異世界転生で女神様から魔法チートを貰えるって聞いたのにッ!! 作:鶏心太郎
外へ出てもよいと言われたのは、それからさらに三日後だった。
医者がもう一度やってきて、
ひと通り診察を済ませると、「少しなら」と言い残して帰っていった。
昼を過ぎたころ、リーゼが着替えを抱えて部屋へ入ってきた。
「歩けますか、坊ちゃま」
「歩ける」
「では、運動がてら市場へ参りましょう。馬を用意しましたので、お乗りください」
歩けると答えたのに、乗れと言われた。この家の会話は、ときどき途中の工程を飛ばす。
着替えて中庭へ出る。石材を扱う家だけあって、足元まで隙間なく石が敷かれていた。
高い塀と分厚い門に囲まれ、何も知らずに見れば、
その中庭に、一頭の馬がいた。
黒い。そして、大きい。
肩までの高さは、今の俺の背丈をゆうに越えている。脚は丸太のように太く、いちばん細い足首でさえ、俺の首より太そうだった。
冬毛が生えかけているのか、全身がふわりと毛羽立っている。
首筋へ触れると、厚い
生き物というより、毛皮に包まれた
馬がこちらを見た。
しばらく俺の顔を眺めたあと、口元をゆるめる。
へらへら笑われたように見えた。たぶん気のせいだ。気のせいであってほしい。
十歳の身体に入ったとはいえ、中身まで子供になったわけではない。
家畜に
リーゼは肩から布袋を下げていた。袋の口から、俺の
「それ、俺のだろ。持つよ」
「わたくしが持ちます」
「持てるって」
「わたくしは坊ちゃまより背が高いですから」
背の高さと荷物に、どんな関係があるのだろう。
持ち上げる側は、何の苦もなさそうだった。
それから馬の横へ回り、手綱を取る。
「落ちないでくださいね、坊ちゃま」
「……この馬、走るのか」
「走りません。荷運びに使う、ばん馬ですから」
出たのは人の門ではなく、荷車が通る広いほうの門だった。
あの巨体に、人用の門は狭すぎる。
新しい世界へ来て初めて屋敷の外へ出るのに、俺は荷物と同じ側から運び出された。
◇◇◇
屋敷は小高い丘の上にあり、馬は緩やかな坂を下りて街へと向かう。
急ぐ気などまるでない足取りで、手綱を引くリーゼも馬を急かそうとはしない。
馬上は思った以上に高い。道を歩く人の頭が、俺の
街は暗い灰色をして見えた。前世の資料で見たゴシック建築とも似ているが、どちらかといえばスコットランドあたりの建物群に近い気がする。
建物も道も、似た色の石でできている。屋根はどれも
石畳には荷車の
市場は、人と荷で埋まっていた。
「税を納め終えた者から、祭りの支度を始めます」
「ハインから聞いた。農民や町の者は、祭りの前までだったな」
「ええ。大抵は
「金貨は使わないのか」
「大きな商いがあった年には使うそうですが……一度、見てみたいものですわね。金貨」
最後だけ、声に妙な熱が入った。
同じ街に住んでいても、税を納める時期も、使う貨幣も違う。
店先の板にも文字が並んでいたが、ハインに見せられた紙と同じで、一文字も読めなかった。値札なのか、店の名なのかさえ分からない。
そのとき、後ろの店から男の声が聞こえた。
「前の
背骨のあたりが、ひとつ跳ねた。
「今、
「言っておりましたね」
「何の祭りだ?」
リーゼは呆れたように息を吐いたが、すぐに答えてくれた。
「二つの月が、どちらも満月になる日のお祭りです。四年に一度ございます」
「どっちの月の祭りなんだ」
「どっちもです」
「どうして四年に一度なんだ?」
「二つとも満月になる日だからです」
「いや、そうじゃなくて。なぜ、その日でないと駄目なんだ」
「二つとも満月になる日だからです」
同じ答えが、同じ調子で返ってきた。
はぐらかしているわけでも、何かを隠しているわけでもないらしい。
リーゼは、こちらの質問のほうがおかしいとでも言いたげに首を傾げた。
「ほかに、いつがあるんです?」
彼女にとっては、問いそのものが成立していないのだろう。
俺は口を閉じた。今は、そういうものだと受け入れるしかない。
◇◇◇
白い石を積んだ荷車と、何度もすれ違った。どれも街の外へ向かっている。
市場を抜けかけたところで、石材置場の職人が手を止めた。俺ではなく、馬へ声をかける。
「ドナー。まだ生きてたか」
馬は返事をしなかった。職人はそれで満足したらしく、荷を担ぎ直して仕事へ戻った。
「……ドナーっていうのか」
「そう呼ばれております」
その先でも同じだった。通りかかった職人が足を止め、馬へひと言かけて去っていく。
「昔、祭りの競技で勝ち続けた馬なんです」
「それはすごいな」
「ええ。それと、この街で働いている馬の半分は、ドナーの子です」
半分。
馬の功績を、そんな単位で数えるとは思わなかった。
褒められたのが分かったのか、ドナーが小刻みに首を揺らした。口角まで嫌味ったらしく上がって見える。
もちろん、自慢げに笑っているわけではない。たぶん。
石材置場の奥から、大柄な男が出てきた。手綱を引いていたリーゼの背筋が伸びる。
「わたくしの父です。ヨナス・ケルナーと申します」
男は俺たちの前で足を止め、軽く頭を下げた。
「
続けて、自分は俺の父とともに
「高熱を出されたと聞きましたが、もう外へお出になってよろしいので?」
「医者が、少しならと」
「そうですか」
それで話は終わった。
素っ気ないくらいだったが、俺にはかえって好ましかった。
生前、TRPGで使うキャラクターも、熟練の戦士や土方のおじさんのような男ばかりだった。
不器用で、腕が立つ。自分にはなれなかった生き方を、そのまま形にしたような連中だ。
そんな男が、いま目の前に立っている。それだけで妙にうれしかった。
「リーゼ。日が落ちる前には屋敷へ戻りなさい。
「はい」
去り際、ヨナスはドナーの首へ手を伸ばした。
節くれだった指に、古い傷がいくつもある。父とよく似た手だった。
石を売る家の主人と、石を切る職人の頭が、同じ形の手をしている。
父も昔は、現場で長く働いていたのだろうか。
ヨナスは馬の首を数度
「シュヴァルドナー。ずいぶん白髪が増えたな」
シュヴァルドナー。
音は聞こえたが、いつものようには意味が浮かばない。
名前とはそういうものなのだろうと思いかけたところで、一拍遅れて、頭の中へ意味が落ちてきた。
黒い雷。
前世で競馬中継を見ていた頭が、勝手に形を整える。
ブラックサンダー号。
ずいぶん立派な名を付けたものだ。
その名で菓子でも作れば、よく売れそうな気がする。
笑いそうになるのをこらえると、腹が何度か小さく震えた。
そこで、ふと引っかかった。
テオドールという名の由来は、ハインから聞いた。
祖父から継いだ名前。それでも、音そのものには意味が来ない。
何日経っても、ただの音のままだ。なのに、この馬の名は、一拍遅れながらも意味が分かった。
この差は何なのだろう。
考えかけたところで、ヨナスは手を引き、仕事へ戻っていった。
「ドナーの名前は、父が付けたんです」
「……あの人が?」
「子馬のころに。ずいぶん考えたそうですよ」
あの顔と、あの手で、子馬に黒い雷と名付けたらしい。
また少しだけ、笑いそうになった。
◇◇◇
神殿は白かった。わずかに灰と黄を帯びた石で造られ、黒と灰の街並みの中に浮かび上がって見える。
おそらく
「ドナーは中へ連れて入れません。わたくしはここで見ておりますから、坊ちゃまはどうぞ」
リーゼに鞍から下ろしてもらい、彼女とドナーを入口に残して、一人で中へ入った。
扉は開け放たれている。
白い
「……どうも。お邪魔します」
「はい、遠慮なくどうぞ。たしか、ヴァルデン家のご子息でしたね。今日はどうされましたか?」
子供が一人で訪ねても、特に驚かれなかった。珍しいことではないらしい。
「
男は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
それから何かに納得したように微笑み、俺の前へしゃがんで目線を合わせた。
「いいですよ。何から聞きたいですか?」
「
「月におられる女神様へ、お願いごとをするのが習わしです。もっとも、あなたくらいの年頃なら、屋台の
「それほどでも……。願い方に作法はありますか?」
「二つの月がどちらも空にある間に、ご自身の名を告げてから願います。それから、願い事は決して他人に教えてはなりません」
願い事を他人に教えるなというのは、前の世界にもよくあった。
誕生日の
「なぜ、名前を告げるのですか?」
「告げなければ、どなたの願いか分かりませんでしょう」
もっともだったので、それ以上は
「なぜ、四年に一度なのですか?」
「二つの月が、そろって満ちる夜だからです」
「その夜でなければ、願いは届かないのですか?」
「いいえ。そういうわけではありません。ただ、その夜に皆で祈りを
困っている様子も、何かを隠している様子もなかった。
「次の
男は少しも考えず、日付を答えた。
二年後の秋だった。
「毎回、同じ日なのですか?」
「いいえ。月は少しずつずれてまいりますので、こちらで数えて定めます」
「数える?」
「星を見る者がおります。四年に一度のことですから、間違えれば大事です」
なぜその夜に祈るのかは、誰もよく知らない。
それでも、いつその夜が来るかは正確に数えられている。
妙な話だった。
「ここは、ほかに何をするところなのですか?」
「月に数回、皆で祈りを捧げます。それから年に一度、
ハインが口にした
詳しく聞きたかったが、今日の目当ては
礼を言い、白い床を踏んで外へ出た。
◇◇◇
神殿を出ると、リーゼは少し遠回りをした。
城壁を出てすぐのところに広い空き地があり、大勢の人が土を運び、盛り、叩いていた。
二頭の馬が、横倒しにした太い丸太を
「
「競技場?」
「ばん馬に、重りを積んだソリを曳かせて坂を登らせるんです。どれだけ早く登り切れるかで順位が決まります」
川のほうから荷ソリが上がってきた。積まれているのは砂だった。
「砂は川から取ります。走路に敷くんですよ」
「毎年作るのか」
「毎年です。祭りが終われば、また平らに戻します」
何人かの職人が作業の手を止め、こちらを見た。
正確には、馬を見ていた。
「おーい、シュヴァルドナー!」
「長生きしろよ!」
声援に応えるように、ブラックサンダー号――もとい、ドナーが高くいなないた。
もう競技には出ない馬が、祭りの走路の
本当に馬なのか、少し怪しくなってきた。
空き地を抜けると、なだらかな丘が見えた。
「あれは何だ?」
「
「誰が建てたんだ?」
「さあ。昔の方々でしょう」
千年ほど前からあるらしい、とリーゼは付け足した。
それ以上は、リーゼも知らないようだった。
「あの丘に名前はあるのか?」
「カーンモアと呼ばれています」
「どういう意味だ?」
リーゼは、そんなことを
「……カーンモアは、カーンモアですよ」
そういうものらしい。
千年残る
夕日は丘と
◇◇◇
日が落ち切る前に、帰路へ就いた。
途中、リーゼが夕日とは反対の空を指さす。月が二つ出ていた。
大きいほうは半分より少し膨らみ、淡い黄色をしている。
小さいほうは爪ほどの細さで、白く光っていた。
「大きいほうが
どちらも満ちていない。
次に二つがそろうのは二年後。前にそろったのも二年前だった。
指折り数えるまでもない。
ふと思い出す。
どっちの
答えは「どっちも」だった。この街では、子供でも知っていることだった。
「
リーゼが呑気に言う。彼女にとっては、ただの遠い日付なのだろう。
実際、今はそれ以上のものではない。
二年。待つだけで
幸い、暇を
まだ一度も、使っていなかった。