迷宮の探索を進めていく中で二人との仲が深まっていくほどに、ぼくの胸中はどんどん複雑になっていく。
妹ちゃんの目的、そしてぼくの願いでもある冒険者君を救う算段は、実は最初からついている。
けれどそれを可能にするには、どうしても捨てなければならないものが出来てしまった。
それはこの暖かい関係。そしてみんなで笑い合う未来。一緒に歩いて、ピンチを乗り越えて、言葉を交わして心を通わせた、かけがえのない仲間たち。
出会った時に罪悪感から同じことを口走って妹ちゃんに叱られてしまったけれど、改めて検証してみても他に方法が見つからない。
自己犠牲とか、贖罪とか、そういうつもりはもうない。
ただ、ぼく自身が失いたくないと思ってしまっているという事実が、この話を妹ちゃんやエルフ君に切り出せずにいる原因だ。
何度も諦めては今度こそと希望を持ってしまう性分が、ぼくをいつまでも躊躇わせる。
魂の統合による、妹ちゃんへの力の譲渡。
それはぼくの消滅を意味している。
大昔に分けた魂を再び一つにする事で、かつての大魔法使いとしての力を取り戻す。
その力を以って冒険者君と迷宮の繋がりを引き剥がす。これが冒険者君を助ける唯一の手段。
今のぼくも魔法の扱いには長けているけれど、力のリソースの大部分は封印の際に迷宮から奪った管理権限にある。
これまでぼくが迷宮の最深部や核に直接手を出せなかったのも、それが原因だ。元々迷宮の力であるものが迷宮を直接害するような事は、いくら権限を奪ったところで出来やしない。
だから、大魔法使いとしての力を用いてぼくが抑えた権限を燃料に焚べる。
これならば、足りないリソースは迷宮そのものから賄わせることが出来るし、かつてのように封印で精一杯ということにはならないはず。
冒険者君に取り込まれた事で一度は力を失った迷宮は、引き剥がすことさえ出来れば殆ど無力に近い。今度こそ、迷宮を殺す事ができる。
「でも、消えたくないなぁ」
こんなぼくを叱って一緒にいようと笑ってくれる妹ちゃんも、何も言わずに手を貸してくれるエルフ君も、命を賭けてぼくを生かしてくれている冒険者君も、誰一人失いたくない大切な人たちだ。
そして、そんな彼女達に囲まれて笑っている自分の未来を、ぼくはどうしようもなく欲している。
迷う心は答えを出す瞬間をいつまでも遠ざけて、ついに取り返しのつかない所まで来てしまった。
迷宮の主(冒険者君)が座す玉座の間に、とうとう足を踏み入れた。
▶︎
──やってくれたな。
迷宮に挑む者が現れるのは、まだいい。
迷宮とはそういうもので、こちらが招こうが放っておこうが、奴等は必ずやってくる。
それを迎え撃つのは迷宮の責務で、そこに異を唱えるつもりはない。
問題は、それがこんなところにいてはならない人物である事だ。
「お姉ちゃん、来たよ」
あまりに変容したこの姿に、怯えと緊張を孕んだ声で宣言する少女に一瞥をくれて、何も答えずに玉座に預けた背を起こす。
この場で言葉を交わすべき相手は別にいる。
──何のつもりだ、剣王。
どうして此処に連れてきた。
お前に頼んだのは、妹を危険に晒す事じゃない。手を震わせて俯く管理者の泣きそうな姿を、この目に届ける事じゃない。
迷宮の主として変わり果てたこの姿を、二人に晒す事じゃなかった筈だ。
かつての自分が信じて託した者の裏切りに、溶けそうな理性を注ぎ込んで言葉を絞り出した。
──今回だけ、見逃す。二人を連れて迷宮を出ろ。
湧き上がる迷宮の主としての衝動を捩じ伏せて、辛うじての言葉だ。
褒美や名声が欲しいのならば、次は一人で此処に来い。お前が何を思って愚行に走ったのかは知らないが、この際見逃してやってもいい。
間違ってもこの場で歯向かってくれるなよ。
魔王の首が欲しいなら、お前一人で挑むがいい。お前にはその力があるのだから、後で幾らでも相手にしてやろう。だから、疾く去れ。
「そうじゃない。二人は貴方のために此処に来た」
囀るな。それは我の望む答えじゃない。
鞘から剣を抜き、凛と構える剣の女王に苛立ちを覚えて魔力が溢れた。
衝動を抑えつける理性の天秤は、容易く傾くというのに。こいつはそれが理解できないらしい。
ようやっと定まった自我を揺さぶるような真似を、随分と容易くしてくれる。
──お前達の事情など知らん。譲歩を受け入れぬなら叩き出すまでだ。
玉座から立ち上がる。
大鎌と聖剣を侍らせて、抑え付けていた魔力を解き放った。
▶︎
押し潰されてしまいそうな威圧の波に、私は何も出来ずに両膝をついてしまう。本当に、これがお姉ちゃんなの?
魔法使いちゃんが結界を張ってくれても立ち上がる事ができないのは、初めて見た本気の怒気に怯えてしまっているからだろうか。息をするのがやっとという状況下で、自分がどうなっているのか分からなくなる。
「落ち着いて、妹ちゃん」
私を抱き寄せて声を掛けてくれる魔法使いちゃんも、優しい声とは裏腹にその表情はとても辛そう。それでも新たに魔法を展開しようとして、それがいつまでも発動しない事に焦りを覚える。
──ああ、余計な事をするなよ。
私達に視線を向けて、何でもないように言う。
魔法使いちゃんが目を見開いて息を呑んだ。
「管理権限が、とられちゃった」
信じられないという様子で呟く。
これまで見た頼もしい姿が嘘のように震える魔法使いちゃんに、私は何もしてあげれない。どうしよう、息が、苦しい。意識が、遠のいて──
「二人を虐めないで」
ひゅんと空気を切り裂く音がして、どうしようもない重圧が露散する。
紫色に揺らめく光を瞳に湛えたエルフさんが、お姉ちゃんの視線を遮るように立ちはだかった。
【Tips】
《悲劇を語る御伽噺》
・其々が、其々の苦悩を以て盤面は回る。しかして救いは訪れない。望んだ幸福は得られず、やがて迎える結末は永遠という名の地獄だ。──ええ、ええ。そんなお話も偶にはいい。ですが、本当に欲しいのはそれですかい?