自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ―United States Route― 作:パラレル・ゲーマー
ワシントンD.C.の早朝。
ホワイトハウスの地下に設けられた、最高機密案件のみを扱うセキュアな会議室には、すでにアメリカ合衆国政府の中枢を担うトップエリートたちが顔を揃えていた。
通常の国家安全保障会議(NSC)よりもさらに範囲を絞り込んだ、真の意味でのインナーサークル。
ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領を筆頭に、ダグラス首席補佐官、エレノア・バーンズCIA長官、国防総省(ペンタゴン)の代表者、国務省、科学技術政策局(OSTP)、HHS(保健福祉省)、NIHの医療・情報関係者、そしてNASAの極秘顧問。
先日、工藤創一と直接接触したダニエル・マーサーも同席している。
だが今日、この重苦しい空気の中で最も異質なのは、円卓の一番端に座る一人の少年だった。
17歳のノア・マクドウェル。
タイタン・グループの次期後継者であり、つい先日まで難病で寝たきりだった彼が、今、合衆国政府の最深部の会議に同席している。
会議の冒頭、ウォーレン大統領は全出席者に向けて明確な線引きを行った。
「先に確認しておく。
ノア・マクドウェルは政府職員ではない。当然ながら、通常であればこの場に同席できる立場にもない」
ウォーレンの鋭い視線がノアに向けられる。
「この案件——『テラ・ノヴァ』と工藤創一に関する事項に限り、彼を民間側の特別顧問(スペシャル・アドバイザー)として扱う。彼にアクセスを許可する情報も、当該プロジェクトで彼らの支援が必要な範囲に限定する」
ノアは姿勢を正し、静かに頷いた。
「十分です」
「君に政府を動かす権限を与えたわけじゃないぞ、ノア」
「承知しています。私はあくまで、工藤様のご要望を実現するため、皆様の仕事を補佐する立場です」
ノアの口から極めて自然に出た「工藤様」という敬称に、ダグラス首席補佐官がチラッと横目で大統領を見た。
世界最大の軍産複合体の後継者が、見知らぬ日本人を主君のように呼んでいる。
だが、ウォーレンはもう何も言わなかった。事実、ノアの回復という「神の奇跡」を見せつけられた後では、彼が工藤をどう崇めようと口出しする権利は誰にもない。
「よし。ではまず、現地の状況報告からだ」
国防側の担当官が立ち上がり、スクリーンに最新の映像を投影した。
それは、ドローンによって上空から撮影された『テラ・ノヴァ前線基地』の映像だった。
かつて工藤創一が一人で機械を並べていた場所は、今や見違えるような軍事・産業複合拠点へと変貌を遂げていた。
HESCO防壁が周囲を囲み、四隅には監視塔。ドローンの発着パッド、仮設の指揮所、巨大な医療用テント、除染設備、そして兵站を管理するプレハブ群。
「現状、第一陣となる大隊規模の派遣が完了し、部隊の展開は順調に進行しています。
現地に常駐している要員は、すでに数百人規模。
地球側のカリフォルニアゲート施設における輸送、整備、警備、医療スタッフなどを含めれば、このプロジェクトに関わる人員はさらに膨れ上がっています」
担当官は、一つの区切りとして「初戦」の結果を報告した。
「先日のバイター(敵性生物)との交戦記録です。
出現した個体数は32。
対して我々の損害は、戦死者ゼロ、負傷者ゼロ。
工藤氏から提供された『ヘビーアーマー』の損失もゼロです。
そして、目標であった戦略医療資源『バイオマター』32単位の全量回収に成功しました」
会議室に、安堵と、しかしどこか現実離れした報告に対する戸惑いの息が漏れた。
続いて、軍医と兵器開発部門の合同評価が読み上げられる。
「結論から言います。
工藤氏の開発した『ヘビーアーマー』は、現行の歩兵装備とは比較の対象になりません。
これは“歩兵の形をした装甲戦闘車両”と考えるべきです」
スクリーンに、戦闘中の兵士のヘルメットカメラの映像が流れる。
12.7mm重機関銃を、まるでアサルトライフルを構えるように歩きながら連射する兵士。
強酸をまともに浴びても、装甲が自己修復し、無傷のまま時速40km以上で突進する姿。
「それほどか」
大統領が唸る。
「はい。ですが……問題も発生しました」
映像が切り替わり、一人の兵士が命令を無視して、逃げるバイターを単独で追おうとするシーンが映し出された。ハリントン中佐が怒鳴りつけて制止している。
「身体への過負荷や、装甲のバグではありません。心理面です」
軍医が深刻な表情で説明を引き継ぐ。
「この装備は、装着者から痛み、恐怖、疲労、重量感、そして反動という『人間としての限界』を、ほぼ完全に遮断してしまいます。
その結果、兵士自身が『自分は通常の人間ではなくなった』と錯覚する危険性があります」
「装備を着ると、勇敢になるということか?」
ウォーレンが問う。
「違います。死ぬことを、想像できなくなる可能性があります」
空気が少し重くなった。
無敵の装甲は、兵士から恐怖という名の「安全装置」を奪ってしまう。それは長期的には、致命的なミスを引き起こしかねない。
「ただし、現場のハリントン中佐は即座にこの問題を認識し、部隊を統制しています」
国防側の担当官がフォローを入れた。
「今後、ヘビーアーマーの運用規則を厳格化します。
初回装着前の心理教育の義務化、交戦後の強制的なメンタルチェック、単独追撃の禁止、長時間連続装着の制限などを検討しています。工藤氏のAI(イヴ)側でも、フィードバック制御の調整が可能か協議中です」
「よし。その運用は軍に任せる」
ウォーレンは資料をパタンと閉じた。
彼は深く息を吸い込み、ぐるりと円卓を見渡した。
「さて」
部屋が静まり返る。
「今日の本題だ」
大統領の目が、一番端に座るノア、そしてエレノアへと向けられた。
「どうやって、これを世界から隠す?」
◆
エレノア・バーンズCIA長官が立ち上がった。
彼女の手には、すでに作成された『テラ・ノヴァ秘匿リスク評価表』が握られている。
「まず、結論から申し上げます。
永久秘匿は、不可能です」
誰も驚かなかった。
これだけ巨大な作戦が動いているのだ。永遠に隠し通せるなどと本気で信じている者は、この部屋にはいない。
「なぜ無理なのか。理由は明確です。
第一に、関与する『人』の数です。
現地だけで数百人。地球側には輸送部隊、軍医、整備士、工兵、情報分析官、基地警備の部隊、さらには契約企業の人間や我々官僚まで。関与する人間は、日々増え続けています」
「家族はどうだ?」
ウォーレンが問う。
「最も危険な火種です」
エレノアは頷いた。
「軍人が突然、『詳細を一切話せない、連絡もつかない長期間の任務』へ行く。家族は必ず不審に思います。
もちろん、我々も馬鹿ではありません。完全な通信遮断にはしていません。録画した映像やメッセージを物理ドライブで地球側へ持ち帰り、定期的に送信しています。交代で戻った兵士には、通常の連絡も許可しています。
……そうやって、家族を不自然に不安にさせない運用で、時間を稼いでいる状態です。
それでも、数百の家庭から少しずつ『噂』が漏れるのは、避けられません」
ダグラス首席補佐官が、別の資料を提示した。
「それに、物流の問題がさらに大きい」
「食料、水、弾薬、燃料、交換部品、建築資材、医療用品。
これら莫大な物資が、カリフォルニアの一つの『旧航空基地』へ吸い込まれていきます。
なのに、普通の軍事基地なら出ていくはずのゴミや使用済み資材、あるいは人員の移動が、どこにも見当たらない」
「物流のブラックホールか」
「まさに。もちろん、現地で水や電力、食料の一部を自給できるようになれば、持ち込み量は減るでしょう。ですが、当面は大量の片道輸送が続きます」
エレノアが引き継ぐ。
「さらに、現代には無数の『目』があります。
商業衛星、外国の偵察衛星、民間のオープンソース・インテリジェンス(OSINT)、飛行機の航路、基地周辺を出入りする不自然なトラックの列。
NASAの関係者や国防総省、政府車両が、なぜ使われていないはずの旧基地に集結しているのか。
……いずれ誰かが、『あそこで何をやっている?』と騒ぎ始めるのは確実です」
そして。
「議会についても、隠し続けるという選択肢は推奨しません」
エレノアの言葉に、ウォーレンは深く頷いた。
「同意する」
巨大な予算、兵員の動員、実質的な軍事行動。これらを議会の承認なしに完全な秘密で行い続けるのは、民主主義国家のシステム上、限界がある。
そのため、上下両院のごく限られた指導部(ギャング・オブ・エイトなど)と、必要な監督担当者のみには、段階的に秘密説明(ブリーフィング)を行う方針が固まっていた。
人数は最小限に絞り、情報のアクセス権を厳格に区分する。
「議会やメディアに『発見』されてから言い訳をするのではなく、こちらから先に説明しておく。それも含めて、政府の仕事だ」
ウォーレンは、アメリカという国家を回すトップとしての判断を下した。
「それで、エレノア」
大統領は尋ねた。
「あと、どれくらい持つと思う?」
エレノアは少し考えた。
「何をもって『持つ(セーフ)』と定義するかによります。
詳細そのもの……『異世界へのゲートが存在し、そこで別文明が築かれている』という真実の最深部まで辿り着かれない状態という意味であれば、数週間から数か月は引っ張れるでしょう。
しかし」
彼女は厳しい目をした。
「『カリフォルニアの基地で、政府が何か異常な極秘計画をやっている』というレベルの情報であれば。
……今日漏れても、おかしくありません」
「……短いな」
ウォーレンはため息をついた。
「大統領。我々はいま、数百人の兵士を文字通り『別の世界』へ送り込んでいるのです。
むしろ、今日までメディアに嗅ぎつけられずに隠し通せていること自体が、我が国の情報統制の優秀さを示しているとお考えください」
◆
問題は、「漏れた時」にどう対応するかだ。
ホワイトハウス側では、すでにいくつかのカバーストーリー(偽装情報)の案を作成していた。
ダグラスが説明を始める。
「案A。『大規模な航空宇宙演習』。
最もオーソドックスな隠れ蓑です。ですが、短期間しか使えません。NASAの関与、異常な物流、衛星画像の変化。これらが積み上がれば、ただの演習だという嘘はすぐに破綻します。
案B。『極秘の新型輸送・推進技術の実験』。
これも問題があります。もし万が一、ゲートの映像が一枚でも流出したら、『政府が開発した新技術』という説明が完全に破綻します。さらに『じゃあ誰が作った?』『いつから?』『安全性は?』と、追及が無限に広がります」
「案C。『地球外文明との接触』はどうだ?」
誰かが提案したが、ウォーレンが即座に叩き潰した。
「却下だ」
大統領の声は冷たかった。
「それが一番危険だ。アメリカ政府が公式に『知的宇宙人が存在する』と認めることになるんだぞ。市場、宗教、外交、安全保障……世界中がひっくり返る。
実際には、我々だって工藤の後ろにいる送り主(THE SENDERS)の正体すら分かっていないんだ。そんな不確定なジョーカーを、最初から切る理由がどこにある」
議論が手詰まりになりかけた時。
今まで黙って議論を聞いていたノアが、静かに顔を上げた。
彼は会議前に提供された資料を全て読み込み、ここまでの議論でも各省庁の担当者へ的確な質問を投げていた。彼は決して、万能の神の知識を得たわけではない。治療によって「知らない知識が増えた」わけでもない。
だが、与えられた莫大な情報を整理し、矛盾しない形へと組み直し、最適解を導き出す能力が異常なまでに研ぎ澄まされていた。
さらに彼は、タイタン・グループの後継者として、幼い頃から危機管理、企業広報、政府との交渉、機密事業の扱いについて徹底的な教育を受けてきた。
「大統領」
ノアの澄んだ声が、会議室に響いた。
「何だ?」
「完全に隠し通すことを、諦めましょう」
部屋が静まり返った。
「説明して」
エレノアが、少し目を細めてノアを促す。
「はい」
ノアは、淀みない口調で語り始めた。
「良いカバーストーリーとは、すべてを一つの『巨大な嘘』で包み隠すことではありません。
全てが嘘であれば、一箇所でも綻びが出た瞬間、全体の信用が崩壊します。
そうではなく……『漏れても困らない真実』を、あらかじめ階層化して用意しておくのです」
ウォーレンは、興味深そうにノアを見つめた。
「真実を階層化する?」
「はい。外側の殻から少しずつ公開していくのです。必要に迫られたら、一枚ずつ内側の『事実』を見せる。そうすれば、政府が嘘をついていたという批判を避けつつ、核心部分を守ることができます」
ノアは、具体的なプランの提示に入った。
「第一層。当面の間です。
これは今まで通り『機密指定された航空宇宙、および遠征技術の試験』というスタンスで引っ張ります。正式な嘘を大々的につく必要はありません。記者に聞かれても『機密事項なので答えられない』で済ませます。
しかし、いずれ衛星画像や物流の異常で、この殻は破られます」
「第二層。ゲート自体を隠せなくなった時。ここが重要です」
ノアは、手元のタブレットに打ち込んだ文章をスクリーンに表示した。
『アメリカ合衆国政府は、地球外環境へ接続する安定した移送現象へのアクセスを確保している』
「工藤様が作った、とは言いません。政府が開発した、とも言いません。
ただ『アクセスを確保している』と言うだけです。これは事実です。
さらに、『当該環境には《TERRA NOVA》という暫定名称が与えられている』『現在、科学調査および安全保障上の評価が進められている』『現時点で、技術文明を持つ知的地球外生命体の存在は確認されていない』と続けます」
ダグラスが唸った。
「……全部、ほぼ真実だな。バイターはいるが、知的文明とは確認されていない」
「つまり、世界に『異世界への扉がある』こと自体は認めてしまうと?」
「隠せなくなった段階では、はい。事実を認めることで、メディアの追及の矛先を『どうやって作ったか』ではなく『その先には何があるのか』へと逸らします」
「その代わり、工藤の存在は消す」
ウォーレンがノアの意図を察した。
「はい。世界から見れば、アメリカ政府が謎の現象を管理している、という図式になります。誰がゲートを所有しているか、誰が工場を作っているか、誰が防具を作っているか。そんなこと、世間は知らなくていいのです。
工藤様は、公開情報の中に存在する必要がありません」
◆
ノアの提案は続く。
第三層。最も危険な領域——『医療用キット』が漏れた場合。
HHSの官僚が、不安そうな顔をする。
マクラーレン軍曹とノア・マクドウェルの完全回復。これほどの奇跡が、医療関係者や家族の口から永遠に隠し通せるとは思えない。
「絶対に『宇宙人にもらった万能薬だ』とは言いません」
ノアは断言した。
「代わりに、こう発表します。
『テラ・ノヴァで回収された特殊な地球外生体素材を利用した、実験的再生医療である』と」
またしても、見事なまでの「事実」だった。
バイオマターはテラ・ノヴァ産だ。再生医療であることも間違いない。実験的であることも事実だ。
製造システム(工場の組立機)のことは言わない。工藤のことも言わない。送り主のことも言わない。
「君自身の治療について聞かれたら、どう答える?」
ウォーレンが試すように問うた。
「『実験的な再生医療を受けた』と答えます。事実ですから。
それ以上の詳細については、『一人の患者としてのプライバシー』を理由に回答を控えます」
ノアは一切の迷いなく言い切った。
「……なるほど。マクラーレン軍曹にも同様の対応をさせればいいわけか。『国防総省が研究中の特殊再生医療プログラム』。そこまでなら、世間もギリギリ飲み込める」
ウォーレンは少し感心したように頷いた。
「問題は、第四層です」
エレノアが、最も懸念すべきポイントを指摘した。
「もし、工藤氏らしき協力者の存在そのものが漏れた場合。
基地の建設や資材の搬入、ゲートの管理……何百人もの人間が、実際に彼の姿を見ています。本名を知らなくても、『変な日本人が現地を取り仕切っている』という噂は、いずれ確実に漏洩します」
「ですので」
ノアは静かに言った。
「工藤様には、別の名前(コードネーム)が必要です」
「既存の案はいくつかある」
CIA側がリストを提示した。
《ENGINEER(技術者)》、《FOUNDRY(鋳造所)》、《GATEKEEPER(門番)》、《FACTORYMAN(工場男)》。
工藤の能力や特徴から取ったものだ。
「全て却下します」
ノアは一刀両断した。
「工藤様ご本人へ繋がりやすすぎます」
元SE。工場。ゲート。技術者。
特徴を示すキーワードを積み上げれば積み上げるほど、世界中の特定班や外国の諜報機関が、本人のプロファイリングを完成させてしまう。
「では、どうする」
ウォーレンが問う。
ノアは、用意していたその単語を、はっきりと口にした。
「《OFFWORLDER(オフワールダー)》」
部屋が、シンと静まり返った。
「……何?」
「OFFWORLDERです」
オフワールダー。
地球外の世界に属する者。あるいは、地球外世界から来た者。
かなり露骨に、「宇宙人」を連想させる言葉だ。
「ノア」
ウォーレンは眉をひそめた。
「彼は東京生まれだぞ」
「承知しています」
「大学まで日本で教育を受けている」
「承知しています」
「れっきとした日本人だぞ」
「はい」
「だからこそです」
ノアは、自信に満ちた目で大統領を見返した。
「説明してくれ」
「もし内部文書から《ENGINEER》という名前が漏れたとします。それを読んだ記者や外国の工作員は、『アメリカに協力している未知の技術者がいる』と考え、地球上の人間を探します。
《FACTORYMAN》なら、『どこかの秘密工場の関係者か』となる。
どんどん、工藤様ご本人の実像へと近づいてしまいます」
ノアは言葉を区切り、続けた。
「ですが、《OFFWORLDER》とだけ漏れたら?
世間はほぼ確実に、『アメリカ政府は、ついに宇宙人と裏取引をしている!』と勝手に誤解してくれます。
……誰も、カリフォルニア在住だった日本人の元システムエンジニアなど、探しはしません」
「…………」
ダグラスが、思わず言葉を失った。
エレノアが、諜報の専門家として即座に食いついた。
「つまり、こちらは公式に『彼が宇宙人だ』とは一度も言わない。ただ、内部文書などで《OFFWORLDER》という識別名を使うだけ」
「はい」
「そして世間が勝手に誤解してくれるのを待ち、必要がなければ否定もしない?」
「はい」
エレノアはそこで、もう一つの穴を指摘した。
「文書経由の漏洩には有効でしょう。でも、現地の兵士たちは工藤氏本人を見ている。『日本人らしい男がいた』という目撃証言までは、コードネームでは消せないわ」
「消す必要はありません」
ノアは即答した。
「すでに工藤様の本名を知る少数の人間は、これまで通り最深部で区分管理します。今後、新たに現地へ入る人員には、原則として本名、住所、職歴といった本人特定に繋がる情報を与えず、《OFFWORLDER》を正式な識別名として使用します」
「それでも、『日本人らしい中年男性を見た』という話は出る」
「出るでしょう」
ノアはスクリーンに表示された《OFFWORLDER》の文字を見た。
「ですが、匿名の目撃談と、政府内部から流出した正式な識別名。どちらが強く人々の想像を支配するでしょうか」
マーサーが先に気付いた。
「……OFFWORLDERの方だ」
「はい。『日本人の男を見た』という証言すら、『人間に擬態している』『地球側の代理人だ』『人間型の端末を使っている』と、第三者が勝手に解釈してくれる可能性があります」
ダグラスが額に手を当てた。
「目撃証言まで否定せず、意味だけを別方向へ曲げるのか」
「嘘をついて消そうとすれば、矛盾になります。ですから、消しません」
エレノアは、ほんの少しだけ、口の端を上げて笑った。
「……悪くない」
「よくない」
ウォーレンがツッコミを入れた。全員が彼を見る。
「いや、欺瞞工作の案としては極めて優秀だ。
だが……本人がこのコードネームを知った時の顔を想像してしまった」
「それは私もです」
ダグラスが同意する。
今まで創一と直接付き合ってきたマーサーが、静かに言った。
「間違いなく、こう言いますね。
『俺、宇宙人じゃないんだけど』と」
緊張感に包まれていた会議室に、抑えきれない笑いが漏れた。
だが、コードネームとしては非常に合理的だった。
重要なのは、《OFFWORLDER》の「内部定義」だ。
政府内での公式な意味は「地球外生命体」ではなく、「恒常的な地球外活動基盤を有し、地球外由来技術へのアクセスを提供する協力主体」とでも定義しておけばいい。
そうすれば、政府内部の文書としても嘘をついていることにはならない。
「工藤様は、テラ・ノヴァを主要な活動拠点の一つとしています。ですから《OFFWORLDER》という名称は、内部定義上も決して誤りではありません」
「東京生まれだがな」
「東京生まれですが」
ノアは絶対に引かなかった。
「……エレノア。どうだ?」
「賛成します。防諜上、これ以上ないほど有効な煙幕です」
国防側も問題なしと判断した。
「本人の意見は?」
ダグラスがノアに尋ねる。
「『表舞台へ出ず、工場運営を妨害されないこと以外は、割と何でもいい』とのことでした」
「……確かに、彼なら言いそうだ」
ウォーレンは苦笑した。
「よし」
大統領が正式な決定を下す。
「外部への流出を想定した、彼の匿名識別名は《OFFWORLDER》とする」
ただし、本当に本名を知る必要がある最深部のメンバーは、引き続き「工藤創一」として管理する。
一方、軍、契約業者、一部省庁など、将来的に情報公開請求や流出の可能性がある文書上では、すべて彼の名前を《OFFWORLDER》へと置換する。
「では、あの『送り主たち』はどうしますか?」
エレノアが問う。
「《THE SENDERS》のままだ」
ウォーレンは即答した。
「そして、これに関しては公開用の階層へ一切出すな」
ここだけは強い語調だった。
なぜなら、《THE SENDERS》の存在を公表すれば、それは明確に「未知の知的外部存在がいる」と政府が公式に認めることになるからだ。
テラ・ノヴァという「現象」を認めるのとは次元が違う。地球外文明との接触は、社会基盤そのものを破壊しかねない。
「工藤様も、あの方々について詳しいことをご存じではありません。であれば、今あの存在を公開する利益は、どこにもありません」
ノアも同意した。
◆
ここから、会議はノアの案を実際の運用へと落とし込むフェーズに入った。
エレノアがホワイトボードに、「情報公開のトリガー」を書き込んでいく。
LEVEL 0:噂の段階。政府は「機密指定された航空宇宙試験についてコメントしない」を貫く。
LEVEL 1:衛星画像や内部文書が一部漏れた段階。「機密遠征試験」まで認める。
LEVEL 2:ゲートの存在が否定不能になった場合。「安定した地球外移送現象へのアクセス」を認め、TERRA NOVAを公開。
LEVEL 3:医療用キットが漏れた場合。「テラ・ノヴァ由来の生体素材を利用した実験的再生医療」とする。
LEVEL 4:工藤らしき人物の存在が漏れた場合。「OFFWORLDERという匿名の協力主体が存在する」とだけ発表。それ以上は回答拒否。
「確認しておくけれど、このLEVELは『情報が漏れる順番』ではないわ」
エレノアが付け加えた。
「公開する情報の深度を便宜上並べただけ。実際には、工藤氏の目撃証言がゲートの映像より先に漏れることも、医療情報だけが先に出ることもあり得る」
「はい。その場合は、必要になった層だけを先に開きます」
ノアが答えた。
「順番を守ることが目的ではありません。どの情報が先に漏れても、次に何を認め、何をまだ伏せるかを事前に決めておくことが目的です」
「後から真実が追加されても、過去の発表が『完全な虚偽』にならないようにしておくべきです。そうすれば、秘密の殻が一つ剥がれるたびに、政府の信用まで失うことはありません」
ノアの理念は、政治の危機管理において完璧だった。
「議会への対応は?」
「限定的な説明(ブリーフィング)を開始します」
「いい。隠蔽ではなく、区分管理だ」
これで、後から「大統領が勝手に異世界で戦争していた」と弾劾される最悪の展開を回避できる。
さらに、タイタン・グループの役割も明確化された。
ノアは祖父アーサーから、この案件に関するタイタン・グループの資産と調達網について、広範な裁量を正式に委ねられている。
政府が不得意とする民間側の支援——サプライヤーの確保、輸送ルートの偽装、保険、契約、広報、金融。
それらをタイタンが請け負う。
ただし、「タイタンがテラ・ノヴァ事業を乗っ取る」わけではない。あくまで工藤のバックオフィスとしての役割に徹する。
「必要であれば、タイタンの既存の巨大な調達網へ、一部の物流を混ぜることも可能です」
「痕跡を薄められるか?」
「完全には無理です。ですが、カリフォルニアの一つの基地へ、政府契約のトラックだけが集中するよりは、遥かに自然に見せることができます」
「使える」
エレノアが小さく頷く。
ここでノアは、ただ頭が良いだけでなく、「巨大企業そのものをツールとして持っている」という強力な武器を存分に示していた。
長い会議の最後。
ウォーレン大統領は、席に座ったまま資料を閉じた。
「理解した」
彼は全員を見渡した。
「これは、秘密を完全に守り切るための計画じゃない」
一拍。
「秘密が漏れた時に、世界が『どの順番で真実へ辿り着くか』を、我々がコントロールするための計画だ」
「はい。その理解で正しいです」
ノアが答える。
「なら、準備を始めます」
エレノアが締めくくった。
ウォーレンは、ノアをじっと見た。
「満足か?」
「まだです」
「まだ?」
「これを、工藤様へご報告するまでが私の仕事です」
「……そうか」
だが、ここで一つの物理的な問題があった。
テラ・ノヴァへは、通常の電話回線もインターネットも衛星通信も届かない。地球製の通信機同士では、ゲートの境界線を越えた瞬間にリンクが途切れる。
唯一の例外は、イヴが《システム》側の機能を使い、地球側からの通信を創一の端末へ中継する場合だった。以前、ホワイトハウスから創一へ直接電話を繋げられたのも、その例外によるものだ。
ただし、それは合衆国政府が自由に利用できる常設通信回線ではない。創一を介さない部隊間通信や、大量の機密データを日常的に送受信するインフラとしては使えなかった。
「では、正式な報告書は物理的に届けます」
ノアは、用意していた暗号化タブレットに報告事項を入力し始めた。創一本人を通信のたびに呼び出すより、この方が確実だった。
◆
その日の午後。
惑星テラ・ノヴァ。
工藤創一は、広大な赤茶色の大地の上で、せっせと鉄道の線路を敷設していた。
採掘基地。輸送網。完全に自動化されていく自分の世界。
「工藤」
そこへ、ハリントン中佐がタブレットを持って近づいてきた。
「はい?」
「ワシントンからだ」
創一はタブレットを受け取り、ノアからの報告書に目を通した。
最初のカバーストーリーの階層化。
「へー、なるほどね。必要になったら『地球外移送現象』として公開するのか。まあ、ほぼ本当じゃん。これならいいんじゃない?」
医療用キットについて。
「地球外生体素材を使った実験的再生医療。……うん、これも嘘じゃないな」
そして最後。
資料に印字された一文。
SANITIZED IDENTIFIER(無害化された識別名)
【OFFWORLDER】
創一の視線が、そこでピタリと止まった。
「…………」
もう一度読む。
OFFWORLDER。
「……イヴ」
『はい、マスター』
「オフワールダーって、どういう意味?」
『一般的には、「地球外世界の者」「別世界の住人」などの意味合いで用いられる単語です』
「…………」
数秒後。
「それ、宇宙人じゃん!」
『類似した印象を与える名称です』
「俺、地球人なんだけど!?」
『はい』
「日本人なんだけど!?」
『はい』
「東京都出身なんだけど!?」
『存じております』
創一の抗議が荒野に響く。
横に立つハリントンは、何も言わずに黙っていた。
「なんでこうなったの!?」
「資料の次のページを読め」
ハリントンが促す。
次ページ。ノアからの補足説明。
《OFFWORLDERという名称が流出した場合、第三者が工藤様を地球外生命体と誤認する可能性が高いと判断しました》
「わざとかよ!」
《これにより、工藤様の実際の経歴から捜査や報道、情報活動の矛先を大きく逸らす効果が期待できます》
「ノア君!?」
そして、最後の一文。
《工藤様が表舞台へ出る必要はありません。どうぞ安心して、工場運営をお続けください》
創一は、その一文を読んで動きを止めた。
しばらく考え込んだ。
「…………」
「じゃあ、まあいいか!」
「いいのか?」
ハリントンが呆れたように言う。
「工場作れるなら、俺が宇宙人だと思われようが何だろうが、別にいいや!」
「そうか……」
ハリントンは完全に諦めた。この男にとっての最優先事項は、絶対にブレない。
「じゃ、俺は線路の続きやるわ!」
『はい、マスター』
創一は何事もなかったようにタブレットを返し、再び枕木と鋼鉄のレールへと向き直った。
「イヴ、あとどれくらい?」
『残り、四百十二メートルです』
「よーし! 今日中に繋ぐぞ!」
そして数時間後。
赤茶色の荒野へ、最後の一本のレールが固定された。
【Railway Network:ONLINE】
「できたあああああ!」
創一が両腕を上げる。
少し離れた積み込み駅で、鉱石を満載した最初の貨物列車が低い駆動音を響かせた。
やがて車輪が回り始める。
鉄鉱石を積んだ貨車を連ね、列車は創一が数日かけて敷き続けた線路の上を、ゆっくりと、そして確実に走り出した。
紫色の空の下。
テラ・ノヴァ最初の本格的な鉄道輸送網が、ついに稼働した。
こうして。
東京都出身。日本国籍。元システムエンジニア。工藤創一、三十代。
その男を世界中の目から隠し通すために、アメリカ合衆国政府は、新たな存在を作り上げた。
コードネーム——《OFFWORLDER》。
ただし、この時点ではまだ、それは政府内部で使われる匿名識別名に過ぎない。
まだ世界は、この単語を知らない。
だが、世界がこの単語を見つけ出し、熱狂と混乱の渦に叩き込まれるまで、そう長い時間はかからなかった。
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