ルカの裏通りのカフェを後にした俺とリュックは、人目を避けるようにして、岩壁の影に隠されたアルベド族専用の秘密の地下ドックへとたどり着いていた。
薄暗いドックの奥に停泊する、無骨な鉄のサルベージ船。その甲板へと乗り込むと、俺の放つ圧倒的な殺気から解放されて休んでいた船長やジクが、再び現れた俺の姿を見るなり弾かれたように硬直した。
だが、隣のリュックが「みんな聞いて! マダラがアタシたちの用心棒になってくれることになったよ!」と元気いっぱいに共通語で捲し立てると、船員たちは言葉の意味が分からぬまでも、リュックの明るい表情から俺が敵ではないことを察し、一斉に安堵の表情を浮かべた。
船底から再び不快な金属音と爆発音が響き、鉄の船体がゆっくりとルカの隠れドックを離れ、霧深い外洋へと滑り出し始めた。
船が目的の海域へ向けて航行を開始してから、数時間が経過しようとしていた。
周囲は見渡す限りの青い海。遮るもののない強烈な陽光が、鉄の甲板を熱く照らしている。
俺は船尾の太い鉄パイプに腰掛け、腕を組んで海風に長い黒髪をなびかせていた。すると、甲板の計器をいじっていたリュックが、退屈したようにぴょこぴょこと小走りでこちらへ近寄ってきて、俺の背中にある漆黒の団扇をじろじろと覗き込んできた。
「ねえねえ、マダラさぁ。ずっと気になってたんだけど、その背中のおっきい団扇、一体なんなのさ〜? そんなの振り回して、本当に魔物と戦えるわけ?」
リュックが大きな身振りを交えながら、天真爛漫な口調で突っ込んでくる。
普通の人間であれば、戦神たる俺の武器にそんな気安く触れようとはせん。だが、俺は不快に思うどころか、フッと大人の余裕を湛えた笑みを漏らした。現代人の記憶の残渣が、俺のなかの彼女への評価をどこまでも甘くさせている。
「ふん……。ただの団扇ではない。これは『うちはの団扇』。かつて俺が数多の戦場を駆け抜け、あらゆる敵の術を跳ね返してきた、俺の半身とも言える一級の武具だ」
「へえぇ〜、うちわの団扇、ねぇ。なんか名前がそのままじゃん!」
リュックはゲラゲラと笑いながら、今度は俺の赤漆の具足(鎧)を突っついた。
「じゃあさ、その真っ赤なヨロイは? ルカの劇団の役者でも、そんな派手な格好して街を歩かないよ? 暑くないの〜?」
「これは戦場の正装だ。これだけの漆と鉄で固めていなければ、忍の鋭い刃を防ぐことはできん。……それに、この世界の生温かい海風に比べれば、戦場の硝煙の方が遥かに熱い」
「しのび……? しょうえん……?」
リュックはゴーグルを指で押し上げながら、おかしそうに首を傾げた。
「マダラって、さっきから本当に聞いたことない言葉ばっかり使うよね。アタシたちアルベドもスピラの中じゃあ『異端』って言われてるけど、マダラはそれ以上に、別の世界から迷い込んできた迷子みたいじゃん!」
「ククク……迷子、か。面白いことを言う砂利だ」
俺は腕を組み直すと、船の底から絶えず響くエンジンの重低音に視線を落とした。
「お前たちこそ、何故これほど不快な油の臭いを撒き散らす鉄の箱(機械)を弄ぶ。エボンの奴らに迫害され、理不尽に追われてまで、この鉄塊に固執する理由はなんだ」
マダラの静かな問いに、リュックは一瞬だけ真面目な顔をして、甲板の鉄板を愛おしそうにブーツの先でトントンと叩いた。
「だってさ、機械は便利だし、何よりアタシたちの『希望』なんだもん。エボンの奴らは、お祈りして罪を購えばいつか『シン』が消えるって言うけど、そんなの何百年経っても消えてないじゃん! だったらアタシたちは、自分たちの手で、機械の力で『シン』と戦う方法を見つけたいの。誰かに死ねって言う教えに縋るより、アタシはこっちの方がずっと格好いいと思うんだよね!」
少女のそのハキハキとした力強い言葉は、かつて乱世の中で、理不尽に死んでいく幼い弟たちの運命を呪い、「力があれば、家族を守る里があれば」と必死に足掻いていた若き日の俺と柱間の意志に、驚くほど酷く似通っていた。
「ふん……。他人に縋る救済よりも、己の力で理を書き換えるか。見どころのある砂利だ」
俺が少し甘さを込めて面白そうに口角を上げると、リュックは「でしょ〜! マダラは分かってくれると思ったよ!」と、ひまわりのような明るい笑顔を全面的に咲かせた。
そんな穏やかな船上の対話が続いていた時だった。
突然、操舵室からジクが、恐怖に顔を青ざめさせてアルベド語の悲鳴を上げた。
「トノ、ヤロ……! ハロリマ、ヨヨザハニバ……!(おい、見ろ……! 魔物だ、魔物がいる……!)」
それと同時に、波一つなかった穏やかな海面が、不気味に大きく波打ち始める。
鉄の船体が激しく揺れ、引き揚げ用のクレーンのワイヤーが軋んだ。
ザパーンッ!!!
激しい水飛沫を上げて海中から姿を現したのは、鋭い牙を剥き出しにして船底を激しく噛み削る、獰猛な魚類の魔物――『ピラニア』の巨大な群れだった。さらに、船の鉄の盾をガリガリと引っ掻きながら、鋭い爪を持つ半魚人のような大柄な魔物――『サハギン』が三体、一気に甲板へと這い上がってきた。
「ひゃああっ! 噂をしてたら一気に来ちゃったよ〜っ!」
リュックが腰のポーチから手製の爆弾を慌てて引っ張り出し、黄金の髪の束を激しく揺らして身構える。船員たちも一斉に鉄パイプの銃を構えるが、その手は恐怖でガタガタと震えていた。
「下がっていろ、小娘。雇われた以上、この船に傷一つ付けさせん」
俺は腕を組んだままゆっくりと立ち上がり、ひるむ奴らの前に歩み出た。
黒い髪が海風に激しくなびく。瞳は黒いまま。万華鏡はおろか、三つ巴の写輪眼すら晒す必要もない。
「ギシャァァァッッ!!」
先頭の一体のサハギンが狂暴な悲鳴を上げ、その鋭い爪を俺の喉元に向けて一気に振り下ろしてきた。常人であれば視認することすら不可能な、一瞬の強襲。
だが、俺の眼には、止まっているも同然だった。
俺は一歩も引かない。
爪の軌道を、半身を僅かにかわすだけで完全に無力化する。すれ違いざま、俺は背中の「うちはの団扇」を右手で引き抜き、サハギンの強固な鱗に覆われた腹部に、ただの肉体の剛力だけで無造作に叩きつけた。
ゴガァァァァンッッ!!!
肉体が内側から破砕する、凄まじい破壊音が海上を震わせた。サハギンは悲鳴を上げる間もなく、その巨体を一瞬にして粉砕され、血を流すこともなく淡い青白い幻光虫の粒子となって霧散した。
「な……っ!? 一撃……!?」
リュックが爆弾を構えたまま、顎が外れんばかりに目を見開く。
残された二体のサハギン、あるいは海面を埋め尽くすピラニアの群れが、その絶対的な格の違いを本能で理解したのか、怯えたように巨体を反転させ、深い海の底へと潜って逃げ出そうとした。
「俺の戦場から、生きて逃げられると思うな」
俺は団扇を背中に収め、ゆっくりと印を結び始めた。
全盛期の肉体。この世界の大気に満ちる幻光虫と呼ばれる霊的粒子との調和も、すでに完璧だ。忍界と同じ感覚で術を発動させても、体内の経絡に摩擦が生じることはもうない。
こんな砂利どもを相手にわざわざ術を練るなど、本来の俺ならば有り得ん。だが、この世界に俺の火の意志を刻みつけるには、丁度いい小手調べだ。
巳、未、申、亥、午、寅。
一瞬の狂いもない、高速の結印。胸腔に莫大なチャクラが練り上げられ、肺腑が熱を帯びる。
「……少し、海を踊らせる」
俺は両手を口元に当て、逃げる魔物どもが潜む海面に向けて、一気に息を吹き出した。
「火遁・豪火球の術(かとん・ごうかきゅうのじゅつ)――!!」
ゴォォォォォォッッッ!!!!!
次の瞬間、マダラの口から放たれたのは、一般的な火遁の常識を遥かに超越した、直径数メートルにも及ぶ激しい炎の球体だった。
凄まじい熱波が暴風となって吹き荒れ、船の周囲の海面が一瞬にして激しく沸騰し始める。
ドゴォォォォォンッッ!!!!!
炎の球体が海面へと激突した瞬間、強烈な爆発とともに、周囲の水面が激しく波立った。
逃げようとしていた二体のサハギンも、船底に群がっていた無数のピラニアも、その超高熱の直撃によって一瞬で焼き尽くされ、幻光虫の粒子となって消滅した。
海面からはジュゥゥゥゥ……と凄まじい音が響き、周囲の海水を沸騰させたことで、辺り一面に真っ白で濃い水蒸気が白煙となって立ち上った。
一連の動作において、俺の呼吸は一つも乱れていない。俺はゆっくりと腕を組み、唖然として立ち尽くすリュックを振り返った。
「フン……手応えがなさすぎるな。やはり砂利は砂利か」
「ねえ、今のなに!? 魔法じゃないよね!? 術ってなにさーっ!!」
リュックがようやく正気を取り戻したように頭を抱え、足を踏み鳴らして俺に詰め寄ってきた。彼女の瞳には、恐怖を通り越したアルベド族特有の旺盛な好奇心がぎらぎらと輝いている。
「ファイアなんてレベルじゃないじゃん! 魔石も使わないで、呪文も唱えないで、口から火を吹くなんて絶対にありえないってば! さっき『か・と・ん』って言ったよね!? 一体どういう仕組みなわけ〜っ!?」
「失礼な砂利だな。俺はれっきとした人間だ」
俺はフッと大人の余裕を湛えた笑みを浮かべ、あきれるリュックの頭を大きな手で無造作に、ぽんぽんと叩いた。
「ただのチャクラの行使だ、お前たちの言う魔法とは根本が違う。……ほら、詮索している暇があるなら、お前たちの仕事(サルベージ)を始めろ。傭兵としての最初の役目は果たしたぞ」
「う、う〜っ……教えてくれたっていいじゃん!ケチ!」
リュックは顔を真っ赤にしながらも、その眩いばかりの明るい笑顔を俺に向け、船員たちに向かって元気いっぱいに指示を飛ばし、無事に古代のマキナの部品を引き揚げ終えていた。
サルベージを終え、船底に響く内燃機関の駆動音が、静かになった海原を滑るように揺らしている。
俺は再び船尾の鉄パイプに腰掛け、背中の「うちはの団扇」に腕を預けていた。長い黒髪をなびかせる俺の隣には、大きな真鍮の歯車を大事そうに抱えたリュックが、ちょこんと並んで座っている。
「ねえ、マダラ。次の行き先なんだけど……アタシたちの本当の家、本拠地(ホーム)に向かってるんだ」
「お前たちの本拠地か」
「うん。……でもね、これにはすっごく大事な条件があるの」
リュックは抱えていた歯車を床に置き、俺の漆黒の瞳を覗き込むようにして、声を一段と低くした。その表情には、13歳らしからぬ、民の命を背負う者としての強い緊張感が張り詰めていた。
「アタシたちの本拠地はね、ビーカネル島っていう砂漠の島にあるんだ。……でも、ここはアタシたちアルベド以外の人間には、絶対に秘密にしなきゃいけない場所なの。もしエボンの奴らに場所がバレたら、アタシたちの家も、子供たちも、みんな寺院の僧兵に攻め込まれて滅ぼされちゃうから……。だからマダラ、本当に、本当に誰にも言わないって約束してよね! これ、アタシの仲間みんなの命がかかってるんだからっ!」
エボン寺院から迫害され、理不尽に追われ続けてきたアルベド族の過酷な歴史が、その必死の口止めに重く乗っかっていた。
俺はそんな彼女の言葉を、ただ静かに、達観した余裕をもって聞き届けていた。一族を守るために孤独な戦いを続け、理想の果てに様々な欺瞞を見届けてきたこの俺だ。身内を守るために秘密の聖域を隠し通しようとする彼女たちの痛みが、理解できぬはずがない。
「そう焦るな、小娘。俺はうちはマダラだ。そこらの俗物(砂利)のように、他人の秘密を寺院に売り渡すような真似はせん。約束は守る性質(たち)だと言ったはずだ」
俺は腕を組み、静かに、しかし絶対的な確信を込めて言い放った。
「お前たちが必死に守ろうとしているその聖域、エボンのまやかしに怯えぬための城というなら、俺もその不屈の意志を尊重しよう。案内しろ、ビーカネルへ」
「マダラ……」
リュックはマダラの放つ、自分たちの境遇をすべて察して静かに受け止めてくれた大人の優しさに、完全に救われたような表情を浮かべた。不安の影が消え去り、ひまわりのような明るい笑顔が全面的に咲き誇る。
「うんっ! マダラがそう言ってくれるなら、アタシ、信じるよ! よし、ジク! 船長! 船の進路をビーカネルへ向けてよ! アタシたちのホームへ帰るよっ!」
「わ、わかった! び、ビーカネルエ フゴサセッ!!(わ、わかった! び、ビーカネルへ動かせッ!!)」
操舵室の中で、ジクと船長が弾かれたようにレバーを握り、鉄の船体が大きな波飛沫を上げて旋回し始める。エボンの教えが届かぬ、禁忌の砂漠の島へと向かって、機械船は白い航跡を加速させていった。
隣で「マダラにアタシのお父さんとアニキを紹介してあげる! すっごく賑やかでびっくりするよ!」と元気いっぱいに喋り続けるリュックの姿を眺めながら、俺は再び脳内でスピラの構造を静かに組み立てていく。
(エボンの教えという名の檻を拒絶し、砂漠の最果てに秘密の聖域を作って抗うアルベド族。あるいは、いずれその欺瞞の生贄となる、ビサイドの見習いの娘……。状況は整いつつあるな)
うちはマダラという絶対の破壊者が、この世界のルールを内側から粉々に噛み砕くための進撃が、異端の民との深い絆と共に、禁忌の航路の先で静かに加速していくのだった。
これ結構良い暇潰しになりますね!
皆さんの暇も少しでも潰せたら嬉しいです!