モノノ怪:兌の剣   作:ちいさな魔女

2 / 2
この章では、真を暴くシーンにします。


マーメイド:後編

薬売りは、その後、トレセン学園理事長室へと通されていた。

 

部屋には、先ほどプールにいた者たちが集まっている。トレーナー。ナリタトップロード。ヤエノムテキ。バンブーメモリー。ハートリーレター。ビロンギングス。

 

そして、ミラ子のルームメイトであり、後輩でもあるダンツフレームも来ていた。

 

全員が、不安と困惑の入り混じった表情で、部屋の中央に座る薬売りを見つめていた。

 

薬売りはというと、いつものように気楽にソファーに座り、大きな箱を隣に置いたまま、どこか気の抜けた様子で茶を啜っている。

 

その向かいには、トレセン学園理事長、秋川やよいが座っている。

 

秋川理事長「驚愕っ!? まさかその様な事が起きていたとは!」

 

秋川理事長は机を叩きながら立ち上がった。

 

秋川理事長「学園のプールに怪異が潜み、生徒を水中へ引きずり込んでいる!? しかも、その怪異は生徒たちの夢を利用しているだと!?」

 

薬売り「まあ、そういうこと」

 

秋川理事長「由々しき事態っ!」

 

薬売り「うん。かなり由々しいね」

 

秋川理事長「ならば即刻プールを封鎖し、生徒を全員避難させるべきではないのか!?」

 

薬売り「それも手ではあるけどねぇ」

 

薬売りは湯呑みを置いた。

 

薬売り「それだけじゃ、モノノ怪は斬れない」

 

秋川理事長「むむっ……!」

 

薬売り「前にも説明したけど、モノノ怪を斬るには『形・真・理』が必要なのよ」

 

薬売りは指を一本立てる。

 

薬売り「形はもう分かった。『マーメイド』」

 

次に、二本。

 

薬売り「でも、真と理がまだ分からない」

 

三本目の指が立つ。

 

薬売り「だから今、こうして皆に集まってもらったわけ」

 

トレーナー「……つまり」

 

トレーナーは拳を握った。

 

トレーナー「ミラ子を助けるには、あの怪物についてもっと知らなければならない、と?」

 

薬売り「そういうこと」

 

ダンツ「……じゃあ」

 

それまで黙っていたダンツフレームが、震える声で口を開いた。

 

ダンツ「ミラ子先輩を助けるために……私たちが、先輩のことを話す必要があるんですか?」

 

薬売り「それも必要だね」

 

ダンツ「……」

 

ダンツは俯いた。

 

ダンツ「だったら……私、何でも話します」

 

薬売り「ほう?」

 

ダンツ「ミラ子先輩が、何を考えてたのか。何を嫌がってたのか。何をしたかったのか……私、ルームメイトだから」

 

ダンツは顔を上げた。

 

ダンツ「……私、ミラ子先輩のこと、ちゃんと分かってるつもりでした」

 

その言葉に、薬売りの目が細くなる。

 

薬売り「つもり?」

 

ダンツ「……はい」

 

薬売り「そいつは結構」

 

ダンツ「え?」

 

薬売り「じゃあ、聞かせてもらおうか」

 

薬売りは湯呑みを置き、全員を見回した。

 

薬売り「ヒシミラクルって、どんな子?」

 

トレーナー「……それは」

 

薬売り「速い子?」

 

ヤエノ「ええ。間違いなく実力のあるウマ娘です」

 

薬売り「強い子?」

 

バンブー「そりゃあ、GⅠ三勝っスから!」

 

薬売り「普通の子?」

 

ハートリーレター「……本人は、そう言ってます」

 

薬売り「夢のない子?」

 

全員が黙った。

 

薬売り「――さて」

 

薬売りは、笑みを浮かべた。

 

薬売り「ここからが『真』だ」

 

ダンツ「……!」

 

薬売り「皆が知ってるヒシミラクルと、ヒシミラクル自身が知ってる自分。果たして同じなのかねぇ?」

 

静寂。

 

薬売り「モノノ怪ってのはね」

 

薬売りは、窓の外へ目を向ける。

 

薬売り「見えているものだけじゃ、分からないんだよ」

 

その瞬間。

 

薬売りの隣にある箱から……

 

カタ。

 

小さな音がした。

 

全員の視線が箱へ集まる。

 

薬売り「……おや」

 

薬売りは箱を見下ろした。

 

薬売り「どうやら、あちらさんも聞いてるみたいだ」

 

ダンツ「……え?」

 

薬売り「さあて」

 

薬売りは再び笑った。

 

薬売り「ヒシミラクルというウマ娘の『真』。存分にお聞かせ願おうか」

 

薬売りは笑い、温和な雰囲気を見せる。

 

薬売り「さて……誰から聞こうかねぇ」

 

薬売りは湯呑みを置く。

 

薬売り「まずは――」

 

薬売りの視線がトレーナーへ向いた。

 

薬売り「君から聞こっか♪」

 

トレーナー「私ですか?」

 

薬売り「うん。ヒシミラクルのトレーナーっしょ?」

 

トレーナー「……はい」

 

薬売り「じゃあ聞くよ。君から見たヒシミラクルって、どんな子?」

 

トレーナーは少し考えた。

 

トレーナー「……才能のあるウマ娘です」

 

薬売り「ふむふむ」

 

トレーナー「本人はあまり自覚していませんが、凄いですよ。練習も、何だかんだ言いながら最後までやりますし」

 

バンブー「確かにそうっスね!」

 

ヤエノ「ええ。ミラ子さんは、やるべき時にはきちんとやる方です」

 

薬売り「でも、本人は『普通』だと言う」

 

トレーナー「……はい」

 

薬売り「どうしてだろうね?」

 

トレーナー「それは……」

 

トレーナーは言葉に詰まった。

 

薬売り「分かんない?」

 

トレーナー「……正直に言えば」

 

トレーナーは俯いた。

 

トレーナー「俺も、分かっていないのかもしれません」

 

薬売り「へぇ」

 

その答えに、薬売りは笑った。

 

薬売り「正直で結構」

 

そして今度はヤエノを見る。

 

薬売り「じゃあ、お嬢さん」

 

ヤエノ「私ですか?」

 

薬売り「うん。君から見たヒシミラクルは?」

 

ヤエノ「……強い方です」

 

即答だった。

 

ヤエノ「普段は飄々としているように見えますが、勝負となれば非常に強い。自分では普通と言っていますが……少なくとも、私はそうは思いません」

 

薬売り「なるほどねぇ」

 

バンブー「私も同じっス!」

 

薬売り「じゃあ、君は?」

 

バンブー「ヒシミラクルは、凄いウマ娘っス!」

 

バンブーは胸を張る。

 

バンブー「GⅠ三勝っスよ!? 菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念!しかも宝塚じゃ、あのメンバーを相手に勝ってるんスから!」

 

薬売り「うんうん」

 

薬売りは頷く。

 

そして、静かに問い掛けた。

 

薬売り「でも、それって『ヒシミラクル』の話かな?」

 

バンブー「……え?」

 

薬売り「それとも、『ヒシミラクルが残した記録』の話かな?」

 

バンブー「…………」

 

バンブーは口を閉じた。

 

薬売り「記録は嘘をつかない。でもねぇ」

 

薬売りは湯呑みを指先で回す。

 

薬売り「記録だけじゃ、人のことは分からない」

 

次に、ハートリーレターとビロンギングスへ。薬売りの問いに、二人は答える。

 

ハートリーレター「ミラ子は……普通の子ですよ」

 

ビロンギングス「うん。授業中眠そうにしてるし、休み時間になったらお菓子食べてるし」

 

ハートリーレター「あと、すぐ面倒くさがる」

 

ビロンギングス「プールも大嫌い」

 

ミラ子の友人二人が顔を見合わせる。

 

ハートリーレター「でも……一緒にいると楽しい子です」

 

ビロンギングス「うん」

 

薬売り「普通で、楽しい」

 

二人「はい」

 

薬売り「じゃあ、彼女は幸せそうだった?」

 

ハートリーレター「……」

 

ビロンギングス「……たぶん」

 

薬売り「たぶん?」

 

ビロンギングス「だって、ミラ子はいつも笑ってたから」

 

薬売り「笑っていたから、幸せだった?」

 

ビロンギングス「……それは」

 

薬売り「ふーん」

 

また一つ、薬売りは何かを確かめるように頷いた。

 

そして薬売りは、最後にダンツを見る。

 

薬売り「さて」

 

ダンツ「……」

 

薬売り「君はどうだい?」

 

ダンツ「……私は」

 

ダンツは膝の上で手を握った。

 

ダンツ「ミラ子先輩は……普通の生活が好きなんだと思います」

 

薬売り「どうして?」

 

ダンツ「だって、いつも言ってましたから。『レースが終わったら、普通に暮らしたい』『卒業したら、ゆっくりしたい』『もう十分走ったし』と。だから……私も、そうなんだと思ってました」

 

薬売り「思っていた?」

 

ダンツ「……はい」

 

薬売り「今は?」

 

ダンツは答えられなかった。

 

その時だった。

 

―――――――――――――――――――――――

 

『『キャアアアアアアアッ!!』』

 

廊下から、悲鳴が響いた。

 

全員「!?」

 

続いて、ドタドタドタッ! と複数の足音。

 

扉が勢いよく開かれる。

 

モブウマ娘「た、大変です!」

 

秋川理事長「何事っ!?」

 

モブウマ娘「洗面所で……!蛇口を捻ったら、水の中から歌が……!」

 

薬売り「歌?」

 

モブウマ娘「はい! それで、水に触った子たちが……!」

 

モブウマ娘は顔を青ざめさせる。

 

モブウマ娘「水の中に……吸い込まれたんです!」

 

ダンツ「……!」

 

薬売りは立ち上がった。さっきまでの温和な笑みは消えていた。

 

薬売り「……案内して」

 

モブウマ娘「え?」

 

薬売り「現場へ」

 

―――――――――――――――――――――――

 

洗面所。蛇口からは、水が静かに流れ続けていた。

 

しかし――

 

マーメイド『~~♪』

 

歌が聞こえる。

 

ハートリーレター「……これ」

 

ビロンギングス「歌……」

 

薬売りは蛇口へ近付く。

 

そして水へ指を近付けるが、触れる寸前で止めた。

 

薬売り「なるほどねぇ」

 

バンブー「何が分かったんスか!?」

 

薬売り「水だよ」

 

ヤエノ「水?」

 

薬売り「プールだけじゃない。このモノノ怪……水そのものを道にしてる」

 

薬売りは箱を開く。

 

中から、いくつもの小さなベルを取り出した。

 

カラン……。

 

ベル同士が触れ合い、音が鳴る。

 

たづな「それは……?」

 

薬売り「ベル」

 

秋川理事長「ベル……?」

 

薬売り「天秤じゃなくてね。今回の相手には、こっちの方が都合がいい」

 

薬売りは蛇口の横へベルを一つ置いた。

 

チリン。

 

マーメイド『~~♪』

 

歌が止まった。

 

全員「……!」

 

そして――

 

チリン。

 

もう一度。今度は明らかに、ベルが勝手に鳴った。

 

薬売り「……いるね」

 

薬売りは笑った。

 

それから薬売りは、学園中の水回りを回り始めた。

 

洗面所。シャワー室。厨房。給水場。

 

一つ。また一つ。ベルが置かれていく。

 

たづな「こんなに置く必要があるんですか?」

 

薬売り「あるよ」

 

たづな「何故?」

 

薬売り「この学園、随分と水が多いからねぇ」

 

薬売りは歩きながら答える。

 

薬売り「水がある場所なら、どこからでも向こう側へ繋がる可能性がある」

 

そして最後にプールへ来た。

 

薬売りはプールサイドへ立つ。

 

水面は静かだった。

 

薬売りはベルを一つ取り出すと、それをプールサイドに置いた。

 

――――

 

チリン。

 

誰も触れていない。

 

風もない。

 

それなのにベルが鳴った。

 

薬売り「……なるほど」

 

ダンツ「どうしたんですか?」

 

薬売り「分かったことが一つある」

 

ダンツ「?」

 

薬売りは水面を見る。

 

薬売り「このモノノ怪は、もうヒシミラクルだけを狙ってない」

 

水面の奥。一瞬だけ、何かが動いた。魚のヒレのような何か。

 

薬売り「学園そのものを、夢の中に沈めようとしてる」

 

全員が息を呑んだ。

 

そして、どこか遠くで。

 

カラン……カラン……

 

ベルが鳴った。

 

薬売りはそちらへ振り返る。

 

薬売り「……まだ、誰かいるねぇ」

 

夜のプール。

 

水面には、月が浮かんでいる。だが、その水面から少し下。そこに、ヒシミラクルは沈んでいた。

 

目を閉じ、眠るように、髪が水の中でゆっくりと揺れている。

 

ダンツ「……ミラ子先輩」

 

ダンツフレームがプールサイドから水面を見つめる。

 

手を伸ばしたくても、伸ばせない。薬売りが張った結界が、プールと現実を隔てている。

 

ダンツ「助けられないんですか?」

 

薬売り「今はね」

 

薬売りは淡々と答える。

 

薬売り「この娘を引っ張り出すだけなら、そう難しい話じゃない」

 

ダンツ「え?」

 

薬売り「問題は――」

 

薬売りは水面を見た。

 

薬売り「引っ張り出したところで、また沈められるということだよ」

 

ダンツ「……!」

 

薬売り「モノノ怪を斬らない限り、この娘は戻れない」

 

しばらく、二人とも黙っていた。

 

水の底。

 

ミラ子の口元が、ほんの少し動いた。

 

――♪……

 

歌。

 

かすかな歌声が、水面を震わせる。

 

ダンツが息を呑む。

 

ダンツ「……また」

 

薬売りは耳を澄ませた。

 

薬売り「聞こえる?」

 

ダンツ「はい……」

 

薬売り「何を歌っている?」

 

ダンツ「……分かりません。でも……」

 

ダンツは胸を押さえた。

 

ダンツ「なんだか、懐かしい感じがします」

 

薬売りは目を細めた。

 

薬売り「懐かしい、か」

 

水面を見る。

 

薬売り「この娘に見せているのは、何だろうね」

 

ダンツ「ミラ子先輩が、一番見たい夢……?」

 

薬売り「かもしれない」

 

薬売りはプールから離れる。

 

薬売り「だが、それだけじゃない」

 

ダンツ「え?」

 

薬売り「この歌は、ヒシミラクル一人のための歌じゃない」

 

薬売りは歩き出した。

 

薬売り「学園全体から聞こえてくる」

 

―――――――――――――――――――――――

 

最初に向かったのは、古い資料室だった。

 

トレセン学園の卒業生、在校生、レース記録、過去の新聞、古い写真、引退したウマ娘たちの記録。

 

薬売りは一枚一枚、目を通していく。

 

薬売り「……随分いるね」

 

ダンツ「何がですか?」

 

薬売り「ここを去った人間が」

 

写真の中では、無数のウマ娘たちが笑っている。

 

優勝レイを掲げている者。

 

仲間と肩を組んでいる者。

 

涙を流している者。

 

敗北したレースの写真。

 

怪我をした日の記録。

 

引退式。

 

卒業式。

 

そして――

 

最後の写真。

 

学園を去る後ろ姿。

 

薬売りは写真を置いた。

 

薬売り「皆は、卒業したら終わりだと思う?」

 

ダンツは少し考える。

 

ダンツ「……普通は、そうじゃないですか?」

 

薬売り「そだね」

 

薬売りは笑う。

 

薬売り「学園を出れば、次の人生が始まる」

 

ダンツ「……はい」

 

薬売り「でもね」

薬売りは、一枚の古い記録を指でなぞった。

 

薬売り「『終わった』と『終わらせた』は、違うんだよ」

 

ダンツが黙る。

 

薬売りは資料を読み進める。

 

「この子は怪我……この子は引退……この子は成績不振……この子は進路変更……この子は……」

 

一枚。また一枚。

 

理由は違う。だが、その記録には何度も同じような言葉が残されていた。

 

――もう一度走りたかった。

――まだ終わっていない。

――あのレースをやり直したい。

――あの子と、もう一度走りたい。

――あの頃に戻れたら。

 

薬売りの手が止まった。

 

薬売り「……これだ」

 

ダンツ「え?」

 

薬売り「見つけた」

 

薬売りは資料を閉じる。

 

薬売り「けれど、まだ足りない」

 

――――――――――――――――――――――

 

次に向かったのは、学園の古い倉庫だった。

 

そこには、卒業生たちが残していった品が保管されていた。

 

古い蹄鉄。レースシューズ。トロフィー。写真。寄せ書き。使い古されたリボン。誰かの名前が書かれたゼッケン。

 

薬売りは一つ一つに触れていく。

 

薬売り「……物は嘘をつかない」

 

ダンツ「物が……?」

 

薬売り「持ち主がいなくなっても、使われていた時間までは消えない」

 

古いシューズ。底が擦り切れている。何度も何度も走った跡。

 

その隣には、途中で使われなくなった新しいシューズ。

 

薬売りは、それを見比べる。

 

薬売り「この子は……走れなくなった」

 

次。表彰台の写真。笑っている。その裏側には、鉛筆で小さく書かれていた。

 

『最後のレースにしたくなかった』

 

次。寄せ書き。

 

『またいつか一緒に走ろう』

 

しかし、その「いつか」は来なかった。

 

次。卒業アルバム。笑顔の集合写真。その端に、一人だけ。水泳帽を被ってプールへ向かう姿が写っている。

 

薬売りの指が止まる。

 

薬売り「……プール」

 

ダンツが写真を見る。

 

薬売り「ここ……今のプールですよね」

 

ダンツ「そうだね」

 

薬売りは古い資料をめくる。

 

すると、古い新聞記事が一枚出てきた。

 

そこには、小さくこう書かれていた。

 

『卒業生有志、夜間にプールへ集まり、最後の思い出を語る』

 

ダンツ「最後の……?」

 

ダンツが呟く。

 

記事には続きがあった。引退する者、怪我で走れなくなった者、卒業を控えた者、レースを終えた者、それぞれがプールに集まり、『もう一度だけ、あの頃に戻りたい』そう語り合った。

 

そして最後に、一人の卒業生が言った。

 

『だったら、夢の中だけでも戻れたらいいのにね』

 

薬売りは記事を閉じた。

 

薬売り「…………」

 

しばらく、何も言わなかった。

 

やがて……一言漏らす。

 

薬売り「そういうことか」

 

ダンツ「薬売りさん?」

 

薬売りは、ゆっくりとプールの方を振り返った。

 

薬売り「真が見えた」

 

―――――――――――――――――――――――

 

プールへ戻る。ミラ子はまだ沈んでいる。

 

薬売りは水面を見つめた。

 

薬売り「マーメイドは、最初からここにいたんじゃない」

 

ダンツが顔を上げる。

 

ダンツ「……え?」

 

薬売り「この学園で、何度も何度も生まれた『終わりたくない』という気持ち。引退した者。敗れた者。怪我をした者。別れた者。夢を諦めた者。そして――」

 

薬売りは、沈んでいるミラ子を見る。

 

薬売り「もう一度だけ、あの頃に戻りたいと思った者」

 

水面が揺れる。

 

薬売り「そういうものが、この場所に残り続けた。一つなら、ただの未練だ。十なら、ただの思い出だ。百なら――」

 

薬売りの声が低くなる。

 

薬売り「それはもう、一つの情念になる」

 

水の中から、歌が聞こえた。

 

――♪……

 

薬売り「それが、マーメイドになった」

 

ダンツは水面を見つめる。

 

薬売り「じゃあ……ミラ子先輩を狙ったのも……」

 

薬売り「この娘だけが特別だったわけじゃない」

 

薬売りは答える。

 

薬売り「この娘の中にも、同じものがあったからだよ」

 

ダンツ「……」

 

ダンツは、水底のミラ子を見つめる。あれだけ沈んでるのに、口や鼻から出る空気の泡が出てくる様子が未だに続く。目を閉じて、安らかに眠っているのだ。

 

薬売り「走ることが好き。でも、普通の生活も好き。このまま続けるのか。それとも、ここで終わるのか。まだ決めきれない」

 

薬売りは小さく笑う。

 

薬売り「だから、この娘は『夢を終わらせたくない』という怪異にとって、随分と居心地のいい相手だったんだろう」

 

その瞬間。

 

プールの水面に、大きな波紋が広がった。

 

――♪……

 

歌声が、はっきりと聞こえる。

 

まるで答えるように。

 

薬売りは静かに告げる。

 

薬売り「これが、真だ」

 

退魔の剣を掲げて、鬼の面に示す。

 

薬売り「この学園で起きたこと。夢を終えた者たちが残したもの。それらが積み重なって――」

 

薬売りは、退魔の剣を手に、強く言った。

 

薬売り「マーメイドが生まれた」

 

ガキィィィーンッ!!

 

退魔の剣が、口を閉じる。真が、示された瞬間だった。

 

薬売り「『真』、解明☆」

 

薬売りが左目でウィンクする。

 

薬売り「……んじゃ、次は『理』だね!」

 

薬売りは水底を見る。

 

薬売り「何故、この怪異は人を眠らせる?何故、夢を見せる?何故――」

 

水底のミラ子を見る。

 

薬売り「夢から、帰そうとしない?」

 

その瞬間。

 

水の中で、ミラ子がゆっくりと目を開いた。

 

そして――

 

水底から、こちらを見つめる何かと目が合った。

 

薬売りの表情が変わる。

 

薬売り「……ありゃ?」

 

水面の向こう。

 

そこにいるのは、ミラ子だけではなかった。

 

無数のウマ娘たちが、夢の中で走っている。

 

笑っている。

 

泣いている。

 

そして誰も、ゴールには向かっていない。

 

ずっと。

 

ずっと。

 

走り続けている。

 

薬売りは静かに呟いた。

 

薬売り「さて……」

 

手に持ってたベルを揺らして、カランカランと鳴らしながら、薬売りは笑う。

 

薬売り「お前は、何を願っている?」




この薬売りは、原作やアニメ、映画に出て来た薬売りとは異なる点が多くあります。まあ64人も居るんだし、こう言う薬売りが居ても……良いよね?
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。