白煉のオーク ~SINK, SLUMBER, AND BE FOREVER STEEPED!~ 作:ポオツマス亭
将校クラブで煽った安酒が胃の奥を灼き、視界をぐにゃりと歪ませる酷い酩酊。
オルクセン国軍歩兵科中尉──オットー・クルツ。
オットーは、巨躯を左右に不格好に揺らしながら、千鳥足で夜のヴァルターベルクの街を歩いていた。
無骨に突き出た顎、全身から漂う酸っぱい酒臭さ。
軍人としての矜持などどこにも残っていない、無様そのものの姿だった。
石畳を叩く重い軍靴の音が、夜の路地にむなしく響く。
街灯の青白い光の陰から、通りをゆくダークエルフの女性たちの姿が浮かび上がる。
凛とした背筋、透き通るような栗色の髪、そして冷酷なまでに美しい横顔。
新設された『アンファングリア旅団』の将校や関係者であるダークエルフたちは、夜の静寂の中でも隙のない気品を纏っていた。
「……ちっ、澄ました顔しやがって……高慢ちきな牝どものが」
オットーは吐き気を押し殺し、喉の奥で掠れた悪態をつく。
誰の耳にも届かない、負け犬の惨めな遠吠えに過ぎない小声の呪詛。
だが、すれ違いざま、一人の女将校の視線がかすかに動いた。
「……不潔な[[rb:豚頭 > オーク]]ね」
鋭い刃先で刺すような、冷徹極まりない呟き。
眉をかすかにひそめ、路傍のゴミ屑でも目にしたかのように、明確な拒絶を含んだ蔑みの視線。
──その視線が突き刺さった瞬間、オットーの背筋をゾクリと妖しい戦慄が駆け抜けた。
悪態を口にしながらも、オットーの胸の奥が底知れぬ歪んだ熱を帯び始めていた。
理不尽な種族の格差、容赦ない屈辱、そして己の圧倒的な醜さ。
ダークエルフたちの底冷えする視線に晒され、踏みにじられるたびに、屈辱の裏側で甘美な自虐的快楽が神経の末端を強く痺れさせていく。
オットーはさらに深く軍帽を引き上げ、苛立ちの陰に恍惚を忍ばせた歪んだ笑みを浮かべながら、暗鬱な夜の街へと足を進めた。
官舎へと向かっていたはずの足取りは、急激に混濁する意識の中で重くもつれ、オットーの巨躯はあっけなく体勢を崩した。
夜霧を含んだ雑草の群生へと不格好に倒れ込むと同時に、鈍い衝撃が側頭部を激しく打つ。
暗闇の中にあった角ばった石に、無防備な頭部をそのまま叩きつけたのだ。
「っ……あ、ぐ……っ!」
視界の端で荒々しい火花が散る。
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耳鳴りが鼓膜を激しく揺らし、上下の感覚が失われ、頬には冷たい草と湿った土の感触が押しつけられていた。
打ち付けた箇所から、じんわりと嫌に温かい液体が滲みだし、皮膚を伝って目元へと垂れ落ちてくる。
鉄臭い血液の匂いが、安酒の不快な臭気と混ざり合って鼻腔を突いた。
(何をやっている……私は……)
髪を濡らした濃密な赤が、額を伝い、眉に落ち、睫毛を重く濡らしていく。
脈拍に合わせてズキン、ズキンと頭骨の奥を削るような痛みが襲い掛かる。
軍帽はどこへ吹き飛んだのか。
将校の証を失い、血で顔面を汚した姿は、夜道で勝手に潰れた愚かなオークのそれでしかない。
「……このまま死ねたら、よかったものを」
死こそが唯一の安らぎであるはずだった。
だが、オットーは死ねなかった。
無様に生き恥を晒し、冷たい地の上で血を流しながら、惨めに息を吐き続けている。
「……私はなぜ、こんなところに来てしまったんだ」
自信のなさとは裏腹に、オットーの軍人としての手腕は確かであり、戦術への造詣も極めて優秀だった。
だからこそ、新設されたダークエルフ旅団の軍事顧問団に抜擢されたのだ。
だが、その能力がオットー自身を救うことはない。
過剰なまでの自己嫌悪と種族間の偏見が、オットーを「冴えない無能のオーク」という枠組みに押し込め、同期からの嘲笑とダークエルフの女たちからの冷酷な蔑みへと追いやっていった。
『白煉』と呼ばれるオットーの肌は、一般的なオークとは異なり、どこか白磁を思わせる、血色の透けた病的なまでに白い皮膚だった。
同族からも不気味だと嫌悪された、アルビノと呼ばれる異端の肌であった。
その白い肌の上を、頭部の傷から溢れ出た鮮烈な赤が伝い、ぽたりと草葉を濡らす。
ポケットから取り出した白布を畳み、出血箇所に強く押し当てた、その時だった。
カツン、カツン、と。
静まり返った夜の静寂を切り裂くように、一切の乱れがない硬質な軍靴の音が近づいてきた。
草むらで膝をつき、不器用に白布を当てていたオットーは動作を止めた。
見捨てる価値すらなく通り過ぎるはずだった女将校が、草むらから漂う酷い酒臭さと血の匂いに、不快そうに足を止めた。
──先ほど路地で冷酷な言葉を投げかけていった本人。
アンファングリア旅団傘下山岳猟兵連隊、第一猟兵中隊の小隊長を務める、ルシエラ・グラート少尉だった。
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ルシエラは、血と酒にまみれ、頭を白布で押さえて地べたに手をつくオットーの無様な姿に気づくと、ピタリと足を止めた。
栗色の髪が夜風に揺れ、透き通るような赤い瞳が、冷たくオットーを見下ろす。
「……何をしておられるのですか、クルツ中尉殿。先ほど路地で見かけたかと思えば……このような場所で醜態を晒しておられるとは」
その声には、一切の感情が含まれていなかった。
オットーは血にまみれた顔をゆっくりと上げ、荒い息を吐きながら自嘲気味に口の端を歪めた。
「……何って、見れば分かるだろう、少尉。無様な豚が酒に呑まれ、夜道で頭を割って血を流しているだけだ」
「軍事顧問ともあろう方が、不快極まりない」
ルシエラは眉ひとつ動かさず、吐き捨てるように言った。
「顧問としての手腕とは裏腹に、なんと惨めな……。このような草むらで泥酔して、頭から血を流して転がっているなど……中尉殿には、軍人としての矜持というものが欠片も存在しないのですか?」
「矜持……? ハハ、ハハハッ……!」
オットーの喉から、乾いた笑いが漏れた。
「矜持などと高尚なものは、貴女方のような気高く美しい存在にこそ相応しい。私にあるのは……この分厚く不格好な肉体と、吐き気のするような己への嫌悪だけだ。私のような醜悪な豚頭が、どんなに足掻いたところで、貴女方の足元にも及ばない……!」
白布を握りしめる指先が、激しく震えていた。
オットーは歪んだ吐息を漏らしながら続ける。
「お前たちはいいな。美しく、気高い……だが、私にはそれがない。何も……何ひとつとしてないのだ!」
それは、むき出しの絶望だった。
己の肉体への呪い、届かぬ美への渇望、そして自身という存在そのものに対する深遠な自虐。
しかし、ルシエラの瞳に浮かんだのは、同情でも哀れみでもなかった。
徹底した拒絶と冷酷。
「……見苦しい」
ルシエラは一歩、踏み出した。
月光に照らされたオットーの白い皮膚が、ダークエルフのそれとは違う、病的な不気味さを放っている。
同族のオークからも異端と嫌悪された白磁の肌が、今はただ、浅ましく血を吸って濁っていた。
「己の無能と醜さを免罪符に、悲劇の主人公を気取られるつもりですか……あまりに薄汚く、滑稽ですよ、中尉殿」
その言葉が、オットーの胸を深く抉った。
(——ああ)
その瞬間、オットーの脳髄の中で何かが弾け飛んだ。
頭部の激痛が、血流の熱さが、ルシエラの放つ冷たい蔑視と交錯する。
(ああ、いいぞ……蔑めよ、侮蔑しろ。私は醜い存在だ。価値もない。無様で薄汚れた存在だ……!)
「……美しい」
「……何と言いましたか? 中尉殿」
ルシエラが不審そうに目を細める。
オットーは血に塗れた手で白布を強く傷口へ押しつけ直し、血に染まった左目を開いたまま、恍惚とした表情でルシエラを見上げた。
「美しいと言ったのだ、少尉……! 貴女のその冷たい瞳、その拒絶、完璧なまでの高貴さ……! それに引き換え、私は……私はなんて、私は私という存在が嫌いなんだ……!」
「……何を言っているのですか、中尉殿!」
ルシエラの声に、初めてかすかな不快感と警戒の色が混じる。
しかし、オットーの耳にはもう届いていなかった。
白い肌を赤く染め、地べたで無様に手当てをする己の哀れさと、見上げる先にあるルシエラの冷徹な美しさ。
その圧倒的な格差と屈辱が、オットーの神経を最も強く昂らせ、狂おしいほどの興奮となって全身の血を沸騰させていく。
(心を……奪われた)
正義も、軍人としての誇りも、これまでオットーを繋ぎ止めていたあらゆる価値観が虚空へと消えていく。
自分を無能と嘲笑う世界の中で、目の前に君臨する冷徹なダークエルフの女将校。
ルシエラの冷たい眼差しによって完膚なきまでに踏みにじられること。
その屈辱の瞬間にこそ、己が生きている残酷な証があり、それこそがオットーにとっての絶望的な「愛」の形だった。
「……素晴らしい……実に、素晴らしい……」
血に塗れた唇を歪め、オットーは熱い吐息を漏らした。
頭骨を刺す痛ましさも、流れる血の熱さも、すべてがオットーを極上の陶酔へと押し上げていく。
ルシエラの刺すような視線を全身に浴びながら、オットーは己の無能さと破滅が約束された深淵へと、ただ深く、深く沈みこんでいった。
──SINK, SLUMBER, AND BE FOREVER STEEPED.(沈め、眠れ、そして永遠に浸りきれ)
その暗鬱な狂気の渦中で、オットーだけは自分が二度とこの甘美な地獄から抜け出せないことを、完璧に理解していた。
⇒第2話に続く。
普段は短命種の人間族とエルフを書いていますが、今回は趣向を変えてオーク族とエルフの話をお届けします。