代医学では——」
「おそらく、可能かと」
「“おそらく”?」
「我々としては、ほぼ確実と評価しています」
米側代表は事も無げに言う。
「治験段階の新薬、という扱いにしていただけると助かります」
「……前例がありません」
厚労省の官僚は、険しい顔で資料を見た。
「日本国内で投与する以上、薬事、倫理、病院側の承認手続きをこちらで整える必要があります。今夜いきなり注射、というわけにはいきません」
「もちろんです」
米側代表は頷いた。
「必要になると想定した資料は、すべて持参しています。治療前後のデータ、製剤情報、米国側の倫理審査記録、投与後の観察プロトコルまで」
「……準備がいいですね」
「急いでおりますので」
この雑さが、逆に不気味だった。
「口で説明するより早いですね。映像をご覧になりますか?」
米側代表がタブレットを操作し、動画を再生した。
最初の症例。
ジェームズ・マクラーレン軍曹。
IEDの爆発による四肢欠損。多臓器不全の重篤状態。
日本の医師も同席してカルテデータを確認していたが、映像を見てその表情が険しくなる。
そして——緑色のインジェクターが投与される。
腕が、脚が、組織が、神経が、血管が、骨が。
全てが再生していく。
治療後、マクラーレンは自分の脚でしっかりと立ち上がった。
日本側は、言葉を失った。
二つ目の症例。
ノア・マクドウェル。17歳。劇症型ALS。人工呼吸器に繋がれた末期状態。
投与後、数時間。
自力呼吸の再開。発声。そして歩行。
完全回復。さらに、身体機能、神経系、認知機能のすべてが、本人本来の生物学的ポテンシャルへと最適化(オプティマイズ)されている。
会議室は、水を打ったように静まり返った。
「……フェイクでは?」
一人の官僚が、絞り出すように言った。
「当然、そう思われますよね」
米側代表は全く気分を害さず、データの束を置いた。
「MRI、血液、遺伝子。治療前後の完全なデータです。ウォルター・リード陸軍医療センターなど、政府の公式な施設で記録されたものです。検証は、お好きなだけしていただいて構いません」
日本側の医師が、震える手でサクラのカルテデータと、アメリカから提示されたデータを照らし合わせた。
重篤な先天性心疾患。弱り切った心臓組織と免疫系。
だが。
「もし……」
医師の声が震えた。
「この薬が、映像通りの効果を発揮するなら」
一拍。
「海道さんの症状も、治せます」
「我々もそう判断しています」
米側代表が微笑む。
「副作用は?」
厚労省の官僚が、当然の疑問をぶつける。
「あります」
少し困ったような顔で、米側が答えた。
日本側が一気に緊張する。「何です?」
「身体の本来のポテンシャルが、ほぼ100%発揮されるようになります」
「…………」
「それは、副作用なのですか?」
「現状確認されている事象の中では、倫理委員会への報告上、一応そういう扱いになります」
米側代表の言葉に、思わず笑ってしまいそうになるのをこらえる空気が流れた。
具体的な説明が続く。
病気だけを治すわけではない。古傷、低下した視力、慢性的炎症、乱れた代謝、衰えた筋骨格、神経系、免疫。すべてが本人の遺伝的・生物学的な正常(ベスト)状態へとリセットされる。
ただし、知識が増えるわけではない。人格も変わらない。記憶もそのまま。空を飛べるようになるような超能力を得るわけでもない。
「本人としてあり得る、最も健康な状態になります。別人になるわけではありません」
「記憶障害や、知能操作、遺伝子改変(デザイン)は?」
「本人本来の設計範囲を逸脱する改変は、一切確認されていません」
「寿命は?」
「現段階では長期追跡データが存在しないため、不明です」
ここだけは分からないと、正直に言う。
日本側の官僚たちが、最も聞きたかった質問をぶつける。
「この医療技術は……『TERRA NOVA』に由来するものですか?」
米側代表は、少しだけ間を置いた。
「地球外由来の生体素材を一部利用しています」
「『OFFWORLDER』から提供された技術ですか?」
「協力主体に関するご質問には、回答できません」
日本側の官僚たちは、内心でほぼ確信した。
(間違いない。オフワールダーだ)
「ならば、ネットで噂されている『現地の日本人男性』と関係があるのか?
彼がこの治療技術に関与しているのですか?」
内調のトップが、食い下がる。
米側代表は、またしても肩をすくめた。
「先ほども申し上げましたが……アメリカの施設で日本人が一人や二人働いていても、別に珍しいことではないでしょう?」
「…………」
完全に煙に巻かれた。
◆
アメリカ側代表を別室で休ませ、日本政府側だけで内部協議が行われた。
「どう見る」
外務省が問う。
「海道グループの取り込みでしょう」
経産省が即答した。
「間違いない。テラ・ノヴァの開発には、大量の機械、重工業、造船、物流網が必要になる。海道の生産力は、彼ら喉から手が出るほど欲しいはずだ」
「我が国の防衛産業の中枢に食い込む意図もある」
防衛省が警戒を露わにする。
「……本当に、それだけか?」
内調のトップだけが、腕を組んだまま資料を見つめていた。
「話が綺麗すぎる。海道が欲しい。だから孫娘を治す。合理的だ。だが、合理的すぎる。アメリカが我々を納得させるために用意した説明として、出来すぎている」
「では、別の理由があると?」
「分からん。だから気になると言っている」
「そんな政治の駆け引きは後だ」
全員の視線が、声を上げた医師に集まった。
「治療を、受けさせるべきです」
医師の目は真剣だった。
映像が本物であれば——いや、アメリカ政府が正式な外交チャネルを通し、精巧な偽データまで用意して、一企業の総帥の孫娘を騙す理由がどこにある。リスクと利益が全く釣り合わない。
「彼女は現状、このままでは……」
医師は言葉を濁した。
「治療の機会を拒否する医学的理由は、一つもありません」
「だが、アメリカは見返りを求めているぞ」
官房長官が釘を刺す。
「海道グループの協力。つまり、孫娘の命と引き換えに、海道をアメリカのプロジェクトに取り込むということだ」
「……アメリカらしいな」
だが、官房長官は怒ってはいなかった。
むしろ、極めて分かりやすい取引(ディール)だ。
「よし」
日本政府としての判断が下った。
「海道龍之介会長本人へ説明する。国家が勝手に決めることではない。本人とご家族に、治療を受けるか否かを選択してもらう」
「ただし、日本政府も同席する。これは立派な国家安全保障案件だ」
◆
翌日。
海道グループ本社ビル、最上階の会長室。
海道龍之介は、重役用のデスク越しに、異様な面々の訪問を受けていた。
日本政府の高官、アメリカ大使館の関係者、そして日米のトップクラスの医師団。
「……随分と物々しい客だな」
海道は不機嫌そうに言った。
ただでさえ最近は、ネットで騒がれている「スターゲイト」だの「オフワールダー」だのという真偽不明のニュースに株価が振り回され、対応に追われているのだ。
「単刀直入に申し上げます」
日本側の高官が口を開いた。
「お孫様、サクラさんの件です」
室内の空気が、一瞬で凍りついた。
「サクラが、どうした」
海道の眼光が鋭くなる。
「治せる可能性があります」
アメリカ側の代表が言った。
海道は無言になった。
「…………もう一度言え」
「サクラさんの先天性心疾患を、完全に治療できる可能性があります」
海道の顔に、明確な怒りの色が浮かんだ。
当然だ。
世界最高峰の病院を回り、アメリカの専門医にも診せ、莫大な金を積んであらゆる先進医療を試した。
その上で、「これ以上の回復は見込めない」と引導を渡されたのだ。
今さら、何を。
「馬鹿にするのも大概に——」
「映像を見てから怒ってください」
アメリカ側代表は、全く怯むことなくタブレットを差し出した。
マクラーレンの四肢再生。
ノアのALS完全回復。
海道は、黙って映像を最後まで見た。
彼の手が、かすかに震えていた。
「……これは」
「本物です。検証データも全て揃っています」
だが、海道龍之介は、ただの「孫を溺愛する祖父」ではない。
日本の重工業界を背負って立つ、冷徹な経営者だ。
感情に流されて即決はしない。
「条件は?」
海道は、射抜くような目でアメリカ代表を見た。
「話が早くて助かります」
代表は笑顔で応じた。
「海道グループには、今後、TERRA NOVA(テラ・ノヴァ)関連事業において、アメリカ政府および『我々の協力主体』へ、全面的に協力していただきたい」
「具体的には?」
「重工、機械、造船、新素材、物流、製造における優先的なリソースの提供です。もちろん、正当な対価はお支払いします」
「違法なことをしろという意味ではありません」
日本政府の高官がフォローを入れる。
「日本政府の許可を通した、正式な協力案件として処理します」
日本政府も後ろ盾になっている。海道から見れば、法的リスクは低い。
「サクラを治す代わりに、私の会社を使いたい、と」
「はい」
アメリカ側は嘘をつかなかった。
「ずいぶん正直だな」
「回りくどくする必要がありますか?」
海道は少しだけ、自嘲気味に笑った。非常にアメリカ的な、合理主義極まる交渉だ。
だが、海道には一つだけ気になることがあった。
「なぜ、海道なんだ。アメリカにも巨大な軍産複合体(タイタンなど)があるだろう」
「日本有数の重工グループの力が必要だからです」
「それだけか?」
アメリカ側代表は、ほんの一拍だけ間を置いた。
「協力者は、多い方がいい」
本当だ。
だが、『THE SENDERS(送り主たち)から名指しで救助指定を受けたから』という真の理由は、絶対に口にしない。
海道は、その説明を信じた。日本政府の官僚たちも信じていた。
むしろ、これ以上合理的な「アメリカの思惑」は存在しないように思えた。
「副作用の確認だ。サクラに危険は?」
「確認されている限り、治療の失敗や拒絶反応の症例はゼロです」
「副作用は?」
「一つ」
海道の顔が強張る。
「身体のポテンシャルが、100%まで回復します」
「…………それだけか?」
「それだけです」
日本の医師が補足する。
「病気による機能低下だけでなく、健康状態そのものが、彼女本来の最良状態へと最適化される可能性が高いということです」
「サクラが、生きるんだな?」
「はい」
「歩けるようになるのか?」
「はい」
「普通に学校へ行き、好きな物を食べて、走って、旅行へ行けるようになるのか?」
「医学的には、その可能性が極めて高いと言えます」
海道は、それ以上何も聞かなかった。
「やれ」
即答だった。
「会長、まだ正式な同意書の書面が——」
日本の官僚が慌てる。
「全部持ってこい! 一秒でも早く署名する!」
「ありがとうございます」
アメリカ側代表は、満足げに頷いた。
そして、あまりにも軽く言った。
「じゃあ、医療団を送りますね」
「……いつだ?」
「もう待機しています」
「は?」
日本政府の役人たちが、間の抜けた声を上げた。
実は。
あの医療用キット、専門チームの編成、そして輸送計画。
すべて、事前に準備が完了していたのだ。
日本政府がOKを出し、海道が署名すれば、すぐに飛ばせる状態だった。
「……最初から、我々が断るとは思っていなかったのですか?」
日本政府の高官が、さすがに不快そうに問う。
「断られる可能性も、当然想定していました」
「その場合は?」
「医療団を帰します」
「…………」
米側は本気で、それだけの話だと思っているらしい。
「最短で明日。いえ、政府専用機を使えば、今夜にでも到着します」
もちろん、実際の投与は日本側の薬事・倫理・病院内の手続きが完了してからだ。
厚労省と病院側の法務、倫理委員会、主治医チームは、アメリカ側が持ち込んだ資料を使い、前例のない案件を前例のない速度で処理することになった。
海道は、この時初めて、この話が「本気」であることを完全に理解し、背筋に震えを覚えた。
◆
会談終了。
アメリカ側は、用件が済むと驚くほどあっさりと退室し、直ちにワシントンへ「作戦開始」の連絡を入れた。
残された日本側の官僚たちは、しばし茫然自失としていた。
「……結局」
官房長官が、重い沈黙を破った。
「テラ・ノヴァについて、我々は何か新しいことを引き出せたか?」
「いいえ」外務省が首を振る。
「オフワールダーの正体は?」
「不明です」
「現地の日本人は?」
「不明です」
「分かったことは?」
厚労省の官僚が、ポツリと言った。
「アメリカは、手足を再生させ、難病を完治させる薬を持っています」
沈黙。
「……そっちの方が、大問題じゃないか?」
官房長官が、頭を抱えた。
日本政府は、今さらながら事の重大さに気づいていた。
異世界。エイリアン。パワードスーツ。
それらも十分にヤバいが、それは遠い国の軍事問題だ。
だが、「完全再生医療」。
これは、人間の社会構造、生命倫理、そして経済を根本から変えてしまう。
「……何本ある?」
誰も答えられない。
「量産できるのか?」
不明。
「アメリカ人は、これまでに何人に使った?」
分かっているのは、見せられた二つの症例だけだ。
「材料は?」
地球外生体素材。
「誰が、どうやって作った?」
全員が沈黙した。
そして一人が、小さく呟いた。
「……OFFWORLDER?」
◆
一方、アメリカ側。
帰りの車中。日本担当者は、ワシントンのノア・マクドウェルへ報告を入れていた。
「日本政府および海道龍之介氏から、治療実施への同意を得ました。海道グループは、今後の協力に極めて前向きです」
『そうですか。ご苦労様でした』
ノアの落ち着いた声が返ってくる。
彼にとっては、工藤創一のための新しいバックオフィス(協力企業)が確保できたという、事務的な達成感でしかない。
だが、この一件において、ノア、ウォーレン大統領、エレノアら、アメリカ政府の最深部の人間だけが知る「真実」があった。
日本政府も海道龍之介も、「海道グループを味方につけるために、アメリカが恩を売る目的でサクラの治療を提案してきた」と思い込んでいる。
アメリカ政府も、表向きはそのように説明し、振る舞っている。
しかし。
順序が逆なのだ。
海道グループが欲しかったから、サクラを治すのではない。
《THE SENDERS》から「サクラを救え」と、名指しで指定されたから治療を行うのだ。
その結果、どうせなら海道グループとも協力関係を作っておこう、という「後付けの理由(カバーストーリー)」に過ぎない。
この真相は、絶対に日本側には言わない。
『海道側は、アメリカの意図を疑いませんでしたか?』
ホワイトハウスで報告を受けたウォーレンが、エレノアに尋ねる。
「いいえ。テラ・ノヴァ開発には重工業のパートナーが必要です。海道グループを取り込むために孫娘を治療する……彼らから見れば、十分すぎるほど合理的です」
「実際、我々にとってもそれが目的の一つだからな」
「嘘ではありません」
ウォーレンは少し考え込んだ。
「……それにしても。なぜ、あの連中(送り主たち)は、海道サクラという一人の少女を名指ししたんだ?」
誰にも分からない。
ノアが静かに言った。
「少なくとも、救う価値があると判断したのでしょう」
「誰にとっての価値だ?」
ウォーレンの問いに、沈黙が返る。
神の気まぐれか、それとも壮大なパズルのピースの一つか。
ここだけは、アメリカ政府にも完全に「謎」のまま残されていた。
◆
ワシントン近郊の空軍基地。
米軍と政府の医療チームが、足早に専用機へと乗り込んでいく。
ウォルター・リードの医師、監視担当のCIA、外交官。
そして、一人の担当官が、厳重なロックの施された黒い保護ケースを抱えている。
ケースの中には、エメラルドグリーンに輝く『医療用キット』が一本だけ収められている。
完成品在庫10本のうちの一本だ。
ここでサクラの治療に使えば、残りは9本。
バイオマター32個は、素材のままテラ・ノヴァに保管されている。必要なら、いつでも追加製造は可能だ。
「これ一本で?」
輸送担当が、不安そうにケースを確認した。
「これ一本で」
医師が力強く頷く。
「あの少女を救えるのか?」
「映像の通りなら」
医師の目は、科学者としての探究心と、奇跡の目撃者となる高揚感に満ちていた。
「救える」
◆
東京。
海道グループ系列の大学病院、最上階の特別病室。
夜の帳が下りた東京の街を見下ろすその部屋は、厳重な警備によって完全に封鎖されていた。
病室のベッドには、サクラが横たわっている。
細い腕には何本もの管が繋がり、浅い呼吸を繰り返している。
モニターの無機質な電子音だけが響く中、海道龍之介はベッドの傍らで、じっと孫娘を見守っていた。
「会長」
看護師が、静かに声をかけた。
「アメリカからの医療チームが、到着いたしました」
海道は、ゆっくりと孫娘の顔を見た。
「……そうか」
彼は立ち上がり、廊下へ出た。
エレベーターの扉が開き、スーツ姿の外交官と、白衣を着たアメリカ人医師たちが現れる。
そして、その中の一人が、小さな黒い保護ケースを大切そうに抱えている。
ガチャリ。
保護ケースのロックが外され、蓋が開く。
中から現れた、緑色に怪しく輝くインジェクター。
立ち会っていた日本人の医師たちが、息を呑む音が聞こえた。
「これが、サクラさんを治します」
アメリカ人医師が、静かに告げた。
海道龍之介は、無言でそれを見つめていた。
世界中が、異世界への扉「スターゲイト」と、謎の協力者《OFFWORLDER》の正体について熱狂し、恐怖し、騒ぎ立てているその夜。
東京の一室では、それらに勝るとも劣らない、もう一つの人類の特異点(異常)が、まだ世間の誰にも知られないまま、静かに日本へと持ち込まれていた。
人間を、完全に治す神の薬。
歴史の歯車は、また一つ、大きく回ろうとしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!