毎日コンビニの新商品を食べ続けていただけの俺、なぜか食品開発会社のエースになる   作:赤坂龍之介

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第5話 美味しいだけじゃ、商品にならない

 

 入社して、一か月と少し。俺は少しずつ、商品開発部の空気に慣れてきた。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、佐伯さん」

 

「おはようございます」

 

 最初の頃は、フロアに入るだけでも緊張していた。今では挨拶くらいなら普通にできる。……まあ、人数の多い会議室に入ると、今でも少し胃が痛くなるけど。

 

「佐伯さん」

 

「はい?」

 

 自分の席に座った直後、田村さんに呼ばれた。

 

「昨日の試作品、覚えていますか?」

 

「D、E、Fですよね」

 

「そうです。少し結果が出ました」

 

 田村さんが資料を差し出す。そこには、昨日までの評価結果が並んでいた。

 

『パンの硬さ』『具材の味の明瞭さ』『油っぽさ』『香り』『後味』

 

 それぞれの評価。さらに、『原材料費』『包装資材』『製造に関わる費用』などの数字まで載っている。

 

「……」

 

 俺は一枚ずつめくった。

 

「Fが、一番評価高いですね」

 

「現時点ではそうです」

 

「味も?」

 

「はい」

 

「じゃあ、これで決まりですか?」

 

「いいえ」

 

「……え?」

 

 田村さんが淡々と答える。

 

「まだ決まっていません」

 

「どうしてです?」

 

「原価です」

 

「……」

 

 その一言で、なんとなく察した。

 

「Fって、高いんですか?」

 

「目標原価を一個あたり18円上回っています」

 

「18円……」

 

 18円。たった18円。そう思いかけて、俺は昨日、原価について教わったことを思い出した。

 

「……これって、大きいんですか?」

 

「大きいですね」

 

 田村さんが答える。

 

「仮に10万個作れば、それだけで180万円の差になります。全国展開になれば、数量はさらに増える可能性があります」

 

「……」

 

 18円という数字が、一気に重くなった。

 

「商品って……大変ですね」

 

「今頃気づきましたか?」

 

「はい」

 

 田村さんが笑った。

 

「食品開発では、美味しいだけでは商品になりません」

 

 その言葉が、妙に胸に残った。

 

 

一番美味しい試作品

 

 会議室。テーブルの上には、昨日と同じD、E、Fの三種類が並んでいる。

 

「もう一度食べてみましょう」

 

 田村さんに言われて、俺は順番に試食した。

 

「D」

 

 一口。悪くない。

 

「E」

 

 一口。少し濃い。

 

「F」

 

「……やっぱり、これですね」

 

 俺はFをもう一口食べた。パンの食感。具材の味。香り。後味。バランスがいい。

 

「Fが一番好きです」

 

 素直に答える。

 

「なぜ?」

 

 田村さんが聞く。

 

「最初の味がしっかりしているのに、後味が重くないからです。前の試作品は、一口目は美味しかったけど、最後の方で少し疲れる感じがあった。でもFは、それがかなり少ないです」

 

 田村さんが頷いた。

 

「では、商品企画としてはどうですか?」

 

 黒川主任が、隣の企画担当者へ尋ねる。

 

「味だけなら、かなり良いと思います。ターゲットにも合う可能性があります」

 

「可能性?」

 

「はい。まだ、実際の消費者調査をしていませんから」

 

 俺は資料を見る。

 

 そうか。社内の人間が美味しいと思った。俺も美味しいと思った。でも、それだけでは「売れる」とは言えない。

 

「じゃあ、Fを採用しないんですか?」

 

 俺が聞く。

 

「まだ何も決まっていません」

 

 黒川主任が答える。

 

「ここから、味だけではない条件を確認します」

 

「……」

 

 そして、次のページが開かれた。

 

『想定販売価格:298円前後』

 

『目標原価:○○円』

 

『試作品F:目標原価+18円』

 

「……」

 

 俺は数字を見つめた。

 

「これ、結構大きいんですね」

 

「はい」

 

 企画担当者が言う。

 

「コンビニ向け商品では、数円単位の差でも積み重なれば大きくなります」

 

 田村さんが補足する。

 

「10万個なら、1円の差で10万円です。18円なら180万円」

 

「…………」

 

 俺はFを見る。

 

 美味しい。

 

 でも、そのままでは商品として成立しない。

 

「……」

 

 また一つ、知らなかったことを知った。

 

 

原価計算

 

「佐伯さん」

 

 黒川主任が資料を差し出す。

 

「少し原価の見方を勉強しましょう」

 

「はい」

 

 そこには原価の内訳が並んでいた。

 

「原材料費だけじゃないんですね」

 

「そうです。商品によって扱いは異なりますが、包装資材や製造に関わる費用なども考えます。商品全体の採算を考える場合は、物流などの費用も無視できません」

 

「なるほど……」

 

 俺はメモを取る。

 

「じゃあ、Fのどこが高いんですか?」

 

「主に具材です」

 

「具材……」

 

 俺はFを見る。

 

「じゃあ、具材を減らせば?」

 

「味が変わります」

 

「……ですよね」

 

「原材料を安いものに置き換える方法もあります」

 

「それなら?」

 

「味や食感が変わる可能性があります。それに、単純に安い原材料が良いとは限りません。加工適性や保存性、製造ラインとの相性なども関係するからです」

 

「……」

 

 俺は黙った。

 

 一つを変えれば終わり。そんなに簡単な話じゃない。

 

「トレードオフ……」

 

「覚えていますね」

 

 黒川主任が笑う。

 

「勉強して覚えました」

 

「なら大丈夫です」

 

「何がです?」

 

「少しずつ開発者らしくなっています」

 

「……」

 

 俺は照れくさくなって、資料に視線を落とした。

 

 味。原価。製造。価格。

 

 全部を見る。

 

 それが商品開発。

 

「……難しいですね」

 

「そうですね」

 

「最初からこんなことを考えてたんですか?」

 

「新人の頃は無理でした」

 

「主任でも?」

 

「もちろん」

 

「……なんか安心しました」

 

 

「一番美味しい」だけじゃない

 

 午後。開発チームの打ち合わせが始まった。

 

「Fをそのまま採用するのは難しいですね」

 

 企画担当者が言う。

 

「目標原価をかなり上回っています」

 

「味は一番良いんですが」

 

 田村さんが資料を見る。

 

「原価を下げるなら、配合の見直しが必要です」

 

「発売時期との兼ね合いは?」

 

 製造担当者が言う。

 

「大幅な工程変更は難しいです」

 

「取引先との商品提案日程もあります」

 

 企画担当者が続ける。

 

 俺は黙って聞いていた。

 

 少しずつ、会議で使われる言葉が分かるようになってきた。

 

 原価。配合。製造。発売時期。取引先。

 

 以前なら、何を言っているのかほとんど分からなかった。でも今は、話の流れが追える。

 

 そしてFを見る。

 

 味は良い。

 

 でも、高い。

 

「……」

 

 俺は資料を見た。

 

「具材そのものを安いものに変えるんじゃなくて」

 

 思わず口を開く。

 

 全員がこちらを見る。

 

「はい、佐伯さん」

 

「使い方を変えるのは駄目なんですか?」

 

「使い方?」

 

「例えば……」

 

 俺は考える。

 

「具材を全部同じように入れるんじゃなくて、味を強く感じる部分を残して、別の部分を減らすとか。少ない量でも、食べたときに具材が多く感じるようにできれば、原価を少し下げられるんじゃないかなって」

 

 そこで言葉を止めた。

 

「……ただ、具体的に何をどう変えるかは、僕には分かりません」

 

 田村さんが頷く。

 

「考え方としては面白いです」

 

「本当ですか?」

 

「はい。ただ、味の強い原材料を使えば、その材料費が上がる可能性もあります。それに、具材の量を変えれば、見た目や満足感にも影響する」

 

「……」

 

 まただ。

 

 一つ解決しようとすると、別の問題が出る。

 

「難しい……」

 

 思わず呟く。

 

「それが商品開発です」

 

 黒川主任が笑った。

 

 

試作と原価

 

「一度、少し試してみましょう」

 

 田村さんが言った。

 

「味だけじゃなく、原価も一緒に見ます」

 

「はい」

 

 試作室へ移動する。

 

 今度は、試作品A、B、C。それぞれの横に、『味』『原価』『製造条件』の簡単な資料が置かれている。

 

「こういう比較は初めてです」

 

「本来は、こうやって同時に考えます」

 

 田村さんが言う。

 

「まずA」

 

 一口。悪くない。

 

「B」

 

 一口。

 

「……」

 

「どうです?」

 

「Aより味は強いけど、少し後味が残ります」

 

「C」

 

 一口。

 

「これが一番美味しい」

 

 俺は答えた。

 

「では、原価は?」

 

 資料を見る。

 

「……Cが一番高い」

 

「そうです」

 

「Aが一番安い」

 

「はい」

 

「Bが中間」

 

「はい」

 

 俺は三つを見比べた。

 

 Aは安い。でも味が弱い。Cは美味しい。でも高い。

 

 Bは。

 

「……これ、結構良くないですか?」

 

 思わず言った。

 

「味はCほどじゃないけど、原価はCより低い。Aよりは、かなり満足感がある。だったら、Bをベースにもう少し調整した方がいいかも」

 

 田村さんが頷く。

 

「それも一つの考え方です」

 

 俺は三つの試作品を見た。

 

 そこで、ようやく少し分かった。

 

 商品開発は、一番美味しいものを作る仕事ではない。

 

 決められた価格。必要な利益。製造条件。ターゲット。発売時期。

 

 その全部の条件の中で、一番「商品として成立するもの」を探す仕事なんだ。

 

 

「売れる」と「美味しい」は違う

 

 その日の夕方。企画担当者が資料を持ってきた。

 

「佐伯さん、これ見ます?」

 

「なんですか?」

 

「今回のターゲットについて、簡単にまとめた資料です」

 

 俺は資料を受け取る。

 

 購入理由。価格に対する許容範囲。購入頻度。競合商品。消費者アンケート。

 

「……」

 

「何か気になります?」

 

「俺が思ってたより、みんな価格を気にしてますね」

 

「そうですね」

 

「俺なら、300円でも気にせず買うんですけど」

 

 企画担当者が笑った。

 

「佐伯さんは、そもそもコンビニ新商品を買うこと自体が趣味ですから」

 

「……」

 

「一般のお客様が毎回、佐伯さんと同じように買うとは限りません」

 

 俺は黙った。

 

「……そうですよね」

 

「でも」

 

 企画担当者は続ける。

 

「佐伯さんの『自分ならどう感じるか』は、開発では大切です」

 

「……?」

 

「消費者一人の生の感覚ですから」

 

「でも、それだけじゃ駄目」

 

「その通りです」

 

「自分の感覚を仮説にして」

 

「はい」

 

「他の人の評価やデータで確かめる」

 

「そうです」

 

「……」

 

 俺は入社したての頃を思い出した。

 

 あの頃の俺は、「消費者はこう感じるはず」なんて簡単に考えていた。

 

 今なら、そんなことは言えない。

 

「俺、一人分の感想しか持ってないんですよね」

 

「だからこそ、価値があります」

 

「……」

 

「その一人分を、どう商品開発に生かすか。それが佐伯さんの仕事になっていくんじゃないですか?」

 

「……」

 

 その言葉が、妙に胸に残った。

 

 

その夜

 

 帰宅途中。いつものコンビニに立ち寄る。

 

 新商品を一つ手に取る。レジへ。家に帰る。開封する。

 

 一口。

 

「……」

 

 二口。

 

 スマホを取り出す。

 

 いつものようにメモを書く。

 

『新作○○』

 

 少し考える。

 

『味はかなり良い』

 

 そこまで書いて、手が止まった。

 

 今日、一日で学んだことを思い出す。

 

 味が良い。それだけでは駄目。

 

 高すぎても駄目。工場で作れなくても駄目。ターゲットに合わなくても駄目。発売できなければ意味がない。

 

「……商品って、難しいな」

 

 俺は苦笑した。

 

 そして続けて書く。

 

『味はかなり良い。ただ、これを300円前後で売るなら、味と価格のバランスも考えたい』

 

 書いてから、自分で驚いた。

 

 昨日までの俺なら、こんなことは書かなかった。

 

 食べて、「美味しい」で終わっていた。

 

 今は、味、価格、ターゲット。そんなことまで考えている。

 

「……ちょっとだけ、開発者っぽくなったかも」

 

 すぐに訂正する。

 

「いや。まだ全然か」

 

 スマホに最後の一文を追加する。

 

『原因は不明。要調査』

 

 保存。

 

 ポケットにしまう。

 

 俺はまだ新人だ。

 

 味覚の専門家でもない。料理人でもない。食品科学者でもない。マーケターでもない。

 

 ましてや、エースなんて、とてもじゃない。

 

 でも。

 

 一つずつ、知らなかったことを知っていく。

 

 一つずつ、今まで「美味しい」だけで終わっていたものを、別の角度から見る。

 

 それだけで、昨日とは少し違う自分になっている気がした。

 

 

翌朝

 

「佐伯さん」

 

「はい?」

 

 出社すると、黒川主任が一枚の資料を持って立っていた。

 

「例の惣菜パンの件です」

 

「何か進みました?」

 

「はい」

 

 俺は資料を受け取った。

 

『試作品G』

 

『試作品H』

 

『試作品I』

 

「……また三つ」

 

「今回は、味だけではありません」

 

「……?」

 

「原価も、製造条件も、同時に確認します」

 

「……」

 

 俺は資料をめくる。

 

『味』

 

『原価』

 

『製造性』

 

『想定販売価格』

 

『ターゲット適合性』

 

 今までなら、数字を見ても何が何だか分からなかった。

 

 でも、今は少しだけ違う。

 

 それぞれが、商品を成立させるために必要な条件だと分かる。

 

「……これが、商品開発」

 

「そうです」

 

 黒川主任が頷く。

 

 そして。

 

「佐伯さん」

 

「はい」

 

「今回は、あなたにも一つ役割があります」

 

「俺に?」

 

「はい」

 

 黒川主任が三つの試作品を指差す。

 

「この三つを食べてください」

 

「はい」

 

「そして」

 

 一拍。

 

「一番美味しいものではなく、一番商品になりそうなものを選んでください。」

 

「…………」

 

 俺は試作品G、H、Iを見る。

 

 味だけなら、たぶん選べる。

 

 でも、今回はそれだけじゃない。

 

 価格。原価。製造。ターゲット。発売時期。

 

 全部を考えて選ぶ。

 

 入社して、一か月。

 

 俺は初めて、「食べる人」から、ほんの少しだけ「作る側」へ踏み込もうとしていた。

 

 そして。

 

 この選択が、俺にとって初めての、本格的な「商品開発の判断」になる。

 

 ――その結果がどうなるのか。

 

 このときの俺は、まだ知らなかった。

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