機動戦士ガンダム ランダムウォーカー   作:うーまろー

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第三十三話

 採掘場を覆っていた砲煙が薄れたのは、昼の少し前だった。ぬかるんだ黒土の上を風が渡り、焼け残った対戦車砲陣地の煙を東へ流していく。尾根の上で最後の警戒を続けていた。管理棟の前に他小隊のザクが整列を始めたのを見届けてから、ようやく操縦桿から手を離した。

 

 指が、勝手に細かく震えていた。初めての地球で、知らぬ間に余計な力が入っていたらしい。呼吸を数え直すと、指の痺れは少しずつ引いていった。

 

 ハッチを開けると、冷たい空気が流れ込んだ。土と、焼けた鉄と、油の匂いがする。ワイヤーで降りた足の裏を、ぬかるんだ地面がゆっくりと受け止めた。沈んだ分だけ、靴が重い。

 

「中尉殿、お疲れさまでした」

 

 先に降りていたブラントが、泥だらけの手袋を外しながら歩み寄ってきた。その後ろで、マリーナが腰に手を当てて大きく伸びをしている。

 

「お疲れさまでした。……お二人とも、怪我は」

 

「ありません。マリーナ軍曹が、ここへ来るまでに足を三回ほどつりかけたくらいで」

 

「ブラント曹長、それは言わない約束です」

 

「そんな約束をした覚えはありませんが」

 

 マリーナが頬をふくらませ、ブラントが穏やかに目を細める。何でもないやりとりが、胸の奥のこわばりをいくらか解いてくれた。

 

 現状維持。通信で受けた指示のとおり、各部隊は動かず、ただ息を整えていた。マゼラアタックの車列は管理棟の裏手で燃料を補い、歩兵たちは奪った塹壕の縁に腰を下ろして、水筒を回している。誰もが、勝ったという実感をまだ持て余しているように見えた。

 

 ガルム小隊に割り当てられたのは、採掘場の西側、浅い斜面の下の一角だった。三機を並べて膝をつかせると、ブラントが真っ先にしたのは、土を指でつまむことだった。親指と人差し指で崩し、鼻先に寄せて、少しだけ頷く。

 

「どうでしょう、ここの土は」

 

「水を含んで重いですが、締まりはいい。谷より、よほど足を預けられます。……ただ、乾けばすぐ粉になるでしょう」

 

「覚えておきます」

 

 補給の確認は、その後だった。ブラントが機体ごとに残りを読み上げていく。弾も推進剤も、まだ余裕があった。

 

「問題ありません、中尉殿」

 

「ありがとうございます」

 

 そう答えながら、胸のどこかが小さく鳴った。灰狼隊にいた頃は、補給も整備も、すべてミロ隊長の背中の向こうにあった。今は、その向こう側に立っているのが自分だ。

 

 確認を終えたころ、斜面の上から、マゼラアタック隊の隊長が降りてきた。階級章は少佐。顔には煤がこびりつき、目の下には濃い隈ができている。

 

「ガルム小隊の指揮官は」

 

「自分です」

 

 敬礼を返すと、少佐は、こちらの顔と、後ろの灰色の機体とを見比べるようにして眺めた。

 

「貴官か。尾根を跳び越えて、陣地を上から潰した機体は」

 

「はい」

 

「うちの車列は、あの陣地に正面から当たる予定だった。そうなれば、進軍はあそこで止まっていた。おかげで、速度を落とさずに済んだ。……礼を言う」

 

「恐れ入ります。自分だけの手柄ではありません。後ろで押さえてくれた者がいました」

 

「そうか。……ただ、あの跳び方は正直、肝が冷えた。今度やるときは、先に言ってくれ。味方に撃たれかねん」

 

「承知しました。以後、事前に通信を入れます」

 

 少佐は鼻で小さく笑い、片手を上げて去っていった。ブラントがその背中を見送りながら、静かに言った。

 

「肝が冷えた、と仰っていましたな」

 

「……冗談、でしょうか」

 

「いえ。本心でしょう。あの隈で冗談を言う余裕は、ないはずです」

 

 昼の携行食を済ませたあたりで、マリーナが急に静かになった。視線の先を追うと、管理棟の裏から、黒い毛並みの犬が一匹、尻尾も振らずにこちらを窺っていた。

 

「……中尉。あれ、見てください」

 

「犬、ですね」

 

「見れば分かります。痩せてるのに、目だけはしっかりしてて。ああいう子は、ずるいんです」

 

「餌をやってはいけませんよ。居着かれます」

 

「やりませんよ。見るだけです」

 

 そう言うマリーナの声は、いつもの半分も弾んでいなかった。自分は何も言わず、携行食の端を割って、少し離れた地面に置いた。犬は用心深くそれを見つめてから、ゆっくりと近づいてきて、鼻を鳴らして食べはじめる。

 

「……中尉、今」

 

「何もしていません」

 

「しましたよね」

 

「手が滑って落としてしまっただけです」

 

「中尉殿、番犬の増員を、正式に申請なさってはいかがでしょう」

 

 ブラントの声は、真面目そのものだった。マリーナが吹き出す。返す言葉を失って、結局、こちらも小さく笑ってしまった。声を出して笑ったのは、久しぶりだった気がする。

 

 輸送機の爆音が西から近づいてきたのは、陽が傾きはじめた頃だった。管理棟の前の整地された広場に、重たげな機体が低く降りてくる。砂塵が収まるのを待たずに、各部隊の指揮官が一斉に並んだ。自分も、その端に加わった。階級は中尉。並んだ顔のほとんどが、自分より年上で、階級も上だった。

 

 タラップが降りる。最初に降りてきたのは、護衛の兵が数名。それから、痩せた男が一人、ゆっくりと姿を現した。軍帽の下の顔は穏やかで、目だけが細く、並んだ者たちをひと通り眺めるように動く。後ろに従う従卒が、白い布に包んだ木箱を、恐ろしく慎重に両手で抱えていた。

 

 マ・クベ大佐。通信越しに見た、背後の白い陶器が頭をよぎった。

 

「皆さん、ご苦労でした」

 

 声は低く、静かだった。

 

「地球というのは、重い星ですな。足も、気持ちも。今朝降りたばかりの私が申し上げるのも妙な話ですが、皆さんは私より先に、それを味わっておられる。採掘場を無傷で確保されたこと、ありがたく思います。壊れ物は、壊れる前に手に入れておくのが、いちばん安上がりでして」

 

 笑う者はいなかった。冗談なのか本気なのか、誰にも判断がつかなかったのだと思う。マ・クベ自身は気にした様子もなく、ひとりひとりの前で足を止め、短く言葉を交わしていく。

 

 順番が来た。

 

「ガルム小隊長、リオン・ワーカー中尉であります」

 

「ええ。伺っております」

 

 マ・クベは、こちらの顔を少しだけ長く見た。それから、視線を西の斜面に移す。その下に、灰色の肩が見えていた。

 

「あれが、あなたの機体ですか」

 

「はい」

 

「灰色。目立つ色ですな。連邦の目には、さぞよく見えることでしょう」

 

「目立つことで誰かを守れるなら、本望です」

 

 言ってから、少し硬かったかと思った。マ・クベは否定も肯定もせず、細い目をさらに細めただけだった。

 

「番犬には、よく似合う色です。……この後、少しお時間を。管理棟の二階でお待ちしています」

 

 案内された部屋は、窓の大きな一室だった。壁の地図は剝がされ、机の上には、白い布を解かれた木箱が置かれている。中には、白く小ぶりな壺が一つ、収まっていた。艶のある肌が、夕陽を受けて淡く光る。

 

 つい、見入ってしまったのだろう。マ・クベが、湯気の立つ茶器を机に並べながら、ふっと口の端を上げた。

 

「お気になりますか」

 

「失礼しました。……綺麗だと思いました」

 

「綺麗、ですか。ええ、綺麗です。ただ、器というものは、飾られるために生まれるのではない。使われて、はじめて意味を持つ。……どうぞ、冷めないうちに」

 

 勧められるまま、茶を一口含んだ。香りはやけに静かで、喉を通る温かさだけが、はっきりと分かった。

 

「では、本題に入りましょう。と言っても、そう大した話ではありません」

 

 マ・クベは椅子に深く腰掛け、指先を組んだ。

 

「あなたの小隊は、陸戦兵器実証試験局の看板を背負ってここへ来られた。看板というのは便利なものですが、同時に重いものでもある。誰かが、あなた方の戦果ではなく、壊れ方を見ているということです」

 

「壊れ方、でありますか」

 

「ええ。戦果を挙げる腕は、すでに存じております。ですから今回は、J型を地球で試すことを何より大事にしていただきたい。壊れずに帰ってくること。そのために、どうすれば壊れるのかを知ること。そして、なぜ壊れずに済んだのかを、持ち帰ること。……地上用のザクを、地上で試す。道理にかなった話です。道理にかなった話ほど、誰も真面目にやりたがらないものですが」

 

 壊れずに済んだ理由。思い出したのは、搬出台で整備班長が詰めてくれた、吐く息一つ分の数字だった。あれを、持ち帰る。

 

「承知しました。……一つ、伺ってもよろしいでしょうか」

 

「どうぞ」

 

「拠点の件です。小隊の機体を置ける場所を、お借りできないでしょうか。試験の機材も、扱うことになりますので」

 

 マ・クベは少しだけ目を伏せ、茶器の縁を指でなぞる。

 

「採掘場の整備棟の一角を、最優先でお使いなさい。試験の機材を置く場所も、空けさせましょう。足りない物は、言ってくだされば最優先で手配します。遠慮は、無用です」

 

 穏やかな口ぶりのまま、迷いはなかった。それだけ、J型の試験が重いということだ。

 

「ありがとうございます」

 

「礼には及びません。……ところで」

 

 マ・クベは窓の外に目をやった。夕陽の中で、黒い土が鈍く光っている。

 

「姉君のことは、報せで拝見しました」

 

 背中が、わずかに固くなった。茶器を持つ指に、力が入る。

 

「あの式典は、私の趣味ではありませんでしたが……いえ、余計なことでしたな。私は、飾るなら器にするものと決めておりまして。人は、飾るものではない」

 

 返す言葉が見つからなかった。礼を言うべきなのか、怒るべきなのか、分からない。結局、頭を下げることしかできなかった。

 

「……お気遣い、感謝いたします」

 

「気遣いというほどのものでは。ただ、言っておきたかっただけです」

 

 しばらく、どちらも口を開かなかった。窓の外から、整備兵の怒鳴り声と、何かを引きずる音が聞こえる。

 

「あなたの小隊には、J型の実地試験を最優先でお願いします。地球でしか取れないデータです。壊す勢いで、遠慮なくやりなさい。壊れる場所が分かれば、壊れずに済む理由も分かる。哨戒や地形の確認は、その合間で結構」

 

「はい」

 

「守りなら、他の隊でもできます。ですが、J型を仕上げられるのは、あの機体を一番知っているあなたしかいない。……その意味は、お分かりですね」

 

 分かる、とは言えなかった。ただ、吐く息一つ分の遅れを体で知っているのは、たしかに自分だけだ。

 

「必ず、形にします」

 

「結構。……最後に、ひとつだけ」

 

 席を立ちかけたところへ、マ・クベが、ほんの少しだけ身を乗り出した。

 

「地球の土を踏んで、最初に何を思いましたか」

 

 予想していなかった問いだった。答えは、意外なほど簡単に口から出た。

 

「……空が、思っていたより高いと」

 

「ほう」

 

「宇宙は、上も下もありません。でも、ここは、上が空で、下が土でした。当たり前のことなのに、それが少し、怖くて」

 

「怖い」

 

「はい。……けれど、悪い怖さではありませんでした」

 

 マ・クベはしばらく、こちらの顔を見ていた。それから、ゆっくりと頷いた。

 

「空の高さに気づくうちは、大丈夫でしょう。気づかなくなったときが、危ない。……お下がりなさい、中尉。小隊の皆さんが、待っておられる」

 

 階段を降りると、管理棟の入り口の脇に、ブラントとマリーナが立っていた。いつからいたのかは分からない。ただ、二人とも、待っていた顔をしていた。

 

「中尉殿。大佐殿は、何と」

 

「整備棟の一角を、最優先で使わせていただけることになりました。足りないものも、最優先で手配していただけるそうです。それと、当面はJ型の実地試験を、最優先にと」

 

「最優先、ですか」

 

「はい。……J型の試験は、それだけ重いそうです」

 

「責任重大ですな」

 

 ブラントは少し笑い、それから、こちらの顔をもう一度見て、言葉を継いだ。

 

「中尉殿。顔が、少し硬いようです」

 

「そうでしょうか」

 

「ええ。何か、言われましたか」

 

「……いえ。悪いことは、何も」

 

 姉のことは、言わなかった。言えば、二人は黙って受け止めてくれるだろうと分かっていた。だからこそ、今はまだ、言いたくなかった。

 

 マリーナが、下からのぞき込むようにして言った。

 

「中尉、これ。さっきの子、ついて来ちゃいました」

 

 見ると、黒い犬が、マリーナの足もとで行儀よく座っていた。

 

「……餌を、やったからです」

 

「やりましたけど、私だけじゃないですよ。中尉が、最初に携行食を割ってました」

 

「何のことでしょう」

 

 涼しい顔で、空を見上げた。

 

「とぼけても無駄です。見てましたから」

 

 勝ち誇ったように笑うマリーナの横で、ブラントが、咳払いのようなものをして顔を背けた。肩が、わずかに揺れている。

 

 夜。整備棟の一角は、思っていたよりずっと広かった。天井の高い倉庫のような空間に、三機が並ぶ。ブラントは床の乾いた場所を選んで寝床を作り、マリーナは、犬が入り込まないよう入り口に木箱を積んでは崩し、また積み直している。犬は、すでに箱の隙間から中へ入り込んでいた。

 

 夕食も、携行食だった。降下してから数えて、もう何度目になるだろう。三人で整備棟の床に座り、パウチの口を切る。

 

「……占領したんですよね、ここ」

 

 マリーナが、匙の先で中身をつつきながら言った。

 

「はい」

 

「せっかく地球なのに、味が同じです。宇宙で食べてたのと」

 

「同じ工場の、同じ棚から来ていますからな」

 

「曹長、慰めてください」

 

「慰めようがありません。自分も、同じ味に飽きています」

 

 ブラントは真顔のまま、匙を口に運んだ。

 

「……補給が回りはじめたら、まず食料を頼んでみましょう。温かいスープ一杯でも、違うはずです」

 

「中尉、それ、約束ですからね」

 

「掛け合ってみます」

 

 足もとで、黒い犬がじっと待っていた。マリーナは見なかったことにするように、パウチの端を少しだけ傾けた。

 

「中尉。大佐殿は、どんな方でしたか」

 

「……穏やかな方でした。壺を見せられて、器は使われてはじめて意味を持つ、と」

 

「器、ですか」

 

「はい。それと、勝ち星ではなく、壊れ方を見られている、とも」

 

 ブラントは匙を止め、少しのあいだ考えるように黙った。

 

「道具、ということでしょうな。自分たちも、機体も。使われて、壊れて、その壊れ方で次が決まる。……それなら、元戦車兵には馴染みのある話です」

 

「曹長は、そういう言い方が上手いですよね」

 

「軍曹も、じきに上手くなります」

 

「私は、ほどほどでいいです」

 

 マリーナは、足もとにすり寄ってきた犬の頭を、一度だけ指先で撫でた。それから、はっとしたように手を引っ込め、周囲を見回す。誰も何も言わなかった。

 

「明日からの任務ですが」

 

 切り出すと、二人が顔を上げた。

 

「J型の実地試験を、最優先にと言われました。壊す勢いでやるように、と。お二人には、その相手を」

 

「相手、ですか」

 

「模擬弾で、自分一人に、お二人で。F型の改修の試験も、兼ねます」

 

「一対二で、ですか」

 

 ブラントの口の端が、わずかに上がった。マリーナは、匙をくわえたまま目を丸くしている。

 

「遠慮は、いりません」

 

「……それでは、本気でやらせていただきます」

 

「望むところです。中尉、あとで泣いても知りませんよ」

 

「女性を泣かせるのは、趣味ではないんですが」

 

 マリーナの眉が、ぴくりと動いた。ブラントは聞こえなかったふりで、匙を口に運んでいる。

 

「……言いましたね、中尉。明日、覚えていてください」

 

 食事のあと、約束どおり、二人に呼吸の練習をもう一度だけ見せた。明日からは、J型を壊す勢いで動かす日々になる。いつ、どこから高い負荷がかかるか分からない。教えられることは、教えておきたかった。

 

 ようやく一人になったところで、J型の足もとの影に腰を下ろし、手帳を開いた。宛先のない手紙の続きだった。昨夜は、『今日、空で跳んだ』で止まっている。

 

 ペンの先を、しばらく宙に浮かせた。それから、書いた。

 

『姉さんへ。

 

 今日、土の上に拠点ができた。黒くて、重くて、踏むと靴が沈む土。

 

 偉い人に会った。痩せた、穏やかな人で、器の話ばかりしていた。肝心なことはほとんど言わなかったのに、何を求められているかだけは、はっきり分かった。壊れずに帰ってくること。壊れ方を知ること。壊れずに済んだ理由を、持ち帰ること。

 

 姉さんのことを、知っていた。礼を言うべきなのかどうか、まだ分からない。

 

 犬が一匹、ついてきた。マリーナ軍曹が、もう名前を考えているみたいだ。

 

 ここで、J型を仕上げる。やってみせる』

 

 書き終えて、手帳を閉じる。外では、風が整備棟の壁を鳴らしていた。足もとで、犬が小さく鼻を鳴らした。ゆっくりと呼吸を数える。明日から、この星で、J型を試す。




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