休日の夜。
コーポ大谷の一室では、四角い卓を囲んで大家、達郎、カンサイねこの三人が座っていた。卓の上には麻雀牌と飲み物、灰皿。あとは空席が一つだけ残っている。
「一人足りないな」
「三麻にします?」
牌を混ぜる大家へ、達郎が淡々と返す。
「せっかくだし、四人でやりたいんだけどな」
「誰か呼ぶ?」
カンサイねこが廊下の方を見る。
ちょうどその時だった。
「何してるにゃ?」
開いていた扉から、ヤニねこが顔を出した。片手にはタバコ。卓の麻雀牌と三人を順番に見る。
「麻雀」
大家が答えると、ヤニねこの耳が少し立った。
「金かかる?」
「賭けない」
「じゃあ帰るにゃ」
参加理由が消えた。
ヤニねこも消えかけた。
「待て待て。ちょうど四人目が足りないんだ。ちょっと付き合ってくれ」
大家に呼び止められ、ヤニねこがもう一度顔を出す。
「ニャー、麻雀よく分かんないにゃ」
「牌をそろえて上がればいいですよ、ヤニねこちゃん」
「チーとポンは知ってるにゃ」
カンサイねこが嫌そうな顔をした。
「そこだけ知っとるんが一番不安やな」
「ロンも聞いたことあるにゃ」
「ほな、まあ最低限は……」
「リーチは?」
「知らないにゃ」
「最低限なかったわ」
それでも四人目には違いない。大家と達郎から必要なところだけ教わり、そのまま半荘が始まった。
最初の局。
ヤニねこは配られた十三枚を並べ、自分の手牌を眺める。
「何すればいいにゃ?」
「同じのとか、数字がつながってるのをそろえる」
「全部違うにゃ」
「最初はだいたいそんなもんだよ」
「ハズレにゃ」
「ガチャじゃないから」
ヤニねこは一度だけ自分の手牌を見た。
それからは、ほとんど見なかった。
代わりに気になったのは、他人が捨てる牌だった。
達郎が一萬を切る。
「これチーできる?」
「できませんよ、ヤニねこちゃん」
大家が九筒を捨てる。
「ポンは?」
「できない」
カンサイねこが發を切る。
「これ何かできるにゃ?」
「何もできへん」
「麻雀つまらないにゃ」
「まだ始まったばっかりや」
上がることには、まだ興味がない。
何か叫びながら人の牌を取る方が、たぶん楽しい。
ヤニねこはタバコをくわえたまま、つまらなそうに牌を一枚捨てた。
しばらくして、大家が三萬を切る。
ヤニねこの手元には一萬と二萬。
達郎が指を差した。
「ヤニねこちゃん、それならチーできますよ」
「できる?」
「はい」
その瞬間、ヤニねこの耳がぴんと立った。
「チーにゃ!」
さっきまでとは別人のような声量だった。
「急に元気だな」
「チーできたにゃ」
「そら見たら分かるわ」
ヤニねこは一萬、二萬、三萬を卓の端へ並べ、満足そうに眺める。
「これ楽しいにゃ」
「麻雀の楽しみ方、そこなん?」
どうやら当たりを引いたらしい。
数巡後、今度は達郎が白を捨てた。
ヤニねこの目が光る。
「それ、マンカス!」
「はい?」
「同じの二個あるにゃ!」
「ならポンできますよ」
ヤニねこが勢いよく牌へ手を伸ばした。
「ポンにゃ!」
白が三枚並ぶ。
ヤニねこは自分の前にできた白を眺め、それから先ほど作ったチーを見る。
チー。
ポン。
何かに気づいた。
「…………」
口元が少し緩む。
カンサイねこは、その顔を見逃さなかった。
「おい。今なんか、しょうもないこと思いついたやろ」
「何もにゃ」
「その顔で誤魔化せると思うな」
ヤニねこは何も言わず牌を一枚捨てる。
ただ、さっきより少し楽しそうだった。
その局は達郎が上がった。
「ロンです」
「あ」
「どうしました、ヤニねこちゃん?」
ヤニねこが自分の牌を見る。
「ニャー、まだポンしたかったにゃ」
「勝つゲームですよ」
「ポンするゲームじゃないん?」
「違います」
そこは今日初めて知った。
◇
次の局。
ヤニねこは、さっきより少し真面目に牌を見ていた。
ただし、役を作ろうとしているわけではない。
鳴ける牌を探していた。
カンサイねこが牌を切る。
「それもらうにゃ!」
「チーやな」
「チーにゃ!」
元気よく三枚を並べる。
しばらく後、大家が捨てた牌を見る。
「それもにゃ!」
「ポンできるな」
「ポンにゃ!」
ヤニねこが牌を並べた。
そして、自分の前を見る。
「…………」
一拍。
「ち〇ぽにゃ!」
卓が止まった。
「……何?」
大家が顔を上げる。
ヤニねこは満足そうに自分の牌を指した。
「チーにゃ!」
隣を指す。
「ポンにゃ!」
最後に胸を張った。
「合わせて、ち〇ぽにゃ!」
カンサイねこが吹き出した。
「ぶっ……小学生か!」
「できたにゃ」
「何ができたんだよ」
大家は一切笑っていなかった。
「新しい役にゃ」
「麻雀にそんな役ないぞ」
「今できたにゃ」
「作るな」
達郎だけは特に興味を示さず、牌を一枚引いた。
「次、ヤニねこちゃんですよ」
「マンカス、聞いた?」
「聞きました」
「ち〇ぽにゃ」
「はい。捨ててください」
「反応薄いにゃ」
「麻雀しているので」
ヤニねこは少し不満そうに牌を切った。
しかし、一度見つけてしまった。
もう駄目だった。
次の局でもチーをする。
少し後にポン。
「ち〇ぽにゃ!」
「またかい」
カンサイねこはまだ笑った。大家は無視し、達郎は「次ですよ、ヤニねこちゃん」と淡々とゲームを進める。
さらに次。
「チーにゃ!」
「ポンにゃ!」
「ち〇ぽにゃ!」
「もうええって」
その次。
「チーにゃ! ポンにゃ! ち〇ぽにゃ!」
「もうええわ!」
とうとうカンサイねこの笑いも尽きた。
「なんでにゃ?」
「一回目は不意打ちやったから笑っただけや!」
「毎回完成度上がってるにゃ」
「上がっとらん」
大家もため息をつく。
「もう普通に打ってくれない?」
「普通に打ってるにゃ」
「勝つ気ある?」
「あるにゃ」
達郎がヤニねこの手元を見る。
「ヤニねこちゃん、その牌は鳴かない方がいいと思いますけど」
「なんで?」
「手がかなり狭くなります」
「でもポンできるにゃ」
「できますけど」
「じゃあポンにゃ!」
ヤニねこが鳴いた。
すぐ、自分の前にあるチーを指差す。
「ち〇ぽにゃ!」
大家が牌を置いた。
「お前、もう勝つことよりそれ言いたいだけだろ」
「両方狙ってるにゃ」
「欲張るところじゃない」
ヤニねこは楽しそうだった。
役も点数も待ちも、よく分かっていない。
チーをする。ポンをする。ち〇ぽにゃと言う。
今日の麻雀で一番大事なのは、もうそれになっていた。
ところが次の局では、先に同じ牌が出た。
「ポンにゃ!」
ヤニねこが三枚並べる。
しばらく後、カンサイねこの捨て牌を見て、また耳が立った。
「チーにゃ!」
牌を並べたところで、動きが止まる。
「…………」
「今度は逆やな」
カンサイねこが嫌な予感を覚えた。
ヤニねこが小声で言う。
「ぽんち……」
「それ以上言うな!」
「まだ何も言ってないにゃ」
「言う前に分かるわ!」
大家も即座に口を挟む。
「そこから先は禁止」
「なんでにゃ?」
「麻雀からどんどん離れてるから」
達郎は静かに牌を切った。
「次ですよ、ヤニねこちゃん」
「マンカスだけ冷たいにゃ」
「進まないので」
この卓で一番麻雀をしているのは、たぶん達郎だった。
◇
半荘も終盤。
ヤニねこの手元には、鳴き散らかした牌が並んでいた。
「またチーするにゃ」
「もう鳴けませんよ」
「なんで?」
「必要ないです。上がる方を考えてください」
「つまらないにゃ」
達郎がヤニねこの手牌をちらりと見る。
白はすでにポンしている。チーした順子もある。本人は何を作っているのかまるで分かっていないが、形だけはそれなりにできていた。
「ヤニねこちゃん。これ、もう一枚来たら上がれますよ」
「どれ?」
「それです」
「これ来たら勝ち?」
「はい」
ヤニねこは急に真剣になった。
勝つことにも、ようやく少し興味が出たらしい。
卓を見る。
大家が牌を切る。
「違うにゃ」
カンサイねこ。
「それも違うにゃ」
達郎が牌を捨てた。
ヤニねこの目が止まる。
「それにゃ!」
「はい?」
「マンカス、これでいい?」
「はい」
自分の牌を見る。
もう一度、達郎の捨て牌を見る。
「ロンにゃ!」
勢いよく手牌を倒した。
達郎が確認し、淡々と頷く。
「はい。上がってますよ、ヤニねこちゃん。白がありますから役もあります」
「ほんと?」
大家も牌を見る。
「安いけどな」
そんなことはどうでもよかった。
ヤニねこは両手を上げ、尻尾まで大きく揺らす。
「やったにゃー! ち〇ぽで勝ったにゃー!」
「その役名で記録するな」
大家が即座に止める。
カンサイねこは頭を抱えた。
「今日だけで麻雀だいぶ汚れたで」
「ち〇ぽ強いにゃ」
「白が強かっただけや」
達郎は淡々と点棒を渡し、そのまま牌を集め始める。
「次、親ですね」
大家が達郎を見る。
「まだやるの?」
「半荘なので」
ヤニねこも上機嫌で牌を混ぜる。
じゃらじゃら。
「次はもっとでかいち〇ぽ作るにゃ」
大家の手が止まった。
「終わり」
「なんでにゃ!」
「今決めた」
「まだ半荘終わってないにゃ!」
「俺の気力が終わった」
「ニャー勝ってるにゃ!」
「だから何だ」
カンサイねこも席を立つ。
「うちも今日はもうええわ。次やる時までに役くらい覚えとき」
「ち〇ぽにゃは覚えたにゃ」
「それを忘れろ言うてんねん」
達郎だけは最後まで牌を片づけていた。
ヤニねこは名残惜しそうに、チーした牌とポンした牌を並べ直す。
「チーにゃ」
「片づけろ」
「ポンにゃ」
「ヤニねこ」
「……ち〇ぽにゃ」
大家が無言で牌を回収した。
「あっ」
目の前から完成品が消える。
「ニャーのち〇ぽ取られたにゃ」
「人聞きの悪い言い方するな!」
その日以降。
コーポ大谷で麻雀をする時だけ、
「ヤニねこを四人目に呼ぶか」
という提案には、少し長い沈黙が入るようになった。