『神のチートで勇往邁進!〜20年後の同窓会に現れた独眼竜は、三度(みたび)恋の火を灯す〜』 作:夜幻
日の出祭が終わってから、一週間。
旭高校には、少しずつ日常が戻っていた。
文化祭の片付けも完全に終わり、生徒たちは次の定期試験や進路について考え始めている。
三年生にとっては、卒業までの時間も残り少ない。
そんなある日の放課後。
「……」
職員室前の廊下に、一人の男が立っていた。
無堂。
その手には、数枚の書類がある。
「中野五月」
小さく名前を呟く。
その表情に感情はない。
だが、その目には明確な意思が宿っていた。
「夢というものは」
誰に聞かせるでもなく、無堂は言う。
「叶えるものではありません」
一枚の書類をめくる。
「現実を知らない者に、現実を教える」
そして。
「それが教育です」
無堂は歩き出した。
その先には――進路指導室。
今日は、三年生を対象とした進路相談が行われる予定だった。
そして。
中野五月も、その対象者の一人だった。
◇
「では、次の人」
進路指導室。
五月は椅子に座っていた。
「中野さんの希望進路は、教育系ですね」
「はい」
「教師志望」
「はい」
担当教師は資料を確認する。
「成績は……悪くない」
「ありがとうございます」
「ただ、教育系の大学となると、もう少し頑張る必要があります」
「分かっています」
五月は頷く。
「これからもっと勉強します」
「うん」
教師は微笑んだ。
「君なら努力次第で十分届くと思うよ」
「本当ですか?」
「もちろん」
その言葉に、五月の顔が少し明るくなる。
「ありがとうございます」
だが。
その瞬間だった。
「その判断は早計でしょう」
「……?」
部屋の隅から声がした。
五月が振り返る。
「無堂先生……」
無堂が立っていた。
「失礼」
教師が少し驚く。
「無堂先生、今日は――」
「偶然通りかかったものですから」
無堂は平然と答えた。
そして。
五月を見る。
「中野さん」
「はい」
「本当に教師になるつもりですか?」
「……はい」
「そうですか」
無堂は頷く。
「では、質問します」
「……」
「教師とは何をする仕事でしょう?」
五月は考える。
「生徒を教える仕事です」
「それだけ?」
「……」
「知識を与える」
「……」
「進路を示す」
「……」
「問題行動を起こす生徒を指導する」
「……はい」
「そして」
無堂の声が低くなる。
「時には、切り捨てる」
五月の表情が曇る。
「……切り捨てる?」
「すべての生徒を救えると思っていますか?」
「それは……」
「答えてください」
五月は黙った。
「教師になれば」
無堂は続ける。
「努力しても伸びない生徒に出会います」
「……」
「何度注意しても反抗する生徒もいる」
「……」
「授業を妨害する者もいる」
「……」
「家庭環境に問題を抱える生徒もいる」
「……」
「そして」
無堂は言った。
「そのすべてを救おうとすれば、教師自身が壊れます」
五月は。
昨日のことを思い出した。
母のこと。
そして。
昨日、悠飛から言われた言葉。
――怖くても進めばいい。
「それでも」
五月は。
顔を上げた。
「私は教師になりたいです」
「なぜ?」
「……」
「母親の真似をしたいからですか?」
「違います」
五月は即答した。
「……ほう」
「私は」
五月は。
胸の前で手を握った。
「私自身が、教師になりたいんです」
「……」
「母の背中を追いかけたい気持ちはあります」
「……」
「でも」
五月の目が強くなる。
「母になるわけではありません」
「……」
「私は、私です」
無堂の表情が。
ほんの僅かに変わった。
「なるほど」
そして。
「では、覚えておきなさい」
「……?」
「理想を抱いた人間ほど」
無堂は。
五月に言い聞かせるように言った。
「現実に傷つけられます」
「……」
「あなたは、まだ何も知りません」
「……」
「教師の世界を」
無堂は。
五月を見下ろした。
「甘く見ないことです」
その言葉に。
五月は黙っていた。
しかし。
その時。
「それ以上にする必要がありますか?」
「……!」
別の声。
無堂が振り返る。
進路指導室の入口。
そこに立っていたのは。
如月悠飛だった。
「悠飛さん……」
五月が驚く。
「どうして……」
「忘れ物を届けに来ただけ」
悠飛の手には。
五月のノートがあった。
「教室に置いてあった」
「あ……」
五月が受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
悠飛は。
そのまま無堂を見る。
「でも」
「……」
「今の話は聞こえた」
無堂は。
悠飛を見た。
「また君ですか」
「そうですね」
「中野さんは私と話をしているのです」
「知ってます」
「なら、口を挟まないでいただきたい」
「五月が一人で答えられるなら、俺は何も言わない」
「……」
「でも」
悠飛の声が低くなる。
「あなたは、夢を諦めさせるために話している」
無堂の眉が動く。
「証拠は?」
「証拠?」
「私が彼女の夢を諦めさせようとしているという証拠です」
「……」
悠飛は。
一瞬黙った。
そして。
「ありません」
「では」
「でも」
悠飛は。
真っ直ぐ無堂を見る。
「あなたの言葉を聞いていれば分かる」
「……」
「教師になったら苦労する」
「……」
「傷つく」
「……」
「全部を救えない」
「……」
「だから諦めろ」
悠飛は。
一つ一つ言葉を並べる。
「それは現実を教えてるんじゃない」
「……」
「諦める理由を探してるだけだ」
「如月君」
「何です?」
「君は教師でもなければ、教育学者でもない」
「そうですね」
「それなのに、教育を語るのですか?」
「語ってるんじゃない」
悠飛は。
静かに答えた。
「人間の話をしてる」
「……」
「夢を持ってる人間に」
「……」
「わざわざ『無理だ』と言う必要があるのかって話だ」
無堂は。
黙った。
「もちろん」
悠飛は続ける。
「本当に無理なら、それを伝えることも必要だと思う」
「……」
「でも」
悠飛は。
五月を見る。
「挑戦する前から諦めさせるのは違う」
「……」
「五月はまだ高校生だ」
「……」
「これから勉強して」
「……」
「大学に行って」
「……」
「教育を学んで」
「……」
「実習をして」
「……」
「それでも教師になりたいなら」
悠飛は。
無堂を見る。
「その時に初めて、教師としての適性を判断すればいい」
無堂は。
薄く笑った。
「随分と甘いですね」
「そうかもな」
「世の中は、そんなに都合よくありませんよ」
「知ってる」
「なら――」
「だからこそだ」
悠飛の目が鋭くなる。
「夢を見る時間くらい、守ってやってもいいだろ」
「……」
進路指導室が。
静まり返った。
五月は。
悠飛の背中を見つめていた。
「……」
大きな背中。
いつもは優しく笑っている。
けれど。
今は違う。
自分の夢を守るために。
悠飛は。
無堂の前に立ちはだかっていた。
◇
「如月君」
無堂が口を開く。
「君は、何でも守れるつもりですか?」
「……」
「家族も」
「……」
「友人も」
「……」
「その夢も」
「……」
「すべて守れると?」
「守れるとは言ってない」
「では」
無堂が一歩近づく。
「なぜ、そんな顔をするのです?」
悠飛は答えなかった。
「……」
「自分が正しいと信じている顔です」
「……」
「それは危険ですよ」
「そうかもな」
悠飛は。
無堂から目を逸らさない。
「でも」
「……」
「間違っていたら、その時に謝る」
「……」
「だから今は」
一歩。
悠飛が前へ出る。
「俺は五月の味方だ」
無堂も。
一歩前へ出る。
二人の距離が近づく。
「……」
「……」
まるで。
見えない火花が散っているようだった。
「悠飛さん」
五月が。
小さく声をかける。
「もう大丈夫です」
「五月?」
「私、自分で言えます」
「……」
悠飛は。
少しだけ横へ移動した。
五月が。
無堂の前に立つ。
「無堂さん」
「何でしょう」
「私は」
五月は。
震える声を抑える。
「教師になります」
「……」
「なれるかどうかは」
「……」
「これから決めます」
「……」
「でも」
五月は。
強く言った。
「挑戦する前に諦めることだけはしません」
無堂は。
黙っていた。
「それが」
五月は。
ノートを胸に抱く。
「私の答えです」
無堂は。
しばらく五月を見つめた。
そして。
「……分かりました」
「……」
「好きにしなさい」
無堂は。
そう言い残して。
部屋を出ていった。
◇
「……」
無堂が去ったあと。
五月は。
大きく息を吐いた。
「ふぅ……」
「大丈夫か?」
悠飛が聞く。
「はい」
「本当に?」
「……はい」
五月は。
笑った。
「今度は、自分の言葉で言えました」
「それならよかった」
「悠飛さん」
「ん?」
「ありがとうございました」
「何度目だ?」
「何度でも言います」
「そっか」
「はい」
五月は。
少し恥ずかしそうに笑う。
「……私」
「?」
「悠飛さんが立っていてくれたから」
「……」
「ちゃんと自分の気持ちを言えました」
悠飛は。
少し困ったように笑った。
「俺は何もしてない」
「しました」
「……」
「私の夢を守ってくれました」
悠飛は。
しばらく黙っていた。
そして。
「じゃあ」
「はい?」
「これからは自分で守れるようになれ」
「……!」
五月は。
驚いた。
「はい!」
◇
その日の夕方。
校門前。
一花たちは。
二人を待っていた。
「遅かったね」
一花が言う。
「何かあった?」
「少し進路相談が」
五月が答える。
二乃が。
悠飛を見る。
「また無堂?」
「……」
悠飛は。
答えない。
その沈黙で。
二乃は察した。
「やっぱり」
「五月」
三玖が近づく。
「大丈夫?」
「はい」
「……」
「今日は」
五月は。
みんなを見る。
「自分の言葉で話せました」
四葉が。
「おお!」
莉々華が。
「それなら大丈夫だね」
六華も。
「うん」
一花が。
悠飛を見る。
「悠飛くんは?」
「俺?」
「何かした?」
「立ってただけ」
「ふふ」
一花が笑う。
「それだけ?」
「それだけ」
二乃が。
「嘘ね」
「何で?」
「顔に書いてあるもの」
「何が?」
「『俺が五月を守った』って」
「……」
悠飛は。
困った顔をした。
「そんなこと考えてない」
「本当に?」
「本当」
一花が。
少し意味ありげに笑う。
「まあ、いいけど」
◇
帰り道。
五つ子と六華、莉々華。
そして悠飛。
七人の少女と一人の少年。
いつものように歩いていた。
「そういえば」
四葉が言う。
「悠飛さんって、何でそんなに五月の夢を応援するんですか?」
「……」
悠飛は考える。
「五月が本気だから」
「それだけ?」
「それだけで十分だろ」
「……」
四葉が笑う。
「やっぱり悠飛さんらしいです!」
一花は。
その会話を聞きながら。
悠飛を見る。
「……」
二乃も。
三玖も。
六華も。
莉々華も。
それぞれ違う表情で悠飛を見ていた。
そして。
五月も。
「……」
悠飛の横顔を見る。
胸の奥が。
少しだけ暖かい。
自分の夢を守ってくれた。
そのことが。
何より嬉しかった。
◇
その夜。
如月家。
悠飛は。
書斎で一人。
無堂について調べていた。
机の上には大量の資料。
「……」
風太郎から届いた情報。
無堂の過去。
勤務先。
転職歴。
そして。
ある学校で起きた問題。
「……」
悠飛は。
一枚の資料を見つめる。
『生徒への過度な精神的圧力』
『複数回の保護者からの苦情』
『学校側による指導』
しかし。
すべて。
無堂は処分を免れている。
「どういうことだ……?」
さらに調べる。
すると。
一つの名前が出てきた。
「……」
その名前を見て。
悠飛の顔が変わる。
「この人……」
かつて。
無堂と同じ学校に勤めていた教師。
そして。
中野零奈と親しかった人物。
「……」
悠飛は。
電話を手に取る。
しかし。
電話をかける前に。
着信が入った。
「……風太郎?」
『悠飛』
「どうした?」
『無堂について、分かったことがある』
「俺もだ」
『先に言う』
「分かった」
風太郎の声が。
いつもより低い。
『無堂は』
「……」
『昔から問題行動を繰り返していた』
「やっぱりな」
『だが』
「……」
『それ以上に重要なことがある』
「何だ?」
一拍。
風太郎が言う。
『あいつは、教師を辞めさせられたんじゃない』
「……」
『自分から辞めた』
「なぜ?」
『分からない』
「……」
『ただ』
風太郎の声が。
さらに低くなる。
『退職する直前に』
「……」
『中野零奈と大きなトラブルを起こしている』
「……!」
悠飛の表情が。
険しくなる。
『そして』
「まだあるのか?」
『ある』
「何だ?」
『その時期』
「……」
『お前も、その学校にいた可能性がある』
「……」
悠飛の呼吸が止まった。
「……俺が?」
『記録が一部欠落している』
「……」
『でも、名前だけ残ってる』
悠飛は。
机の上にある資料を見る。
そこには。
幼い頃の自分の名前。
如月悠飛。
「……」
頭の奥が。
ズキッと痛んだ。
「……何だ?」
一瞬。
何かが見えた。
赤い夕焼け。
泣いている少女。
母親のような女性。
そして。
怒鳴り声。
『その子に触るな!』
「……!」
悠飛は。
頭を押さえる。
「何だ……今の……」
『悠飛?』
「……大丈夫だ」
『本当に?』
「ああ」
電話の向こうで。
風太郎が黙る。
『無理するな』
「分かってる」
電話を切る。
悠飛は。
椅子に座ったまま。
しばらく動けなかった。
「……」
失われた記憶。
無堂。
中野零奈。
五つ子。
そして。
自分。
すべてが。
一本の線で繋がろうとしている。
◇
翌朝。
学校。
悠飛が教室へ入る。
「おはようございます!」
四葉。
「おはよう」
一花。
「おはよ」
二乃。
「……おはよう」
三玖。
「おはよう」
五月。
「おはよう、悠飛」
六華。
「おはよう!」
莉々華。
いつもと変わらない。
けれど。
悠飛の心の中には。
昨日までとは違う疑念が生まれていた。
――無堂は。
――何を知っている?
その答えを。
悠飛はまだ知らない。
しかし。
その日の昼休み。
一枚の紙が。
悠飛の机の中に入っていた。
「……?」
取り出す。
封筒。
差出人は書かれていない。
中には。
一枚の紙。
『過去を知りたければ、一人で来い』
場所。
時間。
そして。
最後に。
こう書かれていた。
『中野家の娘たちを巻き込むな』
悠飛の目が。
鋭くなる。
「……」
誰が。
これを書いた?
無堂か。
それとも。
別の誰か。
悠飛は。
紙を握りしめる。
その時。
「悠飛?」
五月の声。
「どうしました?」
「……何でもない」
悠飛は。
紙をポケットへ入れた。
「本当に?」
「ああ」
五月は。
少し心配そうに見つめる。
「……」
悠飛は。
思った。
――巻き込むな。
その言葉だけは。
絶対に無視できない。
なぜなら。
自分が戦うことで。
五つ子たちが傷つく可能性があるからだ。
だからこそ。
悠飛は決めた。
「……」
一人で行く。
五つ子も。
六華も。
莉々華も。
巻き込まない。
その判断が。
後に。
大きな悲劇を招くことになるとも知らずに。
◇
放課後。
誰もいない校舎。
悠飛は。
指定された場所へ向かっていた。
夕暮れの廊下。
足音だけが響く。
「……」
階段を降りる。
旧校舎。
普段は使われていない場所。
その先に。
一人の男が立っていた。
「来ましたか」
「……」
無堂だった。
悠飛は。
立ち止まる。
「やっぱり、あなたか」
「ええ」
「何の用です?」
「確認したいことがあります」
「何を?」
無堂は。
悠飛を見つめる。
「あなたは」
一拍。
「本当に」
「……」
「中野家の娘たちを守れると思っていますか?」
悠飛は。
答えた。
「守る」
「……」
「俺が立ちはだかる」
「何に?」
「……」
悠飛は。
無堂を見据える。
「娘たちを傷つけようとするものすべてに」
無堂は。
静かに笑った。
「そうですか」
「……」
「では」
無堂は。
一枚の写真を取り出した。
「これは何だと思います?」
悠飛は。
写真を見る。
そこには。
幼い頃の自分。
そして。
五つ子。
さらに。
六華と莉々華。
七人の少女と。
一人の少年。
「……!」
悠飛の目が見開かれる。
「これ……」
写真の裏には。
日付が書かれていた。
そして。
一言。
『あの日の約束を忘れたのか?』
悠飛の頭に。
再び。
激しい頭痛が走る。
「……っ!」
膝をつく。
「悠飛さん!」
遠くから。
声が聞こえた。
「……!」
五月。
一花。
二乃。
三玖。
四葉。
六華。
莉々華。
「どうして……」
悠飛が顔を上げる。
「来るな!」
叫ぶ。
だが。
遅かった。
七人は。
そこにいた。
そして。
無堂は。
静かに笑った。
「なるほど」
「……」
「やはり」
無堂の目が。
悠飛を見る。
「彼女たちは」
「……」
「あなたにとって、弱点なのですね」
悠飛の表情が。
変わる。
「……違う」
「では?」
悠飛は。
ゆっくり立ち上がる。
「弱点じゃない」
「……」
「守る理由だ」
その瞬間。
無堂の笑みが消えた。
そして。
悠飛は。
七人の少女たちの前に立つ。
「俺が立ちはだかる」
「……」
「何が相手でも」
その言葉は。
夕暮れの旧校舎に。
静かに響いた。
まだ。
彼の右目は。
健在だった。
まだ。
『独眼竜』ではない。
しかし。
この日。
如月悠飛は初めて。
明確に。
敵の前へ立ちはだかった。
そして。
その背中を見つめる少女たちの心にも。
大きな変化が生まれ始めていた。