『うちはマダラは異界の理すらも踊らせる』   作:狂ってる団

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落日の港

アルベドの異端の機械船が、エボンの禁忌を嘲笑うかのように白い航跡を海面に刻み、荒波を往くこと数刻。

生温かく、忍界のどの海よりも濃い塩の香りを孕んだ風を浴びながら、俺は鉄の甲板の端に佇み、微動だにせず前方の水平線を見据えていた。

 

周囲の大気は、島を離れるにつれて急速にその密度を増していた。霊的な粒子――幻光虫。それが空間に飽和し、光の屈折すら歪めているかのように、海面が不自然にぎらついている。体内のチャクラを巡らせるたびに生じる微かな経絡の摩擦も、今や俺の驚異的な適応力によって完全に制御下に置かれ、異世界の法は静かに俺の肉体へと調和していた。

 

(ふん……馴染むほどに解る。この世界のエネルギーは妙に不安定だ。まるで、誰かの強い未練や呪いが空間に溶け込んでいるかのような、不快な濃密さだな)

 

脳の片隅にある、あの精神世界で噛み砕いた羽虫の不確かな記憶の澱。

どこかにいるという『従召喚士』の少女の姿、あるいは何かが動き出すのはまだ少し先なのだという、漠然とした予兆のような残像。それらが何を意味するのかは、未だ霧の向こうだ。俺はただ、この大気に満ちる不気味な気配が、その残像と無関係ではないことだけを、肌感覚で捉えていた。

 

やがて、水平線の彼方から、切り立った断崖絶壁を削って造られた、巨大な石造りの構造物(ドック)がその姿を現し始めた。

 

(……あれが、砂利の言っていた『ルカ』か)

 

そこにあったのは、これまで見てきた無人島とは根底から異なる、歪なほどに栄えた巨大な港湾都市だった。

何十隻もの巨大な木造の帆船がひしめき合う、幾重にも組まれた石造りのドック。傾斜の激しい崖に沿ってびっしりと立ち並ぶ、白壁と瓦屋根の街並み。そして、都市の要所にこれ見よがしに掲げられた、エボン寺院の精緻な紋章が刻まれた豪奢な旗が、海風にパタパタと重々しい音を立てて翻っている。

 

だが、これほど巨大な都市でありながら、そこから放たれる気配は酷く薄汚れていた。

空間に満ちる幻光虫の密度は無人島よりもさらに濃く、それはまるで、かつて俺と柱間がすべてを懸けて作り上げたあの里――木ノ葉隠れの里が、戦火に包まれる直前のような、無数の人間の『妄執』と『欺瞞』が底に澱んでいるかのような、胸糞の悪い不快さだった。

 

「マ、マダラ様……」

 

背後から、ガタガタと膝を震わせながら、例の共通語が少し話せる若いアルベドの男――『ジク』が、甲板の鉄板に這いつくばるようにして、俺の赤漆の具足の裾へ怯えきった声をかけてきた。

船内を力で制圧されて以降、この若い砂利は俺の影に怯えながらも、生き残るために必死に忠実な犬としての役割を全うしようとしていた。

 

「ルカの、みなと、はいります……。ですが、俺たちの船、機械(マキナ)です……。エボンの僧兵、見つかると、すぐ……攻撃されます。みなとの、はずれの、かくれドック、おろします……」

 

ジクの言葉の端々に、エボン寺院という存在に対する根深い恐怖と、消せない嫌悪が滲んでいる。

エボンの絶対的な教えにより、スピラにおいて『機械』の製造や使用は完全に禁忌。それを破って鉄の塊を操るアルベド族は、この世界において文字通りの異端であり、見つすれば寺院の武力によって容赦なく排除される。それが、この世界の理の一端。

 

「ボヨソソバ! ナサニフホソサナ マハヱロ!(どこ向いてる! 早くかくれドックへ舵を切れ!)」

 

ジクが共通語からアルベド語に戻り、必死の形相で操舵室の船長へ怒号を飛ばす。

 

「わ、わかった! び、ボソニ モトサナヌ!(わ、わかった! じ、じきに到着する!)」

 

操舵室の中では、計器を握る船長の手が脂汗で滑っていた。ガラス越しに何度も甲板の俺を盗み見ては、心臓の鼓動を早めている。彼らにとって、エボン僧兵に見つかる恐怖など、今や背後にそびえ立つ「戦神」の機嫌を損ねる恐怖に比べれば、砂利同然の軽さだった。

 

「ふん。コソコソと裏口から入るか。いいだろう、今のところはな」

 

俺は腕を組んだまま、冷淡に頷いた。

この世界の支配者たる『エボン寺院』の実力、あるいは彼らが民を縛り付ける『エボンの教え』とやらの本質をこの眼で直接見極めるまでは、わざわざ大騒ぎを起こして手の内を晒す必要もない。強者はただ、盤面を冷徹に観察し、時期が来ればすべてをひっくり返せばよいだけだ。

 

鉄の船体は、華やかな表舞台のドックを大きく迂回し、波に侵食された不気味な岩壁の影に隠された、アルベド族専用の秘密の地下ドックへと静かに滑り込んだ。

船の底で絶えず不快な金属音と爆発音を響かせていたエンジンが完全に停止すると、船内を支配していた重々しい静寂が、再び鉄の甲板へと戻ってくる。船長をはじめとするアルベドの砂利どもは、俺の放つ圧倒的な殺気からようやく解放された安堵からか、床にドサリとへたり込み、濁った息を何度も激しく吐き出していた。

 

「ジク、行くぞ。案内しろ」

 

「は、はい……!」

 

俺は背中にある漆黒の「うちはの団扇」の重みを確かめ、長い黒髪を払うと、ジクを先導させて薄暗い地下の連絡通路を上へと登っていった。カツン、カツンと、俺の具足が湿った石段を叩く音が、暗がりに冷たく響いていた。

 

通路の出口である重い鉄の扉を押し開け、ルカの市街地へと一歩足を踏み入れた瞬間、耳を聾するほどの凄まじい喧騒が俺の鼓膜を叩いた。

 

「おい、見たか!? 今年のブリッツボールの大会はマイカ総老師も観戦に来るらしいぞ!」

「ブラスカ様が『シン』を倒したあの八年前のナギ節から、もうずいぶん経つな。あの平和な三年間が本当に懐かしいよ。早く次の偉大な召喚士様が現れて、また『シン』を消し去ってくれないかねえ……」

 

行き交う群衆の衣服はどれも南国特有の鮮やかな色彩に彩られ、一見すれば、悲劇などとは無縁の平和そのものの活気に満ちているように思えた。だが、俺の眼を欺くことはできん。

 

十年前。ブラスカという召喚士の男が、己の命と引き換えに世界の災厄『シン』を消し去り、スピラにわずか三年間だけのささやかな安息(ナギ節)をもたらした。だが、その短い猶予が過ぎ去れば、『シン』は何事もなかったかのように再び復活し、人間を蹂躙する。そして現在、ナギ節の終わりからさらに七年が経過し、人々はまた、いつ死ぬかも分からぬ恐怖の日常に逆戻りしている。

 

ジクは、周囲の目を極度に恐れるようにフードを深く被り、俺の斜め前を俯きがちに歩いていた。

 

「マダラ様……あの、おっきい旗……エボン寺院……スピラの、まんなか、です。あそこの、いうこと、みんな、きく……」

 

ジクが怯えながら指差した先には、豪奢な装飾が施された寺院の出張所があった。

路地裏の物陰では、いつ来るかも分からぬ『シン』への襲撃におびえ、ガタガタと震えながらエボンの印を結んで祈りを捧げる老人の姿がある。その傍らでは、まともな職もなく、飢えに目を血走らせて観光客に物乞いをする子供たちが冷たい石畳に座り込んでいた。

そして、そんな絶望が地表にへばりつく街を、彼らの頭上から見下ろすようにして、贅を尽くした極彩色の法衣を纏い、尊大に闊歩するエボン寺院の『僧兵』たち。

 

(これが、エボンの教えの下にある世界の姿か。……反吐が出るな。俺と柱間が作った里も、理想の果てに様々な歪みを生み出したが、ここはそれ以上にタチが悪い)

 

彼らは『シン』という絶対的な暴力に対して、立ち向かうための独自の力や智慧を磨くことを自ら放棄している。ただひたすらに、寺院が免罪符のように説く『過去の罪の購い』という名のご都合主義の教えに縋り付き、思考を停止させている。自ら牙を抜き、まやかしの檻の中で飼い慣らされている家畜ども。それが、このスピラの人類の正体だった。

 

「おい! そこにいるアルベド!!」

 

その時、鋭く、傲慢な怒号が路地の向こうから響き渡った。

 

周囲の市民たちがハッと息を呑み、厄介ごとに巻き込まれまいと一斉に道の端へと退いていく。

「げ、僧兵だ……。またアルベドの奴がやらかしたのか?」

「ルカにコソコソ入ってくるからだ、自業自得さ」

住民たちの冷淡な囁きが耳を打つ。

 

振り返ると、鈍い光沢を放つ長槍を構え、重厚な青銅の甲冑に身を包んだ三人のエボン僧兵が、石畳を激しく踏み鳴らす足音を立ててこちらへ突進してきていた。彼らの瞳の奥にあるのは、法を守る正義などではない。俺の前にいるジクという存在を、完全に『害獣』として見下し、甚ぶることを愉しむ残酷な光だった。

 

「寺院の許可なくルカの市街へ立ち入ることは禁じられているはずだ! その薄汚れた機械の臭いを撒き散らす異端め、大人しく連行されろ!」

 

「ひっ、あ、あう……! ま、マダラ様……!」

 

ジクが恐怖のあまりその場にへたり込み、頭を抱えて激しく縮こまる。

 

「おい、そこの不審な大男! 貴様も同罪だ、武器を捨てて跪け!」

先頭の僧兵・ガルツが、長槍の鋒を俺の鼻先に突き出し、傲慢に言い放った。

「何だその妙な鎧は。ルカの劇団の役者か? 寺院を舐めるなよ」

 

ガルツの後ろに控える二人の僧兵も、せせら笑いながらジクの細い腕をへし折る勢いで石畳に組み伏せようとした、そのまさに一瞬――。

 

俺は、ゆっくりと振り返った。

 

「……ん?」

 

突き進んできていた僧兵の視線が、俺の顔へと向けられる。

長い黒髪の隙間から覗く、その切れ長の瞳。黒かったはずのその虹彩が、一瞬にして妖しく、血のような紅へと染まる。そして瞳の中に、三つの不吉な巴の文様がクッキリと浮かび上がった。

うちは一族の血脈にのみ許された、精神を支配する絶対の眼――「写輪眼(しゃりんがん)」が、薄暗い路地裏の影で冷酷に開眼した。

 

「……ッ!?」

 

槍を突き出しようとしていた僧兵・ガルツの動きが、ピタリと、まるで空間ごと時間を止められたかのように硬直した。

 

(な、何だ……この眼は……!?)

ガルツの脳内に、凄絶な恐怖が突き抜けた。

紅い眼を見た瞬間、彼の視界はルカの路地裏から、果てしない血の海へと強制的に引きずり込まれていた。四方八方から押し寄せる無数の死者の腕、天を突く巨大な炎。精神を狂わせる圧倒的な怨嗟の質量が、彼の脳髄を直接破壊していく。

 

うちはの団扇を背中から抜く必要も、その拳を振るう必要すらもない。彼らの矮小な視線が、俺の放つ紅い眼の光に交錯したその一瞬で、勝負など最初から決しているのだ。

 

「が、あ……あ、う……」

 

長槍を構えたままの僧兵たちの瞳から、一瞬にして生気という生気が消え失せ、光のない濁った灰色へと塗り替えられていく。

彼らの脆弱な精神の回路は、うちはマダラの網膜から直接脳髄へと叩き込まれた、強烈な『幻術』の質量に耐えきれなかったのだ。己の犯した罪、あるいは最も恐れる絶望の幻覚の底へと一瞬にして引きずり込まれ、彼らの精神の核は粉々に破壊された。

 

ドサリ, ドサリ、と重々しい音を立てて、三人の僧兵は糸の切れた人形のように、石畳の上へと無様に崩れ落ちた。彼らの持っていた長槍が、キィンと虚しい金属音を立てて転がる。

肉体には傷一つない。流れる血すらもない。ただ、その精神だけが完全に消滅し、二度と目覚めることのない深い精神の闇(廃人)へと叩き落とされる。

 

静寂が、ルカの路地裏を完全に包み込む。

 

へたり込んだままのジクは、目の前の屈強な男たちが何故触れられもしないのに突然倒れたのかすら理解できず、顎が外れんばかりに目を見開き、固唾を飲んで救いを求めるようにただ硬直していた。

 

(な、何が、起きた……? マダラ様、なにも、してない。眼が、赤くなっただけで、エボンの僧兵が……!)

ジクの全身の毛穴から、一気に冷や汗が噴き出す。この男の強さは、アルベドの誇るどんな巨大な機械(マキナ)よりも、そして寺院の教えるどんな高位の魔法よりも、根源的に異質で、圧倒的に恐怖そのものだった。

 

周囲の物陰から買い物の足を止めて見ていた住民たちも、寺院の絶対的な武力の象徴である僧兵が一瞬で物物言わぬ肉塊に変えられた現実を前に、悲鳴を上げることすら忘れて恐怖に身を震わせている。

「おい、あの男……魔法か?」

「いや、そんな魔法、見たこともない……。触れてもないんだぞ……」

怯える囁きが、風のように路地を抜けていく。

 

俺は髪を不敵にかき上げ、紅い瞳を静かに深淵の黒へと戻した。

 

ふん、あの無人島の浜辺で砂利どもが喚いていた怪言語を思い出す。言葉など通じなくとも、恐怖さえ植え付ければこの通り、家畜どもは勝手に従う。

 

「エボンの教えが世界のすべて、宿命だと言ったな、ジク」

 

俺の低く、地を幾うような傲然たる声に、ジクは肩を大きく跳ね上げて「は、はいぃっ!」と喉を鳴らした。

 

「脆いな。この程度の砂利どもが作った理に、世界中の人間が躍らされているというわけか。実につまらん。……だが、だからこそ価値がある」

 

俺の唇が、深い嘲笑とともに、歪に吊り上がる。

これほどまでに脆弱で、欺瞞に満ちた世界。十年前のブラスカのナギ節、そしてその後の『シン』の復活。すべてが、仕組まれたおままごとのように底が浅く、退屈極まるものだ。だが、その世界の天を突くような巨大な嘘を、この俺の力で内側から粉々に噛み砕くというのは、悪くない余興だ。

 

「案内を続けろ、ジク。まずはこの都市で一番、情報が集まる場所へ行く。エボンの教えとやらが、どれほどの底の浅いまやかしなのか、俺がすべて暴いてやる」

 

うちはマダラは、エボンの支配の象徴たる僧兵の精神を、三つ巴の写輪眼の幻術で塵ひとつ残さず圧殺し、不敵な足取りでルカの深部へと歩を進める。世界の理を力ずくで叩き潰すための新たなる乱舞が、今、欺瞞の都市で本格的に幕を開けようとしていた。

 

 




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