自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route―   作:パラレル・ゲーマー

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第5話 人体実験の結果、アメリカ政府が正気を失った

 ダニエル・“ダン”・マーサーが、カリフォルニアの工藤創一の自宅から二本の『医療用キット』を持ち帰った、翌日のことである。

 

 メリーランド州ベセスダ、国立衛生研究所(NIH)の敷地内にある最高機密会議室。

 窓一つない強固なセキュリティに守られたその部屋には、アメリカの医療・軍事・防諜の中枢を担うトップエリートたちが緊急招集されていた。

 

 NIHの科学責任者。

 ウォルター・リード国立軍事医療センターから派遣された主任外科医、および神経科医。

 再生医療分野の権威。

 国防総省(ペンタゴン)の医務担当将官。

 保健福祉省(HHS)の高官。

 大統領直属の政府法律顧問。

 そして、この「神の薬」を直接持ち帰ってきた当事者であるCIAのマーサーだ。

 

 巨大な会議テーブルの中央。

 そこに置かれたアクリル製の保護ケースの中には、エメラルドグリーンに発光する液体を満たしたインジェクターが一本、無言のまま鎮座している。

 

「…………」

 

 NIHの研究責任者は、手元の極秘書類と、ケースの中のインジェクターを交互に見比べた。

 その顔は、睡眠不足による疲労と、科学者としての理性が軋む音を立てているかのような苦悩に満ちていた。

 

「Human trial?(人体試験?)」

 

 彼は、信じられないものを見るような声で言った。

 

「正確には、緊急の治療的使用(コンパッショネート・ユース)だ」

 

 国防総省の医務担当が、硬い声で訂正する。

 

「いやいやいや、待ってください!」

 

 NIH側の科学者が、たまらず声を荒らげた。

 

「昨日までですよ? 昨日まで、我々はこの液体の製造原理すら『何一つ分からない』と報告していたんです!

 細胞レベルでの修復は確認しましたが、何がどう作用しているのかブラックボックスです。

 それを今日、いきなり人間に投与しろと!?」

 

「承知している」

「分かっているなら、なぜこんな無茶な真似を!?」

「大統領からの直接命令だ。必要な準備を最優先で進めろ、とな」

 

「大統領命令!?」

 

 会議室の空気が一気に騒がしくなる。

 医学の常識、FDA(食品医薬品局)の承認プロセス、何年にもわたる動物実験と臨床試験(フェーズ1~3)。

 そうした通常のステップを極端に圧縮し、得体の知れないナノマシンを直接人体に投与しようというのだ。

 

「誤解しないでいただきたい」

 

 騒然とする中、政府法律顧問が冷ややかな声で制した。

 全員の視線が彼に集まる。

 

「大統領が命令したのは、あくまで『必要な手続きを最優先で、かつ最短で進めろ』ということです。

 患者本人の同意、担当医師団の医学的判断、そして倫理委員会の特例審査。

 これら全てをスキップして、誰か無実の人間を拘束して無理やり注射するような、非人道的な真似をしろと言っているわけではありません」

 

 顧問は眼鏡のブリッジを押し上げた。

 

「法と倫理の枠組みの中で、最速で合法的な人体投与を実現させる。

 それが我々に課せられた任務です」

 

 それを聞いて、ウォルター・リードの外科医が腕を組んだ。

 

「なるほど。

 では、一番大きな問題をクリアしなければなりませんね」

 

 外科医は、テーブルの中央にある薬を睨みつけた。

 

「この出所不明の液体を、自らの体に打ち込んでほしいと『志願する』患者。

 ……誰がそんな役を引き受けるんです?」

 

 沈黙。

 当然の疑問だ。

 いくら「怪我が治るらしい」と言われても、どこの誰が作ったか分からない緑色の液体を喜んで血管に入れる人間など、正常な思考回路を持っていれば存在するはずがない。

 

「その点については」

 

 国防総省の医務担当が、分厚いファイルをテーブルに置いた。

 

「一人、我々の管理下に候補がいる」

 

 ファイルがめくられ、大型モニターに一人の兵士のカルテが映し出された。

 ジェームズ・マクラーレン軍曹。

 28歳。アメリカ陸軍所属。

 

「マクラーレン軍曹は、二週間前、中東での極秘任務中に、車列付近で即席爆発装置(IED)の直撃を受けました。

 大規模な爆傷です。

 救急ヘリによる搬送と、数次にわたる緊急手術により、なんとか命を取り留めることには成功しました。

 ……ですが」

 

 モニターに、手術後のマクラーレンの画像が表示される。

 両腕がない。両脚もない。

 激しい爆風と破片により、四肢の全てが修復不可能なほどに破壊され、救命の過程で切断を余儀なくされたのだ。

 さらに、肺の挫傷、肝臓の破裂、腎臓への深刻なダメージ、消化管の広範な損傷。

 

「現在はICUで厳重な管理下にあり、生命維持装置に繋がれています。

 意識は明瞭です。彼自身の精神力で持ち堪えているような状態です」

 

 医務担当は、重苦しい声で結論を述べた。

 

「しかし、現代の医学で彼にできることは、これ以上ありません。

 内臓の機能低下は進行しており、遠からず多臓器不全に陥るでしょう。

 義手や義足を付ける段階にすら到達できない。

 ……彼が元の身体を取り戻せる可能性は、ゼロです」

 

「待ってください」

 

 ウォルター・リードの医師が、反発するように声を上げた。

 

「マクラーレン軍曹は、国のために戦って傷ついた英雄です。実験動物ではありません」

 

「分かっている」

「彼は数多の手術を乗り越え、ようやく状態が安定したばかりなんです。

 そこに成分不明のナノマシンなどという異物を投与すれば、アナフィラキシーショックで即死する可能性だって——」

 

「工藤創一本人は、すでに自分へ使用しています」

 

 その声は、部屋の隅から静かに放たれた。

 マーサーだ。

 全員が、この情報をもたらしたCIAの交渉官を一斉に振り向いた。

 

「どういう意味だ?」

「工藤創一が、自分に?」

 

「はい」

 マーサーは淡々と答えた。

「彼はNIHへこのサンプルを送付する直前に、自分自身の体で被験者第一号になっています。

 結果は、健康状態の劇的な改善。彼自身の言葉を借りれば、『腰痛や肩こりが消え、視力が良くなった』と」

 

 NIHの科学者たちが、口をポカンと開けた。

 千年先の技術を、肩こり治療に使った男。

 

「……馬鹿なんですか?」

 誰かが思わず本音を漏らした。

 

 マーサーはほんの一拍だけ間を置き、静かに頷いた。

 

「その評価については、否定しません」

 

 極度の緊張感に包まれていた会議室に、ほんの微かに、乾いた笑いのような空気が流れた。

 だが、事実として「人体に使用しても即死はしない」という強力な(とはいえ自己申告の)実例が提示されたことで、倫理委員会の背中を押す決定的な材料となった。

 

  ◆

 ウォルター・リード国立軍事医療センター、厳重に隔離された特別個室。

 ジェームズ・マクラーレン軍曹は、ベッドの上に横たわっていた。

 

 四肢を失った彼の体には、無数のチューブとセンサーが接続されている。

 傍らには、目を真っ赤に腫らした妻が座り、医師団と軍の担当官が沈痛な面持ちで立ち並んでいる。

 

「……軍曹。十分に理解していただきたい」

 

 主任医師が、静かに、だが明確な言葉で説明を終えたところだった。

 

「これは『未知の治療法』です。

 政府が極秘に入手したもので、従来の薬とは全く異なるアプローチで細胞を修復すると言われています」

 

「未知って?」

 マクラーレンは、酸素マスク越しに掠れた声で問うた。

 

「文字通りです。我々にも全容は解明できていません」

「成功率は?」

「分かりません」

「副作用は?」

「分かりません」

 

 マクラーレンは、残された上腕部をわずかに動かした。

 

「……死ぬ可能性は?」

 

 医師は目を伏せ、沈黙した。嘘はつけない。

 

「……否定できません」

 

「治る可能性は?」

「……この薬の製造者は、『怪我が治る』と言っています」

「俺の手足も?」

「……はい」

 

 マクラーレンは、天井の白い照明をじっと見つめた。

 数秒間の沈黙。

 やがて、彼はポツリと聞いた。

 

「そいつ、医者なんですか?」

 

 軍の担当官が、気まずそうに答える。

 

「……元システムエンジニアです」

「…………」

「今は、無職です」

「…………」

「別の惑星で、工場を作っているそうです」

 

 マクラーレンは、傍らの主任医師に視線を向けた。

 

「先生」

「はい」

「俺、鎮痛剤強すぎません? 幻聴がひどいんですけど」

 

 当然の反応だった。

 だが、彼らは本気だった。

 医師も担当官も、家族にも時間を置き、彼自身に熟考する時間を与えた。

「この提案を断っても、あなたの輝かしい軍歴にも、その後の待遇にも、一切の影響はありません。これは完全な任意です」と、何度も念を押した。

 

 それでも。

 マクラーレンは決断した。

 

「……やります」

「本当に?」

「先生」

 

 彼は、シーツの下にある、何もない空間——かつて自分の腕や脚があった場所を見た。

 

「今の医学じゃ、俺の腕も脚も、二度と戻らないんですよね?」

「……そうです。申し訳ない」

「損傷した腎臓も?」

「機能回復は難しい状態です」

「じゃあ」

 

 マクラーレンは、僅かに口角を上げた。

 

「未知でも、ゼロよりは上でしょう」

 

 決定は下された。

 

  ◆

 ホワイトハウス地下、シチュエーション・ルーム。

 壁面の巨大なスクリーンには、ウォルター・リード陸軍医療センターの特別個室の映像が、極秘回線を通じてライブ配信されていた。

 

 ウォーレン大統領、ダグラス首席補佐官、エレノア・バーンズCIA長官。

 国防長官に、統合参謀本部の将官たち。

 HHSとNIHのトップ科学者たち。

 

 アメリカという国家の中枢が、一人の兵士の治療を見守るために結集していた。

 当然ながら、全員の表情には「半信半疑」という言葉が張り付いている。

 マーサーの持ち帰った映像で「別の惑星の工場」を見た。だから、このインジェクターが本物の超技術であることは頭では理解している。

 だが、「四肢の再生」は別問題だ。

 

「大統領」

 

 NIHの科学責任者が、スクリーンを前にして緊張した声で切り出した。

「事前に申し上げておきます」

 

「うむ」

 

「マクラーレン軍曹の内臓損傷の修復については、我々が確認した細胞培養実験の結果から推測すれば、まだ理解の余地があります。損傷した組織をパッチワークのように治すことは、理論上は不可能ではないからです。……しかし」

 

 科学者は、スクリーンのマクラーレンの体——四肢を失ったその姿を指し示した。

 

「失われた腕や脚を『完全再生』するには、単に傷口を塞ぐのとは次元が違います。

 切断された神経。砕けた骨。筋肉、血管、皮膚。

 どこへ向かって骨を伸ばすのか。筋肉をどう配置して機能させるのか。末梢神経をどう再接続するのか。

 指先の指紋、関節の可動域、腱のテンション……。

 これらを全て元通りに再構築するためには、彼自身の身体の『完全な構造情報(設計図)』が必要になります」

 

 科学者の声が、恐怖に微かに震えていた。

 

「もし、このインジェクターが本当にそれを成し遂げるとしたら。

 ……これは、薬ではありません」

 

「では、なんだ?」

 ウォーレンが問う。

 

「人体という有機物を、設計図から再構築するための……『自己完結型の生体工場』です」

 

 シチュエーション・ルームが、深い沈黙に包まれた。

 

  ◆

 ウォルター・リード国立軍事医療センター。

 運命の時間が来た。

 

「ジェームズ。始めます」

「お願いします」

 

 完全防護服を着た医師が、エメラルドグリーンの液体が詰まったインジェクターを、マクラーレンの上腕部の残存組織に押し当てた。

 

 カシュッ。

 

 圧縮空気が解放される微かな音と共に、未知の液体が彼の体内へと注入された。

 

 0秒。

 何もない。

 

 5秒。

 マクラーレンの表情に変化はない。

 

 10秒。

 ピッ、ピッ、ピピピピピッ!

 心拍モニターの警告音が鳴り響いた。

 

「心拍上昇! 体温、急激に上昇しています!」

「代謝率が測定限界を突破!」

「何だ、この数値は!?」

 

 リアルタイムで更新される血液検査のデータに、医師たちが愕然とする。

 

「肝酵素の数値が……下がってる?

 いや、早すぎる! 数秒で正常値に戻るわけがない!」

「肺の画像を見てください!

 挫傷部位が縮小しています! 浮腫が消えて、酸素交換率が改善している!」

 

 損傷していた内臓が、次々と異常な速度で「正常化」していく。

 

「待て。クレアチニン値が……」

 

 医師の一人が、信じられないものを見る目でモニターを凝視した。

 

「そんな馬鹿な。損傷していた腎組織が、細胞レベルで再生しているのか……?」

 

 現代医学が匙を投げた多臓器不全の危機が、まるで早回しの映像のように、平然と正常値へと戻っていく。

 だが、奇跡は内臓だけでは終わらなかった。

 

「……末梢神経活動を検知?」

 

 切断面に取り付けられたセンサーを見ていた神経科医が、弾かれたように声を上げた。

 

「あり得ない! 切断されているんですよ!? その先はないのに!」

 

 だが、データは残酷なまでに正確な現実を告げている。

 切断された末梢神経の軸索が、何もない空間へ向かって、猛烈な勢いで伸長を開始したのだ。

 

「MRI画像!

 骨芽細胞の異常増殖! 筋細胞の分裂、血管新生が始まっています!」

 

 普通なら数週間、いや数ヶ月かけて行われるはずの微弱な修復プロセス。

 それが、秒単位で実行されている。

 

「……先生」

 

 マクラーレンが、荒い息を吐きながら言った。

 

「どうした!? 痛いのか!?」

「違う……」

 

 彼は息を呑み、信じられないという顔で右腕の切断面を見た。

 

「右腕に……指がある感じがする」

 

 幻肢痛。

 医師は最初、切断患者に特有の神経の錯覚だと思った。

 だが。

 

「先生……!」

 

 看護師が悲鳴のような声を上げた。

 切断された右腕の断端。

 その先の皮膚が、膨らみ、盛り上がり、そして——伸び始めたのだ。

 

 それは、血が噴き出すようなグロテスクな光景ではなかった。

 むしろ、異常なほど整然とした、美しいプロセスだった。

 半透明のゼリー状の組織が先行して枠組みを作り、その内側で骨格が組み上がり、赤い血管が走り、筋肉の繊維が編み込まれていく。

 最後に、新しい皮膚がそれを覆い隠していく。

 

 細胞の増殖というよりは、工場の組立機(アセンブラー)が精密機械を製造しているかのような、完璧な構築(ビルド)。

 

「……アセンブリ……」

 

 シチュエーション・ルームのモニター越しに見ていたNIHの研究者が、うわ言のように呟いた。

 

「何?」

「作っているんだ。身体を。

 その場で、部品を組み立てている……」

 

 肘が形成される。

 前腕の骨が伸びる。

 手首の関節が繋がり、手のひらが広がる。

 そして、五本の指が、指紋の溝一本一本に至るまで完全に再現された。

 

 完全なる右腕。

 マクラーレンは震える視線で、新しく生えた自分の腕を見た。

 指に力を込める。

 ゆっくりと、五本の指が動く。

 握り込み、そして開く。

 

「…………」

 

 医師は言葉を失い、ただその光景を立ち尽くして見ていた。

 

 右腕だけではない。

 左腕。右脚。左脚。

 ほぼ同時に再生プロセスが進行し、数分後には、失われていた四肢が完全に彼の体に戻っていた。

 

 神経伝導速度、血流、骨密度、筋出力。

 すべての数値が正常。

 軍の医療記録と照合しても、身長、骨格のバランス、左右の筋力のわずかな差異に至るまで、切断前とほぼ完全に一致していた。

 

「……異常が」

 医師の一人が呟いた。

 

「何だ? 拒絶反応か!?」

「ない」

「何?」

「異常が、何もないんです。……それどころか」

 

 古傷の痕跡すら消え去り、彼が軍に入隊した当時の、最も健康だった状態——全盛期の肉体へと最適化されている。

 

「まだ動かないでください!」

「分かってます……」

 

 だが、マクラーレンは両手を見つめ、指を動かしながら、ポロポロと涙をこぼした。

 足の指を動かす。確かな感覚が、脳に伝わってくる。

 

「……先生」

「はい」

「俺の足、動いてます?」

 

 医師も泣きそうな顔で、何度も頷いた。

 

「動いてる。完全に、動いてるぞ……」

 

 ガラス越しの観察室で見ていた妻が、泣き崩れる声が響いた。

 

  ◆

 シチュエーション・ルーム。

 ここまで、誰も声を出せなかった。

 

 画面に映し出された、四肢を取り戻した軍曹の姿。

 ウォーレン大統領は、口を半開きにしたまま固まっていた。

 ダグラスは眼鏡を外し、何度もレンズを拭いている。

 国防総省の将官たちは、雷に打たれたように完全硬直している。

 

 そして、誰かが小さく呟いた。

 

「Holy shit.(なんてこった……)」

「Holy fucking shit……」

 

 ウォーレンは、今回ばかりはその不敬な言葉を注意しなかった。

 なぜなら、彼自身も全く同じ気持ちだったからだ。

 

「これは……」

 

 NIHの科学者が、震える手でマイクを握った。

 彼の視線が、言葉を探すように宙を彷徨う。

 

「神の奇跡だ」

 

 だが、別の研究者がそれを即座に否定した。

 

「違います」

「?」

 

 その研究者の声は、恐怖に染まりきっていた。

 

「奇跡なら、まだ我々にも理解を諦めることができます。神の御業だと。

 しかし……画面を見てください」

 

 彼は、マクラーレンの完璧に再生された腕を指差した。

 

「これは、技術(テクノロジー)です」

 

 沈黙。

 奇跡ではない。誰かが意図して設計し、製造し、再現可能な工業製品としてパッケージングした「技術」。

 その事実の方が、神の奇跡よりも遥かに恐ろしい。

 

 そして。

 その恐怖を上回る圧倒的な「欲望」が、アメリカ政府の理性を吹き飛ばした。

 

「大統領!」

 

 突然、国防総省の高官が立ち上がり、叫んだ。

 

「買うべきです! 全量です!」

「何?」

「あの工藤創一から、この薬を全て買い上げるんです!

 一本一億ドルでも安い!」

 

「一億ドルだと?」

 HHSの官僚が色めき立つ。

「馬鹿な! 百億ドル出してもお釣りが来る技術だ!」

 

 さらに別の国防関係者が机を叩いた。

 

「いや、他国への供給を絶つ『独占契約』が結べるなら、一千億ドルでも安い!!」

 

「おい、落ち着け」

 ダグラスが制止しようとするが、もう彼らは止まらなかった。

 

「考えてください、大統領!

 戦死者、重傷者、退役軍人のケア。

 癌、臓器不全、脊髄損傷、神経変性疾患。

 これらすべての医療費だけで、年間どれだけの国家予算が消えていると思っているんですか!

 この薬が量産できれば、それら全てがひっくり返るんですよ!」

 

「軍事的な価値はそれ以上だ!

 負傷兵が翌日には戦列復帰できる。前線の兵站と医療システムが根本から変わる!」

 

「外交・安全保障上の価値も計り知れない!

 大統領! 他国へ渡る前に、直ちに独占契約を!」

「中国に一本でも渡ったらどうなるか! ロシアは! EUは!」

 

「日本だって彼の母国だぞ! 日本政府が接触する前に抑え込むべきだ!」

「今すぐ工藤創一と再接触してください!」

「供給ルートを聞き出せ! 製造設備を特定しろ!」

「他国との取引制限を、契約の絶対条件へ入れるべきです!」

 

「大統領!!」

 

 ウォーレンは、ガンガンと痛むこめかみを両手で押さえた。

 欲と恐怖が入り混じった狂乱。

 アメリカという巨大な国家が、一本の薬の前に正気を失いかけている。

 

「落ち着け!!」

 

 大統領の怒鳴り声が、シチュエーション・ルームに雷のように響き渡った。

 

 シーン。

 全員がピタリと動きを止め、口を閉ざす。

 

 ウォーレンは深く深呼吸をした。

 モニターを見る。

 新しい腕を動かし、涙を流す兵士の姿。

 

「……君たちの気持ちは分かる。痛いほどに」

 

 ウォーレンは静かに言った。

 

「私だって今すぐ財務長官へ電話して、『連邦準備制度の輪転機をフル稼働させて、カネはいくらでも出せ』と言いたい気分だ。

 ……だが、落ち着け。論理を見失うな」

 

「大統領のおっしゃる通りです」

 

 全員が、声のした方を見た。

 エレノア・バーンズだ。

 彼女だけは、この狂騒の中でも完璧な無表情を保っていた。

 いや、よく見れば、コーヒーカップを持つ手が微かに震えている。CIAの氷の女王とて、この奇跡の映像には衝撃を受けているのだ。

 

「まず、事実を整理しましょう。

 工藤創一は、我々から逃げていません」

 

 エレノアは冷徹に状況を分析する。

 

「一回目。彼から自発的にNIHへ送ってきた。

 二回目。また送ってきた。

 我々が調査に行き、接触した。彼はマーサーを家へ入れ、テラ・ノヴァの全容を見せ、追加で二本を渡した。

 ……これ以上ないほど、我々に対して協力的です」

 

「だが、だからこそ独占すべきだ!」

 国防側の将官が食い下がる。

 

「その友好的な相手に対して」

 エレノアが氷の視線で将官を射抜いた。

 

「『他国へ売るな』『製造方法を渡せ』『独占契約の書類に署名しろ』と、政府の権力とカネを振りかざして一斉に押しかけるのですか?

 ……最悪の選択です」

 

「しかし国家安全保障が!」

 

「だからこそです、将軍。

 友好的な供給者を、自分たちの手で『潜在的な敵』へと変える必要はありません」

 

 沈黙。

 エレノアの言葉は重かった。

 

「そもそも」

 

 ダグラスが机の上の資料を指差した。

 

「マーサーの報告書を思い出してください。

 工藤氏は昨日、何と言っていましたか?」

 

 誰かがポツリと答える。

「……薬はいくらでも渡す、と」

 

「そうだ。そしてもう一つ重要な発言がある。

『でも、作れますし』だ」

 

 ダグラスの言葉に、シチュエーション・ルームが再び静まり返った。

 

「我々はいま」

 ウォーレンが、机の上の保護ケースを見た。

 

「この一本を、国家を動かし、一千億ドルの価値がある『希少な宝』だと考えて狂乱している。

 だが、工藤創一にとってこれは何だ?」

 

「彼にとっては、必要になれば追加生産できる消耗品です」

 エレノアが答える。

 

「そうだ」

 大統領は頷いた。

 

「つまり、価格交渉の前提が根本的に狂っているのだ。

 我々が『一千億ドル出す! 独占させろ!』と札束で殴りかかっても、

 彼からすれば『でも、作れるし。そんなにカネもらっても困るんですけど』で終わる。

 金で囲い込める相手ではない」

 

「いきなり一千億ドルなんて突きつけたら、逆に不気味がられて逃げられるかもしれませんね」

 ダグラスが皮肉っぽく言う。

 

 ウォーレンは、そこで昨日の決断を思い返した。

 

「昨日、我々はもう答えを出したはずだ。

 国家の総力を挙げて、彼の『バックオフィス』を務める、と」

 

 狂乱していた面々が、はっとしたように大統領を見る。

 

「方針は変えない。むしろ強化する。金は出す。当然だ。だが、『金だけで買おうとするな』。

 工藤が欲しがっている物は明確だ。

 重機、物流、土地、人材、行政手続き、税務処理、そして安全」

 

 ウォーレンはニヤリと笑った。

 

「つまり、アメリカという『国家』だからこそ提供できる最高のサービスだ。

 彼は昨日の時点で、我々に答えを教えてくれている。

『国家規模のバックオフィス』が必要だとな。

 なら、最高品質のバックオフィスを提供してやろう」

 

 専属の政府窓口。

 有能な法務・税務チーム。

 完璧な物流網。

 軍や政府契約企業からの、大型重機や産業設備の優先調達。

 必要な土地、倉庫、輸送車両。

 秘密保持の徹底と、惑星間検疫のサポート。

 

「彼が工場を成長させるために直面するあらゆる『面倒事』を、我々アメリカ合衆国が全部引き受ける。

 それが本当の対価だ」

 

「独占についてはどうしますか?」

 国防側が尋ねる。

 

「相談する。禁止はしない」

「しかし……!」

「禁止できると思うか?」

 

 大統領の言葉に、再び沈黙が落ちた。

 工藤は日本人だ。日本に家族や故郷がある可能性は高い。

 さらに何より、テラ・ノヴァという無尽蔵の資源と技術の源泉を独占しているのは、工藤自身だ。

 アメリカが彼を縛れる鎖はない。

 

「我々が『最初の協力国』であるという圧倒的な優位を、自分たちから捨てるような真似はするな」

 

 エレノアが現実的な要求ラインを提案する。

 敵対国家への戦略技術提供に関する事前協議。

 医療用キット供給における米政府への優先交渉権。

 地球へ持ち込む生物・物質の検疫協力。

 工藤本人の安全保障。

 

「『他国へ一切渡すな』までは要求しません。

 最初から首輪を持っていけば、彼は我々をバックオフィスから外すだけです」

 

 強い。

 それが最適解だと、全員が理解した。

 

 会議の隅で、NIHの研究者がまだモニターの映像と投与前後のデータを見比べていた。

 

「……待ってくれ」

「どうした?」

「投与前と現在の体重記録を出してくれ。四肢の再生分だけ、明らかに体重が増えている」

「……それが?」

「その質量は、どこから来た?」

 

 研究者は、自分で口にした疑問に青ざめていった。

「点滴量では到底足りない。インジェクター自体にも数十キロの物質など入っていない。大気中から元素を集めたとしても、この速度で人体へ組み替えるためのエネルギー源が見当たらない」

「……質量収支が、合わない」

 

 さらに別の研究者が、再生した右手の映像を拡大した。

「待て。指紋まで元通りだ。DNAだけでは、この溝の形までは指定できない。しかも彼の肉体は事故直前ではなく、入隊当時に近い最良の状態へ最適化されている」

「こいつは、何を基準に『正常』を決めているんだ……?」

 質量の出所も、エネルギー源も、身体情報の参照先も、誰にも説明できない。科学者たちの発狂は、まだ終わらなかった。

 

 ウォーレンは、ウォルター・リードからの最終報告書を受け取った。

【Patient stable.(患者安定)】

【Complete limb regeneration confirmed.(四肢の完全再生を確認)】

【Major organ damage repaired.(主要臓器の損傷修復完了)】

【No acute adverse effects detected.(急性副作用の検出なし)】

 

 彼は一度読み、二度読み、そして机へ置いた。

 

「……本物だ。本当に、神の薬だった」

 

 そして、ここで全員が「ある事実」に気づき、視線を机の中央に向けた。

 

 保護ケース。

 そこには、創一がマーサーへ渡した、もう一本のインジェクターがある。

 

「エレノア」

「はい」

「もう一本は……」

 

 全員が、その意味を知っている。

 

 ノア・マクドウェル。

 17歳。劇症型ALS。タイタン・グループ総帥、アーサーの孫。

 人工呼吸器に繋がれ、眼球しか動かせない少年。

 

「大統領」

 NIHの科学者が、まだ慎重な姿勢を崩さずに言う。

「外傷の物理的再生と、ALSのような神経変性疾患の治療は別問題です。死滅した運動ニューロンと、中枢神経のネットワークを完全に再構築する必要があります」

 

 ウォーレンは、マクラーレンの映像を指差した。

「……さっき。失われた神経も、完璧に繋ぎ直したんだろう?」

 

「違います、大統領。軍曹で再生したのは末梢神経です。末梢神経には限定的ながら本来から再生能力があります。脳と脊髄の中枢神経系とは、難度がまるで違います」

 だが科学者は続けて、「昨日までなら可能性はゼロだと答えました。ですが今日、あの映像を見た後では、ゼロとは言えません」と付け加えた。

 

「エレノア。アーサー・マクドウェルには?」

「まだ、詳細は伝えていません」

「では」

 

 ウォーレンは決断した。

 

「今なら伝えられる。

『君の孫が、もう一度自分の足で立てるかもしれない』と」

 

  ◆

 ニューヨーク州北部。

 闇夜に沈む広大なマクドウェル・エステート(巨大邸宅)。

 

 その奥深くにある、最高水準の医療設備が整えられた集中治療室。

 アーサー・マクドウェルは、ベッドで眠る孫の手を、静かに握っていた。

 動かない手。

 聞こえるのは人工呼吸器の規則正しい音だけ。

 アメリカの影の支配者と呼ばれる老人も、この病の前では無力な一人の祖父に過ぎなかった。

 

 部屋の電話が鳴る。

 控えていた秘書が受話器を取り、小走りで近づいてきた。

 

「Mr. McDowell.(マクドウェル様)」

「何だ。今は取り次ぐなと言ったはずだ」

「CIA長官、エレノア・バーンズからの緊急のお電話です」

 

 アーサーの眉が深く寄った。

 CIA長官が、こんな時間に直接?

 

「繋げ」

 

 受話器を受け取る。

 

「エレノアか」

『アーサー』

「何用だ」

 

『ノアについてです』

 

 老人の顔つきが、一瞬で変わった。

 病室の空気が張り詰める。

 

「……何だ」

 

『まだ、100%の保証はできませんが』

「何の話をしている」

 

 電話の向こうで、エレノアが一拍置いた。

 

『今日、四肢を完全に失った兵士が、両腕と両脚を取り戻しました』

 

 アーサーの思考が、一瞬だけ停止した。

 何を言われたのか、すぐには理解できない。

 

「……もう一度、言ってくれ」

 

『あなたの孫に、使えるかもしれない薬があります』

 

 アーサーの視線が、ベッドに向けられる。

 17歳のノア。人工呼吸器。僅かに動く瞳。

 そして。

 

『その薬を提供した人物が』

 

 エレノアの冷徹な声が、続く。

 

『ノアに使ってほしい、と。名指ししました』

 

 アーサーは完全に動きを止めた。

 巨大な権力機構の頂点に立つ男が、震える声で問う。

 

「……誰だ?」

 

 CIA本部で、エレノアは工藤創一の平凡な顔写真を見つめていた。

 

『工藤創一。日本人の、元システムエンジニアです』

 

 長い、長い沈黙が流れた。

 

「…………何者だ、それは」

 

 エレノアは、ほんの僅かに疲労を滲ませた声で答えた。

 

『それを、私たちも知りたいのです』




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