『神のチートで勇往邁進!〜20年後の同窓会に現れた独眼竜は、三度(みたび)恋の火を灯す〜』 作:夜幻
日の出祭、最終日。
午後。
旭高校の校舎には、まだ文化祭特有の喧騒が満ちていた。
廊下を歩けば、生徒たちの呼び込みの声。
教室からは笑い声。
体育館からは音楽。
校庭では、最後のイベントに向けて準備をする生徒たち。
誰もが、この高校生活最後の文化祭を楽しもうとしていた。
けれど。
そんな明るい空気の中で。
一人だけ、足を止めている少女がいた。
「……」
中野五月。
その手には、一冊の古いノート。
表紙には、丁寧な字で書かれている。
『教師になるための勉強』
母が残してくれたものだった。
「……お母さん」
五月は、小さく呟く。
自分も。
いつか母のような教師になりたい。
困っている子供たちに寄り添える教師になりたい。
その夢は、五月にとって単なる進路希望ではなかった。
母の背中を追いかけるための。
そして。
母から受け継いだものを守るための。
大切な夢だった。
「五月?」
「……!」
振り返る。
そこには悠飛がいた。
「どうした?」
「悠飛さん……」
「さっきから一人で歩いてるけど」
「……」
五月はノートを胸に抱えた。
「少し、考え事を」
「昨日のこと?」
「それもあります」
五月は苦笑した。
「でも、今日は別のことです」
「何だ?」
「……夢のことです」
「夢?」
「はい」
五月はノートを見つめた。
「私は、教師になりたいんです」
「知ってる」
「……」
「前にも聞いたからな」
悠飛は笑った。
「五月なら、いい先生になれると思う」
「……本当ですか?」
「ああ」
即答だった。
「真面目だし」
「……」
「努力家だし」
「……」
「何より、人のことをちゃんと考えてる」
五月の頬が少し赤くなる。
「ありがとうございます」
「だから」
悠飛は言った。
「頑張れよ」
「……はい!」
その時だった。
「おや」
背後から。
聞き覚えのある声がした。
「ずいぶんと立派な夢を語っていますね」
「……!」
五月の顔が強張る。
悠飛も振り返る。
無堂。
特別講師として招かれた男が。
そこに立っていた。
「無堂さん」
悠飛が警戒する。
「何か用ですか?」
「いえ」
無堂は笑った。
「たまたま通りかかっただけですよ」
「……」
「ですが」
無堂は五月を見る。
「教師になりたい、ですか」
五月は。
少しだけ身構えた。
「はい」
「なるほど」
無堂は。
五月の手元を見る。
「君のお母さんも教師でしたね」
「……!」
五月の表情が変わった。
「ご存じなんですか?」
「もちろん」
無堂は淡々と答える。
「昔から知っています」
「……」
「君たちの母親は」
無堂は。
一瞬だけ目を伏せた。
「非常に優秀な教師でした」
「……ありがとうございます」
五月は答えた。
「だからこそ」
無堂は続ける。
「君には、教師になってほしくない」
「……え?」
五月が。
目を見開く。
「どうしてですか?」
「向いていないからです」
「……」
五月の顔から。
笑顔が消えた。
「私が……教師に向いていない?」
「ええ」
無堂は。
あまりにも簡単に言った。
「君は真面目すぎる」
「……」
「融通が利かない」
「……」
「そして」
無堂は五月を見つめる。
「人を救おうとしすぎる」
「それの何が悪いんですか?」
悠飛が口を挟む。
無堂は悠飛を見る。
「教育者というものは」
「……」
「すべての生徒を救えるわけではありません」
「……」
「救えない生徒もいる」
「……」
「何度教えても理解しない者」
「……」
「努力しない者」
「……」
「反抗する者」
無堂は言葉を重ねていく。
「そういう生徒に時間を使うより、優秀な生徒を伸ばしたほうが効率的です」
五月の表情が。
少しずつ険しくなる。
「……それは」
「?」
「教育ではないと思います」
無堂の眉が。
僅かに動く。
「では、何です?」
「教育は」
五月は。
母のことを思い出す。
「できない人を切り捨てることではありません」
「……」
「できるようになるまで」
五月は。
強く言った。
「一緒に考えることです」
「理想論ですね」
「そうかもしれません」
五月は頷く。
「でも」
「……」
「私は、それを理想論のままにしたくありません」
無堂は。
しばらく五月を見つめていた。
そして。
「……なるほど」
小さく笑った。
「やはり君は」
「……」
「母親に似ています」
その言葉に。
五月の胸が。
少しだけ痛んだ。
「母を知っているんですね」
「ええ」
「だったら」
五月は一歩前へ出た。
「教えてください」
「何を?」
「母は」
五月は。
まっすぐ無堂を見る。
「どんな教師だったんですか?」
無堂は。
一瞬だけ黙った。
「……」
そして。
「優秀でしたよ」
「それだけですか?」
「それ以上、何を聞きたいのです?」
「……」
「彼女は」
無堂は淡々と続ける。
「教師として多くの生徒に慕われていた」
「……」
「しかし」
「?」
「一つだけ」
無堂は言った。
「致命的な欠点がありました」
五月の表情が変わる。
「……欠点?」
「ええ」
「何ですか?」
「優しすぎた」
「……」
「生徒を信じすぎた」
「……」
「誰にでも手を差し伸べようとした」
「……」
「結果として」
無堂の声が。
冷たくなる。
「自分自身を壊した」
「……!」
五月は。
息を呑んだ。
「……嘘です」
「事実です」
「違います」
五月は首を振った。
「母は」
「……」
「そんな人じゃありません」
「君は幼かった」
「……」
「母親のすべてを知っていたわけではない」
「……」
「教師という仕事は」
無堂は。
五月の夢を切り刻むように。
言葉を重ねた。
「君が思っているほど綺麗なものではありません」
「……」
「生徒に裏切られる」
「……」
「保護者から責められる」
「……」
「同僚と衝突する」
「……」
「努力しても結果が出ない」
「……」
「それでも笑わなければならない」
五月の目が。
少しずつ揺れる。
「……」
無堂は。
最後に。
一番残酷な言葉を口にした。
「君には、その覚悟がない」
「……!」
五月の手から。
ノートが落ちた。
――パサッ。
床に落ちたノートが。
ゆっくり開く。
そこには。
幼い五月が書いた文字があった。
『お母さんみたいな先生になる』
「……」
五月は。
動けなかった。
無堂は。
そのノートを見る。
「その夢は」
「……」
「諦めなさい」
悠飛の目が。
鋭くなる。
「無堂さん」
「何です?」
「それ以上言うな」
「なぜです?」
「五月の夢だ」
「だから?」
「他人が勝手に決めることじゃない」
無堂は。
冷たく笑った。
「夢を持つことは自由です」
「……」
「ですが」
無堂は。
悠飛を見る。
「夢を叶えられる人間ばかりではありません」
「……」
「現実を教えることも教育者の役目です」
悠飛は。
静かに答えた。
「違う」
「……」
「夢を諦めさせることが教育じゃない」
無堂の顔から。
笑みが消えた。
「では、何が教育だと?」
「本人に考えさせることだ」
「……」
「本人が失敗して」
「……」
「悩んで」
「……」
「それでも挑戦したいと思ったなら」
悠飛は。
五月を見る。
「その背中を押してやることだ」
「……」
「夢を諦めるかどうか」
悠飛は。
無堂を睨む。
「それを決めるのは本人だ」
「……」
「あなたじゃない」
沈黙。
無堂は。
しばらく悠飛を見つめていた。
そして。
低く笑った。
「……君は本当に」
「……」
「教育というものを何も分かっていない」
「そうかもな」
悠飛は。
一歩も引かなかった。
「でも」
「……」
「人の夢を踏みにじって喜ぶ教師だけにはなりたくない」
その言葉に。
五月の目から。
涙がこぼれた。
「……悠飛さん」
「五月」
悠飛は。
床に落ちたノートを拾い上げた。
そして。
五月へ差し出す。
「ほら」
「……」
「夢は夢だ」
「……」
「持ってていい」
五月は。
震える手でノートを受け取った。
「……はい」
◇
「五月!」
遠くから。
四葉の声。
一花。
二乃。
三玖。
六華。
莉々華も。
こちらへ走ってくる。
「どうしたの?」
一花が尋ねる。
五月は。
涙を拭った。
「……何でもありません」
「何でもない顔じゃないよ」
二乃が言う。
「誰かに何か言われた?」
「……」
五月は。
無堂を見る。
そして。
小さく頷いた。
「夢を」
「……」
「教師になるという夢を」
五月は。
ノートを胸に抱いた。
「諦めろと言われました」
「……!」
四葉が驚く。
「そんな……」
二乃の目が。
怒りに変わる。
「誰よ、そんなこと言ったの」
「……」
「まさか」
一花が。
無堂を見る。
「あなた?」
無堂は。
答えなかった。
その沈黙だけで。
十分だった。
「ふざけないで」
二乃が怒る。
「五月の夢を」
「……」
「勝手に否定するなんて」
三玖も。
「最低」
六華は。
五月の手を握った。
「五月」
「……」
「夢は」
六華は。
優しく言う。
「自分で決めていいんだよ」
「……六華」
莉々華も。
「そうだよ」
「……」
「私なら」
莉々華は。
笑う。
「そんなこと言われたら、逆に絶対叶えてやるって思うけどな」
四葉が。
「私もです!」
「……」
「五月なら」
四葉は。
胸を張る。
「絶対に素敵な先生になれます!」
一花も。
「うん」
「……」
「私たちが保証する」
三玖。
「私も」
二乃。
「当然でしょ」
五月は。
五人を見た。
涙が。
またこぼれる。
「……みんな」
◇
悠飛は。
無堂の前に立っていた。
「無堂さん」
「何です?」
「一つ聞きたい」
「どうぞ」
「あなたは」
悠飛は。
冷静に尋ねる。
「本当に教師になりたい人間に、夢を諦めさせることが教育だと思っているんですか?」
無堂は。
「当然です」
即答した。
「教師は理想だけでは務まりません」
「それは分かる」
「では」
「でも」
悠飛は。
続ける。
「現実を教えることと」
「……」
「夢を壊すことは違う」
「……」
「あなたは」
悠飛は。
無堂を見据える。
「夢を壊しているだけだ」
無堂の目が。
冷たく光った。
「君は」
「……」
「私を批判する資格があると?」
「あるかどうかは知らない」
悠飛は。
答えた。
「でも」
「……」
「間違っていると思ったことを、間違っていると言うくらいはできる」
「……」
無堂は。
しばらく黙っていた。
やがて。
「覚えておきなさい」
「……」
「正義感の強い人間ほど」
「……」
「自分が正しいと思い込んだ瞬間に」
無堂は。
悠飛の右目を見た。
「最も大きな過ちを犯します」
悠飛は。
その言葉を聞き流した。
「それなら」
「……」
「俺が間違っていたら、その時に認める」
「……」
「でも」
悠飛は。
一歩前へ出る。
「今は」
「……」
「あなたが間違っている」
無堂は。
何も答えなかった。
そのまま。
悠飛たちの横を通り過ぎる。
「……」
無堂が去ったあと。
五月は。
長い間黙っていた。
◇
やがて。
五月が口を開く。
「……悠飛さん」
「ん?」
「私」
「うん」
「怖かったです」
「……」
「本当に」
五月は。
胸の前でノートを握る。
「私が教師になりたいと思っていることが」
「……」
「間違いなのかもしれないって」
「……」
「急に分からなくなりました」
悠飛は。
何も言わず。
五月の言葉を待った。
「でも」
五月は。
顔を上げる。
「皆さんが」
五つ子を見る。
「私の夢を否定しなかった」
「……」
「それだけで」
五月は。
涙を拭った。
「もう一度、頑張ろうと思えました」
悠飛は。
微笑んだ。
「なら」
「……」
「それで十分だ」
「はい」
五月は。
強く頷いた。
「私」
ノートを開く。
最初のページ。
幼い自分の字。
『お母さんみたいな先生になる』
五月は。
その文字を指でなぞった。
「この夢は」
「……」
「私が決めた夢です」
そして。
顔を上げる。
「誰にも奪わせません」
一花が笑った。
「それでこそ五月」
二乃。
「そうよ」
三玖。
「格好いい」
四葉。
「最高です!」
六華。
「うん」
莉々華。
「その顔のほうがずっといいよ」
五月は。
少し照れながら笑った。
「ありがとうございます」
◇
その日の夕方。
職員室。
無堂は。
文化祭の資料を整理していた。
そこへ。
学校側の教師が入ってくる。
「無堂先生」
「何でしょう?」
「先ほどの件ですが」
「……」
「中野さんへの発言について」
無堂は。
顔を上げた。
「何か?」
「生徒の夢を否定するような発言は」
「教育的な指導です」
「しかし」
教師は。
困ったように言う。
「本校の教育方針とは――」
「教育方針?」
無堂は。
薄く笑った。
「そんなものに何の意味があります?」
「……」
「生徒を社会に送り出すなら」
無堂は。
淡々と言う。
「綺麗事ではなく現実を教えるべきでしょう」
「ですが――」
「それに」
無堂は。
机の上の資料を見る。
「私は結果を出してきた」
「……」
「問題児を退学させ」
「……」
「成績上位者を有名校へ進学させ」
「……」
「学校の評価を上げた」
教師は。
黙った。
「それを」
無堂は。
笑う。
「誰が否定できるのです?」
◇
その会話を。
廊下で聞いていた人物がいた。
風太郎だった。
「……」
拳を握る。
――問題児を退学させる。
――成績上位者を伸ばす。
――結果を出す。
それは。
教育ではない。
少なくとも。
風太郎はそう思った。
「……あいつ」
風太郎は。
職員室を離れる。
そして。
廊下の先に。
悠飛が立っていた。
「聞いてたか?」
「少しな」
「どう思う?」
悠飛は。
静かに答える。
「やっぱり」
「……」
「無堂は、教師になるべき人間じゃない」
風太郎も。
頷く。
「俺もそう思う」
「でも」
悠飛は。
無堂の去っていった方向を見る。
「それを証明するには」
「……」
「感情じゃなく、事実が必要だ」
風太郎は。
少し笑った。
「そう言うと思った」
「風太郎」
「何だ?」
「調べられるか?」
「無堂の過去?」
「ああ」
風太郎は。
眼鏡を押し上げる。
「任せろ」
「助かる」
「ただし」
風太郎は。
悠飛を見る。
「お前も無茶するな」
「分かってる」
「本当か?」
「……多分」
「信用できないな」
二人は。
顔を見合わせ。
苦笑した。
◇
その頃。
校庭では。
五つ子たちが最後の文化祭を楽しんでいた。
「見てください!」
四葉が。
大きな風船を抱えて走ってくる。
「こんなのもらいました!」
「四葉、走ると危ないよ」
五月が笑う。
「大丈夫です!」
「転ぶわよ」
二乃が言った瞬間。
「わっ!」
四葉がつまずく。
「ほら言ったでしょ!」
「えへへ……」
「まったく」
一花が笑う。
三玖も。
「四葉らしい」
六華。
「楽しそう」
莉々華。
「最後まで全力だね」
少し離れた場所で。
悠飛は。
その光景を見ていた。
「……」
五月が。
こちらに気づく。
「悠飛さん」
「ん?」
「先ほどは」
「……」
「ありがとうございました」
「気にするな」
「でも」
五月は。
微笑む。
「私は忘れません」
「……」
「いつか」
「?」
「本当に教師になれたら」
五月は。
少し照れながら言った。
「悠飛さんにも」
「……」
「私の授業を受けてもらいたいです」
悠飛は。
笑った。
「その時は」
「はい」
「一番後ろの席で寝る」
「なっ……!」
五月が。
驚く。
「それは駄目です!」
「冗談だよ」
「もう!」
五つ子たちが。
一斉に笑った。
◇
夕暮れ。
日の出祭最後のイベント。
キャンドルの灯りが。
校庭を埋め尽くしていく。
その中で。
五月は。
母のノートを胸に抱いていた。
もう。
迷っていない。
教師になる。
母のような教師になる。
その夢が。
今まで以上に強くなった。
そして。
それを支えてくれる家族と。
友人たちがいる。
「……」
五月は。
空を見上げる。
「お母さん」
小さく呟く。
「私」
「……」
「頑張るね」
その横で。
悠飛が空を見ていた。
二人は。
何も言わなかった。
ただ。
同じ夕焼けを見ていた。
しかし。
校舎の陰では。
無堂が二人を見つめていた。
「……」
その手には。
一枚の書類。
そこには。
無堂の過去の勤務記録が記されている。
複数の学校。
複数の問題。
そして。
一つの重大な事件。
無堂は。
その書類を破り捨てた。
「……如月悠飛」
静かに呟く。
「君は」
「……」
「本当に邪魔ですね」
風が吹く。
破られた紙が。
宙を舞う。
その一枚には。
かつて無堂が担当した生徒についての記録があった。
『精神的圧力による不登校』
そして。
もう一枚。
『保護者からの苦情』
さらに。
『学校側からの厳重注意』
それでも。
無堂は教師を続けていた。
「……」
誰も知らない。
無堂には。
まだ表に出ていない過去があることを。
そして。
その過去こそが。
やがて。
彼が教師として不適格だと証明される決定的な証拠になることを。
◇
夜。
文化祭終了。
生徒たちが帰路につく。
五つ子。
六華。
莉々華。
悠飛。
風太郎。
それぞれが。
校門の前に集まっていた。
「終わっちゃいましたね」
四葉が。
少し寂しそうに言う。
「うん」
一花も。
「高校最後の文化祭かぁ」
二乃。
「寂しいわね」
三玖。
「……楽しかった」
五月。
「はい」
六華。
「最高だった」
莉々華。
「私も!」
悠飛は。
みんなを見る。
「……」
この時間を。
忘れたくない。
そう思った。
「じゃあ」
悠飛が言う。
「また明日」
「明日?」
四葉が笑う。
「普通に学校ありますよ!」
「そうだった」
全員が笑った。
けれど。
誰も知らない。
この「また明日」が。
今までと同じ意味ではなくなることを。
日の出祭が終わった翌日。
悠飛の人生を大きく変える事件が。
待ち受けている。
そして。
その事件の先に。
彼の右目を奪う悲劇と。
一人の少女たちを守るために立ち上がる。
『独眼竜』
誕生の瞬間が。
静かに迫っていた。