毎日コンビニの新商品を食べ続けていただけの俺、なぜか食品開発会社のエースになる 作:赤坂龍之介
翌朝。
出社して自分の席に座ると、昨日の商談で使った資料が置かれていた。
その上に、一枚の付箋が貼ってある。
『先方から追加質問あり』
「……ですよね」
俺はため息をついた。
昨日の商談で、先方から聞かれた質問。
『この商品は、具体的にどのような場面で必要とされるのか』
昨日の俺は、その場では何とか答えた。
「仕事終わりに、これ一個で満足できる商品です」
でも、それだけじゃ足りなかった。
先方が知りたいのは、もっと具体的なことだ。
誰が。
いつ。
どこで。
なぜ。
この商品を買うのか。
「……難しい」
俺が唸っていると。
「佐伯さん」
「うわっ!」
突然、黒川主任が横から顔を出した。
「……主任」
「また驚きましたね」
「俺の背後に立つの、禁止にしません?」
「なぜです?」
「心臓に悪いので」
黒川主任が笑う。
「昨日の質問、気になっていますか?」
「はい」
「いいことです」
「でも、俺には分からないです」
「だから、今日は考えてみましょう」
「……俺と?」
「はい」
「企画の仕事じゃないんですか?」
「企画だけで決めることでもありません」
黒川主任は資料を指差した。
「商品を食べる人間が、どんな場面でそれを選ぶのか。佐伯さんは、そこを考えるための材料を持っています」
「……」
また、俺の「食べてきただけ」の経験が持ち出された。
少しだけ不思議な気分になる。
「分かりました」
「では、会議室へ」
*
会議室には、田村さん、企画担当の女性、高橋さんも集まっていた。
ホワイトボードには、大きく四つの文字が書かれている。
『誰が』
『いつ』
『どこで』
『なぜ』
「今日は、この四つを整理します」
企画担当の女性が説明する。
「先方からの追加質問は、『仕事終わり』という言葉が少し曖昧だということでした」
「……」
「仕事終わりといっても、人によって状況が違います」
ホワイトボードに例が書かれる。
『会社を出た直後』
『駅へ向かう途中』
『家に帰る前』
『残業後』
『夕食までのつなぎ』
『夜食』
「同じ仕事終わりでも、かなり違いますね」
高橋さんが言う。
「はい。だから、今回の商品が本当に必要とされる場面を絞りたいんです」
俺はホワイトボードを見る。
「……」
俺自身なら。
仕事が終わった。
腹が減っている。
でも、まだ家に帰る。
弁当を買うほどじゃない。
おにぎり一個じゃ足りない。
そんなとき。
「俺なら……家に帰る前です」
「家に帰る前?」
企画担当の女性が聞く。
「はい。仕事が終わって腹が減ってる。でも、家では夕飯を食べるかもしれない。だから、弁当を買うほどじゃない。でも、何か食べたい」
「なるほど」
企画担当の女性がホワイトボードに書く。
『帰宅前』
「他には?」
「……駅まで歩く途中とか。電車に乗る前にコンビニに寄る人もいると思います」
「なるほど」
高橋さんが頷く。
「では、ターゲットは?」
企画担当の女性が聞く。
「二十代から四十代の会社員、というのが元々の設定ですね」
「はい」
「その中でも?」
「……」
俺は考える。
「夕食をまだ食べていない人」
「はい」
「でも、家に帰ってから夕食を食べる予定がある人もいる」
「はい」
「だから、完全な夕食代わりじゃない」
俺はホワイトボードを見る。
「……『夕食前の空腹を埋める』?」
企画担当の女性がペンを走らせた。
「いいですね」
俺は少し考えた。
「でも、それだと他のおにぎりや菓子パンでもいい気がします」
「……」
企画担当の女性が頷く。
「そこが問題です」
俺は黙った。
一つ答えが見つかったと思ったら、別の問題が出てくる。
*
「じゃあ」
高橋さんが言った。
「『この商品だからこそ』必要になる場面を考えましょう」
「……」
俺は商品を見る。
濃厚。
満足感。
それでいて、重すぎない。
「……」
ふと思う。
「仕事終わりに、家に帰る前」
「はい」
「でも、これって普通の惣菜パンと何が違うんだろう」
「そこですよね」
高橋さんが答える。
「『仕事帰りに食べたい』だけなら、他の商品でもいい」
「……」
田村さんが口を開く。
「佐伯さん」
「はい」
「この商品を最初に食べたとき、自分は何を感じました?」
「え?」
「最初の試作品を思い出してください」
俺は目を閉じる。
最初は。
「美味しい」
だった。
でも、少し食べ進めると。
「……重い」
そして。
試作を繰り返した。
濃厚さは残す。
でも、後味は軽くする。
油っぽさを抑える。
具材の味を残す。
「……」
俺は商品を見る。
「最初から最後まで、味の満足感が続く……とか?」
田村さんが頷く。
「もう少し具体的に」
「最初だけ美味しいんじゃなくて、最後まで食べても『もういいや』になりにくい」
「……」
「だから、仕事終わりに一個食べても、最後までちゃんと食べ切れる」
「それは今回の開発経緯とつながっていますね」
黒川主任が言った。
「はい」
企画担当の女性がホワイトボードを見る。
「『最後まで食べ切れる濃厚さ』……」
俺は続けた。
「ただ、今のところ、それは僕たちが考えている仮説ですよね?」
「……」
「モニターに聞いてみないと、本当に消費者がそう感じるかは分からない」
企画担当の女性が頷いた。
「その通りです」
「なら、そこを聞いてみたらいいんじゃないですか?」
黒川主任が笑った。
「やってみましょう」
「またモニターですか?」
「はい」
俺は苦笑した。
「この会社、本当に食べさせますね」
「食品会社ですから」
田村さんが真顔で答えた。
「そこ、冗談じゃないんですね」
*
数日後。
追加の消費者モニター評価が行われた。
今回は、前回と同じ継続モニターの中から、仕事終わりにコンビニを利用する人を中心に対象者を選んだ。
質問も以前より具体的だ。
『仕事終わりに食べるとしたら、どんな商品を選びますか?』
『この商品を食べ終わった後、満足したと感じましたか?』
『最後まで食べたくなる味でしたか?』
『夕食前の商品として、適していると思いますか?』
『どのような場面なら、この商品を買いたいと思いますか?』
俺も結果を見る。
「……」
前回より細かい。
「出ました」
企画担当の女性が言う。
結果が表示される。
『最後まで食べやすい』――4.2
『濃厚さと後味のバランス』――4.1
『夕食前の商品として適している』――3.9
「結構いいですね」
俺は思わず言った。
「はい」
「でも」
次の項目。
『この商品を選ぶ明確な理由がある』――3.2
「……」
まだ低い。
「やっぱりか」
俺は呟く。
「味や食後感は評価されている。でも、選ぶ理由がまだ弱い」
「そういうことです」
企画担当の女性が頷く。
自由回答を見る。
『食べやすい』
『味は好き』
『夕食前にちょうどよさそう』
『でも、他の商品との違いが分かりにくい』
『価格が同じなら、いつもの商品を買うかもしれない』
「……」
俺は考える。
今回のモニターで、
「この商品は食べやすい」
ことは確認できた。
でも。
「この商品を選びたい」
には、まだ届いていない。
「……」
俺は棚の写真を見る。
既存の商品。
競合商品。
俺たちの商品。
全部、似ている。
「これだ」
「何か分かりました?」
高橋さんが聞く。
「味じゃない」
「はい」
「利用場面も、ある程度は見えてきた」
「はい」
「でも、店頭で見た瞬間に、それが分からないんです」
「……」
企画担当の女性が頷いた。
「つまり、コンセプトそのものだけでなく、それを一目で伝える必要がある」
「はい」
俺は商品を見る。
「『最後まで食べ切れる濃厚さ』が本当の強みなら、それをパッケージで伝えられないと意味がない」
黒川主任が頷いた。
「そこです」
*
その週の後半。
企画担当の女性が、新しいパッケージ案を二つ用意した。
『A案』
『濃厚なのに、最後まで食べやすい』
『B案』
『仕事終わりの一個で、ちゃんと満足』
俺は二つを見比べる。
「……どっちも説明はできますね」
「はい」
「でも、Bは少し曖昧かも」
「どうして?」
「『ちゃんと満足』って、人によって意味が違う気がします」
「なるほど」
「Aの方が、商品の特徴が直接伝わる」
「ただ」
高橋さんが言った。
「『濃厚なのに』という表現だけだと、濃厚さをマイナスに感じる人もいるかもしれません」
「……」
まただ。
どっちを選んでも問題がある。
「じゃあ、別の言い方は?」
企画担当の女性が聞く。
俺は考える。
濃厚。
最後まで。
食べやすい。
仕事終わり。
「……」
しばらく黙ってから、口を開く。
「『しっかり濃い。でも、最後まで重くない』とか?」
全員が黙った。
「変ですか?」
企画担当の女性が首を横に振る。
「いえ」
高橋さんが言った。
「かなり商品の特徴が伝わります」
「本当ですか?」
「はい。『濃厚さ』と『食べ終わった後の軽さ』の両方が入っています」
田村さんも頷いた。
「開発で探してきた味の特徴とも一致しています」
黒川主任が笑う。
「では、これも仮説です。モニターで実際に確認しましょう」
俺は頷いた。
結局。
俺はまだ何も確定できない。
考える。
提案する。
試す。
結果を見る。
その繰り返しだ。
でも。
それが少し楽しくなってきた。
*
その日の帰り。
俺は一人でコンビニに立ち寄った。
惣菜パンの棚を見る。
商品を一つずつ眺める。
以前より、棚の見方が変わっている。
価格。
写真。
商品名。
キャッチコピー。
具材の見せ方。
パッケージの大きさ。
そして。
どこに視線が吸い寄せられるか。
「……」
俺は一つの商品を手に取った。
大きく、
『焼きたて食感』
と書かれている。
「これ、分かりやすいな」
商品を戻す。
別の商品。
『肉、増量』
「これも分かりやすい」
さらに別の商品。
『夕食にもう一品』
「……」
俺は少し笑った。
「なるほど」
商品って。
味だけじゃない。
パッケージを見た瞬間、
「これは自分向けだ」
と理解できることも重要なんだ。
そして。
俺たちの商品が目指しているのは、
『しっかり濃い。でも、最後まで重くない』
という特徴。
ただし。
それが本当に消費者にとって「買う理由」になるのかは、まだ分からない。
だから。
もう一度確かめる。
それしかない。
*
翌朝。
「佐伯さん」
「はい」
黒川主任が資料を持ってきた。
「先方から、また返事が来ました」
「……」
俺は少し緊張する。
「今回のコンセプトについては、興味を持ってもらえたようです」
「本当ですか?」
「はい。ただし、もう一つ条件があります」
「なんですか?」
「既存商品の販売価格と大きく離れない範囲で、内容量と『満足感』の関係を、もう少し具体的に説明してほしいそうです」
「……」
俺は思わず笑った。
「まだ宿題がある」
「あります」
「やっぱり商品開発って難しいですね」
「そうですね」
黒川主任が頷く。
「でも、今回は前より少し違います」
「え?」
「先方が、『この商品は何が違うのか』を具体的に話してくれるようになりました」
「……」
「まだ採用ではありません」
「はい」
「ですが、商品としての価値について、話し合える段階には進んでいます」
俺は資料を見る。
味。
価格。
製造。
コンセプト。
消費者。
全部が、一つの商品につながっている。
「……少しだけ」
「はい?」
「商品を作ってるって感じがしてきました」
黒川主任が笑った。
「最初から商品開発ですよ」
「そうでしたね」
俺も笑った。
でも。
今は最初とは違う。
ただ「美味しい」「まずい」と言っていた俺が。
今は、
誰が、いつ、なぜ、この商品を選ぶのか。
そこまで考えるようになった。
まだ答えは出ていない。
でも。
少しずつ。
この商品の「存在する理由」が見えてきている。
*
その日の午後。
「佐伯さん」
「はい?」
田村さんから、別の資料を渡された。
「次は、保存性です」
「……」
「今回、味のバランスを調整したことで、保存中の食感や香りに変化が出ていないか確認します」
「保存性……」
「はい。試作直後だけでなく、店舗に並ぶまでの時間や、購入後に消費者が食べるまでの時間も考える必要があります」
俺は資料を見る。
『保存期間中の食感変化』
『香りの変化』
『具材とパンの状態』
『保存条件』
などの項目が並んでいる。
「……」
今まで俺が見ていたのは、基本的に「今食べたときの味」だった。
でも食品開発では、作った直後だけでは駄目。
時間が経って。
店舗へ運ばれて。
棚に並んで。
消費者が買って。
家に帰って。
食べる。
そのときにも、商品が狙った状態でなければならない。
「……また、一から勉強ですね」
「そうですね」
田村さんが笑った。
「ここからは品質管理の佐藤さんにも入ってもらいます」
「品質管理?」
「はい。保存中の品質変化や規格について確認してもらいます。安全性に関わる部分も、品質管理と連携して確認します」
「なるほど」
新しい名前。
新しい分野。
また一つ、知らない世界が出てきた。
でも。
「……やります」
「はい」
俺は資料を持って立ち上がった。
このときの俺は、まだ知らなかった。
これまで「美味しい」と「まずい」だけで見ていた食品が。
時間や温度によって、別の顔を見せることを。
そして。
この保存性の検証が。
俺に初めて、食品開発に必要な科学の壁を真正面から突きつけることになるなんて。