毎日コンビニの新商品を食べ続けていただけの俺、なぜか食品開発会社のエースになる   作:赤坂龍之介

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第12話 残すべきもの、変えるべきもの

 

 翌朝。

 

 試作室に入ると、テーブルの上に三種類の惣菜パンが並んでいた。

 

『試作品J』

 

『試作品K』

 

『試作品L』

 

「……また三つ」

 

 思わず呟く。

 

「今回は、保存性を改善するための比較です」

 

 田村さんが資料を渡してくる。

 

 昨日までの試験で、保存時間が長くなるにつれてパンの硬化が強くなることが分かった。特に、具材と組み合わせた状態では、その変化が大きかった。

 

 そこで今回は、保存中の水分状態や食感変化に影響すると考えられる条件を、一部ずつ変えたらしい。

 

「Jは現在の基準品です」

 

「はい」

 

「Kはパン側の水分保持を意識して配合を調整したもの」

 

「はい」

 

「Lは配合を大きく変えず、パンと具材の組み合わせを見直したものです」

 

「なるほど」

 

 俺は資料を見る。

 

 専門的なことは、まだよく分からない。

 

 でも、今回の目的なら理解できる。

 

 保存後でも、パンの硬化を抑えられるか。

 

 それを比較する。

 

「まず、保存開始時の状態を確認します」

 

 佐藤さんが言った。

 

 Jを食べる。

 

 いつもの味。

 

 濃厚。

 

 後味は重くない。

 

「問題ないです」

 

 K。

 

 一口。

 

「……」

 

 二口。

 

「どうですか?」

 

 田村さんが聞く。

 

「少し柔らかいですね」

 

「はい」

 

「Jより口当たりが軽い気がします」

 

 L。

 

 一口。

 

「……」

 

 俺は少し考えた。

 

「Jとかなり近いです」

 

 佐藤さんが記録する。

 

「ありがとうございます」

 

 ここまでは、特に問題なさそうだった。

 

「では、保存後の試料を確認します」

 

 

 数日後。

 

 同じ保存条件で保管された三つの試作品が、再びテーブルに並べられた。

 

「まずJ」

 

 一口。

 

「……」

 

 やはりパンが少し硬い。

 

 前回と同じだ。

 

「次にK」

 

 一口。

 

「……あ」

 

「どうです?」

 

「柔らかいです」

 

 俺はもう一度食べる。

 

「前より、かなり食べやすい」

 

 田村さんが頷く。

 

「保存性については、狙った方向に進んでいます」

 

「じゃあ、Kが一番いいんじゃないですか?」

 

「味も確認してください」

 

「……」

 

 俺はもう一口食べた。

 

「少し甘いです」

 

「やっぱりそう感じますか」

 

「はい。パンの甘さが前より強い」

 

 田村さんも試食する。

 

「確かに、甘味が前に出ています」

 

 佐藤さんが記録する。

 

「保存後の食感は改善。一方、甘味については評価が変化」

 

「……」

 

 次にL。

 

 一口。

 

「……」

 

「どうですか?」

 

「Jより硬くないです。でも、Kほどではない」

 

「味は?」

 

「こっちはJに近いです」

 

 俺は三つを見比べた。

 

「Kは保存性がいい。でも味が変わる」

 

「はい」

 

「Lは味がいい。でも、保存後の硬さが少し残る」

 

「その通りです」

 

「……」

 

 まただ。

 

 一つを良くすると、別の何かが悪くなる。

 

「トレードオフ……」

 

 俺が呟く。

 

「そうですね」

 

 田村さんが笑った。

 

 

 試験結果をホワイトボードに整理する。

 

『J』

 

保存後の食感――△

 

味――○

 

製造性――○

 

『K』

 

保存後の食感――◎

 

味――△

 

製造性――要確認

 

『L』

 

保存後の食感――○

 

味――◎

 

製造性――○

 

 俺は表を見る。

 

「Kの保存性はかなり良くなっています」

 

 佐藤さんが説明する。

 

「はい。ただ、味の変化があります」

 

「Lは?」

 

「味は良好です。ただ、保存後の硬化が目標とする範囲まで改善できていません」

 

「……」

 

 企画担当の女性が資料を見ながら言う。

 

「どちらを採用するのがいいでしょう?」

 

 俺はKを見る。

 

「Kを使えば……」

 

 そこで一度止まった。

 

「……いや」

 

 前なら、すぐにKを選んでいたかもしれない。

 

 保存性が一番いいから。

 

 でも。

 

「Kは、商品コンセプトから少し外れます」

 

「どういう意味ですか?」

 

 黒川主任が聞く。

 

「俺たちが目指してるのって、『しっかり濃い。でも、最後まで重くない』ですよね」

 

「はい」

 

「Kは保存後の食感はいいけど、甘さが強くなって、後味が少し重く感じます」

 

 俺はもう一口Kを食べる。

 

「食べやすくなった代わりに、俺が残したいと思ってた部分が弱くなってる気がします」

 

「なるほど」

 

 田村さんが頷く。

 

「Lは?」

 

「Lは味の方向性はかなりいいです。でも、時間が経つとパンが少し硬い」

 

「……」

 

 俺は三つを見る。

 

「全部、まだ完成じゃないですね」

 

「その通りです」

 

 黒川主任が答えた。

 

「だから、ここからどうするかを考えます」

 

 

「何を残すのか」

 

 会議のあと。

 

 田村さんが俺を呼び止めた。

 

「佐伯さん」

 

「はい?」

 

「今回、どう思いました?」

 

「……」

 

 俺は考える。

 

「Kは保存性が一番いい」

 

「はい」

 

「でも、味が変わる」

 

「はい」

 

「Lは味がかなりいい。でも、保存後の硬さが残る」

 

「はい」

 

「Jは味と製造性はいい。でも、保存後に硬くなる」

 

「その通りです」

 

 俺は少し黙った。

 

「じゃあ……KとLを組み合わせれば?」

 

 言ってから、自分で苦笑した。

 

「またそれですね」

 

「ええ」

 

 田村さんも笑う。

 

「ただ、今回はもう一つ考えてほしいことがあります」

 

「何ですか?」

 

「全部を残せるとは限りません」

 

「……」

 

「保存性を優先すれば、味に影響が出るかもしれない。味を優先すれば、保存性が届かないかもしれない。原価や製造性もあります」

 

「……」

 

「だから、佐伯さんが考えてほしいのは『何を絶対に残したいのか』です」

 

 俺はKを見る。

 

 次にL。

 

 そしてJ。

 

「……何を?」

 

「はい」

 

「俺が決めていいんですか?」

 

「商品コンセプトの中で、消費者にとって何が重要かを考えるのは、佐伯さんの強みです」

 

「……」

 

 俺は三つを少しずつ食べる。

 

 J。

 

 K。

 

 L。

 

 比較する。

 

 香り。

 

 最初の味。

 

 具材。

 

 パン。

 

 後味。

 

 そして。

 

 食べ終わったあとに残る感覚。

 

「……」

 

 ようやく、言葉が出た。

 

「俺は……」

 

「はい」

 

「保存性だけ良くなっても、Kみたいに甘さが残るのは嫌です」

 

「なるほど」

 

「逆に、Lみたいに美味しくても、時間が経ってパンが硬くなるなら、それも嫌です」

 

「はい」

 

「だから……」

 

 俺は言葉を選ぶ。

 

「最初から最後まで、濃厚だけど重くないっていう部分は、絶対に残したいです」

 

 田村さんが頷いた。

 

「それが、佐伯さんの考える商品の核なんですね」

 

「……たぶん」

 

「十分です」

 

 

解決方法は一つじゃない

 

 午後。

 

 開発チーム全員で、もう一度打ち合わせをすることになった。

 

 ホワイトボードには、

 

『保存性』

 

『味』

 

『製造性』

 

『原価』

 

の四項目。

 

「Kの配合をそのまま使う必要はありません」

 

 田村さんが言った。

 

「保存性を改善する方法は、配合だけではありません」

 

「……?」

 

 俺が聞き返す。

 

「例えば、パンの配合を調整する方法」

 

「はい」

 

「具材との組み合わせを変える方法」

 

「はい」

 

「包装条件を見直す方法もあります」

 

「包装でも変わるんですか?」

 

 佐藤さんが答える。

 

「保存中の水分状態に影響する可能性があります。もちろん、実際に試してみないと分かりません」

 

「なるほど……」

 

「保存条件そのものを含めて、複数の方法を比較する必要があります」

 

 俺はホワイトボードを見る。

 

 今までの俺なら、

 

「KとLを組み合わせればいい」

 

と考えて終わっていた。

 

 でも違う。

 

 解決方法は一つじゃない。

 

「……つまり、KとLを混ぜるだけじゃないんですね」

 

「はい」

 

 田村さんが笑う。

 

「食品開発は、そんなに単純じゃありません」

 

「……」

 

 俺は少し笑った。

 

「知ってます」

 

 

新しい試験計画

 

 田村さんが新しい資料を作った。

 

『試験M』

 

『試験N』

 

『試験O』

 

「また三つ……」

 

「今回は役割が違います」

 

 田村さんが説明する。

 

「Mは、Lをベースにパン側の水分保持を少しだけ改善する」

 

「はい」

 

「Nは、配合を大きく変えず、包装条件を見直す」

 

「なるほど」

 

「Oは、具材との水分バランスを調整する」

 

「……」

 

 俺は資料を見る。

 

 今度は、

 

三つの方法そのものを比較する。

 

「面白い」

 

 思わず言った。

 

「何がです?」

 

「前は、商品Aと商品Bのどっちがいいかを考えてましたよね」

 

「はい」

 

「今回は、どうすれば問題を解決できるか、その方法自体を比べる」

 

「そういうことです」

 

 俺は少しだけ嬉しくなった。

 

 開発の見方が、また一段変わった気がする。

 

 

 数日後。

 

 M、N、Oの試験結果が出た。

 

 俺は一つずつ食べる。

 

「M」

 

 一口。

 

「保存後の硬さは、かなり減ってます」

 

「味は?」

 

「Jより少し甘い。でもKほどではない」

 

「なるほど」

 

「N」

 

 一口。

 

「味はかなりいい」

 

「保存後は?」

 

「Mより少し硬い。でも、Lよりは改善しています」

 

「包装条件を変えただけですが、差は出ていますね」

 

 佐藤さんが言う。

 

「Oは?」

 

 一口。

 

「……」

 

 俺は眉を寄せた。

 

「具材の味が少し弱い」

 

「なるほど」

 

「パンは悪くない。でも、具材の存在感が減っています」

 

 田村さんが資料を見る。

 

「水分バランスを変えた影響かもしれません」

 

「……」

 

 俺は三つを比べる。

 

 M。

 

 N。

 

 O。

 

 前よりも。

 

 答えが見えそうで、まだ見えない。

 

「一番いいのは……」

 

 そこで止める。

 

「いや」

 

 俺は訂正した。

 

「一番いいものじゃなくて」

 

 田村さんを見る。

 

「商品の核を一番守れているのは、どれかですよね?」

 

 田村さんが笑った。

 

「そうです」

 

 俺はもう一度食べる。

 

「……Nです」

 

「理由は?」

 

「保存後の硬さはMより少し残る。でも、味と具材の存在感は一番元の商品に近い」

 

「……」

 

「今回、絶対に残したいのは『しっかり濃い。でも、最後まで重くない』っていうところだから」

 

 田村さんが頷いた。

 

「いい判断です」

 

「でも、保存性はまだ目標に届いてない」

 

「はい」

 

「だから、Nを完成品にするんじゃなくて、Nをベースにさらに調整する」

 

「その通りです」

 

 俺は頷いた。

 

 少しずつ。

 

 考え方が変わっている。

 

 最初は、

 

「一番美味しいものを選ぶ」

 

だった。

 

 今は。

 

「商品の目的に一番近いものを選ぶ」

 

になっている。

 

 

その夜

 

 帰宅して、俺はスマホのメモを開いた。

 

 いつものように、

 

『新作○○』

 

と入力する。

 

 でも。

 

 今日は少し違った。

 

『味』

 

『食感』

 

『保存後の変化』

 

『価格』

 

『競合との差』

 

 いろいろ考える。

 

 そして最後に。

 

『商品の核は何か』

 

 と書いた。

 

「……」

 

 俺は画面を見る。

 

 たった数か月前。

 

 俺は、

 

「美味しい」

 

「まずい」

 

しか言えなかった。

 

 今は。

 

「なぜ美味しいのか」

 

「なぜ時間が経つと変わるのか」

 

「何を残すべきなのか」

 

まで考えている。

 

 まだ答えは分からない。

 

 食品科学なんて、ほとんど初心者だ。

 

 保存性も。

 

 水分活性も。

 

 品質管理も。

 

 まだ勉強中。

 

 それでも。

 

 俺には一つだけ分かることがある。

 

 食べたときに。

 

「なんか違う」

 

と思ったなら。

 

 その違和感を放っておかない。

 

 なぜそう感じたのか。

 

 どうすれば良くなるのか。

 

 そして。

 

 何を変えて、何を残すのか。

 

 それを考える。

 

 それが。

 

 俺が十年間やってきたことの先にある、

 

 「商品開発」なのかもしれない。

 

 

 翌朝。

 

「佐伯さん」

 

「はい」

 

 田村さんが声をかけてきた。

 

「Nをベースに、もう一段階試作します」

 

「はい」

 

「保存性をさらに上げながら、味と食感への影響を抑える方向です」

 

「……」

 

「ただし、原価が少し上がる可能性があります」

 

「……またですか」

 

「またです」

 

 俺は笑った。

 

 保存性。

 

 味。

 

 原価。

 

 製造。

 

 どれか一つを見ればいいわけじゃない。

 

 全部を見る。

 

 でも。

 

 全部を完璧にするのは難しい。

 

 だから。

 

 優先順位を決める。

 

 仮説を立てる。

 

 試す。

 

 結果を見る。

 

 そして、また考える。

 

「……分かりました」

 

 俺は試作室へ向かった。

 

 食品開発は、思っていた以上に難しい。

 

 でも。

 

 思っていた以上に。

 

 面白かった。

 

 ――そして、この次の試作で。

 

 俺たちは保存性の改善に成功する。

 

 だが。

 

 その代償として。

 

原価が、想定していた上限を大きく超えてしまう。

 

 また一つ。

 

 商品開発の壁が、俺たちの前に立ちはだかることになる。

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