死んだ、と思った。
だが次に目を開けた時、俺は暗い部屋に立っている。痛みはなく、血も、炎もない。ただ現実味のない静寂だけがあった。
周囲には、用途の分からない機械が無秩序に並んでいる。まるで、『現代の機械』を無理やりツギハギして作ったような、歪な空間だった。
ガラス製の小さな装置から、天井近くまで積み上がった歯車の塊まで。どれもが静止しているのに、今にも動き出しそうな気配だ。
「……ここは?」
「やぁ、元気そうだね」
「!?」
金属を擦るみたいに冷たい、頭の内側に鳴るような声だった。
正面の暗闇の中に、ブラウン管テレビに腰掛ける『人間』がいた。先ほどまでは間違いなく何もなかったはずだ。無意識に一歩、後ずさる。
「まぁそう驚かないでよ、僕が龍から君を救った訳なんだしさ」
「あ、アンタは?」
「………………名前が必要なら、そうだね。“カミサマ”でいいよ」
そう言って、カミサマと名乗る存在は曖昧に笑った。
指を鳴らすと、向かいにもう一台のテレビが現れる。視線だけで座れと言われ、疑問や不安を一旦押し殺し、黙って腰を下ろした。
「神様って、存在したのか」
「正確には違うけどね、でも今はそんな事どうだっていいだろう?」
頬づえをつきながら、見透かしたかのように此方を見据える。
「あの後、どうなったんだ」
カミサマは指を鳴らし、パチン、と乾いた音が闇に響く。
同時に、周囲を取り囲んでいた無数のモニターが一斉に唸りを上げ、ノイズ混じりの明滅を始めた。
次々と映し出される映像に、息を呑む。それは、世界各地の映像。
黒煙を上げる見慣れた交差点。融解し、鉄骨が剥き出しになったオフィスビル。主を失ってアスファルトに転がる、無数の機械。
SNSのタイムラインは数時間前で凍りつき、新しい投稿は流れてこない。
生存を知らせる声も、誰かを探す声も、すべてが消えていた。
「あ……」
喉から、意味を成さない音が漏れた。モニターの隅に、俺の実家があった場所が映る。
屋根は落ち、壁は砕け、そこにはもう、人が暮らしていた痕跡すら残っていなかった。
視線を彷徨わせる。どこかの画面に、誰かが映っていないか。誰でもいい、動いている人間はいないのか。
だが、冷酷な機械が表示するのは、無機質な瓦礫の死体だけ。
指先が、震えてモニターに触れた。しかし画面は、何の反応も返さなかった。
カミサマは、ブラウン管の上で足を組み替え、その光景を見上げている。
「……ここまでだよ」
あまりに淡々とした声だった。
「どうにも、ならなかったのか?」
縋るように声を絞り出す。
しかし、無常にもカミサマは静かに頭を横に振った。
その絶望的な回答に、抑え込んでいた感情が決壊した。
「ッ! そもそもあの怪物はなんなんだよ!」
「あの龍は未来の異世界から訪れた生命体だよ」
「なんでそんな意味の分からねぇものが俺たちの世界に!?」
「――運が悪かった、それ以外無いね」
あまりの投げやりな言葉に顔を顰める。嘘では無いのだろう。嘘ではないのだろうが、運が悪くて世界が滅びましたなんて納得できるわけが無い。
俺の家族の死は、幼馴染の死は! 運という軽く無意味な言葉で片付けられていいものじゃない筈だ!
「何か、無いのか? 世界を元に戻す方法が!」
「……」
なら、無意味じゃなかったことを証明する。カミサマが俺を助けたのは憐れんだからじゃない、何か理由がある筈だ。そうじゃないなら俺以外の人間が居る筈だ。
「…………あるよ、世界を救う方法」
「やっぱり! どうすればいいんだ!」
しかしカミサマは口篭り、せわしなく視線を動かす。
「カミサマ?」
「キミに問う、優しい
唐突な宣言に困惑してしまう。
まだ皆を助けられるかもしれないのに生きるか死ぬかを選べ? 迷う訳がないじゃないか。
「俺は死ぬつもりなんてない! 世界を救えるならなんだってやる!」
楽な道じゃないのは承知している。でも諦めるなんて有り得ない。
立ち上がり、カミサマに向かって頭を下げた。
「頼む、方法を教えてくれ」
「……龍が、世界を滅ぼした」
抑揚のない声で、カミサマは言う。
「あの龍はね、異世界の人類が抱いた『幻想』そのものなんだ。恐怖や信仰が積み重なって、形を持ってしまった」
指先が、虚空を指し示す。
「――ならば、
世界を救いたくば、世界を滅ぼせと。
「それ以外に、道はない」
「――――」
その言葉を、すぐには理解できなかった。いや――理解したくなかった。
詰まる所、同じことを仕返せと言ってるもんだ。背中から嫌な汗が流れる。
今も鮮明に覚えている。
炎に包まれた死を、四肢がバラバラになっていた死を、瓦礫に押し潰された死を。あの地獄を俺はきっと、生涯忘れることは無いだろう。
「人は龍に勝てない、防ぐことも不可能だ。なら、生まれる前に消すしかないんだ」
「そ、それ以外に何か方法は!?」
「【無い】」
思わずブラウン管に座り込む。吐き気がする……俺が味わったこの怒りを、憎しみを、絶望を! 別の誰かに味わわせろというのか!
――嫌だ。
想像するだけで気が遠くなり、心臓が酷く痛む。
諦めたい、このまま痛みなく死ねるならきっと楽なんだろう。
『皆を助けてやってくれ』
――だが、俺は託された。託されてしまった……なら、俺は進む以外の選択肢はない。
胃の腑が痙攣し、酸っぱいものが喉元までせり上がる。それを奥歯が砕けそうなほど噛み締めて、無理やり飲み下した。
こんなものは悪魔の選択だ、分かってる。
震える手を強く握り締め、爪が食い込む痛みで意識を保つ。
「……やる、よ」
喉が焼けるように熱かった。
俺の感情も異世界人の感情もどうだっていい。それで世界が救えるなら、家族が、友人が救えるなら――やってやる。
異世界を滅ぼして、世界を救う。それが、生き残ってしまった俺の使命。
「俺が、世界を
「そう、そっか……やっぱりキミは進んでしまうんだね。」
そう言って、視線を逸らしたように見えた。
「当然、キミ一人じゃ無理だ。だから転移させた先の少女を頼りなさい」
「その子を利用しろと?」
「利用でも、協力でも、呼び方はどうでもいいよ」
カミサマは曖昧に肩をすくめた。
「転移した場所で信用を積み重ねて、【最涯ての地】に辿り着きなさい」
「最涯ての地……?」
「きっと、見れば分かるさ、そこを目指せばいい」
そう言って、カミサマは言葉を切った。
なんというか……端折りすぎじゃないか?
「もっと詳細は?」
「これ以上は言えない。不用意に情報を渡しすぎると何が起きるかわからない——長い、長い旅になるだろうね」
「……分かったよ、その最果ての地を目指せばいいんだな?」
「そうだね、辿り着けばなんとかなるよ」
——その瞬間。
微かに部屋が揺れた。
パキリ、と乾いた音を立てて、どこかのガラスに罅が入る。
それは1つではなく、四方八方から重なって響いてきた。
直後、聞き覚えのある咆哮が、空間そのものを震わせた。
「もう、時間なんだね」
「まさか、アイツが!?」
「そうだね、もっとキミと居たかったんだけど駄目みたいだね」
「居たかったって……どういう――ッ!」
カミサマは此方の首に手を回し、言葉を遮るように口づけをした。
温かい何かが、身体に流れ込む。それと同時に視界が暗くなる。
「なに……を」
「異世界には『AF』と呼ばれる力があってね、今君にその力を渡した」
決壊の音が響く。遂にこの空間は龍に破壊されたようで雪の様にキラキラと光る破片が降り注ぎ、天井の向こうが“影”で埋まっていく。
「もし、苦しいなら使命なんて放り出していいんだよ……だから――」
誰かが、紐に通された白い貝殻を強く握り、涙を流していた。
「――どうか幸せになってね、オル」
耳元で、祈りのような囁きが聞こえた。
その言葉を最後に、世界が反転し――意識が途切れた。
◇
薄暗く埃が舞う小さな部屋に、大きな魔法陣が描かれており、その中心には大きな皿が置かれていた。
そんな場に不釣り合いな少女は鼻歌交じりに笑う。
今から召喚魔法を行う。それも生命体を召喚する魔法だ。
本来なら貴族でも中々手が出ない魔導書を、彼女は露店で叩き買った。本来の価値を知らない人が出していたのだろう。買い叩いた様で申し訳なさがあったけれども、魔法使いとしては運が良かったと言わざるを得ない。
「なけなしの生活費を叩いた『竜の化石』に、秘蔵の『聖水』もセット!」
大事な生活費すら使っちゃったけど、これで生命体が呼べるなら安いものだ。
急いで買ってきた素材を皿に入れて、準備完了。
虹色に輝く石を魔法陣内に放り投げた。しかし地面に落下せず、物理法則を無視するかのように石は空中に漂い、魔法陣の中でクルクルと回り始める。
大きく深呼吸し、手を突き出す。
「――根源接続、魔力同調開始。万能なるマナよ、奇跡の源……その大海の一滴を我に使役なさしめよ」
魔法陣が赤く光り始める。月が満ちた夜の時間、召喚素材と条件は完璧だ。
後は詠唱を間違えず最後までやり抜けばいい。
「遥かなる次元の境界を穿ち、星を傾け、
虹色の石はクルクルと高速で回り始め、光の円を作り出す。
その影響か風が吹き荒れ、大きく髪を揺らす。これじゃ大規模魔法を使っているみたいだ、と内心思う。
「――
内なるスイッチを叩き落とす。
カチリ、と確かな感触と共に、魔力の出力を解放した。
「我が運命に連なる存在よ!我が願いを紡がんとし、我が世界に干渉する意志を持つ者よ!」
魔法陣が赤く光り輝く。同時に、手ごたえを感じた。
釣りで魚を引っ掛けたような、そんな感覚。なら後は――釣り上げるだけ!
「呼応せよ。空白を越え、契約を結び、我が元へ顕現せよ」
最後の一節を、叩きつける。
「――無業の英雄よ!!」
大きな衝撃音と目が開けられない程の光……これ以上ない程の手ごたえ!
完璧だ! 一体どんな生物が召喚されたのか……。
かつて召喚魔法を使った大魔導士は、空を自由自在に飛び回るグリフォンなる獣を召喚したと記録に残っている。
もしかしたら自分が召喚したのも最高位の幻獣とか――
「に……」
視界が徐々に戻り、魔法陣に目を向ける。
そこには蛇でも蛙でも、ましてやグリフォンの様な幻獣なのではなく……。
「に”ん”げ”ん”だぁ”!?!?!?」
人間が、そこに居た。