自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route―   作:パラレル・ゲーマー

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第13話 神の薬が八本しかないので、誰を救うか決めたくありません

 ワシントンD.C.、ホワイトハウス。

 大統領の足元、地下深くへと降りた先にある最高機密会議室(シチュエーション・ルーム)は、今日もまた息の詰まるような緊張感に包まれていた。

 アメリカ合衆国の国家中枢を担うトップエリートたちが、ぐるりとマホガニーの円卓を囲んでいる。

 ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領、ダグラス首席補佐官、エレノア・バーンズCIA長官。そして国務省、国防総省、保健福祉省(HHS)の高官たち。

 円卓の端には、先日より政府の特別顧問という特異なポジションで同席を許された17歳の少年、ノア・マクドウェルが、静かに手元の端末を見つめている。

 さらに、壁面の大型モニターには、テラ・ノヴァ遠征軍を率いるハリントン中佐の姿と——。

 

『あのー、これ、いつまでかかりますか?』

 

 場違いなほど間の抜けた声が、スピーカーから響いた。

 モニターの分割画面のもう半分。そこに映っているのは、日本人の元システムエンジニア、工藤創一だ。

 彼は地球側(カリフォルニアのゲート施設内)の管理スペースにいるのだが、手にはスパナのような工具を持ったまま、明らかに早く現場に戻りたそうな顔をしている。

 

『いま、鉄道の信号機の制御回路を組んでる途中でして。連動させないと列車が正面衝突しちゃうんで、あんまり放置したくないんですよね』

 

「俺に政治の判断を求めるの、絶対に人選ミスですからね?」と、会議が始まる前から創一はぼやき続けていた。

 ノアから「工藤様。今回は、工藤様ご本人のご判断がどうしても必要になる可能性があります」と説得されて、渋々ログインしてきたのだ。

 

「それについては、私も全く同意見だ」

 ウォーレン大統領が、深い溜息をつきながら言った。

 

『えっ』

「ですが、所有者(オフワールダー)ですので。同席していただかないと話が進みません」

 ダグラスが眼鏡を押し上げながらフォローする。

 

『そこなんだよなぁ……』

 創一が頭を掻きむしる。

 会議の開始から、すでに絶望的なまでの温度差があった。国家の命運を賭けた防諜会議と、鉄道模型のレイアウトに悩む工場長。

 

「では、本題に入りましょう」

 エレノアが、冷徹な声で場を強制的に引き締めた。

 彼女が手元の端末を操作すると、中央の大型モニターに世界地図と、そこから伸びる無数の赤い矢印のネットワーク図が表示された。

 

「結論から申し上げます」

 エレノアは、創一と、部屋の全員を順番に見渡した。

 

「《DIVINE DROP(神の雫)》——すなわち医療用キットの存在が、裏の世界で急速に広まりつつあります」

 

『裏の世界?』

 創一が首を傾げる。マフィアか何かの話だろうか。

 

「マフィアではありません」

 エレノアは、創一の表情から思考を読み取ったように即座に否定した。

「各国情報機関、政府中枢、軍部、巨大多国籍企業、そして特権的な富裕層が形成する、非公開のインテリジェンス情報網のことです。一般のニュースには、まだ一行も出ていません」

 

 しかし。

 ノア・マクドウェル。海道サクラ。そしてジェームズ・マクラーレン。

 この三人の、現代医学では絶対にあり得ない「異常な完全回復」を本気で追跡すれば、国家レベルの情報機関ならいずれ必ず一つの線に繋がる。

 

「幸い、現時点で我が国に対して、武力や破壊工作などの直接的な行動を起こそうとしている国は確認されていません」

 エレノアは続ける。

「まともな国家機関なら、まずは徹底的に裏を取ります。噂だけで特殊部隊を突入させるような真似はしません」

 

「中国もか?」

 ウォーレンが問う。

「はい。現在は証拠固めと、情報収集の段階でしょう」

 

 エレノアの瞳が、スッと細められた。

「ですが、それも時間の問題です。いずれ彼らは、アメリカに対して正式な外交ルートで質問状を突きつけてきます。

『アメリカは、完全再生医療を保有しているのか?』

『我が国の要人にも、治療枠を提供できないか?』と。

 ……必ず来ます」

 

 大統領は、その報告を聞いても大して驚かなかった。

「想像通りだな」

「いずれ、知られる話でしたからね」

 ノアも静かに同意する。

 

 この部屋の人間たちは、政治というものを知っている。これほどの劇薬の存在が永遠に隠し通せるなどとは、最初から思っていない。

 だが、ただ一人。

 

『えー』

 

 モニターの向こうの創一だけが、心底嫌そうな声を出した。

 

『何がそんなに問題なんです?』

 創一は、素朴な疑問を口にした。

『エレノアさーん』

「……はい」

『これ、何がそんなに大問題なんです? 薬があることが外国にバレたなら、欲しいって言われた時に、在庫がある範囲で渡してあげればいいじゃないですか。材料が増えたら、また作るとかじゃダメなんですか?』

 

 会議室が、凍りついたように沈黙した。

 国防総省の将官が顔を覆い、ダグラスが天を仰ぐ。

 

 エレノアは、ゆっくりと息を吸い込み、創一の顔をモニター越しに見つめ返した。

 

「……では、順番に説明しましょう。なぜそれが『ダメ』なのかを」

 

  ◆

「第一に」

 エレノアは冷酷に事実を突きつける。

「単純に、数がありません」

 

 モニターの表示が切り替わる。

【DIVINE DROP 完成品:8】

 

『あれ、八本だっけ?』

 創一が不思議そうに言う。

「サクラ様への投与後が、残り九本です」

 ノアが静かに補足した。

 

「その後、一つを極秘裏に『解析用』へと回しました」

 エレノアの言葉に、創一はポンと手を打った。

『あー、そうでしたね。アメリカの凄い研究所で調べるとか言って。……で、成果なしでしたからねー』

 

 同席していたNIHの科学顧問が、ものすごく嫌そうな、胃酸が逆流しているような顔をした。

 HHSの高官が、低い声で言った。

「……あの一本があれば、一人を確実に救えました」

「知っている」

 ウォーレンが即座に答えた。

「解析使用を最終決裁したのは私だ。一本を失ってでも、我々自身で製造できる可能性を調べる必要があると判断した」

「……承知しています」

 

 ——数日前のことである。

 アメリカ政府は、貴重な完成品の一本を完全な政府管理下で解析に回した。当然、人体への投与には使えない。完全に「消費」しての分解検査だ。

 インジェクターの筐体、内部の液体、そしてナノマシンそのもの。

 これらを、電子顕微鏡、最新鋭の質量分析計、分光器、量子レベルの計測機器など、アメリカが世界に誇る最高峰の設備にかけた。

 結果は。

『ほぼ何も分からなかった』。

 

「従って、アメリカ合衆国政府が現在『完成品の薬』として保管し、即座に使用できる状態にある《DIVINE DROP》は、全米でたったの八本です」

 エレノアは断言した。

 

 ここが重要な点だ。

「テラ・ノヴァの基地内には、原材料となる『Biomatter(バイオマター)』の備蓄が32単位存在します。ですが、それはアメリカ政府の薬品在庫ではありません」

 バイオマターは、ただのエイリアンの肉片だ。工藤創一が自身のシステム(工場)を使って加工しなければ、決して薬にはならない。

「我々アメリカ政府が、自らの意志で自由に増産できる在庫は、ゼロなのです」

 

「第二に」

 エレノアは画面を切り替えた。

 そこに表示されたのは、世界中の難病患者、癌患者、重度障害者、臓器不全の待機患者、戦傷兵などの統計データだった。

 

「“選別”の地獄があります」

『選別?』

「誰を生かし、誰を見捨てるか、です」

 

 会議室の空気が、さらに何倍も重くなった。

 誰も口を開きたがらない、政治の最も醜悪で残酷な部分。

 

「八本しかない薬に対して、もし一万人が手を挙げたらどうなりますか?」

 エレノアの冷たい声が響く。

「百万人なら? 一億人なら?」

 

『…………』

 創一は黙り込んだ。

 

「十歳の末期癌の少女。二人の子供を育てるシングルマザー。人類の未来を変えるかもしれないノーベル賞級の科学者。我らが大統領。友好国の首相。国のために手足を失った戦傷兵。百億ドル規模の企業を動かし、数十万人の雇用を握る経営者」

 エレノアは、容赦なく例を挙げていく。

 

「さあ、工藤氏。誰を選びます?」

 

『…………』

「全員、この薬が一本あれば確実に助かります。しかし、八人しか選べない。選ばれなかった人間は、確実に死にます」

 

 エレノアは、少しだけ口角を上げた。

「まあ、これは最終的には、所有者である工藤氏に決めてもらえばいいことですが」

 

『えー!?』

 創一が、画面の向こうで素っ頓狂な声を上げた。

『なんかエレノアさん酷くない!? なんで俺にそんな重い責任押し付けるの!? 俺、工場回したいだけなんだけど!』

 

 エレノアは完全に無視し、次の資料を表示しようとした。

 

『無視!? ねぇ無視!?』

 創一が抗議するが、ウォーレン大統領はただ黙ってコーヒーを飲み、ノアは少しだけ口元に笑みを浮かべていた。

 

「工藤様」

『なに、ノア君まで』

「所有者ですので」

『その言葉、便利に使ってない!?』

 

「第三に」

 エレノアは構わず続けた。

「“不平等”の極限です」

 

 モニターには、NATO諸国、日本、韓国、オーストラリアなど、アメリカの同盟国と安全保障協力国の地図が映し出された。

 

「アメリカには、多数の同盟国があります」

『アメリカは世界の警察ですからね』

「最近、その呼び名はあまり流行らんぞ」

 ウォーレンが苦虫を噛み潰したような顔で訂正する。

『でも、警察と仲良くしてると、いろいろ恩恵があるじゃないですか』

 

「その“警察”が、今度は問題になるのです」

 エレノアが言う。

 

『へ?』

 

「八本しかない薬を、どう配りますか?

 例えば、日本へ一本。英国へ一本。カナダへ一本。フランスへ一本。ドイツへ一本。

 ……そこで、韓国、オーストラリア、ポーランド、イタリアなどが問うでしょう。

『なぜ日本には渡して、我が国には渡さないのだ? 我々は同盟国ではないのか』と」

 

 逆もまた然りだ。

「『日本に二本』となれば、『なぜ日本だけ二本なのだ?』と反発を招く。『英国にゼロ』となれば、『アメリカは最も古い同盟国を見捨てるのか』という非難に直結します」

 

 エレノアは、冷徹な事実を突きつけた。

 

「薬を配れば配るほど、同盟国同士に“命の格差”が生まれます。

 そして、それは最終的に、血の決別——同盟の崩壊になり得るのです」

 

「一度でも外交の取引条件として使えば、以後、すべての国家がそう解釈します」

 国務省の高官が、胃を押さえながら補足した。

 海道サクラの件で、すでに世界(少なくとも情報機関の裏社会)にはそう見え始めているのだ。

 

『アメリカに従えば、神の薬をもらえる』。

 逆を言えば、『アメリカに逆らえば、病気の家族を見殺しにされる』。

 

『うわぁ……』

 創一が、心底嫌そうな声を漏らした。

「うわぁ、で済ませたいのは私も同じだ」

 ウォーレン大統領が、深く同意した。

 

  ◆

「そして、これが最も重要です」

 

 エレノアの声が、一段と低くなった。

 

「地球上では、現状《DIVINE DROP》を製造することは不可能です」

 

『えっ? でも、レシピは俺の工場にあるし……』

「違います」

 エレノアは首を振った。

「たとえレシピが完全に分かったとしても、地球の人類には作れません」

 

『え?』

 創一は本気で驚いた顔をした。

 

「工藤氏。あなたは、あのインジェクターを『ちょっと凄いナノマシン入りの薬』くらいに考えているでしょう」

『え、違うの?』

 

 NIHの科学顧問が、頭を抱えて机に突っ伏した。

 

「地球上のナノマシン技術など、あれと比較すればゴミ同然です」

 エレノアが断言する。

 

『そこまで?』

「そこまでです」

 

 先日の破壊解析の結果。

 内部のナノ構造。細胞を認識し、遺伝情報を参照して自己組織化を行うプログラム。情報処理機構。エネルギー源。無機物から有機物への材料変換。

 それら全てが、現代の物理学・化学・生物学の枠組みから完全に外れており、何一つ理解できなかったのだ。

 

「現在も、疲弊しきった解析班が不眠不休で作業を続けています。ですが……ナノマシン一個の構造すら、完全には解析できていません」

『一匹も?』

「一個も、です」

 

『そんなに……?』

 創一が絶句する。

 

「原始時代の洞窟の人間に、最新のスマートフォンを渡して『これと同じものを明日までに石と木で作れ』と言うよりも、無理な話です」

 エレノアの残酷な比喩に、創一は完全に固まった。

 

『そん……なに……』

 彼は絶句し、それから、本気で困惑したように言った。

『でも、最強のチート国家アメリカですよ?』

 

 ウォーレンの眉がピクリと動いた。

 

『NASAとか、DARPAとか、CIAとか、MITとか。なんかこう、映画に出てくるような凄い秘密研究所とかあるんでしょ? 本気出せばコピーくらい——』

「なりませんよ。常識的に考えて」

 エレノアが即座に切り捨てる。

 

『アメリカが常識を語った!』

「我々も、一応は人類ですので」

 ダグラスが冷ややかにツッコミを入れた。

 

「まあまあ」

 ウォーレン大統領が、重い空気を振り払うように仲裁に入った。

「工藤氏の言いたいことも分かる」

 

 アメリカは、金も、研究者も、設備も、世界一のものを全て持っている。

「問題を、莫大なカネと人間の数で物理的に殴って解決するのは、我が国の最も得意とする伝統技だ」

 

「ですが大統領、今回は殴る相手(技術レベル)にまで、我々の拳が届きません」

 エレノアが釘を刺す。

 

「それが最大の問題だな」

 大統領は頷いた。

「作れない以上、今は時間を稼ぐしかない」

 

 各国政府が正式に質問状を送ってくるまで。そしてその後も。

『現在検証中である』

『供給能力を評価中である』

『安全性の確認中である』

『国際的な倫理基準を策定中である』

 そうした官僚的な答弁で、ひたすら引き延ばす。

 だが、それも永久には無理だ。

 

「その間に、我々は『数』を増やす必要がある」

 ウォーレンは、モニターの創一を見た。

 

「例の、Biomatter確保の遠征は?」

 

  ◆

『ああ、今まさに進行中です』

 

 創一が手元の端末を操作すると、モニターの半分がテラ・ノヴァの戦術マップに切り替わった。

 現在、FOB(前線基地)から数十キロ離れた荒野。

 先日放った偵察ドローンが、大規模な『バイターの巣群』を発見したのだ。

 

 これまでの小規模な群れとは違う。

 赤黒い菌苔(クリープ)が大地を覆い尽くし、脈動する巨大なスポナー(巣穴)が乱立している。繁殖個体、酸を吐くスピッター、そして一回り以上大きな『中型個体』が多数うごめいているのが見える。

 その巣を攻略するため、ハリントン中佐率いるアメリカ陸軍の『Heavy Armor』部隊、支援火器、輸送車、そしてドローン部隊が、すでに作戦準備を整えつつあった。

 

「イヴ」

 ウォーレンが、創一の端末経由で直接AIに尋ねた。

「推定で、どれくらいのバイオマターが取れる?」

 

『現在の偵察データから算出します』

 

 一瞬のラグ。

 

『現在確認されている敵性移動個体から回収可能なBiomatterの推定値、およそ百単位です。スポナー本体は算入していません』

 

 会議室が、シンと静まり返った。

 

「百、か……」

 大統領が低く呟く。

 

『結構ありますね!』

 創一が明るい声を出したが、国務省、HHS、軍のトップたちの表情はむしろ重かった。

 

「神の薬が、一度の作戦で百人分も手に入ると考えれば、途方もない大戦果だ」

 ウォーレンが言う。

「だが。……国家に配る、世界に配ると考えると、恐ろしく少ない」

 

 これが、この話の核心だった。

 

「仮に、回収した百単位を全て《DIVINE DROP》へ加工するとしましょう」

 ノアが冷静に数字を整理する。

「現在の備蓄が32。今回が推定100。理論上は、132本分の追加原料です。

 既存の完成品8本を合わせれば、最大で140人分となります」

 

 ただし、全てを即座に薬へ変えるとは限らない。

 研究用、軍事技術のアンロック用、予備、あるいは将来の別レシピのための素材として残す必要がある。

 

『百四十人救えるなら、十分凄くないですか?』

 創一が言う。

 

「凄いです。奇跡です」

 HHSの官僚が、悲痛な声で返した。

「ですが……アメリカ国内だけでも、今この瞬間に臓器移植の待機リストに乗っている患者が、何人いると思います?」

 

『……あー』

 創一は、言葉に詰まった。

 

「中国だけで十四億人です」

 エレノアが数字を重ねる。

「EUは約四億。日本は約一億。世界全体なら八十億規模の人間がいます。

 百本増えたところで、“決定的に不足している”という政治的事実は、何一つ変わりません」

 

『無限に必要なのか……』

 

「はい」

 ノアが頷いた。

 

 ここで、工場ゲームと現実の決定的な違いが牙を剥く。

 ゲームのアイテムなら、需要を満たすまでラインを増やし、採掘機を並べればいい。

 しかし、この薬の原料は「生命体」だ。

 敵であるバイターを、命懸けで倒さなければ手に入らない。自動化できない、血の流れる資源なのだ。

 

 創一は、少し考えてから言った。

 

『じゃあ』

 全員がモニターを見る。

 

『もっと巣を探して、たくさん潰せばいいんじゃない?』

 

 沈黙。

『だって、百個取れる巣があるなら、それを十個見つければ千個でしょ?』

 

 軍の将官たちが、揃って顔を覆った。

 

 その時、モニターの端に、現地の前線にいるハリントン中佐の顔が割り込んできた。

 

『工藤さん』

『はい』

『百個という数字だけを見ないでください。その巣を一つ潰すのに、我々の兵士が何人必要だと思っているんですか?』

 ハリントンの声には、実戦を指揮する者としての厳しい響きがあった。

 

 創一は一瞬黙り、自分で額を押さえた。

『あー……いや、ごめん。今の言い方よくなかった。俺また百個って数字だけ見てた』

 第八次の戦闘で、ヘビーアーマーの強さが兵士に全能感を与える危険まで見ている。装甲が強力でも、中にいる人間まで不死身になるわけではないことは、創一自身がよく知っていた。

 

『でも、巣を見つけたら早めに潰す方針自体は変わらないんですよね?』

『ええ』

 ハリントンは即答した。

『放置すれば増えるだけではありません。時間が経つほど、個体も巣群も強くなる。攻略可能なうちに潰すべきです』

 

『マスター。敵性生物群は時間経過に伴い、個体数、個体強度、巣群規模が増大する傾向を既に確認しています』

 

『だよね。じゃあ結局、見つけたら潰すしかないか』

 

『とはいえ』

 ハリントンは、戦術マップを画面に映し出した。

『現在確認されているこの大型の巣群については、我々の戦力で十分に攻略可能です。装備、火力、偵察、撤退ルート。全て整いつつあります』

 

 ハリントンの目に、軍人としての強い意志が宿る。

 

『百個、必ず持って帰りますよ』

 

『おおー!』

 創一の顔がパッと明るくなり、会議室の空気もほんの少しだけ軽くなった。

 

  ◆

「時間を買える」

 

 ウォーレン大統領が、結論を下した。

 

「百本で、世界中の患者を救うことはできない。

 だが、百本あれば、各国の指導者と交渉するための『時間』は買える」

 

 何に使うか。すぐに全部を世界へ配るわけではない。

 一定数を、国内の緊急治療、軍事的な緊急事態用、外交カードとしての予備、医療研究用、そして原料のままの保存へと振り分ける。

 

 ただし、この会議の場で「誰に何本配分するか」までは決めない。

 なぜなら。

 

 全員の視線が、モニターの工藤創一へと向けられた。

 

『……何?』

 創一は、強烈な嫌な予感に襲われた。

 

「最終的な使用許可の権限を持っているのは、所有者であるあなただからです」

 エレノアが、無表情に告げた。

 

『だから、それやめない!?』

 創一が叫んだ。

『大統領が決めてくれればいいじゃん!』

 

「嫌だ」

 ウォーレンが即答した。

 

『早っ!』

「八十億人の人間の中から、“この人間は生かし、この人間は死なせる”などと、私個人の権限で決めたと歴史に名を残したくない」

 

『俺だって嫌だよそんなの!』

 創一が本気で嫌がる。

 

「では、選定基準そのものを『制度化』しましょう」

 ノア・マクドウェルが、静かに提案した。

 

 全員がノアを見た。

 

「工藤様が、患者を一人一人顔を見て選ぶ必要はありません。

 先に、誰の目から見ても公平な『ルール』を決めてしまえばよいのです」

 

 例えば。

 ・治療の成功可能性が極端に高いこと。

 ・他に有効な治療手段が一切存在しないこと。

 ・緊急性が高いこと。

 ・年齢だけで差別しないこと。

 ・個人の資産や政治力だけで決定しないこと。

 ・軍事および外交枠は、完全に別枠として政府が管理すること。

 ・利用後の長期的な追跡調査へ同意すること。

 ・国家単位(どこかの国にまとめて渡す)ではなく、あくまで症例単位(個人)で判断すること。

 

『おお』

 創一が感心した声を上げた。

『それなら、俺が一人一人選ばなくていい?』

 

「はい。基準を満たしたリストの中から、最終的な承認(サイン)だけをお願いいたします」

 ノアが微笑む。

 

『結局、最後のボタン押すの俺じゃん!』

 創一が突っ込むが、ルールという隠れ蓑があるだけ遥かにマシだ。

 

 ウォーレン大統領は、思わず声を出して笑った。

 ノアの提案は完璧だった。

 

「だが、その制度化を発表するのも、まだ早い」

 エレノアが現実的な方針に戻す。

「今はまだ、存在自体が非公開です。まずは時間を稼ぐ必要があります」

 

「同意する」

 大統領が頷き、アメリカの暫定的な対外方針を決定した。

 

「各国から、『DIVINE DROPは存在するのか?』と聞かれた場合。

 当面は、『特定の地球外生体素材を利用した、実験的再生医療について研究中である』とだけ答える。

『供給は可能か?』と問われれば、『臨床・製造・安全保障上の多角的な評価中である』と返す。

『我が国へ提供しろ』と要求されれば、『現時点で国外への一般提供制度は存在しない』とはねつける」

 

 嘘ではない。

 事実を、極めて官僚的に述べているだけだ。

 

「そして、『所有者へ直接聞かせろ』と言われた場合はどうしますか?」

 国務省が問う。

 

 アメリカ政府は、今度は堂々と答える。

「『医療技術の配分について、現在、協力主体(オフワールダー)との協議を継続中である』と答えろ」

 

 実際に今、こうして会議をしているのだから。

 

『それ、俺のこと?』

 創一が指をさす。

「あなたです」

 エレノアが冷たく肯定した。

 

 会議の終盤。

 ウォーレン大統領が全体をまとめた。

 

「第一。存在は積極的に公開しない。

 第二。聞かれた場合は嘘をつかず、研究中と答えて時間を稼ぐ。

 第三。Biomatterの確保を、最優先で拡大する。

 第四。公開が避けられなくなった場合に備えて、ノアを中心に配分制度のルールを構築する。

 第五」

 

 大統領は少し間を置いた。

 

「工藤氏には、ひたすら工場を回してもらう」

 

『それ!』

 創一が元気よく返事をした。

『それが一番得意ですから! 任せてください!』

 

「ただし、今後の定例会議には必ず出席してくださいね」

 エレノアが釘を刺す。

『えー』

 

  ◆

 会議終了直後。

 工藤創一は、地球側の管理端末からログアウトし、ゲートを越えてテラ・ノヴァの最前線へと向かった。

 

 一転して、そこは硝煙と土埃の舞う戦場だった。

 

 荒野に展開する、米軍のHeavy Armor部隊。

 鈍く光る装甲がズラリと整列し、12.7mm重機関銃、20mm携行機関砲、そして後方には無反動砲やグレネードランチャーなどの重支援火器が並ぶ。

 上空には偵察用のドローンが飛び交い、リアルタイムで地形データを送ってきている。

 

 ハリントン中佐は、ヘルメットのバイザーを下ろし、前方を見据えていた。

 

 遥か遠く。

 赤黒い菌苔に覆われた大地に、巨大な肉塊のようなバイターの巣群が密集している。

 地面には無数の穴が開き、おぞましい影が蠢いている。

 

 HUDに表示される偵察データ。

 推定敵性個体数:100以上。

 

『推定Biomatter回収量、約百単位』

 イヴの音声が響く。

 

 創一は、モニター越しにその光景を見つめた。

 さっきの会議の言葉が、脳裏をよぎる。

 

 八本。

 百本。

 八十億人。

 誰を救うのか。

 

 創一の顔から、いつものゲーム感覚の軽さが消え、少しだけ真面目な顔つきになった。

 

「百人分、か……」

 

「工藤さん」

 

 隣に立つハリントンが、静かに声をかけた。

 

「はい」

「数字を見るのは、作戦が終わってからにしましょう」

 

 ハリントンは、前方の巣群から目を離さなかった。

 

「まず、全員が生きて帰る。それが先です」

 

 創一は、少しだけ笑った。

「……ですね。よろしくお願いします、中佐」

 

 ハリントンは頷き、部隊全体の無線回線を開いた。

 

「全隊、最終確認」

 

 ガシャッ、ジャキッ!

 兵士たちが一斉に武器を構え、セーフティを解除する音が重なる。

 

「作戦開始」

 

 一拍。

 

「全隊、前進(ムーブ・アウト)」

 

 ズシン、ズシン。

 地響きが起きる。バイターたちの狂暴な咆哮が荒野に響き渡る中、Heavy Armor部隊が、一糸乱れぬ足取りで前進を開始した。

 

 百体の怪物。

 百人分の命。

 少なくとも、地球の権力者たちの間では、そのように換算され始めていた。

 

 だが。

 その血塗られた交換レートを成立させるために。

 今から誰かが、自らの命を懸けて、怪物の巣へと踏み込まなければならないのだ。




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