『神のチートで勇往邁進!〜20年後の同窓会に現れた独眼竜は、三度(みたび)恋の火を灯す〜』 作:夜幻
二学期の放課後。
旭高校の廊下には、部活動へ向かう生徒たちの声が響いていた。
そんな喧騒から少し離れた場所にある階段の踊り場で、一人の少女が窓の外を眺めていた。
中野六華。
五つ子の従姉妹であり、悠飛たちと同じ学年、同じ学校に通うクラスメイト。
そして――。
彼女だけが、五つ子たちとは少し違う距離から、悠飛を見つめ続けてきた少女だった。
「……」
六華は手すりに手を置き、夕焼けに染まる校庭を見つめる。
頭の中に浮かぶのは、先日の光景だった。
泣いている四葉。
その四葉に寄り添う悠飛。
「……」
胸の奥が、チクリと痛む。
「嫉妬……してるんだ」
六華は小さく呟いた。
自分でも驚いていた。
四葉に対して怒っているわけではない。
むしろ、四葉が悠飛に支えてもらえたことには安心している。
それでも。
悠飛が自分ではない誰かに優しくする姿を見ると、心がざわつく。
「……嫌だな」
六華は苦笑した。
「私、こんなに独占欲が強かったんだ」
しかし。
その感情から逃げるつもりはなかった。
むしろ。
六華の中で、一つの決意が固まり始めていた。
「……もう、遠くから見ているだけじゃ駄目」
二十年前。
幼い六華は、五つ子たちと一緒に悠飛と遊んでいた。
当時のことは、今では断片的にしか思い出せない。
一花たちも。
悠飛も。
六華自身も。
記憶の大部分を忘れている。
それでも。
不思議と悠飛だけは、心の奥に残っていた。
笑顔。
優しい声。
誰かを守ろうとする姿。
そして。
幼い自分が、少し離れた場所から眺めていた背中。
「……私は」
六華は胸元に手を当てる。
「ずっと、あの背中を見てた」
五つ子たちは、悠飛と直接話すことが多かった。
一花は冗談を言い。
四葉は一緒に武道を楽しみ。
二乃や三玖、五月も、それぞれ悠飛と距離を縮めていった。
けれど。
六華は少し違った。
いつも一歩後ろ。
一歩離れた場所。
「だからこそ……」
六華は目を細めた。
「私だけが知ってる悠飛も、いる」
もちろん。
今の悠飛を誰より知っているわけではない。
それでも。
彼が無理をして笑うとき。
誰かを優先して自分を後回しにするとき。
ほんの少し寂しそうな顔をするとき。
六華には、何となく分かる。
「……なら」
六華は顔を上げた。
「私も、ちゃんと向き合わなきゃ」
◇
「六華?」
突然、後ろから声がした。
「……!」
振り返る。
そこには一花が立っていた。
「こんなところにいたんだ」
「一花……」
「何してるの?」
「少し考え事」
「ふーん」
一花は六華の隣に並ぶ。
「悠飛くんのこと?」
「……」
六華は黙った。
それだけで答えは十分だった。
一花が苦笑する。
「やっぱり」
「一花こそ」
「え?」
「最近、悠飛のことをよく見てる」
「……」
今度は一花が黙る番だった。
「気づいてた?」
「もちろん」
六華は淡々と答える。
「従姉妹だから」
「……そうだね」
二人はしばらく黙って夕焼けを見た。
やがて。
一花が口を開く。
「六華」
「何?」
「悠飛くんのこと、好き?」
「……」
六華は答える。
「好き」
迷いのない声だった。
一花は少し驚いた。
「即答なんだ」
「今までは言えなかった」
「どうして?」
「怖かったから」
「怖い?」
「うん」
六華は視線を落とす。
「五つ子のお姉ちゃんたちと同じ人を好きになるのが」
「……」
「私は従姉妹だから」
「……うん」
「お姉ちゃんたちには、私よりずっと長い時間がある」
「でも」
一花が言う。
「私たちも、全部覚えてるわけじゃない」
「……」
「幼い頃のこと」
一花は遠くを見る。
「私も、悠飛くんのことをちゃんと覚えてない」
「私も」
六華が答える。
「だけど」
六華は拳を握った。
「だからこそ、これから作る思い出は誰にも奪えない」
一花は六華を見る。
「……六華」
「私、決めた」
「何を?」
「もう遠慮しない」
六華はまっすぐ前を見る。
「悠飛に好きだって思ってもらえるように頑張る」
一花は少しだけ笑った。
「そっか」
「うん」
「じゃあ……ライバルだね」
「そうだね」
二人の視線が交差する。
険悪な空気はない。
むしろ。
不思議と清々しかった。
「一花」
「何?」
「私、負けないから」
「ふふ」
一花は笑う。
「私も」
そして二人は。
それぞれの道へ歩き出した。
◇
その日の帰り道。
六華は一人で歩いていた。
スマートフォンを取り出す。
悠飛とのメッセージ履歴。
『明日の勉強会、数学やるぞ』
『了解』
たったそれだけのやり取り。
それでも。
六華は少し笑った。
「……明日」
明日こそ。
少しだけ踏み込もう。
そんなことを考えていた。
すると。
「六華!」
後ろから声がする。
「……?」
振り返る。
悠飛だった。
「悠飛?」
「一人で帰ってたのか」
「うん」
「駅まで一緒に行こう」
「……!」
胸が高鳴る。
「いいの?」
「もちろん」
悠飛は当たり前のように答えた。
二人は並んで歩き始めた。
「今日はどうした?」
「何が?」
「何となく、いつもと雰囲気が違う」
「……分かる?」
「ああ」
「悠飛はそういうところ鋭いよね」
「そうか?」
「うん」
六華は笑う。
「……ねえ」
「ん?」
「悠飛は」
「うん」
「昔のこと、少しずつ思い出してるんだよね?」
「ああ」
「どんなことを思い出したの?」
「七人で遊んでいたこと」
「……」
「小さな公園とか」
「……」
「夏祭りとか」
「……」
「誰かが泣いてたこともあった気がする」
六華の足が止まりそうになる。
「誰かが?」
「ああ」
「……誰?」
「分からない」
悠飛は苦笑する。
「顔が思い出せないんだ」
「そう……」
六華は前を向く。
胸が少し痛い。
「悠飛」
「ん?」
「もし」
六華は慎重に言葉を選ぶ。
「昔の記憶が全部戻ったら」
「うん」
「今の私たちって、変わると思う?」
「……」
悠飛は考え込む。
「分からない」
「そっか」
「でも」
悠飛は続けた。
「変わったとしても」
「……」
「今まで一緒に過ごした時間まで消えるわけじゃない」
六華は目を見開く。
「……そうだね」
「だから、俺は今を大事にしたい」
「……」
六華は笑った。
「悠飛らしい」
「そうか?」
「うん」
六華は心の中で決めた。
――やっぱり、この人が好き。
過去の記憶がどうであろうと。
未来がどうなろうと。
今ここにいる悠飛を好きになった。
それだけは変わらない。
◇
駅前。
「じゃあ、また明日」
悠飛が言う。
「うん」
六華は一度立ち止まった。
「悠飛」
「ん?」
「明日の勉強会」
「うん」
「終わったら……少し時間ある?」
「あると思う」
「じゃあ」
六華は少し緊張しながら笑った。
「一緒に帰らない?」
「もちろん」
「……ありがとう」
六華は笑う。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
悠飛と別れる。
その背中を見ながら。
六華は胸に手を当てた。
「……よし」
これまで。
遠くから見つめているだけだった。
けれど。
もう違う。
「私は」
六華は小さく呟く。
「悠飛の隣に行く」
◇
翌日。
放課後の図書室。
勉強会が始まる。
「今日は数学だ」
風太郎が問題集を開く。
「うえぇ……」
四葉が嫌そうな声を出す。
「昨日も数学だったじゃん」
一花が言う。
「苦手分野を潰すには必要だ」
風太郎は即答する。
「風太郎、厳しいな」
悠飛が笑う。
「お前が甘いんだ」
「そうかな」
「そうだ」
そんな二人の会話を聞きながら。
六華は問題集を開く。
だが。
視線は時々。
悠飛へ向いていた。
「……」
悠飛が問題を解く姿。
真剣な表情。
時折、四葉や一花に教えている。
誰かが分からなければ、丁寧に説明する。
それを見て。
六華は微笑んだ。
――やっぱり。
好き。
そして。
今日。
決めたことを実行する。
◇
勉強会が終わった。
「お疲れ」
風太郎たちが帰っていく。
六華は悠飛のところへ向かった。
「悠飛」
「ん?」
「帰ろう」
「ああ」
二人は図書室を出る。
夕方の校舎。
並んで歩く。
「……」
六華は緊張していた。
何を話そう。
どう切り出そう。
頭の中で何度も考える。
けれど。
「六華」
「ん?」
「今日、何かあった?」
「……」
「さっきから静かだから」
「……ふふ」
六華は笑った。
「やっぱり悠飛には敵わないな」
「何が?」
「何でもない」
そして。
六華は決意する。
「ねえ、悠飛」
「うん」
「今度の休日」
「休日?」
「一緒に出かけない?」
悠飛は少し考えた。
「いいぞ」
「……!」
六華の顔が明るくなる。
「本当に?」
「ああ」
「どこに行きたい?」
「六華が決めていい」
「……」
六華は少し考える。
そして。
「じゃあ」
笑った。
「子供の頃に行った場所に行きたい」
「……」
悠飛の表情が変わった。
「子供の頃?」
「うん」
「何となく」
六華は胸に手を当てる。
「そこなら、何か思い出せそうな気がするから」
悠飛は頷いた。
「分かった」
「ありがとう」
「楽しみにしてる」
「私も」
二人は歩いていく。
その後ろ姿を。
校舎の窓から見ている少女がいた。
「……」
一花だった。
さらに少し離れた場所には。
四葉もいた。
「……六華ちゃん」
二人とも。
何も言わなかった。
ただ。
悠飛の隣へ進み始めた六華を見つめていた。
◇
その夜。
六華は自分の部屋で、一枚の古い写真を机の上に置いた。
そこには。
幼い五つ子。
幼い六華。
そして。
一人の少年。
如月悠飛。
七人が笑っている。
「……」
六華は写真を指でなぞる。
「覚えてる」
全部ではない。
でも。
少しだけ。
幼い日の記憶が蘇る。
『六華ちゃんも一緒に遊ぼう!』
『うん』
『悠飛くん、こっち!』
『待って!』
『みんなで行こう!』
笑い声。
夕焼け。
小さな手。
そして。
幼い悠飛が。
六華に差し出した手。
『大丈夫だよ』
『……うん』
六華の目から。
涙が一粒落ちた。
「……悠飛」
写真を胸に抱く。
「私」
「もう、逃げない」
誰かに譲るつもりもない。
五つ子の従姉妹だからと。
一歩引くつもりもない。
「一花にも」
「四葉にも」
「負けない」
そして。
六華は笑った。
「いつかちゃんと伝える」
――好き。
その一言を。
自分の言葉で。
悠飛本人に。
その決意が。
六華の胸に灯った。
二十年間。
胸の奥で眠っていた恋心が。
今。
ようやく。
少女自身の手で。
未来へ向かって歩き始めた。