採掘場を覆っていた砲煙が薄れたのは、昼の少し前だった。ぬかるんだ黒土の上を風が渡り、焼け残った対戦車砲陣地の煙を東へ流していく。尾根の上で最後の警戒を続けていた。管理棟の前に他小隊のザクが整列を始めたのを見届けてから、ようやく操縦桿から手を離した。
指が、勝手に細かく震えていた。初めての地球で、知らぬ間に余計な力が入っていたらしい。呼吸を数え直すと、指の痺れは少しずつ引いていった。
ハッチを開けると、冷たい空気が流れ込んだ。土と、焼けた鉄と、油の匂いがする。ワイヤーで降りた足の裏を、ぬかるんだ地面がゆっくりと受け止めた。沈んだ分だけ、靴が重い。
「中尉殿、お疲れさまでした」
先に降りていたブラントが、泥だらけの手袋を外しながら歩み寄ってきた。その後ろで、マリーナが腰に手を当てて大きく伸びをしている。
「お疲れさまでした。……お二人とも、怪我は」
「ありません。マリーナ軍曹が、ここへ来るまでに足を三回ほどつりかけたくらいで」
「ブラント曹長、それは言わない約束です」
「そんな約束をした覚えはありませんが」
マリーナが頬をふくらませ、ブラントが穏やかに目を細める。何でもないやりとりが、胸の奥のこわばりをいくらか解いてくれた。
現状維持。通信で受けた指示のとおり、各部隊は動かず、ただ息を整えていた。マゼラアタックの車列は管理棟の裏手で燃料を補い、歩兵たちは奪った塹壕の縁に腰を下ろして、水筒を回している。誰もが、勝ったという実感をまだ持て余しているように見えた。
ガルム小隊に割り当てられたのは、採掘場の西側、浅い斜面の下の一角だった。三機を並べて膝をつかせると、ブラントが真っ先にしたのは、土を指でつまむことだった。親指と人差し指で崩し、鼻先に寄せて、少しだけ頷く。
「どうでしょう、ここの土は」
「水を含んで重いですが、締まりはいい。谷より、よほど足を預けられます。……ただ、乾けばすぐ粉になるでしょう」
「覚えておきます」
補給の確認は、その後だった。ブラントが機体ごとに残りを読み上げていく。弾も推進剤も、まだ余裕があった。
「問題ありません、中尉殿」
「ありがとうございます」
そう答えながら、胸のどこかが小さく鳴った。灰狼隊にいた頃は、補給も整備も、すべてミロ隊長の背中の向こうにあった。今は、その向こう側に立っているのが自分だ。
確認を終えたころ、斜面の上から、マゼラアタック隊の隊長が降りてきた。階級章は少佐。顔には煤がこびりつき、目の下には濃い隈ができている。
「ガルム小隊の指揮官は」
「自分です」
敬礼を返すと、少佐は、こちらの顔と、後ろの灰色の機体とを見比べるようにして眺めた。
「貴官か。尾根を跳び越えて、陣地を上から潰した機体は」
「はい」
「うちの車列は、あの陣地に正面から当たる予定だった。そうなれば、進軍はあそこで止まっていた。おかげで、速度を落とさずに済んだ。……礼を言う」
「恐れ入ります。自分だけの手柄ではありません。後ろで押さえてくれた者がいました」
「そうか。……ただ、あの跳び方は正直、肝が冷えた。今度やるときは、先に言ってくれ。味方に撃たれかねん」
「承知しました。以後、事前に通信を入れます」
少佐は鼻で小さく笑い、片手を上げて去っていった。ブラントがその背中を見送りながら、静かに言った。
「肝が冷えた、と仰っていましたな」
「……冗談、でしょうか」
「いえ。本心でしょう。あの隈で冗談を言う余裕は、ないはずです」
昼の携行食を済ませたあたりで、マリーナが急に静かになった。視線の先を追うと、管理棟の裏から、黒い毛並みの犬が一匹、尻尾も振らずにこちらを窺っていた。
「……中尉。あれ、見てください」
「犬、ですね」
「見れば分かります。痩せてるのに、目だけはしっかりしてて。ああいう子は、ずるいんです」
「餌をやってはいけませんよ。居着かれます」
「やりませんよ。見るだけです」
そう言うマリーナの声は、いつもの半分も弾んでいなかった。自分は何も言わず、携行食の端を割って、少し離れた地面に置いた。犬は用心深くそれを見つめてから、ゆっくりと近づいてきて、鼻を鳴らして食べはじめる。
「……中尉、今」
「何もしていません」
「しましたよね」
「手が滑って落としてしまっただけです」
「中尉殿、番犬の増員を、正式に申請なさってはいかがでしょう」
ブラントの声は、真面目そのものだった。マリーナが吹き出す。返す言葉を失って、結局、こちらも小さく笑ってしまった。声を出して笑ったのは、久しぶりだった気がする。
輸送機の爆音が西から近づいてきたのは、陽が傾きはじめた頃だった。管理棟の前の整地された広場に、重たげな機体が低く降りてくる。砂塵が収まるのを待たずに、各部隊の指揮官が一斉に並んだ。自分も、その端に加わった。階級は中尉。並んだ顔のほとんどが、自分より年上で、階級も上だった。
タラップが降りる。最初に降りてきたのは、護衛の兵が数名。それから、痩せた男が一人、ゆっくりと姿を現した。軍帽の下の顔は穏やかで、目だけが細く、並んだ者たちをひと通り眺めるように動く。後ろに従う従卒が、白い布に包んだ木箱を、恐ろしく慎重に両手で抱えていた。
マ・クベ大佐。通信越しに見た、背後の白い陶器が頭をよぎった。
「皆さん、ご苦労でした」
声は低く、静かだった。
「地球というのは、重い星ですな。足も、気持ちも。今朝降りたばかりの私が申し上げるのも妙な話ですが、皆さんは私より先に、それを味わっておられる。採掘場を無傷で確保されたこと、ありがたく思います。壊れ物は、壊れる前に手に入れておくのが、いちばん安上がりでして」
笑う者はいなかった。冗談なのか本気なのか、誰にも判断がつかなかったのだと思う。マ・クベ自身は気にした様子もなく、ひとりひとりの前で足を止め、短く言葉を交わしていく。
順番が来た。
「ガルム小隊長、リオン・ワーカー中尉であります」
「ええ。伺っております」
マ・クベは、こちらの顔を少しだけ長く見た。それから、視線を西の斜面に移す。その下に、灰色の肩が見えていた。
「あれが、あなたの機体ですか」
「はい」
「灰色。目立つ色ですな。連邦の目には、さぞよく見えることでしょう」
「目立つことで誰かを守れるなら、本望です」
言ってから、少し硬かったかと思った。マ・クベは否定も肯定もせず、細い目をさらに細めただけだった。
「番犬には、よく似合う色です。……この後、少しお時間を。管理棟の二階でお待ちしています」
案内された部屋は、窓の大きな一室だった。壁の地図は剝がされ、机の上には、白い布を解かれた木箱が置かれている。中には、白く小ぶりな壺が一つ、収まっていた。艶のある肌が、夕陽を受けて淡く光る。
つい、見入ってしまったのだろう。マ・クベが、湯気の立つ茶器を机に並べながら、ふっと口の端を上げた。
「お気になりますか」
「失礼しました。……綺麗だと思いました」
「綺麗、ですか。ええ、綺麗です。ただ、器というものは、飾られるために生まれるのではない。使われて、はじめて意味を持つ。……どうぞ、冷めないうちに」
勧められるまま、茶を一口含んだ。香りはやけに静かで、喉を通る温かさだけが、はっきりと分かった。
「では、本題に入りましょう。と言っても、そう大した話ではありません」
マ・クベは椅子に深く腰掛け、指先を組んだ。
「あなたの小隊は、陸戦兵器実証試験局の看板を背負ってここへ来られた。看板というのは便利なものですが、同時に重いものでもある。誰かが、あなた方の戦果ではなく、壊れ方を見ているということです」
「壊れ方、でありますか」
「ええ。戦果を挙げる腕は、すでに存じております。ですから今回は、J型を地球で試すことを何より大事にしていただきたい。壊れずに帰ってくること。そのために、どうすれば壊れるのかを知ること。そして、なぜ壊れずに済んだのかを、持ち帰ること。……地上用のザクを、地上で試す。道理にかなった話です。道理にかなった話ほど、誰も真面目にやりたがらないものですが」
壊れずに済んだ理由。思い出したのは、搬出台で整備班長が詰めてくれた、吐く息一つ分の数字だった。あれを、持ち帰る。
「承知しました。……一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「拠点の件です。小隊の機体を置ける場所を、お借りできないでしょうか。試験の機材も、扱うことになりますので」
マ・クベは少しだけ目を伏せ、茶器の縁を指でなぞる。
「採掘場の整備棟の一角を、最優先でお使いなさい。試験の機材を置く場所も、空けさせましょう。足りない物は、言ってくだされば最優先で手配します。遠慮は、無用です」
穏やかな口ぶりのまま、迷いはなかった。それだけ、J型の試験が重いということだ。
「ありがとうございます」
「礼には及びません。……ところで」
マ・クベは窓の外に目をやった。夕陽の中で、黒い土が鈍く光っている。
「姉君のことは、報せで拝見しました」
背中が、わずかに固くなった。茶器を持つ指に、力が入る。
「あの式典は、私の趣味ではありませんでしたが……いえ、余計なことでしたな。私は、飾るなら器にするものと決めておりまして。人は、飾るものではない」
返す言葉が見つからなかった。礼を言うべきなのか、怒るべきなのか、分からない。結局、頭を下げることしかできなかった。
「……お気遣い、感謝いたします」
「気遣いというほどのものでは。ただ、言っておきたかっただけです」
しばらく、どちらも口を開かなかった。窓の外から、整備兵の怒鳴り声と、何かを引きずる音が聞こえる。
「あなたの小隊には、J型の実地試験を最優先でお願いします。地球でしか取れないデータです。壊す勢いで、遠慮なくやりなさい。壊れる場所が分かれば、壊れずに済む理由も分かる。哨戒や地形の確認は、その合間で結構」
「はい」
「守りなら、他の隊でもできます。ですが、J型を仕上げられるのは、あの機体を一番知っているあなたしかいない。……その意味は、お分かりですね」
分かる、とは言えなかった。ただ、吐く息一つ分の遅れを体で知っているのは、たしかに自分だけだ。
「必ず、形にします」
「結構。……最後に、ひとつだけ」
席を立ちかけたところへ、マ・クベが、ほんの少しだけ身を乗り出した。
「地球の土を踏んで、最初に何を思いましたか」
予想していなかった問いだった。答えは、意外なほど簡単に口から出た。
「……空が、思っていたより高いと」
「ほう」
「宇宙は、上も下もありません。でも、ここは、上が空で、下が土でした。当たり前のことなのに、それが少し、怖くて」
「怖い」
「はい。……けれど、悪い怖さではありませんでした」
マ・クベはしばらく、こちらの顔を見ていた。それから、ゆっくりと頷いた。
「空の高さに気づくうちは、大丈夫でしょう。気づかなくなったときが、危ない。……お下がりなさい、中尉。小隊の皆さんが、待っておられる」
階段を降りると、管理棟の入り口の脇に、ブラントとマリーナが立っていた。いつからいたのかは分からない。ただ、二人とも、待っていた顔をしていた。
「中尉殿。大佐殿は、何と」
「整備棟の一角を、最優先で使わせていただけることになりました。足りないものも、最優先で手配していただけるそうです。それと、当面はJ型の実地試験を、最優先にと」
「最優先、ですか」
「はい。……J型の試験は、それだけ重いそうです」
「責任重大ですな」
ブラントは少し笑い、それから、こちらの顔をもう一度見て、言葉を継いだ。
「中尉殿。顔が、少し硬いようです」
「そうでしょうか」
「ええ。何か、言われましたか」
「……いえ。悪いことは、何も」
姉のことは、言わなかった。言えば、二人は黙って受け止めてくれるだろうと分かっていた。だからこそ、今はまだ、言いたくなかった。
マリーナが、下からのぞき込むようにして言った。
「中尉、これ。さっきの子、ついて来ちゃいました」
見ると、黒い犬が、マリーナの足もとで行儀よく座っていた。
「……餌を、やったからです」
「やりましたけど、私だけじゃないですよ。中尉が、最初に携行食を割ってました」
「何のことでしょう」
涼しい顔で、空を見上げた。
「とぼけても無駄です。見てましたから」
勝ち誇ったように笑うマリーナの横で、ブラントが、咳払いのようなものをして顔を背けた。肩が、わずかに揺れている。
夜。整備棟の一角は、思っていたよりずっと広かった。天井の高い倉庫のような空間に、三機が並ぶ。ブラントは床の乾いた場所を選んで寝床を作り、マリーナは、犬が入り込まないよう入り口に木箱を積んでは崩し、また積み直している。犬は、すでに箱の隙間から中へ入り込んでいた。
夕食も、携行食だった。降下してから数えて、もう何度目になるだろう。三人で整備棟の床に座り、パウチの口を切る。
「……占領したんですよね、ここ」
マリーナが、匙の先で中身をつつきながら言った。
「はい」
「せっかく地球なのに、味が同じです。宇宙で食べてたのと」
「同じ工場の、同じ棚から来ていますからな」
「曹長、慰めてください」
「慰めようがありません。自分も、同じ味に飽きています」
ブラントは真顔のまま、匙を口に運んだ。
「……補給が回りはじめたら、まず食料を頼んでみましょう。温かいスープ一杯でも、違うはずです」
「中尉、それ、約束ですからね」
「掛け合ってみます」
足もとで、黒い犬がじっと待っていた。マリーナは見なかったことにするように、パウチの端を少しだけ傾けた。
「中尉。大佐殿は、どんな方でしたか」
「……穏やかな方でした。壺を見せられて、器は使われてはじめて意味を持つ、と」
「器、ですか」
「はい。それと、勝ち星ではなく、壊れ方を見られている、とも」
ブラントは匙を止め、少しのあいだ考えるように黙った。
「道具、ということでしょうな。自分たちも、機体も。使われて、壊れて、その壊れ方で次が決まる。……それなら、元戦車兵には馴染みのある話です」
「曹長は、そういう言い方が上手いですよね」
「軍曹も、じきに上手くなります」
「私は、ほどほどでいいです」
マリーナは、足もとにすり寄ってきた犬の頭を、一度だけ指先で撫でた。それから、はっとしたように手を引っ込め、周囲を見回す。誰も何も言わなかった。
「明日からの任務ですが」
切り出すと、二人が顔を上げた。
「J型の実地試験を、最優先にと言われました。壊す勢いでやるように、と。お二人には、その相手を」
「相手、ですか」
「模擬弾で、自分一人に、お二人で。F型の改修の試験も、兼ねます」
「一対二で、ですか」
ブラントの口の端が、わずかに上がった。マリーナは、匙をくわえたまま目を丸くしている。
「遠慮は、いりません」
「……それでは、本気でやらせていただきます」
「望むところです。中尉、あとで泣いても知りませんよ」
「女性を泣かせるのは、趣味ではないんですが」
マリーナの眉が、ぴくりと動いた。ブラントは聞こえなかったふりで、匙を口に運んでいる。
「……言いましたね、中尉。明日、覚えていてください」
食事のあと、約束どおり、二人に呼吸の練習をもう一度だけ見せた。明日からは、J型を壊す勢いで動かす日々になる。いつ、どこから高い負荷がかかるか分からない。教えられることは、教えておきたかった。
ようやく一人になったところで、J型の足もとの影に腰を下ろし、手帳を開いた。宛先のない手紙の続きだった。昨夜は、『今日、空で跳んだ』で止まっている。
ペンの先を、しばらく宙に浮かせた。それから、書いた。
『姉さんへ。
今日、土の上に拠点ができた。黒くて、重くて、踏むと靴が沈む土。
偉い人に会った。痩せた、穏やかな人で、器の話ばかりしていた。肝心なことはほとんど言わなかったのに、何を求められているかだけは、はっきり分かった。壊れずに帰ってくること。壊れ方を知ること。壊れずに済んだ理由を、持ち帰ること。
姉さんのことを、知っていた。礼を言うべきなのかどうか、まだ分からない。
犬が一匹、ついてきた。マリーナ軍曹が、もう名前を考えているみたいだ。
ここで、J型を仕上げる。やってみせる』
書き終えて、手帳を閉じる。外では、風が整備棟の壁を鳴らしていた。足もとで、犬が小さく鼻を鳴らした。ゆっくりと呼吸を数える。明日から、この星で、J型を試す。
今後とも本作をよろしくお願いいたします。
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