異世界転生で女神様から魔法チートを貰えるって聞いたのにッ!! 作:鶏心太郎
心臓が、一度だけ大きく
振り返ると、扉を背にしてリーゼが寄りかかるように立っていた。
指先には、俺のものと同じ大きさで、少しだけ明るい光が浮かんでいる。
「……いつからだ」
「坊ちゃまが、鍵穴にお顔をつけていたあたりから」
最初からだった。
つまりこの娘は、俺が
前世より一回り小さくなった脳みそをフル回転させ、それらしい言い訳を探す。
だが、混乱した頭では何も浮かばなかった。
まずい。非常にまずい。
リーゼには、魔法が使えること自体はすでに知られている。
問題は、その魔法で立入禁止の錠を開けたところまで見られたことだった。
むち打ち、
神殿にまで話が回り、
リーゼは隙間から身体を滑り込ませ、後ろ手に扉を押した。
重い鉄扉が、大きな音も立てずに閉じられる。
「鍵は、ハインさんがお持ちのはずですけれど」
「……開いて、ました、です」
「まあ」
どうやって開けたのかとは
「
よかった。
とはいえ、半年も地下室へ下りられないのは困る。
せっかく見つけた手がかりを、扉の向こうへ置いたまま取り上げられるなど、むち打ちの次くらいに嫌だった。
「黙っててくれ」
「なぜです」
「頼む」
「何をくださいます?」
「……何がいる」
「そうですね」
考える顔をしていたが、答えは最初から決まっていたらしい。
「クッキーでは買収されませんわ。三枚からなら考えますが」
クッキー三枚。
残りは台所の棚に二枚ある。何枚残っているかは、屋敷の全員が知っていた。
誤魔化せる数ではない。つまり、払えない額を吹っかけられている。
値切るという考えは浮かばなかった。
昔から、払えない額を出されたとき、俺は額を下げようとはしなかった。
期限を延ばすか、支払いを分けるか。そのどちらかで通してきた。
「今日中に、二枚渡す」
「二枚では足りません」
「残りの一枚は、年明けの祭りに払う」
リーゼが黙った。
「例年どおりなら、マーゴがまた焼くだろう。俺の取り分から渡す」
「……年明けまで、待てと」
「待たせるぶんは上乗せする」
「上乗せですか」
「二枚だ」
リーゼは腕を組み、考えるしぐさをした。
「……坊ちゃま」
「なんだ」
「今、いくつと仰いました」
「今日二枚。年明けに一枚。上乗せが二枚」
指を折って数える。
「締めて五枚だ」
指先の動きに合わせて光が少し下がり、照らされていた棚が暗くなる。
明るいのは二人の足元だけになり、リーゼの顔は
「……三枚と申し上げたのですが」
「三枚じゃ足りないだろ。二枚しか手元にないのに、年明けまで待たせるんだ」
リーゼは小さく息を吐き、顔が見える位置まで光を上げ直した。
「……承知しました」
「
「証文?」
「口だけの約束では、契約とは申しません」
十五の娘が言う台詞ではない。
彼女は腰に下げていた手拭いを取り出し、端へ歯を立て、まっすぐ縦に裂いた。
二枚の布を机の上へ広げ、裂いた縁を元の形へ戻すように、ぴたりと合わせる。
「インクと羽ペンを。そちらの机の
用具を受け取ると、リーゼは二枚の布へ
一行目に、クッキー五枚。
二行目に、うち二枚を本日、残る三枚を年明けの祭りまでに支払うこと。
三行目に、資料室への侵入を口外しないこと。
「年明けの祭りまで、と書きました」
「日付は」
「祭りが日付です。年明けの日は、年によって前後しますから」
「坊ちゃまも、お書きください」
「何をだ?」
「お名前を。
羽ペンを受け取り、合わせた布の上へ自分の名前を書いた。
字は丸く、大きかった。お世辞にも達筆とは言えない。
この手はまだ十歳のもので、俺の書きたい形には動いてくれなかった。
俺に続いてリーゼも名を記し、証文の片割れを渡してくる。
二人の名前は裂け目を
「これで契約は成立です」
リーゼはもう片方を
「では、坊ちゃま」
「何をお探しですか?」
◇◇◇
棚は天井まで続き、紙の束が奥行きいっぱいに詰まっていた。
背に題のついたものもあれば、
端から順に見ていく。
手近な束へ伸ばした俺の手を、リーゼが先に押さえた。
「そちらは証文です」
「読んでは駄目なのか」
「触りません。触ったら、本当に泥棒ですから」
「今も似たようなものだろ」
「違います。罪の重さは、法によって決められています」
リーゼは手を離さないまま続けた。
「証文を盗めば、軽くてむち打ち。重ければ、両手の指をすべて落とされます」
「坊ちゃまは
「そんなにか。なら、なんで協力してくれたんだ?」
「……マーゴさんのクッキーには、それだけの価値がありますから」
意外と食い意地が張っている。
材料が
証文の棚を避け、反対側を調べた。
業者への発注書。どの現場に、どこの誰が、いくらの賃金で入ったか。
報告書。買い手とどのような約束を交わし、どう仕事を終えたか。
石の納品控え、破損の報告、建物の修繕記録。
隣の棚には、古い証文、担保の証書、顧客からの訴えの記録まで並んでいた。
そちらは見なかったことにした。
手当たり次第に書類の束を開き、資料らしい本の背を確かめる。
だが、小説に出てくるような
一冊だけ、題の読める古い帳面があった。
背には『
開いてみると、中は鏡へ映したような筆記体で埋まっていた。リーゼも首を横に振ったため、そのまま棚へ戻した。
「がっかりなさいましたか」
「……少し」
「わたくしは、面白いと思いますけれど」
リーゼは紐で括られた束を一つ引き出し、光を近づけていた。
「ヴァルデン家は、この国でも名のある
「坊ちゃまがおっしゃるような、
分かっていた。分かってはいたが、落胆は隠せなかった。
独学に限界があるとしても、
今度の人生では、使える時間を使わないまま捨てたくなかった。
ここにある資料から、魔法の仕組みまでは分からない。
それでも、どのような場面で使われているかくらいは拾えるかもしれない。
そこで、一つ思いついた。
「工事に
「ありますよ」
「どんな作業に使われるか、分かるか?」
「さあ。報告書や工事の計画書には、書いてあるかもしれませんが」
「それだ」
工事に関する記録を集めるようリーゼへ頼み、俺は読むことに徹した。
しばらくして、それらしい記述を見つけた。
『街道補修工事。作業員二十名、うち
『
「……待て。キログラム?」
「ええ。ここに書いてあるではないですか」
リーゼの指した場所は、確かに俺が読んだ行と重なっていた。
読み間違えているわけではない。
「ちなみに、一キログラムは、水にするとどのくらいだ?」
「一リットルの
「もしかして、メートルにも聞き覚えが?」
「ありますよ。長さの単位でしょう?」
リーゼは、何を今さらという顔をした。
「この間の
なんということだ。
前世の国際単位系、そのままだった。
おそらく狂王も、転生か転移によってこの世界へ来た人間だったのだろう。
俺は、女神の仕事ぶりに初めて感激した。
ヤード・ポンド法ではなく国際単位系を採用する人物を選んだ。その一点だけで、神として
単位が同じなら、
この記録から確実に分かるのは、
術者だけで浮かせたのか、
それでも、力の大きさを測る目安にはなる。
大きな進展だった。計画書や報告書を読めば、ほかにも多くの事例を拾える。
「工事へ
リーゼが、新旧入り混じった紙束を差し出した。
「この街にいる術者の
個人情報保護法のない世界らしく、遠慮のない項目が並んでいた。
名前、生まれ年、
重いものを浮かせるのが得意な者。火を起こすのが得意な者。水をせき止めるのが得意な者。
鉄が溶けるほど物を熱する者。硬い岩盤の
台帳の末尾には、術者を雇う際の日当表があった。
隣に積まれた古い台帳にも、同じ十の欄があった。
そこに書かれた内容は、俺にとって魔導書に等しかった。
◇◇◇
資料室を出たその日のうちに、台所の棚に残っていた二枚のクッキーをリーゼへ渡した。
それから、冬が終わるまで資料室へ通った。
昼食のあと、屋敷がいちばん静かになる時間がある。
父は
使えるのは、
最初は
何度か繰り返すうちに、百を数え終える前には掛け金を外せるようになった。
出るときは、開けたときと逆の順に板を戻す。扉を引いて動かないことを確かめてから、地下室を離れた。
資料室へ入るたび、リーゼは同じ一言から始めた。
「タァブ・マァン」
何度聞いても、意味は取れなかった。俺の光は、何も言わなくても出る。
灯りはリーゼに任せた。
俺の光より少し明るく、読んでいる行に合わせて位置を動かしてくれる。
おかげで俺は、両手で紙を扱えた。
触れるのは、証文棚の反対側だけだった。
資料のかなりの部分は、ハインに見せられた古い書体で書かれている。
「これは、川の名前ですね」
「読めるのか」
「これでも
図面と
古い資料も読めなければ、現場では困るらしい。
そこで、前世で耳にした噂を思い出した。
現場の年寄りか、酒の席か、ネットで見たものだったかもしれない。
「なあ。モルタルに卵を混ぜると、強くなるというのは本当なのか?」
リーゼの手が止まり、ものすごい勢いで振り返った。
「なんですかそれ?! 卵は高級品ですよ?!」
「いや、どこかで聞いたような気がして」
「壁に卵を塗るんですか?! 塗るんですか?!」
「塗るというか、混ぜるらしいと……」
「坊ちゃま、やっぱり高熱で頭が……およよ……」
少なくとも、この街の職人にはない話らしい。
病のせいだとは、何度も言われてきた。
冗談として返されたのは、これが初めてだった。
ハインもマーゴも、病の話には触れない。
リーゼだけが平然と笑いものにする。
その雑さが、かえってありがたかった。
◇◇◇
古い図面まで難なく読みこなすリーゼを見ていて、ふと疑問が浮かんだ。
俺は、彼女がなぜこの屋敷で働いているのかを知らなかった。
リーゼの父ヨナスは働き盛りで、暮らしに困っている様子もない。
「なぜ、ここで使用人をすることになったんだ?」
リーゼは、俺が読み終えた書類を元の棚へ戻しながら、淡々と話し始めた。
「わたくしがここへ雇われたのは、三年前です。儀を終えて、すぐのことでした。わたくしは
「儀の前までは、いずれ父の
「
「『
何も言えずにいると、リーゼはクスクスと意地悪そうに笑った。
「悪い話ではありません。ここは居心地がいいですし、皆さんも優しくしてくださいます」
「……そうか」
「坊ちゃまがそんなお顔をなさるほうが、妙なのです」
本当に不思議そうだった。
◇◇◇
その晩、資料室で見た
女神が言ったのは「十の位」だ。火や水に分かれた十種類の力がある、とは言っていない。
そこまで勝手に条件を足し、あれこれ考察したのは俺のほうだった。
とはいえ、俺は光も水も出せて、物も動かせる。
なら、少なくとも下のほうではないだろう。
本人の
◇◇◇
冬が明けると、この国では年も明ける。
春が来ると、屋敷が急に騒がしくなり始めた。
石の門が開き、荷車が入る。
地下室の階段にも、
冬のあいだ誰も用のなかった地下室へ、見本を確かめる客が下り、灯りがいくつも点く。
人が下りてくれば、資料室へ入るところを見られるかもしれない。
困った。まだ調べたいことは山ほどあるのだが。
年明けの祭りの日、マーゴが菓子を焼いた。
厨房から甘い匂いが流れ、屋敷じゅうに充満していた。
俺の取り分は、三枚だった。
棚へ置かれる前に皿ごと持ち出し、白い
いつか同じものを、同じ運び方で持ってきてもらったことを思い出す。
部屋の前では、リーゼが先に待っていた。
「約束の三枚だ」
皿を差し出すと、リーゼは二枚だけ取った。
クッキーをきれいにハンカチへ包み、前掛けの下へ入れる。
「いいえ。今日は二枚で十分です」
二枚しか取らない理由が分からなかった。
「年明けに一枚。上乗せが二枚。合わせて三枚の約束だっただろう?」
「最初に二枚。今日、二枚。三枚で売った秘密ですから、わたくしはもう一枚ぶん儲けています」
「では、残りの一枚は」
「ひとまず、次の
リーゼは片手を俺の前へ出し、折った小指だけを何度か動かしてみせた。
「これから菓子が手に入るたびに、わたくしへ一枚ください。期限は決めません」
「決めないのか」
「一枚くださるたび、次の祭りまで契約を更新したものとします」
「そのかわり、坊ちゃまが必要だとお考えになる、お屋敷の中での段取りはすべて引き受けます」
「マーゴがいつ物見台へ上がるか。ハインさんがいつ
「継続契約、ということだな」
「そういうことです」
屋敷の人間が、いつ、どこにいるのか。
使用人だけあって、リーゼはすべて知っているのだろう。断る理由はなかった。
「分かった」
「では、
「まだ書くのか」
「口だけの約束では、契約とは申しませんので」
机の引き出しから、冬に受け取った証文の片割れを出した。
リーゼも自分の一枚を取り出し、裂け目を合わせる。
古い約束の下へ、これまでに四枚を受け取り、残る一枚は預けたままとすること。
菓子を一枚受け取るたびに次の祭りまで契約を更新し、その間、屋敷の中で必要になる段取りをリーゼが引き受けること。
二行を書き足すと、彼女は境目へ名を記した。
俺も、その隣へ丸い字を書き添える。
「これで契約は成立です」
二枚の布を再び分け、それぞれの手元へ戻した。
春になれば終わるはずだったものが、終わらないことになった。
俺はそう考えながら、彼女と固く握手を交わした。
「これからも共犯者として、よろしく頼む。リーゼ」
「こちらこそ。今後ともよろしくお願いいたします、テオドール坊ちゃま」