異世界転生で女神様から魔法チートを貰えるって聞いたのにッ!! 作:鶏心太郎
橋の工事が始まってから、
石材の出荷、荷車の手配、
父とハインは朝から現場と屋敷を行き来し、昼まで戻らない日も珍しくない。
そのぶん、俺にも仕事が回ってくるようになった。
数を写し、届いた
毎朝決まって届く書面の書き写しも、その一つだ。
川岸に立てた
それらを年ごとの帳面へ転記していく、簡単なお仕事である。
前世の仕事で表計算ソフトに慣れ切っていた俺にとって、この手の作業はなかなかにつらい。
以前ならショートカットキーとドラッグで済んだことを、今では羽ペンへインクをつけ、和紙に似た繊維の
二十年ほど前に隣国で発明されて以来、急速に普及したそうだ。
とはいえ、印刷機を持っているのは、それを
数枚あれば事足りる書面まで、わざわざ外へ頼むわけにもいかないらしく、こうしたものはいまだに手書きが当たり前だった。
面倒ではあるが、重要な記録であることには変わりない。
――知識は力なり。
前世でそう言っていたのは、誰だったか。
なぜか口の中に
これは少しくらい、仕事を任されるようになったと受け取っていいのだろうか。
そう思って父やハインの顔を
今日も昨日も、似たような数字が並んでいる。
半ば惰性で筆を動かしていると、通りかかったハインが足を止めた。
「
指されたところを見ると、一段上の数字をそのまま写していた。
「お気をつけください。その数字で、明日の積み荷が変わります」
「積み荷?」
「
ラウテルの周辺には大小の川が多く、街道だけでなく水路にも荷が流れている。
「減らしたぶんは、次の便ですか」
「ええ。船の数が増えれば、そのぶん運び賃も増えます」
書き直した数字へ目を戻す。
改めて見比べると、今年の数字はどれも妙に小さい。
「今年は、去年よりずっと低くないですか」
「低いですな。今年は
「
「水の少ない年を、そう呼びます」
この世界で初めて迎える夏は、どうやら水の少ない年に当たったらしい。
そこでハインが、ふとこちらを見た。
「しかし、よく去年の
「熱のせいです」
「なるほど。熱のせいですか」
ハインは口元をわずかに緩めた。
それ以上は追及せず、ちょうど別の机から声がかかると、何事もなかったようにそちらへ歩いていく。
危なかった。
……いや、待て。
最後のあの笑い方は何だったのだろう。
もしかすると最近の俺は、「熱」に頼りすぎているのかもしれない。
◇◇◇
その晩も、リーゼと資料室へ入った。
冬のころは、扉を開けるたびに何か面白いものが出てくるような気がしていた。
実際に並んでいるのは、請求書や
春に見つけた橋の記録も、その一つだった。
完成から五年後に
あれから暇を見つけては、似た記録を探していた。
橋、
読める字を拾い、古い書体に当たればリーゼへ渡す。
同じような記録は、さらに二件見つかった。
一件は
もう一件は一三八〇年。
どちらも別の街に架けられた石橋で、完成から数年後に
「水位の帳面を見たい」
「何年のものです?」
「一四四二年。一四一一年。それと一三八〇年」
リーゼは頷き、奥の棚へ向かった。
水位の記録だけで、棚二つをほとんど埋めている。
一年につき一冊。いちばん古いものは、四百年近く前のものだった。
石の仕入れも、
この家が、そこまで古いわけではない。
これらの多くは、ヴァルデン家ではなく
しばらくして、リーゼが三冊の帳面を抱えて戻ってきた。
「まず一四四二年から頼む」
「何をお探しで?」
「欄外だ。何か書いてないか」
リーゼは指先の光を近づけ、
「……
「次は?」
一四一一年。
「こちらもです」
一三八〇年。
リーゼは少し長く
「こちらにもございます」
三件ともだった。
俺は橋を架けた年を書き留めた紙を引き寄せる。
一四四二年。
一四一一年。
一三八〇年。
「三十一年ずつか」
「何がです?」
「橋を架けた年だ。どれも
偶然かもしれない。
だが、ここには四百年ぶんの記録がある。
「一三五〇年より少し前を見たい」
「どの年でしょう」
「まだ分からない。
そこからは橋の記録を探すのをやめ、水位帳だけを開いた。
一三四八年。
一三一七年。
一二八五年にも、同じ記述がある。
さらに
二十九年。
三十二年。
三十年。
三十一年。
ぴたりとは揃わない。
だが、二十年で来ることはなく、四十年も空かない。
俺は見つけた年を、順番に紙へ書き写していった。
四百年ぶんを確かめ終えるころには、紙の上に十を超える年が並んでいた。
だいたい三十年に一度。
その間隔だけは、見間違えようがなかった。
「今年の帳面は?」
「今年のものなら、まだこちらへは下りてきませんよ」
言われてから気づいた。
今年の帳面なら、毎日
◇◇◇
次の日、朝食を終えたところで、父に呼び止められた。
「テオ、今日はハインと現場へ行け。作業の様子をよく見ておけ」
「……は、はい。何を見れば――」
珍しく父のほうから声をかけてきたせいで、返事が少し遅れた。
理由を
そのまますたすたと別館の仕事場へ歩いていってしまう。
呼び止めようかとも思ったが、こちらを振り返る気配すらない。
やはり、どうも避けられている気がする。
そういえば、読者諸君には父のことを、まったくと言っていいほど描写していなかった。
ここで謝罪しておこう。
彼の名前はオットー・ヴァルデン。
ヴァルデン家の現当主にして、北方の地方都市ラウテルで石材職人と石材取引を束ねる組合――
要は、前世で言うグループ企業の会長みたいな立場の、結構すごい人なのだ。
そして、俺、テオドール・ヴァルデンの父でもある。
今後は父ではなくオットーと表記することにしよう。そのほうが読者諸君にも分かりやすいだろうし。
その印象も、前世で見た会長そのものだった。
声は大きい。話は分かりやすい。計算に強い。そして何より、人たらしだ。
頑固一徹な職人でも、彼と一晩酒場で飲めば、次の日には昔からの親友みたいな顔で肩を組んでいる。
なのに、俺に対してはどうもドライというか、反応が薄いというか。
この間など、中庭を歩いていたら、俺とすれ違うのを避けるように、わざわざ屋敷の裏手へ回って別館の仕事場へ入っていった。
もしかすると、嫌われているのかもしれない。
俺の母、レナーテ・ヴァルデンは、お産が重く、俺を産んだその日のうちに亡くなったという。
オットーにとって俺は、最愛の妻を奪った
それでもオットーは、いまだに
なにより、夕暮れどきに屋敷の踊り場を通ると、毎日のように、あの家族三人を描いた肖像画の前に立っている。
レナーテへの愛情が本物だったことだけは、俺にも分かった。
だからこそ、その妻と引き換えに生まれた息子をどう思っているのか、いまだに分からないのだ。
◇◇◇
昼前、ハインと屋敷を出た。
リーゼも一緒だ。彼女がドナーの
城門を抜けると、石造りの街並みは途切れ、景色が一気に開けた。
都市と都市を結ぶ街道は、城壁内の石畳とは違い、土を叩いて固めただけのものだ。
雨が少ないせいか、春には泥だった
道の両側には細長く区切られた畑が続き、大麦や
遠くでは何頭もの牛が木の
もっとも、牧歌的なのは見た目だけだ。
ドナーの
今年は
街道
「今年は、ちゃんと実るのでしょうか」
リーゼが街道
ハインもつられるように、そちらへ目を向ける。
「この程度でしたら、食べるものに困ることはないでしょう。小麦は減るでしょうが、大麦はよく育っております」
「……大麦ですか」
「お嫌いですか?」
「食べるぶんには、別に」
リーゼは少しだけ顔をしかめた。
「ただ、大麦が多い年は、エールを作る量も増えるでしょう」
「まあ、そうなりますな」
「父が酒臭くなって帰ってくるので、あまり好きではないんですよね」
ハインは苦笑しながら、
「ヨナスにも、たまには羽目を外したい夜くらいあるでしょう」
と、フォローするのが精いっぱいだった。
人付き合いには慣れているはずのハインも、年頃の娘が下す父親評には、さすがに口を挟みづらいらしい。
そんな景色の中をしばらく進み、やがて川沿いへ出た。
川を見た瞬間、少しだけ面食らった。
――意外と、でかい。
図面は見ていた。
川幅も橋の長さも、おおよその数字は頭に入っている。
それでも、勝手に農業用水を少し大きくした程度の川を想像していたらしい。
実際には、向こう岸までざっと五十メートル。
前世で言えば、日本橋を一本、そのまま架けられるくらいの幅がある。
大河と呼ぶほどではない。
だが、十歳の身体で岸辺に立ってみると、紙の上で見ていた五十メートルより、ずっと広く感じた。
ここに、石造りの橋を架けるのだ。
◇◇◇
流れる水は少ない。そのぶん、
川の中央を、膝丈ほどの深さしかない水が流れている。
両岸には白く乾いた石と砂が広がり、荷車までが川へ下りていた。乾いた
二基の
その周囲には太い木材が組まれ、アーチを支える
水に近いほうの脚の周りには、土を
高さは、俺の腰にも届かない。
あれで足りるのか、と一瞬思ってから、足りるのだと気づいた。囲うべき水が、そもそも無いのだ。
石を運ぶ者。
縄を扱う者。
木材を削る者。
水を運ぶ者。
あちこちから声が飛び、そのたびに人と荷が動いていく。
リーゼの父であり、
据えたばかりらしい石の前へしゃがみ込み、
「右へ、指半分」
男が二人、石に掛けた縄を引いた。
ぎしぎしと縄の
「よし、止めろ」
直す前も、直したあとも、俺には同じにしか見えなかった。
前世にもこういう職人はいた。定規や水平器を当てるより先に、触った感覚だけでわずかなずれを言い当てるような人間だ。
ただ、俺が知っていたのは、もっと年季の入ったおじいちゃん職人ばかりだった。
ヨナスの詳しい年齢は知らない。見たところ、四十代の前半くらいだろう。
それでいて、この精度だ。さすが
こういう人間を、天才と呼ぶのかもしれない。
そんなことを考えていると、ヨナスがこちらに気づいた。
「
「見せていただきます」
「どうぞ。ただ、その縄より内へは入らんでください」
ヨナスが、地面に張られた縄を指した。
「分かりました」
リーゼが俺の横へ来ると、ヨナスは娘の顔を一度だけ見る。
「お前も下がってろ」
「はい」
娘の様子を、この人は俺に
元気にしているか。仕事は上手くやれているか。
そのときは、自慢と心配が入り混じったような顔をしていた。
けれど今は、口元を引き締め、すっかり
娘の前では、こういう父親なのだろう。
リーゼはそれきり何も言わず、俺と一緒に縄の外へ下がった。
慣れているらしく、特に気にした様子もない。
ヨナスはもうこちらを見ていない。縄の内側で、石工に何か指を差して見せている。
俺は縄の外から、もう一度
石の面は揃っている。縦の線にも目立った曲がりはない。積み方も春に見た図面どおりだ。
少なくとも、俺の目で分かるような
視線を、そのまま下ろしていく。
石の列が終わり、地面が始まる。
「ハインさん」
「はい」
少し離れたところで帳面を確認していたハインが、顔を上げた。
「あの
「まさか。掘って、底を出して、
「どこまで掘るんです?」
「場所によります。固いところが出るまで、としか」
「では、水際は」
「水際、といいますと」
「今は、あそこまでしか水がありません」
「ええ。ですから、今のうちに組んでおります」
「水が増えたときは、どのあたりまで来ます?」
ハインは帳面を閉じないまま、少しだけ表情を改め、一拍考えてから答える。
「さて。川のことは、川に
それ以上は
ハインも理由を尋ねず、帳面へ視線を戻す。
ちょうど荷を運んできた男に声をかけられ、そのまま仕事の話へ戻っていった。
俺は川へ目を向ける。
白く乾いた
照り返しが、下から顔を
そのすぐ
水が少ない。
川へ降りやすい。
底も掘りやすい。
橋を架けるには、ずいぶん
◇◇◇
帰りは、本流の川原を回ることになった。
来た道は荷車が何度も往復したせいで、
乾いて固まった
川沿いをしばらく進んだところで、大きな穴が見えた。
幅は荷車が二台並べるくらい。深さは、人の背丈ほどある。
「なんだ、あれ」
「去年、砂を取った跡ですよ」
「砂?」
「
そこで思い出した。
ばん馬に
毎年、競技のために砂を盛り、祭りが終われば片づけると聞いていた。
その砂をどこから持ってくるのかは、一度も考えたことがなかった。
「あそこから取ったのか」
「全部ではありませんけれど。近いですから」
ドナーから降り、穴の縁まで歩いていく。
「坊ちゃま」
「見るだけだ」
斜面の緩いところを選び、底へ下りた。
崩れやすい壁の下へ人を入れるな、というのは前世で最初のほうに習ったことだ。
まあ、見るだけなら大丈夫だろう。
こういう考え方を
靴の下で、砂がさらさらと崩れた。掘り取られた断面が、そのまま壁になっている。
一番上に薄い土。その下に砂。さらに下には、拳ほどの丸い石が横へ連なり、その下がまた砂。
どの境目も、まっすぐではない。
緩く波打ち、厚みも場所によって違っている。
人が積んだのなら、こうはならない。
壁へ指を押し込むと、砂がぱらぱらとこぼれ落ちた。
丸い石を一つ抜き、手のひらで転がしてみる。
角はすっかり取れ、表面も滑らかだった。
水に運ばれ、何度も転がされてきた石だ。
斜面をよじ登るようにして穴から顔を出し、周囲を見渡した。
穴の向こうには川がある。だが今は、細い水が
ここから川までは、二十歩か、三十歩か。
もう一度、壁を眺める。
土。砂。丸い石。また砂。
さっき見た橋が頭に浮かんだ。
今は二本の
だが雨が続けば、水はあの広い
そこに、今までなかった太い
水は
流れが狭められれば、その周囲では水の勢いが増す。
速くなった水は
やがて基礎の周囲だけが深く
前世では、
現代でも、
まして、技術水準が中世ヨーロッパ後期ほどのこの世界では完全に防ぐことは難しいだろう。
それでも、ヨナスほどの職人が、この程度のことを知らないのだろうか。
知らないはずがない。
図面には、上流側へ
水が石を傷めることくらい、あの人は俺より知っている。
ただ、あの図面が測った川は、今日見たあの川だ。
人が立ったまま石を積める、あの細い流れ。
橋を架けている川も、今年は人が歩けるほど水が少ない。
壊れた三つの橋も、すべて
順番が、逆なのかもしれない。
水が引いていれば、川へ下りやすい。底も掘りやすい。囲いも低くて足りる。
安く上がって、早く仕上がる。
だから
壊れた橋が三件とも
そして、その年に架けた橋は、その年の川を見て架けられる。
完成するころには水が戻る。そのあと雨が続いて、足元が削られる。
次の
三十年。
今の
橋が傾いても、それを架けた人間が現場に残っているとは限らない。
水が引くころには、削られた足元にまた砂が流れ込んで、何事もなかったような顔をしているかもしれない。
川に削られた。地盤が悪かった。基礎が沈んだ。
そうやって一件ずつ、別の事故として片づけられていたとしたら。
「……いや」
考えすぎだ。
ここは本流で、橋があるのは支流だ。
三件が同じ理由で傾いたという証拠も、まだ何ひとつない。
「坊ちゃま。穴に入りたいお気持ちにでもなったのですか?」
穴の縁から、リーゼが
「調べていただけだ」
「では、あとでお召し物のほうも調べておきますわ」
砂を払って、斜面を上がる。
顔を出したところで、
春に見た図面の、あの白いところと同じ色だった。
◇◇◇
その晩、机に紙を広げた。
インク壺は出さなかった。書いては消すことになるのが分かっていたからだ。
台所から炭を一本もらい、小刀で先を削って尖らせる。
前世の鉛筆には遠く及ばないが、消せるという一点だけは同じだった。
最初に、
『橋の工事を止めてください』
と書いた。
読み返して、線を引く。いきなり止めろと言っても、理由が足りない。
パンの欠片で文字を擦り消し、今度は自分が分かっていることだけを書き出していった。
完成から数年で
その三件が、どれも
水位の帳面を
そして今年も、その年に当たること。
本流の砂採り場では、水際から二十歩も離れた壁の中から、水に磨かれた丸い石が出てきたこと。
かつて水は、そこまで来ていたということ。
川の幅は、春に測ったと聞いた。
今、川はいちばん細い。
水が戻ったとき、川がどこまで広がるのか。それを測った紙はあるのか。
あるなら、その幅で
そこまで書いてから、もう一枚紙を出した。
三件の橋が架けられた年と、破損が記録された年。
その横に、それぞれの年の水位帳から拾った数字を書き並べる。
さらに帳面を
文章だけより、こっちのほうが分かりやすい。
手紙とメモを重ねて読み返す。
内容より先に、字が気になった。
一年前よりはずいぶんましになったが、まだ丸い。
炭で書いた線は、指で触れただけで薄く伸びる。
大人の
これでは、最後まで読む前に子供の手紙だと分かる。
翌朝、リーゼに二枚まとめて渡した。
「これを写してくれ」
「……二枚もございますけれど」
「両方だ」
「また何か始めるおつもりで?」
そう言いながら受け取る。
最初はいつもの調子で読んでいたが、三件目の橋へ差しかかったあたりで目の動きが遅くなった。
続けて、年と数字ばかりのメモへ目を通す。
春、という字のところで、紙が一度止まった。
「……坊ちゃま」
「なんだ」
「こちらは、どなたへ?」
「父上」
「
リーゼはもう一度、二枚の紙へ目を落とした。
「お名前は?」
「書かない」
「なぜです?」
「俺の名前があったら、信用されないだろ」
十一歳の息子が
それだけで、中身を読む前に色眼鏡が付く。
リーゼはしばらく紙を持ったままだった。
「……そんなことは……」
「何が?」
「なんでもありません」
机へ座り、新しい紙を二枚取る。
インク壺の蓋を開け、羽ペンの先を落とした。
手紙のほうは、俺の文章をそのまま写すのではなく、ときどき言葉を変えていた。
もう一枚には、俺が拾った年と数字を、見やすいように並べ直していく。
書き終えると、リーゼは紙の一番下へ、短く何かを書き足した。
俺は数字のほうをもう一度確かめた。間違いはない。
「できました」
差し出された二枚は、同じ内容なのに俺のものよりずっと
悔しいが、任せて正解だった。
「これは一緒にしておいてくれ」
「承知しました」
リーゼは手紙の後ろへメモを重ねる。
重ねてから、少しのあいだ、手を離さなかった。
「どうやって渡す?」
「
「そこへ入れられるか?」
「できます」
即答だった。
「俺が入れるのは?」
「おやめください。坊ちゃまは紙の揃え方が下手ですので」
「そんなところで分かるのか」
「分かります」
妙に自信ありげに言う。
値を決めるもの、支払いの許しを求めるもの、オットーでなければ返事のできないもの。
リーゼなら、そこへ二枚ほど紛れ込ませるくらい難しくないらしい。
◇◇◇
翌朝、俺は自分の机で帳面を開きながら、その箱を気にしていた。
しばらくしてオットーが
ハインと言葉を二、三交わし、いつものように木箱から
そのまま書斎へ向かう。
歩きながら一枚目に目を通し、後ろへ回す。二枚目も同じだった。
三枚目をめくったところで、オットーの歩調が落ちた。
最後まで読み、後ろに重ねてあったメモを抜き出す。
そこで、足が止まった。
俺は反射的に帳面へ目を落とした。
少し待ってから、顔を上げる。
オットーはまだ同じ場所に立っていた。
目が、上から下へゆっくり動いている。
途中で一度、手紙へ戻る。それからまた、数字の並んだ紙へ。
もう一度、数字へ。
値の合わない帳面を見つけたときと、同じ顔だった。
俺のほうを見ることはなかった。
何も言わず、二枚をほかの
そのまま書斎へ入り、扉を閉めた。
◇◇◇
それから四日、オットーからは何も言われなかった。
橋の工事も続いている。
朝になれば石を積んだ荷車が屋敷を出て、夕方には現場から
俺の机にも、いつも通り水位の数字が回ってきた。
毎日、誰かが川を見に行き、数字を書いて、届けてくる。
手紙を読んだことは間違いない。あのメモも見ていた。
それでも、何も変わらなかった。
やはり、あの程度の根拠では足りなかったのか。
それとも、俺の考えが見当違いだったのか。
もう一度、資料室を探したほうがいいかもしれない。
橋そのものの記録がなくても、
「
顔を上げると、ハインが机の前に立っていた。
「はい」
「
「父上が?」
「書斎へ来るように、と」
手にしていた羽ペンを置く。
「……今ですか」
「今です」
ハインの顔からは、何も読み取れなかった。
椅子を降り、
閉じた書斎の扉を見た瞬間、前世で人事部から「ちょっと話がありまして」と呼ばれたときのことを思い出した。
大抵、ろくな話ではなかった。