異世界転生で女神様から魔法チートを貰えるって聞いたのにッ!! 作:鶏心太郎
雪が降った。
朝、
物見台では、マーゴが洗い物を抱えたまま立ち尽くしている。
早すぎる、とリーゼは言った。この時期に積もるのは何年かに一度で、たいてい昼には消えてしまうらしい。
小さな窓から見える外は、縦長に切り取られている。
その狭い景色の中に、黒い塊が立っていた。中庭の馬、ドナーだ。
冬毛が厚いので、この程度の雪なら風のない外を好むのだという。
ドナーは気持ちよさそうに身震いし、ときどき背中から湯気だけが上がる。
雪が降っていることに、まだ気づいていないようにも見えた。
屋敷の中は、朝から慌ただしい。
リーゼも階段を何度も往復し、そのたびに違うものを抱えていた。
雪を珍しがっているのは、この家では俺だけらしい。
「降っても降らなくても、祭りは祭りですから」
リーゼは
◇◇◇
読み書きと
雪で午前の荷が止まり、珍しくハインの手が空いたらしい。
ひと月待っても何一つ思い出さない俺を見て、とうとう一から教えることにしたようだ。
文字は、思っていたより早く身についた。
当然といえば当然だ。前の人生では、十年以上も文字を読んで暮らしていた。
覚え直すのは形と並べ方の決まりだけで、読むという行為そのものは、もう頭に入っている。
算盤も似たようなものだった。数の扱い方は分かっている。
「……
「熱を出しましたから」
「なるほど。熱で頭が冴えることもあるのですな」
ハインは
俺も曖昧に頷いておく。病のせいにすれば、たいていのことは通った。便利だった。
熱が下がったばかりの頃には、その便利さを少し気味悪く思ったはずなのに、ひと月も経てば、この魔法の呪文を使うのに慣れ切っていた。
◇◇◇
その日の夕方、リーゼが地階へ下りるというので、ついていった。
祭りまでは客の出入りが多く、産地ごとの石見本を上へ運ぶ必要があるらしい。
地下室にはもちろん窓はない。階段を三段も下りると、足元さえ見えなくなった。
リーゼが立ち止まり、短い言葉を一つ口にした。
「タァブ・マァン」
音は聞き取れたが、文としての意味は分からない。
次の瞬間、指先に光がともった。小さい。
しかし、
リーゼはその小さな光を器用に使う。棚へ寄るときは低くし、通路を歩くときは肩の高さへ上げる。
箱書きを読むときは手首を返し、影が文字へかからない位置に置いた。
「それ、魔法か」
「……魔法。まあ、そう言う人もおりますけれど」
「みんな使えるのか」
「儀で力があると分かった人なら。わたくしは
これだけ、とリーゼは言った。悲しそうでも、悔しそうでもない。
魔法だ。
女神が与えると言ったものと、同じ力のはずだった。
それが今、窓のない地下室で箱を探すために使われている。
この世界へ来てからひと月あまり、俺は一度も魔法を試していなかった。
子供が勝手に使えば、何をされるか分からないと思っていた。うっかり
だが、使用人の娘が荷物探しに使っている。
少なくとも、使っただけで捕まるものではないらしい。
さっそく俺は指を伸ばし、光れ、と念じる。
何も起きなかった。
もう一度、今度は強く念じてみる。やはり何も起きない。
――具体的に。
白い部屋で、女神はそう言っていた。
望む結果を具体的に思い描いてください。それだけで足ります。
目を閉じる。指先から、指一本ぶん上。大きさは豆粒ほど。
明るさは、リーゼのものと同じくらい。動かずに留まる。
目を開けると、指先の少し上あたりが光っていた。
注文どおりの光の点が目の前に浮いている。
リーゼが振り返り、目を丸くしたが、驚いていたのは一拍程度だった。
「……坊ちゃまでも、光くらい出ますわね」
「驚かないのか」
「驚きましたよ。けれど、儀の前の子が見よう見まねで出すことも、ごくまれにあるそうですから」
俺の指先を見て、自分の光を見て、それで終わりだった。
笑いそうになるのをこらえる。
出た。思い描いた通りのものが、本当に出た。
ひと月あまりぶりに、あの白い部屋が現実だったのだと世界が認めてくれた気がした。
「なあ。さっき、何か言ってただろ。『たーぶまん』とか、そんなの」
「タァブ・マァン、です」
「魔法には呪文が必要なのか」
「魔法。……坊ちゃま、それはおとぎ話の言葉ですよ」
「違うのか」
「お話の中の魔法使いや魔女が使うものが、魔法です」
「同じものだろう」
「わたくしは魔法使いではありません。
なるほど。こちらへ来てから、俺はずっと魔法という言葉を使っていた。
だがそれは、前の世界で魔法が空想の世界にしかなかったからだ。
電球を見て魔法だと言う人間はいない。あれが人間の作った装置だと知っているからだ。
こちらでの
儀があり、等級があり、使える者と使えない者がいる。空想ではなく、暮らしに根差している。
電球なら、まだ説明できる。細い線に電気を通して、光るまで熱くしているのだと答えられる。
ではヘリコプターはどうだろう。あれがなぜ浮くのか、俺は本当のところを知らない。
建築系の勉強をしていた頃も、決まった数字を式へ当てはめる程度で、
羽根が回ると浮く。空気を押しているらしいとか、反トルクをうまく使っているとか、その程度だ。
それでも、あれを魔法と呼んだことは一度もない。
そういえば、
あれも結局、計算のほうが間違っていた。
虫の羽根を飛行機の翼と同じものとして扱っていたせいで、実際は渦を作って浮いているらしい。
飛べないのではなく、人間側が間違った測り方をしただけだったのだ。
……少し脱線した。思考を戻そう。
整理すると、
それがこの世界の共通認識で、説明できるかどうかは関係がないらしい。
そういえば、さっき俺は「たーぶまん」と聞いた。
実際はタァブ・マァンだった。俺は区切る場所を間違えていたわけだ。
――ちなみにヘリコプターは、ヘリ・コプターではない。
ヘリコ・プターが正しい。
だから、青いネコ型ロボットが頭に付けて飛ぶ秘密道具の名前も本来なら間違っている。
ヘリポートもヘリパッドも、揃って区切りを間違えたまま定着したという意味では同じ。
言語というのは、なんとも曖昧なものだ。
……また脱線した。
「……で、それは呪文なのか」
「型です」
「型」
「教わったとおりに言わないと、うまく出ませんから。間違えると、出なかったり、変なところに出たりします」
「どこで教わるんだ」
「儀のあとです。等級が分かってからでないと、教えても無駄ですから」
俺は一瞬フリーズしたように固まった。
呪文は要らない、と女神は言っていた。
長い呪文も、決まった型も、あちらの魔法使いには必要ですが、あなたには必要ありません。
必要ありません、という言い方は、必要な人間がいるという意味だった。
その程度のことにも、あのときの俺は気づかなかった。
まずいかもしれない。何がどうまずいのかは分からない。
分からないものは、とりあえず伏せておくに限る。
リーゼを見ると、もう箱を抱えて階段へ向かっていた。
俺の指先については、とっくに終わった話になっている。
理由は分かる。
リーゼは、俺が型を見よう見まねで唱え、まぐれで出したと思っている。
しかも、出た光は自分と同じ程度だった。もし天井まで届くような光だったら、今頃は階段を駆け上がっていたかもしれない。情けない話だが、助かった。
火や水や光が順番に並んでいて、その最初に当たるのかもしれない。
では、俺はいくつの力を使えるのだろう。
気になる。今すぐ試したいが、今は我慢だ。
「坊ちゃま。行きますよ」
「ああ」
リーゼには口止めをしなかった。
する必要がないからだ。俺だけが隠していて、リーゼは隠してすらいない。
子供の秘密には、それで十分だろう。
◇◇◇
その晩の食卓は、いつもと変わらなかった。
父とハインは祭りの荷について話している。
雪は夜のうちに止むだろう。根雪になるのは祭りが済んでからだろうな、と父が言った。
話題は、凍結期に止まる現場と、春の注文をいつ受けるかへ移っていく。
父が俺に言ったのは二つだけだった。字を覚えているそうだな。それから、よく食え。
マーゴは俺の皿を見ていた。残せば何か言われる。残さなければ、何も言われない。
誰も地階のことを
うまくやれている。そう思った。
◇◇◇
部屋へ戻ると、
指先から、指一本ぶん上。豆粒。明るさは、さっきと同じ。
すぐに出た。手を離しても、そこに浮かんでいる。
息を吹きかけても揺れなかった。
指定した場所に、指定したものがある。
少し明るくと思えば明るくなり、少し下へと思えば下がった。
消えろ、と念じる。消えなかった。
いや、消えた。思ってから、一拍遅れた。
もう一度やってみる。出すのは早い。考えた瞬間にともる。
消すときだけ、わずかにテンポが遅れている。
建て付けの悪い戸に似ている。押せば開くが、動き出す前に一度だけ抵抗がある。
慣れの問題だろう。初めて握った道具が、まだ指へ
女神は、想像した現象をそのまま実現する力だと言った。
たしかに実現している。文句のつけようはない。
ただし、豆粒だった。
考えてみれば、最初に「光れ」とだけ念じたときには何も出なかった。
大きさと位置と明るさを決めて、初めて出た。足りなかったのは力ではない。注文の細かさだ。
ならば、大きなものも同じだろう。大きさと場所を決め、もっと細かく注文すればいい。
その仮定が正しいかどうか、すぐ試したかったが、部屋で大きな光を出せば窓から見える。
試すなら、地下室しかない。
◇◇◇
初日の昼過ぎ、リーゼと街へ出ると、以前見た市場とはまるで違っていた。
通りの両側には布張りの屋台が並び、焼いた肉や香辛料、甘い菓子の匂いが混ざっている。
呼び込み、笑い声、値段をまけろと騒ぐ声。
普段は荷車が通る石畳を、人が埋め尽くしていた。
リーゼは俺の手首をつかんだ。手をつなぐというより、逃げる荷物を確保する持ち方だった。
「離れないでくださいね」
「子供じゃないんだから」
「子供です」
そうだった。
最初に食べたのは、串に刺した肉だ。
表面を
歩きながら食べるのかと思えば、皆、屋台の
「坊ちゃま、口の横についています」
「分かってる」
「分かっている人は、そのままにしません」
布で拭かれた。中身が何歳だろうと、周囲から見れば十歳の子供だ。祭りの日くらいは、抵抗しても仕方がない。
次に買ったのは、神殿の男が話していた
甘い。ただ甘い。それなのに、祭りの通りで食べると妙にうまかった。
◇◇◇
広場には、木組みの舞台が作られていた。舞台の裏と両
筒を抱えた者、浅い鉢を
役者より、裏方のほうが多い。
袖のほうから、低い声がいくつも重なって流れてきた。
「アァブ・パフシュ・マァン」
最初の一音と同時に、舞台の床から霧が出た。白い霧は足首の高さで広がり、それより上へは来ない。
次に風が来た。役者の
風が止むと、楽隊は二拍待ってから次の節へ入った。
耳を澄ますと、いくつもの声が重なり、それぞれが違う節を、違う高さで唱えている。
それでも音は濁らず、大きなうねりのような心地よい音を奏でていた。
前の世界の教会で聞いた合唱に似ている。あるいは、名前も知らない土地の、幾重にも声を重ねる歌に。
リーゼの説明をまとめれば、型は決められた現象をきちんと出すためのものらしい。
きちんと出せるなら、いつ出すかも決められる。
この舞台は、そうして組まれているのだろう。
金を取れる劇だと思った。前の世界でチケットを買って入ったアリーナの舞台にも、勝るとも劣らない。
演目は、古い時代の王を描いたものだ。
王は幼い頃から聡明で、神童、神の使い、賢者と呼ばれていた。若くして王位を継いだあとも、正しい裁きと優れた知恵で国を治め、民から深く慕われたという。
だが、最愛の妻が病で亡くなると、王は妻を取り戻すため、禁じられた魔法へ手を出した。
やがて宮殿の奥へ閉じこもり、民から財産を取り上げ、兵士や罪人を実験に使うようになる。それでも妻は戻らなかった。
晩年には、人の断末魔を聞けばよく眠れると言い出し、夜の鐘が鳴るたび、民を一人ずつ生きたまま焼き殺した。
舞台の端で鐘が鳴る。兵士役の男たちが一人を
絶叫が響く中、王役の男が大きな
「今宵も、よく眠れそうだ」
客席の子供たちが息を呑む。
王は、もう賢王とは呼ばれなかった。人々は彼を狂王と呼んだ。
その蛮行を見かねた女神は、異なる世界から一人の勇者を召喚する。
勇者役の男は、見慣れない形の服を着ていた。異界人らしさを表した衣装なのだろうが、俺には少し派手な旅芸人か道化師にしか見えない。
「異界より来たりし勇者よ。狂王を討ち、苦しむ民を救うのです」
「あなたに、真なる
そう告げると、女神が勇者へ剣を授けると、舞台袖で誰かが短く唱える。
「タァブ・マァン」
勇者役の男が剣を掲げても、光は剣の形を保ったまま追従する。
揺れず、ぶれず、振り回しても刃からはみ出さない。一幕のあいだ、明るさも変わらなかった。
「なあ。あれ、どうやってるんだ」
「舞台の裏に、ちゃんとした
勇者は十の力を操り、炎を消し、城壁を砕き、空を駆けた。
城壁が砕ける場面では、太鼓に合わせて数人の声が一つになった。
「アァティシュ・バァラァ・ラハァ」
人の背丈ほどの火柱が上がる。一人で出せないものを、複数人で出しているのだ。
最後の戦いで、王は妻の姿をした影を呼び出した。勇者は一度だけ剣を下ろす。
その隙に王が襲いかかり、客席から悲鳴が上がった。
だが、勇者は身を翻し、華麗にかわす。
「人を犠牲にして得た力に、救えるものなどない!」
剣が振り下ろされ、王は倒れた。
舞台に鐘の音が響く。国には平和が戻った。
めでたし、めでたし。
筋書きは単純だった。賢い王が狂い、異界から来た勇者に討たれる。
途中から、話の先は何となく読めていた。周りの大人たちの反応を見るに、たぶん誰もが知っている有名な物語なのだろう。
それでも狂王が倒れると、子供たちは一斉に歓声を上げた。リーゼも楽しそうに笑っている。
つられて、俺も笑った。
ただ――「異界の勇者」という言葉だけが、なぜかしばらく頭から離れなかった。
◇◇◇
一週間続いた祭りの後半には、城壁の外でばん馬の競技が行われた。
この前まで作っていた坂には砂が敷かれ、両側を人垣が囲んでいる。
ドナーは出ない。もう競技を引退しているからだ。
それでも会場へ連れてこられ、柵の外から走る馬を眺めていた。
通りかかる者が、次々に首を
「今年はどれが勝つんだ」
「さあ。父は赤毛の馬だと言っていました」
「じゃあ、それにするか」
「お金を賭けてはいけませんよ」
「分かってる」
子供は賭けに参加できないらしい。その代わり、大人たちは盛大に参加していた。
一頭の馬が坂の途中で止まると、人垣の向こうから悲鳴が上がる。
「畜生! あと三歩だったじゃねえか!」
「冬の酒代が!」
馬は気にする様子もなく、荒い鼻息と白い蒸気を上げていた。
次の馬が登り切ると、今度は別の場所から歓声と悲鳴が同時に上がる。
勝った馬より、負けた大人たちを眺めているほうが面白かった。
呆れ顔だったリーゼも、途中から声を上げて笑っていた。
祭りのあいだ、屋敷にも大勢の人が出入りした。
最後の日に帳が締まるので、職人も運送屋も一度は顔を出す。
父は奥からほとんど出てこず、ハインが表と奥を往復するたび、抱えていた
街へ出ない日は、俺も屋敷を手伝わされた。紙を運び、数字を書き写し、来客へ水を出す。
一人になれる時間は、ほとんどなかった。
魔法を試すのは、祭りが済んでからだと決めた。
最後の日の夕方、マーゴが菓子を焼いた。
厨房の戸を開けると、甘い匂いが廊下まで流れ出し、台所には
配る先は、毎年同じらしかった。
使用人に一枚ずつ。
父と親しい職人にも一枚ずつ。
父は受け取らなかった。甘いものを口にしない人らしい。
俺の取り分は三枚だった。家の中で一番多い。
その場で一枚食べ、残りは台所の棚へ置かれた。
自室へ持っていくものではないらしい。この家では、俺の菓子まで家の勘定に入っている。
残りが何枚かは、たぶん屋敷の全員が知っている。
その晩、また雪が降った。
今度は、消えなかった。
朝になっても中庭は白いままで、ドナーの背中からは前と同じように湯気が上がっていた。
祭りが終わり、荷が止まった。客も来なくなった。
地下室には、誰も用がなくなる。
明日から試そう。
もう少し、大きいものを。