隻眼の黒竜は下界における全生命体の極点だ。大精霊により封印された状態ですら大陸最大の国家を一息で滅ぼし、神時代最強と謳われた英雄神軍の力が何一つ通じずに惨敗させ、下界史上最強の大英雄ですら片目を潰し大穴から退けることしか出来なかった、下界史上最大の脅威。世界を滅ぼすとまで謳われた力に誇張表現など一切ない、まさに生ける終末そのものだ。
そんな強大無比な生命体である黒竜を白笛たちが討ち倒し、世界の終末を乗り越えた。この偉大なる勝利が人類にとって何を意味するのかを最も正確に捉えた歴史書は、この日の出来事をこう綴る。
―――こうして述べたように、ここまでの人類の歴史とは常に、救いを求める無力な人々と偉大なる英雄たちの歴史であった。浄炎の大英雄が人類の基盤を築き、喜劇の道化の船に英雄たちが乗り込み、勇者の槍が大穴への道を開き、傭兵王が恐るべき竜を退け、神々と英雄たちが千年かけて陸の王者と海の覇王を滅ぼした。
力なき人々を救い続けた偉大なる英雄たちの時代はここで終わり、そしてここから始まったのだ。
無力な人々が神に祈らず、英雄に縋らず、無力を嘆かず、僅かばかりでも進み続けて歩みを止めず。特別足りえない人々の積み重ねが英雄を越え、神々の領域すら越えていき、世界を救いも滅ぼしもする。そんなかつてないほどに恐ろしく、力強く、そして何よりも誇らしい、人類の時代が。
◇
ここは大陸の北の最果て、竜の谷。十年前に神時代の頂点であり続けた英雄神軍、ゼウスとヘラを惨敗させた生ける終末が封印されている地である。かの隻眼の黒竜を滅ぼすため、この地には世界を滅ぼしうるほどの戦力が集まっていた。
レベル6相当の第二級戦闘型干渉器群100機。
レベル7相当の第一級戦闘型干渉器群15機。
レベル8相当の特級戦闘型干渉器群3機。
格上を倒しうるスキルや魔法、呪詛を有する月笛30名。
レベル5~8に相当する黒笛・成れ果て合計約300名。
そしてなにより、『不動卿』動かざるオーゼン、『神秘卿』神秘のスラージョ、『先見卿』見通せしワズキャン、『殲滅卿』殲滅のライザ、『黎明卿』新しきボンドルド。一人一人が神時代の頂点たるゼウスとヘラの団長をも凌駕する特級戦力である5人の白笛。
これこそが、かつての英雄神軍を遥かに凌駕する史上最強の大軍勢。彼らは特別な英雄であり、特別な武器や道具や力を有している。それら全てを用いて死力を尽くし、武器や四肢や臓器や仲間を失い、夥しい犠牲を出し、そしてこの上なく見応えのある英雄的で劇的で凄絶な死闘を繰り広げた果てに黒竜をも討伐しうる、下界人類の最高戦力。
全ての吟遊詩人が未来永劫語り継ぐだろう、人類を救った英雄たちの偉大なる英雄神話。彼らの威容はそんな戦いの予感を諸人に感じさせる気迫に満ち―――
「竜の谷の全領域は既に射程範囲内。大風印及び精霊を対象外に設定済み。充填エネルギーは既に最大。我が最高傑作に一欠けらほども瑕疵などない!準備良好ッ!合図せよ!!」
「よし。それじゃあ火葬砲発射用意―――討て」
団長である【不動卿】動かざるオーゼンが【神秘卿】神秘のスラージョに火葬砲の起動を命じた。想定通りに理を書き換え万物万象を消滅させる絶死の光が放たれ、大風印ごと竜の谷と竜群全てを飲み込んだ。そして、それだけで戦いの全てが終わった。
谷が消えた。一体一体が第一級冒険者を凌駕し、風印から解き放たれれればたちまち人類全てを食い尽くす災害となるだろう竜群が消えた。下界に並ぶものなき隻眼の黒竜ですら何一つ抵抗できず、雑多な竜と同様に消え失せて無力で無価値な塵と化した。
それは、まるで罠にはまった害獣を撃ち殺す作業のようであった。世界を救った英雄たちの戦いというにはあまりにも空しすぎると、そう表現するより他にない。
退屈を持てあます神々は娯楽として盛り上がりも山場もなくてつまらすぎると嘆き悲しみ、吟遊詩人はあまりにも語りようがない人竜決戦に天を仰ぎ、人々は世界を滅ぼすと謳われた竜のあまりにもあっけない末路に啞然とするだろう、そんな戦いだった。
しかし、当事者たちにはそれで良かった。サルタヒコ・ファミリアに、白笛にとってこの戦いは自らが英雄となり世界を救う決戦などではなく、奈落の底に挑む過程で必ず現れるだろう、探索の障害の数々を排除する難易度を確認するための作業でしかないのだから。
『ダンジョンが生み出すモンスターは最強であろうと探索の障害足りえなくなった』。その結果こそが至上である。
火葬砲の光が消え、余波が完全に収まり、影響の全てを確認し終えた。そうして黒竜消滅を確認したオーゼンが告げる。
「第一案、大風印全域への火葬砲による竜群殲滅―――成功。黒竜討伐を達成した。現時点をもって第二案以降の全作戦を破棄し撤収作業を開始。大風印を解除し、大精霊アリアを回収する」
かくして世界は救われ、人類の滅びを食い止め続けた偉大なる大精霊は役目から解放された。
黒竜討伐を安全圏から眺めて娯楽として消費するだけの者たちからしてみれば、この戦いはさぞや盛り上がりに欠けていて退屈極まりなく、英雄と竜による手に汗握る死闘と比すれば語る価値もない陳腐な筋書きではあったのだろうが。
この結末は人類側が誰一人として何一つ失わない、完全無欠の大団円だ。いかなる大英雄をも凌駕する、並ぶものなき大偉業である。
火葬砲という理論上は誰でも作れる兵器が最強の竜を容易く滅するほどに人類が発展し、世界は英雄を欲する弱さを克服し、人類を滅ぼす脅威はもはや脅威足りえなくなったことが証明された。まさにめでたしめでたしという結びでくくるに相応しい、この上なき人類の勝利だった。