『神のチートで勇往邁進!〜20年後の同窓会に現れた独眼竜は、三度(みたび)恋の火を灯す〜』 作:夜幻
放課後。
いつもの勉強会が始まる少し前。
旭高校の廊下を、一人の少女が歩いていた。
中野一花。
普段なら五つ子たちと一緒に空き教室へ向かう時間だが、今日は少し違っていた。
スマートフォンを片手に、何度も画面を確認している。
「……」
そこには、芸能事務所から届いたメッセージ。
今日の放課後、オーディションを兼ねた打ち合わせがある。
一花が密かに続けている芸能活動。
まだ大きな役をもらったわけではない。
エキストラや小さな仕事。
それでも、一花にとっては大切な一歩だった。
「女優……か」
小さく呟く。
憧れだった。
テレビの向こう側にいる人たち。
映画のスクリーンで誰かの人生を演じる人たち。
自分もいつか、そんな場所へ行きたい。
そう思っていた。
けれど。
今は高校生。
勉強もある。
五つ子としての生活もある。
そして――。
「悠飛くん……」
自然と名前が出てきた。
一花は苦笑する。
「私、何考えてるんだろ」
恋。
勉強。
夢。
どれも大切だった。
だからこそ。
最近の一花は少しだけ悩んでいた。
◇
「一花!」
教室の前で四葉が手を振っていた。
「遅いですよ!」
「ごめん、ごめん」
一花が笑顔を作る。
「ちょっと用事があって」
「芸能関係ですか?」
五月が尋ねる。
「うん」
「今日もですか?」
「そうなの」
一花は笑った。
「ちょっとだけ打ち合わせ」
「大変ですね」
「慣れてるから大丈夫」
「でも、勉強会は?」
三玖が心配そうに聞く。
「もちろん参加するよ」
一花は胸を張る。
「今日は最後までいる」
「良かった」
三玖がほっとした顔をする。
その時。
「一花」
悠飛が声をかけた。
「何?」
「無理してないか?」
「……」
一花の笑顔が一瞬だけ止まった。
「どうして?」
「今日はいつもより疲れて見える」
「……」
まただ。
悠飛は。
こういうところを見逃さない。
「大丈夫だよ」
一花は笑う。
「本当に?」
「うん」
「ならいいけど」
悠飛はそれ以上追及しなかった。
「じゃあ、勉強始めよう」
「うん」
一花は席についた。
しかし。
心臓は少しだけ速くなっていた。
◇
「今日の数学はここまで」
風太郎が問題集を閉じる。
「次は英語」
「えー」
四葉が声を上げる。
「英語苦手です!」
「知ってる」
「ひどい!」
教室に笑い声が広がる。
一花も笑った。
いつもの時間。
いつもの仲間。
それだけで落ち着く。
だが。
一花の頭の片隅には、今日の打ち合わせが残っていた。
「……」
集中しなければ。
そう思えば思うほど。
時計が気になってしまう。
「一花」
悠飛の声。
「ん?」
「さっきから時計見てる」
「……!」
「予定があるなら、今日は早めに切り上げてもいいぞ」
「でも……」
「勉強会は明日もできる」
悠飛は穏やかに言う。
「夢の方は、今日しかないかもしれないだろ」
「……」
一花は目を見開いた。
「悠飛くん……」
「行ってこいよ」
「でも、みんなに迷惑が――」
「そんなことで迷惑だと思う奴はいない」
風太郎が言った。
「俺も同意見だ」
四葉も手を上げる。
「私もです!」
三玖が頷く。
「行ってきていいよ」
五月も微笑む。
「応援しています」
二乃は腕を組んだ。
「ちゃんと夢があるなら、そっちを優先しなさいよ」
「みんな……」
一花の胸が温かくなる。
「ありがとう」
そして。
悠飛を見る。
「……悠飛くん」
「ん?」
「どうしてそんなこと言えるの?」
「何が?」
「夢のこと」
悠飛は少し考えた。
「俺も、自分でやりたいと思ったことを途中で諦めるのは嫌だから」
「……」
「一花が本気なら、応援する」
その言葉は。
何気ないものだった。
けれど。
一花には、とても大きく響いた。
「……そっか」
一花は笑った。
今度の笑顔は。
作ったものではなかった。
「じゃあ、行ってくる」
「おう」
「頑張ってください!」
四葉が手を振る。
一花は教室を出た。
◇
芸能事務所。
一花は指定された部屋の前に立っていた。
「……」
深呼吸。
ドアを開ける。
「失礼します」
「来たね、一花ちゃん」
待っていたのは。
芸能プロダクションの社長、織田だった。
「今日は急に呼んで悪かったね」
「いえ」
「実は、ある作品のオーディションがある」
「オーディション……」
「役は大きくない。だが、君には可能性がある」
一花は真剣な顔になる。
「どんな役ですか?」
「高校生の女の子」
「……」
「普通の女の子だ」
一花は少し考える。
「私に演じられるでしょうか」
織田は笑った。
「君ならできる」
「どうして?」
「君は人の目をよく見ている」
「……」
「相手が何を求めているのか。何を言ってほしいのか。そういうものを自然に感じ取れる」
それは。
悠飛にも言われたことがある。
『人をよく見てる』
「……」
一花は少し笑った。
「分かりました」
「やるか?」
「はい」
即答だった。
「やります」
◇
台本を渡される。
一花はページを開いた。
そこには。
一人の少女が、好きな人に別れを告げる場面が書かれていた。
「……」
胸が締め付けられる。
台詞を読む。
「好きだった」
一花の声が変わる。
普段の明るい声ではない。
少女の声。
「ずっと好きだった。でも……」
目線。
表情。
呼吸。
一花は役に入り込んでいく。
「あなたが幸せになるなら、それでいい」
言い終わった瞬間。
部屋が静かになった。
織田が目を細める。
「……なるほど」
「どうでした?」
「いい」
織田は笑う。
「かなりいい」
一花はほっとする。
「本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「君には一つ問題がある」
「問題?」
「自分の本心を隠しすぎる」
「……」
一花は黙った。
「演技では、それが武器になる」
織田は続ける。
「でも、女優として成長するなら、自分自身の感情も知らなければならない」
「自分の感情……」
「喜びも、怒りも、悲しみも、嫉妬も」
「……」
一花の脳裏に。
悠飛の姿が浮かんだ。
四葉と話している。
六華と話している。
自分に笑いかける。
そのたびに。
嬉しい。
でも。
少しだけ。
他の誰かに向ける笑顔が気になる。
「……」
これも。
演技に使えるのだろうか。
◇
夜。
勉強会はすでに終わっていた。
一花が学校へ戻ると。
校門の前に人影があった。
「……?」
「おかえり」
「悠飛くん?」
悠飛が立っていた。
「どうしてここに?」
「忘れ物を取りに来た」
「あ……」
一花は少し安心した。
「そうなんだ」
「オーディション、どうだった?」
「……」
一花は笑った。
「受けてきたよ」
「どうだった?」
「褒められた」
「それは良かった」
「うん」
一花は歩き始める。
悠飛も並んで歩く。
「役をもらえるかもしれない」
「すごいじゃないか」
「まだ決まってないけどね」
「それでも一歩前進だ」
「……」
一花は横目で悠飛を見る。
「悠飛くん」
「ん?」
「私、女優になれるかな?」
悠飛はすぐには答えなかった。
「なれるかどうかは、俺には分からない」
「……」
一花は少しだけ寂しそうな顔をする。
だが。
悠飛は続けた。
「でも、なりたいって思って努力してるなら、俺は応援する」
「……」
「才能があるかどうかは、やってみなきゃ分からない」
「うん」
「途中で失敗するかもしれない」
「うん」
「それでも続けるなら、いつか形になると思う」
一花は立ち止まった。
「……悠飛くん」
「何?」
「そういうところ」
「?」
「本当にずるい」
「何が?」
「何でもない」
一花は笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
◇
その夜。
一花は自宅の部屋で台本を開いていた。
ベッドに腰掛け。
何度も台詞を読む。
「……」
そして。
ふと。
鏡を見る。
そこに映っているのは。
一人の少女。
五つ子の長女。
高校生。
そして。
女優を目指す少女。
「私は……」
一花は呟く。
「どうなりたいんだろう」
綺麗になりたい。
有名になりたい。
演技が上手くなりたい。
誰かの心を動かす女優になりたい。
そして――。
「悠飛くんに……」
そこで言葉を止める。
頬が赤くなる。
「……もう」
一花は鏡から目を逸らした。
「私、何考えてるの」
だが。
その気持ちは。
確かに存在していた。
◇
翌日。
放課後。
一花はいつもの教室へ向かった。
「おはよう」
「おはようございます!」
四葉が元気に返事をする。
「昨日どうでした?」
「楽しかったよ」
「良かった!」
「オーディションは?」
五月が聞く。
「結果はまだ」
「受かってるといいね」
三玖が言う。
「うん」
二乃も言った。
「一花なら大丈夫でしょ」
「二乃……」
「なによ」
「優しいね」
「うるさい」
一花は笑った。
その時。
悠飛が入ってくる。
「おはよう」
「おはよう、悠飛くん」
「一花」
「ん?」
「昨日のことだけど」
「うん」
「夢があるなら、堂々としてればいい」
「……」
一花は微笑む。
「分かった」
そして。
一花は胸を張った。
「私、女優になる」
その言葉は。
今までよりずっと強かった。
「私は、自分の夢を諦めない」
四葉が拍手する。
「頑張ってください!」
三玖も。
「応援する」
五月も。
「私もです」
二乃も。
「当然でしょ」
六華も。
「……うん」
風太郎は静かに笑った。
「なら、勉強も忘れるなよ」
「もちろん」
一花は答える。
「女優も、勉強も、どっちも頑張る」
悠飛は笑った。
「それでいい」
一花はその笑顔を見つめる。
――この人に。
――いつか。
――自分の演技を見てもらいたい。
そう思った。
それが。
一花にとって新しい目標になった。
◇
数週間後。
一花のもとへ。
一本の電話が入る。
「……はい」
聞こえてきた言葉。
「オーディションの結果ですが――」
一花は息を呑む。
「……はい」
そして。
その顔に。
満面の笑みが広がった。
「ありがとうございます!」
電話を切る。
一花はベッドの上で飛び跳ねた。
「やった……!」
小さな役。
けれど。
初めて正式にもらった役だった。
「私……」
一花は胸に手を当てる。
「女優への一歩を踏み出したんだ」
そして。
真っ先に伝えたいと思った相手の名前を。
自然に口にした。
「悠飛くんに……報告しなきゃ」
恋する少女として。
そして。
夢を追いかける女優として。
中野一花の青春は。
ここから少しずつ。
大きく動き始めていくのだった。