一人称無理だ……
【九日目・昼】
「1008号室と同じように閉鎖されているのは1011号室です。カチョウお姉様は護衛たちと何か揉めていらっしゃいました」
モモゼ王子は安楽椅子に座り、メモ書きから顔を上げた。
晩餐会から一夜明け、かねてより構想していたモモゼ王子の編みぐるみによる偵察を試している。幸いにして原作の描写やここ数日の試行から、ダクトは各部屋に繋がっていることが分かっていた。
サレサレ王子が未明に死亡し、葬儀が行われた。
そして原作ではカチョウ王子が亡くなっていたはずの今日、封鎖されているのはフウゲツ王子の部屋だ。
順当に考えれば、原作とは異なりカチョウ王子が生存したことになる。
しかしそんなことが起こり得るだろうか。カチョウ・フウゲツ王子の守護霊獣はジョイント型であり、片方は空間移動能力を持つが、移動の始点はフウゲツ王子が担う。
よって、危機を感じたとすればフウゲツ王子が扉を開く必要があり、必然、扉を潜って自室へ逃げ込むのもフウゲツ王子が先になるはず。
ピトーとのやり取りが両王子の意識を変えたか、単に継承戦の進行が原作より遅れていることによるズレくらいに考えておくべきなのだろうが……。
「引き続きカチョウ王子の偵察をお願い出来ますか?」
「……いえ、難しそうです。一時的に部屋に戻っただけのようで、護衛に連れられて退出なさいました」
「でしたら、編みぐるみは待機させておいてください」
「良いのですか? 他の王子の偵察も可能ですが」
「我々も思い付く程度のことですから、念使いにとっては通気口を使った偵察や情報の伝達はごくありきたりな手段です。当然警戒されますから、慎重に進める必要があります。まだ待ちましょう」
「わかりました」
原作においてカチョウ王子は死後、守護霊獣としてフウゲツ王子に憑く。物理法則に縛られないことを利用して、センリツと共に動いていた。具体的には、空間移動能力を活用するために捏造した遺言の配布行脚と、
加えてセンリツの能力と空間移動を組み合わせて上位王子の毒殺さえ仄めかしていたりと、十分に警戒すべき強硬策を通し得る陣営へと変貌する。
カチョウ王子が生存し、フウゲツ王子が守護霊獣となった場合、動きが加速するのか停滞するのか、あまり想像がつかない。
ただおそらくは、各王子の居室へのマーキングは仕掛けに来るだろう。そしてこれはリスクを飲み込むことに繋がるが、マーキングは受け入れるべきだ。
カチョウ王子と同盟を結べた場合、かなり動きやすくなる。
そうは言っても入れるのはリビングまでになるだろうが。
モモゼ王子には偵察の中断をお願いし、その間に王子の念の訓練を続ける。
昼過ぎから夜までがピトーの休息時間だが、彼女はリビングでだらけたり眠ったりして自由に過ごしている。体力的にはまあ、あまり問題ないのだろう。
2ヶ月以上も円をほぼ張りっぱなしで寝ずの番をしていたバケモノだ。
しかもそれで大して消耗した様子もなかった。
ソファでうたた寝するピトーを尻目に、『隠』の訓練を監督する。
『隠』の精度が上がれば、他者の『円』の中でもオーラを知覚されなくなる。俺の『
もちろん一定の精度で『凝』をされれば見破られるし、モモゼ王子の場合は、不自然なところに編みぐるみが置かれているだけで疑われるだろう。
だが確実に奇襲性能は上がるうえ、能力の秘匿にも繋がる。
例えば、編みぐるみが動いているところを見られたとしても、『隠』ができていればオーラから術者がモモゼ王子だと断定できないケースも増える。基本的には使い得な技術であり、強化系以外は最優先で鍛えるべきだ。
「編みぐるみを動かすとオーラが漏れていますね」
「はい」
操作系で、しかも編みぐるみを動かすとなればそれだけでマルチタスクだ。さらに自分のオーラと編みぐるみに振り分けたオーラの両方を切り分けて操作するともなれば、難易度は跳ね上がる。
「ゆっくりと動かしてみて、オーラの制御を覚えていきましょう。目を瞑っても構いません」
目を閉じた方がぬいぐるみとの同期に集中できるらしい。後々を考えればある程度の数を半自動で操作できるようになるのが理想だが、まだそこまでは望めないだろう。
『隠』をした状態で編みぐるみがゆっくりと歩き出す。
上達は時間の問題だろう。あとは時勢がそれを許してくれるかどうか。
「リグ様。……フウゲツお姉様がカチョウお姉様のお部屋にいらっしゃいました。それと、宙に浮いていらっしゃいます」
視界共有を切っていなかったのか、1010号室の異変について察知できた。
予想通り、フウゲツ王子がカチョウ王子の守護霊獣となっているらしい。
「気付かれないようにゆっくりと編みぐるみを戻してくださいますか? できれば『隠』をした状態で」
「やってみます」
守護霊獣となったのであれば、監視にも気が付かれる可能性が高い。編みぐるみを戻すようにお願いして、次のことを考える。
「この部屋のダクト付近まで戻しました。フウゲツお姉様も『念』を修得されたのでしょうか?」
「いいえ、昨日の時点では念使いではありませんでした。おそらく、カチョウ・フウゲツ王子いずれかの守護霊獣の能力でしょう。状況から考えて、フウゲツ王子は亡くなった可能性が高いです」
モモゼ王子の手が止まり、視線が落ちる。
「逃亡を試みたからでしょうか」
「そうでしょうね。壺中卵の儀からの逃亡は死に繋がるとみて間違いないかと」
逃亡が禁じられるのは当然と言えば当然だ。
儀式が始まった直後に王子が国外逃亡すればそれだけで儀式は破綻する。
「どうして逃走なさったのでしょうか。協会員であればリスクにも気がつけたのでは?」
「協会員は個人レベルの念についてはかなり詳しいですが、儀式や軍隊式の念になるとその知識はまちまちです。あくまで我々はハンターであって、必ずしも念に精通しているとは限りません」
一流に近付けば近付くほど念そのものにも詳しいものだが、それでも得意分野から離れるほど知識量は少なくなる。
ボディーガードが本業であれば対人戦における念の在り方について詳しいが、蒐集家であればその知識は死後の念や芸術品に宿るオーラ、歴史などに偏るだろう。
キーニがどんな能力を持っていたのかは分からないが、ミュージックハンターであるセンリツが儀式の逃亡リスクについて見通せなくても不自然ではない。
王子から儀式の詳しい情報が入っていたならともかく、外部護衛が断片的な情報から全てのリスクを羅列するのは不可能に近い。
そんなことをつらつらと話していると、突如として強大なオーラの鳴動が起こった。ピトーが跳ね起き、瞳孔が開く。
「1009号室だニャ」
「モモゼ王子、編みぐるみを遣わせられますか?」
「既に向かわせています」
原作では
一週間ほど遅延している。となれば、ハルケンブルグ王子を勝たせるために
「ハルケンブルグお兄様のオーラです。私設兵と円陣を組み、黙祷していらっしゃいます」
「まだ念に目覚めてないんでしょ? すごいオーラだね」
「守護霊獣の能力が意志の統一に有効なものなんだろう。ジョイント型であればこのオーラにも説明がつく」
「私設兵ってたった15人ぽっちだよね。それでこんなに跳ね上がるの? 瞬間的な出力ならユピーと同じくらいだよ」
ピトーの言う通り、王子を含めても16人の非念能力者で護衛軍並のオーラを発揮できているのは破格だ。
そして、ピトーにも通用し得る脅威でもある。
「守護霊獣の力でやっているならそんなもんだろうと思うしかない。俺も
同じ方向を向いていても、瞬間的に思考がバラければ容易に瓦解するのがこの手の能力の難しさだ。厳密に役割分担ができていたり、能力の設計を共有できているならともかく、ただ意志のみをジョイントの担保とする構造は、外圧に弱い。
幼い少女を殺すために、ハルケンブルグ陣営は100パーセントの力で弓を引けるだろうか。ピトーが襲撃した時、攻撃と防衛と退避で思考は分散しないか。
たったそれだけでハルケンブルグ王子の能力が封じられはしないだろうが、念能力の強度は保てないだろう。集団ということもあって、護衛軍のような脅威にはならない。
敗北の筋は、1009号室から壁を貫通してピトーが射貫かれること。だがそれは、継承戦の終盤まではまず取られない手段だ。早期に下位王子を狙うことも、協会員を害することも、ハルケンブルグ王子にとっては特大のマイナスになる。
「あのオーラなら、適当な能力でも作っちゃえば他の陣営に勝てるんじゃない?」
「どうだろうな。他の守護霊獣と比べて汎用的過ぎるし強すぎる。相応に制限があると考えるのが自然だが」
「そんなものかぁ。王子のワンマンじゃ勝てないようにできてるんだね」
「一人で戦うのは王の器ではないという事なんだろう。それに、実力があれば強ち不可能という程でもない」
オーラの鳴動が鎮まる。ピトーは欠伸をして、ソファに座り直した。
モモゼ王子が編みぐるみをもう一度退避させる。
「モモゼ王子、1014号室へ手紙を書きましょう。実験にはちょうど良い頃合いです」
「今日の調査内容ですね。全て共有してもよろしいのですか?」
「構わないでしょう。カチョウ王子の護衛はクラピカの仲間です。我々が得た情報もいずれは伝わるでしょうから」
モモゼ王子は頷き、便箋と万年筆を手に取った。
内容はカチョウ・フウゲツ王子の状況と、オーラの鳴動がハルケンブルグ王子に由来すること。今後の情報共有手段についてだ。
中身を改めて、俺がダクトに手紙を差し入れる。ダクトの内側でモモゼ王子の編みぐるみが手紙を受け取り、1014号室へ歩いていった。
そうこうしている内に茶が冷めてしまったので淹れ直す。
モモゼ王子のカップに注ぎ、ソファに座ると、ピトーが両腕で俺の腰を捕まえた。枕に使わせろということらしい。王子がくすりと笑った。
ため息を吐く。
「ハルケンブルグ王子が動き出すとすれば、ベンジャミン王子が強硬手段に打って出る可能性が現実的なものになってきました」
「特殊戒厳令、ですね」
特殊戒厳令が発令されれば、ベンジャミン王子が三権を握ることになる。つまり、ベンジャミン王子による王子殺しは合法になり、念能力者の集団が全ての王子を順に襲うことになる。
「法的に争うすべはありません。私とピトーが協会員であるが故に、最初から強硬策は取ってこないだろうとは予想できますが、それでも何かしら理由をつけて護衛から引き離されればそれで終わりです。よって、我々が取れる作戦は博打に近いものになります。即ち、仮病です」
「仮病?」
「ピトーの能力でモモゼ王子の身体を操作し、一時的に発熱や発汗、震えを起こさせます。名目は風邪でも未知の呪いでも構いませんが、最も容易なのはピトーの能力を外部からの呪いに偽装することでしょうね。体調不良を言い訳にこの部屋からの移動を拒否します」
言っていて苦しい作戦だとは思う。
この作戦は概ね、ピトーという抑止力に依存している。ベンジャミン王子と私設兵団を相手にして、俺とピトーが彼らに大損害を与えるだろうという計算を向こうができるかどうか。
戒厳令を発令した時点で、ベンジャミン王子は時間に追われることになる。生物兵器に罹患しているだろうという前提は横に置いておくにしても、目的を達せずに戒厳令を解除してしまえば大きく不利になるのはベンジャミン王子だからだ。
「……一定の効力はあると思いますが、それでもベンジャミンお兄様が強硬手段を取った場合はどうされますか?」
「戦うしかありませんね。私設兵を倒して逃走しましょう」
「王子は強いんでしょ? ボク、そっちも興味があるんだけど」
「その時点で俺たちは御用だぞ」
「それも悪くないかもね。リグがキメラアントの世界に来ればいい」
琥珀色の瞳が、俺を見上げている。
私設兵を倒すとは言うが、実際には難しいだろう。ベンジャミン王子の能力の詳細までは分からないが、トノグラの能力を保有していることもあって、俺たち二人共が力及ばず殺されることも有り得る。
俺の自己満足のためにモモゼ王子を守れと言い、場合によっては死ねと告げている。
戒厳令中の王族殺人のためにハンター協会が動くかは怪しいところだが、ピトーの討伐令が出たとして、俺もいた方が幾分勝率は増すだろう。
膝の上の銀髪を撫でる。
思考が都合よく揺れていた。
正しく理屈に従うなら、モモゼ王子を見捨てるべきだ。俺の能力に制限を付け足してでも、それが正しい。
だが、今更それはできそうにない。母親にさえ見捨てられた少女を裏切り、孤独のまま死なせるくらいなら、殉じる覚悟を決めている。
それにピトーを巻き込みたくはないが、隣に立ってくれたならどれほど嬉しいだろうとも思う。
自覚はあるが、俺も大概欲深い。
「……ああ、悪くない」
【十二日目・昼】
「もしも壺中卵の儀の期間──
二度目の念講習を始めるにあたって、クラピカはいきなり全陣営に爆弾を投げ込んだ。
ハルケンブルグ王子がベンジャミン王子の私設兵へと攻撃を加え始め、両者の対立が激化している。全陣営が巻き込まれて継承戦そのものが加速し始めるこのタイミングでの発表は、クラピカにとっても賭けだろう。
狙いは続く『ワブル王子が継承戦に参加していない』というもう一つの爆弾と、下位王子に団結による生存の目を知らせること。
特殊戒厳令がなければ、クラピカが構築した第3、第5、第14王子による連合は順当に拡大しただろう。
俺がやることは変わらない。引き続きクラピカの補助をしつつ、戒厳令を乗り切る方策を考える。
モモゼ王子を生かすためにクリアすべき条件は三つ。
生物兵器の毒殺を防ぐこと。ビヨンド・ネテロによる呪殺を凌ぐ方法を考えること。
この内ビヨンドの呪いに関しては解呪手段が見つかっていない。壺中卵の儀が終われば効力を失くすだろうとは思われるが、それまでに何かしらの方法で起動されれば防げない。
モモゼ王子を呪い殺すためのソエモノを特定できない以上、十人近くの念能力者を事情を知らせず守りきることなど到底不可能だ。
ここは特殊条件により継承戦をクリアしつつあるクラピカにベットせざるを得ない。
原作の通りに第二回講習が始まったのを見届け、講習が終わると同時に1012号室へと戻る。事前に無線でワブル王子の状況については伝えていたから、特に報告事項はない。
「ワブル王子は敵では無くなったのですね」
モモゼ王子は隠さずに安堵の表情を浮かべた。
クラピカによる継承戦についての仮説を聞いても、まだ王になる意志は揺らいでいないらしい。
それを殊更に諌める気はもうない。
オイト王妃との関係から、連合の目もあるかとは思っていたが、この調子ならまだ難しいだろう。クラピカ陣営との連携に関してはやりやすくなったとも言えるものの、彼らが既に構築している同盟には踏み込みきれない。
俺とピトーはモモゼ王子を生かすために動くが、モモゼ王子が策を巡らし、王位を狙う分には止めないと言ってある。その代わりに相談はして欲しい、とはお願いしたが。
ピトーと交代する前に昼食の準備をする。
今日から特殊戒厳令が始まってもおかしくない。料理の作り置きの他に、逃走に持ち出せるよういくつか食料や飲料を移動しておく。
実際にはそんな余裕はなかろうが、備えておくに越したことはないだろう。
昼食の用意が整ったところで、一瞬、フルートの音を聴いたような気がした。
──瞬間、意識が音の世界に囚われる。
センリツの能力だ、と気が付いた時にはもう遅い。
抜け出す術はなく、俺は立ち尽くした。
予期せぬ状況に幾つか予想を立てる。
最も納得しやすいのは、無差別演奏である可能性。何らかの緊急事態によって、王子の逃走や遅延のためにセンリツが能力を行使せざるを得なかったと考えれば辻褄は合う。
困るのは俺たちの陣営への攻撃だった場合だ。
センリツを信じるなら、すぐさまモモゼ王子が害されることはないだろう。誘拐であれば、ピトーの『円』で探し出すリスクを取らなければならなくなるが……
演奏が明けたらモモゼ王子には胃の中のものを吐き出してもらう必要があるが、一旦それだけだ。遅効性の毒を盛られていたとしても、それで対応できるはず。
その他に何パターンか予想を立てて、演奏の終わりを待つ。一度目に聴いた時よりも幾分思考を回す余裕があった。慣れか、他の要因か。いずれにせよ、全く動けはしないのだが。
演奏が終わり、現実の景色が戻ってくると同時、リビングの方へと駆け込んだ。
「──は?」
リビングは空だった。モモゼ王子どころか、ピトーもいない。
『
おそらくは第二層。ピトーに任せるべきか、それともどうにかこちらから向かうべきか。
『特殊戒厳令発令! 繰り返す──』
──嗚呼、全てが最悪だ。