自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route― 作:パラレル・ゲーマー
赤茶色の大地の上に、重苦しい緊張感が張り詰めていた。
紫色の空の下、荒野の彼方から巻き上がる土煙。それは、アメリカ合衆国軍にとって、歴史上初めて遭遇する地球外生命体(エイリアン)との実戦の幕開けだった。
『全隊、聞いたな』
大隊長であるハリントン中佐の低く、しかしよく通る声が無線に響く。
彼の視線の先には、土煙を上げながら一直線にこちらへと突進してくる三十二体のバイターの群れがある。
『一匹も逃がすな』
その号令を皮切りに、ヘビーアーマーに身を包んだ兵士たちが一斉に銃を構えた。
彼らが手にしているのは、歩兵用の小銃ではない。本来なら装甲車やヘリに据え付けるレベルの、12.7mm重機関銃や対物ライフルだ。
工藤創一から「バイターは酸を吐くから普通の装備じゃ死ぬ」と警告され、現地で支給(という名目の貸与)を受けた鋼鉄の鎧。それが今、未知の敵性生物の群れへと銃口を向けている。
一方、創一自身もヘビーアーマーを着込み、米軍の部隊から少し離れた岩場の上に陣取っていた。
今回は「俺が全部倒す!」と前に出る気はない。アメリカ軍という、地球最強の武力集団がテラ・ノヴァの環境でどこまで戦えるか、その後方支援としてのポテンシャルを見極める絶好の機会だ。
「じゃあ俺は、横から漏れたやつだけ倒しますね!」
『助かる』
ハリントンからの短い返答。
地球の覇権国家の精鋭部隊と、一介の無職の工場長。その奇妙な「異星害虫駆除の共同作業」が始まった。
米兵たちは、スコープ越しに初めてバイターの動きをはっきりと捉えた。
予想以上に速い。四足、あるいは六本足の多脚で荒野を疾走し、岩場や小さなクレバスなどの障害物を迂回することなく、強引に乗り越えてくる。
それは単なる大型動物の生態ではない。明確に、自分たち(工場や人間)を「排除すべき敵」として認識し、殺意を持って突っ込んでくる群れの動きだ。
『接触まで二百!』
『百五十!』
兵士たちの報告に、ハリントンが冷徹に命じた。
『撃て』
ドドドドドドッ!!
轟音と共に、十数挺の大口径火器が一斉に火を噴いた。
12.7mm弾の連射。通常、人間が歩きながら——あるいは立ったまま撃ち続けるような真似ができる代物ではない。強烈な反動で肩の骨が砕けるか、後方へ吹き飛ばされるのがオチだ。
だが。
ヘビーアーマーの内部では、驚くべき処理が瞬時に行われていた。
発射の衝撃を全身のナノアクチュエータが瞬時に受け止め、装甲フレーム全体へと分散する。同時に姿勢、重心、各関節の出力をミリ秒単位で補正し、走行中や跳躍中でも銃口の跳ね上がりを相殺。接地時には余剰の反動エネルギーを足裏から地面へ逃がす。
結果として、装甲歩兵たちは、固定砲台のような安定性を保ったまま、歩きながらでも走りながらでも弾幕を張り続けることができた。
『……反動がない』
『照準を戻す必要すらないぞ!』
兵士たちが驚愕の声を上げる。
そして、その命中精度と破壊力は絶大だった。
先頭を走っていたバイターの甲殻に12.7mm弾が着弾し、硬質な音を立てて破砕する。肉体が文字通り吹き飛び、緑色の体液が荒野に撒き散らされた。
だが、それでも止まらない個体が数体いた。
銃弾を浴び、甲殻を砕かれながらも、狂暴な生命力で突進を続ける。
それらのバイターの口腔部が、不気味に膨張した。
『ACID!(酸だ!)』
ハリントンが叫んだ瞬間、緑がかった液体が放物線を描いて噴射された。
強酸性の射出物。
最前線にいた兵士の一人が、避けきれずにそれをまともに浴びた。
バシャッ!!
ジュウウウウウッ!
装甲の全身から、凄まじい湯気と煙が立ち上る。
『被弾!』
『酸直撃! 大丈夫か!』
周囲の兵士たちが叫ぶ中、酸を浴びた本人は、数秒間、完全に沈黙した。
『…………』
『状態を報告しろ!』
ハリントンが鋭く問う。
被弾した兵士は、恐る恐る自分自身の体——装甲の表面——を見下ろした。
HUDには、様々なステータスが表示されている。
生命反応、正常。内部温度、22度の快適な状態を維持。装甲表層の腐食、確認。
だが、耐酸コーティング層が酸を中和し、さらに、溶けかけた装甲の表面を、液体金属のような微細な波紋が走り、瞬時に自己修復していく様子が肉眼でも確認できた。
『……無傷です』
兵士の報告に、ハリントンはほんの一瞬だけ、ヘビーアーマーの恐るべき性能に戦慄した。
だが、指揮官として驚いている暇はない。
『なら撃て』
『Yes, sir!』
ここから、兵士たちの動きが劇的に変わった。
目の前で、生身の人間なら即死級、あるいは骨まで溶かされる強酸を浴びても、「痛くない」「熱くない」「衝撃もない」という事実。
空調は快適に保たれ、100kgを超える装甲を着ているのに、まるで裸でいるよりも体が軽く感じる。
敵よりも速く動き、敵よりも強く、重火器すら羽のように軽い。
完全なる全能感。
一人の兵士が、逃げようと——あるいは側面へ回り込もうとしたバイターを追って、部隊のラインから飛び出した。
時速40kmを超えるスピード。本人にとっては、軽くジョギングしている程度の感覚だ。
ハリントンは即座にそれに気付き、怒鳴った。
『止まれ!』
兵士がハッとして立ち止まる。
『Sir?』
『隊形から出るな! 戻れ!』
兵士が慌てて元の位置に戻る。
ハリントンは、部隊全体に向けて厳しく警告した。
『全員聞け。装甲の性能は信用しろ。だが、自分が不死身になったと錯覚するな』
その一言で、兵士たちの頭が冷えた。
実際、彼らはさっきまでとは打って変わって、目の前のエイリアンに対する「恐怖心」を喪失しつつあった。異常なほどの万能感が、彼らの判断力を鈍らせかけていたのだ。
「全能感って、やっぱ実戦だとモロに出るんだなぁ」
少し離れた岩場でその様子を見ていた創一が、感心したように呟いた。
『はい。戦闘という極限状況下では、装甲のフィードバックが過剰に働き、より強く自覚される可能性があります』
「これ、後でソフトウェア側で設定調整できない? リミッターかけるとかさ」
『検討可能です』
創一側も、この副作用を放置する気はなかった。
便利な装備だが、使う人間が調子に乗って死んでは元も子もない。今後の改良余地として、イヴのタスクリストに追加される。
その時、前線の激しい銃火をすり抜け、二体のバイターが横へ漏れた。
工場(ゲート基地)の方向へ向かっていく。
「あ、そっちダメ」
ダッ。
創一は停止状態から、一瞬で時速40kmを超える速度へと加速した。
一気に距離を詰め、一体目のバイターの横っ腹へ、ヘビーアーマーの鉄拳を叩き込む。
ドゴォッ!
ナノサーボの出力が乗った一撃で、バイターは甲殻ごとひしゃげ、数メートル先へ吹き飛んで絶命した。
もう一体が振り返りざまに酸を吐こうとしたが、創一は冷静にインベントリから大口径火器を取り出し、至近距離から撃ち抜いた。
それを見ていた米兵の一人が、思わず呟いた。
『……あの人、本当に民間人なのか?』
『元SEらしいぞ』
『その情報、今いるか?』
◆
数分後。
最後の一体が撃破され、荒野に静寂が戻った。
あたりには硝煙の匂いと、無数の薬莢、そしてバイターの残骸が転がっている。
『全隊、射撃停止』
ハリントンの声が響く。
『損害報告』
『Alpha、死傷者なし』
『Bravo、なし』
『Charlie、なし』
順番に報告が上がる。最終確認。
米軍側、戦死者ゼロ。負傷者ゼロ。ヘビーアーマーの損失、ゼロ。
複数回の酸攻撃、および物理的な打撃を受けたが、すべて耐久範囲内であり、自己修復が完了している。
兵士たちの中に、初戦を完全勝利で飾った高揚感が広がる。
だが、ハリントンだけは浮かれない。
『勝ったからといって、敵を過小評価するな』
彼は厳しい声で戒めた。
『我々が強いのではない』
一拍置き、彼は自身の腕——ヘビーアーマーの装甲を叩いた。
『この装備が、異常なんだ』
米軍が「俺たち最強!」と雑に増長することを許さない。指揮官としての冷静な分析だった。
創一はその様子を見ながら、笑顔で近づいてきた。
「いやー、でも強かったですよ! 皆さんの射撃精度、さすがですね!」
『褒め言葉として受け取っておこう』
ハリントンが少しだけ口元を緩め、笑みを返した。
この瞬間、最強の軍隊と無職の工場長の間に、確かな信頼関係の基礎が築かれた。
「じゃあ」
創一は兵士たちを見渡し、言った。
「回収しましょうか!」
「何を?」
ハリントンが尋ねる。
「バイオマター!」
未知の生物の死骸だ。米軍のCBRN(化学・生物・放射性物質・核)対策班や科学班が、防護服を着込んで慎重にサンプル採取を行おうと準備を始めていた。
だが創一は、それを手で制した。
「いや、システムで一括回収できるんで、危ないことはしなくていいですよ」
彼はバイターの残骸に近づき、軽く触れる。あるいは携帯スキャナーをかざす。
すると、グロテスクな死骸がシステム処理の光に包まれ、スッと消滅した。
【Biomatter ×1】
一体目。回収。
二体目。
【Biomatter ×1】
三体目。同じ。
創一は次々と死骸を「回収」していく。
そして、最後の一体を処理し終え、視界に最終的な取得数が表示された。
【Biomatter ×32】
「おおー!」
創一は嬉しそうに声を上げた。
「三十二個!」
その数字を聞いた瞬間、兵士たちの態度が劇的に変わった。
彼らは再び、バイターの残骸があった場所(何もない空間)を見つめた。
「確認していいか?」
ハリントンが、極めて真剣な顔で創一に尋ねた。
「はい」
「今回、敵一体につき、バイオマターが一単位手に入ったということか?」
「そうですね。ドロップ率はほぼ100%です」
「そして、あの『医療用キット』を作るためには?」
「バイオマターが一個必要です」
沈黙。
その意味する所は、あまりにも巨大だった。
つまり、他の木材や生魚といった材料さえ揃えば。
たった今行われた、数分間の戦闘だけで。
最大32本の『医療用キット』を追加製造できるということだ。
あの、四肢を失ったマクラーレン軍曹を完全復活させた、神の薬を。32本も。
さっきまで、バイターは単なる「排除すべき敵性生物」だった。
だが今は違う。
目の前にいたのは、かけがえのない「人命」そのものだ。
ハリントンは少し間を置き、静かに命じた。
『回収班』
『Sir』
『取りこぼしがないか、もう一度、周辺を徹底的に確認しろ。一滴の体液、肉片一つすら見逃すな』
「そこまで丁寧にやるんだ」
創一が感心したように言う。
『当たり前だ。これは仲間の命だ』
ハリントンの目は、血走るほどの真剣さを帯びていた。
◆
帰還。
と言っても、地球へ帰るわけではない。テラ・ノヴァ現地に急造された、米軍の前線作戦拠点へ戻る。
ゲート周辺は、ほんの数日前まで創一の工場しかなかった場所だ。
だが今、そこは完全な軍事要塞へと変貌を遂げつつあった。
米軍の工兵部隊による突貫建設。
周囲を取り囲むHESCO防壁(土砂充填型の防壁)。装甲化された検問所。
全方位を監視するセンサー群と、自動砲塔。ドローンの発着区画。
仮設の指揮所、大型テント、医療区画、除染設備。
燃料タンク、弾薬庫、水と食料の備蓄。
そして、創一の電力網から引っ張ってきたケーブルに接続された、大型の補助発電機。
「基地っぽくなってる!」
創一は、まるで新しい遊園地のアトラクションでも見るように目を輝かせた。
『基地だ』
ハリントンが訂正する。
「いや、なんかテンション上がるじゃないですか!」
ハリントンは小さくため息をついた。
もう、この『工場長』の扱いは大体分かってきた。
だが、拠点に戻った創一は、ふと違和感に足を止めた。
「……ん?」
基地の一角。
忙しく行き交う軍人たちの中で、明らかに異質な人物がいる。
少年だ。
スーツまではいかなくとも、仕立ての良いきちんとした服を着ている。背筋はピンと伸び、その隣には政府側——おそらくCIAかシークレットサービスの護衛が控えている。
ノア・マクドウェル。17歳。
少し前まで、自力で呼吸することすらできず、死を待つだけだった少年。
彼が今、自分の足で、異世界テラ・ノヴァの赤茶色の大地にしっかりと立っている。
ノア自身にとっても、それは極めて重要な瞬間だった。
異星の紫色の空。
自分の足裏で感じる大地の硬さ。頬を撫でる、何でもない乾いた風。
彼は少しだけ立ち止まり、そのすべてを感覚の底に刻み込んでいた。
かつてなら、一生見ることがなかったであろう景色。感じるはずのなかった風。
そのすべてが、これから会う男が「返してくれた未来」の先にあるものだった。
創一が、不思議そうな顔で近づいていく。
「君が、ノア君?」
ノアは、声のした方へゆっくりと振り向いた。
写真では見た。資料でも読んだ。
だが、本物は初めてだ。
ノアは一歩踏み出し、そして。
深く、深く、頭を下げた。
「神よ」
創一の動きが、ピタリと止まった。
「ん?」
「お会いできて、光栄の至りです」
周囲の米兵たちが、一斉に無言になる。
ハリントンは、無表情のまま視線だけを二人に送っていた。
「いやー、どうもどうも!」
創一は、戸惑うこともなく、普通に手を差し出した。
ノアは少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐにその手を両手で握り返した。
「いやー、治ってよかったね!」
ノアは言葉を失った。
「…………」
「ほんとよかったよ。ちゃんと歩けるんでしょ?」
「はい」
「頭も身体も、どっか痛いところとか、問題なし?」
「……はい」
「じゃあよかった! 安心したよ」
終了。
創一の言葉は、本当にそれだけだった。
ノアが想像していた「命の恩人像」は、もっと違っていた。
もっと威厳があり、神秘的で、絶対者としてのオーラを纏っているか、あるいは何か深遠な哲学を持っている人間だと思っていた。
だが目の前にいるのは、ヘビーアーマーの装甲を半分脱ぎかけながら、汗一つかかず、さっき回収したバイオマターの数をUIで確認している、極めて飄々とした日本人だった。
だが。
ノアにとっては、それがさらに深く、強く、心に刺さった。
これほどの奇跡を与えて。自分を完治させて。
それなのに、対価を要求するどころか、恩を売ったという自覚すら頓着していない。
ただ純粋に「治ってよかった」と喜んでいる。
だからこそ、ノアにとっては余計に、彼は『神』だった。
「あ、あとさ」
創一が思い出したように言う。
「はい」
「神っていうの、やめない?」
「なぜでしょう」
「いや、恥ずかしいから!」
創一が顔をしかめる。
「しかし、私にとって工藤様は——」
「工藤でいいよ」
「それはできません」
即答だった。
創一はたじろいだ。
「即答!?」
「では、妥協案として、工藤様と」
「いや、『様』もちょっと——」
ノアが、無言でじっと創一の目を見つめる。
その瞳の奥にある、強烈すぎるほどの感謝と決意の光。
「……もういいや」
創一が折れた。ノアの勝利だ。
◆
しばらくして。
前線基地内の、簡易休憩区画として作られたコンテナハウスの中。
創一、ノア、そして少し離れた席にハリントンが座っている。
ノアは姿勢を正し、真剣な目で創一を見た。
「工藤様」
「ん?」
「私は、工藤様のために何をすればよろしいでしょうか」
「何を?」
創一は首を傾げた。
「現地での工場運営を補佐することもできます。
タイタン・グループの全権限を用いて、技術者、工作機械、重機、資金、人員を地球側から無尽蔵に供給することも可能です。
物流網の整備でも、政治的な調整でも、敵対勢力の排除でも。
工藤様がお望みになるのであれば、可能な限り、何でも」
ノアの言葉には、迷いがなかった。
全てを差し出す覚悟。
創一は少し考えた。
「うーん……」
ノアは待つ。
工藤様から、自分へ与えられる最初の使命。
何を言われるのか。工場の拡張か、新たな技術の開発か、それとも地球の支配か。
創一は、ポツリと答えた。
「アメリカ政府をサポートしてほしいかな」
「…………」
ノアは、完全に予想外の言葉に目を瞬かせた。
「いや、俺自身はさ」
創一は、窓の外の基地を見た。
巨大な工場。アメリカ軍。大量の兵士と物流。
「大統領も言ってたけどさ。これだけ大規模に動いたら、絶対どっかから漏れるでしょ」
「はい」
ノアは即答した。
「兵士だけでも何百人もいるし。その家族もいる。政府の人間、運送屋、資材の出入り。外国の衛星写真とかもあるんでしょ?」
「あります」
「じゃあ、完全に隠すなんて無理じゃん」
創一は、ノアを真っ直ぐに見た。
「だから、『カバーストーリー』を作った方がいいと思うんだ」
ノアは少し目を見開き、それから、深く納得したように頷いた。
「なるほど」
ノアの頭脳は、瞬時に仕事モード(最適化状態)へと切り替わった。
「情報漏洩そのものを防ぐのではなく。
漏洩した際、どの情報を『真実』として世間に提示し、何を『切り離す(隠す)』かを事前に設計しておくのですね」
「あー、そうそう! そんな感じ!」
創一が指を鳴らす。
ノアはもう、創一が求めている構造を完全に理解していた。
「確認させてください。工藤様のご希望は?」
「俺?」
「はい。最終的に、どのような立場をご希望でしょう」
創一の答えは、即答に近かった。
「工場運営が邪魔されないなら、ぶっちゃけどうでもいい」
「…………」
「でも、表舞台に出るのは絶対に嫌だ」
「表舞台?」
「そう。記者会見とか、演説とか、テレビ出演とか。議会で証言しろとか、国連で何か喋れとか。そういうの全部イヤ」
ノアが理由を問う前に、創一は言い切った。
「そんなことやってたら、工場作る時間なくなるじゃん」
数秒の沈黙。
そしてノアは、深く頭を下げた。
「承知しました」
ノアは、優先順位を口に出して確認する。
「つまり。
第一に、工藤様個人が表舞台に出ないこと。
第二に、工場運営を誰にも妨害されないこと。
第三に、地球側から必要な人員、資材、法的支援を継続的に受けられる状態を維持すること」
「それ!」
創一は嬉しそうに頷いた。
ノアは少しだけ笑った。
「極めて明確です」
「でしょ?」
「どのような説明(カバーストーリー)を世間へ提示するかについては?」
「そこは任せる」
「…………」
「俺が出なくて、工場が止まらなきゃ、割と何でもいいよ」
これが。
命の恩人たる『神』から、自分へ与えられた最初の仕事。
ノアの顔が、少年のそれから、世界を動かすタイタンの後継者へと変わった。
「分かりました。
大統領と協力し、工藤様のご希望を満たす情報戦略を構築します」
「よろしくねー!」
極めて軽い創一の返事。
だがノアにとっては、この上なく重い使命だった。
命を返された。未来を与えられた。
そして、初めて仕事を与えられた。絶対に成功させる。
ノアはスッと立ち上がった。
「もう行くの?」
「はい」
「今日来たばっかりじゃない?」
「必要な条件は、すべて伺いました。ならば、早い方がよろしいでしょう」
「働き者だなー」
創一が感心して見送る。
少し離れた場所で、一部始終を聞いていたハリントンは、内心で冷や汗をかいていた。
(この二人、組み合わせて大丈夫なのか?)
工藤創一が、世界を変える物を作る。
ノア・マクドウェルが、それを全力で支え、世界を騙す。
極めて恐ろしいタッグの誕生だった。
ノアは地球側へと戻るゲートへ向かいながら、護衛に指示を出した。
「飛行機を用意してください」
「どちらへ?」
「ワシントンです」
「本日中ですか?」
「今すぐです」
その背中へ、創一が声をかけた。
「あ、ノア君!」
ノアは即座に振り向く。
「はい!」
「あんまり無理しなくていいからねー!」
ノアはしばらく創一を見つめ、それから、穏やかに微笑んだ。
「お気遣い、感謝いたします」
そのままノアはゲートをくぐり、地球へと消えていった。
「いい子だな」
『はい』
イヴが同意する。
ハリントンは何も言わなかった。世界最大級の軍産複合体の後継者であり、完全最適化された天才を「いい子」で処理する男の精神構造に、ツッコミを入れる気力を失っていた。
ノアを見送った創一は、すぐに切り替えた。
「さて!
イヴ、さっき回収したバイオマター32個、追加だ!」
『確認しました』
「医療用キット作っとく?」
『現時点では、全量を素材のまま保管することを推奨します』
「そっか。今すぐ必要な分があるわけでもないしな」
『はい。今後、新たな用途が解禁される可能性もあります。また、必要になればその時点で医療用キットへ加工できます』
「じゃあ、32個そのまま倉庫行きで!」
『了解しました』
こうして、新たに回収されたバイオマター32単位は、一つも消費されることなく素材のまま備蓄された。
◆
一方、その日の夜。
ワシントンD.C.、ホワイトハウス。
オーバル・オフィスで書類仕事に追われていたウォーレン大統領の元へ、秘書が報告に入った。
「大統領。ノア・マクドウェル氏が面会を求めています」
ウォーレンは壁の時計を見た。
「……今日、彼はカリフォルニアのゲート施設にいたはずだが?」
「はい」
「もう来たのか?」
「はい」
ウォーレンは、嫌な予感を覚えながら入室を許可した。
完治した17歳。
自分の足で、大統領の前に立つノア。
「大統領」
「ノア」
ウォーレンは尋ねた。
「テラ・ノヴァはどうだった?」
ノアは少しだけ、少年らしい感情を瞳に浮かべて答えた。
「素晴らしい場所でした。そして……工藤様にも、お会いできました」
「そうか。マーサーから聞いたが、君が彼を『神』と呼んだそうだな」
「はい」
「……まあ、それは今はいい」
ウォーレンは追求を諦め、本題に入った。
「今後、工藤様に関する案件へ、私が関与する許可をいただきたいのです」
「君が?」
「はい。工藤様へのサポートが必要です」
「それは政府がやっている」
「承知しています。ですので、私もその『バックオフィス』の一部となります」
ノアの言葉は静かだが、強い意志が込められていた。
ウォーレンも理解した。
100%最適化された天才の頭脳。そして、タイタン・グループという民間最大のカード。
政府だけでは動かしにくい産業、物流、軍需、金融の分野で、タイタンの力は必ず役に立つ。
「……君を止めても、勝手にやるんだろう?」
「工藤様へご迷惑にならない範囲で」
「つまり、やるんだな」
「はい」
ウォーレンはため息をつき、許可を出した。
「分かった。次の会議から出席しろ」
「ありがとうございます。議題を伺っても?」
大統領は少し苦笑した。
創一がすでに、ノアに同じ宿題を出しているとは知らずに。
「どうやって、テラ・ノヴァを世界から隠すかだ」
ノアは一瞬、静止した。
「奇遇ですね」
「何がだ?」
「工藤様から、たった今、同じ問題を解決するよう仰せつかったところです」
「…………」
ウォーレンは頭を抱えるのではなく、今回はフッと笑った。
「そうか。なら話が早い。
明日の会議で、君の案を聞こう」
「承知しました」
十七歳の少年が、静かに頭を下げる。
こうして工藤創一は、自分では何一つ政治的な工作をすることなく。
アメリカ合衆国政府と、世界最大級の軍産複合体の後継者へ、「自分を世界から隠すカバーストーリーの構築」という最も面倒な仕事を、完全に丸投げすることに成功したのだった。
一方。
テラ・ノヴァの夜。
「イヴ! 鉄道の続きやろうぜ!」
『はい、マスター』
本人はもう、次にどこへ線路を伸ばすか、それしか見ていなかった。
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