自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route― 作:パラレル・ゲーマー
メリーランド州ベセスダ、国立衛生研究所(NIH)。
一人の若手研究員が独断で行った電子顕微鏡による観察と、数回の細胞培養実験。
その結果が弾き出したデータは、初めは『未知の治療用ナノテクノロジー』という控えめな件名で部門責任者のデスクへと送られた。
だが、その報告書に目を通した責任者の反応は、若手研究員の予想を遥かに超えていた。
わずか一時間後。
件名は『出所不明・高度ナノテクノロジー試料』へと書き換えられ、NIHの上層部へと緊急エスカレーションされた。
さらに三時間後。
事態は医学の範疇を完全に逸脱した。
『国家安全保障上の評価を要する未確認先端技術』。
そう再定義されたパンドラの箱は、保健福祉省(HHS)の上層部を経由し、ワシントンD.C.の国家安全保障を扱うルートへと一気に駆け上がった。
郵便室のラックで一か月間放置されていた無機質な段ボール箱が、ひとたび「本物」だと判定されてからのアメリカ合衆国の情報伝達速度は、恐るべきものだった。
◆
同日。
バージニア州ラングレー、CIA本部。
「……誰が送ったの?」
長官室のデスクで、CIA長官エレノア・バーンズは、冷徹な青い瞳で目の前の報告書を睨みつけていた。
鉄色のスーツを着こなす彼女の前に並べられているのは、インジェクターの写真、電子顕微鏡が捉えたナノマシンの拡大像、そして、老化細胞が若返り――正確には最適化――を果たした前後の比較データだ。
「現在、FBIを含む関係機関が発送経路を確認中です」
直属の分析官が、緊張した面持ちで答える。
「製造元は?」
「一切の刻印、シリアルナンバーはありません。筐体の接合部すら見当たりません」
「アメリカ国内の企業?」
「該当なし。このような製造設備を持つ企業は、少なくとも公開情報上は存在しません」
「MITやスタンフォードのような大学の研究室は?」
「該当なし。彼らの基礎研究のレベルを数世代飛び越えています」
「ロスアラモスやローレンス・リバモアのような国家研究所は?」
「少なくとも、関係機関が把握している極秘プロジェクト(ブラック・プログラム)の中には、該当する案件は存在しません」
エレノアは、報告書の最後に添付されていた、あのふざけた添え状のコピーを指先で弾いた。
『A concerned citizen(一人の憂慮する市民より)』。
「国外からの持ち込み?」
「断定はできませんが……現状、どの国の技術体系とも一致しません。不明です」
エレノアは数秒間、目を閉じた。
彼女の長年の諜報キャリアが、この小さなインジェクターが持つ異常性を告げている。
病気を治す?
そんなものは些末な問題だ。
このサイズで、自律稼働し、自己組織化を行うナノマシンを「製造」できる技術。
それが誰かの手にあるという事実。
「……大統領へ上げる」
即決だった。
「ですが長官。まだ送り主の身元すら……」
「悠長に特定を待っている時間はない。これが何であれ、国家のトップが即座に知るべき事案よ」
エレノアは立ち上がった。
ただし、最高権力者へ報告する以上、ノイズを整理する必要がある。
「大統領に何を報告し、何を提言するか。一時間以内にブリーフィング用のシナリオを構築するわよ。関係部門から必要な情報を集めなさい」
◆
その日の午後。
ホワイトハウス西棟(ウエストウイング)、大統領執務室(オーバル・オフィス)。
普段は各国の首脳を招き入れる華やかなこの部屋に、今日は重苦しい沈黙が満ちていた。
出席者は最小限に絞られている。
ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領。
ダグラス首席補佐官。
エレノア・バーンズCIA長官。
保健福祉省(HHS)の高官。
NIH側の科学責任者。
そして、国防総省(ペンタゴン)から派遣された将官が一名。
レゾリュート・デスクの中央には、分厚いアクリル製の保護ケースが置かれ、その中にエメラルドグリーンの液体を満たした銀色のインジェクターが鎮座していた。
ウォーレンは老眼鏡越しに、その奇妙な「薬」をじっと見つめた。
「So. Someone mailed this to Bethesda?
(つまり、誰かがこれをベセスダへ郵送してきたのか?)」
「Yes, Mr. President.
(はい、大統領)」
ダグラスが静かに肯定する。
「普通の郵便で?」
「はい。民間の配送業者を使っています。追跡番号(トラッキングコード)のついた、ごく一般的な小包です」
「……我が国の未来技術は、随分と庶民的な方法でやって来たものだな」
ウォーレンは皮肉っぽく笑った。
だが、手元のファイルに目を通すにつれ、彼の顔から笑みが消えていった。
「大統領。最初に申し上げておきます」
NIHの科学責任者が、一歩前に出た。
彼は白衣を着たままホワイトハウスに呼び出されたらしく、その顔には極度の疲労と興奮が混ざり合っていた。
「これは、新薬ではありません」
「では何だ?」
「正直に申し上げますと……我々にも、正確には分かりません」
一瞬、執務室の空気が止まった。
アメリカ合衆国のトップクラスの科学者が、大統領の面前で「分からない」と白旗を揚げたのだ。
「解析結果をご報告します。
この液体の中には、ナノスケールの極小機械が数兆個単位で含まれています。
これらは自律行動し、損傷した細胞を識別し、自己組織化を行って修復します。
さらに恐ろしいことに、老化した細胞のDNA損傷すらも修復し、健康な状態へと『初期化』する機能を有しています」
科学者は言葉を区切った。
「問題は、彼らの動力源(エネルギー)が不明であること。
どうやって個体間で通信し、群れ(スウォーム)として演算を行っているかが不明であること。
そして何より……現在の我々の技術では、絶対に再現不能であることです」
「……どれくらい先の技術だ?」
ウォーレンが低く問う。
科学者は言葉に詰まった。
「……比較そのものが難しいのです」
「十年か?」
国防総省の将官が横から口を挟む。
「いいえ。十年で到達できるレベルではありません」
「では五十年か。冷戦時代から続く秘密研究の産物という可能性は?」
「もっと先です」
NIHの科学者は、怯えるような目でインジェクターを見た。
「三百年先と言われても、私は否定できません。
いや、千年でも驚かないでしょう」
執務室が静まり返った。
「諸君」
ウォーレンはファイルをデスクに置き、両手を組んだ。
「科学者が政治家の前で『三百年』や『千年』なんて数字を使う時は、大抵ろくな話じゃない」
「申し訳ありません。ですが、既存の技術から延長線を引けないのです」
科学者は必死に説明した。
例えば、十九世紀の人間にスマートフォンを見せれば「魔法」だと思うだろう。
だが、真空管からトランジスタ、半導体への歴史を学べば、理論上の延長線にあることは理解できる。
だが、このナノマシンは違う。
技術体系(パラダイム)そのものが、現代科学の土台と根本的に異なっているのだ。
「……仮説を立てよう」
ウォーレンはエレノアに視線を向けた。
「エレノア。まず第一に、我々アメリカ国内の秘密研究(ブラック・プロジェクト)という線は?」
「現時点では否定的です。確認された範囲に、このような技術を持つ計画は存在しません」
「“確認された範囲”ね」
「大統領。これほどのブレイクスルーを何十年も完全に秘匿し続け、しかもその成果物をわざわざNIHへ匿名で郵送する意味がありません。
予算が欲しいなら議会工作をしますし、実用化したいなら軍に持ち込むはずです」
エレノアの指摘はもっともだった。
少なくとも、第一候補からは外れる。
「第二に。日本の秘密技術という線は?」
ダグラスが提案した。
日本はナノテクノロジー、精密工学、新素材、医療技術において、世界トップクラスの力を持っている。
「日本政府の極秘研究を盗み出した何者かが、アメリカへ逃亡し、亡命の見返り、あるいは接触の糸口としてサンプルを提供したのでは?」
「……スパイ説か。それなら一応、物語としては筋が通るな」
ウォーレンが頷く。
だが、ここでNIHの科学者が、かなり強めの口調で否定した。
「通りません。日本にこんな技術はありません」
全員の視線が彼に集まる。
「日本を侮辱する意図は毛頭ありません。むしろ逆です。
日本は世界有数の技術大国です。だからこそ、分かるのです。
これは『日本が秘密裏に十年や二十年先行した』程度の技術ではないのです」
科学者は、熱に浮かされたような声で続けた。
「三百年、あるいは千年先。
現代の国家が、どれだけ国家予算を注ぎ込んでも、隠れて作れるような代物ではありません。
もし……もしも日本がこれを単独で作れる技術力を持っているのだとしたら」
彼はゴクリと唾を飲み込んだ。
「我々が知っている日本経済、日本の産業構造、そして日本の軍事技術……そのすべてが『偽装』だったことになります。
彼らは我々を欺くために、わざと遅れた技術レベルを演じていることになるのです」
「……それはそれで、非常に嫌な世界だな」
ウォーレンが顔をしかめた。
「非常に」
ダグラスも同意する。
日本説を完全否定まではしないが、現実味は極めて薄い。
「では、中国か。ロシアか。あるいはイスラエルの秘密企業、巨大IT企業か」
「どれも同じ矛盾に突き当たります、大統領」
エレノアが冷徹に指摘した。
「彼らが開発したにせよ、盗んだにせよ、『なら、なぜNIHへ一個だけ送る?』という疑問で思考が止まります。
産業スパイなら企業に売るでしょう。
国家なら外交カードとして最高レベルの交渉に使うはずです。
……誰も、名無しで、一個だけ送ってきたりはしません」
堂々巡りだ。
執務室の空気が重く沈み始める。
NIHの科学者が疲れ切った顔でインジェクターを見つめ、小さく呟いた。
「……未来から来た、とでも考えない限り……」
言ってから、自分でも何を口にしたのか気づいたらしい。
「……失礼しました。今のは忘れてください」
「いや、構わん。今は馬鹿げた説も捨てるな」
ウォーレンが制止する。
この会議がすでに「異常」なのだ。
未来人説というSFじみた仮説を即座に笑い飛ばして却下できるほど、目の前のインジェクターは正常な存在ではなかった。
「Extraterrestrial origin.
(地球外起源)」
今度は、HHSの高官が真顔で言った。
執務室が、さらに深く静まり返る。
「ついに出たな」
ウォーレンがため息をついた。
「証拠はありません」
エレノアが即座に釘を刺す。
「ただし、否定する根拠もありません」
科学者が肩をすくめた。
「つまり我々は今、宇宙人が民間配送を使った可能性を、真面目に議論しているわけですか」
ダグラスが眼鏡を拭きながら言った。
「ホワイトハウス勤務も長いが、それは初めての経験だ」
ウォーレンの言葉に、少しだけ自嘲気味な笑いが漏れた。
だが、すぐに真顔に戻る。
「エレノア、整理しよう。
現状の仮説だ。
A:本人が開発者。
B:誰かから入手した。
C:外国政府・企業から盗んだ。
D:未知の第三者の代理人。
E:地球外、あるいはその他の未知起源。
……一番ありそうなのは、どれだ?」
「現時点では……判断不能です」
普段は曖昧な言葉を嫌うCIA長官が、珍しく言い切れなかった。
情報が少なすぎる。
そして技術が常識外れすぎるのだ。
日本か。
中国か。
秘密研究か。
未来人か。
宇宙人か。
議論が再び同じ場所を回り始めそうになった時だった。
「Wait. Wait, gentlemen.
(待て。待て、諸君)」
ウォーレンが軽く手を上げた。
その一言で、執務室にいた全員が口を閉ざす。
「我々は一つ、最も重要なことを忘れている」
全員の視線が大統領に集まる。
ウォーレンは、アクリルケースの中の医療用キットを指差した。
「これを持っていた人物は――」
一拍置く。
「我々へ、送ってきたんだ」
ウォーレンの言葉の真意を測りかね、執務室には当惑が広がった。
「大統領。それはつまり……?」
「考えてもみろ」
ウォーレンは、指を折りながら数え上げた。
「隠したかったなら、送らないはずだ。
カネにして売りたかったなら、裏社会で交渉するはずだ。
脅したかったなら、要求を書いてよこすはずだ。
亡命したいなら、連絡先を書くはずだ。
名誉が欲しいなら、本名を書くはずだ。
……だが、彼は何をした?」
「匿名でNIHへ送った」
ダグラスが答える。
「そうだ。
そして説明文には、『分析してほしい』『人類の役に立つかもしれない』とだけある。
カネを要求していない。
政治的な取引もない。
脅迫状もない。
亡命の希望もない。
『第二のサンプルが欲しければ……』という条件すら提示していないのだ」
沈黙。
ウォーレンの指摘は、極めて本質的な矛盾を突いていた。
どんな高度な技術を持っていようと、人間の行動には「動機」がある。
だが、この送り主の行動には、国家的なスパイや犯罪者に特有の「欲」や「意図」がスッポリと抜け落ちていた。
「……これは、我々に対する接触(コンタクト)なのでしょうか?」
HHSの高官が慎重に問いかけた。
「技術力を見せつけるための、デモンストレーションという可能性は?」
「その可能性はあります」
エレノアが頷く。
「能力の誇示か……」
国防総省の将官が唸る。
「それなら、もっと軍事的な物……例えば未知のエネルギー兵器や、ステルスドローンのようなものを送りつけてくるのでは?」
NIHの科学者が首を傾げる。
わざわざ「回復薬」を送ってくるというのは、示威行為としては平和的すぎる。
「あるいは……」
エレノアが、微かに表情を険しくして言った。
「送り主本人が、この技術の『価値』を正確に理解していない、という可能性です」
「……は?」
全員が、意味が分からないという顔でCIA長官を見た。
「仮説です」
エレノアは説明を続けた。
「本人にとって、これが『特別』ではない可能性。
だからこそ、警戒心も政治的な意図もなく、気軽にポンと郵便で送ってきた。
『ちょっと凄い薬を拾ったから、専門家に調べてほしい』……彼にとっては、本当にただそれだけのことだったのかもしれません」
「……千年先の技術をか?」
ウォーレンが呆れたように問い返す。
「もし本人にとって、その技術レベルが『普通』なのだとしたら」
エレノアの言葉に、科学者たちが青ざめた。
それはつまり。
人類を驚愕させるこの医療用キットが、送り主のいる環境から見れば、単なる初級の消耗品に過ぎない可能性を示唆していた。
薬そのもの以上に、この薬を日用品のような感覚で扱える背景が恐ろしいのだ。
その時。
オーバル・オフィスのドアが控えめにノックされ、ダグラスのスタッフが新しいファイルを届けた。
ダグラスが受け取り、エレノアへ回す。
エレノアは中身に目を通した。
その冷徹な顔に、僅かな驚きが走る。
「大統領。
FBIおよび関係機関が、配送記録と決済情報を照合しました。
送り主の候補者を一名まで絞っています」
「ほう」
ウォーレンが身を乗り出す。
「Soichi Kudo(工藤 創一)。
三十代半ば。日本国籍。米国の永住権(グリーンカード)を所持。
十数年前から西海岸に居住しています。
……職業は、IT企業のシステムエンジニア。数週間前に突然、自己都合で退職しています」
「前科は?」
「犯罪歴、なし。軍歴、なし。情報機関での勤務歴、なし」
「ナノテクノロジーの研究歴は?」
「なし」
「医学関係は?」
「なし。物理学の博士号すら持っていません」
エレノアは資料をめくりながら、淡々と答える。
「普通です。異常なほど……普通の中年男性です」
「……システムエンジニア?」
ウォーレンは不可解そうに反芻した。
「はい」
「具体的には、何をしていた?」
「現地IT企業における、レガシーシステム――旧式システムの運用保守です」
「……運用保守?」
ウォーレンは、思わずダグラスと顔を見合わせた。
「三百年先のナノマシンをぽんと送ってくるような男が、先月まで古い請求システムの面倒を見て、夜中のエラーで叩き起こされていたと言うのか?」
「記録上は、そうなります」
エレノアが真顔で答える。
数秒の沈黙の後、ウォーレンは小さく吹き出した。
「……ハリウッドの三流脚本家でも、もう少し説得力のある経歴を書くぞ」
彼はすぐに笑みを収めた。
「ナノテクも、医学も、軍事も無関係。
日本政府との繋がりは?」
「現在確認できる範囲では、外交官や日本政府機関との不自然な接触履歴はありません」
「では、彼は一体、何者なんだ?」
大統領の問いに、エレノアは首を振った。
「それを調査しているところです。
なお、国内での身元確認と調査そのものはFBIの管轄です。CIAは国外との関連性を含め、情報を統合しています」
「待ってください」
ダグラスが資料の一点に目を留めた。
「工藤氏が会社を辞めた日と、この医療用キットを発送した日。
時系列がほぼ一致しています」
「……未知の技術を入手してから、仕事を辞めたということか?」
ウォーレンが推測する。
「そう見えます」
エレノアが頷いた。
さらに、関係機関が集めた行動履歴が追記される。
「退職直後、彼は地元のホームデポ(大型ホームセンター)で大量の物資を購入しています。
電動工具、延長ケーブル、燃料、キャンプ用品、ミネラルウォーターなどです」
「何を作っているんだ? 彼は」
誰も答えられなかった。
三十代のSEが仕事を辞めてホームセンターで工具を買い漁り、その直後に千年先かもしれないナノマシンをNIHに送りつけてきた。
プロファイリングが完全に崩壊している。
ここから、話題は「第二の議題」へと移行した。
身元が割れた以上、次に検討すべきこと。
「接触(コンタクト)するかどうか」である。
「私は、可能な限り早く身柄を確保すべきだと考えます」
国防総省の将官が、強い口調で主張した。
「未知の超技術を保有している人物です。
もしこのまま放置して国外――日本へ移動されたり、中国やロシアへ技術を売却されたりすれば、取り返しのつかないことになります。
最悪の場合、彼がバイオテロやナノ兵器化の手段を持っている可能性すらある。
FBIに保護を名目とした確保を要請し、技術を管理下に置くべきです」
「反対です」
エレノアが即座に、かつ冷徹に切り捨てた。
「それは最悪の選択になる可能性があります」
「なぜだ、長官!」
「相手が、このインジェクターを一個しか持っていないという保証がありますか?
彼が製造者本人なのか、第三者の代理人なのかも不明です。
もしかすると、遠隔で強大な組織――あるいは我々の理解できない第三者に監視されている可能性すらある」
エレノアの言葉に、将官が怯む。
「さらに言えば、我々が特定したことに、彼がまだ気づいていない保証もありません。
それに何より……彼は今のところ、アメリカ合衆国に対して『善意』らしき行動しかしていません。
ただプレゼントを送ってきただけの相手に、武装した捜査官を送り込み、拘束・押収を行えばどうなるか。
次から、何も渡してくれなくなりますよ」
「我々に贈り物をした男へ、最初のお礼として銃口を向けるのは、外交として三流だな」
ウォーレンの一言で、強硬論はピシャリと抑え込まれた。
大統領の判断は明確だった。
敵対的行動を取るべきではない。
だが、放置もできない。
ならば、どうやって接触するか。
「FBIを派遣しますか?」
「FBIが来れば『犯罪捜査』だと思われる。警戒されるぞ」
「ではCIAの人間を?」
「国内で最初の接触役をCIAにする理由がない。それに、相手から見れば国家安全保障の匂いが強すぎる」
「ならば、HHSかNIHの研究者を向かわせるのが一番友好的では?」
「研究者だけでは、万が一の事態に対応できない。彼が未知の兵器を持っていたら?」
ホワイトハウスの大統領特使を派遣するか。
FBIの担当官に研究者を同行させるか。
日本語を話せる職員を入れるか。
電話か、事前にメールを送るか、それとも訪問するか。
アメリカ合衆国の中枢にいる大人たちが、一人の無職の日本人SEに「どうやって話しかけるか」で、頭を抱えていた。
誰を、どんな肩書きで送り込むかで、全てが決まる。
FBIなら犯罪捜査。
研究者なら科学。
ホワイトハウスなら国家案件。
「最初の肩書きで、その後の彼との関係性が全部決まるぞ」
ウォーレンは慎重だった。
国防側の将官が、苛立ちを隠せずに言う。
「ですが大統領。今すぐ会うべきです。逃亡される前に!」
「こちらが嗅ぎ回っていることに、本人が気づいていないという保証はないと言ったはずよ、将軍」
エレノアがたしなめる。
だが、彼らは知る由もなかった。
対象である工藤創一は、この時すでに「気づいていた」どころか、医療用キットを一か月も放置されたことに呆れ返っていたということを。
「……七十二時間だ」
ウォーレンが暫定的な結論を下した。
「まず、低侵襲な調査(ロープロファイル・インベスティゲーション)を行え。
彼の経歴、交友関係、財務状況、国外との接触記録、過去の勤務歴。
法の範囲内で集められるものを整理しろ。
そして、自宅周辺についても不用意に刺激しない範囲で状況を確認する」
大統領は、厳しい目でエレノアとダグラスを見た。
「ただし、家には入るな。逮捕もするな。
相手を刺激するような真似はするな。
彼は今のところ、我々に悪意を持っていない。
もしかすると……」
ウォーレンは、保護ケースの中のインジェクターを見た。
「相手が我々へ、もう一度何かを送ってくる可能性もある」
皮肉にも、大統領のこの予測は、大正解だった。
◆
惑星テラ・ノヴァ。
ガシャコン。ウィィィン……。
鋼鉄の歩く要塞――『ヘビーアーマー』に身を包んだ工藤創一は、軽やかな足取りで基地の中を移動していた。
「よし! これで『組立機(Assembling Machine/アセンブリング・マシン)』の半自動ラインが稼働したぞ!」
彼は目の前で規則正しく動く機械群を見て、満足げに頷いた。
チェストに材料を放り込むだけで、機械が勝手にヘビーアーマーの複雑な部品を製造してくれる。
面倒な手作り作業からの解放。
工場ゲーマーにとって、至福の瞬間だ。
「はっはっは! もう一時間も突っ立って待たなくていいんだ!
最高だぜ!」
ニコニコと笑う創一の脳内に、イヴの冷静な声が響いた。
『マスター。報告があります』
「ん? どうしたイヴ。どこかのラインが詰まったか?」
『いいえ。工場内ではありません。
地球側のネットワーク上において、マスター個人に関連する情報照会が、急激に増加している兆候を検出しました』
「……俺?」
『はい』
イヴがHUD(ヘッドアップディスプレイ)に、複数の情報源を統合した簡易グラフを表示した。
もちろん、彼女がアメリカ政府の機密通信を直接覗き見ているわけではない。
地球側への接続は、創一が所有するスマートフォン、パソコン、自宅ネットワークを経由している。
イヴが参照しているのも、公開情報、創一本人が正規にアクセス可能な各種アカウント、本人宛てに発生した照会や通知、そして外部から観測可能な通信・検索傾向などだ。
だが、それだけでも異常は分かる。
短時間のうちに、創一の過去の勤務歴、住所、車両、公開プロフィール、過去の連絡先などに関連する情報への関心が、一斉に跳ね上がっていた。
『個々の照会内容や発信主体を完全に特定することはできません。
しかし、通常ではあり得ない密度で、マスターという一個人について複数方向から情報収集が行われています。
時期を考慮すれば、組織的な調査が開始された可能性が高いと推定します』
「……あ」
創一は一拍置いて、ポンと手を打った。
「医療キットか!?」
『可能性は極めて高いです』
「ついに分析したのか!?」
創一の声は弾んでいた。
焦りや恐怖は微塵もなく、むしろ「やっとか!」という嬉しさすらにじんでいる。
『恐らく』
「一か月! 一か月もかかったじゃん!
ほら見ろ、俺の言った通りだろ?」
『……私の推定通りです、マスター』
イヴが静かに訂正する。
発送前、創一は「一週間くらいで大騒ぎになる」と予想していたが、イヴは「最低一か月」と冷酷に予言していた。
「あ、そっか。お前の予想通りだったな。
そこは威張っていいぞ、イヴ」
創一はヘビーアーマーの腕を組み、のんきに頷いた。
「で?」
『はい』
「いつ会いに来るんだ? NIHのお偉いさんとかが」
『不明です』
「…………へ?」
創一は間抜けな声を上げた。
『米国政府が医療用キットの存在と異常性を認識したことと、マスターへの直接接触(ダイレクト・コンタクト)を決断することは、全くの別問題です』
「何でだよ。気になったら聞きに来ればいいじゃん」
『彼らには、マスターの意図が分かりません』
「いや、だから『分析してほしかっただけ』だって」
『彼らはそれを知りません。
マスターがこの薬の製造者なのか。
どこかから盗み出した窃盗犯なのか。
外国政府の高度な工作員なのか。
未知の組織から託された代理人なのか。
……あるいは、人類文明外の存在と接触している人物なのか』
「最後のやつ、だいたい当たってるな」
創一は笑った。
『はい。
さらに彼らは、どの組織を最初に接触させるかで難航している可能性があります。
FBIか、保健福祉省か、それともNIHか。
国家安全保障案件として扱うなら、ホワイトハウスが関与している可能性もあります。
それぞれ管轄と、相手へ与える意味合いが異なります』
「そんなの、適当に研究者でも一人寄越せばいいじゃん。お茶くらい出すぞ」
『国家には国家の事情というものがあります。軽率な接触はリスクを伴うと判断しているのでしょう』
「面倒くさ……」
創一は心底呆れたようにため息をついた。
「じゃあ、明日来る?」
『保証できません』
「三日後?」
『不明です』
「一週間?」
『可能性はあります』
「えー……」
創一は本気で嫌そうな声を出した。
一か月も待たされた挙句、さらに「いつ来るか分からない」状態で放置されるのは、工場長――せっかちな男――の性分に合わない。
「そんなに悩んでウジウジしてるなら、もう接触しなくてよくない?」
『マスター』
「俺、ここで工場作ってるだけで十分楽しいし。別にお偉いさんとお近づきになりたいわけじゃないし」
『早計が過ぎます』
「そう?」
『はい』
イヴは、地球側の国家権力と「友好的な関係」を築くことの重要性を説き始めた。
『今後の地球側での活動を考慮してください。
大型の重機、高度な工作機械、産業設備の購入。
大量の物資の物流。
人員の雇用。
そして何より、マスター自身の法的立場、住居の維持、税金の問題。
これらすべてを個人のSEが秘密裏に処理し続けるには限界があります。
国家という後ろ盾(スポンサー)と協力した方が、圧倒的に効率的であり、安全です』
「まあ……言われてみれば、それはそうか。
毎回ホームセンターでカートいっぱいに資材買うのも、目立ち始めてるだろうしな」
『加えて、最悪のケースも想定してください』
「最悪のケース?」
『相手側が、マスターを「未知技術の保持者」としてではなく、「危険な装置と一体化した人物」だと判断する可能性です』
イヴの言葉に、創一の背筋が少し冷えた。
『ゲート・キューブは、マスターの右手から侵入し、神経系と完全に統合されています。
外見から確認できる異常はありませんが、何らかの検査で存在を察知された場合、相手の判断ライン次第では、拘束後にマスターの同意を得ず「未知デバイスの物理的な摘出」を試みる可能性も否定できません』
「…………」
創一は、自分の右手を見た。
見た目は、どこにでもある普通の手だ。
だが、その内部には、異世界への扉を開く人類未知の装置が溶け込んでいる。
「それ……めちゃくちゃ困るな」
『はい。非常に困ります』
「工場(ここ)に来れなくなるじゃん!」
『問題の優先順位がマスター独特ですが、結果としてはその通りです』
国家に拘束され、場合によっては身体を切り開かれるかもしれない恐怖よりも、「工場ゲーができなくなる」ことを真っ先に恐れる男。
それが工藤創一だった。
「じゃあ、こっちから『こんにちはー』って会いに行くのは止めよう。
なんか怪しいし、怖いし」
『賢明です』
「向こうが腹くくって、ちゃんとした使者を送ってくるまで待つ」
『推奨します』
創一は頷いた。
だが数秒後。
「……あ」
彼は、何かを思いついたような顔をした。
『何でしょう、マスター。嫌な予感がします』
AIであるはずのイヴの声に、明らかな警戒の色が混じった。
「追い医療キット、送る?」
『…………』
イヴが完全に沈黙した。
「ほら、向こうはめちゃくちゃ悩んでるんだろ?
だったら手紙つけてさ。
『どうもー。二個目を見つけたので送りますねー』って」
『マスター』
「一個しかないから大事に抱え込んで、慎重になってるのかもしれないじゃん。
二個目を送れば、『あ、意外とそこら辺にあるんだな』って安心させられる」
『逆です』
イヴは即座に否定し、政府側が取り得る解釈を羅列した。
『第一の解釈。
送り主はこれを複数入手、あるいは量産できる。脅威度が跳ね上がります。
第二。
送り主が我々の反応を安全な場所から観察し、次の反応を試している。不気味です。
第三。
追加サンプルを送ることで、相手側からの接触を暗に要求している。圧力と取られる可能性があります。
第四。
「我々はもっと持っている」という示威行為。
第五。
最初の一本を解析できたかを確認するためのテスト。
……いずれにせよ、安心などしません』
「えー? そんな怖く受け取る?」
『国家安全保障機関は、相手の意図が不明な場合、最悪の解釈を排除できない限り、それも検討します。
それが彼らの仕事です』
「じゃあ、メモに一言添えるよ。
『別に脅してません』って」
『より不審になります。言い訳がましいです』
「じゃあ『本当に善意です!』って」
『さらに悪化します。狂信者のようです』
「難しいな、外交って!」
創一は頭を掻きむしった。
『今頃お気づきですか』
「じゃあ……とりあえず保留」
『賢明です』
「でも、一週間待って誰も来なかったら送ろうかな」
『……検討します』
「二本くらい」
『一本から検討してください』
「いっそ三本送れば、太っ腹だと思って信じてもらえる?」
『量産能力に対する警戒が跳ね上がり、FBIの武装要員がドアを叩く可能性が高まります』
「なるほど!」
全然反省していない。
◆
その日の夜。テラ・ノヴァ。
自動化された工場の光が、紫色の夜空を照らしている。
工藤創一は、ヘビーアーマーの装甲の手で、新しくクラフトしたばかりの『医療用キット』をコロコロと転がしていた。
創一自身が使った一本目。
NIHへ送った二本目。
そして今、彼の手にあるのは三本目だ。
中にはエメラルドグリーンの液体が怪しく輝いている。
『マスター』
イヴが咎めるように呼んだ。
「分かってるって。まだ送らないよ」
『本当でしょうか』
「一週間は待つって言っただろ?」
創一は少し考え込み、
「……五日?」
『一週間です』
「はいはい」
彼は作業用デスクの上に、三本目の医療用キットをコトリと置いた。
そしてその横には、創一が暇つぶしにふざけて書きかけていた、英文のメモ用紙が置かれている。
『I found another one.(もう一個見つけました)』
『マスター。その紙は今すぐ破棄してください』
「まだ送ってないじゃん! 準備だけだよ、準備!」
ホワイトハウスの最高権力者たちは、送り主の「次の一手」を息を潜めて待っていた。
そして送り主は、彼らの予想通り、本当に次の一手を打とうとしていた。
ただし。
アメリカ合衆国が想像しているより、遥かに、気の抜けるような軽いノリで。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!