自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route― 作:パラレル・ゲーマー
「これが、サクラさんを治します」
静かな夜の東京。海道グループ系列の大学病院、最上階の特別病室。
アメリカから到着した医療チームの言葉が、部屋の空気をピンと張り詰めさせた。
ベッドに横たわっているのは、八歳の海道サクラ。
小学校低学年の年齢だが、学校のグラウンドを走った記憶はほとんどない。幼い頃から重篤な先天性心疾患を患い、入退院を繰り返してきた。複数回の大手術にも耐えたが、心機能は徐々に悪化の一途を辿り、それに伴い免疫系も弱り切っていた。今では、ベッドの上に身体を起こすだけでも、小さな胸が苦しそうに上下する状態だ。
病室には、祖父である海道龍之介、サクラの両親、長年彼女を診てきた日本側の主治医と循環器専門医。そして、厚労省から派遣された立会人の官僚。
対するアメリカ側は、ウォルター・リード陸軍医療センターから派遣された主任医師をはじめとする医療団と、政府担当者。
黒い保護ケースが開かれ、中からエメラルドグリーンに発光する一本のインジェクターが取り出された。
「……本当に、これ一本だけなのですか?」
日本の主治医が、信じられないという顔で尋ねた。
彼はサクラの病状の深刻さを誰よりも知っている。心臓の構造的な異常、弁の不全、肺高血圧。現代の医学的アプローチでは、心臓移植ですら根本的な解決になるかは分からない状態なのだ。
「一本で十分です」
アメリカ側の主任医師が、極めて冷静に答える。
「追加の投与は?」
「必要ありません」
「小児の体重による、投与量の調整は?」
「必要ありません」
「心臓だけを標的にして、局所的に作用させるのですか?」
「いいえ」
主任医師は、ベッドで眠る少女の顔を見つめ、静かに言った。
「彼女の身体、その全てを治します」
日本側は完全に沈黙した。
まるで魔法の薬でも語るかのような口調。だが、彼らが突きつけてきたアメリカ政府の公式データ(マクラーレン軍曹とノア・マクドウェルのカルテ)は、それが事実であることを証明していた。
投与前の確認作業が始まった。
アメリカ側は、決して雑な真似はしない。
本人(保護者)の同意書確認。日本政府側が用意した、緊急の薬事・倫理上の特例枠組みのチェック。
そして何より、医療記録の徹底的な保全だ。
投与前のバイタルサイン、血液データ、MRI画像、心エコーの動画、さらには遺伝子サンプルの採取まで。
全てがリアルタイムで記録される。
「記録開始」
主任医師が告げる。
「全系統、記録開始しました」
スタッフが応じる。
海道龍之介は、ベッドの脇から一歩も離れようとしなかった。
財界のフィクサーと呼ばれる巨人が、ただの震える老人となって、サクラの小さな手を両手で握りしめていた。
周囲の慌ただしい気配に気づいたのか、サクラが薄く目を開けた。
「……おじいちゃん?」
酸素マスクの奥から、掠れた声が漏れる。
海道は、すぐに顔を近づけた。
「ここにいるぞ、サクラ」
サクラは、部屋の中にいる見知らぬアメリカ人たちに視線を巡らせた。
「また、おいしゃさん?」
「ああ」
「いたい?」
海道は、言葉に詰まった。
何度も痛い思いをさせてきた。その度に「これで良くなるから」と言い聞かせてきたが、結局は治らなかった。嘘をつくのは辛かった。
アメリカ側の主任医師が、スッと膝を折り、ベッドの高さに合わせてサクラと視線を結んだ。
そして、優しい英語混じりの日本語で言った。
「注射が、一回だけ」
サクラは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……ちゅうしゃ、きらい」
病室の空気が、ふと緩んだ。
世界を変え、国家間のパワーバランスすらひっくり返す神の薬。だが、八歳の少女にとっては、ただの「嫌な注射」でしかなかった。
海道は、泣きそうになるのを必死に堪えながら、孫娘の髪を撫でた。
「これで最後だ」
「ほんと?」
「ああ。……これで最後だ」
主任医師が頷き、インジェクターをサクラの細い腕に押し当てた。
カシュッ。
エメラルドグリーンの液体が、体内へと投与された。
苦痛も、痙攣も、急変もなかった。
心停止も、拒絶反応も、失敗しかける兆候もない。
医療用キットは、ただ静かに設計された通りに作動した。
変化は、極めて静かに、そして圧倒的な暴力性をもって始まった。
ピッ、ピッ、ピピピピ……!
モニターの数値が、一斉に動き出す。
心拍数、血圧、酸素飽和度、呼吸回数。
今まで不安定に揺れ動いていた全ての波形が、まるで磁石に吸い寄せられるように、「正常値(ど真ん中)」へと向かって一直線に収束していく。
日本の循環器専門医が、リアルタイムの心エコーの画面を見て、完全に動きを止めた。
「……待って」
誰も返事をしない。
「もう一回だ」
「何をですか、先生?」
臨床工学技士が尋ねる。
「計測をやり直してくれ! エコーのプローブの角度がおかしいのか!?」
技師が慌てて計測をやり直す。
結果は、同じだった。
損傷して肥大していた心筋。構造的な異常。逆流していた血流。不全を起こしていた弁機能。
その全てが、画面の向こうで魔法のように「正常な形状」へと再構築されていた。
「……そんな」
医師の口から、ただ呆然とした声が漏れた。
「『治っている』という言葉では、足りません」
血液データを監視していた別の医師が、震える声で報告を上げる。
「炎症反応が急激に低下しています。免疫系の数値も、完璧に正常化している。
肝臓、腎臓、肺の機能。筋肉のテンション。神経の伝達速度。
……すべてです」
それは単に「病気が治った」状態ではない。
八歳の海道サクラという人間が、もし健康に生まれ、理想的な発育を遂げていたならば持ち得たであろう、遺伝子レベルでの『最良の健康状態』。
そこへ、一瞬で最適化(リストア)されたのだ。
アメリカ側の主任医師は、腕時計を確認し、淡々と記録マイクに向かって告げた。
「Medical Kit、正常作動。
全身の修復、および最適化を確認。……記録を止めるな。全ての数値を残せ」
日本側は、ただその光景を、理解が追いつかないまま見つめるしかなかった。
厚労省から派遣された立会人も、手元の記録端末を見ることすら忘れていた。
日本の医療行政に二十年以上携わってきたが、今、自分がこの出来事をどの制度の、どの項目へ報告すればいいのか、初めて本気で分からなくなっていた。
数分後。
サクラが、ぱっちりと目を開けた。
彼女はまず、顔を覆っている酸素マスクを鬱陶しそうに手で払い退けようとした。
「あ、ダメだよ!」
日本の主治医が止めようとしたが、アメリカ側の医師がそれを制した。
「問題ありません」
サクラは自分でマスクを外し、不思議そうに周囲を見た。
そして。
ごく自然に、ベッドの上に上半身を起こした。
「お、おい!」
海道が慌てて手を伸ばす。
「サクラ、無理をするな!」
だが、サクラ本人はきょとんとしていた。
「……?」
胸が苦しくない。息が吸える。
「待って、まだ立たないで!」
主治医が慌てて手を伸ばした。
だが、その制止より先に、彼女は、まるでそれが当たり前のことのように、ベッドの端からちょこんと両足を床へ降ろした。
「サクラ、大丈夫なのか!?」
海道の悲痛な声に、サクラは自分の身体を見下ろし、小さく首を傾げた。
「うーん」
病室の全員が、息を呑んで次の言葉を待った。
どこか痛いのか。拒絶反応か。
「おなかすいた」
沈黙。
誰も、すぐには反応できなかった。
「…………」
「おじいちゃん」
「……なんだ、サクラ」
「ハンバーグ、食べたい」
その一言で、政財界のフィクサーと呼ばれ、何兆円規模の決断でも顔色一つ変えない巨人が。
完全に、崩壊した。
「おお……おおおおおっ……!」
海道龍之介は、床に膝をつき、孫娘を抱きしめて号泣した。
なりふり構わず、ただの老人として大声で泣いた。
「おじいちゃん?」
「食え……!」
「?」
「何でも食え! ハンバーグでも、ステーキでも、ケーキでも……何でも好きなだけ食っていいんだぞ!」
サクラは、祖父の剣幕に少し困ったような顔をした。
「ハンバーグでいいよ?」
海道は、さらに声を上げて泣いた。
その横で、日本の主治医も静かに涙をこらえていた。
何年も彼女を診てきた。塩分制限、水分制限、運動制限。食欲は常に低下し、ベッドでの生活を強いられていた。
それが今、「ハンバーグが食べたい」と、普通の子供のように言ったのだ。
「……食べても大丈夫です」
主治医は、優しく言った。
「本当か、先生?」
海道が振り返る。
「はい」
医師自身、まだ半分夢を見ているような気分だった。
「普通の八歳の女の子として、何を食べても大丈夫です」
海道は、孫娘をもう一度抱きしめた。
少し距離を置いてその光景を見ていたアメリカの医療団は、静かにデータの最終確認を行っていた。
「心機能?」
「正常」
「免疫?」
「正常」
「神経系?」
「正常。拒絶反応、炎症、細胞の異常増殖、すべてゼロです」
主任医師は、小さく吐息を漏らした。
「……完璧だ」
「これで三例目ですね」
別の医師が囁く。
「また、一つも外さなかった」
彼らは理解している。
どんな名医の手術でも、どんな新薬でも、必ず確率的な失敗のリスクは存在する。
だが、このインジェクターには『失敗』という概念が存在しない。
「医学じゃないな」
「ああ、医学だよ」
主任医師は、病室の窓の外——東京の夜景を見つめながら言った。
「ただし、我々人類の歴史より、遥か先にある医学だ」
別の医師が、小さく呟いた。
「神のテクノロジーだな……」
誰も、それを否定できなかった。
その時、部下が海道会長を呼ぼうとするのを、アメリカ側の政府担当者が手で制した。
「会長との契約の話は、どうしますか?」
「後日でいい」
担当者は、泣いている祖父と、元気になった孫娘の姿を見た。
「ですが、今なら確実に有利な条件で——」
「今は、家族の時間だ」
担当者は静かに言い切った。
それ以上、海道に何かを求める者はいなかった。
今はただ、病室の中へ戻っていく家族の時間を邪魔しない。それで十分だった。
少し時間が経過し、一通りの検査が終了した。
病院側が急遽用意した、小さなハンバーグプレート。
サクラは、最初は恐る恐るフォークを刺し、口に運んだ。
そして、パッと目を輝かせた。
「おいしい!」
海道が、横でまた涙を拭う。
「おじいちゃんも食べる?」
「……いや、いい。サクラが全部食べなさい」
「なんで泣いてるの?」
「嬉しいんだ」
サクラには、よく分からなかった。ただ、ハンバーグが美味しかった。
これで、ノア・マクドウェルとの決定的な差が明確になった。
ノアは、世界情勢と自分の立場、そしてタイタン・グループの力を理解した十七歳だ。
だがサクラは違う。
国家安全保障も、アメリカの思惑も、宇宙人の噂も知らない。ただ元気になって、ハンバーグが食べたかった八歳の女の子だ。
◆
家族を病室へ残し、日米の医師たちは廊下へと出た。
日本の主治医は、まだ現実感が戻らないままだった。
「……あれを」
彼はアメリカの主任医師に、縋るように言った。
「もっと多くの人に使えないのですか?」
主任医師は、少し黙ってから答えた。
「我々も、そうしたいと心から思っている」
「癌患者にも」
「脊髄損傷の患者にも」
「臓器不全の子供たちにも」
「遺伝性疾患にも」
理論上、あの薬の適応範囲はほぼ無限だ。
「なら、なぜ出し渋るのです!? 今すぐ量産して——」
「数が足りないのです」
主任医師の冷酷な事実の提示に、日本人医師は言葉を失った。
「医療用キットの性能の問題ではありません。原料供給の壁です」
「原料……?」
「地球では製造できない、特殊な生体素材が不可欠なのです」
「それは、どこで……テラ・ノヴァ由来ですか?」
「それ以上は言えません」
だが、アメリカの医療団内部の人間たちは知っていた。
バイター。そして、Biomatter(バイオマター)。
(向こうの最前線で、兵士たちが命を張って戦っている理由の一つが、これか)
医師の一人が内心で呟く。
一体の敵を倒して、一人分の命を救う。
「なら、大量の部隊を投入して、一気に駆除すれば——」
そう単純な話ではないことは、主任医師が一番よく分かっていた。
異星の環境。未知の敵性生物の進化。人員、兵站、そして何より基地の防衛。
「今の供給量では、全市民へ配れるような薬ではありません。我々には、どうすることもできない」
廊下に、重い沈黙が落ちた。
別の医師が、病室のドア越しに聞こえるサクラの笑い声を聞きながら、小さく言った。
「それでも……一人でも多くの患者に届けたいな」
「そのために」
主任医師は、遠く離れた別の星の空を思い浮かべるように言った。
「向こうで、我々の兵士と、一人の技術者が働いている」
ここで初めて、医療用キットという「奇跡」と、テラ・ノヴァでの泥臭い「開拓と防衛」が、医療者たちの心の中で一つに繋がった。
◆
数日後。
海道グループ本社、最高会議室。
今度は、情を排した正式なビジネスの交渉の場だ。
海道龍之介の顔つきは、前回とは全く違っていた。
孫娘を失う恐怖と絶望に苛まれていた老人は消え、本来の冷徹で強力な経営者の顔に戻っている。ただ、アメリカに対する「疑念」の色は完全に払拭されていた。
アメリカ側の担当者が、契約内容を提示する。
テラ・ノヴァ関連事業における、海道グループへの包括的な協力要請。
重工、産業機械、造船、新エネルギー、精密機器、そして物流網の提供。
ただし、あくまで日本政府を通した正式な協力関係であり、アメリカからの正当な対価(資金と、一部の未知素材の優先提供)が支払われる。
説明が終わり、担当者が口を閉じた。
海道は、分厚い契約書類をパタンと閉じた。
「我々は、アメリカ合衆国政府に協力しよう」
日本側の官僚たちが、少し驚くほど早い即答だった。
アメリカ側担当者は安堵の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、会長」
「勘違いするな」
海道の低い声が、部屋の空気をピシャリと叩いた。
「私は、御国に忠誠を誓うわけではない。アメリカの属国企業になるつもりもない」
海道の眼光が鋭く光る。
「ただ、サクラを救ってもらった恩を、キッチリと返す。それだけだ」
「それで十分です」
アメリカ側は深く頷いた。
忠誠心で縛るより、巨大な「恩義」という鎖で縛った方が、この男は強力な味方になる。
「それと」
会談が終了しかけた時、海道が一枚の画用紙を差し出した。
「これは?」
「サクラからだ」
アメリカ担当者が画用紙を受け取る。
そこには、八歳の子供らしいクレヨンで描かれた絵と、たどたどしい文字があった。
『おくすりをくれたひとへ』
『ありがとう。げんきになりました』
絵の中央には、満面の笑みを浮かべるサクラ。
大きなハンバーグ。太陽。花。
そこには病院のベッドも点滴もなく、外の世界が描かれていた。
さらに片隅には、小さな文字でこう書き添えられていた。
『がっこうにもいきたいです』
海道は、静かに言った。
「誰がその薬を用意したのか、私は知らん。お前たちも、私に教える気はないのだろう?」
「…………」
アメリカ側は沈黙した。
「それでいい」
海道は目を閉じた。
「深入りはせん。だが、この絵だけは、必ずサクラを救ってくれた人に渡してやってくれ」
「……承知しました。必ず」
◆
惑星テラ・ノヴァ。
前線基地(FOB)の拡張エリア。
工藤創一は、ヘビーアーマーを着込んだまま、新しい採掘場へ向かう鉄道の信号機(Rail Signal)の設定作業に没頭していた。
完全に「自分の世界」だ。
「よし! これで列車の衝突は防げるな!」
そこへ、地球から戻ってきたばかりのノア・マクドウェルが近づいてきた。
「工藤様」
「ん? ああ、ノア君か。どうした?」
ノアは、薄い透明な保護ケースに入れられた一枚の画用紙を差し出した。
「海道サクラ様からの、お返事です」
「サクラちゃん?」
創一は工具を置き、保護ケースを受け取った。
『おくすりをくれたひとへ。ありがとう。げんきになりました』
創一の顔が、途端にふにゃりと緩んだ。
「おおー!」
絵をまじまじと見る。
「お、ハンバーグじゃん! 美味そう!」
ノアは、にこやかに笑った。
「治療後、一番最初に召し上がりたいとご希望されたそうです」
「そっかー」
創一は本当に、心底嬉しそうに目を細めた。
「よかったー!」
彼の反応は、ただそれだけだった。
その背後で、海道グループという巨大な産業力が動き出し、数兆円規模の契約が結ばれ、日米の国家安全保障が絡み合っていることなど、彼は知らない。興味もない。
「元気になったんだよね?」
「はい。完全回復です」
「よかった! それが一番だ!」
「これ、飾ろう!」
創一は画用紙を掲げた。
「どちらへ?」
創一は基地の中央を見渡した。
「制御室の真ん中!」
『マスター』
イヴが口を挟む。
『紙媒体を工業環境の制御盤に直接掲示することは、煤煙や油による汚損リスクが高すぎます』
「じゃあ、この透明ケースのまま壁に貼り付ける!」
『……それであれば、許可します』
ノアは、そのやり取りを静かに、そして温かい目で見守っていた。
こうして、未知の惑星で稼働する、人類の限界を超えた巨大工場の制御室に、八歳の女の子がクレヨンで描いた絵が飾られることになった。
◆
絵の配置場所が決まったところで、ノアは一瞬で「仕事モード」へと切り替わった。
「それと、工藤様」
「ふーんふーん」
創一は、まだ絵の角度を調整している。
「《OFFWORLDER》に対する、各国からの接触要請が殺到しております」
「へ?」
創一の手が止まった。
ノアがタブレットを操作し、膨大なリストを表示させる。
各国政府。国連。ESA(欧州宇宙機関)。各国の大学共同研究チーム。巨大科学機関。民間企業。
要請内容:
TERRA NOVAへの調査隊派遣。
OFFWORLDERとの直接会談。
研究施設(ラボ)の建設許可。
地質サンプルの提供。生物サンプルの提供。
天文観測データ、大気データ、資源データの開示。
国際共同管理協議の開催。
「……」
創一はリストをスクロールした。
スクロール。
さらにスクロール。
「多っ!」
「現在も、リアルタイムで増え続けています」
「これ、どうされますか?」
ノアは、決して自分の意見を先に言わなかった。
これは「所有者(管理者)本人」の判断に委ねられるべき事項だからだ。
「工藤様として、どの程度まで他国(アメリカ以外)のアクセスを認められますか?」
創一は腕を組み、考え込んだ。
「うーん……」
今でさえ、アメリカの大隊、NASAの研究者、補給部隊と、基地の中は人が多すぎるくらいだ。
そこにさらに、英国、日本、フランス、ドイツ、中国、インド、国連の調査団まで入ってきたら。
「面倒だな」
創一は、工場のラインを見渡した。
「とりあえず、全部キャンセルで!」
ノアは、微笑んだまま確認した。
「すべて、ですか?」
「うん!」
創一は、現場管理者の発想で言った。
「だって、アメリカ以外に許可出したら、絶対面倒なことになるでしょ?」
各国の基地の場所を決めて。
専用の道路を引いて。
誰がどこまで立ち入っていいか権限を設定して。
警備の責任範囲で揉めて。
国ごとに安全基準のルールが違って、いちいち文句言われて。
「絶対、俺の工場作り(プレイ)の邪魔になるじゃん。今でも十分人多いし」
「否定できません」
ノアは同意した。極めて合理的だ。
「では、各国への情報提供もすべて停止しますか?」
「え?」
創一は首を振った。それは違う。
「研究データくらいなら、流してあげてよ」
ノアは少し目を細めた。
「別に隠す必要ないやつでしょ? 大気成分とか、ただの石っころのデータとか、植物とか生き物の情報とか」
『マスター。生物試料については、未知の病原菌の可能性があるため、厳重な検疫および封じ込め手順を要します』
イヴが警告する。
「じゃあ、安全確認できたやつだけでいいよ! 安全なサンプルなら、送ってあげればいいじゃん。俺は別に知識を独り占めしたいわけじゃないし」
「では、生物試料を希望する国には、受領側の封じ込め施設、検疫体制、責任主体を事前に提出させます」
「うん、それで!」
ノアは、頭の中で瞬時にこの方針がもたらす政治的メリットを計算した。
「つまり」
ノアは指を一本立てた。
「テラ・ノヴァへの物理的な直接アクセスは、当面アメリカ政府および既存の承認要員に限定する」
二本目。
「工藤様(オフワールダー)との直接の会談要求も、原則すべて拒否」
三本目。
「一方、軍事・個人情報・システム機密を除く『純粋な科学データ』については、順次国際社会へ共有する」
四本目。
「安全確認済みの地質・大気・生物試料についても、アメリカ側の検疫に加え、受領側の封じ込め・検疫体制を確認した上で、各国の研究機関へ提供を許可する」
「それ!」
創一が指を鳴らす。
「門は閉じる。しかし、知識は開く」
ノアが少し笑って言った。
「そんな大げさな話じゃないけどさ」
創一は肩をすくめる。
「俺としては、現場に人を増やして管理の手間を増やしたくないだけなんだけど」
「存じています」
これだ。
アメリカにとっても、最高に「美味しい」結論だ。
現地の物理的アクセスはアメリカが独占する。だが、世界へ科学データとサンプルを無償で配布することで、「アメリカが全てを隠し持っている」という国際的な批判と圧力を、大幅に弱めることができる。
アメリカは覇権国として世界に恩を売りつつ、現地運用の主導権は完全に維持できるのだ。
「極めて合理的です」
「でしょ?」
理由は全く違うが、結果としての最適解が一致した。
前日、アメリカ政府は世界に向けて「所有者本人にお問い合わせください」と丸投げした。
そして今日、所有者本人へ問い合わせた結果。
『全員、入場禁止』。
ただし、『研究資料とサンプルはお裾分けしてあげる』。
これが、工藤創一という男の、極めてマイペースな外交方針(工場ルール)だった。
◆
ノアから報告を受けたホワイトハウス。
ウォーレン大統領は、安堵の息を吐いた。
「本人の判断か?」
「はい」ノアが答える。「各国の直接アクセスは全件拒否。科学データは可能な範囲で開放。サンプルも検疫済みのものは提供許可が出ました」
ウォーレンは少しだけ笑った。
「……実に、都合のいい所有者だな」
「我々にとっては」エレノアも同意する。
だが、ここでウォーレンは欲を出さなかった。
「すべてアメリカの機関だけで独占し、抱え込むことは?」
「不可能です」ノアが釘を刺す。「工藤様は、研究データを各国へ『流すよう』明確に指示されました。これを破れば、我々はバックオフィスとしての信頼を失います」
「そうか」
大統領はそれ以上言わなかった。
アメリカは主導権を握る。しかし、所有者の意向には絶対に従う。その線引きは、もうブレない。
「それと」
ノアが続けた。
「前回、我々は各国に『所有者本人へお問い合わせください』と回答しています。今回は、所有者の判断であることも明記すべきでしょう」
ウォーレンが眉を上げた。
「世界中が『オフワールダー本人に拒否された』と受け取るぞ」
「我々は、オフワールダーが宇宙人だとは一言も申し上げておりません」
「……そうだったな」
数日後。
ホワイトハウスから、世界へ向けて新たな公式声明が発せられた。
『TERRA NOVAへの国際的な直接アクセスについては、安全・検疫・現地運用上の理由に加え、当該アクセス権限を有する協力主体に確認した結果、現時点では第三国および国際機関への直接アクセスは承認されない』
各国からは当然、大きな不満の声が上がった。
同時に、「協力主体に確認した結果」という一文が世界中の報道機関に拾われた。
『アメリカ政府、OFFWORLDER本人に各国の入場許可を確認——拒否される』
もちろん、政府はそんなことは一言も言っていない。
だが、前回と同じく、世界は最も分かりやすい答えへ勝手に走っていった。
だが、声明は続く。
『一方、非機密の環境データ、地質データ、生物学的観測結果については、順次、国際研究コミュニティへ公開する。さらに、安全性が確認された試料についても、受領国側の封じ込め・検疫体制を含む適切な手続きを経た上で、各国の研究機関へ提供する』
科学界の反応は、一転した。
政治家「ゲートを開けろ! 独占するな!」
科学者「それは後でいい! 早く石を寄越せ!」
地質学者「岩!!」
生物学者「細胞!!」
惑星科学者「大気!!」
アメリカ政府は、こうして世界からの政治的圧力から、少しだけ解放されたのだった。
◆
テラ・ノヴァ。
巨大な制御盤とモニターが並ぶ、工場の心臓部たる制御室。
モニターには、休むことなく走り続ける列車、搬送ベルトを流れる金属、赤く燃える精錬炉の映像が映し出されている。
その無機質な空間の一角に。
異様に場違いなものが、一つだけ飾られていた。
透明なケースに入った、八歳の女の子がクレヨンで描いた絵。
『おくすりをくれたひとへ。ありがとう』
創一は、その前を通り過ぎる時、一瞬だけ足を止めて絵を見た。
そして、ニッと満足そうに笑った。
「よし」
彼はヘルメットを被り、工場へと向かう。
「イヴ、次の拡張いこう!」
『了解しました、マスター』
重厚な機械音が鳴り響き、工場はさらなる成長を続ける。
地球では、国家が《OFFWORLDER》との面会を求めて血眼になり、科学者たちが異星のサンプルを待ちわび、海道グループが巨大な産業能力を動かし始めている。
だが。
その全ての発端であり、中心人物である工藤創一の、最も目立つ場所に飾られているのは。
国家元首からの親書でも、政府からの勲章でも、巨大企業との数兆円の契約書でもなかった。
ただの一枚の、八歳の少女が描いた「ありがとう」の絵だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!