『神のチートで勇往邁進!〜20年後の同窓会に現れた独眼竜は、三度(みたび)恋の火を灯す〜』 作:夜幻
病院の朝は、静かだった。
窓の外から聞こえてくるのは、遠くを走る車の音と、小鳥の鳴き声。
病室の中には、一定の間隔で鳴る医療機器の音だけが響いている。
如月悠飛は、ベッドの上で目を覚ました。
「……朝か」
左目を開く。
白い天井。
窓。
カーテン。
椅子。
机。
いつもなら、そこにあるはずの世界が。
右側にはない。
右目を覆う包帯。
それを意識した瞬間、胸の奥が少しだけ重くなった。
「……」
悠飛は、そっと右目へ手を伸ばす。
触れることはできない。
包帯の上から、軽く指を置くだけ。
「まだ……見えないか」
当然だった。
一晩眠っただけで、失われた視力が戻るわけではない。
それでも。
人間というものは。
「もしかしたら」
と期待してしまうものなのだろう。
悠飛は。
ゆっくりと右目を開けようとした。
何もない。
暗闇。
「……」
その事実を受け入れるまで。
少しだけ時間がかかった。
「……まあ」
悠飛は苦笑する。
「昨日まで見えていたものが、今日も見えるとは限らないか」
強がりだった。
自分でも分かっている。
怖い。
この先。
どうなるのか。
剣を振れるのか。
武道を続けられるのか。
車の運転は。
日常生活は。
そして。
大切な人たちを。
守れるのか。
「……」
考えれば考えるほど。
不安は膨らんでいく。
そのとき。
コンコン。
病室の扉が叩かれた。
「どうぞ」
「おはようございます!」
明るい声。
「四葉か」
扉が開く。
中野四葉が、笑顔で入ってきた。
その後ろから。
「おはよう」
一花。
「朝から元気ね」
二乃。
「……おはよう」
三玖。
「おはようございます」
五月。
「おはよう、悠飛」
六華。
「おはよ」
莉々華。
そして。
最後に風太郎。
「全員かよ」
悠飛は笑った。
「当然です!」
四葉が胸を張る。
「悠飛さんのお見舞いです!」
「昨日も来ただろ」
「今日は今日です!」
「なるほど」
「それに」
一花が笑う。
「今日は、みんなで話したいことがあるの」
「話したいこと?」
「うん」
悠飛が首を傾げる。
二乃が。
「あなたの退院後のことよ」
「……」
悠飛は少し驚いた。
「もう退院の話か?」
「いつまでも病院にいるわけにはいかないでしょ」
「まあな」
「でも」
五月が。
真剣な顔をする。
「学校に戻ったとしても、以前と同じようにはいかないと思います」
「……」
「右眼が見えないなら」
五月は続ける。
「階段や廊下でも注意が必要です」
「分かってる」
「体育も」
風太郎が口を挟む。
「教師と相談した方がいい」
「……」
悠飛は。
黙った。
「武道も」
その言葉に。
悠飛の表情が変わった。
「武道……」
四葉が心配そうに見る。
「悠飛さん?」
「……いや」
悠飛は笑う。
「大丈夫だ」
だが。
その笑顔を。
六華だけは見逃さなかった。
◇
昼過ぎ。
悠飛は医師の診察を受けていた。
「傷の状態は安定しています」
医師が説明する。
「ただ、しばらくは激しい運動は禁止です」
「どれくらいですか?」
「少なくとも数週間」
「数週間……」
「右眼については、引き続き経過観察が必要です」
悠飛は頷く。
「分かりました」
「それから」
医師は少し考えてから。
「日常生活に戻る際には、視野の欠損に慣れる必要があります」
「視野の欠損?」
「片眼が見えなくなると、距離感や左右の認識が変わります」
「……」
「特に、右側から来るものには注意してください」
悠飛は。
右側を見る。
もちろん。
見えない。
「……」
医師の言葉が。
現実として胸に落ちてくる。
「分かりました」
「焦らないでください」
「はい」
診察を終える。
病室へ戻る廊下。
悠飛は。
一人で歩いてみた。
「……」
左目では。
普通に見える。
歩ける。
問題ない。
そう思った瞬間。
右側から。
看護師が通り過ぎた。
「……!」
悠飛は反応できなかった。
「すみません!」
「こちらこそ」
看護師が去っていく。
悠飛は。
足を止めた。
「……」
今までなら。
気づいていた。
右側から誰かが来れば。
自然に視界へ入っていた。
それが。
今はない。
「……慣れないとな」
悠飛は。
小さく呟いた。
◇
病室へ戻る。
すると。
六華が一人で待っていた。
「おかえり」
「六華だけか?」
「みんな、売店」
「そうか」
六華は。
悠飛の顔を見る。
「どうだった?」
「傷は大丈夫」
「そうじゃなくて」
「……」
「歩いてみて」
悠飛は。
黙った。
六華は。
何も言わない。
ただ。
待っている。
「……右側が」
「うん」
「見えない」
「うん」
「思ってたより、不便だ」
「……」
「人が急に出てくる」
「うん」
「距離感も少しおかしい」
六華は。
ゆっくり頷く。
「じゃあ」
「?」
「私が右側にいる」
「……」
「しばらくは」
六華は。
悠飛の右側へ移動した。
「こうしていればいい?」
「……六華」
「何?」
「ありがとう」
「別に」
六華は。
小さく笑った。
「私は悠飛の幼馴染なんだから」
「……」
「これくらい当然」
悠飛は。
左目で六華を見る。
「……そうだな」
その瞬間。
悠飛の頭に。
また記憶が浮かんだ。
幼い六華。
泣いている。
『悠飛』
『どうした?』
『怖い』
『俺がいる』
『本当に?』
『ああ』
『じゃあ……手、握って』
『いいよ』
――。
「……」
悠飛は。
目を閉じる。
「また思い出した?」
六華が聞く。
「ああ」
「何を?」
「昔のこと」
「……」
「お前と」
悠飛は。
少し笑った。
「約束したこと」
六華は。
驚いたように目を見開いた。
「……覚えてたんだ」
「断片だけ」
「そっか」
六華は。
嬉しそうに笑った。
◇
夕方。
病院の屋上。
悠飛は。
一人で空を見ていた。
「……」
夕焼け。
左目に映る赤い空。
右側は。
暗闇。
「片目か……」
悠飛は。
自分の顔に触れる。
まだ。
眼帯ではない。
包帯だ。
だが。
退院する頃には。
包帯ではなく。
眼帯になるかもしれない。
「……独眼竜」
突然。
後ろから声がした。
「……?」
振り返る。
風太郎だった。
「何だ、それ」
「ネットで話題になってる」
「俺が?」
「ああ」
風太郎がスマートフォンを見せる。
そこには。
日の出祭の事件に関する投稿が並んでいた。
『文化祭で生徒を救った男子生徒』
『負傷しながらも女子生徒を守った英雄』
『片目を失った少年』
そして。
その中に。
一つの呼び名。
『独眼竜』
「……」
悠飛は。
苦笑する。
「誰が考えたんだよ」
「分からん」
「大げさだろ」
「そうか?」
「俺はただ」
悠飛は。
空を見る。
「五月を守っただけだ」
風太郎は。
静かに言った。
「それが大げさなんだ」
「……」
「自分が傷つくことを恐れず」
「……」
「誰かを守った」
「……」
「普通の人間にはできない」
悠飛は。
少し黙って。
「俺は普通だよ」
「嘘つけ」
「ひどいな」
風太郎が笑う。
「だが」
「……」
「俺は、その名前」
風太郎は。
もう一度スマートフォンを見る。
「悪くないと思う」
「そうか?」
「ああ」
「……」
「独眼竜」
風太郎は。
悠飛を見る。
「片目を失っても、前へ進む」
「……」
「お前には似合ってる」
悠飛は。
少しだけ笑った。
「じゃあ」
「?」
「そう呼ばれるくらい」
悠飛は。
空を見る。
「強くなるか」
◇
数日後。
悠飛は退院した。
病院の玄関。
五つ子。
六華。
莉々華。
風太郎。
全員が迎えに来ていた。
「悠飛さん!」
四葉が手を振る。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
悠飛は。
右目に黒い眼帯をつけていた。
以前とは。
雰囲気が違う。
「……」
一花が。
じっと見る。
「似合ってる」
「そうか?」
「うん」
二乃も。
「悔しいけど」
「?」
「ちょっと格好いい」
「ちょっとかよ」
「調子に乗らない」
三玖が。
小さく。
「……独眼竜」
「三玖まで」
「似合う」
四葉が。
「格好いいです!」
五月も。
「……」
「五月?」
「はい」
五月は。
微笑んだ。
「悠飛さんらしいです」
「……」
その言葉が。
悠飛には。
一番嬉しかった。
◇
学校へ戻る。
校門。
多くの生徒が。
悠飛を見る。
「……」
ざわめき。
「あれが……」
「例の……」
「独眼竜?」
「本当に眼帯してる」
悠飛は。
苦笑する。
「……慣れないな」
風太郎が隣を歩く。
「そのうち慣れる」
「そうかな」
「ああ」
「……」
「お前は、お前だ」
その言葉に。
悠飛は笑った。
◇
教室。
悠飛の席。
クラスメイトたちが。
次々と声をかける。
「大丈夫か?」
「心配したぞ」
「もう痛くない?」
「無理するなよ」
悠飛は。
一人ずつ答える。
「ありがとう」
「もう大丈夫だ」
「気をつけるよ」
そして。
担任が入ってくる。
「如月」
「はい」
「復帰初日だ。無理はするな」
「分かりました」
「体育は見学」
「了解です」
「それから」
教師は。
少し笑う。
「学校中で『独眼竜』と呼ばれているが」
「……」
「気にするな」
「はい」
教室に。
小さな笑いが起こる。
悠飛も。
苦笑した。
◇
放課後。
武道場。
悠飛は。
入り口に立っていた。
「……」
中を見る。
竹刀。
木刀。
畳。
道場。
ここは。
悠飛にとって。
大切な場所だった。
だが。
今は。
右目が見えない。
距離感。
視野。
今までと同じ動きは。
できない。
「……」
悠飛は。
木刀を手に取った。
構える。
一歩。
振る。
「……」
違和感。
右側からの動きが。
分からない。
もう一度。
振る。
今度は。
バランスを崩した。
「……くっ」
木刀を置く。
「やっぱり」
「簡単にはいかないか」
その時。
「悠飛さん」
「……」
四葉が。
入り口に立っていた。
「四葉?」
「見てました」
「……」
「武道、できないんですか?」
「できないわけじゃない」
悠飛は。
木刀を見る。
「ただ」
「……」
「今までと同じようにはいかない」
四葉は。
道場へ入る。
「なら」
「?」
「新しいやり方を探しましょう」
「……」
「悠飛さんは」
四葉が笑う。
「一つの方法が駄目だったら、別の方法を考える人ですよね」
「……」
「なら」
四葉は。
木刀を拾う。
「私も一緒に探します!」
悠飛は。
思わず笑った。
「四葉」
「はい!」
「お前は本当に……」
「?」
「強いな」
「ありがとうございます!」
◇
それから。
悠飛は。
少しずつ訓練を始めた。
右側に意識を向ける。
音を聞く。
足音。
風。
空気の動き。
床の振動。
左目だけに頼らない。
身体全体で。
周囲を感じる。
最初は。
何度も失敗した。
木刀を落とす。
距離を間違える。
足を踏み外す。
「……」
それでも。
諦めなかった。
一日。
二日。
三日。
一週間。
少しずつ。
身体が変わっていく。
「……」
右側から。
四葉が近づく。
「悠飛さん!」
悠飛が。
振り向く。
「分かった」
「え?」
「右から来たな」
「どうして?」
「足音」
「すごい!」
四葉が笑う。
悠飛も。
笑う。
「まだまだだけどな」
「でも」
四葉は。
嬉しそうに言った。
「前より強くなってます」
「……」
その言葉に。
悠飛は。
少しだけ空を見上げた。
右目は。
まだ暗い。
けれど。
左目に映る世界は。
以前より鮮やかだった。
◇
そして。
ある日の夕方。
武道場。
悠飛は。
一人で木刀を構えていた。
「……」
静寂。
目を閉じる。
左目も。
閉じる。
完全な暗闇。
その中で。
耳を澄ます。
風。
木々。
遠くの生徒。
床。
自分の呼吸。
「……」
そして。
右側。
何かが動いた。
悠飛が。
木刀を振る。
カンッ!
乾いた音。
目を開く。
四葉が。
木刀を持って立っていた。
「……」
四葉が。
驚いている。
「今の」
「……」
「見えてました?」
悠飛は。
首を横に振る。
「見えてない」
「じゃあ?」
「感じた」
「……」
四葉は。
笑った。
「それって」
「?」
「新しい力ですよ」
悠飛は。
少し考える。
「……そうかもな」
そして。
木刀を構える。
「もう一度」
「はい!」
二人の木刀が。
再びぶつかる。
カンッ!
その音が。
武道場に響く。
◇
その夜。
ネット上で。
一つの記事が話題になった。
『日の出祭事件――負傷した生徒、無堂氏の関係者と対峙』
『女子生徒を守った少年、学校へ復帰』
『片目を失ってもなお鍛錬を続ける』
そして。
記事の最後。
こう記されていた。
『彼を生徒たちはこう呼ぶ。
――独眼竜。
その名は、単なる異名ではない。
失ったものを嘆くのではなく。
残された力で前へ進もうとする。
そんな彼の生き方そのものなのだろう。』
◇
翌朝。
校門。
悠飛が。
一人で歩く。
右目には。
黒い眼帯。
左目には。
強い光。
その姿を見た生徒たちが。
道を開ける。
「……」
悠飛は。
少し困ったように笑う。
すると。
後ろから。
「悠飛さん!」
四葉。
「おはよう!」
一花。
「おはよう」
二乃。
「遅いわよ」
三玖。
「……おはよう」
五月。
「おはようございます」
六華。
「おはよ」
莉々華。
「みんな、おはよう」
悠飛は。
七人と並んで歩き出す。
右側には。
六華。
左側には。
四葉。
前には。
五つ子。
後ろには。
莉々華。
そして。
少し離れたところに。
風太郎。
「……」
悠飛は。
笑った。
右目は。
もう。
光を映さない。
けれど。
自分の周りには。
こんなにも多くの光がある。
「……」
悠飛は。
静かに歩く。
失ったものは。
確かに大きい。
けれど。
それ以上に。
得たものもあった。
仲間。
友情。
絆。
そして。
守りたいという意志。
「悠飛さん?」
五月が振り返る。
「どうしました?」
「いや」
悠飛は。
笑った。
「何でもない」
「そうですか?」
「ああ」
そして。
彼は。
前を向く。
右目を失った少年。
片目に眼帯を巻いた少年。
だが。
その歩みは。
止まらない。
やがて。
誰もが彼を。
こう呼ぶようになる。
――独眼竜。
失った右眼を背負いながら。
なお。
大切な人々を守るため。
前へ進み続ける男。
それが。
如月悠飛だった。