自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route―   作:パラレル・ゲーマー

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第21話 神の薬を買うため、中国とロシアが国家の値札を付け始めました

 深夜のモスクワ。

 クレムリンの一室に設けられた国家安全保障会議のテーブルは、重苦しい静寂に支配されていた。

 

 上座には、ウラジーミル・ボグダノフ大統領。

 その両脇には外相、国防相、対外情報庁(SVR)のトップ、そして原子力・エネルギー分野の重鎮や、宇宙・重工業を統括する関係者が並んでいる。

 

 大型モニターには、アメリカ政府の非公式ルートから届いたばかりの通達文が表示されていた。

 そこには、たった一行の原則(戒律)が記されている。

 

【OFFWORLDER PRINCIPLE】

 《テラ・ノヴァに地球の事情を持ち込まないこと》

 

 そして、その下にはアメリカ政府からの付記が添えられていた。

 

『《DIVINE DROP》について、協議は可能。現金による単純な売却は想定しない。国家レベルの戦略的対価の提示を要求する』

 

「……以上が、ワシントンからの回答です」

 側近が読み上げを終え、書類を置いた。

 

 ボグダノフは、手元の資料をもう一度見返した。

「それだけか?」

「はい。OFFWORLDER側の要求については、その一行のみです」

 

 ボグダノフは、一秒も迷わずに即答した。

「受け入れろ」

 

 外相が驚いたように顔を上げる。

「大統領。即答してよろしいのですか? このような未知の原則に縛られるのは——」

 

「何か問題があるのか?」

 ボグダノフは冷徹な眼差しで外相を射抜いた。

「テラ・ノヴァはロシアの領土ではない。我々はあそこに土地を持っていない。鉱山も持っていない。工場も持っていない。

 我々が所有していない惑星で、所有者が『俺の土地に口を出すな』と言っているだけだ」

 

 一拍。

「我々にとって、失うもののない条件だ」

 

 極めて冷静な、実利のみを見た判断だった。

 

「ですが、大統領」

 情報機関のトップが口を挟む。

「この条件から、少なくともOFFWORLDERには『地球を政治的に支配する意思がない』と評価してよいでしょうか?」

 

「できない」

 ボグダノフは即座に否定した。

「地球を支配したくないのかもしれない。高度文明なりの非干渉原則(プライム・ディレクティブ)なのかもしれない。あるいは——」

 

 大統領は、資料を机に投げ置いた。

「我々を支配する価値すらない(虫けらだ)と思っているのかもしれん」

 

 会議室が静まり返った。

「好意的な解釈を、国家安全保障の前提にするな。相手は人類の限界を超えた力を持っている。それを忘れるな」

 

 ロシアの基本評価は明確だった。

 OFFWORLDER——敵性の確認なし。友好存在の認定もせず。地球への直接的領土要求はなし。しかし、テラ・ノヴァという空間を絶対的な自己領域と認識している。

 

「触るな」

 ボグダノフは、各機関のトップたちに釘を刺した。

「奴が唯一『触るな』と言った場所だけは、本当に触るな。地球側での情報収集は続けろ。だが、テラ・ノヴァ内部に工作員を潜入させるような馬鹿な真似は絶対に許さん。神の薬への取引資格そのものを失うリスクを、我々から取る必要はない」

 

 ◆

 次の議題。

 モニターの表示が、《DIVINE DROP》の対象者たちのデータに切り替わる。

 ノア・マクドウェル。海道サクラ。そして、四肢を再生させた米軍兵士の推測データ。

 

「《DIVINE DROP》の性能について、我々の評価に変更はありません」

 情報機関の分析官が報告する。

「既知の疾病、外傷のほぼ全てに対応可能な、完全なる再生医療技術であると推定します」

 

 ボグダノフは、医療担当の重鎮を見た。

「私の分も用意しろ、と言いたいのか?」

 

「…………」

 医療担当者は一瞬言葉に詰まったが、引き下がらなかった。

「可能ならば、国家指導部用の予備として最低一本は確保すべきだと考えております」

 

「必要になれば使う」

 ボグダノフは潔く言った。

「私も癌にはなりたくない。老いたくもない。死にたいわけでもない」

 彼は聖人ではない。人間としての欲望は当然ある。

 

「だが、私はまだ健康だ。西側の新聞が期待しているほど弱ってはいない」

 軽く皮肉を飛ばす。

「今すぐ国家の重要資産を切り売りして、私一人の健康を買う必要はない。それは後回しだ」

 

 この言葉に、指導者としての揺るぎない格があった。

 

「では、最初の薬は誰に?」

「我々の原子力研究の第一人者で、七十歳を越えている者は何人いる?」

 

 担当者がタブレットを操作する。

「かなりの数になります」

「宇宙分野は?」

「同様です」

 

「そういう者たちから、優先リストを作れ」

「科学者を、ですか?」

 

「老人を若返らせる薬だと思うな」

 ボグダノフは冷たく言い放った。

「これは、失われようとしている『国家の記憶』を保存する技術だ」

 

 原子力、宇宙開発、冶金、材料工学、軍事工学。

 冷戦時代から何十年にもわたる暗黙知と経験を持つ、代替不能な頭脳たち。彼らを最良の状態に戻すことは、国家の戦略的価値を何倍にも引き上げる。

「先に救うべきは、国家の記憶だ」

 

 ◆

 対外情報庁のトップが、次の懸念材料を口にした。

「中国も、すでにアメリカ側から我々と全く同じ通達を受け取った可能性が高いと見ています」

 

「中南海の反応は?」ボグダノフが眉を上げる。

「政治局常務委員会に加え、引退したはずの複数の『長老』が急遽招集されているとのことです」

 

「長老まで?」

 ボグダノフは少し考え、そして低く言った。

「……まずいな」

 

「何がでしょう」外相が問う。

 

「中国には、死ぬには権力を持ちすぎ、引退するには元気すぎる老人が多すぎる」

 ボグダノフは冷笑した。

「そして今度は、本当に死ななくて済む薬が目の前にぶら下がっている」

 

「薬を巡る内部の権力闘争を懸念されていますか?」

 側近の一人が苦笑いをした。

 

「笑い事ではない」

 大統領は表情を消した。

「人間は、国家の損失なら合理的に損切りできる。だが、自分の『死』を損切りできる人間は少ない。

 北京の老人どもが正気を失えば、《DIVINE DROP》一つを手に入れるために、アメリカへ何を差し出すか分からんぞ」

 

 ロシアが最も警戒しているのはそこだった。

 中国が薬欲しさにアメリカへ過大な対価を提示し、結果として《神の雫》の世界的な“市場価格”を異常に吊り上げることだ。

 

「では、ロシアも早急に条件を提示しますか?」

 財務・外交側が前のめりになる。

 

「いや」

 ボグダノフは片手を上げた。

「OFFWORLDER PRINCIPLEの受諾だけは、直ちにアメリカへ伝えろ。だが、最初の価格(対価)はまだ我々からは出すな」

 

「中国を待つと?」

「中国でも、EUでも、日本でもいい」

 ボグダノフは、相手の出方を測るような目で言った。

「アメリカが、他国からの最初の一滴に『何を要求するのか』を見る」

 

 ロシアの戦略は明確だ。市場の最初の値段を、他国に付けさせる。

「こちらから焦って高値を付ける必要はない。神の薬であろうと、交渉は交渉だ」

 

「しかし、提示可能なカードは準備しておくべきです」

 側近の進言に、ボグダノフは頷いた。

「我々が出せるものを整理しろ」

 

 最初に挙がるのは、お決まりのリストだ。

 石油。天然ガス。金。天然ウラン。

 

「弱い」

 ボグダノフは一刀両断にした。

「では何を?」

 

「考えてもみろ。彼ら(アメリカとOFFWORLDER)は、金で買えないものを売っているのだ。こちらも、金で買えるもの(ただの資源)を出すな」

 

 先日のHeavy Armorの公開以来、ロシア側もテラ・ノヴァの危険度を逆算していた。百キログラムを超える装甲と二十ミリ携行機関砲が『標準装備』として必要な環境なら、通常の地球上の開拓ノウハウだけでは足りない。

 民生用原子力プラントの運用ノウハウ、原子炉周辺の特殊機器、放射線や高温環境に耐える特殊材料。

 極低温系の運用技術、ロケット推進系の産業経験、宇宙空間という長期閉鎖環境でのサバイバルデータ。

 そして、ソ連時代から培われた重工業、大型冶金、高圧・高温設備、極寒地での強靭なインフラ構築技術。そこには、過酷な環境で人間と設備を長期間生存させ続けてきたロシア独自の経験が詰まっている。

 

「単なる物を売るのではない」

 ボグダノフは、静かに命じた。

「我々の『能力(ケイパビリティ)』を売れ。テラ・ノヴァの過酷な環境を切り拓くために、アメリカが欲しがる経験値をパッケージ化するのだ」

 

 ロシアの暫定方針が定まった。

 ・OFFWORLDER PRINCIPLEを即受諾。

 ・テラ・ノヴァへの直接工作は厳禁。

 ・《DIVINE DROP》は欲しいが、自ら値段は吊り上げない。他国の初回交渉を観察する。

 ・原子力、宇宙、重工業の「能力パッケージ」を交渉カードとして準備。

 ・最初は一滴のみを狙う。

 

「一滴だけですか?」

「一つを手に入れられない国に、二つ目を論じる資格はない」

 

 大統領は、夜のモスクワの窓の外を見やった。

「まずは北京を見ろ。あの老人どもが、正気を保てるかどうかも含めてな」

 

 ◆

 一方、中国。北京・中南海。

 

 ロシアが「薬のジャンキーになるかもしれない」と危惧した、政治局常務委員会。

 国家安全部、外交部、軍部、経済関係のトップ。

 そして、杖をついた数名の「党長老」たちが、重厚な会議室に集まっていた。

 

 スクリーンには、クレムリンと全く同じ文書が投影されている。

 

【OFFWORLDER PRINCIPLE】

 《テラ・ノヴァに地球の事情を持ち込まないこと》

 

「……それだけか?」

 長老の一人が、拍子抜けしたように言った。

 

「受け入れろ」

 

 中国国家主席、李志遠(リー・ジーユエン)が、即答した。

 

「主席。まだ他国の反応も確認しておりませんが——」

 外交担当が制止しようとするが、李は冷たく遮った。

 

「他国の反応など必要ない」

 李は、会議室を見渡した。

「テラ・ノヴァは中国領か?」

「いいえ」

「中国企業の資産はあそこにあるか?」

「ありません」

「中国人の居住区は?」

「ありません」

 

「ならば、我々が失うものは何だ?」

 

 誰も答えられなかった。

「OFFWORLDERが、自分の工場に口を出すなと言っている。所有者として当然の要求だ」

 李は断言した。

「むしろ、条件としては異常なほど安い」

 

 アメリカだけがOFFWORLDERとの窓口を掌握しているという不満は当然ある。

「それも、現時点では仕方がない」と李は割り切った。

「重要なのは、OFFWORLDER自身が『中国を排除していない』ということだ」

 

 反中国の条件はない。共産党体制の変革要求もない。人権問題の言及も、軍縮要求も、台湾問題への口出しもない。

「ルールさえ守れば、中国とも等しく取引する。それだけ分かれば十分だ」

 

 さらに、李は国家安全部へ明確な指示を下した。

「テラ・ノヴァへ派遣されている米軍や技術者を取り込み、現地から情報を流させるための接触工作を、直ちにやめろ」

 

「……全てですか?」

 国家安全部長が少し驚く。彼の部署はこの数か月、米軍、NASA、契約企業、その家族関係まで洗い出し、いくつもの接触経路を準備してきた。それを一言で捨てろと言われている。

「地球上での通常の情報収集は続ける。だが、工作員をゲートの向こう(テラ・ノヴァ)へ送り込む計画は、完全に凍結しろ」

 

 李の目は厳しかった。

「唯一のルール(戒律)を、最初から破る馬鹿がどこにいる。数十年かけて潜伏させた優秀な工作員一人と、《DIVINE DROP》への国家アクセス権。比較するまでもない」

 

 中国は馬鹿ではない。

 目先の情報のせいで、未来の可能性を完全に閉ざすようなリスクは取らない。

 

「OFFWORLDERは、少なくとも地球上の政治的覇権には興味がないと考えられます」

 国家安全部の分析官が報告する。

 

「『少なくとも』、か」

「はい」

「善意の存在だと思うな」

 李は、ボグダノフと全く同じ思考の軌跡を辿っていた。

「地球へ干渉しないのではなく、地球へ干渉する『必要がない(価値がない)』だけかもしれない。相手を神だと思う必要はない。だが、我々より圧倒的に強い存在だという前提は、決して崩すな」

 

 ◆

 そして、話題は本命の《DIVINE DROP》へと移った。

 

「アメリカ側は、外国政府との取引そのものは拒否していません」

 

 その報告に、会議室の空気が一変した。

 長老たちが、目に見えて前のめりになる。

 

「何本だ!?」

「いつ手に入る?」

「条件は!?」

 

「まだ一本もありません」

 李が、冷ややかに、しかし力強く制した。

「順番争いは、手に入れてからにしてください」

 

「順番は重要だ!」長老が食い下がる。

「入手できなければ、全員ゼロです。違いますか?」

 

 李の言葉に、長老たちは反論できず沈黙した。

 

 八十代後半の、杖をついた最長老が、重い口を開いた。

「李よ」

「はい」

「お前には、まだ分からん」

「何がでしょう」

 

「老いるということが、だ」

 最長老の声には、権力者としての威圧感と、逃れられない死への恐怖が混じっていた。

「昨日まで上がれた階段が、今日は上がれなくなる。昨日まで読めた文字が、今日は霞む。眠りにつけば、明日の朝に目を覚ますという保証が、少しずつ手の中からこぼれ落ちていく恐怖」

 

 部屋が、静まり返る。

「五十代のお前には、まだ生の輝きと、それにしがみつく我々の気持ちは分からん」

 

 李は、少しの間を置いてから、静かに頷いた。

 

「……そうかもしれません」

 彼は茶化さず、正面から受け止めた。

「私はまだ五十代です。今の私が、皆さんの恐怖を完全に理解したと言えば、それは嘘になるでしょう」

 

 最長老は、少しだけ満足そうに目を細めた。

 

「ですから」

 李は言った。

「薬を確保できたなら、皆さんが先でも構いません」

 

 長老たちの顔に、予想外の驚きが走る。

「……よいのか?」

「私は健康です。少なくとも、今すぐあの薬が必要な状態ではない」

 指導者としての、見事な譲歩。

 

 だが、李は直後に、微笑みながら付け加えた。

 

「ただし」

 

 長老たちの顔が曇る。

 

「治療後は、皆さんにもきっちりと『働いて』いただきます」

 

 沈黙。

「……何?」

 

「身体が完全に健康になるのでしょう?」

 李は、至って真面目な顔で言った。

「判断力も、記憶も、何十年の政治経験もそのまま残る。肉体が若返るなら、現在より何倍も働けますよね」

 

「待て」

「何でしょう」

「八十を越えて、ようやく穏やかに隠居できると思っている老人を、また馬車馬のように働かせるつもりか?」

 

「なぜ引退するのです?」

 李は心底不思議そうに首を傾げた。

 他の政治局員たちが、必死に笑いを堪えて視線を逸らす。

 

「国家運営を数十年経験した、代えがたい人材です。健康上の理由(寿命)という制約が消えるのなら、再び国家の最前線で極めて有用な人的資産になります。当然でしょう」

 

「人を、中古の工作機械みたいに言うな!」

 長老が杖で床を突く。

「新品同様の性能になるのでしょう?」

 

 別の長老が抗議する。

「薬を使って若返ったら、海南島の別荘でのんびり余生を過ごすつもりだったのだが……」

「一抜けは許しません」

 李はピシャリと切って捨てた。

「今まで国家に尽くしてきたぞ!」

「存じています。ですので、その素晴らしい経験を、もう数十年国家のために使ってください」

「この悪魔め」

「ありがとうございます」

 

 欲望はある。権力闘争の火種もある。

 だが、国家のトップがその欲望を「国家の利益」として完全に管理(コントロール)していた。ロシアの懸念は、半分当たり、結論だけ外れていた。

 

 最長老が、しばらく黙っていたが、やがて「ふ……ははは」と笑い出した。

 

「いいだろう、李」

 老人の目に、かつての闘争心が戻る。

「若い身体に戻れるというなら。もう一度くらい、この国を背負ってやってもいい」

「助かります」

「ただし、お前の部下として使われる気はないぞ」

「そこは、党の組織規定に従ってください」

「本当に可愛げがないな、お前は」

 

 最長老は、李を真っ直ぐに見た。

「では李よ。お前が七十になっても、今と同じことを言えるか?」

 

「もちろんです」

 李は即答した。

「私がその時も国家に必要とされるなら、喜んで働きます。必要でないなら、ただ健康になったからといって、無駄に席を要求する理由にはなりません」

 

 その言葉で、李志遠主席の格が決まった。

 

 ◆

 本題に戻る。

「アメリカは何を要求してくるか」

 

 現金販売は拒否。戦略的対価の要求。

「アメリカが欲しいものを列挙しろ」

 李の指示に、経済担当が答える。

「金。米国債の処理。アメリカ国内へのインフラ投資……」

 

「違う」李が否定する。

「重要鉱物ですか? ガリウム、ゲルマニウム、黒鉛、希土類の加工ノウハウ。磁石、バッテリー、太陽光パネルの供給網……」

 

「それだけではない」

 

 李は、中国の持つ最大の『核心』を突いた。

 

「我々の最大のカードは——『生産能力』だ」

 

 世界最大級の、巨大な供給網。

 電池、太陽光パネル、モーター、産業機械、電子部品、ケーブル、ポンプ、建設機械、プレハブ、化学製品。

 

「OFFWORLDERの工場は、確かに高度だ」

 李は言う。

「だが、何もかもを未知の異星技術で一から作る必要はない。アメリカが地球のソーラーパネルを大量にテラ・ノヴァへ輸入していることは、すでに観測されている」

 つまり、地球の大量生産品でも、テラ・ノヴァの開拓の役に立つのだ。

 

「アメリカが最も欲しいのは、我々の“発明”ではない。

 我々が一年で何億個という製品を、安定して安価に作れるという『能力』だ」

 

 中国の提示案が固まっていく。

 ただし、技術の心臓部そのものを丸裸にはしない。

「設計図を売るな。生産力を売れ」

 

 第一案:アメリカおよびテラ・ノヴァ向けの専用生産枠の確保。

 第二案:特定重要鉱物の長期供給保証。

 第三案:一部の輸出規制の緩和。

 第四案:巨大な製造コンソーシアムによる優先受注。

 

「中国産業の心臓そのものを渡す必要はない。心臓を動かして、相手の欲しい物を作ってやればいいのだ」

 

 だが、国家安全部が懸念を示す。

「アメリカは、それでは足りないと言う可能性があります」

「当然だ。神の薬に、余剰生産能力だけを出しても相手は飲まんだろう」

 

 李は、交渉の核心を見据えた。

「我々が最も維持したい戦略的レバー(弱点)はどこだ?

 重要鉱物の輸出管理、特定の加工能力の独占、グローバルサプライチェーンへの政治的影響力。

 ……アメリカは、そこを要求してくる」

 

「では、どこまで自国の肉を切れば、一滴取れるか」

 ここからが、本当の血を流す交渉の準備だ。

 

 ◆

 モスクワの動向についても、中国側は情報を掴んでいた。

「ロシアも、原則を受諾する見込みです」

 

「ボグダノフは?」

「まだアメリカへ具体条件を提示していません」

 

 李は手元の資料を閉じた。

「こちらの値段を先に見るつもりだな」

 

「では、中国も待ちますか?」

「いや」

 

 ここで、中国はロシアと真逆の戦略を取った。

 

「先に動く」

 李は断言した。

「最初の非同盟国として、アメリカとの取引枠を確保する。他国の様子を窺って後から価格を合わせるより……最初の市場価格を、我々自身が作りに行く」

 

 中国の最終方針。

 第一:OFFWORLDER PRINCIPLEを中国は無条件で受諾する。

 第二:テラ・ノヴァへの直接工作は一切行わない。

 第三:DIVINE DROPについて正式な交換交渉を希望する。

 第四:中国は現金ではなく、『戦略鉱物+巨大生産能力+長期供給契約』のパッケージを協議可能とする。

 

「アメリカに要求する数量は?」外相が問う。

 長老全員が息を呑んで答えを待つ。

 

 李は少し考えた。

 

「まず、一滴だ」

 

「一滴!?」長老が不満の声を上げる。

「最初の一滴をもぎ取れない国が、十滴を要求してどうするのです」

 

 ロシアのボグダノフと、奇しくも全く同じ結論。

 大国のトップは結局、同じ最適解へと到達するのだ。

 

 ◆

 会議が終了し、長老たちが満足げに席を立つ。

 最長老が、李の肩をポンと叩いた。

 

「李」

「はい」

「本当に、自分の分を後回しにする気か?」

 

 李は、真っ直ぐに老人を見た。

 

「欲しいですよ」

 嘘偽りのない本音だった。

「死にたくありませんし、老いたくもない」

 

 李は机上の資料を揃えながら言った。

「ですが、私はまだ五十代です。あなた方より後でも、おそらく順番は間に合いますから」

 

「生意気な若造め」

「ですので、先にどうぞ」

 

 長老が嬉しそうに頷きかけた瞬間。

 

「その分、たっぷり働いてください」

「…………」

「一抜けは許しませんよ」

 

 長老は深いため息をついた。

「ロシア人に笑われるぞ、こんな国」

「薬を手に入れてから、いくらでも笑わせておけばいいでしょう」

 李志遠主席は、最後の資料を静かに閉じた。

 




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