「これをやったのは君か?」
乾いた声の先。
そこにいたのは、顔の無い男だった。
中肉中背のようで機能の高さがうかがえる佇まい。
黒を基調とした神父服に金の釦。
焦げた赤茶色のぴっちりと整えられた髪。
薄く細められた眼に、緩やかな弧を描く口元。
特徴だけならこれだけ挙げられるのに、なぜか無貌の印象を受ける。
目を離したのならきっと、その姿形を思い起こせなくなる。
そんな男が立っていた。
「いえいえ、滅相もないことです。この私が、そのような大層なことなど!これは私の知人によるものですよ」
「ならば先程の彼を殺そうとしたのは?」
「大声を出されるわけにもいきませんから」
「そうか。大人しく投降する気はあるか?」
声さえも靄掛かったような風情で、男は慇懃に微笑む。
「逆に尋ねましょう。見逃してはくれますか?」
「無理だな。君、血の匂いが凄いぞ」
「ああ、ひどい誤解です!私は誓って、今夜この場所で人を殺めてなどいませんとも!」
「余罪がたくさんありそうだな」
抜剣。
最優先は捕縛。不可能であれば殺す。
それも難しいようなら、四肢のうちどれか一つを落とす。
喉へと右剣を突き込みながら前進。
当然弾かれ、逆棘が剣に蛇の如く絡みついた。
手首の捻りによってくん、と剣先を落とされる。
このまま握っていては体勢を崩されてしまう。
そう判断し、力の流れに逆らわず剣を手放した。
逆棘から剣が外れ地面へと落下するのを右足で蹴り上げ、下方から腹へ刺突。
バックステップで難なく躱されたが、剣は再び手の中に。
「成程!とてもお強い!彼の【炎獅子】は噂に違わぬ実力のようだ!」
「あまり良くない、噂、みたいだ!」
最小の動作により男が投擲した短剣。
弾き、避けると同時に踏み込む。
これまでの動きから、相手の強さのほどは大まかに理解できた。同じくレベル4。それも、上位のステイタス。
間違いなく闇派閥の幹部級であり、片手間で制圧できる相手ではない。
技についてはともかく、対人戦闘の経験は相手が上手のようでそう簡単には攻めきれない。
魔法を使えば制圧できるだろうがあまりにも目立ちすぎる。
俺が夜のオラリオを巡回していると露見するのは避けたい。
スキルだけの使用では恐らく五体満足で逃げられるだろう。
技と駆け引きに優れ、短剣の投擲など暗器の使用にも長けている。
加えて一度取り逃がせば捜索は困難をきわめる。
厄介な相手だ。
目標の修正。戦力としての男の価値を削ぐ。
男の首元を睨めつけた。
それとは一拍をずらして胴に向かい剣を薙ぐと、目線と行動の乖離により男の反応がわずかに遅れる。
それでも尚、男が浮かべる薄ら笑いは剥がれない。
振るう剣が逆棘に阻まれ、先程のように剣を介して男と繋がった。
だが先程と違う点がある。
駆け引きにより生み出した一瞬。
男の反応が遅れたほんの一拍の間だけは、こちらが主導権を握っている。
男とつながっている右の剣を地面に突き刺す。
巻き込まれた逆棘が同じように地面に刺さった。
男は既に逆棘の剣から手を離している。体勢が崩れることを嫌ったのだろう。懐に突っ込んだ手には代わりの短剣が握られている。
しかし、刃長が落ちた短剣は踏み込みなくして届くことはない。そして、短剣は切り結ぶのに不利である。
故に男は踏み込めない。
ギイィンと響く破砕音。
辺りに飛び散る棘の破片と、壁に突き刺さる折れた刀身。
男は少し離れたところからそれを見ていた。
「素晴らしい……その若さにしてその強さ。英雄と持て囃されるのも頷ける!ですが、ああ。魔法は使っていただけないのですね。あの奇跡の如き魔法は」
男は芝居がかった身振りで称賛の言葉を口にする。
しかしそんなものは心地よくも何ともない。
あくまで事務的に対応する。
「一応、もう一度聞いておこう。投降する気はあるか?」
「連れないですねえ。とはいえ、ここらが潮時でしょうか。あまり騒ぎすぎると都市の憲兵に嗅ぎつけられますし…仕方がないですが、お暇しましょう」
「逃げるなら、背を向けないほうがいい。命の保証はできない」
手のなかで短剣を弄ぶ男を睨みつける。
背を向ければ、その瞬間に手足を切り捨ててやろう。
これだけ血の匂いを漂わせている男が無実であるはずないのだ。
逃がすくらいなら殺したほうがいい。
「おや、恐ろしい。ずいぶんと苛烈な方だ。それが英雄というものなのでしょうか!それでも英雄なのでしょうか!…ですが、」
男が言葉を切り、大仰に手を挙げる。その動きを注視して隙を伺うが故に、俺の視線は誘導された。
ダボついた黒の洋袴。その裾からコロン、と何か丸いものが転がり落ちる。
それを視界の端で捉え、目線を移し、脳に情報が伝達される。
それは赤く、脈動する光を内に秘め、臨界に達するように明滅する────────。
「───────っ!?」
それが何かを理解し、2秒とない猶予に嫌な汗が噴き出した。
その間にも肉体は剣を投げ捨て、拾い上げたソレと共に路地の壁を跳ね上がる。
建物の屋根を踏み台により上へ。
レベル4の跳躍力が重力に囚われ、最高高度へと達した瞬間に投擲。
夜の空に溢れんばかりの光量で見栄えが悪い、ただ一瞬に全てを燃焼させるだけの花火が咲く。
鼓膜が破れるような文字通りの爆音が響き、都市中の家屋が窓に明かりをともした。
それを視界の端に収めながら、猫に叩かれた蠅のように、俺は背中から地面に叩きつけられた。
息が詰まり、ほんの一瞬の間のみ体は自由を失う。
そしてそれは、晒してはならない明確な隙だった。
「失礼」
硬直が解けるか溶けないかの瀬戸際、瞬き一つに相当する時間。
それだけの時間で男は存分に事をなす。
「っ…おいおい、さっきよりも強くないか…?」
喉の奥に鉄の味。
脇腹を背中側から抉られた。
身を捩って致命的になることは避けたが、軽傷とは言えない深さだ。
剣帯を上げきつく締め付けることで止血を試みる。
しかし、刃に毒でも塗られていたのか出血が止まらない。
このまま血が流れ続ければ何れは死ぬ。
男は俺に選択肢を突きつけていた。
俺の命か、都市の平穏か。
チリチリと首筋が焦げるような痛みを孕む。
それが顔に出ないよう、努めて口元を緩める。
そんな俺の姿を虚勢と取ったのか、男は追撃することもなく薄ら笑いを浮かべていた。
「ええ、こちらの得物のほうが馴染むもので。とはいえ、騒ぎすぎましたね」
今度こそ男は撤退の構えを見せる。
それはフェイクではない。
だが。
「連れないな。もう少し遊んでいってくれ。『我が牙は勝利のために。我が爪は栄誉のために。我が鬣は誇りのために
先の爆発で周囲一帯の住人は目を覚ましているだろう。もはや隠密性に気を配る必要はなく、むしろ増援のために派手な戦いを演じたほうがいい。ならば俺の魔法は、その役目にうってつけである。
我が心臓よ、煉獄の果てで猛く煌めけ──【吠え立てよ、獅子の心臓】」
赤く燃える視界。
目減りし続ける魔力と己の神経のみを焼く熱。
二つの対価を燃料とした魔法が、俺のステイタスを底上げする。
初速の一歩が風を裂き。
加速の二歩で地が縮む。
最速の三歩がその背に届く。
詠唱のさなかには既に遠くへ離れていた男。
俺は剣は握っていない。先ほど投げ捨ててそのままだ。
拳を叩き込んだところで、ダメージは与えられても逃げて回復される。
ならば【獅子】らしくいくとしよう。
「がっ…!?ぐあああああああああああああああああああああああああ!!」
「……澄ました声だけじゃなく、男らしい声も出せるじゃないか」
開閉させると共に顎に鋭い痛みが走る。
人間の肉を噛みちぎるというのは結構な重労働である。
それも相手がレベル4で肉体強度が相当に高いとなれば、ステイタスが高くとも容易なことではない。
なにせ人の構造は人を食い殺すようにはできていないのだから。
顎の故障は当然の代償だ。
喉元から食いちぎった肉片を地面に吐き捨てる。黒だが赤だか判然としない。
口の中は血腥さで満ちていて、もはや嗅覚は用をなさない有様だ。
しかし相手の様子は嗅覚がなくとも判別できる。
今すぐ死ぬような傷じゃない。
俺と同じだ。放っておけば血が流れて死ぬが、今すぐどうこうなる傷ではない。
戦闘の続行も問題なく行えるだろう。
「あああああああああああああああああッッ!?」
錯乱しているようにさえ見える様子で、男は短剣を振り抜く。その切っ先は俺の顔面目掛けて最短距離を突き進む。
だが、先程までの巧さはない。その軌道は至極読みやすい。
紙一重の差で刃を躱す。
ガパリ、と顎が開かれ、ガチン、と音を立てて閉じた。
筋張った肉をブツリと噛み切り、硬い骨をバキリと噛み折る。
それと同時に、顎が完全に動かなくなる。
力を込められず、下顎がだらりと垂れ下がる。
自分の肉体ながら案外脆い。他人事のように考えた。
口内にある二本の異物を吐き出すこともできずにポロリと零した。
使い込んだ鉛筆ほどの長さのそれは、人差し指と中指である。
「どうしたんだ?要望通り魔法を使ったんだから、感想の一つでもくれないか?」
顎が動いたのならそのようなことを言っていたのだが。
代わりの手招きには乗ってくれないようだ。
男は警戒をあらわにして首筋を押さえ続けている。
「……ッ!よくも、やってくれましたね」
男はもう笑っていない。
その余裕は与えない。
敏捷に任せて間合いを詰め、力に任せて蹴り飛ばす。
反応はしているが関係ない。防御の上から蹴り潰すだけだ。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハ────」
顎に力が入らないためやや間の抜けた声。
呵々大笑を上げながら、男がいつどこで拾ったかしれない金属製の盾を蹴り飛ばす。一発でぐわんと撓み、腕から容易く弾かれる盾。続く二発目は腕を交差させた男に防がれるが、男の腕が代償としてみしりと軋んだ。
あと一発で折れる。その確信とともに足を振り上げる。上から下へ走り抜ける踵落とし。まともに当たったのならば腕を圧し折り、頭蓋をも砕くであろう。
「【祝福】」
そんな絶死の一撃は、砲弾にも勝る鐘の音に阻まれた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
前から。後ろから。右から。左から。下から。上から。内から。外から。
空気を伝播する音塊が、俺の全身を滅茶苦茶に圧迫し破壊する。
「…カッ、ハアッ!」
血の塊を吐き出しながら、俺は音の元凶まで跳んだ。
音の発生源には灰色の髪を靡かせた黒いドレスの女が立っている。
立って、こちらを見下ろしている。
全身に響く鈍痛のせいで動きが鈍い。
女の素性は知れないが、この魔法の威力は尋常ではない。
この魔法の主に比べれば、先ほどまで相手をしていた男などいないも同然だ。これほどの強者は敵味方関係なく野放しにしておけない。
「喚き、這いずり回る。まさに畜生だな。私の嫌いな雑音だ」
これ以上は魔法を撃たせない。
顎を刈り取る軌道のハイキック。
近接が不得手の魔導士では凌げないだろう。レベル5のリヴェリアであってもこの間合いでは至極脆い。
速攻で意識を刈り取り連行する。
「その程度か?オラリオのレベルも落ちたものだな。不愉快極まりない」
その目論見は、女の嫋やかな細腕に手折られる。
蹴りの軌道に合わせて下から上へ、ほんの僅かに腕を傾けるだけ。
たったそれだけの動作によって足刀は空を切らされる。
「───は?」
ありえない。
たしかに近接が得意な魔導士というのもいる。だがそれは近接の補助や強化として魔法を使う、アリーゼやリューのような魔法剣士と呼ばれるものだ。
だが目の前の女はそうではない。
剣など帯びていないし、戦闘衣もおよそ近接戦を想定された作りではない。
純粋な魔導士であるはずだ。
それがこうも容易くレベル6に匹敵する蹴りを外せるわけがない。
驚愕する内心とは異なり、体は次の攻撃を開始している。その動きは一層苛烈で荒々しく、女の危険度を表しているように思えた。
しかし、
「【福音】」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
詠唱の隙など存在し得ない超短文の文言から繰り出される音の塊に、襤褸ほどに容易く吹き飛ばされる。外壁に叩きつけられ、意識が朦朧とする。
(まいったな…とてもじゃないが、勝てそうもない)
名前もわからない目の前の女は、間違いなく格上である。レベル5どころではない。あるいはレベル6の器ですらない。この魔法の威力に、近接戦闘の技量から考えて恐らくはリヴェリアよりも──────
「まだ息があるか。しぶとさだけは人並みだな──【福音】」
叩きつけられた壁に身体がめり込む感覚。
体の何処かから響く骨が軋み砕ける音。
全身の神経が絶えず脳へと送りつけてくる悲鳴。
真っ赤に染まった視界にあってなお灰色でしかない女。
情報の洪水に脳が酷く痛む。
(ああ、まずい)
体の平衡が掴めない。
波打つような音が耳に送り込まれる。
視界がだんだんと薄らぎ、端から順に暗くなる。
寝るな。起きろ。
体を力ませようとするが、どうにも上手く動かない。
(だめか)
灰に塗れた小さな背中。
それを最後に目にして、俺は意識を喪失した。
おほぉ