――夢を、見ていた。
トレセン学園には、数え切れぬほどの夢があった。
一番速くなりたい。
あの舞台に立ちたい。
あの子に勝ちたい。
誰かに憧れられるウマ娘になりたい。
仲間と一緒に、ずっと走っていたい。
夢を叶えるために、この学園へ来た者たち。
そして――夢を抱きしめたまま、もっと、もっとと渇いていった者たち。
勝利。
喝采。
栄光。
歓喜。
絶頂。
あるいは、一度味わったら二度と忘れられぬ勝利の味。
理由は、それぞれ違った。
けれど。
奔走する者たちの胸には、ひとつだけ共通するものがあった。
――「もっと輝きたい。誰かの命を糧にしてでも」
誰もいなくなった夜の校舎。
月明かりに照らされた、誰もいない表彰台。
静まり返った地下廊下。
赤く染まる夕暮れのトラック。
そこには、今もなお誰かが抱き続ける、終わりのない「渇望」の毒が残されている。
「……まだ足りない」
「もっと……私を見て」
「あなたの輝きを、私に頂戴」
「私だけが……永遠に走り続けるの」
その声は、甘く静かに夜の闇へと溶けていった。
けれど――
満たされなかった欲求は、消えるとは限らない。
奪ってでも手に入れたかった勝利。
他者の期待を吸い尽くして咲く自我。
枯れることを拒んだ情念。
決して届かない天頂への飢え。
それらは、脈打つ熱となって静かに積もっていく。
まるで暗闇で赤く滴る雫のように。
ひとしずく。
また、ひとしずく。
そしていつしか――
誰のものだったのかも分からぬほど深い「渇き」が、ひとつの情念となっていた。
その夜。
トレセン学園の地下廊下から、甘い吐息と鼓動が聞こえた。
誰もいないはずの暗闇から。
月光の届かぬ影の中に――
ぽつり。
ぽつり。
と、赤い斑点が広がった。
その気配は、あまりにも魅惑的だった。
恐ろしいようで。
甘美なようで。
触れられると、胸の奥に眠る野心や焦燥を激しく燃え立たせるような気配だった。
そして、その影に触れた者は皆、同じことを思った。
――もっと、力が欲しい。
――私だけの栄光を、永遠に。
――あの子の輝きを……奪い取りたい。
影の向こうで、何かが牙を覗かせて笑った。
高貴な貴族とは程遠い。
漆黒の蝙蝠と粘稠な血が蠢くような黒い身体。
獣とも悪魔ともつかぬ異形。
夜の闇よりも深い外套のような影。
引き裂かれた口から覗く、紅く濡れた鋭い牙。
その姿は、まるで怪談画から這い出してきた怪物だった。
それでも。
その甘い誘い文句だけは、どこまでも魅惑的だった。
そして――
その日から、トレセン学園では奇妙な噂が囁かれるようになった。
夜の影でその影に触れると。
自分が望む『絶対的な勝利と輝き』を手に入れられる。
ただし。
一度その血(力)を味わった者は――
他者の想いや輝きを吸い尽くさずには、いられなくなる。
――――――――――――――――――――――
???「僕…………また、勝てなかった」
シュヴァルグランは、教室で一人寂しく呟いた。妹のヴィブロス、姉のヴィルシーナも活躍し、G1を制した中、一人だけ全く勝てない日々。
机の上に置かれたスマホの画面には、煌びやかなニュース記事が表示されている。
姉であるヴィルシーナの誇らしい勝利の姿。そして、妹であるヴィブロスの華やかなGⅠ制覇の笑顔。
血を分けた家族たちが、トレセン学園という眩しい舞台の真ん中で輝いている。
それなのに、自分は――
シュヴァル「姉さんも……ヴィブロスも……みんなG1を勝ったのに。僕だけ……いつも、あと一歩のところで……」
届かない。どれだけ走っても、どれだけ汗を流しても、一番前を走る「あのウマ娘」の背中が見えない。
あまりにも太陽のように眩しすぎる絶対的な存在――キタサンブラック。
自分なりに努力はしている。練習だって手は抜いていない。
けれど、レースが終わるたびに聞こえてくるのは「惜しかったね」「シュヴァルらしい我慢強い走りだったよ」という、優しくも残酷な慰めの言葉ばかり。
僕が欲しいのは、そんな言葉じゃない。
僕だって――一番になりたい。
みんなに認められたい。
あのスポットライトの中心で、僕だけの勝利を叫びたい。
シュヴァル「……どうして……僕じゃ駄目なんだろう……」
声が震える。ぎゅっと、胸の前の制服を掴みしめた。
心の奥底に溜まっていくのは、自分に対する惨めさと、同期たちの持つ眩しさに対する、暗く濁った「嫉妬」だった。
そんな自分が嫌で、恐ろしくて、シュヴァルグランは溢れそうになる涙を必死に堪えるために目を強く瞑った。
その時だった。
――トクン
誰もいないはずの教室で、重く、甘い鼓動の音が響いた。
シュヴァル「……え?」
シュヴァルグランが顔を上げる。
夕暮れが落ち、いつの間にか教室の中は朱色から不気味な紫色の影へと飲み込まれつつあった。
廊下の方から、生暖かい風がすうっと吹き込んでくる。
――トクン
また、鼓動。
それは心臓の音のようでもあり、喉の渇きを潤す「濡れた音」のようでもあった。
???『……悔しいかい?』
シュヴァル「ッ……!? 誰……?」
耳元で、まるで直接脳みそに触れられるような、甘く低く妖しい声が囁いた。
振り向くが、誰もいない。ただ、自分の影が、夕暮れの光の中で不自然にぐにゃりと歪んでいた。
???『可哀想に……。こんなにも美しく、深い素質を秘めているというのに。周りの太陽たちが眩しすぎて、君の影ばかりが濃くなっていく……』
シュヴァル「な、何を言って……僕は……っ」
???『隠さなくてもいいんだよ。その胸の中にある、ドロドロとした熱い『渇き』を。あの子たちの輝きを奪いたいのだろう? キタサンブラックの……あの眩しすぎる光を吸い尽くして、君が漆黒の王になりたいのだろう?』
シュヴァル「違う! 僕は、そんな……っ! 奪いたいなんて……!」
否定しようとするシュヴァルグラン。しかし、声が出ない。
影から伸びた黒い糸のようなものが、彼女の足元からじわじわと脚を登り、胸のあたりを締め付けていく。
冷たいのに、燃えるように熱い。
???『いいや、求めているはずだ。君の血が……『勝利』という名の極上の血を求めて叫んでいる。あいつらを叩き潰し、その輝きを根こそぎ吸い尽くす力を……僕が与えてあげよう……』
シュヴァル「あ……っ……」
視界が、赤く染まっていく。
教室の壁が、黒い蝙蝠のような影と、滴る鮮血の斑点で覆われていく。
逃げなきゃいけない。立ち上がって、ここから走り出さなきゃいけないのに、身体が動かない。
胸の奥で、今まで抑え込んできた「あいつを超えたい」「僕を見てほしい」という醜い欲望が、黒い毒に侵されて急速に膨れ上がっていく。
???『さあ……僕を受け入れなさい。君の渇きを、僕の力で満たしてあげる……。もう、負け犬の顔なんてしなくていいんだ……』
シュヴァル「僕の……渇き……。僕の……『勝利』……」
シュヴァルグランの瞳から、いつもおとなしく控えめだった光が消えていく。
代わりに、夕闇の中で灯ったのは――
妖しく、血のように真っ赤な、吸血鬼の如き光だった。
影がシュヴァルグランの全身を包み込み、引き裂かれた口のような影が、彼女の耳元で満足そうにクックッと笑った。
トレセン学園の地下廊下。
まだ誰にも気づかれていない暗闇の中で、静かに、そして確実に「第二のモノノ怪」が芽を吹き出していた。
――――――――――――――――――――――
トレセン学園ファン感謝祭。一般人も出入りが可能になる、年に一度の感謝祭。
多くのウマ娘が、屋台を出したり、芸を披露したりして、ファンをもてなすのだ。
その中には、当然レースも存在する。公式のレースではないものの、ウマ娘がファンの為に走る、純粋なレースだ。勿論ウマ娘にとっては競争の一環であり、負けたくないレースだ。競い合い、最後まで走る勇姿を見せる。
今日の一番人気は、間違いなく彼女だった。
キタサンブラック「わっしょいわっしょーい!!お祭りだー!!皆さんの為に、精一杯走ります!!」
キタサンブラック。お祭り娘の愛称で親しまれ、学園でも誰彼構わず助けたくなる事から、お助けキタちゃんとも呼ばれている。今日もキタサンは絶好調であり、ファンに向かって手を振る様子も見て取れる。
サトノダイヤモンド「キタちゃん、今日も気合い入ってるね」
サトノダイヤモンド。キタサンの幼馴染みであり、共に競い合ってきたライバルだ。彼女もファンにお辞儀をして敬意を見せる。
ドゥラメンテ「キタサン。私は再び君に勝とう。そして、もう一度『最強』を証明する」
サトノクラウン「あら、私も負けないわ」
キタサンの同期達が集まり、ファン感謝祭レースは盛り上がりを見せる。
ネイチャ「キタサーン。頑張ってねー」
スイープ「キタサン!絶対勝って来なさいよ!」
キタサン「はい!ネイチャ先生!スイープさんも、アタシの走り、しっかり見ててね!!」
先輩達のコールもあり、キタサンは益々気合いが入る。
クラウン「ねえ、シュヴァルは?あの子、まだ来ないのかしら?」
ダイヤ「シュヴァルさんなら、遅れてやってくるって言ってたよ。でも、まだ来ないのかな?ドゥラメンテさんは、何か知りませんか?」
ドゥラメンテ「いや、私も見ていない。感謝祭に来てる様子は無いな」
皆がスタートラインに立つ。レース開始の時刻が迫る。
ファン感謝祭の熱気は、最高潮に達していた。
華やかなファンファーレが響き渡り、観客席からは割れんばかりの歓声と拍手が送られる。
トラックの中央で手を振るキタサンブラックの笑顔は、太陽そのものだった。誰もが彼女の走りを期待し、彼女の勝利を信じて疑わない。
キタサン「よーし! みんなの声援、しっかり届いてますよー! よーい、ドンッ!で、一番目指して突っ走るぞーっ!」
クラウン「ふふ、相変わらず元気ね……でも、本当にシュヴァルはどうしたのかしら? もうすぐ出走の時間よ」
ダイヤ「うん……いつもなら、目立たないように静かに控え室にいるはずなのに……」
ドゥラメンテ「……気になるな。あいつがレースをすっぽかすような真似をするとは思えないが」
出走を控えたライバルたちが首をかしげ、観客席のナイスネイチャやスイープトウショウも「シュヴァル、遅いねぇ」「お腹でも壊したのかしら?」とどこか不安そうにコースへ視線を送っていた。
その時だった。
――ガツン。
スタートラインの少し手前、学園の奥から重く不気味な靴音が響いた。
キタサン「あ! シュヴァルちゃん! 良かった〜、どこ行ってたの……って……え?」
キタサンブラックが明るい声をあげかけた、その瞬間。
彼女の言葉が、途中で凍りついた。
暗がりから歩み出てきたのは、確かにシュヴァルグランだった。
だが――その姿は、誰もが知る「おとなしくて控えめなシュヴァルグラン」では断じてなかった。
シュヴァル「……ハァ……ッ……ヒュゥ……ッ」
荒い息遣い。
肩を不自然に落とし、両腕を力なく垂らしたまま、ズルリ……ズルリ……と脚を引きずり寄せるように歩いてくる。
ダイヤ「シュ、シュヴァルさん……? どうしたんですか、その格好……」
サトノダイヤモンドが息を呑む。
シュヴァルグランの制服の胸元は乱れ、真っ白だった肌は病的なまでに青ざめていた。
そして何より異常だったのは、その顔だった。
ダラリと開いた口元からは、半透明の粘り気のある涎が糸を引いて地面へと滴り落ちている。
引きつった唇の隙間から覗くのは、不自然に尖り、赤く濡れた八重歯――まるで肉を食い破る猛獣の牙。
シュヴァル「……キタ……サン……っ」
シュヴァルグランがゆっくりと顔を上げた。
ウマ娘達「「「っ……!?」」」
周囲にいたウマ娘たちから、一斉に息を呑む音が漏れた。
その瞳。
かつては澄んだ海のように優しかった瞳が、今は爛々と血走り、まるで獲物の命を狙う野獣のように禍々しい鮮血の赤に染まっていた。
ドゥラメンテ「シュヴァル……! お前、その目は……何があった!?」
ドゥラメンテが思わず前に出ようとする。
しかし、シュヴァルグランの喉の奥から響いた音に、全員の足が止まった。
シュヴァル「グルルルルル……ッ!! ァアアアッ……!!」
ウマ娘の出す声ではない。
地下の暗闇から聞こえてくるような、血に餓えた怪物の威嚇音。
彼女の口から溢れ出た涎が、トラックの土に落ちた瞬間――ぽつり、と黒い影が波紋のように広がった。
キタサン「シュヴァル……ちゃん? 冗談……だよね? ねぇ、どうしちゃったの……!?」
キタサンブラックが困惑と恐怖で声を震わせる。
いつも自分を優しく見守ってくれていたはずの友達が、自分を「食べ尽くそう」とするような強烈な殺意と渇望を向けてきているのだ。
シュヴァル「キタサン……キタサンブラック……ッ! 僕の……僕の輝き……! 僕の『勝利』……ッ!! お前の血を……全部僕に頂戴ぇぇぇっ!!」
シュヴァルグランが狂気じみた悲鳴をあげ、獲物へ飛びかからんばかりに身構えたその時――。
カツン……。
喧騒と恐怖に包まれたファン感謝祭の会場。
学園の門の前に、ひとつの影が静かに立っていた。
大勢の観客やウマ娘たちがパニックを起こしかけている中、その人物だけが、まるで時間が止まっているかのように静寂を纏っている。
頭に巻かれた古風な頭巾。
現代風のロングコートに、和装の着物。
背中に背負った、大きな木製の箱。
彼女は、血走った瞳でキタサンブラックを睨みつけるシュヴァルグランと、学園全体を包み込み始めた「暗い渇きの気気配」を、冷ややかな、けれどどこか楽しげな瞳で見つめていた。
薬売り「……おや」
彼女はゆっくりと箱のストラップを直し、薄い唇をクスリと歪ませた。
薬売り「今度は……随分と『喉が渇いた』お嬢さんだねぇ」
風が吹き抜け、彼女の全身に付けられた小さな装飾品と、箱の引き出しに封印された剣の鈴が――
チリン……。
と、ひとつだけ、涼やかに鳴り響いた。
――――――――――――――――――――――
重苦しい沈黙がトラック全体を支配する中、無情にもレース開始を告げるアナウンスが響き渡った。
アナウンス『皆さん、間もなくレースが始まります。出場される方は、スタートラインに集合してください』
その声に弾かれたように、ウマ娘たちが次々とラインにつく。ファン感謝祭の特別レースは、ゲート式ではなく、一般の陸上競技と同じスタートラインに一列に並ぶ形式だ。
しかし、観客席を埋め尽くす大勢のファンや生徒たちは、誰一人として歓声をあげられずにいた。
出走者の一人――シュヴァルの異様さに、息を呑むことしかできないのだ。
観客席で見守るメジロマックイーンが、戦慄した面持ちで呟く。
マックイーン「シュヴァルグランさん……どうなされたと言うのですか?」
トウカイテイオー「あんなのおかしいよ……ホントにレース出来るの?」
その時、チュッパチャプスを口にくわえた男性が、険しい表情で立ち上がった。チームスピカの担当トレーナー、沖野だ。
沖野「おい、中止だ。あんな青白い肌で――」
指導者として、ウマ娘の命を守る者として、沖野は即座に危険を察知し、レースの中断を求めて駆け出そうとした。
しかし――
シュヴァル「ッ!!!」
スタートラインに立つシュヴァルグランが、ゆっくりと首だけを捻り、血走った眼光で沖野を射抜いた。
その瞬間、沖野の頭の中に『フワッ』とした浮遊感が広がった。脳の奥を冷たい影で撫で回されたような、奇妙な感覚。次の瞬間、彼の口から出たのは、先ほどとはまるで真逆の言葉だった。
沖野「いや……もう少し様子を見よう」
テイオー「えっ!? 何言ってるのトレーナー!」
マックイーン「そうですわ! あれは明らかに異常です! 放っておいては――」
二人の悲鳴のような抗議も届かない。沖野の瞳はどこか焦点を失い、空虚な頷きを繰り返すだけだった。
次の瞬間――
パンッ!!
爆発的な銃声が静寂を切り裂いた。
観客『ワアアアアアアッ!!』
戸惑いを含みながらも、悲鳴混じりの大歓声が巻き起こり、ウマ娘たちが一斉に飛び出す。
レースが、始まってしまった。
先頭を切ってハナに立ったのは、圧倒的なスピードを誇るキタサンブラックだった。
しかし、彼女のすぐ背後に、信じられない「重圧」が肉薄していた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……!
キタサン(え……!?)
キタサンは背後に覚えた強烈な悪寒に、思わず振り返った。
そこにいたのは、シュヴァルだった。
だが、その走りは誰も見たことがない異常なものだった。
優雅で我慢強い彼女のフォームは完全に崩れ去り、まるで背骨が折れているかのように前傾姿勢で身をくねらせ、ダラリと垂らした口元から泡立つ涎を撒き散らしながら追走してくる。
今にも膝から崩れ落ち、倒れて死んでしまうのではないかと思わせる青白さ。
それなのに――追いついてくる。粘り強く、執拗に、キタサンのすぐ後ろを死神のように死守している。
シュヴァル「ハァ……ハァ……ッ! キタ……サン……ッ! もっと……その『輝き』を……ッ!」
血走った赤目で見つめられ、キタサンの背筋に冷たい汗が吹き出した。恐怖で心臓が押し潰されそうになる。
キタサン「止めて!! これはレースだよ、シュヴァルちゃん!!」
叫んでも、声は届かない。
シュヴァルは耳を貸すどころか、獲物の首筋を噛みちぎろうとする肉食獣の目つきで、キタサンブラックの背中を追う。
そして、運命のゴールライン。
最後の一伸びで、シュヴァルの影がキタサンブラックを捉え、ほぼ同時にゴール板を駆け抜けた。
判定は――シュヴァルグランの1着。
だが、歓声は上がらなかった。
ゴールを超えてもなお、シュヴァルの脚は止まらない。1着の喜びなど微塵もなく、ただ猛烈な飢餓感だけが彼女を動かしていた。
シュヴァル「ハァ……ッ、ハァ……ッ! 足りない……もっと……もっと頂戴……ッ!!」
狂乱した眼差しでキタサンに飛びかかろうとするシュヴァル。
キタサン「嫌っ……止めて!!」
恐怖が限界に達したキタサンは、咄嗟に両手でシュヴァルグランの胸を強く突き飛ばした。
ドサッ!!
勢いよくトラックの土の上に倒れ込むシュヴァルグラン。
その音で、キタサンブラックはハッと我に返った。
キタサン「あっ……! ご、ごめんなさいシュヴァルちゃん! アタシ、怖くて思わず……!」
駆け寄ろうとするキタサン
。
しかし、倒れたシュヴァルグランは立ち上がらない。
シュヴァル「グルルル……ッ……ヒュゥ……ッ……」
まるでゾンビのように、地面に伏せたまま奇妙な音を立てて身じろぎ、ダンダンと土を殴りつける。
ヴィルシーナ「シュヴァル!!」
ヴィブロス「シュヴァち!!」
観客席から飛び出してきた二人の影が、倒れる彼女のもとへ駆け寄った。
姉のヴィルシーナと、妹のヴィブロスだ。
二人が左右からシュヴァルグランの身体を抱き起こそうとした、その瞬間――
バキッ!!
ヴィルシーナ「ッ!?」
シュヴァルグランの超人的な腕力が二人を捉えた。
血に染まった瞳で二人を睨みつけると、人間離れした力でヴィルシーナとヴィブロスの首元を掴み上げ――そのまま豪快にトラックの芝生の上へ投げ飛ばした!
ヴィルシーナ「くっ……!?」
ヴィブロス「きゃあぁぁぁっ!?」
二人が地面を転がる。
暴走するシュヴァルグランは二人を一顧だにもせず、再び垂れ流す涎を撒き散らしながら、キタサンへ向けて四つん這いで這い進み始める。
シュヴァル「もっと……もっとだ……ッ! 誰でもいい……僕に……僕に『血』を……『輝き』をくれぇぇぇっ!!」
もはや言葉も通じない、完全な『怪異』の侵食。
恐怖で動けないキタサンに、その爪が届こうとした――まさにその時。
ゴツン
重厚なブーツの靴音が、静まり返った場内に一筋響いた。
次の瞬間、シュヴァルの頭上にひらりと一枚の長方形の紙――古風な呪符(お札)が舞い降りた。
ペタッ
シュヴァル「ガッ……!?」
お札が額に貼り付いた瞬間、シュヴァルグランの全身がまるで金縛りに遭ったかのようにピタリと硬直した。
爪を立てたまま、口を開けたまま、ピクリとも動けない。全員が息を呑んで振り向く。
そこに立っていたのは、大きな木箱を背負い、鮮やかな着物とロングコートを身に纏った金髪の女性――薬売りだった。
薬売りはシュヴァルグランの額を押さえたまま、どこか哀しげに、けれど軽やかな口調でつぶやいた。
薬売り「はいはい、ストーップ。これ以上お痛が過ぎると、戻れなくなっちゃうよ〜?」
ヴィルシーナ「あ、貴女は……!? シュヴァルに何をしたの!?」
薬売り「助けたんだよ☆」
薬売りは片目をつむり、ゆっくりと視線を周りのウマ娘たちに、そして恐怖に震えるキタサンへと向けた。
薬売り「……にしても、随分と強い『飢え』だねぇ。自分以外の輝きを吸い尽くさなきゃ死んじゃうとでも思い込んでいるようだ」
薬売りが背負う箱の引き出しから、カラン……カラン……と、あの退魔の剣の鈴の音が小さく木霊した。