毎日コンビニの新商品を食べ続けていただけの俺、なぜか食品開発会社のエースになる   作:赤坂龍之介

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第6話 俺に「商品として一番良いもの」を選べるか

 

 翌朝。

 

 出社して自分の席に座ると、机の上に一枚の資料が置かれていた。

 

『試作品G・H・I 比較検討資料』

 

「……」

 

 資料をめくる。そこには、これまで見てきた味や食感だけではなく、『原価』『製造性』『想定販売価格』『ターゲット適合性』『競合商品比較』といった項目まで並んでいた。

 

 少し前なら、これを見ても何が何だか分からなかっただろう。でも今は、それぞれが何のためにあるのかくらいは分かる。

 

「佐伯さん」

 

「はい」

 

 黒川主任が近づいてきた。

 

「昨日の話、覚えていますか?」

 

「一番美味しいものではなく、一番商品になりそうなものを選ぶ、ですよね」

 

「その通りです」

 

「でも、俺に選べるんですか?」

 

「最終決定をするわけではありません」

 

「……」

 

「商品開発部としての判断材料として、佐伯さんの評価を聞きたいんです」

 

「なるほど」

 

「これまで学んできたことを、実際に使ってみる機会でもあります」

 

 俺は資料を見た。

 

 味だけではなく、原価や製造性まで考えて判断する。

 

 今までの研修で学んできたことを、実際の商品で使う初めての機会だ。

 

「……分かりました」

 

「では、お願いします」

 

 俺は資料を持って会議室へ向かった。

 

 

 会議室には、田村さん、企画担当の女性、製造担当の男性もいた。テーブルの上には三つの試作品が並んでいる。

 

「まず、それぞれの条件を説明します」

 

 田村さんが資料を開いた。

 

「Gは味の評価が最も高い。ただし、目標原価を少し上回っています。また、現在の製造ラインでは一部工程の調整が必要です」

 

「はい」

 

「Hは原価が最も低く、製造も比較的容易です。ただ、味の評価はGより下がります」

 

「なるほど」

 

「IはGより味の評価が少し低いものの、原価は目標内。現在の製造ラインでも対応可能です」

 

「……」

 

 三つを見比べる。

 

 G――美味しい。でも高い。製造にも課題がある。

 

 H――安い。でも味が弱い。

 

 I――味とコストのバランスが良く、製造もしやすい。

 

「原価と製造性まで考えるなら、Iが良さそうです」

 

 思わず口に出した。

 

「理由は?」

 

 黒川主任が聞く。

 

「Gは一番美味しいです。でも、原価が高い。それに製造工程にも調整が必要ですよね」

 

「はい」

 

「Hは安いけど、味が弱い」

 

「はい」

 

「Iなら、味もある程度高くて、原価も収まっていて、今の製造ラインでも作れる。だから、今ある情報だけならIが一番商品にしやすいと思います」

 

 田村さんが頷いた。

 

「考え方としては合っています。ただ、まだ判断材料が足りません」

 

「……?」

 

 田村さんが別の資料を差し出した。

 

『一次消費者モニター評価』

 

「もうやったんですか?」

 

「はい。開発初期の方向性を確認するための簡易評価です。まだ正式な市場調査ではありません」

 

「なるほど」

 

「今回は、社内の評価だけではなく、今回のターゲットに近い外部モニターにも試食してもらいました」

 

 俺は数字を見る。

 

 G。

 

 H。

 

 I。

 

 Gは、やはり高評価。Hは低い。そしてIは――。

 

「……I、思ったより低いですね」

 

「はい」

 

「どうして?」

 

 企画担当の女性が説明する。

 

「味そのものは悪くありません。ただ、『また食べたいと思うか』『店頭で見かけたら選びたいか』という項目で、他の二つに負けています」

 

「……」

 

 俺はIを見る。

 

「印象に残らない?」

 

「そういう評価が多かったですね」

 

「なるほど……」

 

 俺は資料を読み進める。

 

「でも、Gは価格が高い」

 

「そうです」

 

「Hは味が弱い」

 

「はい」

 

「……」

 

 どれも問題がある。

 

「じゃあ、G?」

 

 俺が言うと、黒川主任が首を横に振った。

 

「まだ決められません」

 

「ですよね」

 

「販売価格と競合商品の情報も見てください」

 

 別の資料が差し出される。

 

 近い価格帯の商品。競合商品の内容量。具材。価格。購入理由。再購入意向。

 

 俺は表を見つめた。

 

「……Gって、この価格だと競合よりかなり高くなりますね」

 

「はい」

 

「味では勝ってるけど、価格差を考えると選ばれにくい可能性がある」

 

「その通りです」

 

「Iは価格では悪くない」

 

「はい」

 

「でも、印象が弱い」

 

「はい」

 

「Hは……」

 

 俺はHを見る。

 

「安いけど、そもそも味で選ばれにくい」

 

「現状では、その可能性が高いです」

 

 俺は頭を抱えた。

 

「……難しい」

 

 味だけならG。価格だけならH。バランスならI。

 

 でも、市場の評価まで見ると、どれも決め手に欠ける。

 

「一番商品になりそうなものを選んでくださいって言われても……」

 

 俺は資料を見つめた。

 

「全部、何か足りないですよ」

 

「そうです」

 

 黒川主任が答えた。

 

「商品開発では、最初から全ての条件を満たす試作品ができる方が珍しいんです」

 

「……」

 

「だから、ここで考えるんです」

 

 俺は三つの試作品を見る。

 

 そして、一度Gを食べた。

 

 やっぱり美味しい。

 

 次にH。

 

 悪くない。

 

 でも、少し普通だ。

 

 最後にI。

 

「……」

 

 俺は三つを並べた。

 

 その瞬間、ふと思った。

 

「これって」

 

「何か気づきました?」

 

 黒川主任が聞く。

 

「Gを、そのまま商品にする必要ってないんですよね?」

 

「……」

 

 田村さんが顔を上げる。

 

「どういう意味ですか?」

 

「Gの味が一番いいなら、その良い部分を残しながら、Iの原価とか製造条件に近づける方法を考えればいいんじゃないですか?」

 

 会議室が静かになった。

 

 自分でも、少し大胆なことを言ったと思う。

 

「もちろん、具体的にどうするかは分かりません」

 

 俺はすぐに付け加えた。

 

「ただ、GかIかの二択にする必要はない気がして……」

 

「第三の試作品を作る」

 

 田村さんが言った。

 

「そういうことですね」

 

「はい」

 

「考え方としては面白いです」

 

 企画担当の女性も頷いた。

 

「Gの強みを残しながら、Iの条件に近づけられれば理想ですね」

 

「ただし」

 

 製造担当の男性が口を開く。

 

「配合を変更すると、別の製造上の問題が出る可能性があります」

 

「……」

 

 黒川主任が頷く。

 

「そこも含めて検討しましょう」

 

「はい」

 

 俺は少し驚いた。

 

 俺の意見が、また次の試作につながった。

 

 でも。

 

「佐伯さん」

 

「はい?」

 

 田村さんが言った。

 

「これは『Gが正解だった』という意味ではありませんよ」

 

「……はい」

 

「佐伯さんが出したのは、Gの長所とIの条件を組み合わせられないか、という仮説です」

 

「なるほど」

 

「実際に試して、駄目なら別の方法を考える」

 

「……」

 

 俺は頷いた。

 

 少しずつ分かってきた。

 

 俺は答えを出す人ではない。

 

「こうしたらどうだろう」と考える。

 

 その仮説を、田村さんたちが具体的な試作に変える。

 

 そして、結果を見る。

 

 それが今の俺の仕事なんだ。

 

 

第三の試作品

 

 翌日。

 

 試作室に、一つの新しい試作品が並んでいた。

 

「早いですね」

 

 思わず言う。

 

「小規模な試作ですから」

 

 田村さんが笑った。

 

 今回の試作品は、Gの味の方向性を残しながら、Iに近い原価と製造条件を目指したものらしい。

 

「ただし、まだ第一段階です」

 

「分かりました」

 

「では、食べてみてください」

 

「はい」

 

 一口。

 

「…………」

 

 二口。

 

「…………」

 

 俺は味を確認する。

 

 香り。具材。パン。後味。

 

「……Gほど香りは強くないです」

 

「はい」

 

「でも、Iより具材の味が分かりやすい」

 

「なるほど」

 

「後味も重くない」

 

「原価については、まだ試算段階ですが、Iに近い水準です」

 

「……」

 

 俺はもう一口食べた。

 

「これ、かなりいいんじゃないですか?」

 

「そう思います?」

 

「はい」

 

 田村さんも試食する。

 

「私も可能性はあると思います」

 

 そのとき。

 

「ただ、一つ問題があります」

 

 製造担当者が資料を見た。

 

「この配合だと、工場のラインでの混合条件が厳しい可能性があります」

 

「具体的には?」

 

 黒川主任が尋ねる。

 

「具材が均一に分散しにくくなる可能性があります。試作室では問題なくても、量産時に同じ状態を保てるか確認が必要です」

 

「……」

 

 俺は固まった。

 

「また?」

 

 思わず口に出た。

 

 全員が苦笑する。

 

「美味しい」

 

 俺。

 

「原価も悪くない」

 

 田村さん。

 

「でも作りにくい」

 

 製造担当者。

 

「……商品って、本当に難しいですね」

 

「だから面白いんですよ」

 

「それ、もう何回目ですか?」

 

 会議室に笑い声が広がった。

 

 

「商品になりそう」を考える

 

 午後。

 

 俺は黒川主任と二人で資料を見ていた。

 

「今日の話を整理しましょう」

 

「はい」

 

「Gは味が良い。ただし、原価が高く、製造にも課題がある」

 

「はい」

 

「Hは安くて作りやすい。ただ、味の評価が低い」

 

「はい」

 

「Iは味と原価と製造性のバランスが良い。ただし、消費者から見ると印象が弱い」

 

「はい」

 

「そして、新しい試作品は?」

 

「味と原価は良さそうだけど、量産するときの条件に課題がある」

 

「その通りです」

 

 黒川主任が資料を閉じた。

 

「では、佐伯さん」

 

「はい」

 

「商品として一番大切なのは何だと思いますか?」

 

「……」

 

 俺は考えた。

 

 一週間前なら、「美味しいことです」と答えていたと思う。

 

 でも。

 

 今は違う。

 

「……全部、ですか?」

 

「全部?」

 

「味も」

 

「はい」

 

「価格も」

 

「はい」

 

「作れることも」

 

「はい」

 

「買う人がいることも」

 

「……」

 

「全部揃わないと、商品にはならないんじゃないですか?」

 

 黒川主任が笑った。

 

「大筋では正解です」

 

「……」

 

「ただ、もう一つ覚えておいてください」

 

「はい?」

 

「商品によって、何を優先するかは変わります」

 

「……」

 

「たとえば、価格を最優先する商品もあれば、味やボリュームを強く打ち出す商品もあります。全部が同じ比率で重要というわけではありません」

 

「なるほど……」

 

「今回の商品では、何を一番重視するのか。それを決めるのも企画の仕事です」

 

「……」

 

 俺は資料を見る。

 

 商品コンセプト。

 

『仕事終わりに食べたくなる、濃厚で満足感のある惣菜パン』

 

「じゃあ、今回なら……」

 

「はい」

 

「仕事終わりに食べたいと思ってもらえることが、一番大事?」

 

「その考え方はできます」

 

「……」

 

 また一つ。

 

 今まで知らなかった視点を教わった。

 

 

消費者の目線

 

 その日の午後。

 

 企画担当の女性から、追加の資料を見せてもらった。

 

「佐伯さん、これも見ておいてください」

 

「はい」

 

「今回のターゲットに近い消費者を対象にした簡易モニターです」

 

 資料を見る。

 

 購入理由。味の評価。価格評価。また食べたいと思うか。パッケージを見て手に取りたいと思うか。競合商品との比較。

 

「……」

 

「何か気になります?」

 

「同じ『美味しい』でも、買いたいかどうかは別なんですね」

 

「そうです」

 

「Gは味が高いのに、価格で評価が落ちている」

 

「はい」

 

「Iは価格はいいけど、印象が弱い」

 

「はい」

 

 俺はしばらく資料を見つめた。

 

「じゃあ、商品って……食べた瞬間だけじゃないんですね」

 

 企画担当の女性が頷いた。

 

「店頭で見つける」

 

「はい」

 

「手に取る」

 

「はい」

 

「買う」

 

「はい」

 

「食べる」

 

「はい」

 

「また買う」

 

「……」

 

「そこまでが商品です」

 

 俺は、その言葉に少し驚いた。

 

 今まで俺は、商品を「食べるもの」だと思っていた。

 

 でも。

 

 作る側から見ると、商品は食べる前から始まっている。

 

「……俺、知らないこと多すぎますね」

 

「だから勉強中なんでしょう?」

 

「はい」

 

 

その夜

 

 帰宅途中。

 

 俺はいつものコンビニに立ち寄った。

 

 新商品を一つ手に取る。

 

 レジへ。

 

 帰宅。

 

 開封。

 

 一口。

 

「……」

 

 二口。

 

 スマホを取り出す。

 

 メモを開く。

 

『新作○○』

 

 少し考える。

 

『味は良い』

 

『香りも良い』

 

 そこで手が止まった。

 

 いつもなら、ここで終わる。

 

 でも。

 

「……価格は?」

 

 パッケージを見る。

 

「……これなら、俺は買う」

 

 次に考える。

 

「でも、似た商品がもう少し安く売ってたら?」

 

 スマホに書く。

 

『価格差を考えると、競合商品との差が弱い』

 

「……」

 

 さらに考える。

 

 この商品には、何がある?

 

 味。香り。食感。価格。ボリューム。パッケージ。

 

 そして。

 

 「また買いたい」と思える理由。

 

「……」

 

 今までなら、そんなことは考えなかった。

 

 でも今は。

 

 食べるたびに、会社で学んだことが頭に浮かぶ。

 

「完全に仕事病だな……」

 

 苦笑する。

 

 そして最後に、

 

『原因は不明。要調査』

 

 と書いた。

 

 保存。

 

 スマホをポケットにしまう。

 

 俺はまだ新人だ。

 

 味覚の専門家でもない。

 

 料理人でもない。

 

 食品科学者でもない。

 

 マーケターでもない。

 

 ましてや、エースなんて、とてもじゃない。

 

 それでも。

 

 一つずつ。

 

 知らなかったことを知っていく。

 

 一つずつ。

 

 「美味しい」だけで終わっていたものを、別の角度から見る。

 

 それだけで。

 

 昨日とは少し違う自分になっている気がした。

 

 

翌朝

 

「佐伯さん」

 

「はい?」

 

 出社すると、黒川主任が声をかけてきた。

 

「昨日の試作品ですが」

 

「はい」

 

「工場側から連絡がありました」

 

「……どうでした?」

 

「条件を一部調整すれば、量産できる可能性があるそうです」

 

「本当ですか?」

 

「はい」

 

 俺の胸が少し高鳴った。

 

 味。

 

 原価。

 

 製造。

 

 全部を一度に完璧にするのは難しい。

 

 でも。

 

 一つずつ条件を確認して。

 

 一つずつ改善して。

 

 少しずつ商品に近づけていく。

 

「……なんか」

 

「はい?」

 

「昨日より、商品になってきましたね」

 

 黒川主任が頷く。

 

「そうですね」

 

 俺は資料を見る。

 

 まだ完成ではない。

 

 ここから正式な消費者評価も必要だ。

 

 品質や保存性の確認も必要だ。

 

 営業や取引先との調整もある。

 

 そして、実際に店頭に並んでからも、売上や反応を見なければならない。

 

 それでも。

 

 昨日より一歩前に進んだ。

 

「佐伯さん」

 

「はい」

 

「今日の午後、改良版の消費者モニター評価が届きます」

 

「……」

 

「そこで、また別の問題が出るかもしれません」

 

「ですよね」

 

「大丈夫ですか?」

 

 俺は少し考えた。

 

 昔の俺なら、問題が出ることを嫌がっていたと思う。

 

 でも今は違う。

 

 問題が出たなら、調べればいい。

 

 仮説を立てればいい。

 

 試せばいい。

 

 失敗したら。

 

 また考えればいい。

 

「はい」

 

 俺は笑った。

 

「……次、何が出てくるんでしょうね」

 

 このときの俺は、まだ知らなかった。

 

 この日の午後。

 

 改良版の消費者モニター結果によって、俺たちはもう一度、

 

「味が良ければ、売れるわけではない」

 

という現実を突きつけられることを。

 

 そして。

 

 その結果を見た俺が、十年以上続けてきた「コンビニ新商品を食べる」という習慣を、初めて「市場を見るための経験」として本格的に使うことになるなんて。

 

 このときの俺は、まだ知らなかった。

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