『神のチートで勇往邁進!〜20年後の同窓会に現れた独眼竜は、三度(みたび)恋の火を灯す〜』   作:夜幻

66 / 90
第65話「五月の夢を守る者」

日の出祭が終わった翌朝。

 

旭高校は、いつもの学校へ戻っていた。

 

昨日まで廊下を埋め尽くしていた装飾は撤去され、教室の机も元の配置へ戻されている。

 

校庭に残っていた屋台も片付けられ、体育館から聞こえていた音楽もない。

 

文化祭という大きな祭りが終われば、学校は何事もなかったかのように日常へ戻っていく。

 

けれど。

 

中野五月にとっては、昨日までとは何かが違っていた。

 

「……」

 

朝の教室。

 

五月は自分の机に座り、一冊のノートを開いていた。

 

昨日、無堂から「諦めろ」と言われた夢。

 

教師になるという夢。

 

母のような教師になるという夢。

 

一度は心が折れかけた。

 

それでも。

 

今は違う。

 

「……」

 

五月はノートの一ページ目を見つめる。

 

そこには幼い頃の自分が書いた文字が残っている。

 

『お母さんみたいな先生になりたい』

 

拙い文字。

 

少し歪んだ線。

 

それでも。

 

そこには確かな想いがあった。

 

「……私は」

 

五月は小さく呟く。

 

「この夢を諦めません」

 

「何を?」

 

「ひゃっ!」

 

突然、後ろから声をかけられた。

 

五月が振り返る。

 

「悠飛さん……」

 

「おはよう」

 

「お、おはようございます」

 

悠飛は五月の机の横に立った。

 

「朝から何か決意してたみたいだけど」

 

「聞いていたんですか?」

 

「少しだけ」

 

「……恥ずかしいです」

 

五月は顔を赤くする。

 

悠飛は笑った。

 

「別に恥ずかしがることじゃないだろ」

 

「でも……」

 

「夢を口にできるって、結構大事なことだと思うぞ」

 

「……」

 

五月は悠飛を見る。

 

「悠飛さんは」

 

「ん?」

 

「夢ってありますか?」

 

「俺?」

 

「はい」

 

悠飛は少し考える。

 

「昔はあった」

 

「昔?」

 

「ああ」

 

「今は?」

 

「……」

 

悠飛は窓の外を見る。

 

「今は、守りたいものがある」

 

「守りたいもの?」

 

「家族とか、友達とか」

 

「……」

 

「そういう人たちが笑っていられる場所を守れたら、それでいい」

 

五月は。

 

その言葉を聞いて。

 

少しだけ笑った。

 

「悠飛さんらしいですね」

 

「そうか?」

 

「はい」

 

五月はノートを閉じた。

 

「私も」

 

「?」

 

「教師になったら」

 

「……」

 

「生徒たちが笑っていられる場所を作れる先生になりたいです」

 

悠飛は頷いた。

 

「きっとなれる」

 

「……」

 

「五月なら」

 

「ありがとうございます」

 

その時。

 

教室のドアが開いた。

 

「おはよー!」

 

四葉だった。

 

「って、二人とも朝から何してるんですか?」

 

「何でもないわよ」

 

五月が答える。

 

「本当ですか?」

 

「本当です」

 

「怪しいです!」

 

「四葉」

 

一花が後ろから現れた。

 

「朝から騒がないの」

 

「一花!」

 

「おはよう、悠飛くん」

 

「ああ、おはよう」

 

続いて。

 

二乃。

 

三玖。

 

そして。

 

六華。

 

「おはよう」

 

「おはよう、六華」

 

「……」

 

六華は五月の机の上にあるノートを見る。

 

「またそれ読んでたの?」

 

「はい」

 

「先生になる夢?」

 

「そうです」

 

「……」

 

六華は少しだけ微笑む。

 

「五月らしいね」

 

「ありがとうございます」

 

そこへ莉々華もやって来た。

 

「おはよう!」

 

「莉々華、おはよう」

 

「みんな早いね」

 

「今日は珍しく遅刻してませんね」

 

五月が言う。

 

「ひどい!」

 

教室に笑い声が響く。

 

昨日までの文化祭の余韻。

 

それがまだ残っていた。

 

しかし。

 

そんな穏やかな時間は長く続かなかった。

 

「中野五月さん」

 

教室の入口から声がした。

 

全員が振り返る。

 

そこに立っていたのは。

 

学校の教師だった。

 

「少し職員室まで来てもらえますか?」

 

「……私ですか?」

 

「はい」

 

五月は首を傾げる。

 

「何かあったのでしょうか?」

 

「進路について、少し話があります」

 

「……進路」

 

五月の表情が固まった。

 

一花たちも顔を見合わせる。

 

「分かりました」

 

五月は立ち上がった。

 

「行ってきます」

 

「五月」

 

二乃が心配そうにする。

 

「大丈夫」

 

五月は笑った。

 

「すぐ戻ってきます」

 

 

職員室。

 

「失礼します」

 

五月が入る。

 

そこには。

 

数人の教師が集まっていた。

 

「中野さん」

 

担任が言う。

 

「座ってください」

 

「はい」

 

五月が席につく。

 

教師の一人が。

 

少し言いにくそうに口を開いた。

 

「昨日のことなんですが」

 

「昨日?」

 

「無堂先生との件です」

 

五月の表情が曇る。

 

「……はい」

 

「あなたが教師を目指していることについて」

 

「……」

 

「無堂先生から話を聞きました」

 

五月は黙っている。

 

「率直に言います」

 

教師は続けた。

 

「教師という仕事は、あなたが考えているより厳しい世界です」

 

「……分かっています」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

五月は頷いた。

 

「母も教師でしたから」

 

「ですが」

 

教師は。

 

少し困ったような顔をする。

 

「あなたには向いていないという意見もあります」

 

「……」

 

五月の胸が。

 

ズキッと痛んだ。

 

「無堂先生は」

 

「……」

 

「あなたは理想論に偏りすぎていると」

 

五月は唇を噛んだ。

 

「……そうですか」

 

「今なら、まだ進路を変更できます」

 

「……」

 

「大学も、教師になるためのところだけではありません」

 

「……」

 

「あなたは成績も悪くない」

 

「……」

 

「もっと別の道を――」

 

「先生」

 

五月が。

 

静かに口を開いた。

 

「私は」

 

「……」

 

「教師になりたいです」

 

「中野さん」

 

「もちろん」

 

五月は続ける。

 

「私が未熟なのは分かっています」

 

「……」

 

「教師になったこともありません」

 

「……」

 

「だから」

 

五月は。

 

自分の手を握った。

 

「これから勉強します」

 

「……」

 

「経験も積みます」

 

「……」

 

「失敗するかもしれません」

 

「……」

 

「それでも」

 

五月は顔を上げた。

 

「挑戦したいです」

 

職員室が静かになる。

 

「……そうですか」

 

教師は。

 

少し考え込んだ。

 

「分かりました」

 

「……」

 

「今日は、それだけです」

 

五月は立ち上がる。

 

「ありがとうございました」

 

頭を下げる。

 

そして。

 

職員室を出た。

 

 

廊下。

 

五月は歩いていた。

 

「……」

 

大丈夫。

 

そう思っている。

 

昨日より。

 

ずっと強くなった。

 

それでも。

 

胸の奥には。

 

小さな不安が残っていた。

 

――本当に私は教師になれるのだろうか。

 

――母のようになれるのだろうか。

 

――自分は誰かを導けるのだろうか。

 

考えれば考えるほど。

 

足取りが重くなる。

 

「五月」

 

「……!」

 

声。

 

振り返る。

 

悠飛だった。

 

「どうだった?」

 

「……」

 

五月は。

 

少しだけ笑った。

 

「大丈夫です」

 

「本当か?」

 

「はい」

 

「ならいい」

 

「……」

 

悠飛は五月の顔を見る。

 

「でも」

 

「?」

 

「無理して笑う必要はないぞ」

 

「……」

 

五月は。

 

目を伏せた。

 

「悠飛さん」

 

「ん?」

 

「私」

 

「……」

 

「怖いです」

 

「……」

 

「夢を持つことは、こんなに怖いことなんですね」

 

悠飛は。

 

何も言わず。

 

五月の隣に立った。

 

「……」

 

しばらく二人は。

 

廊下の窓から外を見ていた。

 

「五月」

 

「はい」

 

「夢を持つことが怖いなら」

 

「……」

 

「怖いままでいいんじゃないか?」

 

「え?」

 

「怖くない人間なんていない」

 

「……」

 

「大事なのは」

 

悠飛は。

 

静かに言った。

 

「怖くても進むことだ」

 

「……」

 

「それが勇気だと思う」

 

五月は。

 

その言葉を胸に刻む。

 

「……ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 

その日の放課後。

 

図書室。

 

五月は一人で勉強していた。

 

教師になるための参考書。

 

教育心理学。

 

現代文。

 

数学。

 

英語。

 

そして。

 

教育法。

 

まだ高校生の自分には難しい内容も多い。

 

それでも。

 

ページをめくる。

 

「……」

 

一時間。

 

二時間。

 

時間が過ぎる。

 

「五月」

 

「……?」

 

顔を上げる。

 

そこには六華がいた。

 

「六華」

 

「まだ勉強してたんだ」

 

「はい」

 

「頑張るね」

 

「夢ですから」

 

五月は笑う。

 

六華は。

 

向かいの席に座った。

 

「私も手伝おうか?」

 

「大丈夫ですよ」

 

「でも」

 

「……」

 

「一人でやるより、誰かとやったほうが楽しいでしょ」

 

五月は。

 

少し考えて。

 

「では」

 

参考書を差し出した。

 

「この問題をお願いします」

 

「え?」

 

「ここがよく分からなくて」

 

「……」

 

六華は問題を見る。

 

「これ?」

 

「はい」

 

「ちょっと待って」

 

二人は。

 

一緒に参考書を覗き込んだ。

 

しばらくして。

 

「あ」

 

六華が言う。

 

「これ、こうじゃない?」

 

「……!」

 

五月の目が輝く。

 

「なるほど!」

 

「分かった?」

 

「はい!」

 

「よかった」

 

五月は。

 

嬉しそうに笑った。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 

図書室の外。

 

その様子を。

 

悠飛が見ていた。

 

「……」

 

隣には風太郎。

 

「入らないのか?」

 

「二人で頑張ってるみたいだから」

 

「そうか」

 

風太郎は。

 

少し笑う。

 

「五月も変わったな」

 

「そうだな」

 

「前なら」

 

風太郎が言う。

 

「誰かに否定されたら、もっと悩んでたと思う」

 

「……」

 

「でも今は違う」

 

「うん」

 

「お前の影響かもな」

 

「俺?」

 

「ああ」

 

「そんな大したことしてない」

 

風太郎は。

 

首を振る。

 

「いや」

 

「……」

 

「お前は、人の夢を笑わない」

 

「……」

 

「それって意外と難しいことだぞ」

 

悠飛は。

 

図書室を見る。

 

「俺は」

 

「……」

 

「五月が教師になりたいって言うなら」

 

「……」

 

「応援するだけだ」

 

「それで十分なんだろうな」

 

風太郎は。

 

そう言った。

 

 

数日後。

 

昼休み。

 

五月は。

 

教室で進路資料を読んでいた。

 

「五月!」

 

四葉がやって来る。

 

「何読んでるんですか?」

 

「大学の資料です」

 

「大学!」

 

「はい」

 

「教師になるための?」

 

「そうです」

 

四葉が。

 

横から覗き込む。

 

「難しそうです!」

 

「簡単ではありません」

 

二乃もやって来る。

 

「また進路?」

 

「はい」

 

「真面目ねえ」

 

三玖。

 

「五月らしい」

 

一花も。

 

「頑張ってるね」

 

六華が。

 

「でも」

 

「?」

 

「ちょっと疲れてない?」

 

五月は。

 

一瞬黙った。

 

「……少しだけ」

 

「やっぱり」

 

二乃が言う。

 

「勉強ばっかりじゃ駄目よ」

 

「そうですよ!」

 

四葉が手を上げる。

 

「今日は遊びましょう!」

 

「授業中よ」

 

一花が突っ込む。

 

「放課後です!」

 

「はいはい」

 

五人が笑う。

 

その光景を見て。

 

五月も笑った。

 

「……そうですね」

 

 

放課後。

 

全員で帰る途中。

 

商店街。

 

五月が。

 

ふと足を止めた。

 

「……」

 

店先に。

 

小さな子供たちがいた。

 

近くの塾の前。

 

一人の男の子が。

 

問題集を抱えて泣いている。

 

「どうしたの?」

 

五月が近づく。

 

「……分かんない」

 

「この問題ですか?」

 

「うん」

 

五月は。

 

しゃがみ込む。

 

「じゃあ、一緒に考えましょう」

 

「……」

 

「答えを教えるだけではなく」

 

五月は。

 

問題を見ながら。

 

「どうしてこうなるのか、一つずつ考えてみましょう」

 

男の子は。

 

少しずつ顔を上げる。

 

「……分かるかな」

 

「大丈夫です」

 

五月は。

 

優しく笑った。

 

「私も一緒に考えます」

 

少し離れたところから。

 

悠飛たちが見ていた。

 

「……」

 

一花が。

 

小さく笑う。

 

「もう先生みたい」

 

二乃も。

 

「確かに」

 

三玖。

 

「似合ってる」

 

四葉。

 

「五月先生!」

 

「まだ先生ではありません!」

 

五月が慌てる。

 

六華が笑う。

 

莉々華も。

 

「でも、本当に向いてると思う」

 

五月は。

 

照れながら。

 

男の子の問題を解いていく。

 

やがて。

 

「……あ!」

 

男の子が声を上げる。

 

「分かった!」

 

「本当ですか?」

 

「うん!」

 

「よかったですね」

 

男の子が笑う。

 

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 

「どういたしまして」

 

男の子が走っていく。

 

五月は。

 

その後ろ姿を見つめた。

 

「……」

 

悠飛が近づく。

 

「どうした?」

 

「嬉しいです」

 

「何が?」

 

「誰かの『分かった』を聞けたことが」

 

「……」

 

五月は。

 

胸に手を当てる。

 

「母も」

 

「……」

 

「こんな気持ちだったんでしょうか」

 

悠飛は。

 

少し笑った。

 

「きっとそうだろ」

 

「……」

 

「だから」

 

「はい」

 

「もっと頑張ればいい」

 

五月は。

 

力強く頷いた。

 

 

しかし。

 

その翌日。

 

学校に一通の電話が入った。

 

職員室。

 

「……」

 

教師たちが。

 

険しい顔をしている。

 

電話の相手は。

 

五月の進路について。

 

ある苦情を申し立てていた。

 

「中野五月さんは」

 

電話口の声。

 

「教師になるべきではありません」

 

「……」

 

「本人のためにも」

 

「……」

 

「進路を考え直すよう指導してください」

 

教師は。

 

困惑した表情を浮かべる。

 

「しかし」

 

「……」

 

「それは本人が決めることで――」

 

電話は。

 

そこで切れた。

 

教師は。

 

受話器を置く。

 

「……」

 

その場に。

 

無堂が入ってくる。

 

「何かありましたか?」

 

「……無堂先生」

 

教師は。

 

少し警戒した。

 

「中野さんの進路について苦情が」

 

「そうですか」

 

無堂は。

 

平然としている。

 

「誰からです?」

 

「匿名です」

 

「なるほど」

 

無堂は。

 

それ以上何も言わない。

 

だが。

 

その口元には。

 

ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。

 

 

放課後。

 

五月は。

 

また図書室へ向かっていた。

 

「……」

 

しかし。

 

廊下で。

 

担任に呼び止められる。

 

「中野さん」

 

「はい」

 

「少し話があります」

 

「……」

 

嫌な予感。

 

「何でしょう?」

 

「あなたの進路について」

 

「……」

 

また。

 

その話だった。

 

「最近、あなたの進路について学校に意見が来ています」

 

「……意見?」

 

「教師になるのは考え直したほうがいい、と」

 

五月の顔が。

 

曇る。

 

「……誰が?」

 

「分かりません」

 

「……」

 

「ですが」

 

教師は。

 

真剣に言った。

 

「私はあなたの意思を尊重したいと思っています」

 

「……先生」

 

「だから」

 

「……」

 

「焦らず考えてください」

 

「はい」

 

五月は。

 

頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 

その日の夕方。

 

校門。

 

五月は。

 

一人で立っていた。

 

「……」

 

空を見上げる。

 

また。

 

不安が襲ってくる。

 

夢を持つ。

 

それだけなのに。

 

どうして。

 

こんなに邪魔が入るのだろう。

 

「五月」

 

「……!」

 

悠飛だった。

 

「また一人か」

 

「……はい」

 

「何かあった?」

 

「……」

 

五月は。

 

少し迷ったあと。

 

すべてを話した。

 

「匿名の苦情?」

 

「はい」

 

「教師になるなって?」

 

「……」

 

悠飛の目が。

 

鋭くなる。

 

「偶然だと思うか?」

 

五月は。

 

首を横に振った。

 

「……分かりません」

 

「俺は」

 

悠飛は。

 

静かに言う。

 

「偶然じゃないと思う」

 

「……」

 

「無堂が関わってる可能性がある」

 

「でも」

 

「証拠はない」

 

「……」

 

「だから今は、決めつけない」

 

五月は。

 

少し安心したように息を吐いた。

 

「悠飛さん」

 

「ん?」

 

「もし」

 

「……」

 

「私が教師になることを諦めたら」

 

悠飛の表情が。

 

変わった。

 

「五月」

 

「……」

 

「それは」

 

「……」

 

「五月自身が諦めた時だけでいい」

 

「……!」

 

「誰かに諦めさせられる必要はない」

 

五月の目に。

 

涙が浮かぶ。

 

「……はい」

 

「それに」

 

悠飛は。

 

笑う。

 

「俺は応援する」

 

「……」

 

「一花も」

 

「……」

 

「二乃も」

 

「……」

 

「三玖も」

 

「……」

 

「四葉も」

 

「……」

 

「六華も莉々華も」

 

「……」

 

「風太郎だって」

 

五月は。

 

思わず笑った。

 

「みんな……」

 

「そうだ」

 

「……」

 

「だから」

 

悠飛は。

 

五月に手を差し出す。

 

「一緒に進もう」

 

五月は。

 

その手を見る。

 

そして。

 

ゆっくり握った。

 

「はい」

 

その瞬間。

 

五月の中で。

 

何かが変わった。

 

教師になる。

 

その夢は。

 

もう。

 

自分一人の夢ではない。

 

応援してくれる人たちがいる。

 

支えてくれる人たちがいる。

 

だから。

 

どんな言葉を浴びせられても。

 

諦めない。

 

 

その夜。

 

中野家。

 

五つ子は。

 

リビングに集まっていた。

 

「五月」

 

一花が言う。

 

「今日はどうだった?」

 

「……」

 

五月は。

 

今日の出来事を話した。

 

「匿名の苦情?」

 

二乃の顔が険しくなる。

 

「ふざけてる」

 

「誰がそんなことを」

 

三玖も。

 

「……許せない」

 

四葉は。

 

拳を握る。

 

「五月の夢を邪魔する人は、私が説得します!」

 

「四葉」

 

「はい?」

 

「暴力は駄目ですよ」

 

「してません!」

 

「まだね」

 

一花が笑う。

 

「でも」

 

六華が。

 

静かに言った。

 

「誰が何を言っても」

 

「……」

 

「五月が教師になりたいって気持ちは」

 

「……」

 

「変わらないんだよね?」

 

五月は。

 

頷いた。

 

「はい」

 

「なら」

 

六華は笑う。

 

「大丈夫」

 

「……」

 

「夢を守るのは」

 

「……」

 

「本人だけじゃないから」

 

五月は。

 

五人の姉妹を見る。

 

そして。

 

少し離れた場所にいる六華を見る。

 

「……ありがとう」

 

 

同じ頃。

 

悠飛は。

 

自宅の書斎にいた。

 

机の上には。

 

無堂について調べた資料。

 

風太郎から送られてきたものだ。

 

「……」

 

過去の勤務先。

 

退職理由。

 

生徒からの苦情。

 

保護者からの抗議。

 

しかし。

 

決定的な証拠はまだない。

 

「……」

 

悠飛は。

 

一枚の資料を手に取る。

 

その資料の隅。

 

小さく書かれた名前。

 

『中野零奈』

 

「……」

 

五つ子の母。

 

無堂と。

 

過去に何らかの関係があった可能性。

 

そして。

 

そこから繋がる一つの記録。

 

『転校生・如月悠飛』

 

悠飛の手が止まった。

 

「……俺?」

 

さらに。

 

資料を読む。

 

幼い頃。

 

悠飛が転校した学校。

 

そこには。

 

五つ子。

 

六華。

 

そして。

 

莉々華の名前。

 

「……」

 

幼い頃の記憶。

 

思い出せない。

 

何かが。

 

自分の記憶から抜け落ちている。

 

「無堂は」

 

悠飛は。

 

呟く。

 

「俺のことも知ってるのか?」

 

その瞬間。

 

電話が鳴った。

 

「……!」

 

悠飛が取る。

 

『如月か』

 

風太郎だった。

 

「どうした?」

 

『無堂について、新しい情報が出た』

 

「何?」

 

『あいつが昔勤めていた学校で』

 

「……」

 

『一人の生徒が、教師からの指導を苦にして不登校になった』

 

「……」

 

『その教師が無堂だ』

 

悠飛の表情が。

 

険しくなる。

 

「証拠は?」

 

『まだ調べている』

 

「分かった」

 

『それと』

 

「何だ?」

 

『その生徒の名前が』

 

「……」

 

『中野零奈と関係している可能性がある』

 

「……!」

 

電話の向こうで。

 

風太郎が息を呑む。

 

『俺も詳しく調べる』

 

「ああ」

 

悠飛は。

 

電話を切った。

 

「……」

 

窓の外。

 

夜空。

 

その向こうに。

 

何かがある。

 

無堂は。

 

五つ子の実父。

 

五月の夢を否定する男。

 

そして。

 

悠飛自身の過去にも関わっている可能性がある。

 

「……」

 

悠飛は。

 

右目に触れる。

 

まだ何も知らない。

 

だが。

 

もう。

 

逃げるつもりはなかった。

 

 

翌朝。

 

五月は。

 

いつもより早く学校へ来ていた。

 

教室には。

 

まだ誰もいない。

 

五月は。

 

黒板の前に立つ。

 

そして。

 

チョークを手に取った。

 

黒板に。

 

一文字。

 

『夢』

 

続いて。

 

『教師』

 

そして。

 

その下に。

 

『誰かを支える』

 

五月は。

 

その文字を見つめる。

 

「……」

 

これが。

 

自分の目指すもの。

 

母のように。

 

生徒の気持ちを理解できる教師。

 

間違った時には叱る。

 

迷った時には一緒に考える。

 

できない時には待つ。

 

そして。

 

諦めそうになった時には。

 

「もう一度やってみよう」

 

そう言える教師。

 

「……」

 

五月は。

 

チョークを置いた。

 

その時。

 

教室のドアが開いた。

 

「おはようございます!」

 

四葉。

 

「おはよう」

 

一花。

 

「朝から何してるの?」

 

二乃。

 

「……」

 

三玖。

 

そして。

 

六華。

 

「……」

 

全員が黒板を見る。

 

「五月」

 

一花が。

 

優しく笑う。

 

「いいじゃん」

 

「……」

 

「その夢」

 

五月は。

 

笑った。

 

「はい」

 

その瞬間。

 

教室の外。

 

廊下の向こうに。

 

一人の男が立っていた。

 

無堂。

 

彼は。

 

黒板に書かれた文字を見る。

 

『夢』

 

『教師』

 

『誰かを支える』

 

「……」

 

無堂は。

 

静かに目を細める。

 

そして。

 

小さく呟いた。

 

「まだ諦めていないのですか」

 

その声は。

 

誰にも届かなかった。

 

無堂は。

 

そのまま去っていく。

 

しかし。

 

彼の背後から。

 

別の声がした。

 

「当たり前だろ」

 

「……!」

 

無堂が振り返る。

 

そこに。

 

悠飛が立っていた。

 

「……如月君」

 

「五月の夢は」

 

悠飛は。

 

真っ直ぐ無堂を見る。

 

「俺たちが守る」

 

「……」

 

「本人が諦めるまで」

 

「……」

 

「誰にも邪魔させない」

 

無堂は。

 

しばらく悠飛を見つめた。

 

「あなたは」

 

「……」

 

「本当にお人好しですね」

 

「よく言われる」

 

「いつか後悔しますよ」

 

「その時は」

 

悠飛は。

 

笑った。

 

「その時に考える」

 

無堂は。

 

何も言わなかった。

 

ただ。

 

悠飛の右目を見つめる。

 

その視線には。

 

明らかな敵意が宿っていた。

 

悠飛も。

 

それを感じ取っていた。

 

――こいつは。

 

五月の夢を否定しているだけじゃない。

 

俺自身にも。

 

何かを仕掛けようとしている。

 

そう確信した。

 

 

昼休み。

 

五月は。

 

黒板に書いた言葉を消していた。

 

「五月」

 

悠飛が声をかける。

 

「はい?」

 

「消さなくてもいいんじゃないか?」

 

「授業がありますから」

 

「そっか」

 

五月は。

 

少し笑う。

 

「でも」

 

「ん?」

 

「私の中では」

 

五月は。

 

胸に手を当てる。

 

「消えません」

 

悠飛も。

 

笑った。

 

「ああ」

 

「この夢は」

 

「……」

 

「私が守ります」

 

「違う」

 

「え?」

 

悠飛は。

 

静かに言った。

 

「一人で守らなくていい」

 

「……」

 

「俺たちがいる」

 

五月は。

 

目を丸くする。

 

そして。

 

嬉しそうに笑った。

 

「……はい」

 

その時。

 

窓から。

 

春の風が吹き込んだ。

 

黒板に残ったチョークの粉が。

 

ふわりと舞う。

 

五月は。

 

その光景を見ながら。

 

心の中で誓った。

 

教師になる。

 

母のような教師になる。

 

その夢を。

 

誰にも奪わせない。

 

そして。

 

彼女の隣には。

 

いつも。

 

一人の少年がいる。

 

彼女の夢を笑わず。

 

彼女の涙を否定せず。

 

ただ。

 

「進め」と背中を押してくれる少年。

 

如月悠飛。

 

その存在は。

 

五月にとって。

 

ただの友達という言葉だけでは。

 

少しずつ。

 

収まらなくなり始めていた。

 

けれど。

 

その感情に。

 

五月自身が気づくのは。

 

まだ先のことだった。

 

そして。

 

悠飛もまだ知らない。

 

五月の夢を守ろうとしたその行動が。

 

やがて。

 

彼自身の人生を大きく変えることになる。

 

日の出祭で始まった。

 

無堂との因縁。

 

五つ子の父親という事実。

 

そして。

 

悠飛の失われることになる右目。

 

すべての歯車は。

 

すでに。

 

静かに回り始めていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。