第97管理外世界・日本・海鳴市。
そこは、かつて彼女が家族と共に笑い、温かな日々を過ごした故郷だった。
しかし今の彼女に帰る場所はない。あるのは首に食い込む冷たい枷と、「27番」という番号だけ。
違法なロストロギア取引を行う組織で道具として「教育」された少女は、ある日新たな任務を言い渡される。それは、かつての故郷である海鳴市でのロストロギア「ジュエルシード」の回収任務だった。

彼女が海鳴の地へ降り立った時、物語は静かに動き出す。

『ただいま』と言いたかった。『おかえり』と言われたかった。でも、その言葉を渡す場所はもうどこにもなかった。


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27番の帰郷

 黴臭く湿った空気が肌にまとわりつく。切れかけの蛍光灯が不規則に明滅する。

 

 男と10歳前後の茶髪の少女がデスクを挟んで向かい合っていた。

 

 少女には男の顔がわからなかった。黒いスーツも、薄暗い部屋の輪郭もすべてが闇に溶けていた。ともすれば、空間自体が男そのものになってしまったような錯覚。眼鏡の奥の瞳と口元だけが、やけにくっきりと浮かびあがっている。

 

 認識阻害の処置のせいだと分かっていても、ぞわり、と肌が粟立つのを抑えられない。

 

「27番、仕事だ」

 

 男の冷たい、平坦な声が事務的に告げる。27番と呼ばれた少女は黙って続きの言葉を待っていた。

 

「顧客のひとりがあるロストロギアを切望している。そいつを回収してこい。詳細はこいつの中にある」

 

「……」

 

 男はそれだけ言うと書類を放って煙草に火をつける。デスクから書類が滑り落ちても気にも留めない、心底どうでもよさそうな態度だった。

 

 放られた書類を手に取ると内容を改める。しばらく何の感情も浮かばない瞳でそれを眺めていたが、そこに記された任務地を認めて少しだけ目を細めた。

 

 第97管理外世界 日本 海鳴市

 

 そこは、かつて27番と呼ばれる以前の、温かな家族と、幸せに過ごしていた故郷の名前。

 

 少しだけ、書類を握る手に力が入った。 

 

 ―――母の温かな腕の中。父の大きな手が頭をなでる。なんでもない日常の記憶。

 

「……質問の許可を」

 

「許す」

 

「なぜ管理外世界にロストロギアが?」

 

「お前の仕事には関係無いことだ。……なぜそんなことを気にする?」

 

 失敗を自覚した時にはもう遅かった。男の眼光が途端に鋭くなる。

 

 眼鏡の奥の瞳に射抜かれて、身体が硬直する。『教育』の記憶が蘇り呼吸が浅くなる。嫌な汗が背筋を流れ、首の枷が戒めのように一段と冷たく食い込んだ。

 

(大丈夫。大丈夫。大丈夫)

 

 自身に言い聞かせるように三度、繰り返す。呼吸が少しだけ楽になる。

 

 出身世界が露呈すれば世界そのものが人質に取られる。実際にやるかどうかは別として、そうできるだけの力がある組織だった。動揺が表に出ないように慎重に、感情を殺して口を開く。喉が異様に乾いていた。

 

「申し訳、ありません。ただ、少し気になっただけ……です」

 

「……ふん、くだらない質問をするな。次はないぞ」

 

 男は一応納得したのか睨むのをやめた。27番は息が詰まるような重圧から解放され、静かに呼吸を整える。次の質問を口にした。

 

「敵性存在、もしくは障害となり得るものはありますか」

 

「顧客の私兵が出てくる可能性がある。それと管理局もそのうち出張ってくるだろうな」

 

「遭遇した場合は」

 

「邪魔になるなら排除しろ、ただし魔法が認知されていない世界だ、派手にやりすぎるな」

 

「私兵の集めたロストロギアは」

 

「好きにしろ、どの道顧客には必要だからな」

 

「わかりました」

 

 手の中の書類を燃やして踵を返し出口へ向かう。その背中へ男が珍しく声をかける。吸い終わった煙草を灰皿へ押し付けた。

 

「良い報せを期待しているぞ。それから、久しぶりの故郷だろう?楽しんでこい」

 

 嘲るような声。男の口元が歪んだのが見なくとも分かった。そして、どうしてこの仕事に自分が選ばれたのか理解した。心臓がひと際強く脈打ち、視界が狭まる。呼吸が浅く乱れた。ギリ、と奥歯を噛み締める。口の中に鉄の味が広がった。

 

「……ご配慮、感謝します」

 

 声が震えなかったことだけが、救いだった。27番は振り返らず、そのまま扉をくぐって出ていった。

 

 

 

 

 

 準備を終わらせるとすぐに転送ゲートに飛び乗った。組織の施設に1秒でも長くいたくなかった。

 

 足元が光り、眩しさに目を閉じる。一瞬内臓が持ち上がるような感覚、次に目を開いた時には第97管理外世界への移動を完了していた。

 

 裏路地から通りへ出る。そこにはかつてと変わらない街並みが広がっていた。

 

(任務地が生まれた場所だった。それだけ。そう、それ……だけ)

 

 潮の香りを乗せた風が鼻腔をくすぐり肌をなでる。

 

 夕日に染まった街。遠く響く子どもの笑い声、どこかの誰かの『ただいま』。

 

 身体は確かに生まれた街(こきょう)を感じ取って震えていた。

 

 全てが記憶のままなのに、気づけばフードを深く被って俯き、逃げるように早足で街の中心から離れていた。

 

 街の喧騒が遠ざかるほどに胸の奥が締め付けられるように痛み、呼吸が浅くなっていく。それでも、決して振り返らなかった。

 

 海のそばの公園にたどり着いたところで、ようやく足を止めて、できるだけ、手早く終わらせようと、そう決意する。長くいると自分の中にほんのわずかに残った大切な何かがどうにかなってしまいそうだった。

 

(探査魔法、発動。対象ロストロギア≪ジュエルシード≫。探査開始)

 

 反応なし。

 

(探査半径10キロまで拡張、探査開始)

 

 反応なし。

 

 対象は21個、探査半径10キロ。27番は戦闘特化の適性ゆえに精度は高くないが、それでも一つも見つからないのはおかしかった。何かカラクリがあるか、あるいは―――

 

(事前情報が間違っていた?いや、与えられた仕事はこの街での捜索。下手に動いて逃走と判断されればその時は―――)

 

 そっと、無意識に首元に手を伸ばす。指先に感じる無機質で冷たい感触。27番になってからこれまで、一度たりとも存在を忘れたことはなかった。

 

(……もういっそのこと、楽になれるなら)

 

 指先に少しだけ力を籠める。枷が食い込み息が苦しくなる。このまま―――

 

(……やっぱり、死ぬのは、まだ怖い)

 

 力を抜く。頭を振って思考を強制的にリセットする。

 

 息を整え、改めてロストロギアの捜索に思考を回す。

 

 私兵の捜索及び追跡、却下。投入は未確定事項。

 徒歩での捜索、却下。範囲が広く非効率。

 探査魔法での捜索、要検討。ただし対魔導師リスク大。

 

『助けて……!』

 

 唐突に響いた声に、思考が一瞬白く染まる。

 周囲に人影はない。頭に直接響くような感覚には覚えがあった。おそらくは念話を広域、無差別に発信したもの。

 

(『助けて』、か)

 

 それはかつての自分が決して口にできなかった言葉だった。無意識にこぶしを握る。爪が手のひらに食い込んだ。

 

 罠の可能性もある。ただそれ以上に手掛かりになり得るかもしれない。声の聞こえた方へと駆け出した。

 

 公園の林道へ入る。一瞬だけ発動した探知魔法が、微弱な魔力反応をとらえていた。

 

 息を殺し、足音を殺し、奇襲に備え、素早く。

 

 そして、藪の陰に倒れている傷だらけの小動物―――の姿に変身した魔導師を発見した。

 

 周囲を確認する。罠はない。伏兵の気配もない。狙撃は木が遮っている。本当にただ、魔導師が1人行き倒れていた。

 

 警戒しながらその魔導師へ近づく。不自然に折れた枝、魔力の残滓、何かが引きずられたような跡。おそらくは戦闘があった。

 

 ここで何があったのか、どうしてこんなところで倒れているのか、少なくともこのタイミングで27番以外の魔導師がこの世界にいることは、ロストロギアに関係する何かだということは確かだった。

 

 足先で軽く突いた。反応はない。しかし息はあった。

 

(気絶してる、魔力もかなり消耗してる。変身魔法で身体を小さくしたのはこれ以上の消耗を抑えるための緊急避難か……)

 

 この時点で選択肢は二つあった。すなわち接触するか、しないか。

 

 前者は有益な情報が手に入るかもしれないが、存在は確実にバレる上に何も得られないかもしれない。後者は存在がバレることはないが、得られる情報は限られる。

 

(『助けて』、か……)

 

 リスクとリターン。頭の中で揺れ動く天秤の片側にそっと言葉を乗せた。なぜそうしたのか、自分でも理解していなかった。理解したくなかった。

 

 天秤は、傾いた。

 

(そう、合理的。あくまで合理的な判断をしただけ……だから、間違ってない)

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 声をかけるも反応はない。何度か揺すってみても同じ。

 

(仕事がコレの排除だったら、簡単に終わってたのに)

 

 無理やり起こすことも考えたが、やめておいた。現状は中立。それに情報を聞き出さないといけない。不用意に悪感情を抱かせるのは『教育』を長引かせるだけだと学習していた。

 

 小動物姿の魔導師を腕の中に抱きかかえると、近くの木の根元に座り込んで目を閉じる。同時に自分と世界とを隔てる結界を張った。

 

(情報を得るために仕方ないから、仕事のためだから。この人が起きるまで、少しだけ、ほんの少しだけ、休憩)

 

 夜の帳が降り、冷たい夜風がゆっくりと体温を奪っていく。それでも腕の中は温かくて、苦しいほどに懐かしい温度だった。

 

 呼吸が規則正しいリズムを刻み始めたのは、それからすぐのことだった。




新作アニメを観るために履修し始めて、ドハマりしました。
まだ、StrikerS序盤までしか観れてないので設定におかしなところがあるかもしれません。

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