ルカ・ゴワースの勝利を確信する大歓声が、すり鉢状の巨大なスタジアムの天辺から、潮が引くような残響となって街へと流れ落ちていく。
その喧騒を背に、俺はスタジアムの長い石階段を悠然と下りていた。
一歩進むごとに、赤漆の具足がカツン、カツンと乾いた音を立てる。俺のすぐ後ろを、小柄な少女――リュックが、好奇心と微かな警戒を孕んだ渦巻きの瞳をせわしなく輝かせながら、ぴょこぴょこと小走りでついてきていた。ジクの野郎は、俺の殺気に当てられて完全に腰が抜けたのか、地下ドックの隅で今もガタガタと震えている。
「ねえねえ、あんたさぁ、本当にその格好でルカの街を歩くわけ?」
リュックが俺の具足や背中の巨大な団扇を物珍しそうに指差しながら、ハキハキとした共通語で捲し立ててきた。
「目立ちすぎだってば! さっきから周りのみんな、あんたのこと変な人を見るみたいな目で見てるじゃん!」
「ふん……砂利どもの視線など、昔から慣れている。気にする価値もない」
俺は腕を組んだまま、振り返ることもせず冷淡に吐き捨てた。
「もーっ、そういうとこが『得体の知れない大物』って感じなんだよね〜」
リュックは呆れたように肩をすくめ、大げさな手振りを交えながら、それでも楽しそうに笑った。
その天真爛漫な笑顔が俺の網膜に映った瞬間、またしても胸の奥底で、あの精神世界で噛み砕いた羽虫(現代人)の記憶の澱が小さく跳ねた。
愛着、好感、臨場感。それが俺本来の強固な精神をほんの僅かに揺らし、冷徹な思考の隙間から、自分でも自覚できるほどの「甘さ」を絞り出させている。
本来の俺であれば、これほど騒がしい砂利など一瞥して踏みにじっているはずだ。だが、不思議と不快ではなかった。かつて戦乱の世で、ただ幼い弟たちの笑顔を守りたくて、柱間と共に泥を捏ねて理想の里を夢見ていたあの遠い日の温かさが、彼女の黄金の髪が揺れるたびに微かに呼び覚まされるようだった。
「……リュックと言ったな。この街で、最も騒がしくなく、かつ情報とやらが集まる場所はどこだ。腹も空いた、まともな食事の摂れる場所へ案内しろ」
「え〜? お腹空いたの? しかたないなぁ! だったらスタジアムの近くに、すごく美味しいジュースの店があるよ! あそこなら、各地から来たブリッツの選手とか、旅の商人の話がいっぱい聞けるはず!」
リュックはそう言うと、アタシについてきて! とばかりに俺の前に回り込み、黄金の髪の束を弾ませてルカの雑踏へと飛び込んでいった。俺はその小さな背中を、ほんの僅かに口角を緩めながら、静かについていった。
――そういえば、俺はこの世界の通貨というものを持っていなかったな。
ふとそんな現実的な事実に思い当たったが、何の問題もない。
カフェへ向かう道すがら、俺は先ほど三つ巴の写輪眼の幻術で昏睡させ、石畳に転がしておいた三人のエボン僧兵の横を通り過ぎた。
彼らの肉体は傷一つなく、ただ静かに眠っている。俺は歩みを止めることなく、彼らの甲冑の隙間、その懐へ容赦なく手を突っ込み、民から搾り取ったであろう重々しい革財布を平然と掠め取った。
(ふん、エボンの砂利どもが。路銀の調達としては上等だな)
そして財布を奪うと同時に、俺の写輪眼が彼らの脳内へさらに深く幻術のチャクラを流し込む。
彼らの記憶の経絡を僅かに操作し、俺たちと遭遇した直前の記憶だけを、綺麗に消去してやったのだ。これで奴らが目を覚ました時、そこにあるのは「何故か路地裏で寝込んでいた」という奇妙な空白だけ。俺という『亡霊』の存在が寺院の上層部に発覚する心配はない。躊躇も抜かりもない、戦場を極めた者ならではの冷徹な隠密工作だ。
ルカの裏通りにひっそりと佇む、石造りのオープンテラスのカフェ。
スタジアムの喧騒から程よく離れたその場所には、各地の特産品を積んだ荷馬車や、旅の商人がいくつかのテーブルを囲み、小声で世間話に花を咲かせていた。
俺が一番奥の席にドサリと腰を下ろすと、周囲の商人たちが一瞬にして息を呑み、その異質な威圧感に怯えて一斉に視線を逸らした。だが、そんな砂利どもの動揺など一顧だにせず、俺は目の前に置かれたスピラ特有の奇妙な肉料理と、青い果実の絞り汁(ジュース)を静かに口に運んだ。僧兵から奪った金で、対面に座るリュックの分まで肉を注文してやったのは、俺なりのほんの僅かな気まぐれだ。
「……ふむ。この異世界の料理、悪くないな。素材の味を損ねておらん」
「いせかい……? なにそれ?」
運ばれてきた大盛りの肉料理を豪快に頬張っていたリュックが、俺の言葉にパチクリと大きな目を瞬かせ、怪訝そうに首を傾げた。
「あんた、さっきから妙な言葉ばっかり使うよね。スピラ以外の場所なんてどこにもないじゃん! もしかして『シン』の毒気にあてられて、頭でもやられちゃったわけ〜?」
「……ふん。ただの独り言だ。気にするな」
俺はジュースを一口スッキリと啜り、背もたれに深く身体を預けた。
(そうか、この世界の人間には『異世界』という概念すら存在しないか。それほど閉ざされた鳥籠の中にいるというわけだな……)
「ま、いいけどさっ! 気にしたら負けって感じだし!」
リュックはすぐにいつもの明るさを取り戻し、胸を張って満面の笑顔を咲かせた。
「正式には、ルカの海の幸と肉はスピラで一番なんだから! あんたがどこのどいつか知らないけど、アルベドのサルベージ船を乗っ取った罪は、この美味しいご飯を奢ってくれたことで帳消しにしてあげる!」
「ククク……調子の良い砂利だ。少し肉を食わせただけで随分と態度が軽くなったな」
「だってお腹空いてたんだもん! それに、奢ってくれる人に悪い奴はいないって、アタシの勘が言ってるんだよっ!」
リュックは大きな肉の塊を器用にフォークで突き刺し、口いっぱいに詰め込みながら嬉しそうに笑う。その姿を眺めながら、俺は静かに問いを重ねた。
「では、その調子の良い口で、約束通りこの世界のことを詳しく話してもらおうか。先ほどお前は、十年前、ブラスカという男が命を引き換えに『シン』を倒したと言ったな。……その『究極召喚』とやらの仕組みを、俺に教えろ」
俺の問いに、リュックは咀嚼する手を止め、その瑞々しい渦巻きの瞳を僅かに曇らせた。彼女は手元に置いた木の実のカップを小さな両手で包み込み、13歳特有の、純粋ゆえの理不尽への怒りを滲ませながら声を低くした。
「究極召喚は……エボンの教えで、召喚士様が命を懸けて手に入れる、唯一の『シン』を倒すための力だよ。召喚士様はスピラ中の寺院を巡って、命懸けの旅を続けて、最後に『ザナルカンド』って最果ての遺跡に行くの。そこで究極の力を手に入れて『シン』を倒すんだ。でもね……究極召喚を使った召喚士様は、その強すぎる力の反動で、終わったあとに絶対に死んじゃうんだよっ」
「術者本人が死ぬ、か。ククク……」
俺は哀れみとも嘲笑ともつかぬ失笑を漏らした。
「命を賭して災厄を消し去っても、数年経てば『シン』は何事もなかったかのように復活する。すると、人間どもはまた同じまやかしに縋り、次の生贄を捧げるための祈りを始める……。終わりなき螺旋、繰り返されるおままごと。この世界の救済とは、その程度の残酷なシステムに過ぎんのか」
「そうだよ! だからアタシはエボンの教えなんて大嫌いなの!」
リュックがたまらずテーブルを小さく叩いて身を乗り出した。
「みんな、召喚士様が死ぬのを『偉大な犠牲』って言って拝んでるけど、そんなのおかしいじゃん! アタシたちの仲間だって、そんな理不尽な仕組みを変えたくて、機械(マキナ)を拾って『シン』と戦う方法を必死に探してるんだよ! 寺院の奴らにどれだけ迫害されたって、こんなの間違ってるんだからっ!」
リュックの渦巻きの瞳には、悔し涙が薄っすらと浮かんでいた。だが、それ以上に、この歪みきった世界への強い不服従の意志が、その小さな身体からひしひしと伝わってきた。
彼女たちはまだ何も知らない。その救済の果てにある、さらなる暗黒の真実など知る由もないまま、ただ今ある理不尽に必死に抗おうとしているのだ。
俺はそんな彼女の姿を、ただ静かに、大人の余裕をもって見守っていた。
かつて忍の世において、平和のために『無限月読』という偽りの夢を求め、世界を檻に閉じ込めようとした己の過去。あるいは、柱間と共に家族を守るために作ったはずの里が、皮肉にも次の世代の子供たちを戦場へ送り出すシステムへと変貌していった歴史。
このスピラという世界は、最初から「エボンの教え」という巨大な檻の中に人間を閉じ込め、定期的な生贄を捧げさせることで世界を維持している。スタジアムで交わした言葉の通り、その不条理な螺旋を見極めるための足がかりは、今こうして目の前で憤る少女の言葉によって、徐々に形を成しつつあった。
俺の視線が僅かに緩み、目の前で必死に生きようとする少女へ、微かな甘さを込めて口角を上げた。
「……リュック、お前、やはり面白いな。見どころがある」
「え〜? なによ急に、アタシをじろじろ見てさ!」
リュックは少し照れくさそうに鼻の頭を指でこすると、思い出したように身を乗り出してきた。
「っていうかさ、あんた、アタシの名前は呼ぶのに、あんた自身の名前はなんていうわけ? 名乗らないなんて、大物の割にはちょっとズルいじゃん!」
俺は僅かに目を見開いた後、フッと低く、愉しげな笑みを漏らした。
柱間との最期の和解を経て、一度はすべてを終えて捨て去ったはずの己の名。それを、この異世界の、まだ何も知らぬ幼い砂利に向けて名乗ることになるとはな。
「……うちはマダラだ。覚えておくがいい、砂利」
「マダラ……うちはマダラ、ね。変わった名前!」
リュックはその響きを口の中で転がすように呟くと、ひまわりのような明るい笑顔を全面的に咲かせた。
「マダラね! じゃあ改めてよろしくね! ほら、マダラももっと食べなよ、美味しいんだから!」
「ふん……よく喋る割にはよく食う砂利だな。その細い身体のどこにそれだけの肉が入るのだ」
「失礼だなぁ! アルベドのサルベージは体力勝負んだから、これくらい食べなきゃやってられないの! ほら、マダラもそのジュースばっかり飲んでないで、この魚も食べなよ。ほっぺた落ちるよ!」
リュックは自分の皿から、香ばしく焼けた魚の切り身を俺の器へと勝手に見繕って放り込んできた。俺はその無作法を咎めることもせず、ただおかしそうに鼻を鳴らして口に運ぶ。
「ところでマダラさぁ、これからどうするつもりなの? スピラのことを知りたいって言ってたけど、まさかずっとルカにいるわけじゃないでしょ?」
リュックの問いに、俺は手元に置いたジュースを静かに見つめ、淡々と答えた。
「ふん……当然だ。俺はこの世界の仕組み、そして『教え』の奥にある歪みの正体を暴く。そのためには、スピラの各地を回って情報を集める必要がある」
「世界を回るって……でもマダラ、その格好じゃあさっきみたいにどこに行ってもエボンの僧兵に怪しまれて喧嘩になるだけだよ? それに、旅をするのにもお金がかかるじゃん!」
リュックがもっともな心配を口にするが、俺はフッと傲然たる笑みを浮かべた。
「金など、先ほどのように寺院の砂利どもから奪えばいくらでも手に入る。……だが、無意味に怪しまれて邪魔が入るのも面倒だな。だからこそ、表向きの『大義名分』を用意する」
「大義名分……?」
リュックが魚を咥えたまま、目を丸くする。
「ああ。俺はこれより、各地の商船や商人の護衛、あるいは集落を脅かす魔物の討伐を請け負う『傭兵』としてやっていく」
俺は腕を組み、大人の余裕をもって語りかけた。
「魔物という名の砂利を間引き、商人を守る。そのついでとして、行く先々の土地に流れるエボンの噂や、世界の実態を力ずくで引き出す。これなら、寺院の奴らも表立って俺を排除する理由はなくなるだろう」
「傭兵、ねぇ……! 確かにマダラのそのおかしな強さがあれば、どんな魔物も一瞬でイチコロだろうけど……。あ、だったらさ!」
リュックがポンと手を叩き、黄金の髪の束を弾ませて名案を思いついたように声を弾ませた。
「アタシたちのサルベージ船の護衛も請け負ってよ! アタシたち、機械(マキナ)を拾うためにいつも危険な海域とか魔物のいる遺跡に行くから、マダラみたいな用心棒がいてくれたら、すっごく助かるよ! アタシたちのドックに来れば、他の仲間も紹介できるし!」
「ククク……調子の良い砂利め、俺を便利屋のように使う気か。だが、悪くない提案だ。お前たちの船に乗っていれば、移動の手間も省けるからな。……いいだろう、まずはそのアルベドのドックとやらへ案内しろ。しばらくはお前たちの砂利払いに付き合ってやる」
「やったぁ! 交渉成立! マダラが用心棒なら、次のサルベージは百人力だよ!」
リュックは嬉しそうにフォークを掲げ、満面の笑みを輝かせた。
その時、カフェの喧騒の向こうから、商人たちのヒソヒソとした噂話が、俺の耳へと滑り込んできた。
「おい、聞いたか? ビサイドの寺院に、新しく『従召喚士』の資格を得た娘が現れたらしいぞ」
「まだ若い娘だろ? 十年前のブラスカ様の系譜を継ぐとか何とか……」
『ビサイド』。
その言葉が耳に触れた瞬間、俺の脳裏にあるあの不確かな残像が、現実に激しく激突した。
(……やはりな。あの羽虫の記憶にあった通りだ。二年後に動き出すはずのその器が、今、ビサイドという島で祈りを始めているというわけか)
世界が仕組んだ終わりなき螺旋の生贄。その最初のピースが、今まさに辺境の地で産声を上げたのだ。マダラは腕を組んだまま、静かに水平線の先にある世界へと、その鋭い眼差しを向けた。
「ねえ、マダラ? 急に黙り込んじゃってどうしたのさ?」
リュックが不思議そうに首を傾げ、俺の顔を覗き込んできた。
「いや……最初の仕事の前に、少し気になる噂を耳にしただけだ。気にするな」
俺は立ち上がり、背中の団扇の重みを確かめると、不敵に口角を上げた。
「行くぞ、小娘。まずはそのお前たちの巣(ドック)へ案内しろ。お前たちのその鉄の玩具の使い道、じっくりと見極めてやる」
うちはマダラは、アルベドの少女リュックという無垢なる『耳』を得て、傭兵としてスピラを回り、まずはアルベド族との深い交流へと足を踏み出す。世界のシステムを根底から噛み砕くための『新たなる乱舞』が、ルカの陽だまりの裏側から、静かに、確実に加速していくのだった。
リュック本当に可愛いと思います!
はい!