モノノ怪:兌の剣   作:ちいさな魔女

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薬売りが64人居る事が判明したので、こちらも新しい薬売りを作ってみました。もし兌の剣を公式が出してきたら………まあそこはお許しを。オリジナル展開という感じで。


マーメイド:前編

――夢を、見ていた。

トレセン学園には、数え切れぬほどの夢があった。

一番速くなりたい。

あの舞台に立ちたい。

あの子に勝ちたい。

誰かに憧れられるウマ娘になりたい。

仲間と一緒に、ずっと走っていたい。

夢を叶えるために、この学園へ来た者たち。

そして――夢を胸に抱いたまま、学園を去っていった者たち。

卒業。

引退。

進路。

故障。

敗北。

あるいは、自らの意思で選んだ別れ。

理由は、それぞれ違った。

けれど。

去った者たちの胸には、ひとつだけ共通するものがあった。

――「もう一度、あの頃に戻れたら」

誰もいなくなった教室。

机の上に残された、古い写真。

使われなくなったロッカー。

走り慣れたトラック。

夕暮れのグラウンド。

そこには、かつて誰かが抱いていた夢の名残だけが残されている。

「……楽しかったな」

「もう一度だけ、走れたら」

「もし、あの日に戻れたなら」

「まだ……終わってない」

その声は、誰にも届かなかった。

けれど――

届かなかった想いは、消えるとは限らない。

誰かに聞いてほしかった言葉。

諦めたくなかった夢。

終わってほしくなかった時間。

叶わなかった未来。

それらは、静かに、静かに積もっていく。

まるで海の底へ沈んでいく砂のように。

ひとつ。

また、ひとつ。

そしていつしか――

誰のものだったのかも分からぬほど多くの「夢」が、ひとつの情念となっていた。

その夜。

トレセン学園のプールから、歌が聞こえた。

誰もいないはずの場所から。

水面には、月が映っている。

その水面に――

ぽつり。

ぽつり。

と、波紋が広がった。

歌は、美しかった。

悲しいようで。

懐かしいようで。

聞いていると、胸の奥にしまった何かを思い出してしまうような歌だった。

そして、その歌を聞いた者は皆、同じことを思った。

――もう一度、夢を見たい。

――あの頃へ帰りたい。

――あの夢の続きを、見たい。

水面の向こうで、何かが笑った。

人魚とは程遠い。

墨を流したような黒い身体。

魚とも獣ともつかぬ異形。

水に濡れた長い髪。

裂けたような口。

その姿は、まるで水墨画から這い出してきた怪物だった。

それでも。

その歌声だけは、どこまでも美しかった。

そして――

その日から、トレセン学園では奇妙な噂が囁かれるようになった。

夜の水辺で歌を聞くと。

自分が一番望んでいた夢を、もう一度見られる。

ただし。

一度その夢を見た者は――

なかなか、目を覚ますことができない。

 

―――――――――――――――――――――――

 

もうすぐ7月になる。トレセン学園は現役ウマ娘は全員夏合宿に向かう時期になる。

 

夏の猛暑の中で、一人のウマ娘がため息を吐きながら学園の門を潜る。

 

ミラ子「はぁ。嫌だなぁプール」

 

ヒシミラクル。普通を自称し、普通の人生を望むウマ娘だ。他の皆と違い、走るのは好きでもレースとして生きる事にはかなり希薄だ。それでも菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念を征した実力を持つウマ娘なのだが、彼女はカナヅチで、プールが特に嫌なのだ。

 

トゥインクルシリーズを終えてドリームトロフィーリーグに、トレーナーに流されるがままに移籍する事になるらしい。

 

ミラ子「ドリームトロフィーリーグに移籍かぁ。トゥインクルシリーズ終わればもう辞められると思ってたのになぁ」

 

ミラ子はそう言いながら玄関口に向かう。すると、背後から分厚いブーツの靴音が響いた。

 

カツン………カツン………。

 

ミラ子は背後を振り返る。其処には、かなり現代人とは思えない格好をした女性が立っていた。金色の髪。頭には、どこか古めかしい頭巾。和装を思わせる着物に、現代風のロングコート。そして何より目を引くのが、背負っている大きな箱。どう見ても、トレセン学園の関係者には見えない。というか、夏場なのにロングコートというのがそもそもおかしい。

 

ミラ子「……怪しい」

 

思わず口に出た。すると、彼女はミラ子の視線に気が付いて手を振ってきた。

 

薬売り「あっ、どもー」

 

ミラ子「あっ、どうも」

 

彼女はミラ子に微笑みかける。

 

薬売り「ここがトレセン学園で合ってる?」

 

ミラ子「えっ?はい、合ってます」

 

薬売り「そっか。そりゃ良かった」

 

彼女は全身に付けたアクセサリーを揺らしながら、クスリと微笑んだ。ミラ子は怪しくも妖艶な見た目に、思わず頬を赤らめてしまう。

 

ミラ子「あの、学園の関係者ですか?」

 

薬売り「いやいや、この学園に用があって来たの。あっ、自己紹介まだだったね。ウチ、薬売りでーす」

 

ミラ子「薬売り?薬剤師さん?」

 

薬売り「いんや」

 

ミラ子「じゃあ、ドラッグストアの?」

 

薬売り「違う違う。訪問販売で薬売りまーす」

 

ミラ子は女性を上から下まで眺める。

 

頭巾。着物。ロングコート。大きな箱。そして金髪。

 

ミラ子「……怪しい人ですね」

 

薬売り「うわ、直球」

 

薬売りは楽しそうに笑った。

 

薬売り「でもまあ、そう思うよね。今の時代にこんな格好してたら」

 

ミラ子「いや、格好だけじゃなくてですね……」

 

薬売り「ん?」

 

薬売りが首を傾げる。すると、学園のチャイムが鳴り始める。

 

キーンコーンカーンコーン………

 

ミラ子「あっ!そろそろ行かないと!今日日直だった!」

 

薬売り「そっか。んじゃ、ガンバ」

 

ミラ子「は、はーい!失礼しまーす!」

 

ミラ子は学園に向かって走り去っていく。

 

薬売り「―――」

 

薬売りは学園を見上げる。口元が何かを話してるように動いている。その時、薬売りが背負う箱の中から何かがガタガタと音を立てていた。

 

薬売り「いるね」

 

薬売りは笑う。そして、気配を感じた為に学園の門を通って玄関に向けて歩き出す。すると、後ろから追ってきた一人の女性に薬売りは肩を掴まれる。

 

たづなさん「あの、すみません。此処は関係者以外立ち入り禁止ですよ」

 

薬売り「ん?ああっ、失礼。薬売りをやってる者でーす」

 

彼女は、トレセン学園理事長の秘書を務める『駿川たづな』。彼女は門の前に立って生徒達と挨拶したりするのだが、もう一つの理由はこうして不審者を足止めする目的もある。

 

たづなさん「薬売り?そんな古風なお仕事がまだ残っておられたとは…………しかし、今は物騒な時代です。それに、ホントに商売になりますか?」

 

薬売り「なるなるー。まっ、伝統って奴よ」

 

たづなさん「ハァ……というか、トレセン学園は無許可での訪問販売は禁止しています」

 

薬売り「えー。ん?」

 

すると、学園のどこからか不思議な音が響いた。深く、透き通り、しかしどこか物悲しく、それでいて深みへ引きずり込まれそうな歌。

 

たづなさん「ハァ………またですか」

 

薬売り「あの歌声、いつからあるの?」

 

たづなさん「ごく最近です。放送室のイタズラと思われますが、放送委員に問い質しても知らないの一点張り。しかし、ホントにアリバイもあったので………誰かのイタズラと考えられましたが………」

 

たづなさんも頭を悩ませていた。トレセン学園ではここ最近、歌声が時々放送されるのだ。放送委員も知らないこの異変。秘書としても見過ごせないのに、犯人が分からないのだ。

 

薬売り「なるほど。ご案内させてもらおっと」

 

薬売りが歩き出す。

 

たづなさん「あっ、ちょっと!ダメです!関係者以外立ち入り禁止と!」

 

たづなさんが肩を掴む直前、薬売りがたづなさんを向いて笑う。

 

薬売り「モノノ怪が、出たよ」

 

薬売りは一瞬だけ振り返ると、そう口にした。そして、たづなさんは薬売りを追い掛ける。

 

たづなさん「と、取り敢えず荷物確認だけでもさせてくださーい!」

 

薬売り「はいはい」

 

――――――――――――――――――――――

 

ミラ子は教室へ戻ると、黒板消しを手に取った。

 

ミラ子「よいしょ……っと」

 

黒板に残った文字を、上から下へと丁寧に消していく。黒板消しを叩けば、白い粉がふわりと舞った。

 

日直としての仕事を一通り終える。

 

それからミラ子は、自分の席へ戻った。友達も遅れてやって来て、朝のホームルームが始まるまでの雑談を始める。

 

ハートリーレター「いやー、今日暑くない?」

 

ビロンギングス「暑い。もう七月だしね」

 

ミラ子「夏合宿、嫌だなぁ……」

 

ビロンギングス「ミラ子、またプールの話してる」

 

ミラ子「だって嫌なんですよぉ……」

 

教室には、いつも通りの声が飛び交っている。

 

宿題の話。

 

授業の話。

 

先生の話。

 

夏休みの話。

 

そして、くだらない冗談。

 

どれも特別なことではない。

 

ただの、他愛のない会話。

 

けれど――

 

ミラ子にとっては、それこそが何より大切な時間だった。

 

大きな夢があるわけでもない。誰よりも速くなりたいわけでもない。

 

ただ、こうして皆と笑って。授業を受けて。日直をして。帰り道に寄り道をして。

 

そんな普通の日々を過ごせればいい。

 

それだけだったのに。

 

ミラ子「……普通って、いいよねぇ」

 

ハートリーレター「急にどうしたの?」

 

ミラ子「いや、なんでも」

 

ミラ子は笑った。

 

その時だった。

 

ビロンギングス「そういえばさ」

 

ビロンギングスが、ふと思い出したように口を開いた。

 

ビロンギングス「最近、変な噂あるの知ってる?」

 

ミラ子「変な噂?」

 

ビロンギングス「うん。プールの辺り」

 

ミラ子の耳がぴくりと動く。

 

ミラ子「……プール?」

 

ビロンギングス「夜になると、どこからか歌が聞こえるんだって」

 

ミラ子「歌?」

 

ビロンギングス「そう。なんか、すっごく綺麗な歌らしいよ」

 

ハートリーレター「へぇ……」

 

ハートリーレターが興味深そうに身を乗り出す。

 

ビロンギングス「でも、それだけじゃないんだって」

 

ミラ子「何が?」

 

ビロンギングス「その歌を聞いた子がね……プールから上がってこなくなるんだって」

 

全員『『…………』』

 

教室が、ほんの少し静かになった。

 

ミラ子「え?」

 

ミラ子が聞き返す。

 

ミラ子「いやいや、どういうこと?」

 

ビロンギングス「そのまんま。プールに入ったあと、ずっと水の中にいるの」

 

ハートリーレター「え、危なくない?」

 

ビロンギングス「だから先生たちも注意してるらしいよ」

 

ミラ子「でもさ、そんなのただの噂じゃない?」

 

ビロンギングス「私もそう思う」

 

ハートリーレター「そもそも夜のプールなんて、普通入らないでしょ」

 

ミラ子「だよねー」

 

皆が笑う。

 

ミラ子「なんだ、怖い話かと思った」

 

ビロンギングス「ミラ子、怖いの苦手だもんね」

 

ミラ子「いや、そういう問題じゃないですって!」

 

再び教室に笑い声が戻る。

 

ミラ子も笑った。

 

けれど。

 

なぜだろう。

 

さっきまで聞こえていた皆の声の向こうから――

 

ほんの一瞬だけ。

 

「〜♪」

 

歌が聞こえた気がした。

 

ミラ子「……?」

 

ミラ子は窓の外を見る。

 

青い空。照りつける太陽。蝉の声。いつもと変わらない夏の景色。ミラ子が欲しい、というか返して欲しい幸せな時間。

 

ミラ子「……気のせいか」

 

ミラ子はそう呟いて、再び皆との会話へ戻った。

 

誰も気付いていない。

 

校舎のずっと向こう。

 

プールの水面が――

 

風もないのに、静かに揺れていたことを。

 

――――――――――――――――――――――――

 

ミラ子にとって、最も憂鬱な時間がやってきた。

 

ミラ子「はぁ……」

 

プールサイドに立ったミラ子は、水面を見つめて大きくため息を吐く。ミラ子は泳げないのだ。しかしスタミナを付ける為には、水泳が一番効果的なのだ。

 

ミラ子「なんで走るウマ娘が泳がなきゃいけないんですかねぇ……」

 

トレーナー「文句を言ってないで、入るぞ」

 

トレーナーの声が飛ぶ。彼女の才能に魅入られ、この世界に彼女を招き入れた本人だ。

 

ミラ子「はーい……」

 

嫌々ながら、ミラ子はプールへ入る。冷たい水が身体を包む。ビート板を手にして泳いでいく。

 

ミラ子「うぅ……やっぱり嫌だ……」

 

それでもトレーナーの指示に従い、ミラ子は泳ぎ始めた。

 

ゆっくり。必死に。水を掻く。

 

トレーナー「そうそう、その調子だ」

 

トレーナーが声を掛ける。

 

ミラ子は苦笑しながら前へ進んでいく。

 

――その時だった。

 

「〜♪」

 

ミラ子「……?」

 

ミラ子の耳が動いた。どこからか、歌が聞こえた。

 

よく聴くとそれは、周りから響いていない。水の中から響いてくる。

 

ミラ子「……歌?」

 

周囲を見る。他のウマ娘たちは泳いでいる。誰も歌っていない。というか、歌声に気付いてない。聴こえてないが正確だろう。

 

「〜♪」

 

また聞こえた。

 

深く。透き通っていて。どこか悲しい。

 

それなのに――不思議と心地よい。

 

ミラ子「……なんだろ」

 

ミラ子は水面の下を覗き込む。そこには、青い水が広がっているだけ。なのに歌声だけは、はっきりと聞こえる。

 

ミラ子「…………」

 

ミラ子の手が止まる。

 

歌声が、少しずつ近づいてくる。

 

いや。

 

近づいているのではない。

 

自分から――近づいている。

 

ミラ子「……もうちょっと……」

 

ミラ子は、ゆっくりと身体を沈めた。

 

水面へ顔を向ける。

 

歌が聞こえる。

 

自分を呼んでいるような。

 

ミラ子「…………もう一度……あの日々に………」

 

水の中なのに、ぽつりと呟く自分の声がよく分かる。

 

そして。

 

ミラ子の姿が、水の中へ沈む。

 

トレーナー「ミラ子?」

 

トレーナーが呼ぶ。

 

だが――

 

水面は静かだった。

 

――――――――――――――――――――――――

 

トレーナー「ミラ子は?」

 

トレーナーが周囲を見渡す。泳いでいたはずのミラ子が、見当たらない。

 

トレーナー「さっきまでここにいたんだが……」

 

誰も答えない。

 

トレーナー「……まさか、練習が嫌になって逃げたのか?」

 

しかし、その時。

 

ヤエノ「え?」

 

ヤエノムテキが振り返った。

 

ヤエノ「ミラ子さんなら、出ていませんよ」

 

バンブー「そうっす!」

 

バンブーメモリーも頷く。

 

バンブー「私たち、ずっと出入口を見てたっス!ミラ子が出ていったなら、絶対に気付くっス!」

 

トレーナー「じゃあ……どこに?」

 

トレーナーがプールへ視線を戻す。

 

トレーナー「……まさか」

 

その時。

 

ハートリーレター「トレーナーさん!」

 

ビロンギング「大変なんです!」

 

二人のウマ娘が駆け込んできた。

 

ハートリーレターとビロンギングス。ミラ子の同級生であり、友人でもある二人だった。

 

ハートリーレター「ミラ子が!」

 

ビロンギングス「プールに沈んでる!」

 

トレーナー「……え?」

 

ハートリーレター「上がってこないの!」

 

その言葉を聞いた瞬間、プールサイドにいた全員の顔から血の気が引いた。

 

トレーナー「何だって!?」

 

トレーナーがプールへ駆け寄る。

 

水面を覗き込む。

 

青い水。

 

その底に、ミラ子がいた。

 

動かない。

 

ただ静かに。

 

水底へ沈んでいる。

 

トレーナー「ミラ子!!」

 

トレーナーや周りの皆が飛び込もうとした、その時だった。

 

薬売り「ちょいちょいちょい。ストーップ」

 

突然背中に長方形型の札が貼られて、全員の動きが止められた。

 

薬売り「止めておいた方が良い。そのプールに入った以上、彼女は向こう側に行ってっから」

 

其処に現れた、大きな箱を背負う和洋折衷の格好をした女性。ブーツのままプールサイドに現れ、プール内のミラ子を見つめている。

 

トップロード「だ、誰ですか貴女は!?」

 

トップロードが声を上げた。いつの間にか体の自由が効いている。札は剥がれてないものの、彼等の背中に貼り付いて離れない。

 

薬売り「しがない薬売りでーす。でも、そのプールに入らない方が良いよ」

 

薬売りはプール内に沈むミラ子を見る。彼女は沈んでいるが、其処に居る訳では無い。

 

バンブー「なんでっすか!?ミラ子、このまんまだと窒息するっすよ!!」

 

薬売り「今はしないよ」

 

ヤエノ「何故そう言い切れるんです!?」

 

ヤエノも声を荒げた。

 

薬売り「其処は既に………モノノ怪の領分だから。ヒシミラクルは其処に居るように見えるけど、水の中はモノノ怪の支配する空間。水に落ちたら皆も現実世界に帰れなくなるよ」

 

薬売りがそう告げた途端、薬売りは背負う箱を床に降ろした。その瞬間、薬売りの降ろした箱が開き、中の引き出しが一人でに飛び出してきた。そして、その中から無数の札でぐるぐる巻きに封印された、大きな剣が出現。しかも、()()()()()()()()()()()()()()()()()が付いており、口を開けたまま下顎をカチカチと音を立てて上下に揺らしている。また、小さなベルが柄の先端に取り付けられており、剣が起き上がった途端にカランカランと音が鳴る。

 

たづなさん「待ってくださーい!いきなり持ち物検査の途中で………ってえええええっ!?なんですかこの剣は!?訪問販売の薬売りさんが何故剣を持ってるんですか!?」

 

たづなさんは慌てる。無理もない。現代ならば銃刀法違反に当るからだ。

 

薬売り「斬るからだよ☆」

 

全員に緊張が走る。何を!?誰もがそう思っている。

 

それは、彼女を含めた、薬売りが常に対処し続けた、人の世を蝕む怪異。

 

薬売り「モノノ怪を」

 

バンブー「……はっ?」

 

全員が固まる。

 

なんと言った?

 

物の怪と言ったのか?

 

ミラ子のトレーナーは、沈黙の後に正気を取り戻す。

 

トレーナー「な、何をふざけてるんですか!?物の怪なんて不吉な事を!!」

 

トップロード「そうですよ!!それに、早くミラ子ちゃんを引き上げないと溺死しちゃうんですよ!?」

 

薬売り「今はしないと言ったよね?それに………」

 

薬売りはプールから見える、沈んだまま浮かんでこないミラ子を見た。

 

そして、先程も学園に響いた謎の歌声。

 

水の底へ沈むヒシミラクル。苦しそうではなく、幸せな夢を見る子供のように安らいでいる。

 

薬売り「水へ引きずり込み、歌で人を惑わし、沈めるように幻夢へ浸らせるモノノ怪…………モノノ怪になった妖の名は………『マーメイド』!」

 

その時だった。鍔に付いた鬼の顔が口を閉じて音を鳴らす。ガキン!!という激しい金属音が周囲に木霊する。

 

たづなさん「口が閉じた!?」

 

薬売り「形、解明☆」

 

薬売りは笑う。

 

ハートリーレター「す、凄い音だったよ?」

 

ビロンギングス「マーメイドって、人魚姫の事?」

 

薬売り「そっ。けど、ただの人魚じゃないよ?真と理を持った情念が、マーメイドっていう形を得て、モノノ怪になったってわけ☆」

 

薬売りはそう答える。

 

トップロード「真と理?な、なんですかそれは?」

 

トップロードは未だに警戒を解かない。不思議な事が沢山起きてるが、この薬売りが少なくとも怪しくても敵ではない事は理解している。

 

薬売りは続ける。

 

薬売り「そんで、こいつが『兌の剣』。別名、退魔の剣」

 

トップロード「兌の剣……?」

 

薬売り「そ。薬売りはウチ一人じゃないんよ。全部で64人。その中でも、この剣は陰陽八卦に属する業物ってわけ」

 

バンブー「64人!?」

 

薬売り「そこ気になるんだ」

 

バンブー「気になるっすよ!!」

 

そして、薬売りは剣を構えながら話を戻す。

 

薬売り「話を戻そっか。真と理について、だよね。それは、モノノ怪を唯一斬れる退魔の剣を抜く為の条件の内の二つだよ。そして、さっきも言った『形』が、三つ目の条件。全部示さないと、剣は抜けないし、ヒシミラクルはいずれ、ね?」

 

バンブー「三つの条件?」

 

すると、薬売りが左手を出して握り拳から、人差し指を立てる。

 

薬売り「一つ目は『形』。斬るモノノ怪の名前か姿を示す事。要するに何者か暴くこと。今回ならマーメイド。水に現れて、歌で人を誘って、夢の中に閉じ込める怪異。これが『形』」

 

中指を立てる。

 

薬売り「次が『真』」

 

ヤエノ「真……」

 

薬売り「うん。要するに何が本当に起きたのかってこと。誰が何をしたのか、或いは何があったのか。何が嘘で、何が本当なのか。表面だけ見ても分からない部分ね。これが『真』」

 

そして三本目。薬指を立てた。

 

薬売り「最後が『理』」

 

薬売りは少しだけ表情を変える。

 

薬売り「これが一番大事」

 

バンブー「大事?何なんすか?」

 

薬売り「どうして、そうなったのか。どうしてこの怪異が生まれたのか。どうして人を夢に引き込むのか。何を望んでるのか。何を捨てられない、又は何を捨てたのか。モノノ怪になった根幹である心情を暴く事。これが、『理』」

 

薬売りは水底のミラ子を見る。

 

薬売り「そこまで全部分かって、初めて『形・真・理』が揃い、剣を抜いて、モノノ怪を斬れるってわけ」

 

トップロード「……では、それが分からない限り……」

 

薬売り「剣は抜けない。このまんまだとヒシミラクルは本当に溺死するし、学園の誰かにも被害が及ぶ」

 

一同が息を呑む。

 

薬売り「だから、みんなに聞きたい」

 

薬売りはプールの水面を見つめる。

 

薬売り「この怪異は、何を求めてる?」

 

全員『『………………』』

 

誰も答えられない。

 

薬売り「そして――」

 

水面が、ゆっくりと揺れる。

 

薬売り「なんで、ヒシミラクルを連れていった?」

 

沈黙。

 

薬売りは目を細める。

 

そして――途中から普段の軽い口調ではなく、古風な言葉で告げる。

 

薬売り「それを暴かないといけない。よって皆々様の―」

 

そして、退魔の剣を横向きにして構える。ベルが揺れてカラカラカランと音が鳴る。

 

薬売り「真と理。お聞かせ願いたく候う」

 

今ここに、新たな薬売りの伝説が、幕を開ける。

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