また一つ、敵を屠った。
捩れた牙を振り回す、大岩と見紛う巨大猪は実に難敵であった。
迷宮だなんだと煩わしい場に呼ばれ、あろうことか国王陛下により賜った家宝の武具を奪われたとしても、戦士は決して後ろに下がらない。
混迷を極める戦場で武器を失うなどという状況は我等にとって日常茶飯事だからだ。
そんな事よりも。
「気をつけて、絶対に死なないでおくれ」
我が身に起きた理不尽を呪うより、あの幼子の悲壮な顔を何としても晴らす事のほうが重要である。
退けた敵の数は最早数えておらぬ。
延々と続く一本道。どこから湧いて出るのか知らないが、二十と歩かぬうちに襲撃を受ける。
最初は確か小鬼であった。何の脅威でもなかった。
次は狼。複数で囲む知恵はあったが、これも然して難しくはない。
その次はオーク。人の形を取るものならば屠るのは容易い。
その次は、その次は。
そうやって呆れ果てるほど敵を殺し、屠った敵の死骸が塵も残さず消える事に感動を覚えなくなった頃、あの魔猪がやってきた。
殺した。
だが、痛撃を受けた。
「よもや、図体ばかりの獣風情に傷を負わされるとは」
武器が欲しい。
出来れば大剣がいい。
しかし、無いものを強請った所で何も変わらぬ。
苛立ちはあるが、これが噂に聞く迷宮での戦いと言うものなのだろう。
意識を切り替えろ。傷を負った不覚は、より多くの敵を屠る事で払拭するのだ。
背後から忍び寄る人狼の爪をいなし、渾身の雄叫びを上げた。──戦いは、まだ終わらない。
▶︎
人狼を下し、そして更に多くの襲撃を返り討ちにした。
どれもこれも難敵だった。雑魚などと呼べぬ強者達が先と変わらぬ頻度で現れた。
損耗は、無視できないところまできている。
受けた傷は肉を固める事で何とか塞げるが、失った血の方が問題だ。
意識を失うか否かの境目。
徐々に重くなる体を引きずって、ようやっと辿り着いたのは、何も無い袋小路であった。
「どう言う事だ、出口ではないのか」
思わず愚痴が溢れる。
・・・・・・世迷言を。
我は王国に名高き戦士団の長、誉れ高きプレスキンだろう。
我が戦団の盟友たちがこの様を見れば、皆一様に落胆し嘆くに違いない。そうして口を揃えて言うのだ。戦士は、後ろに下がらない。その通りだ。
しかし、蓄積した疲労と失血は、鍛え上げた肉体から着実に生気を奪っていく。
最早、限界は近い。
嗚呼、あの幼子に何と詫びればいい。
引き返せと縋りつき、行かないでと涙を流してこの身を案じた少女に、どう報いればいい。
迷宮か何かは知らぬが、世界に名だたる我が身をどうこうできるものかよ。そう宣ってその手を振り切ったのは誰だ。それでもと言い寄る幼子に、戦士の出立に口を出すとは何事かと叱りつけたのは誰だ。
驕りが勇士を殺す様など幾らでも見てきただろう。同じ轍を踏むのか。
・・・・・・このままここで朽ちるのか。
祖先にも戦友にも顔向けできぬ汚点を残し、幼子の心に憂いを残しておいて、それすら晴らさぬうちにこのまま逝くのか。
「断じて否である」
死ぬのなら、誉れある戦いの中で。麗しい姫君を背中に守り切ってからだと、酒の席で仲間達に宣言しただろう。
意地を見せろ戦士長。
行き止まりが何だと言うのだ。行く先を壁が遮るのなら、これを打ち破って進むのが我が戦士団の誇りである。
渾身の力を振り絞って壁を殴りつけろ。
後ろに下がるな。前へ、前へ!
▶︎
気がつけば、見覚えのある闘技場の中央に立っていた。ここは、我が戦士団の旗揚げの。
不思議な事に体が軽い。
それに、あれほど欲した我が相棒が手の内にある。
それどころか、鎧もマントも。あの一本道の最中で欲しいと思ったものが全てある。
「なんだ、これは」
戦の神が微笑んだのか。
愚かな戦士の末路に、慈悲深くも恩寵を授けて下さったのか。
辺りには戦士達の姿もある。皆一様に笑って、仕方のない奴だと肩を竦める者さえいる。
なんだ、何がどうなっている。疑問が尽きず戸惑う我に、戦友のひとりが見てみろと背後を指す。
『守って』
声に振り向けば、あの幼子が佇んでいた。
指差す方に視線を向ければ、禍々しい魔法陣より人影が現れる。
手にした大鎌は、魔獣か、より巨大な生き物の爪か。粗雑な造りに見えるが、放つ魔力は禍々しく弾けて火花を散らしている。人影は姿を持たず、陽炎のような影が人の形を模るのみ。
死神だ。生命を刈り取る忌むべき神、魂の裁定者。──戦士が恐れる、唯一のもの。
「なるほど、なるほど」
状況は明白だった。
これを打倒し、幼子を守り切る時が我が終焉と、戦の神が定めて下さったのだ!
背には守るべき幼子、周囲には苦楽を共にした仲間、相対する敵は絶対の死を司る神!
何という好機!何という祝福!
戦士の戦いにこれ以上があるものか!
取り乱し、醜態を晒した戦士に手向けられたこの上ない救済。
巨大な敵に立ち向かう戦士の矜持を此処に示せと!
思えば、これを成すことが迷宮に招かれた意図であったのだ。
人が神に挑む神話の戦いを、今一度ここに再現せよと。
「おお、気高く慈悲深いアールズよ、我が戦いをご照覧あれ!プレスキンがここに誓う!」
例えこの身が朽ちようと、敵を屠るまで二度と止まらぬ事をここに誓約しよう。
心折られる事はなく、幼子をしかと守り切って見せよう!
──気炎は高く燃え上がり、そして永久に終わらぬ戦いが始まった。
【Tips】
・迷宮は、偉大なる戦士の末路に夢を見せた。それは彼が望んだもの。誰も知らない英雄譚。
しかしその意図は、哀れな戦士の望みを叶える為ではない。──強すぎる魂は些か消化に悪い。よく廻る駒にでもなっておくれ。
・民は豊穣の神を讃えるが、戦士達が祈るのは、戦いを愛するアールズだけだ。
・格好いい戦士が美しいお姫様を守るために奮戦する。母が語った寝物語に憧れた少年は、やがて国内に知らぬ者はいない《戦士長》となった。
しかし、その生涯において彼が守りたかった姫君は、ついぞ現れる事がなかった。傍らにいた青い鳥に気付いてさえいれば、悲劇は起こらなかったろうに。