「やはりあなたは私の想像を良い意味で裏切ってくれる……ねぇ?ハジメさん?」
橙色に染まる教室。
この場所にいるのは俺とホシノさんの二人だけのはずだった。
「やはり複製ではない……この世界から追放されたはずのあなたがどうして戻ってこれたのか……是非お話願えませんか?」
落ち着いた低音。
人間の声のようで、しかし掴みどころがない。
不気味さを醸し出すその発生源は黒いスーツに身を包んだ男だった。
「……ッ!黒服!!」
ホシノさんが咄嗟に銃を構える。
その目つきはいつものような気怠げなものではなく、鋭く、何人も寄せ付けない威圧感を放っていた。
「どうしてお前がここにいるんだ!」
「そんなに警戒せずとも私はただ旧友に会いに来ただけですよ。小鳥遊ホシノさん」
スーツの男はヒビ割れた無機質な顔をこちらに向ける。
右目のあるべき場所から漏れ出した光がまっすぐ俺を見据える。
「……ッ」
ホシノさんは銃口はそのままに鋭い眼光を俺に向ける。
まるで恨めしいものを見るかのように口を歪ませていた。
数秒。
一瞬で過ぎ去るはずのその時間がやけに長く感じた。
「……ハジメさん、あなたは……ッ」
意を決したようにホシノさんが口を開く。
「何なんで……」
「……いや、誰だよお前!?」
「……え?」
「……ほう?」
張り詰めた空気が霧散する。
「お前みたいな怪しさ満点、推定人外の化け物なんて知り合いにいねぇよ!旧友?初対面だわ馬鹿野郎!」
「……覚えておられないので?」
「覚えるも何も、この世界に来てまだ数日しか経ってねぇよ!お前みたいなやつと知り合ってたら嫌でも忘れられねぇよ!!」
「ふむ……」
ずいずいとまくしたてるように言ってしまったが、事実でしかない。
俺の交友関係はアビドス高校の5人と柴関の大将、それと常連さんたちで収まるのだ。
こんなやつは知らん。
……ってか、そもそも顔がヒビ割れてるとか、人外以外の何物でもないだろ!
口っぽいヒビはあるけどそこから声が出てんのか!?
無駄にスタイルも良いしよ……
「嘘だ!!」
教室中に声が響く。
横を向けばホシノさんが激しい剣幕でこちらを睨みつけていた。
えぇ……?
嘘って何さ……
「……私は騙されない。最初から怪しいと思ってたんだよ。何も知らない振りして私たちに取り入ろうとしたんでしょ?」
一拍置き、落ち着いた様子で一つ一つ事実を確認するように話し出す。
「驚いたよ。シロコちゃんが人を拾ってきたって言って、顔を見たらハジメ先輩と瓜二つなんだもん」
「……ハジメ、先輩?」
「いたんだよ。この学校に昔、そんな名前の先輩がさ……行方不明になって随分立つけどね」
「……」
「嫌に妙な偶然もあるもんだよねぇ。その先輩も君みたいにお人好しでさ。アビドスのためなら何でもやる人だった」
曰く、アビドスが大好きで、復興を絶対に諦めなかった。
曰く、未来の新入生のために借金をできるだけ減らした。
曰く、絶対的なカリスマで、他の校区にも顔が知れ渡っていた。
曰く、曰く、曰く……
普段のホシノさんからは想像のつかない饒舌さで『ハジメ先輩』という人物の輪郭が浮かび上がっていく。
……俺とは、似ても似つかわない。
「……そんな先輩の姿を使って何をやるつもりだったのかな?君は」
カチャリ、とブレの一つもなく銃口がこちらを見据える。
「……」
……何、って言われてもな。
俺は本当にこの黒スーツのことなんか知らないし、『ハジメ先輩』なんてヤツのことはもっと知らない。
つまりは答えようもない質問なわけだ。
……思えば。
気づいたら砂漠にいて、シロコさんに助けられて、ホシノさんたちと出会った。
ただの偶然で、運命なんてものは何一つなかった。
何をしようかとか、そんなものは以ての外だった。
今だってこうしてアビドス高校でみんなの手伝いをしているのだってそうだ。
助けられたから助け返す。
救われたから救い返す。
恩を返すためにやっているだけ。
それが俺にとってのあたりまえで、俺自身の意志なんて考えたことがなかった。
改めてこうして突き詰められて、振り返ってみて初めてわかった。
俺は、本当は何がしたいんだろう。
何が、したかったんだろう。
それが途端に分からなくなってしまった。
「……だんまり、ね。それが答えなら……!!」
「……なるほど。そういうわけですか」
クックックッ、と不敵な笑いがスーツの男からこぼれる。
「小鳥遊ホシノさん、あなたは一つ勘違いをしている」
「……」
「私と彼は初対面で間違いありません」
「……いまさら言い訳しても無駄だよ」
「言い訳なんかではありませんよ。現に彼は私と初対面だと発言した。そうでしょう?」
「だから?お前たちが繋がっていない理由にはならない」
「……終ハジメ」
「!」
ホシノさんの肩が僅かに跳ね、目が見開かれる。
「アビドス高校の3年生。たしか生徒会の庶務でしたか」
「な、んで……お前がハジメ先輩のことを……」
「言ったでしょう?旧友、だと」
「……嘘だ」
「嘘ではありませんよ。現に彼が在籍していた当時キヴォトス最高の神秘であるあなたに手を出せなかったのは彼との取引があったからです」
「……」
「よく話されていましたよ。後輩が可愛くて仕方ないと」
「ッ!じゃあハジメ先輩は何処に行ったんだ!!私一人、置いてけぼりにして……ッ!!」
ホシノさんが銃をスーツの男に向ける。
銃を掴んでいるその手は震えているように見えた。
「……知らないほうが、よろしいかと」
「話さないなら力尽くで……っ!!」
「良いのですか?ここで撃とうものなら教室が大変なことになりますよ?」
「……ッ」
ホシノさんが銃を下ろす。
体が小刻みに震えている。
「良い選択です。ハジメさんに会えなかったのは残念ですが……まぁ収穫はありました。では、私はこれで」
また会いましょう。
そう言い残し、スーツの男はふっ、と幻のように消えていった。
それを見届けたところで、張り詰めていた意識の糸が切れた。
◇
それからどれくらい時間が経っただろうか。
目を覚ませば窓の外はすっかり黒く染まっており、空にはここ数日で見慣れた幾何学的な円がその存在感をこれでもかと放っていた。
……大将、心配してるだろうな。
「……あ、起きた?」
「……ホシノ、さん」
掛けられた声に振り向けば両手にカップを持ったホシノさんが立っていた。
カップからは湯気が立ち上っている。
「あの、俺……」
「とりあえず座ろっか」
少しでもなにか話そうと切り出すが、ホシノさんが言葉を遮る。
その言葉に従い、立ち上がって近くの椅子を引き、座る。
椅子の硬い感触が少し懐かしい。
ホシノさんは俺の前の席に座り、こちらを向く。
コト、とカップが机に置かれる。
「冷めないうちにどーぞ」
「……いただきます」
やけどをしないよう慎重に口に運ぶ。
お茶の香ばしい匂い。
少し苦みのある味とざらついた熱い喉越しが心を穏やかにさせる。
「……おいしい?」
「……あぁ」
「よかった」
「……」
ぎこちない空気が流れる。
気づけばお茶も半分以下。
さっさと話を切り出せばいいものを、なかなか言葉にできずにいた。
どう話せばいいか。
そもそも何を話せばいいか。
なんて、そうしてまごまごしているとホシノさんが口を開いた。
「さっきはごめんね」
「え」
「感情に任せて君を追い詰めちゃってさ。おじさん、そんなキャラじゃないんだけどなぁ」
うへへ、といつものような笑いを見せる。
先、越されちゃったな。
「……でも、ホシノさんの感じた通りだよ。行方不明……だっけ?その知り合いに似たやつが急に現れて、馴染もうとしてんだもんよ。怪しさしかないって」
「出来すぎてる、よね」
「俺もそう思う」
静かに二人して笑う。
少しして、決心が固まった。
「……俺、さ。昔、教師になりたかったんだ」
「何?急に」
「俺のこと、ちゃんと知ってもらおうと思って。俺達、ちゃんと話し合えてなかっただろ?」
「……そうだね。話し合おうとすら、しなかった」
「それに一方的にホシノさんが俺をどう思ってたのか聞いちゃったし……」
「あ、あれは……」
「いいって、さっきも言っただろ?俺もそう思うって……まぁ、そんでさ、教師になるために大学行って勉強してたんだ」
「……うん」
「でも、ちょっと失敗しちゃってさ、引きこもったんだよ。情けない話だよな」
ホシノさんは何も言わず、ただ静かに俺の話に耳を傾ける。
「結果的に大学も辞めて、ずっと自堕落な毎日を過ごしてた。そんなある日、気づいたら砂漠に立ってたんだ」
「……え?」
「訳分かんないだろ?でも本当のことなんだよ」
言ってて自分でもよくわかんないな、やっぱり。
「……前になんでそこまでアビドスに肩入れするのかって聞いたの……覚えてるか?」
「覚えてるよ。助けられたから、恩返ししなくちゃって即答されたねぇ」
「あれはたしかに偽りのない本心だった。でもそれ以上に……何かしなくちゃって必死だったんだ」
「何か?結構漠然としてるねぇ」
「わかんないんだよ。何をしたらいいのか。何が正解なのかってさ」
もしまた失敗したら?
別の選択をすれば良かったんじゃないか?
それが、怖い。
そんな時。
「正解なんて、ないんじゃない?」
「……え?」
「誰がその正解を決めるの?ハジメさん?それとも別の誰か?聞いたところでそんなの誰にも分かんないよ」
「……それ、は」
「正解が欲しいならさ、ハジメさん自身で作るしかないとおじさんは思うよ。ハジメさんがしたいことを決めて、それを正解にしていけばいい」
「……」
俺にできることではなく、したいこと、やりたいことか。
『ハジメくんがやりたいと思ったことをしたら良いと思うな』
……そういえば、何故、教師を志したのだったか。
その原点は、あぁ、あの日の、あの言葉だ。
「……無理に今考えなくてもいいと思うよ。時間はたっぷりあるでしょ?」
「……あぁ」
「それにさ、別にハジメさんがアビドスの為に何かしようとしなくてもいいんだよ。私たちは私たちだけでも最高……とまでは言えないけど良い学校生活を送れてる。かけがえのない毎日だよ」
「かけがえのない毎日……そう、そうだよな」
かつて、そう定義したのだった。
「なぁ、ホシノさん」
「何?」
「ホシノさんは青春ってなんだと思う?」
「うぇ?んー……アビドスのみんなと一緒に過ごすことかなぁ。急にどうしたの?」
「……そっか。うん。そうだよな」
……俺はなんで教師になりたかった?なろうとした?
なんで忘れていたんだろうか。
あんなに大事なことだったのに。
「……確かこの辺に……あった」
教室のロッカーに入れていた、空っぽの財布。
今ではただの小物入れとして使っている大切なもの。
その中からあの日の失敗以来見ないようにしていた、1枚の写真を取り出す。
桜の描かれた黒板をバックに大人1人、大人未満が4人写った写真。
ふざけたポーズをするやつ。
泣いているやつ。
真面目に写っているやつ。
そして、大人に頭を撫でられ似合わない笑みを浮かべている昔の俺。
この頃から思うと随分変わった。
髪は黒一色から、緑っぽい薄い水色のインナーカラーを入れたし、顔も少しは大人びた。
性格も……まぁ少しは丸くなった。
それでも根っこだけは変わっていなかったらしい。
俺のしたいことは──
「受けた恩は送らなきゃ、だよな」
先生は俺の、俺達の青春がより良いものになるよう頑張ってくれた。
次は俺がそれをする番だ。
小鳥遊ホシノ
砂狼シロコ
十六夜ノノミ
黒見セリカ
奥空アヤネ
彼女たちの青春をより良いものにする。
その手助けをする。
それが俺のやりたいことだ。
「……ホシノさん、これからもよろしく」
「よくわかんないけど……うん。よろしくね、ハジメさん」
◇
学園都市キヴォトス。
数千の学園からなる巨大学園都市。
その1つ、砂漠にあるアビドス高等学校は問題が山積みである。
多額の借金。
人口流出。
砂漠化。
廃校の危機に瀕していながらも、それでも諦めない子たちがいる。
俺はそんな彼女らの青春を少しでもより良いものにしたい。
その為ならなんだってできる。
……と、物思いにふけっていると勢いよく教室の扉が開け放たれる。
「は、ハジメさん!!」
「どしたアヤネさん、そんな慌てて」
「し……」
「し?」
「し、シロコ先輩が大人を拉致してきました!!!」
……また、騒がしくなりそうだなぁ。