ナンバリング・ガール 作:管理局事案編纂室
夜明け前の海鳴市は、死んだように静かだった。木々の隙間から差す月明かりだけが、世界の輪郭を辛うじて保っていた。
27番は目を閉じて背を木の幹に預け、遠く微かな波の音を聞くともなしに聞いていた。
腕の中で、小さな生き物が身じろぎした。
「う、ん……」
小動物姿の魔導師が薄く目を開ける。焦点の合わない瞳が数度瞬きを繰り返し、やがて27番の顔を捉えた。
27番は、にこりと笑った。口角を上げ、目を細める。相手に安心感を与えるための、型通りの表情。
小さな身体が強張った。
「気がつきましたか」
「だ、だれ?!」
目が見開かれる。混乱、動揺、警戒。傷に触れたのか、逃げようと動いた身体が不自然な姿勢で固まった。
「落ち着いてください。敵ではありません」
今のところは。心の中でだけ、そう付け加えた。
「あ、えと……きみは……?」
魔導師の声は掠れていた。魔力消耗の影響か、変身魔法の維持すら危ういように見える。彼の身体を支える腕を少しだけ緩め、逃げ出せる余地があることを示した。実際、逃げようと思えば逃げられる。追うつもりもない。情報を引き出すまでは。
「通りすがりの者です。公園で倒れているのを見つけて……放っておけませんでした」
そう言って前足の傷口に巻いた包帯を指し示した。魔導師が気絶している間に処置したものだ。
「そうだったんだ……ありがとう。助けてくれて」
呼吸は浅い。視線は落ち着きなく揺れ、尻尾が警戒を示している。だが、命を救われたという事実が、ある程度の心理的障壁を下げているのも確かだった。
言葉を重ねる。
「あの、あなた……魔法使い……ですよね。違いますか?」
核心には触れず、それでいて相手の正体に気づいていることを示す。完全に無知な子供を演じるより、ある程度の知識を持つ者として振る舞った方が、相手の説明を引き出しやすい。魔導師の身体が再び強張るのがわかった。
「……わかるの? きみ、魔導師なんだ」
「少しだけ。ほんの少しです。私、魔法のことは詳しくなくて」
首を傾げ、困ったような笑みを浮かべた。幼い笑顔。練習した、幼い笑顔。
「それで、どうしてこんなところで倒れていたんですか? 何か、あったんですか」
声のトーンを柔らかく、ゆっくりと。語尾をわずかに上げて、追及ではなく共感の形を取る。
魔導師はしばらく沈黙した。視線が揺れる。話すべきかどうか迷っている。27番は呼吸を同調させて、待った。焦らせてはいけない。ここで信頼を損なえば、すべてが水の泡になる。
「……ボクは、ユーノ・スクライアっていうんだ。ミッドチルダから来た……遺跡発掘をしてる、考古学者見習いだよ」
名乗った。一つ、情報を吐いた。心理的障壁が一段下がった。
「遺跡発掘、ですか。それで、何か見つけたんですね」
「どうして」
「この世界には、あなた以外の魔導師の気配がありませんでした。あなた一人で、こんなところまで来ている。しかも、傷を負ってまで。何か、目的があるからですよね」
ユーノが息を呑む。耳がピンと立った。動物の姿では表情が読みづらいが、動揺しているのは明らかだった。
「……キミ、本当に子供?」
「9歳です。それが何か」
「いやその、落ち着いてるから。大人みたいだ」
(大人みたいか……)
大人みたいな子供。子供らしくない子供。27番はそれを正確ではないと評した。子供という言葉は生物しか差さない。何の感情も浮かばないように、意識して平坦に返す。
「よく言われます。それで、何を見つけたんですか?」
ユーノは答えない。再び沈黙が落ちた。
風が結界を撫でる。枝の擦れる音が、遠くから聞こえるようで聞こえない。
「危険なものなんです。ボクがなんとかしないと」
ようやく絞り出した声は、ひどく切迫していた。彼は恐怖している。自分が失敗したことを、誰かが傷ついたかもしれないことを。それは、27番を相手にするには、あまりに大きな隙だった。
(動揺を誘い、会話の主導権を握る)
「危険なもの。それは、宝石のような形をしていませんか」
一歩、核心へ踏み込むと、ユーノの小さな身体が跳ねた。
「知ってるの!?」
「知ってるというより、私も探しています。この街で、その宝石の反応を」
「キミが? どうして……いや、待って。その言い方だと、キミもロストロギアを?」
ユーノの声が鋭くなる。警戒の色が再び強まった。
一瞬のうちに計算する。ここでどこまで明かすか。最適解は、全てを偽らず、しかし目的を曖昧にすること。
「私の……家の人が、それを必要としているんです。詳しい事情は知りません。ただ、見つけて持って帰るように言われて」
「家の人?キミの親?」
「親ではありません。……色々あって」
27番は俯いた。演技だった。だが、必ずしも嘘ではない。事実、親はもういない。あの男は親ではない。組織は家族ではない。普通の生活を奪われた時点で、27番は一度死んでいるのだ。
その沈黙と翳りが、魔導師の感情を揺さぶった。
彼は優しい。優しすぎた。だから、傷ついた子供を見過ごせない。その性格は、尋問対象として非常に扱いやすい。
「そっか……ごめん、色々聞いちゃって」
「いえ。それで、その宝石について教えてください。危険なものなら、早く回収しないと。あなた一人では、その怪我では無理です」
「……ジュエルシード。正式名称は……ロストロギア・ジュエルシードっていうんだ」
「……っ」
「ひとつひとつが、次元震を起こせるほどの魔力を秘めてて」
ユーノの声が、そこで途切れた。尻尾が揺れる。
「……それだけじゃない。限定的だけど、持ち主の願いを叶えることができる」
願い。
指先が、勝手に首元へ伸びた。枷に触れる寸前で、指を戻す。
(私は、なにを……?いや、今は、尋問に集中)
「願いを、ですか」
「うん。でも、正しく使わないと暴走して、周りを巻き込む。だから、ボクが回収しないと」
「回収。あなた一人で」
「……うん」
沈黙が、会話の速度を決める。27番は、言葉の出し方を調整した。追い詰めすぎない。しかし、冷静になる隙も与えない。確実に情報を引き出す。
三秒。きっちり数えて口を開く。
「そうなんですか。それって、いくつあるんですか?」
「……全部で21個。輸送中の事故で、この世界に散らばっちゃったんだ」
(名称『ロストロギア・ジュエルシード』。全21個。事前情報と相違なし。願いを叶える能力判明。尋問を継続)
「それで、あなたはこの街に落ちたジュエルシードを回収しようと。でも、失敗した」
「……うん。見つけたんだ。海の近くで。でも、融合体が出てきて……」
「融合体?」
「暴走したジュエルシードが生み出す、怪物みたいなものだよ」
(私兵、もしくは第三者に襲われたわけではない。回収対象に戦闘能力あり)
「怪物、ですか。でも、そんな反応はどこにもありませんでしたよ?」
「たぶん、休眠状態に入ったんだ。ボクも、多少なりともダメージを与えたはずだから。休眠状態だったり、覚醒してないと、魔力をほとんど発さないんだ」
(探査魔法に反応がない理由、判明)
前足が、ぎゅっと27番の服を掴む。その小さな温もりが、服越しに伝わってくる。
「ボクのせい、なんだ。ボクがあんなもの見つけなければ」
ユーノの声が震えた。罪悪感と無力感。彼は本気で、ジュエルシードを見つけたことを後悔している。善良な魔導師だ。組織なら、こんな子供はとっくに壊れている。
「……自分を責めても、状況は変わりません。今できることをしましょう」
ユーノが顔を上げる。翡翠の瞳がこちらを見ていた。
「キミは……どうしてそんなに強いの? 本当に9歳?」
ほんの一瞬だけ、返答を迷った。ここで何を言うか。相手の信頼を得るために最適な言葉は何か。訓練された思考が、無数の選択肢を弾き出す。
その中から、なぜか、選んではいけない言葉を選んでいた。
「普通ですよ。ただ泣いても許してくれる人がいなかっただけですから」
言ったあと、自分で少し驚いた。これは、違う。これは、
ユーノが何か言っている。聞こえているのに、頭に入ってこない。
27番は、自分の声を、自分のものとして認識できなくなっていた。それなのに、口は勝手に動いて、次の言葉を紡いでいる。
「……色々あって、家族はいません。だから、この街に戻ってきて……少し、変な気分です」
(ああ、そうだ。これは、情報開示だ。対象の同情を誘発するための)
自分を納得させる声が、ひどく遠くに聞こえた。胸のあたりが、妙に重い。27番はそれを『疲労』と分類した。
「そうなんだ……辛いね」
「いいえ。慣れてますから」
「……慣れることじゃ、ないよ」
ユーノの声がわずかに詰まった。まるで、自分が傷ついたみたいに。それでも彼は目の前の少女に向き合おうとしている。
27番は目を細めた。暗闇の只中にありながら、眩しいと感じた。
「……それより、あなたの怪我を治しましょう。魔法で治癒できますか」
話を逸らした。これ以上、自分の内面に踏み込ませてはいけない。尋問は完了した。ジュエルシードの情報は得た。ユーノが回収に失敗したジュエルシードの行方。それを追うのが最優先だ。
「うん。少し休めば、自分でなんとか。ありがとう」
「なら無理はしないでください。……私はもう行きます」
27番はユーノを地面に降ろして立ち上がる。結界を解く。夜風が再び頬を撫でた。
「待って! キミ、名前は?」
ユーノが呼び止める。27番は振り返らなかった。名前を聞かれる。それは27番として初めての経験だった。
「……名乗るほどの者じゃありません」
「そんなことない! 助けてくれたのに……お礼もしたいし、それにジュエルシードのことだって」
「あなたは自分の心配をしてください。私は私の仕事をします」
冷たい突き放し方だった。ユーノが傷ついた顔をしているだろうことは想像できた。だが、これでいい。彼とはこれ以上、関わるべきではない。
「また、会える?」
答えない。その必要はない。そう判断した瞬間、背筋を這う違和感。
魔力。微かな、しかし確かな兆候。
思考よりも先に、身体が反応した。首の後ろの産毛が逆立つ。指先が冷える。鼓動が一拍、跳ねた。
(魔力。規模は不明。探知を――)
探知魔法を使用しようとして、しかし、その必要はなかった。
膨大な魔力の波動が、27番の肌を刺した。すぐ近くに、何かがいる。
ユーノが何か叫んでいる。聞こえない。いや、聞いているが、意味を持たない音になっている。
「……デバイス起動」
自分の声が、とても遠くから聞こえた。思考が研ぎ澄まされ、体温が、手足の先から消えていく。痛みも、恐怖も、波の音も、すべてが、抜け落ちていく。
首の冷たさだけが、唯一残った。それが、27番の在り方だった。
「バリアジャケット、展開」
鈍色の外套が、夜の色に溶けた。
闇の奥で、何かが青白く光った。脈動するような、ひどく冷たい光。
戦場は、もうすぐそこにあった。
1話投稿後にナンバーズを知り、めちゃくちゃ焦りました。
開き直ることにしました。