ナンバリング・ガール 作:管理局事案編纂室
波の音が消えた。代わりに満ちるのは、魔力の圧。
「動かないでください」
後ろを振り返らずに告げた。ゆっくりと前進しながら高度を取る。
首の冷たさだけが境界線だった。それを境に世界から色が抜け、音が遠のいた。
闇を塗り固めたかのような不定の影が林の奥から滲み出るように現れた。輪郭は定まらず、見ているそばから形を変える。触手が伸び縮み、無数の目玉が浮かんでは消え、そのたびに視線が27番をなぞった。正面には青白く脈動するジュエルシードが影に半ば埋もれるように存在していた。
(制約事項確認。派手な戦闘行為禁止。収束砲、爆発性魔法は制限。砲撃最大出力30%に設定。視界不良。近、中距離戦を想定。遮断結界を展開)
「対象視認。融合体と断定。戦闘開始」
魔力弾を三つ生成。それぞれを影、触手、核へ向けて放つ。
着弾と同時に触手が根元から吹き飛び、影に穴が穿たれた。だが核を狙った弾は当たる直前に掻き消える。原因を分析するより早く、融合体が咆哮を上げた。いや、それは咆哮のごとき魔力の波動の嵐だった。
『■■■■■■■■■■!!!!!』
融合体の目玉が一斉に27番を捉える。瞳孔が収縮し焦点が合う。次の瞬間、融合体の姿が視界から消えた。
「っ!」
頭上から降る影に気づけたのは、培った経験によるものだった。思考が追いつくより先に、身体が全力で跳んでいた。
先ほどまで立っていた空間を上空から落下してきた巨大な影の塊が押し潰す。地面が砕け、土煙が舞い上がった。
体勢を立て直すのと、目玉が再び27番を捉えたのは同時だった。
追撃の触手が幾重にも殺到する。距離を取る時間はない。近接防御に行動パターンを切り替える。
「シールド展開」
デバイスが応答しシールドを前面に展開。だが融合体の触手はシールドを砕くには至らないものの、その圧力でじりじりと後退させる。
シールドの維持だけでは消耗戦になる。一瞬のうちに状況を分析し、シールドを解除すると側面へと飛び退いた。
触手が毛先をかすめ、空を切る。その隙に距離を取ろうとするが、今度は触手が地面から生えるようにして足元を狙ってきた。
「っ」
とっさに飛び上がり空中で体勢を立て直す。だが、次々と伸びる影の鞭が、飛行経路を塞ぐ。
回避に専念しながら魔力弾を連続生成。避け切れない触手を狙い撃つが、すぐに影から新たな触手が生えてくる。
(再生能力高。予測対処法、魔力供給遮断)
多少のダメージは必要経費と割り切り、高度を上げて触手の加害範囲から脱出する。デバイスを構え直し、魔力を収束し始める。派手な戦闘は禁止されているが、弾だけでは有効打になり得ない。短時間で決着をつけるためにはある程度の火力が必要だった。
「砲撃準備。出力30%」
デバイスの先端に光が集まる。桜色の輝きが夜の闇を切り裂くように膨れ上がった。
融合体が反応する。触手が一か所に集まり、解けて、巨大な槍に組み直されていく。
視界の端で、ユーノが何か叫んでいるのが見えた。魔法陣を展開しようとしてできない。彼の魔力が尽きていることは戦闘前からわかっている。前足が地面を掻き震えた。ただ見ていることしかできない自分をおそらく責めている。
戦闘に影響なし。それだけを確認し、視線を融合体に戻した。
「照準固定。魔力砲、
『■■■■■■■■■■!!!!!』
影の巨大槍と、魔力の奔流が激突する。振動が頭蓋の内側を直接叩くような異質な共鳴が走る。拮抗していたそれは、徐々に影槍が圧し始めた。
砲撃をやめれば瞬く間に槍が到来する。回避も防御も間に合わない。対応策は出力を上げるしかない。
(制限を一時解除。出力を50%に引き上げ)
出力を一気に上げたことで、媒体としての機能しか持たない古びたデバイスがわずかに軋みを上げた。問題ない。道具は使い潰すためにある。
威力を増した魔力の奔流が影槍を押し返した。
砲撃を終えた27番は、呼吸を整えた。制限超過の魔力を注ぎ込んだ一撃だった。しかし、まだ目は眼下の土煙の向こうを油断なく見つめていた。肌を刺す感覚が、いまだに消えていない。
土煙が風に流される。
融合体はなお蠢いていた。影の質量は明らかに減少している。触手の数は半減し、目玉の大部分が潰えていた。だが核であるジュエルシードは無傷で周囲に薄い影の膜を張り巡らせている。
デバイスを握り直す。魔力砲はもう使えない。先ほどの焼き増しにしかならない上に、地形影響が許容範囲を超える。使うなら、必殺の瞬間だけだ。
(生命力高。持久戦は不利。再生完了までに決着しなければ撤退。
最適戦術の再選定。対象中核への直接攻撃。防御膜の性質解析を―――)
融合体が動いた。縮こまるようにして、影の残骸を核の周囲に集め始める。それは防御の姿勢に見えたが違う。分析が警鐘を鳴らすより早く、現象は起きた。
影が圧縮されていく。密度を増し質量を一点に集中させる動き。そしてそれは、小さな球体となって放たれた。
(回避不可。防御―――)
シールド展開がコンマ秒遅れる。球体が左肩をかすめ、バリアジャケットが破れた。皮膚が裂ける感触。
「損傷軽微。戦闘継続に支障なし」
自己診断。出血はあるが、動作に影響はない。しかし問題はそこではなかった。掠っただけでバリアジャケットが破損した。
(現象解析。魔力弾を模倣。魔力中和による無効化。防御膜も同質と推測)
融合体が再び影を圧縮し始める。
(生成速度、上昇傾向。脅威度増加)
デバイスを構えた。狙いは核。防御膜の性質が中和による無効化ならば、相殺が追いつかない速度で魔力を叩き込めばいい。
「魔力弾、連続発射」
単発威力を抑えた魔力弾を、絶え間なく発射し、全てが核の防御膜に吸い込まれるようにして消える。だがそれでいい。防御膜が魔力弾の処理に追われているその刹那。
融合体の圧縮弾が放たれる。回避経路は三つ。すべて計算済み。しかし回避すれば射撃が途切れる。迷わずに第四の選択肢を選んだ。わずかに身体が遅れたが許容範囲。
左腕に衝撃。視界が一瞬、白んだ。バリアジャケットが砕け左腕に灼熱が走る。計算通りの着弾点。
想定より痛覚信号が強いが、直ちに影響はないと切り捨てた。
左腕への衝撃で身体が流れる。その回転を殺さず、加速して落ちる。
その間も撃ち続けた魔力弾が、防御膜を突き抜けた。
「砲撃」
右腕だけで狙いをつけ、魔法として成立する最低限の魔力で構成された砲撃を即座に叩き込む。先ほどの十分の一にも満たない砲撃はしかし、核を撃ち抜いた。
融合体は断末魔の叫びを上げることもなく、影が霧散した。
着地と同時に膝をつく。
聴覚が、徐々に世界を取り戻していく。波の音。風。自分の呼吸。左腕の痛覚信号。
影がいた場所には青い宝石が一つ。それを拾い上げ、指先で転がした。
願いを叶える力。
指先が宝石を離さない。枷がいつもより冷たい。戦闘による体温上昇の影響と結論付けた。
「戦闘終了。回収完了。対象、残り二十」
背中に視線を感じた。身体が反応する。
翡翠の瞳と目が合った。識別タグを張り付ける。中立。脅威度なし。
ユーノが27番を見つめていた。恐怖と混乱、緊張。それから―――。
ユーノが何か言いかけて、口を閉じた。前足が地面を掻く。耳が伏せられた。
口の動きからおそらく『治癒魔法』と言いかけた。しかし彼の魔力は尽きている。無意味な申し出を自制したことを、合理的と評価した。
「どうして……そんな戦い方をするんだ。腕が……血が……」
27番は左腕の状態を確認した。肘から肩にかけて走る肉が抉れたような傷。出血中。損傷は中程度。生命維持に支障なし。痛みと痺れはあるが、動かそうと思えば動かせるだろう。魔力で蓋をして簡易的な止血処置を施し、ユーノに向き合う。
「合理的だったからです」
「……合理的?」
告げられた言葉に、ユーノが苦し気に顔を歪めた。
内情を推察する。自己嫌悪。無力感。そして、27番に対する何か。
「はい。砲撃で質量が大きく削れて、触手による防御が不能でした。あとは核の防御を突破すればいい。あれが最善でした」
「……怖くないの?あんな、わざと攻撃を受けるみたいな……」
「恐怖はノイズになります。不要な感情です」
「っ……」
淡々とした回答に、ユーノは俯いた。尻尾が所在なさげに揺れパタンと一度地面を叩いた。顔を上げる。
「……ねえ、名前を、教えてくれない?」
懇願するような声だった。潤んだ瞳が見上げている。
名前。それは個人を識別する記号であり同時に存在を認める行為だ。名乗るということは、相手と対等な『誰か』になるということ。
27番は道具だ。道具に名前は必要ない。そう思考したはずなのに、口がわずかに開いた。
抑制する。意図しない言葉を吐かないように、呼吸を一つ。
「……名乗るほどのものではありません。事後処理に入ります」
これ以上の問答は不要と判断し、ユーノに背を向けた。
改めて、戦場が視界に入る。
戦闘の余波で地面は抉れ、木々は折れて、草は焼け焦げていた。
潮の香りに、掘り起こされて焦げた土の匂いが混ざった。
足もとで、ちぎれた花が横たわっている。つぼみのまま、踏み潰されていた。
視線を外す。
(……戦闘による地形影響、中程度。完全な修復は不能。穴を埋めればある程度隠蔽可能と判断)
気づけば、手の中の宝石を握りしめていた。角が手のひらに食い込む。痛みはなかった。
首の戒めと同じ温度をしていた。
波の音が遠く繰り返す。東の空が、うっすらと白んでいる。夜明けだ。
明るくなっていく空と、冷たいままの首元。事象に関連性はない。
それでも、東の空から目が離せない。その原因を、特定できなかった。