窓際のベッドには、シュヴァルグランが横になっている。顔色は青白く、目を閉じたまま眠っていた。
保健室に居るのは、先程シュヴァルに札を貼って大人しくさせた薬売り。異常を聞き付けた駿川たづな。そして観客席から様子を見ていたヒシミラクルことミラ子に、ダンツフレーム。更に、シュヴァルの同期であるキタサンやダイヤ、クラウンにドゥラメンテ。そしてシュヴァルの姉妹であるヴィルシーナとヴィブロスであった。
あの後、シュヴァルを抱えて保健室まで運び、こうして保健室のベッドに寝かせたのである。
ベッドの傍らには、ヴィルシーナとヴィブロスが座っている。二人とも妹の様子を気に掛けており、時折、顔を覗き込んでは声を掛けていた。
ヴィルシーナ「シュヴァル……」
ヴィブロス「ねえ、シュヴァち。早く起きてよ……」
返事はない。
保健室の先生が診察を終え、手元の記録を確認していた。
保健室の先生「脈拍も体温も、今のところ正常ですね。外傷もありません。ただ……」
たづな「ただ?」
保健室の先生「先ほどまでの様子が、どうにも説明できないんです。あれほど激しく暴れていたのに、身体には異常らしい異常が見当たりません」
たづなはベッドのシュヴァルを見つめた。
ヴィルシーナは妹の手を握る。
その手は、いつもと変わらない。自分たちの知っている、シュヴァルグランの手だった。
すると、ベッドの反対側から声がした。
薬売り「ふむ……」
薬売りは、シュヴァルの顔をじっと見つめていた。
普段の軽い口調とは違い、どこか慎重な様子だった。
ミラクル「薬売りさん。シュヴァルさん、大丈夫なんでしょうか?」
薬売り「今のところはね。さっきの札が効いているおかげで、あのお嬢さんも大人しくしている」
ダンツ「でも、あのままでいいんですか?」
薬売り「ずっと貼っておくわけにもいかないさ。何が起きているのか分からないまま剥がすのは、ちょいと危ないけどねぇ」
たづな「あなたには、何か分かっているんですか?」
薬売り「まーだ何とも。けれど……」
そう言って振り返る。
薬売り「まずは、あのお嬢さんのことからね。普段はどんな子なんだい?」
問い掛けられたヴィルシーナは、少し考えてから口を開いた。
ヴィルシーナ「シュヴァルは……少し内気なところがあります。自分に自信がなくて、何かと遠慮しがちで……」
ヴィブロス「でも、すっごく頑張り屋さんなんだよ! お姉ちゃんや私に負けないように、いつも一生懸命練習してるんだから!」
ヴィルシーナ「ヴィブロス……」
ヴィブロス「本当のことだもん!」
ヴィルシーナは、シュヴァルの寝顔に目を向けた。
ヴィルシーナ「ただ……あの子は、昔から少し自分を追い詰めてしまうところがあって」
薬売り「自分を追い詰める?」
ヴィルシーナ「ええ。私やヴィブロスが先に結果を出してしまったこともあって……あの子は、自分だけが取り残されているように感じていたのかもしれません」
シュヴァルは、姉妹に追いつきたかった。キタサンに勝ちたかった。自分だって、誰かに認められたかった。
その気持ち自体は、決しておかしなものではない。
むしろ、走る者なら誰もが抱くことのある感情だ。
だが、今日のシュヴァルは違った。
勝利を求めるのではなく、他者の輝きを奪うことそのものを求めていた。
薬売り「……そうかい」
たづな「何か分かったんですか?」
薬売り「いや。まだ、確かなことは何も」
薬売りは、シュヴァルの額に貼られた札を見つめた。
薬売り「ただねぇ……このお嬢さんは、随分と長いこと、何かを我慢していたんじゃないかと思ってね」
ヴィルシーナ「我慢……?」
薬売り「悔しさだとか、妬ましさだとか。誰かに勝ちたい、認められたい。そういう気持ちさ」
薬売りは一度言葉を切った。
眠っていたシュヴァルの指が、わずかに動いた。
そして、閉じていた口から、小さな声が漏れる。
シュヴァル「……もっと……」
ヴィルシーナ「シュヴァル?」
シュヴァル「……輝き……」
その言葉を聞いた瞬間、薬売りの表情が変わった。
薬売り「……なるほどねぇ」
箱の中で、鈴が小さく鳴った。
薬売り「どうやら、そろそろ本題に入らなきゃならないようだ」
そう言うと薬売りは、背負っていた箱をゆっくりと床に下ろした。
ゴトリ
ミラクル「あれ? 薬売りさん、それって……」
薬売り「ん? ああ、これ?仕事道具さ。ウチ等のね」
そう言いながら、薬売りは箱の側面に付いた引き出しを開けた。
中には多数の薬やベル、更には恥ずかしくて口に出せないようなピンナップまで入っていた。これをたづなが問い詰めたら、『良いじゃん別に』と返された。
それはさておき、薬売りは一番大きな引き出しから、幾重にも札で包まれた長いものを取り出した。札が解けて現れたのは、鍔に鬼の面が付いた、長い鞘に収められた剣であった。
ダンツ「それは……退魔の剣、ですね?あの時、マーメイドの時に持ってた……」
薬売り「そう。退魔の剣さ」
薬売りは、退魔の剣から札が全て剥がれた後、ペン回しの要領で剣を片手で巧みに回し始めた。
そして、柄の部分を握った。剣の鍔には、鬼の面が取り付けられている。
薬売り「さてさて……今回の異変。その形となったものは何なのか」
そう言って、鬼の面を見つめた。
薬売り「海外なら、ストリゴイ。レヴナント。ブラッドサッカー……」
カチカチカチ
鍔に付いた鬼の面が、下顎を揺らして音を鳴らす。噛む音が響かない。というか口を閉じない。
違うと言いたげである。
薬売り「うーん、随分と候補が多いねぇ」
薬売りは鬼の面を見つめながら、その場でウロウロと彷徨い歩く。
ミラ子「えっと……何をしているんですか?」
薬売り「この剣の鬼面が、今回の怪異の形を示してくれるんだよ」
ダンツ「鬼の面が?……あっ、そう言えばあの時も……」
薬売り「そう。正解なら口を閉じる。違えばカチカチと顎を鳴らす。まあウチ等の業物は皆、それぞれに怪異を見極める仕掛けがあるんだけどねぇ」
薬売りは再び鬼の面に目を向けた。
薬売り「さて、他には……………ラミア。血を啜るというより、人を食らう蛇女だねぇ」
カチ
口を閉じない。
薬売り「アルプ。ナハツェーラー。グール……」
カチカチ
閉じない。
薬売り「うーん……違うか」
たづな「ずいぶん詳しいんですね……」
薬売り「仕事柄、色々とねぇ」
ヴィブロス「ねえねえ! もっと怖いのもいるの!?」
ヴィルシーナ「ヴィブロス、今はそういう場合じゃないでしょう……」
ヴィブロス「ごめん!でも、シュヴァちの安否は気になるよ………それに、薬売りさんの探す怖いものにも興味があるし……」
薬売り「怖いものなら、まだまだあるさ。血を吸う妖怪といっても、姿形は様々だからねぇ」
薬売りは剣を少し持ち上げた。まだ彷徨い歩く。
薬売り「血を啜る女鬼。夜に人を襲う亡霊。死体から蘇る怪物……」
カチ、カチ、カチ
薬売り「……どれも違うか」
少し考え込んだ後、薬売りはふと思い出したように口を開く。
薬売り「では……吸血鬼」
カチン!
鬼の面が、勢いよく口を閉じた。
一同『…………』
薬売り「………………いや、今かよ!!」
ミラ子「ええっ!?」
ダンツ「今までのは何だったんですか!?」
薬売り「いやいや、こっちが聞きたいよ! これだけ候補を挙げて、最後の最後でそれかい!」
鬼の面は、再び口を開いたまま動かない。
薬売り「……まったく。随分と勿体ぶってくれるじゃないか」
たづな「ということは……今回の異変の正体は、吸血鬼なんですか?」
薬売り「少なくとも、形はそういうことだね。まっ、形、解明☆結果オーライ!」
薬売りは、改めてシュヴァルの方を見た。
薬売り「さて……形は見えた。次は真。そして、理ね」
その声から、先ほどまでの軽さが少しずつ消えていく。
薬売り「このお嬢さんの渇きを生み出したもの。それが何なのか、確かめなきゃならないねぇ」
薬売りは退魔の剣を横向きに構える。
薬売り「さてさて、君達に問い掛けたい。レースで勝った後も、歓声を浴びることもなく、ただ一人のお嬢さんに向かって襲い掛かった。あの時、彼女は何を求めていたんだろうねぇ」
キタサン「……私の、輝き?」
薬売り「そう。では、なぜそれを欲しがったんだろうねぇ」
薬売りはキタサンを見つめる。
薬売り「君は、あのお嬢さんに何かをした覚えはあるかい?」
キタサン「いえ……私はただ、一緒に走って、競い合って……。でも、私が勝つたびに、シュヴァルちゃんが悔しそうにしていたのは知っていました」
薬売り「なるほどねぇ」
今度はヴィルシーナとヴィブロスへ視線を移す。
薬売り「君達はどうだい? あのお嬢さんが、何かを欲しがっていることに気付いていたかい?」
ヴィブロス「シュヴァち、ずっと頑張ってたよ。お姉ちゃんに、私に追いつこうとして、キタさんにも勝とうとして……」
薬売り「ふむ……」
薬売りは再び全員を見渡した。
薬売り「では、もう一つ。君達は、誰かの輝きを見て、羨ましいと思ったことはあるかい?」
ダイヤ「それは……あります」
クラウン「私もありますね」
ドゥラメンテ「ある。誰かに負ければ悔しいし、勝っている者を羨むこともある」
薬売り「そうだろうねぇ。誰かに憧れ、追い付きたいと願う。それは決して珍しいことじゃない」
薬売りは剣を少し傾けた。
薬売り「では、その輝きを手に入れるために、誰かから奪わなければならないとしたら?」
一同「…………」
薬売り「それでも、君達は奪うかい?」
薬売りは、全員の方を向く。
薬売り「お聞かせ願いたく、候」
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トレセン学園の地下深く。
普段は立ち入り禁止となっている旧地下配管室の奥底で、無数の血管のような触手が不気味に蠢いていた。
ドックン……ドックン……
心臓の脈動にも似た重い鼓動が、暗闇の中にリズム良く刻まれている。
壁一面を覆い尽くす黒赤色の触手は、まるで生きた生命体のように脈打ち、その半透明の管の中を、赤く光る未知の液体――ウマ娘たちの『情念と熱気』が絶え間なく吸い上げられて流れていた。
そして、その触手群が集中する中心――
巨大なコウモリの翼のような膜に身を包み、繭(まゆ)のように宙に浮く「何か」が存在していた。
「……ハァ……ッ……もっと……僕に……輝きを……」
翼の隙間から漏れ聞こえるのは、狂気と渇望に染まりきったシュヴァルグランの声だった。
彼女の体からは、学園中の影へと繋がる黒い糸が伸び、地上でレースや感謝祭を楽しむウマ娘たちの「一瞬の焦り」や「他者への嫉妬」を休むことなく吸い上げている。
その姿が暴かれるまで、間もなく。